2009年3月31日火曜日

Weatherhead and Kemp 2007


アマルナの彩色された祠堂を扱う書。煉瓦造の建築復原をおこなう考察の中で、これほど詳しく記述したものを見たことがありません。非常な労作ですが、しかし一方で読者層はきわめて限られるために、どうやら徹底して安く出版することを考慮したらしく推測されます。

Fran Weatherhead and Barry J. Kemp,
The Main Chapel at the Amarna Workmen's Village and its wall painting.
EES Excavation Memoir 85
(Egypt Exploration Society, London, 2007)
iv, 420 p., colour plates (4 p.)

Egypt Exploration Society Excavation Memoir (EESEM)のシリーズですけれども、ペーパーバックです。EESEMのシリーズで他にこういうものがあったかどうか、あまり思い出すことができません。珍しいと思います。活字の大きさを落としており、かなり詰め込んでいる印象を受けます。
註は本文中で上付き数字ではなく、カッコ内に示されます。註に特別な組み方をしません。参考文献リストは2ページだけです。ケンプが関わった刊行物としては稀。
またテキストのページと図版のページ、表のページは綺麗に分けられており、入り混じるということがありません。複雑なページ構成を避けたようです。

図版を多く所収していますが、図版リストを掲載していません。ほとんどがモノクロによる図示で、カラー図版は巻末の4ページだけとなります。図版番号は章の番号と対応しており、このためカラー図版は3.1から始められますけれども、1.1があるわけではない。
モノクロのスクリーン・トーンの貼り分けで色彩を区別しており、図版の作成に多くの時間を要したと思われますが、オリジナルは大きな図であるらしく、ところどころでトーンの継ぎ目が白い線としてあらわれたり、あるいは製版の過程でモアレが生じてしまっていたりします。惜しいところですが、けれども本質的な問題ではない。

扱うのは床面積が300平方メートルに満たない祠堂で、発掘前、発掘後の平面図のみならず、壁体が倒壊した方向、各部屋に埋まった建築関連の遺物の図示、各彩色壁面のモティーフなどが復原図とともに掲げられています。入念な考察がなされており、層位を示す断面図も豊富。
もっとも感心したのは、彩画片の接合状況を図示した点です。どの断片とどの断片とが実際に接合できたのか。これをモティーフ全体を復原してあらわす図の中に書き入れています。つまり、全部のピースが揃っていないジグソーパズルを解くわけですから空白部分があるわけで、このためにモティーフはいくらか伸縮が自在となります。しかし決して離して考えてはいけないピース同士があり、これらを具体的に図示したのは画期的です。

一番重要と考えられるサンクチュアリの前面については、2種類の復原図が見開きで対照できるように提示されています(pp. 220-221, Figs. 3.16, 3.17)。ブーケのパネルの当初位置が不明であることが原因。鍵となるべきコーナー片などが見つからなかったようです。
この判断も非常に面白い。自分だったらどのように判断するか、楽しめます。

最後の復原パネルの制作を扱った項も参考になります。パネルの重量を低減させるために工夫が見られ、またやり直しができるようにも考えられています。
本の裏には著者紹介が掲載されており、

"Fran currently lives in Norfolk, paints for a living, and is making a study of the local fishing industry."

とありました。この文が何を意味するのか、感慨を覚えるところがあります。

2009年3月30日月曜日

Arnold 2008


リシュトにある古代エジプトの中王国時代の私人墓に関する建築報告書。すでにメトロポリタン美術館が1900年代の初期に発掘調査をおこなったものの、報告書がずっと未刊行のままでした。
追加の調査をおこない、当時の記録をもとに、厚い報告書に仕上げています。

Dieter Arnold, 
with an appendix by James P. Allen,
Middle Kingdom Tomb Architecture at Lisht.
Publications of the Metropolitan Museum of Art,
Egyptian Expedition, Volume XXVIII
(Metropolitan Museum of Art, New York, 2008)
99 p., 170 pls.

見どころは図版で、リシュトに位置するセンウセルト1世、あるいはアメンエムハト1世のピラミッドの周囲に築かれた数々の墓が対象。建築の専門教育を受けた人間が調査隊長で、しかも主として本人が図面を描いているから、非常に見やすい。いくつかの図はすでにアーノルドのBuilding in Egyptの中で紹介されていますが、見応えのある図面がここでも揃っています。折り込みとなっている図版も少なくありません。
地上に建物が立つ他に、地下にも迷路のように部屋や廊下が造営されますから、理解が容易となるように、場合によっては立体図(アクソノメトリック)も交えています。手前の部分をカットアウトして見やすくする工夫が特に注目されます。
新王国時代、平地に盛んに建てられたいわゆる「トゥーム・チャペル(神殿型貴族墓)」の形式と似たものが、すでにあったことが分かって興味を惹きます。中王国時代の住居の形式とも相似を示している部分があり、もう一度問題を広く捉え直すべき時期に来ているのかもしれません。

盗掘行為を防ぐために、二重に設けられた石の引き戸(!)が用意された墓がうかがわれるのが面白い。立てた石の平板を上から落とす「落とし戸」ではなく、横から石板を引き出してきて通路を塞ぐ方式です。斜め上から石版を落とす方式はダハシュールの屈折ピラミッドの中で見られ、有名ですけれども、引き戸というのは驚かされる。

CGによって地上の建物を復原している図は、非常に精緻で素晴らしい。石材のひとつひとつの大きさがまちまちであるというのが大方の古代エジプトにおける石造建築の特徴なので、CGの作り手にとっては面倒であったはず。床面の敷石に至っては不定形の石が並べられますので、これも苦労したかと思われます。石目地のパターンをただコンピュータ上のモデルに貼り付けるだけでは不満が残る箇所。
この本のシリーズはまだ続くようで、石棺の類型などに関しては、ダハシュールの中王国時代の私人墓をまとめた次巻にて記されるとのこと。

著者は、テーベにおけるデル・エル・バハリのメンチュヘテプ2世の記念神殿はもちろん、中王国時代のピラミッド群など、主要なモニュメントの発掘調査に長く関わってきた人。奥さんは土器の専門家、子供もエジプト学者という点は以前にも触れました。
メンチュヘテプ2世の記念神殿については、基壇上にピラミッドを載せる姿をとった20世紀初期の復原案が、アーノルドによって疑問符を付され、今やほとんど信じられていません。
一枚の復原図を描いた時に、それが50年持つか持たないか、建築に関わる者はそれを競うということではないかと思われます。

2009年3月29日日曜日

Hillier and Hanson 1984


「空間の社会的な論理」といったような題の書。再版を重ね、古代建築にこの考えを援用した論考もすでに多く発表されており、非常に興味深い。
ただし、古代エジプトの例に適用しようとした試みは、私見ではあまり見当たらないようですが。

Bill Hillier and Julienne Hanson,
The Social Logic of Space
(Cambridge University Press, Cambridge, 1984)
xiii, 281 p.

Contents:
Introduction
1 The problem of space
2 The logic of space
3 The analysis of settlement layouts
4 Buildings and their genotypes
5 The elementary building and its transformations
6 The spatial logic of arrangements
7 The spatial logic of encounters: a computer-aided thought experiment
8 Societies as spatial systems
Postscript

非常に意欲的な内容を有する本で、たとえば序文には、

"The aim of this book is to reverse the assumption that knowledge must first be created in the academic disciplines before being used in the applied ones, by using architecture as a basis for building a new theory - and a new approach to theory - of the society-space relation. (.....)
The aim of is to begin with architecture, and to outline a new theory and method for the investigation of the theory-space relation which takes account of these underlying difficulties." (p. x)

と記されています。
広範な領域を扱おうとするにも関わらず、その論の前提は比較的簡単で、建物の部屋をただの○であらわし、部屋と部屋との繋がりは線で結ぶことで表現する、ということに基本は尽きるように思われます。

でも、部屋の大きさも、方角も、窓の有無も、床の高低差も、室内に立つ柱の本数も、天井高さも、その他の建築表現にまつわる一切を完全に無視するというこの考え方は、きわめて近代的な思考方法を前提の了解としており、現代が獲得した建築に対する考え方を先鋭化した結果であるという点がまず認識されていなければなりません。
それらは要するに、些細な「飾り」なのだという物言いがなされていることに建築家は気づくべき。

その上で、著者たちは「空間の深さ」という大胆な概念を抽出します。その重要性は強調されるべきです。ここで初めて上述の"society-space relation"が問われるという構成です。

従って、「この論をそのまま古代の遺構に当てはめることができない」といった論点はまったくの見当外れで、ヒリアーたちの意図を充分汲んでいるとは思われません。
何人かの考古学者たちがこうした批判をおこなっていますけれども、そんなことは当たり前。むしろ、そのような考え方によって何が掬い上げることが不可能なのかが問題とされるべきであり、現代の建築と古代の建築との差異が、ここではっきりと明らかにされる可能性があります。

"For example, the 'pattern language' of Christopher Alexander and his colleagues at Berkeley, while appearing at first to be close to our notion of fundamental syntactic generators, is in fact quite remote, in intention as well as in his intrinstic nature." (p. xi)

と記していることは注目されます。「パターン・ランゲージ」の著者のC. アレクサンダーへの批判です。

冒頭の註では人類学者クロード・レヴィ=ストロースや社会学者ピエール・ブルデューの著作などが並びます。ふたりともコレージュ・ド・フランスの教授で、フランスを代表する知性。
考古学における、さらなる展開への突破口を示唆する書。ヒリアーは「空間は機械である」という著作も後に書いています。

2009年3月28日土曜日

Hahn 2001


「アナクシマンドロスと建築家たち」という題の風変わりな本。奇妙な本であると著者も自分で冒頭に書いていますが、これを出版したのは哲学科の准教授で、古代ギリシア哲学の専門家。
アナクシマンドロスと言えば、最初の哲学者たちのうちのひとりとして挙げられる人物で、彼が宇宙論を考え出した発想の原点には古代の建造技術が関わっていると記しています。

Robert Hahn,
Anaximander and the Architects:
The Contributions of Egyptian and Greek Architectural Technologies to the Origins of Greek Philosophy.
Suny Series in Ancient Greek Philosophy
(State University of New York Press, New York, 2001)
xxiii, 326 p.

