2011年6月19日日曜日

Petrie 1892


ピートリによるメイドゥム地域の調査報告書。
ここには「崩れピラミッド」という通称で知られているものも残っており、彼が何をどう見たか、それが最も面白いところです。出版されてから100年以上が経過しており、情報が古くなっているのは当たり前。しかし何を気にしているのか、自分であったらそこまでできるかどうかをたえず問わないと、こうした古い報告書を改めて読むことの意味がありません。
この報告書に関しては、1994年にLTR-Verlagから再版も出ています。

W. M. Flinders Petrie,
with chapters by F. Ll. Griffith, A. Wiedemann, W. J. Russell, and W. E. Crum,
Medum
(London: David Nutt 1892)
Color frontispiece, iv, 52 p., 36 plates.

同名の報告書が99年後にオーストラリア隊からも出版されていますので、掲げておく必要があります。
薄いペーパーバックですが、石材に記されていた日付を2色刷にて、たくさん報告していますので、古代の労働者組織を研究する者にとってはとても重要な資料。クリストファー・エア(Christopher Eyre)は確か、この記録を読んでピラミッド建設の季節について言及していたはず(Powell (ed.) 1987所収)。
記憶が間違っていたらごめんなさい。

Ali el-Khouli,
with contributions by Paule Posner-Kriéger, Milward Jones, Edwin C. Brock, Jan Borkowski and Grzegorz Majcherek,
Medum.
The Australian Centre for Egyptology (ACE), Reports 3
(Sydney: The Australian Centre for Egyptology, 1991)
51 p., 62 plates.

さて、ピートリによる建物への目配りはここでも発揮されており、たとえば最初の方で

"These tombs were rectangular masses of brickwork, or of earth coated with brick, with faces sloping at about 75°, the mastaba angle differing from the usual pyramid angle of 51°." (p. 5)

と書かれていたりします。
マスタバの壁体の傾斜については今日でも情報がきわめて限られており、そうした中では貴重。エジプト学に関わる者は一般に、建築壁面の角度が当時どう定められたかに関してはまったく注意を払っておらず、これをセケドに直すとどうなるかと言った研究が今後、進展することを望みます。せめて分数や比率によって勾配を表記をしてもらったら、古代エジプト建築研究は随分と進んでいたのでは。
建築学におけるメイドゥムのマスタバ17号の重要性は、ここで繰り返す必要はないと思います。図版8は、再三引用がなされているもの。
マスタバの四隅の外には煉瓦で「くの字」型平面の壁が立てられており、その内側には水平に1キュービットずつの線が引かれ、またマスタバの外壁の傾きも記されていました。

"The outer faces slope at the characteristic angle of mastaba, 76°, or an angle of 4 vertical on 1 horizontal." (p. 12)

などと、ピートリは記しています。このような記述を100年以上も前に残している点に、建築や測量に携わる人間は驚かなければなりません。建造当初の技術を勘案し、数値を構造的に把握しようとしているわけです。

"as the breadth is exactly 100, and the length 200, cubits." (p. 12)

と、完数を意識してキュービット尺へ換算しているのも彼の論考の素晴らしいところです。
あれ、最初に1キュービットずつの水平線を引いておくというのは良いとして、でもキュービット尺は7分割されているのだから、マスタバの壁面の勾配が1/4というのはおかしいのじゃないのか。1/4という目盛はキュービット尺において特別の意味を持っていたのか、といったように考えは進められていくべきです。
すでに発見されているキュービットの物差しによって与えられる解釈の硬直から、どれだけ逃れることができるのか。そこがいつも問題となっています。