2016年12月28日水曜日

Budka, Kammerzell, and Rzepka (eds.) 2015


数日前にデパートへ行ったら、かつてと比べて人が本当にいないことにびっくりです。西洋建築史の授業では19世紀におけるデパートという施設の登場についてけっこう喋ったりしてきましたから、社会の状況を常に見ていないと本当にいけないのだなと改めて思いました。
故・清岡卓行の詩には、「デパートの中の散歩」というものもありましたっけ。僕は昔読んだこの人の書いたものに、今でも非常な愛着があります。

久しぶりにデパートの上階にある天ぷら屋さんに入ったら、品書きのリストの中に「丸十」と書かれているものがあることに気づき、個人的に興味が惹かれました。食べ物の表記で「丸十」というのは良く分からず、まるで判じものです。

「判じもの」という言い方自体が、もう簡単には伝わらなくなっている時代かもしれませんけれども。

日本のお城の石垣に刻線として残されている記号の中には、丸(円)の中に十字を記したものがあって、これは江戸時代の薩摩藩(さつまはん)の島津家における家紋と同じです。従って、石垣を構成している石に「丸十」の印があるものは、薩摩藩が担当して切り出しと運搬をおこなったものとみなされます。

時代や地域を問わず、建物を作る際にはたくさんの人手が必要で、その中には混乱を避けるために情報を直接、建材に担当者の名や日付、大きさ、使用箇所や使用部位などを簡単に書きつける場合が広範に見られます。
すでにお分かりの通り、薩摩藩主の島津家の家紋であった「丸十」は、転じて「さつまいも」という野菜を意味する場合にも用いられるようです。「さつまいも」は、もちろん「薩摩藩(さつまはん)」の名産品。「丸十」は、薩摩芋(さつまいも)の天ぷらをここでは意味します。
言葉の元の意味が拡張される一方、また情報が時代とともに廃れ、二重三重に分かりにくくなっています。このような仕組みを基本的に考えようとするのが言語学で、伝達という点を徹底的に考えようと工夫し、記号学というものも考え出されました。

この小欄にてすでに扱った2冊(Haring and Kaper eds. 2009 / Andrássy, Budka and Kammerzell eds. 2009の続編が出版されました。思わず薩摩藩の「丸十」を思い出した理由は、この本が古代エジプトにおける同様の記号表現をしつこく特集しているからです。
いくらか遅れて購入しましたが、古代エジプトにおける記号の研究がこんなに熱心に続いているのが、とても意外に思われました。

Julia Budka, Frank Kammersell, and Slawomir Rzepka (eds.), 
Non-Textual Marking Systems in Ancient Egypt (and Elsewhere).
Lingua Aegyptia, Studia Monographica 16
(Hamburg: Widmaier Verlag, 2015).
x, 322 p.

Contents:

鮮やかな黄色の布張りのハードカバーが印象的なモノグラフのうちの一冊です。
NTMSなんていう、まったく聞きなれない略称が度々出てきますけれども、古代エジプトで出てくる記号の解読をちょっと大げさに考えたいという姿勢が出てしまっているだけで、少々分かりにくいのですが熱意を汲み、勘弁してあげてください。
全体は4つに分かれており、

Methods & Semiotic
Architecture & Builders' Marks
Deir el-Medina
Pot Marks

という構成です。特に2番目については、こちらの興味に関わります。
末尾に執筆者たちの連絡先が併記されているのが便利です。

記号学(記号論)にまで問題を拡げており、面白くなっています。
今は完全に下火となっていますけれど、記号学についてはかつて日本の思想界にて良く読まれました。建築の世界では、P. アイゼンマンと絡んでチョムスキーの理論を筆頭に、さまざまな著作が参照されたりもしました。丸山圭三郎、前田愛といった方々の名が私的には思い起こされます。

ただ古代エジプトにおいてこの問題がどのように収斂するのかという問いになると、心もとない気もします。泥煉瓦につけられるマークや石切り場でうかがわれる記号などは当方にとっても興味が惹かれますが、それらの解釈に関して、あれ?と思う記述にぶつかる場合があって、些細な点ではあるものの、例えば石切り場の天井に引かれた線が、切り出したい石の大きさをあらわしているというような見方は改められるべきかと思われます。

建材に記された記号に関する基本的な問題はかなり前に指摘されていますけれど、建築を専門とする者以外の人には充分に理解されていないようで、例えばClarke & Engelbach 1930の記述を簡単に否定するのはどうかなと、同じ建築学の側に立つ者としては思うところでした。

西欧中世の教会堂の石材にもマークはうかがわれ、複数の研究書が出版されています。
でもエジプト学におけるこうした記号への注目というのはちょっと他の分野には見られない熱心さがあって、異常とも思われる箇所です。謎解きという面もありますので、そこで注目する人が多いのかも知れません。
記号の表現における表意文字と表音文字との混交という性格にもおそらく起因し、欧米の研究者たちを引きつけているのかなと憶測します。
要するに、難解な暗号の解読が成功した時の魅力に引き寄せられる特異な分野です。

カンボジアのクメール石造建築の石材においても短い書きつけがしばしば刻線で記されていますが、これに興味を示す者は未だいないようです。
そろそろ集成が作られるべきかとも思ったりしています。