Contents:
Introduction
Chapter 1: Anaximander and the Origins of Greek Philosophy
Chapter 2: The Ionian Philosophers and Architects
Chapter 3: The Techniques of the Ancient Architects
Chapter 4: Anaximander's Techniques
Chapter 5: Technology as Politics: The Origins of Greek Philosophy in Its Sociopolitical Context

最初の哲学者たちと古代エジプト建築との関わり、ということを問えば、例えばイオニア地方にいた哲学者タレスが影の実測を用いて、初めてピラミッドの高さを計測した逸話などが思い出されます。それまで実用的な技術を発達させてきた古代エジプトの考え方を、はじめて幾何学へと結晶させたといった言い方がなされる部分。ですから話題そのものとしては、決して珍しくはありません。けれども、古代エジプトから古代ギリシアへの実際の建築技術の伝播については、これまでほとんど詳しく分かっていないはずです。

タレスの考え方を批判的に継承したのがアナクシマンドロスで、こうしたソクラテス以前の哲学を見ていくと、それぞれが大旅行者であり、その旅程のさなかで「世界の全体」というのは何かということを絶えず頭の片隅においていた思索者であり、また全体の論を組み立てるために「万物の根源」へと考えを遡行させていった偉大な夢想者であったことが良く了解されます。アナクシマンドロスはこのような過程で「アルケー(根源・始原)」ということを言い出しました。つまりは考古学(アルケオロジー)の先達者と言うことになります。
ソクラテス以前の諸考察に関して精読をおこなったマルティン・ハイデガーが「古来から存在が問われてきた」という内容の「存在と時間」を20世紀に発表し、各分野に大きな影響を与えたことも併せて思い起こされます。

しかしこの本の面白い点は、バダウィのいわゆる「ハーモニック・デザイン論」を否定しているCAJ 1:1(1991)に掲載されたB. J. ケンプとP. ローズの論、"Proportionality in Mind and Space in Ancient Egypt"も検討したりと、古代エジプト建築の計画論に関わる最近の研究史の概要を提示しているところにあります。こういう本格的な論考を、エジプト学関連の刊行物の中ではまだ見ることができません。
これは大きな収穫で、エジプト学に直接関わっていない人から見ると全体としてどういうふうに眺められるのかが良く分かり、基本的な問題点がはっきりする利点があります。事情が良く分かっているC. ケラー、G. ロビンズ、D. オコーナーなどに著者が直接相談していることもあって、ここまでの論旨は明瞭。彼らはいずれも良く知られたアメリカのエジプト学者たち。オコーナーはケンプと共同で発掘調査もおこなっており、ケンプの良き理解者です。
ただし、うまく纏められた論述ですけれども、266ページではE. イヴァーセンの名前を"Iverson"と綴っていたりもしますので、注意が必要。

アナクシマンドロスの天体論・宇宙論が、古代ギリシアの柱のドラムの形状から発想されたという辺りに対しては大きな異論も出るでしょうが、古代ギリシア建築と古代エジプト建築との計画方法の関わりを密接に説いている本として貴重です。
古代エジプト建築の研究者D. アーノルド、また古代ギリシア建築を専門とするA. オルランドス、R. マルタン、J. J. クールトンらの名前が同じ章の中に出てきます。イオニアの神殿では柱の根元での太さと高さとの比が1:10になることの検証が144ページから続き、周到な論の運びなのですが、これがどうして宇宙の大きさの話となってしまうのかが謎。

クメール研究においても、建物の遺構における特定の寸法が実は天体の位置関係をあらわしているのだといったような、建築学的にはどうしても首を傾げざるを得ないことを表明しているこの種の本があって、

Eleanor Mannikka,
Angkor Wat:
Time, Space, and Kingship

(University of Hawaii Press, Honolulu, 1996)
341 p.

なども、また同じ理由で論駁されるべき図書。

2009年3月27日金曜日

Kemp and Rose 1991


ケンブリッジ考古学雑誌(CAJ)は1991年の創刊ですから、比較的若い雑誌。年に2回の発行です。第1巻第1冊目という最初の号に、ケンプとローズが共同執筆している論文。
ケンプはこの雑誌の編集委員に名を連ねていますので、あまりレベルの低い内容のものを書けない立場です。むしろ、注目すべき投稿論文を世に出して、新たに刊行されたこの雑誌に関心を集め、格を高めなければなりません。何といっても、ケンブリッジ大学の考古学雑誌です。
そうした状況のもとで書かれた論考。

Barry Kemp and Pamela Rose,
"Proportionality in Mind and Space in Ancient Egypt",
Cambridge Archaeological Journal (CAJ), Vol. 1, No. 1
(April 1991), pp. 103-129.

一見、話があちこちに飛ぶように思われるので、この論文はあるいは逆に、最後から読むと分かりやすいかと思われます。つまり、結論を先に読んでしまうことです。そうすると、古代エジプトの分析などで未だに良く用いられている「黄金比」などを否定していることが分かります。さまざまな補助線を書き加えて検討をおこなう美術史学的な分析に関しては、

E. C. Kielland
Geometry in Egyptian Art
(Dreyers Forlag, Oslo, 1987)
142 p.

などが代表的。

このケンプという人は、もともと黄金比とか円周率などを古代エジプト建築の分析に持ち込むことに懐疑的な人でした。その大きな影響下に、例えばC. Rossiの本、Architecture and Mathematics in Ancient Egyptが書かれています。ただ、エジプト学でも黄金比を用いて解釈するという美術史学の長い歩みがありますから、一言で否定するというのは難しい。
当論文では、経験心理学によるここ20年来の研究の成果をまず踏まえて書き始められるという点が面白い。それまで触れられなかった観点からの黄金比の適用の見直しが試みられています。

黄金比に関する簡単で周到な紹介が終わった後、ある種の価値判断については、その割合が黄金比(1:1.618)に近似するという経験心理学上の興味深い話題に移り、これを受けて古代エジプトの例を検証します。そこで第一に取り上げられるのは当時の「カレンダー」を記したパピルス文書で、ちょうど日本の「大安」「仏滅」と同じように、日々の吉凶が文字資料として残っているものを扱っています。

pBudge(357日間)
pSallier IV(209日間)
pCairo 86637(344日間)

などが引用されていますが、こうして最新の人文科学研究と古代エジプトの諸資料を思わぬところで結びつけて見せるのがケンプの本領。また同時に、吉凶を記す「夢の本」であるチェスター・ビッティ・パピルスについては、論述から注意深く除かれている点にも注意が惹かれます。

話はさらに人物の立像の下書きで用いられたキャノン・グリッドや家具のプロポーションに及び、最後に建築平面図の解析へと入ります。
結論では

"Badawy's claim for the existence of 'some regulating system of proportions ... crystallized into a framework of general laws' (Badawy 1963, 2) seems to be unlikely." (p. 127)

と述べられており、ある程度の傾向は認めながらも、最後は否定する方法をとっています。
A. バダウィに対する反論が記された論文で、建築学においては重要視される考察。

2009年3月26日木曜日

Maragioglio e Rinaldi 1963-1975


2人のイタリア人によるピラミッド集大成。主なピラミッドをすべて再調査し、実測もおこなって大判の図面を作成するという画期的な出版物でしたが、惜しまれるのは全巻が刊行されていない点です。ネチェリケトの階段ピラミッドを扱う予定であった第1巻は未刊。また第8巻の存在について言及しない参考文献リストにもしばしば出会います。
テキストはイタリア語と英語の併記ですが、図面中の文字はイタリア語のみ。
体裁は少々乱れることがあり、Parte II に対しては2回も補足が出されました。以降も訂正や改訂図面が後続の巻に所収される場合があって、注意が必要です。図面の寸法線も描き誤りが見られないこともないので、どこの大きさがあらわされているのかを逐一確認すべきです。
それにしても、素晴らしい実測図集。信じがたい労作です。

Vito Maragioglio e Celeste Ambrogio Rinaldi,
L'architettura delle piramidi menfite.

Parte II: La piramide di Sechemkhet, La Layer Pyramid di Zauiet el-Aryan e le minori piramidi attribuite alla III dinastia
(Tip. Artale, Torino, 1963)
74 p., 11 tavole.
Parte II: Addenda
(Tipografia Canessa, Rapallo, 1964)
16 p.
Parte II: 2 Addenda
(Tipografia Canessa, Rapallo, 1965)
11 p.

Parte III: Il compresso di Meydum, la piramide a doppia pendenza e la piramide settentrionale in pietra di Dahsciur.
2 vols., testo e tavole
(Tipografia Canessa, Rapallo, 1964)
166 p., 19 tavole

Parte IV: La Grande Piramide di Cheope.
2 vols., testo e tavole
(Tipografia Canessa, Rapallo, 1965)
201 p., 14 tavole.

Parte V: Le piramidi di Zedefra e di Chefren.
2 vols., testo e tavole
(Officine Grafiche Canessa, Rapallo, 1966)
158 p., 17 tavole.

Parte VI: La Grande Fossa di Zauiet el-Aryan, la piramide di Micerino, il Mastabat Faraun, la tomba di Khentkaus.
2 vols., testo e tavole
(Officine Grafiche Canessa, Rapallo, 1967)
214 p., 21 tavole.

Parte VII: Le piramidi di Userkaf, Sahura, Neferirkara. La piramide incompiuta e le piramidi minori di Abu Sir.
2 vols., testo e tavole
(Officine Grafiche Canessa, Rapallo, 1970)
203 p., 15 tavole.

Parte VIII: La piramide di Neuserra, la [Small Pyramid] di Abu Sir, la [Piramide distrutta] di Saqqara ed il complesso di Zedkara Isesi e della sua regina.
2 vols., testo e tavole
(Officine Grafiche Canessa, Rapallo, 1975)
125 p., 17 tavole.

なお2人は、このシリーズに先駆けて

Notizie sulle Piramidi di Zedefra, Zedkara Isesi, Teti
(Tip. Artale, Torino, 1962)
64 p., 10 tavole.

