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2017年1月5日木曜日

Imhausen 2016


この人の著作については、前にもImhausen 2003などでいくつか言及しました。古代の数学史を専門とする女性の方です。ヒエログリフも楔形文字も、両方読める人。たくさん執筆しています。

Annette Imhausen
Mathematics in Ancient Egypt: A Contextual History.
Princeton and Oxford, Princeton University Press, 2016.
xi, 233p.

廉価版の電子体も広く出回っているようですが、本当に読もうと思っておられる方には、是非とも冊子体の御購入をお勧め致します。この分野の全般を客観的に見渡している最良の書です。アマゾンの「なか見!検索」で、目次の他、内容の概要を見ることが可能です。
表紙が中王国時代の穀物倉庫の模型、というのも示唆的です。穀物を家屋内に持ち込んでいる労働者の他に、座って数量を書き込んでいる書記たちの姿が見られます。ちゃんと膝の上に筆箱(パレット)を置いているのが面白い。
この家屋の模型における戸口の両脇と上框が赤く塗られている表現は貴重。家の戸口は木で作られていたことを伝えています。社会的身分の高い者の家の戸口では石材も用いられましたが、多くは石灰岩や砂岩です。戸口の下は白く塗られており、敷石があったことを示しています。壁体はもちろん、泥煉瓦造であったはずです。四隅の上部が三角形に尖っている点も注目されます。
こういうことを詳しく書いている論考は、あまり見当たりません。この種の分野の主著であるH. E. Winlock, Models of Daily Life in Ancient Egypt: From the tomb of Mekhet-Re' at Thebes. NY, MMA, 1955は今、幸いにもPDFがダウンロードできるようになりました。


さて、中王国時代の模型の家屋の内部には独立柱が一本もありません。注意されるべき点です。専門家はこのように、本を見る時には「何が書かれているか」を読むのではなく、逆に「何が書かれていないか」を集中して見ます。これは恩師・渡辺保忠の教えでした。
古代エジプトの柱については、

Yoshifumi Yasuoka
Untersuchungen zu den Altägyptischen Säulen als Spiegel der Architekturphilosophie der Ägypter.
Quellen und Interpretationen- AltÄgypten (QUIA), Band 2.
Hützel, Backe-Verlag, 2016
が出版され、これまでの事情が一変しました。彼はBiOr (Bibliotheca Orientalis)という専門誌において、建築に関連する書物の目覚ましい書評を次々に書いていたため、良く知られていた人です。この本の内容の充実さに匹敵する類書としては唯一、L. Borchardt, Die aegyptische Pflanzensäule, Berlin 1897だけが挙げられるかと思われます。古代ギリシャの柱との関連、すなわち「オーダー」の初源の姿も示唆しており、素晴らしい。古代ギリシャ建築の碩学であるJ. J. クールトンも扱うことができなかったトピックです。
古代エジプトの柱については、素人が柱の写真集を出したりもしていますが、史料的な価値に乏しく、領野内での評価は思わしくありません。

数学と建築学との間には、接点がないこともありません。古代における大きな造形物がテーマとなった場合、これをどのように設計したかが絶えず問題となります。計画の過程を示すようなものが文章として残される場合があって、特にこれが算術の問題として記されると、数学史の分野では大きく注目されるわけです。書記の養成を目的として、こうした問題は史料としていくらか残されており、リンド数学パピルス、モスクワ数学パピルス、また中王国時代のパピルスなどが知られています。今後、末期王朝以降のパピルスも問題となってくるでしょう。

逆に、建築史の世界で注目されるような単なる寸法指定のテキストは、その記録がいくら古くても数学史の世界ではほとんど取り扱われません。また数学史の領野で古代エジプトの分数の表記の特殊性が強調されても、建築史の専門家たちは関心を寄せないであろうと感じられます。何故なら建築の世界では、当時のキュービット尺のものさしをどのように自在に扱ったかが、より重要であるからです。
他方で、近年では3Dスキャナによる測量を含めた最新の科学方法を競う世界が飛躍的に展開されています。
たぶん、この3つの学的領域で各々、重ならないようで重なっている項目を具体的に挙げていくと、相互の関心の度合いが見えてきて、面白い成果があらわれるのではないかと思います。
お互いの盲点が明瞭となるはずです。

Michel 2014との比較も、たいへん興味深いところです。
不満があるとするならば、大きな枠組の外へ踏み出そうとしていない点でしょうか。
でも、平易な書き方で全体を網羅しており、きわめて重要です。Architectural Calculationという項目がp.112以降に書かれており、またp.170以降にはMathematics in Architecture and Artという項目が見られます。
古代エジプト建築に携わる人間であれば、目を通しておくべき必読書となっています。

2015年3月30日月曜日

Michel 2014


古代エジプトの数学についての厚い本がまた出版されました。
全部で600ページを超えます。
ざっと目を通しただけですけれども、いろいろと示唆を受けました。購入しても損はないのでは。
約55ユーロという値段のようですから、入手しやすい価格です。
最新情報が全部詰め込まれた体裁で、その良い面と悪い面とがあらわれ出ている、そういう印象となります。古代エジプトの数学について、最新の情報が必要な場合には良いかもしれません。

Marianne Michel
Les mathématiques de l'Égypte ancienne: 
Numération, métrologie, arithmétique, géométrie et autres problèmes.
Connaissance de l'Égypte Ancienne 12
(Bruxelles, Éditions Safran, 2014), 
603 p.