も出しています。
最近ではカスル・イブリムの調査報告書を出している模様。

2009年3月25日水曜日

Waddell 2008


ローマのパンテオンに関する集大成。建築について調べると言うことがどういう作業を指すのか、良く分かります。30年間にもわたってこの建物を訪れ、調べ続けたらしく、情報量は圧倒的。どうやら建物中の部屋をくまなく見ているらしい雰囲気で、屋根にも登っています。
パンテオンについてこれほど詳しい本が出たのは、おそらく最初です。

著者はチャールストン大学のアーキヴィスト。史料の収集に関してはプロです。
ただM. ウィルソン・ジョーンズへの謝辞があり、建物の痕跡をどう解釈するかについては彼の助言が相当大きかったことが示唆されます。建築家であり、建築史家でもあるウィルソン・ジョーンズの主著、Principles of Roman Architecture (New Haven, 2000)の最後のふたつの章はパンテオンの謎について記されたものですから、その決着がどのように書かれるのかが、注目されるひとつの点。

Gene Waddell,
Creating the Pantheon:
Design, Materials, and Construction.
Bibliotheca Archaeologica, 42
(L'Erma di Bretschneider, Roma, 2008)
428 p. including 240 illustrations.
ISBN 978-88-8265-493-1

Contents:
Part I: Introduction
1. Preliminary Considerations
2. Major Advances in Knowledge

Part II: Roman Design and Construction
3. Standard Design Procedures
4. Concrete Construction
5. General Sources of Design
6. Specific Sources of Design and Construction

Part III: Preliminary Design Phase
7. The Site
8. Structural Design

Part IV: Concrete Construction
9. Lower Drum and Block
10. Upper Drum and Block
11. Dome

Part V: Embellishment
12. Comparisons of the Orders
13. The Porticoes
14. Finishing
Conclusions

ローマのパンテオンは、最も有名な観光の名所のうちのひとつですが、列柱玄関部(ポルティコ)の不自然さについてはかなり昔から討議されていました。何故こんなに不格好なのかということが長年、建築の関係者の間では話題となっていたわけです。
歴史上の有名な建物は、すべて完璧にまで美しい作品だから広く世に知られているのだろうと考えると、大きく間違えます。パンテオンはその典型で、建物全体から見るとひどく見劣りがする列柱玄関は、最初はなかったのではないかとも考えられたりしました。
この本では、もっと高い列柱玄関が計画されたのであろうが、基礎への負担を軽減するため、低く抑えられたのではないかと結論しています。

建築の報告書として読むことを考えるならば、あまりにも淡々として語られ過ぎているという印象が与えられ、新たに作成された説明図が見たかったという思いが残ります。テキストと図版をすっぱりと分け、文中には一切、図や写真がないのも特徴。建築家がもしこの本を纏めるとしたら、どのように異なったかを想像するのも面白い。

イタリアで出版された本であるため、多少入手しにくい側面があります。Amazonなどでは検索で出てこないかもしれないところが問題点です。
パンテオンに関する近刊の書が序文にて予告されており、こういう知らせも貴重。

2009年3月24日火曜日

Wilson Jones 2000


古代ローマ建築の研究における重要な基本文献。建築家であり、また建築史家である者によって書かれた論考です。これまで執筆されてきた論文の集大成。

Mark Wilson Jones,
Principles of Roman Architecture
(Yale University Press, New Haven, 2000)
xi, 270 p.

Contents:
Introduction: The Problem of Interpretation

Part I
I. Questions of Identity
II. Vitruvius and Theory
III. The Dynamics of Design
IV. Ground Rules: Principles of Number and Measure
V. Ground Rules: Arithmetic and Geometry
VI. Coping with Columns: The Elevation
VII. A Genius for Synthesis: The Corinthian Order

Part II
VIII. Trajan's Column
IX. The Enigma of the Pantheon: The Interior
X. The Enigma of the Pantheon: The Exterior

Appendices
A. Tabulated Measurements of Selected Buildings
B. Measurements and Analysis relating to the Corinthian Order

全体は2つに分かれており、前半は設計理論、後半は実際の遺構分析です。前半のうち、第3章は重要。"The Dynamics of Design"という章の題は、明らかに美術史学的な分析方法を意識しています。「静的な分析」、つまり平面図や立面図などに、補助線をたくさん引いて簡単な比例を求めたり、黄金比を当てはめたりするだけに終わる作業に対して、はっきりとした異和を唱え、「動的な分析」を提唱している言葉です。第4章も面白い。"The 1:10 ratio between column diameter and height"; "The 1:1 proportion of the front facade"など、いくつか列挙しています。

図版が豊富である点はありがたい。
後半ではトラヤヌス帝の柱とパンテオンしか扱っていません。しかし、ともにローマにあるこのふたつの遺構についてはあれこれと、普通では考えられない変な部分を指摘して分析を加えています。

最後の二つの付章はとても素晴らしい。
最初の章では主な遺構について、主要寸法と当時の基準尺(ローマン・フィート=296mm)への換算、誤差、そして想定される計画寸法を掲載しています。
次の章ではコリント式オーダーの柱の実例を列挙し、詳細な寸法リストを作成しています。皇帝が好んで用いた大型のコリント式の柱が網羅されているわけで、有用です。
古典古代建築に興味がない人でも、おそらくは図版だけで充分楽しめる書。古代エジプトに関する本を出すとするならば、どういうものが考えられるのかという問題にも大きな示唆が与えられる本です。

2009年3月23日月曜日

Powell (ed.) 1987


古代中近東の世界における労働の諸相を記した本。この領域に関する文献としては、最強の部類に属するものです。20年前の本ですが、これに代わる書は未だ出ていないはず。
巻末には「重要な古代語」の索引も設けられていて有用。

Marvin A. Powell,
Labor in the Ancient Near East.
American Oriental Series, Vol. 68
(American Oriental Society, New Haven, 1987)
xiv, 289 p.

古代エジプトのピラミッド建造に関わる労働者たちということであるならば、例えば、

Ann Rosarie David,
The Pyramid Builders of Ancient Egypt:
A Modern Investigation of Pharaoh's Workforce
(Routledge and Kegan Paul, London, 1986)
x, 269 p.

などが代表的な一般向けの入門書ですが、パウエル編のこの本では、ピラミッドの石材に残されていたヒエラティックによる書きつけを読んだ上での考察が展開されており、季節としてはいつ働いたのかなど、非常に詳しく検討されています。
シュメールにおける労働については、日本の前川和也先生が執筆なさっています。

Kazuya Maekawa,
"Collective Labor Service in Girsu-Lagash:
The Pre-Sargonic and Ur III Periods",
pp. 49-71.

しかし特に注目すべきは、この本の中でもっとも長い文が書かれている新王国時代の労働者組織についての章で、

Christopher J. Eyre,
"Work and the Organisation of Work in the New Kingdom",
pp. 167-221.

は古代エジプトにおける労働組織に関する基本文献。
関係するオストラカ(単数形はオストラコン。石灰岩片や土器片に文字が記されたもの。原義は「蛎殻」)やパピルスを専門に読む学者によって記された論文で、きわめて緻密な内容を示します。デル・エル=メディーナ(ディール・アル=マディーナ)を中心とし、人数、班構成、休日がいつ与えられたか、ストライキの話、掘削作業における明かりの問題、作業記録の方法、配給された品々など、逐一、根拠となる文字資料を挙げている点は素晴らしい。
チェルニーによる重要な本、

Jaroslav Cerny,
A Community of Workmen at Thebes in the Ramesside Period.
Bibliotheque d'Etude (BdE) 50; IF 453
(Institut Francais d'Archeologie Orientale, Le Caire, 1973)
iv, 383 p.

の改訂増補版といった位置づけとなりますが、この原稿はもともとはEyre自身の博士論文をもとにしていると推察され、こちらは400ページほどの厚さ。

Christopher Eyre,
Employment and Labour Relations in the Theban Necropolis in the Ramesside Period
(Dissertation, unpublished. Oxford, 1980)
iv, 387 p.

UMIを通じての米国における博士論文の入手とは異なり、英国で書かれた博士論文の入手は面倒で、著作権に関して念書の提出が必要となったりします。
他国の博士論文はもっと面倒。

2009年3月21日土曜日

Dumarcay 2005


南アジア及び東南アジアにおける建造技法を図説した本。ボロブドゥールやバイヨンの建築報告書などを執筆したことで、著者デュマルセは名高い学者です。建築の目利きとして有名。
特に南アジア建築の技法を述べた本はきわめて稀で、注目されます。
概説を広く記すことに心が砕かれたようです。

Jacques Dumarcay, translated by Barbara Silverstone and Raphaelle Dedourge,
Construction Techniques in South and Southeast Asia: A History.
Handbook of Oriental Studies, Section 3: Southeast Asia, vol. 15
(Brill, Leiden, 2005)
vii, 108 p., 100 figs.

本文は100ページほどしかなく,あとはモノクロの図版ですが,木,土,石など、この地域で用いられた建築素材を網羅しています。多種多様にわたる建築の形式をまとめることができたのも、この人ならではの仕事。厚い書籍ではありませんが、初めて見る図版がいくつか加えられています。石だけを重視するという立場を取っていません。

「建築の技術では建物を空中へ実際に浮かせることはできないけれども、アンコール・ワットやペナタランのように、ガルーダに支えられて浮かんでいる強烈なイメージの実現こそが建築なのだ」というようなことが結論の最後には書かれており,そこに彼の深い建築観が看取されます。
この20年ほどの間で、建造技法について記した本は矢継ぎ早に出版されており、そろそろ比較がおこなわれても良い時期です。

この同じシリーズで、デュマルセはクメール建築史を書いています。

Jacques Dumarcay and Pascal Royere, translated and edited by Michael Smithies,
Cambodian Architecture, Eighth to Thirteenth Centuries.
Handbook of Oriental Studies, Section 3: Southeast Asia, vol. 12
(Brill, Leiden, 2001)
xxx, 274 p., 148 figs.

こちらも重要。
出版社のブリルはヨーロッパにおける老舗で,このHandbook of Oriental Studiesのシリーズには,他にも見るべきものが多く含まれています。

2009年3月20日金曜日

Hoelscher 1934-1954


古代エジプト建築の中で最も詳しく報告がなされているのは実はピラミッドではなく、メディネット・ハブとして知られているラメセス3世の記念祭殿。ヘルシャーが20年をかけてまとめた大判のこの5冊の報告書は、もちろんヘルシャーの主著のうちのひとつ。
特に第一巻の、判型がさらに大きい図面集には圧倒されます。ここには塔門のカラー復原図なども掲載されています。歴史あるアメリカ・シカゴ大学の東洋研究所(OIC)による刊行。

Uvo Hoelscher,
The Excavation of Medinet Habu, 5 vols.

Vol. I: General Plan and Views.
Oriental Institute Publications (OIP) XXI
(The Oriental Institute of the University of Chicago (OIC), Chicago, 1934)
xiv, 4p., 37 plates.

Vol. II: The Temples of the Eighteenth Dynasty.
OIP XLI
(OIC, Chicago, 1939)
xvii, 123 p., 58 plates.

Vol. III: The Mortuary Temple of Ramses III, Part I.
OIP LIV
(OIC, Chicago, 1941)
xiii, 87 p., 40 plates.

Vol. IV: The Mortuary Temple of Ramses III, Part II.
OIP LV
(OIC, Chicago, 1951)
xiii, 54 p., 42 plates.

Vol. V: Post-Ramessid Remains.
OIP LXVI
(OIC, Chicago, 1954)
xiii, 81 p., 48 plates.

第18王朝時代に属する記念神殿との比較をおこなった第2巻については、シュタデルマンが後に新たな考察を加えています。

このシリーズで見どころといえば、記念神殿に付設された宮殿が詳細に報告されている点で、第1期と第2期とが区別され、復原図も描き起こされています。古代エジプトの宮殿建築に関する第一級の資料。
古代エジプトのいわゆる「ハーレム」について調べようとすると、このメディネット・ハブの入口の門に必ず言及されていることに気づきますが、これは上階に珍しいモティーフが残っているためです。

メディネット・ハブの紹介でしたら以下の本も、とても重要。
薄い横長のペーパーバックながら、内容は非常に充実しています。トトメス3世小神殿の紹介は参考になります。
著者は惜しくも亡くなりました。現在ではダウンロードが可能。

William J. Murnane,
United with Eternity: A Concise Guide to the Monuments of Medinet Habu
(OIC, Chicago, 1980)
vi, 90 p.

http://oi.uchicago.edu/research/pubs/catalog/misc/united.html


2009年3月19日木曜日

Packer 1997


福岡キャンパス図書館の書架に並んでいるのを見て思い出した本。記憶に頼って書くという無謀なことをやりますが。
書誌は以下の通り。

James E. Packer,
The Forum of Trajan in Rome:
A Study of the Monuments, 3 Vols.
California Studies in the History of Art, 31.
Vol. I: Text.
Vol. II: Plates.
Vol. III: Portfolio.
(University of California Press, Berkeley and Los angeles, 1997)
xxx, 498 p. + xiv, 114 plates, 11 sheets of microfiche + iv, 34 folios.

ローマの中枢にある、トラヤヌス帝のフォルムに関する報告書。
フォルムというラテン語は要するに「広場」を指し示しており、日本語でも現在では「フォーラム」という表現で伝わっている言葉。

細長い広場の報告書が、何故500ページ以上も費やされて記されているかということを改めて考えると不思議です。建築を丁寧に報告すると、このような形態になると言うことが良く分かって参考になる本。

使用石材があちこちに散らばっていて、博物館に収蔵されたりもしており、これらを追う地道な作業が強いられます。ローマ時代には有名な建物がラテン語でも記録に残されるわけで、その文章表現もまた、重要な資料のうちに含まれます。
オーダーがあるので、柱の径などの情報をもとにして柱全体の復原も不可能ではない。このため、石材一点一点の扱いが重視されることになります。古代エジプト建築の報告と大きく異なるところです。

でも、対象はあくまでも広場です。そこに並べられた列柱が広場の格を高めるための役割を帯びることとなりますが、それももう全部が揃っていません。テキストを含む断片的な情報を集大成し、ばらばらになった建材にも注目し、また広場の設計方法を探り、という過程を踏んでの論考。
建築の報告書というものが、いかなる存在であるかを知るには最適の例かもしれません。

3巻の構成で、マイクロフィッシュが付いています。見るための専用の機械が必要。あるいは紙焼きにしてもらうこともできますが、高くつきます。
建築を本に仕立てると言うことの意味を考えるに当たって、いろいろなことを考えさせる重厚な書籍です。これほどの厚い本は珍しい。

ローマの中枢である場所を散策することはお勧め。現在、この周辺に車が進入することは禁じられています。考古学者にしてみれば、立ち入り禁止の領域をもっと広げておきたいところなのですが、それでは観光産業が成り立たなくなります。
観光客をどこまで入れるのか。また、遺跡をどう見せるのか。外国へ行った時に、観光客という立場を離れ、企画者の側の観点に立って遺跡を見るということも、是非試してもらいたい見学方法です。

2009年3月14日土曜日

Rivers and Umney 2003


家具の修復に関する手引き書。
家具では木材の他に、皮革や布・紐・金属・貝・骨・象牙・石など、多様な材料が組み合わされる場合が少なくありません。
さらには塗装や彩画が施され、複雑さの度が格段に増します。ここに家具の特殊性があり、面白さが感じられるところです。

いくつかの家具には、動きも加えられます。移動のための車輪、開閉できる扉、収納のための引き出し、家具自体の折りたたみ機構など。
複雑に組み合わされた機械とよく似た面を、家具というものは持っていて、多くの建築家が家具の設計に惹きつけられるのは、たぶんそうした魅力を備えているからだと思われます。

家具という存在はまた、建築の延長上に考えることができ、座ったり、寝そべったり、人間が日常でじかに接触する特別な建築の部位としての意味も持っています。構造的な強度を考えなければならない他に、素材の暖かさや柔らかさも勘案しなければなりません。

Shayne Rivers and Nick Umney,
Conservation of Furniture.
Butterworth-Heinemann Series in Conservation and Museology
(Elsevier, Butterworth-Heinemann, Oxford, 2003)
xxxiii, 803 pp.

800ページを超える大著で、木を巡る章では経年変化に伴う収縮率、構造力学の公式、使用する有機物の化学式など、ページをめくる度に、現在の復原修復作業に関わってくる必要な事項が次々とあらわれ出てきます。
数学と化学の基礎知識が、今日の保存修復においては必要であることを改めて痛感する本。

153ページ以降、あるいは753ページ以降では、

「日本すること」(Japanning)、
「日本された家具」(Japanned furniture),

なんていう書き方をしている箇所もありました。
これは「漆塗り」のことで、堅牢な塗膜を形成するこの技法が、世界に広くすでに知られていることを示しています。

2009年3月13日金曜日

Rossi 2004


B. ケンプの指導のもとに書かれた博士論文が刊行されています。
「古代エジプトの建築と数学」というタイトルは、かなり派手に思われますけれども、これは類書がないためです。

Corinna Rossi,
Architecture and Mathematics in Ancient Egypt
(Cambridge University Press, Cambridge, 2004)
xxii, 280 p.

全体は3つのパートに分かれており、

Part I: Proportions in ancient Egyptian architecture
Part II: Ancient Egyptian sources; construction and representation of space
Part III: The geometry of pyramids

という構成です。

古代ギリシア建築の専門家として知られるクールトンが達成したことを、古代エジプト建築でもやろうとした意欲が良く伝わってきます。
クールトンはギリシア建築に黄金律を当てはめるようなそれまでの美術史学的な方法を一蹴し、建築を造るという実際の作業に即して分析を進めた研究者。建築研究を、美術史学的方法から建築史学的方法へと引き戻した人間として記憶されるようになるかと思います。
だからA. バダウィなど、これまで権威と考えられてきた者の考え方の否定がこの本では主な焦点となっており、この点は見逃せません。

最後にピラミッドの研究が挙げられており、いくつかに分類がなされているのは功績ですが、しかし特に目立った結論があるわけではない。
おそらく、セケドに関する考察が中途半端に終わっているからであるように感じられます。緩やかなスロープの勾配を、「セケドのような」方法で決定したとする言い方が端的に示しており、これもまた「セケド」であると言い切ってしまえば、ずいぶんと古代エジプト建築研究も進展するのですが。
「セケド」で問題となるのは、「縦と横とをひっくり返してもセケドと呼ぶことができるか」と言う点、また「1キュービットに対して1パーム、あるいは1キュービットに対して1ディジットと言ったようなものもセケドとして認められるか」というところです。セケドの概念の拡張に当たりますが、これを認めさえすれば、古代エジプト建築の研究は画期を迎えるように思われます。
鍵となるのは第一アナスタシ・パピルスの中の、いわゆる「オベリスクの問題」で、ピラミッドと同じように、斜めの面だけで構成されているオベリスクという特殊な形態がどのように決定されるのかについて、意図的に難しく、また省いて記されており、本当はこれこそが「古代エジプトの建築と数学」でまず中心に扱われるべき。ピラミッドの設計方法がリンド数学パピルスにしか書かれていないため、第一アナスタシ・パピルスにおける当該部分の記述はとても重要です。

ロッシはその後、イタリア語でエジプトに関する入門書などを出版しています。写真をメインにしたエジプトの遺跡の紹介をおこなったもの。トリノの本屋で見かけましたが、大判だったので購入を断念。

2009年3月12日木曜日

Frankfort 1933


亡き人を収めない空墓が「セノタフ」。
この建築遺構は異様な雰囲気を有し、中心の部屋では装飾がいっさい払拭されて、花崗岩の重厚な構成が呈する圧倒的な迫力が特徴。
類例遺構との比較考察から、古王国時代のものと比定される可能性もありましたが、石と石とを繋ぐ「かすがい」にセティ1世の王名が記されているのが発見されたため、オシレイオンとも呼ばれる当該建築の建造年代は決着を見ました。

新王国時代の後期に属するものの、古王国時代の様式を真似た建築であることが明らかであり、古様を尊重する建物の造り方がすでに存在していたことを示す上で貴重。
中央には水が引かれた溝を周囲に回した基壇を地下に据え、これは水面に浮かび上がった孤立する島をかたどっているとみなされます。
古代エジプトにおける世界創造の神話、「原初の丘」の再現を勘案した建築。

H. Frankfort,
with chapters by A. de Buck and Battiscombe Gunn,
The Cenotaph of Seti I, 2 vols.
Vol. I: Text.
Vol. II: Plates.
Thirty-ninth Memoir
(The Egypt Exploration Society, London, 1933)
viii, 96 p. + vii, XCIII plates.

出土したオストラカも異例で、ふたつの作業班によって造営が進められたことが伝えられています。労働者組織の様子がうかがえる稀な文字資料。ディール・アル=マディーナ以外ではほとんど出土しません。

アビュドスに建てられたこのオシレイオンの前面に立つ葬祭殿もはなはだ奇妙で、全体が「くの字」に曲がっており、奥行きを確保することができなかったために最奥部を横へずらせた常識外れの建造物。ここでは伝統を丁寧に踏襲しつつも、必要な際には大胆な決断を下して解決を図ったエジプト人の智恵が看取されます。
思えば建築史家を戸惑わせる大がかりな仕組みの構築物を、次々と造った王でした。

セティ1世の墓も特異で、この王墓は王家の谷において最も長く、また最も深く掘削された例として有名。玄室は全体の長さのほぼ中央に位置し、意味不明の通廊が長々とさらに地下へと続いています。どこまで到達しているのか、今日でも良く分かっていません。下記のURLにて図面が見られます。
1980年代後半から修復のため閉鎖されており、見学は非常に困難。装飾が良好に残存している遺構として知られており、かつては王家の谷の中でも人気のあった墓です。

Theban Mapping Project:
http://www.thebanmappingproject.com/sites/browse_tomb_831.html


近年、P. ブランドはこうした注目すべき記念建造物群を概観した論考を出版し、脚光を浴びました。単一の王による壮大なモニュメントの数々を概括した本格的な考察。
セティ1世は、古代エジプトにおける「建築王」として名高いラメセス2世の父親です。3000年にわたる歴史の中で、建築の生産性を最も高めることに成功した偉大な王の礎を築いた父であって、このことは忘れ難く思われます。

Peter J. Brand,
The Monuments of Seti I:
Epigraphic, Historical and Art Historical Analysis.
Probleme der Aegyptologie, Sechszehnter Band.
(Brill, Leiden, 2000)
xlii, 446 p., 148 figs., 8 plans.

2009年3月11日水曜日

Aurenche (sous la direction de) 1977


古代近東建築に関する図解事典で、似た題名を持つ本はあるのですけれども、多言語による対照表が付されている点は類書に見られず、特記されます。
全体はふたつに分かれ、前半は絵入りの辞書、後半はフランス語を主体とした他の言語への翻訳です。

Olivier Aurenche (sous la direction de),
dessins d'Olivier Callot,
Dictionnaire illustre multilingue de l'architecture du Proche Orient ancien.
Institut Francais d'Archeologie de Beyrouth (I.F.A.B.),
Publication hors serie;
Collection de la Maison de l'Orient Mediterraneen Ancien (CMO) no. 3, Serie Archeologique, 2
(Maison de l'Orient et de la Mediterranee, Lyon, 1977)
391 p., 495 fig., 16 pl. dont 8 en couleurs.

2004年には再版も出されましたので、需要の高いことが想像されます。ただし再版では、初版にあったカラーによる写真は用いられていません。
いくつかの図版はこの本の中で何回も使われたりしていますが、500枚に及ぼうとする枚数の図版の用意は大変であったと思われます。手書きによる線描は簡単に書かれていますが、分かりやすい。写真も豊富に含まれ、他ではなかなか見られない建築の詳細が掲載されています。

フランス語とドイツ語、その逆引き、
フランス語と英語、その逆引き、
フランス語とアラビア語、その逆引き、
フランス語とギリシア語、その逆引き、
フランス語とイタリア語、その逆引き、
フランス語とペルシア語、その逆引き、
フランス語とロシア語、その逆引き、
フランス語とトルコ語、その逆引き、

合計16の辞書が後半に並んでいます。
建築用語の統一は、実はとても手間のかかる作業で、あえてその難業を手がけています。大変便利な本。

類例としては、

Gwendolyn Leick, with illustrations by Francis J. Kirk,
A Dictionary of Ancient Near Eastern Architecture
(Routledge, London and New York, 1988)
xix, 261 p.

などもあります。

2009年3月10日火曜日

Beckerath 1999


古代エジプトの王たちの名をくまなく集めた本です。王の名がひとつではない点が、こうした書が執筆される理由。古代エジプトでは王名が通常は5種類もあり、その名が分かることによって遺構の時代が判定できる可能性もあるわけですから、重要となります。
複数の王名の存在に関しては、西村洋子先生の以下のページを参照。

http://www.geocities.jp/kmt_yoko/IMEG_4.html


ごく簡単な王名表なら旅行のガイドブックの巻末にも付記されていますが、5つの王名のうち、上下エジプト王名(即位名)とサァ・ラー名(太陽神ラーの息子名)だけに限られる場合が大半で、多種のヴァリエーションも包括して知られているもの全部を収めた本格的な集成となると、この書以外にはありません。
改訂版が出ています。

Jürgen von Beckerath,
Handbuch der ägyptischen Königsnamen.
Münchner Ägyptologische Studien (MÄS), 49
(Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 1999.
2. verbesserte und erweiterte Auflage der Erstausgabe von 1984,
MÄS 20, xxii, 314 p.)
xx, 314 p., 4 Phototafeln.

またもや2009年3月4日付の永井正勝先生のブログの受け売りですけれども、この初版本に関しては王名の文字コード化をおこなったファイルが公開されているとのこと。
慣れない者にはログファイルの一種かと見間違える内容ですが、もし発掘現場でいくつかのヒエログリフが読み取れた場合には、検索によって王名、すなわち時代を限定することができるという意味合いがあります。
こういうファイルを英語で作って配信する卒業研究があっても良いかもしれません。感謝してくれるエジプト学関係の人々が、世界で必ずいるはずです。

永井正勝先生の2009年3月4日付ブログ:
http://mntcabe.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/chriss-egyptolo.html


Beckerath 1984、文字コード付記版:
http://www.geocities.com/cgbusch/egyptology/RoyalNames.txt


「ラメセス1世」、「ラメセス2世」、「ラメセス3世」、…などと順番が付けられているのは、現代人が勝手に便宜上、呼んでいるだけで、実際に記された王名を見ると「ラメセス」としか書かれていません。「ラメセス2世」と「ラメセス3世」との区別は、たとえば他の種類の王名や、あるいは併記されている治世年の長さなどによって判別がなされたりします。
ラメセス2世は特別に長生きし、子供があきれるほど数多くいました。跡継ぎである子孫が先にばたばたと死んでいく過程で、いちいち個別に墓を設けていくと大変ですから、王家の谷のKV5が造営されたと考えられています。この墓は部屋を多数備えた大規模な迷路状の遺構で、出水のために未だ最奥部の様相がつかめていないという、世界的にも珍しい最大規模の家族墓。

王家の谷、KV 5 (Theban Mapping Project):
http://www.thebanmappingproject.com/sites/browse_tomb_819.html


古代エジプト人の名前には意味があって、ダハシュールの発掘現場で見つかった神官「タ」の場合は、「大地」という意味になります。アクエンアテン(アケナテンもしくはアクナトン)の妃「ネフェルティティ」は「美しい者、来たる」というほどの意味ですから、日本語では「来美子さん」になりますでしょうか。
王名以外の名前も、資料集成がすでに作られています。「ナクト」とか「ウセルハト」とか「コンス」といった名前の他に、どのようなものがあるかを調べるにはこちらの3冊本が必携。ヒエログリフで書かれた古代エジプト時代の人名、名前を調べようと思った時には、必携となります。ヘルマン・ランケの古代エジプト人名事典として有名。

Hermann Ranke,
Die ägyptischen Personennamen, 3 Bände.
http://www.etana.org/abzu/coretext.pl?RC=18964


Band I: Verzeichnis der Namen
(J. J. Augustin, Glückstadt, 1935)
xxxi, 432 p.

Band II: Einleitung. Form und Inhalt der Namen. Geschichite der Namen. Vergleiche mit andren Namen. Nachträge und Zusätze zu Band I. Umschreibungslisten.
(J. J. Augustin, Glückstadt, 1952)
xiv, 414 p.

Zusammengestellt von A. Biedenkopf-Ziehner, W. Brunsch, G. Burkard, H.-J. Thissen, K.-Th. Zauzich,
Band III: Verzeichnis der Bestandteile
(J. J. Augustin, Glückstadt, 1977)
142 p.

永井正勝先生から、これら3冊が今ではダウンロードできることを御連絡いただいています。

第二次世界大戦を挟んで、第1冊目と第2冊目が出版されています。奥さんがユダヤ人で、そのため歴史に翻弄された研究者のひとり。第3冊目の刊行が本人の逝去後である点にも注意。死後にも尊重された学者であったことが良く了解されます。
彼は他地域における名前の研究もおこなっており、こちらの方が年代としては前となります。

Hermann Ranke,
Die Personennamen in den Urkunden der Hammurabidynastie. Ein Beitrag zur Kenntnis der semitischen Namenbildung
(München, 1902)

別の書き手による新王国時代の外国人の名前の研究もあります。

Thomas Schneider,
Asiatische Personennamen in ägyptischen Quellen des Neuen Reiches.
Orbis Biblicus et Orientalis (OBO), 114
(Universitätsverlag Freiburg Schweiz, Freiburg, 1992)
xiii, 479 p.

同名の者をどう判別するかという、古代エジプトにおけるプロソポグラフィ prosopographyという分野の研究も進んでいます。ディール・アル=マディーナにおける人名事典というのも近年、出版されました。

2009年3月9日月曜日

Porter and Moss (PM), 8 Vols.


エジプト学における最重要な書のうちのひとつ。エジプトに数多く残る遺構を全部拾い上げるという基本台帳の位置を占める書籍で、PMが略称として広く用いられています。
にも関わらず、不備が目立つ点は手の打ちようがありません。記載されている情報が50年ほど遅れており、第1巻の改訂版の第1分冊が1960年に刊行された後、第8巻の第1・第2分冊とその索引が出たのが10年前の1999年、つまり10年前です。現在は初版と改訂版が入り混じっている状態で、初版しかまだない巻のレプリントが度々重ねられているのは、この書の需要が多い証拠。この書を基礎として、どこまで最新の資料が集められるかを皆が競っていることになります。逆から見れば、ここに載っている資料をおざなりにして論文を書くことはできません。

すでに第2版(改訂版)が出ているものについては、初版の情報をグリフィス研究所はあまり示していません。最新の情報を提供するための処置で、また初版と改訂版とは大きく異なっているからであることも大きな理由のひとつと思われます。

出版元のグリフィス研究所による一覧:
http://www.griffith.ox.ac.uk/gri/5publ.html


第1巻や第3巻は、もともとは各一冊ずつでした。情報量が圧倒的に増えたため、改訂版が出版される際に分冊として編集されています。これらを最初に纏めたポーターモスという2人の偉大な女性たちについては、分かりやすい説明がバーバラ・レスコによって書かれています。
これが掲載されている「革新:昔の世界を考古学で切り開いた女性たち」といったニュアンスのページも非常に面白い。

Barbara S. Leskoによる紹介:
http://www.brown.edu/Research/Breaking_Ground/bios/Porter_Bertha.pdf


「昔の世界を考古学で切り開いた女性たち」
http://www.brown.edu/Research/Breaking_Ground/


分冊刊行による最新刊の第8巻の題名は、「もとの場所が不明な遺物」。これがシリーズ中、最も厚い巻となっていて、索引を含めたPart 3までの本文の総計で2000ページほどもあります。未刊行のPart 4も、かなり厚くなることが容易に予想される本。
古代エジプト時代、当地に存在していたものがかなり前からヨーロッパへと運び出され始めていて、ここ2000年以上の歴史の中で世界中に散らばってしまいました。第8巻はそれらの膨大な数にのぼる遺物を扱ったものとなっており、これを纏めるという壮大な企てに着手した編者、J. マレクの能力を讃えるべき。
これに応じて書名にも、"Statues"という語が旧版の書名に加えられ、変更されています。

B. Porter and R. L. B. Moss,
assisted by Ethel W. Burney,
now edited by J. Malek,
Topographical Bibliography of Ancient Egyptian Hieroglyphic Texts, Statues, Reliefs and Paintings, 8 Vols.
(Griffith Institute, Oxford, 1927-)

Vol. I, Part 1: The Theban Necropolis.
Private Tombs
(Second ed., 1960. First published in 1927)

Vol. I, Part 2: The Theban Necropolis.
Royal Tombs and Smaller Cemeteries
(Second ed., 1964. First published in 1927)

Vol. II: Theban Temples
(Second ed., 1972, first published in 1929)

Vol. III, Part 1: Memphis.
Abu Rawash to Abusir
(Second ed., 1974, first published in 1934)

Vol. III. Part 2: Memphis.
Saqqara to Dahshur
(Second ed., 1981, first published in 1934)

Vol. IV: Lower and Middle Egypt
(First ed., 1934)

Vol. V: Upper Egypt: Sites
(First ed., 1937)

Vol. VI: Upper Egypt, Chief Temples (excluding Thebes)
(First ed., 1939)

Vol. VII: Nubia, The Deserts, and Outside Egypt
(First ed., 1952)

Vol. VIII, Part 1: Objects of Provenance Not Known.
Royal Statues. Private Statues: Predynastic to the end of Dynasty XVII
(First ed., 1999)

Vol. VIII, Part 2: Objects of Provenance Not Known.
Private Statues: Dynasty XVIII to the Roman Period. Statues of Deities
(First ed., 1999)

Vol. VIII: The Indices to Parts 1 and 2
(First ed., 1999)

Vol. VIII: Part 3: Objects of Provenance Not Known.
Stelae from the Early Dynastic Period to Dynasty XVII
(First ed., 2007)

------- 追記 -------

サイバー大学IT総合学部長・石田晴久先生の訃報に接しました。
いくつかの学内委員会で同席させていただき、先生が委員長を務められた図書委員会では環境整備に心を砕かれていらっしゃいました。
御冥福をお祈り申し上げます。

------- 追記2 -------

PMの第8巻については編集作業に関する最新情報が公開されました(2009.03.19)。

http://www.griffith.ox.ac.uk/gri/3.html


------- 追記3 -------

PMのデジタル版が公開されています(2014.04.09)。きわめて有用です。

http://www.griffith.ox.ac.uk/topbib.html

2009年3月8日日曜日

Ault and Nevett (eds.) 2005


古代ギリシアの住居に関する論考。2001年に開催のAIAサンディエゴ大会でコロキアムが企画され、その成果が編集されたもの。古代ギリシアの住居でまとまった情報が得られているのはオリントスなどに限られ、その住居が紹介されることが一般には多いわけですが、この会合では専門家たちが集まって、他の各遺構も視野に収め、全貌を捉えようとしています。

Bradley A. Ault and Lisa C. Nevett (eds.),
Ancient Greek Houses and Households:
Chronological, Regional, and Social Diversity
(University of Pennsylvania Press, Philadelphia, 2005)
x, 190 p.

Contents:
1. Introduction,
by Lisa C. Nevett (p. 1)
2. Structural Change in Archaic Greek Housing,
by Franziska Lang (p. 12)
3. Security, Synoikismos, and Koinon as Determinants for Troad Housing in Classical and Hellenistic Times,
by William Aylward (p. 36)
4. Household Industry in Greece and Anatolia,
by Nicholas Cahill (p. 54)
5. Living and Working Around the Athenian Agora: A Preliminary Case Study of Three Houses,
by Barbara Tsakirgis (p. 67)
6. Between Urban and Rural: House-Form and Social Relations in Attic Villages and Deme Centers,
by Lisa C. Nevett (p. 83)
7. Houses at Leukas in Acarnania: A Case Study in Ancient Household Organization,
by Manuel Fiedler (p. 99)
8. Modest Housing in Late Hellenistic Delos,
by Monika Trumper (p. 119)
9. Housing the Poor and Homeless in Ancient Greece,
by Bradley A. Ault (p. 140)
10. Summing Up: Whither the Archaeology of the Greek Household?,
by Bradley A. Ault and Lisa C. Nevett (p. 160)

Langの論文ではアクセス・アナリシス論を援用しており(pp. 24-26)、これが面白かった。
建物の中の部屋のつながりを考えるビル・ヒリアーたちの方法は刺激的で、部屋のかたちや窓の有無、機能などは思い切って取り去ってしまうという大胆な捉え方をします。ここから建物の「深さ」という概念を導き出し、それを数値化して示すという発想がきわめて斬新。
明らかに、現代における建築の姿をもとに組み立てられた論で、時代の刻印を受けており、それゆえ、古代の遺構に当て嵌めようとした場合、さまざまな問題が生じますが、その点こそが要所となる切り口。建物の見方の矛盾が立ちあらわれる場所となります。

Bill Hillier and Julienne Hanson,
The Social Logic of Space
(Cambridge University Press, Cambridge, 1984)
xiii, 281 p.

ヒリアーはまた、「空間は機械だ」とも言っており、これもまた興味深い考え方。219ページには古代エジプトの神殿の平面図も出てきます。

Bill Hillier,
Space is the Machine:
A Configurational Theory of Architecture
(Cambridge University Press, Cambridge, 1996)
xii, 463 p.

なお、アマルナ型住居にアクセス・アナリシス論を適用した論考が日本語で書かれています。アマルナ型住居に関して修士論文をまとめ、以降、いくつかの研究論文を発表されている方。

伊藤明良
「古代エジプトにおける居住形態の変化とその背景:アマルナ居住プランの成立」
古代文化54:8 (古代学協会、2002), pp. 31-47, 58.

イギリスで同じくアマルナ型住居に関し、修士論文を書いた人の例として、

P. T. Crocker,
"Status symbols in the architecture of el-'Amarna",
Journal of Egyptian Archaeology 71 (1985), pp. 52-65.

2009年3月7日土曜日

Bryan 1993


「あなたも女性エジプト学者になれるわ!」という本があって、自分がどのようにエジプト学者になったか、どのような勉強や訓練を経たのかを、一流の女性エジプト学者が個人的な体験をもとにやさしく書き綴っています。

Betsy M. Bryan,
You Can Be a Woman Egyptologist.
Careers in Archaeology, Part 1
(Cascade Pass, Culver City, 1993)
38 p.

およそ20cm四方の、ぺらぺらの書籍ですから、安くて入手しやすい。
これは"You Can Be a Woman......."シリーズのうちの一冊で、他にも「女性建築家になれる」、あるいは「女性エンジニアになれる」とか「女性化学者になれる」など、たくさん揃っています。
英語圏にいる若い女性たちに向けて書かれている本と思われ、執筆陣は全員、その各々の世界で成功している女性で、自分より年下の女性たちの将来を慮って具体的な指針を与えつつ、また彼女たちを大いに鼓舞する書なのですが、これをベッツィ・ブライアンが執筆しているというのがすごい。

B. ブライアンと言えば、エジプトの諸芸術が最も花開いたとされる新王国時代、特にアメンへテプ3世時代に関し、ばりばり書いている良く知られた女性エジプト学者です。評価の高い成果を次々と発表している有名な方。
たとえて言うならば、上野千鶴子・東大教授が「あなたも社会学者になれるわ」という本を女性のティーン・エージャー向けにやさしく書くことと匹敵します。
自分が歩んで来た道のりを記しており、こういう内容は滅多に読むことができないわけで、薄い本ですけれども、ブライアンという研究者の人間性が間接的に良く感じられる著作です。

この類の本は、追悼文などを除けば、エジプト学の研究論文においてまず絶対に引用されないものと言って良いのですが、とても丁寧に書かれているなという印象が残ります。
日本にもこういった手頃な本があったら、もっと良いのになと思わせる刊行物。村上龍「13歳のハローワーク」(幻冬舎、2003年)を、各専門家たちが手分けして楽しみながら書いている、そう思ってもらっていいかと思います。これを踏まえた「世界各国の調査の楽しみ」とか、そういう本もあっていい。
ブライアンのこの冊子は、活字も大きく、非常に読みやすく造られています。とても派手な装丁は、果たしてブライアンが望んだ結果なのかどうかは分かりかねますけれども。

腰を落として、目線を下げて、なおかつレヴェルは絶対に落とさないし下げない、似たようなそういう本が本当に無いかなと思う時、エジプト学からは離れてしまいますが、

加藤典洋「僕が批評家になったわけ」
(岩波書店、2005年)
249 p.

も、非常に良かった。書かれる分野も、本の厚さもまるっきり異なりますが、同じような読後感を受けます。
これも個的な体験、しかもさまよった体験を随所に記し、かつ批評行為のタネというものが日常の周りに、実はたくさんあることが示されています。
自分を対象化すること、深く考えること、その道のりが平明に書かれていますが、それが批評行為の領域を押し拡げることとつながり、共感を与える/得るという本来の開けた場に、批評を今一度、戻そうというモティーフが強く伝わってきます。
歴史研究の原点にも触れる問題が展開されている本。

2009年3月6日金曜日

Cabrol 2000


アメンヘテプ3世について書かれた一般向けの一冊。この王について記した本は、アメリカとフランスでおこなわれた展覧会の成功以後、ずいぶんと増えてきました。
ペーパーバックですが、カラー写真も所収しており、図も比較的豊富です。メムノンの巨像の頭部分を上空から撮影した写真があって、もともとは王冠が載せられていたことを告げています。巻末には家系図、また「ライオン狩り」や「結婚記念」のスカラベのヒエログリフも転載。
アメンヘテプ3世に関わる遺物も50ページ近くにわたってリストアップされており、これはポーター&モスなどから抜き出して作られたものです。専門情報をやさしく伝えようとしていることが了解されます。

Agnes Cabrol,
Amenhotep III: Le magnifique
(Editions du Rocher, Monaco, 2000)
537 p.

ただ206ページの註98や巻末の参考文献リストには、

B. J. Kemp, The Excavations of Sites J, K, and P, EgyTod 2, III, 1978.

Concordian [sic], (Lilian), Malkata and the Birket Habu, The Painted Plaster from Site K, EgyTod 2, VI, 1978.

なるものが挙がっていますけれども、これらは予告だけ出され、実際には出版されていない報告書。
実際の本をろくに見もしないまま、確認を怠ってうかうかと引用すると言うことは当方もしばしばやる手なのですが、危険なことだと改めて思う次第。
数日前もEgyptologists' Electronic Forum (EEF)で、

Dieter Arnold,
Der Tempel des Königs Mentuhotep von Deir el-Bahari, Band 4:
Relieffragmente des Mentuhotep
(Mainz, 1993)

は本当に出版されているのかという問い合わせが書かれていました。これも幻の報告書のうちのひとつかと思われます。アーノルドが2003年に出しているThe Encyclopaedia of Ancient Egyptian ArchitectureArnold 2003)の"Mentuhotep, Temple of"の項目(pp. 149-150)には、

Der Tempel des Königs Mentuhotep von Deir el-Bahari, 3 vols. (Mainz 1974, 1974, 1981)

と示され、第4巻目の存在を、まず本人が記していません。
一方で、Theban Mapping Projectにおける"Bibliography for Dayr al Bahri"には第4巻が挙げてあり、こういう場合にはどちらを信じるか、ということだと感じられます。
他にもR. Stadelmannによる建築報告書など、予告だけされていて何年も経っているというものが存在します。

アメンヘテプ3世に関しては、

Elizabeth Riefstahl,
Thebes: In the Time of Amunhotep III.
The Centers of Civilization Series
(University of Oklahoma Press, Norman, 1964)
xi, 212 p.

が出ていて、これがかなり早い時期の刊行物となります。
フレッチャーによる入門書はドイツ語版もあるようですが、簡単な内容。

Joann Fletcher,
Egypt's Sun King:
Amenhotep III, An Intimate Chronicle of Ancient Egypt's Most Glorious Pharaoh
(Duncan Baird Publishers, London, 2000)
176 p.

Joann Fletcher,
Sonnenkoenig vom Nil, Amenophis III.
Die persoenliche Chronik eines Pharaos
(Droemer, Nuenchen, 2000)
176 p.

さらにはスペインで出版された別の本もあります。

Francisco J. Martin Valentin,
Amen-hotep III:
El esplendor de Egipto.
Coleccion: El legado de la historia, No. 1
(Alderaban Ediciones, Madrid, 1998)
366 p.

お気づきのように、「アメンヘテプ」の綴りが本によって異なっており、これを勘案しないとインターネットによる検索で情報をうまく把握することができません。
Amenhotep, Amunhotep, Amenophis, Amen-hotepとさまざまに記され、こういうところが厄介です。

2009年3月5日木曜日

Carter (and Mace) 1923-1933


ハワード・カーターによるツタンカーメンの墓の発掘記録で、3冊で構成されています。しかしオリジナルは稀覯本扱いとなり、揃いで買うと今なら1200ドル以上の出費を覚悟せねばなりません。
レプリントの他、抄録版も出ているので注意を要します。

Howard Carter (and A. C. Mace),
photographs by Harry Burton,
The Tomb of Tut-Ankh-Amen:
Discovered by the Late Earl of Carnavon and Howard Carter,
3 Vols.
(George H. Doran, New York)

Vol. I: 1923, 334 p., LXXIX plates.
Vol. II: 1927, xxxiv, 277 p., LXXXVIII plates.
Vol. III: 1933, xvi, 248 p., LXXX plates.

10年をかけて刊行された3冊。各巻に80点ほどの図版が付されています。
和訳は酒井傳六・他によるものが出ています。

ハワード・カーター著、
酒井傳六・熊田亨訳、
「ツタンカーメン発掘記」
筑摩叢書185(筑摩書房、1971年)
口絵12 p. + 406 p.(図版74点を含む)

この和訳では図版が大幅にカットされており、写真の質も良くありません。廉価版の出版物ですから、仕方のないところです。
ツタンカーメンの遺物のカラー写真をもっとも精力的に出版しているのはおそらく日本で、特に講談社から出された「エジプトの秘宝」(1979〜1985年)全5巻の分厚い大型本では、そのうちの2冊をツタンカーメンの遺品の紹介に充てています。

発掘者自身によってツタンカーメンの墓の発掘過程が述べられた唯一の本で、カーターに執筆の依頼が来た際には、一般の読者層に売れることがあらかじめ予測された図書でもありました。つまりベストセラーになることが約束されていた書ということになります。カーターの負担は大きかったに違いありません。W. バッジのような上手な書き手はいたものの、エジプト学に関するそうした本というのは、それまで出されたことがなかったかと思われます。
彼はエジプト学の公的な専門教育を受けたわけでなく、ヒエログリフも読めませんでした。次から次へと、誰もこれまで見たこともなかった王の遺品が出てくるわけですから、当然、書き方としては慎重になります。発掘までの経緯を記した第一冊目を早く出して欲しいという相当強い圧力もあったはずで、そうした事情も踏まえながら読むと面白い。

トマス・ホーヴィング著、屋形禎亮・榊原豊治訳「ツタンカーメン秘話」を次に読むと、さらに面白いかも。カーターの捏造についてすっぱ抜いた話題の書。エジプト学者の屋形禎亮先生はCh. デローシュ=ノーブルクール「トゥトアンクアモン」も訳されています。ほとんど資料が揃っていなかった時代において、学的な推察力を駆使して王を描いた書。この本を「古い」と一言で片付けるのは誤りで、むしろ想像力を展延させていく方法が非常に参考となります。

玄室への封鎖壁を解体している写真は、建築学的にきわめて貴重。戸口の上に架け渡された丸太が写真に写っています。第18王朝における煉瓦造の戸口がどう造られていたかが分かる、ほとんど唯一の資料です。

カーターが本を書くのはこれが初めてではなく、

The Earl of Carnavon and Howard Carter,
Five Years' Explorations at Thebes:
A Record of Work Done 1907-1911
(Oxford University Press, London, 1912)
frontispiece, xii, 100 p., LXXIX plates.

を第一次世界大戦の直前に出しています。
大して目立った遺物が出土したわけでもないのに、分担執筆者はF. Ll. グリフィス、G. ルグラン、G. メーラー、P. E. ニューベリー、W. シュピーゲルバーグとエジプト学の大御所が並んでおり、不思議な印象を与える本。カーターの交友関係の広さがしのばれます。カーターの本でなかったら、レプリントも刊行されなかったかもしれません。

2009年3月4日水曜日

Vygus 2009


タダで手に入るヒエログリフの辞書が公開されており、これがけっこう面白い。602ページもあります。17,000項目以上を所収。

Mark Vygus,
Ancient Egyptian Hieroglyph Dictionary
17,300 items, PDF, 602 p.
http://www.egypt.cd2.com/html/dictionary.html


ヒエログリフを自習した人による簡易版の辞書となりますが、それにしても労作です。
情報の出所は永井正勝先生のブログです。
本務である大東文化大学の他、早稲田大学エクステンションセンターを初めとして、各所でヒエログリフを精力的に教えておられる先生。どういう方かを知るには、この先生が執筆された論文を読むことが何よりも早道です。ヘブライ大学に留学し、日本オリエント学会第26回奨励賞を受賞された先生。ヒエログリフに関する教科書や参考資料などを丁寧に紹介されており、きわめて有用なブログです。
おそらくは受講者向けの掲示板としてもブログを活用されているようですが、他のエジプト学者が立ち上げているブログと見比べると、違いが分かって興味深い。
インターネットで情報を発信しているエジプト学者は他にもいるのですけれども、「仕事で忙しい」というただの日記に終わっていたり、あるいは真面目に既知の概要を長々と掲載したりする人が少なくない中、専門家にも毎日見ようと思わせる内容を伝えていて貴重。
エジプト学以外の話題を織り交ぜている点にも注意すべきです。

http://mntcabe.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/egyptian-hierog.html


この辞書はしかし、ガーディナーのサイン・リスト順に並べるという驚くべき方式をとっています。つまり電話帳で言うと、電話番号の若い順に並べている(!)ということ。ページ内の検索機能の使用を前提としている、珍しい辞書です。
「男子」という意味の語、"チャ"が最初の方に出てきますが、

boy [noun] A17 - D53

と書かれている後半の「A17 - D53」がガーディナーのサイン・リストの番号。ガーディナーのサイン・リストとは何かについてはすでに紹介済みなので、ここでは繰り返しません。サイン・リストは

http://www.jimloy.com/hiero/gardner0.htm


などにて見ることができます。
現在、専門家によって用いられている拡張版も公開されています。CCERのサーバは一時期、閉鎖されたりしましたが、ようやく落ち着いた模様です。

http://www.ccer.nl/apps/hiero/hiero.html


自分の名前をヒエログリフで書こうとした場合、日本人ですと母音が連続する場合が多いわけで、例えば「山花沙耶香 Yamahana Sayaka」さんなら、aの文字が7つも出てきます。通常、日本語で出版された本の中で紹介されている例ですと、日本語の「あ」に対応するヒエログリフの鳥の文字か、あるいは腕であらわされる文字のどちらかを連ねることが強いられますけれども、この辞書に出ている語を丁寧に見ていくと、ma、ha、sa、kaなどでは他に使えそうな文字があることが発見できます。
吉成薫先生は、自身の御名前のKaoruを"K3-wr"と綴る工夫を提示していたはずで、見事な翻字の例です。

初心者は発音記号をどうしても学習しなければなりません。ヒエログリフのアルファベットは20ぐらいしかありませんので、すぐに覚えられます。普通の辞書は、このアルファベットの順番で項目が並んでいますので、これを知っているかどうかが、まずは関門。

もちろんヒエログリフの辞書と言うことであれば、実はかなり前からインターネットで公開されている有名なものがあります。

Beinlich Wordlist:
Internet-searchable database.
http://www.fitzmuseum.cam.ac.uk/er/beinlich/beinlich.html


ただし、こちらはドイツ語版。

-------追記-------

永井正勝先生が本日の2009年3月4日のブログで、当方が知らなかったことを早速、補足してくださっています。さすが、プロの対応。
Beinlich Wordlistの英訳がファイルでアップされているとのこと。

Chris's Egyptology Resources:
http://www.geocities.com/cgbusch/egyptology/


古代エジプトにおける人名辞典という本もすでにある(Hermann RankeDie ägyptischen Personennamen, 3 Bände: cf. Beckerath 1999)のですが、「この逆引き、すなわち名前の最後の文字から索引できる辞書があったらどんなに便利だろう」、と到底無理なことと思われる希望を口にしていた海外の考古学者がいました。
しかし特定の文字を検索できるVygusによる事典のようなものが今後編纂されるならば、かなり役に立つと思います。

2009年3月3日火曜日

Badawy 1954-1968


古代エジプトの建築史と言えば、バダウィのこの3冊本。先王朝時代から新王国時代の終わりまでを扱っています。グレコ・ローマ時代までの建築を扱うはずであった4冊目は、とうとう出版されませんでした。代わりにD. アーノルドがTemples of the Last Pharaohs (Oxford University Press, New York and Oxford, 1999)を出しています。

Alexander Badawy,
A History of Egyptian Architecture, 3 Vols.

Vol. I: From the Earliest Times to the End of the Old Kingdom
(published by the author, Giza, 1954)
xv, 212 p., VIII plates.

Vol. II: The First Intermediate Period, the Middle Kingdom, and the Second Intermediate Period
(University of California Press, Berkeley and Los Angeles, 1966)
frontispiece, xxvii, 272 p.

Vol. III: The Empire (the New Kingdom), From the Eighteenth Dynasty to the End of the Twentieth Dynasty 1580-1085 B.C.
(University of California Press, Berkeley and Los Angeles, 1968)
frontispiece, xxxix, 548 p.

第1冊目は自費出版でしたが、2巻目以降はカリフォルニア大学の出版局から刊行されています。第1巻は入手が困難であったために、レプリントが「人類の歴史とミステリー社」から1990年に出ています。この面白い名前の出版社も、古書を扱っていたマイケル・サンダースという人が興した会社。

古代エジプトの建築史には3つほどの種類があって、ひとつ目は美術史家によるもの。ふたつ目は考古学者によって執筆されたもの、3つ目が建築の専門家によって記されたもの。それぞれ違いがあるので、読み比べると面白い。
バダウィの本はしかし、ややカタログ的で、建築表現の変転に主眼を置く人からは、辛口の批評が寄せられる傾向にあります。この辺の事情を書いた文を訳したことがあります。以下を参照のこと。誤字脱字が混じっています!

http://www.waseda.jp/prj-egypt/sites/EgArch/Haeny.htm


新王国時代を扱う第3巻では、建物の軸線を扱った章があり、他の本ではなかなか見られません。B. ケンプやK. スペンスたちはこれを参照しながら自論を展開していますけれども、註にはあらわれ出なかったりする場合もあります。
カラー図版で紹介される何枚かの復原図は、今となっては多少の修正が必要となっています。

バダウィの初期の代表作は、3次元の世界に存在する建築が、どのように2次元の絵画で表現されるかを追究したもので、この種の研究もあまり類例がなく、珍しい。

Alexander Badawy,
Le dessin architectural chez les anciens egyptiens:
Etude comparative des representations egyptiennes de constructions

(Service des Antiquites de l'Egypte, Le Caire, 1948)
xxiii, 291 p.

2009年3月2日月曜日

Lacovara 1990


古代エジプトの初期新王国時代の王宮であるディール・エル=バラスの発掘調査報告書。使われた煉瓦は大ぶりで、中王国時代のピラミッドで用いられたものを思い起こさせます。
城塞のような造りで、矩形平面の周壁を巡らせ、その中央に高い基壇が築かれて、その上に建物が立っていた模様。テル・エル=ダーバの王宮との類似点が挙げられ、注目されます。
彩画片もいくらか出土しています。
発掘を始めてからこの報告書が出るまでに、10年かかっています。遺跡の調査では、短い場合でもだいたいこのぐらいかかってしまうという例。

Peter Lacovara,
Deir el-Ballas:
Preliminary Report on the Deir el-Ballas Expedition, 1980-1986
.
American Research Center in Egypt Reports, Vol. 12
(Eisenbrauns, Winona Lake, 1990)
x, 67 p., XVII plates, 5 folded plans.

この発掘調査の成果をもとにして、以下の博士論文が執筆されました。162ページから250ページまでは図版です。新王国時代に属する住居系の建物の平面図が集められていますから便利。
もちろんアマルナやマルカタも含まれていますし、それ以外にも小規模な住宅類の図が所収されています。E. Roikによるモノグラフといった少数を除き、こういう本はあまりありません。

Peter Lacovara,
State and Settlement:
Deir el-Ballas and the Development, Structure, and Function of the New Kingdom Royal City.

A Dissertation submitted to the Faculty of the Division of the Humanities in Candidacy for the degree of Doctor of Philosophy.
Department of Near Eastern Languages and Civilizations, University of Chicago
(Chicago, 1993)
xiii, 275 p.

この博士論文の内容がほとんどそのままのかたちでロンドンのKPI社から本が刊行されました。"Studies in Egyptology"のうちの一冊です。
題名も改められましたが、しかしこのタイトルであったなら、本当はもうちょっと数多くの遺構を取り扱わなければなりません。このため、「扱う範囲が狭い」というような辛口の書評が確か、寄せられていたように記憶しています。

Peter Lacovara,
The New Kingdom Royal City.
Studies in Egyptology
(Kegan Paul International, London, 1997)
xiv, 202 p.

この後に王宮建築に関する本がいくつも出されていますから、重要性がいくらか薄らいだとも思えますが、しかし古代エジプトの王宮を知ろうとする場合にはやはり、基本的な著作のひとつに数えられます。

2009年3月1日日曜日

Baldwin Smith 1938


建築史家には種類があって、ひとつは自分の専門領域を定め、深く掘り下げる人。他方は時代や地域を問わず、勝手気ままに横断して行く人です。
この著者は明らかに後者に属し、決して古代エジプト建築の専門家と言える人ではありません。にも関わらず、ここで取り上げる書は重要。
古代エジプト建築を美術史的側面から眺め、それらの多様な見かけ上の形式を語る学者はたくさんいるのですけれども、どのように建築が発想され、また実現されたかを問う本はいくらもないというのが現状です。その点で、この本の存在は貴重。
「文化表現としてのエジプト建築」という表題には、建築表現一般にまで問題を押し拡げようとした意図が感じられます。古代エジプト建築は、ここでは単なるひとつのケース・スタディにしか過ぎません。

E. Baldwin Smith,
Egyptian Architecture as Cultural Expression
(D. Appleton-Century Co., New York, 1938)
xviii, 264 p.

78ページ分の図版は全部、著者による手書きの達者なペン画です。写真の掲載がとても高価であった当時の制約を、どのように乗り越えて一般向けに最新の成果を伝えようとしたか、その工夫のさまが良く分かります。

この人が他にどのようなものを著しているかと言えば、

Early Christian Iconography and a School Ivory Carvers in Provence
(Princeton University Press, Princeton, 1918)
276 p.

The Dome: A Study in the History of Ideas.
Monographs in Art and Archaeology
(Princeton University Press, Princeton, 1950)
200 p.

Architectural Symbolism of Imperial Rome and the Middle Ages
(Princeton University Press, Princeton, 1956)
ix, 219 p.

と非常に多岐にわたり、唯一の繋がりがあるとすれば、かたちとその意味との関連、ということになるでしょうか。
最後の著書に関しては和訳が刊行されており、この訳業には非常な苦労が伴ったに違いありません。労作です。

ボルドウィン・スミス著、河辺泰宏・辻本敬子・飯田喜四郎共訳、
「建築シンボリズム」
(中央公論美術出版、2003年)
352 p.

1938年という出版年代は、未だ古代エジプトの主要な遺構における発掘調査が充分に進んでいない時期であって、このためにアマルナの王都に関する記述に対しては、反論が後に寄せられたりもしています。
しかし著者の提示した根源的な問題点は少数の専門家には確実に伝えられており、現代の観念を振り捨てて遺構を見ると言うことがどれほど難しいかを今なお、語り伝えています。
「抽象と感情移入」などで高名な美術史家のW. ヴォリンガー(ヴォリンゲル)の解釈に反対意見を唱えるなど、見るべき点が多々ある書。