目次に関しては以下のURLが、ページ数が明記されていないものの、小項目も含めて全部公表されていますから、参考になるのではないでしょうか。


細かいことは、ここで記しません。
こちらが取り敢えず気になるのは、建築に関わる記述だけとなります。
古代エジプトの数学に関わる著作として、小欄ではこれまでRobson and Stedall (eds.) 2009Imhausen 2007Rossi 2004Imhausen 2003、またClagett 1989-1999などに触れてきました。これらの刊行物の総まとめを狙った意図が見られ、非常に意欲的です。
この点は何よりも評価すべきかと思われます。

ピラミッドに関する記述は、p. 393から始まります。そこにはリンド数学パピルスなどの解説に続いて例の有名な、というか、建築に興味を持っている者なら必ず興味を抱いているに違いない第一アナスタシ・パピルスに出てくる斜路やオベリスクの難問が同時に扱われており、これはすなわち、「建物の勾配の決定方法が古代エジプトの長い時代を超えて検討されている」、ということとなります。
こういう見かたは、これまでなかったように感じられます。
因みに、第一アナスタシ・パピルスは新王国時代後期(ラメセス朝)のもの。リンド数学パピルスは第二中間期、またモスクワ数学パピルスについてはさらに若干古く、第11王朝に遡ります。

だいたいエジプト学における設計方法の研究と言うものは、20世紀の初期までは建築を専門とする人たちによって重要な情報が部分的にもたらされていたのですが、それ以降は考古学者による勝手な解釈が入り混じり、加えて建築学者の中の一部分の方が間違ったことを唱えたりして、状況は悲惨なこととなりました。
今、古代エジプトの遺跡の調査に関わる人の大多数は、建物の規模を測って1キュービット=約52.5cmでちょうど割り切れるかどうかを調べ、それがうまくいかない場合には、すぐに判断を中止すると思います。遺構の測量を専門としている方々も同様です。

基本となるキュービット尺に関する説明を、権威と認められた文献学者が事典等で書き続けた結果、これを真に受ける考古学者が続出し、困ったかたちとなっています。日本での古代エジプトのキュービット尺の紹介は、そうした情報を単に翻訳しているだけですから、読むに値しません。
繰り返しますが、碩学のバリー・ケンプが何故、唐突にアマルナ型住居の平面計画方法の分析において小キュービットを持ち出したのか、その意味を深く考える必要があります(Kemp (ed.) 1995)。古代エジプトの尺度について、もう一回根本的に考えたらどうかという異議がそこでは真剣に出されているとみなすべきです。
なおアマルナ型独立住居の平面寸法分析については、キュービット尺を前提とした短い考察があります(Tietze (Hrsg.) 2008)。

M. Michelの本のp. 437には古代エジプトにおける勾配の一覧表と呼ぶべきものが初めて掲載されており(Fig. 145)、とても注目されます。これまでこうしたものは提示されることがありませんでした。ここではImhausen 2003Rossi 2004の著作が大きな役割を果たしていると見受けられます。ピラミッドもマスタバも塔門の壁体も墓のスロープもオベリスクも、みんな入っています。

この表には第一アナスタシ・パピルスにおける、いわゆる「オベリスクの問題」の勾配も扱われていますが、ただ「1キュービット、1ディジット」と言う解釈は従来通りです。第一アナスタシ・パピルスにせっかく触れたのに、惜しまれます。

「1キュービットに対し、1ディジット(指尺)単位の指定による勾配の規定も存在した」とセケドの概念を拡げたらこの本も革新的になったでしょうが、エジプト学の枠内に論理が収斂したせいで、最も肝要な域を超えることはありませんでした。Miatelloによる近年のセケドの論などにも触れていますが、当方には論外だと感じられます。
個人的に秘かに考えているセケドの概念の枠の解体方法としては、

1、基準となる1キュービットの水平と垂直を入れ替えてもセケドである
2、1キュービットに対してディジット(指尺)単位で指定される勾配もセケドである
3、勾配規定の基準となる1キュービットの長さが6パームでもセケドである

この3つが重要だと思います。
何故、これまで唱えられてきたセケドの概念を解体しなければならないのか。
理由は明瞭です。今のままの硬直した考えでは、ピラミッド研究など、古代エジプト建築の研究がまったく進まないからです。当時の設計方法の推察を重ねていかないと、埒が明きません。

すでにお分かりの通り、「小キュービット」の存在は疑われています。
ただこの考え方で問題となるのは、すべてを古代エジプト人のものさしの多様な扱いの中に解消させようとしている点です。それを他の学者たちが認めてくれるのかどうかは分かりません。
特に日本建築の場合、大尺・小尺という規定がかつてありましたから、その類推で日本人研究者が古代エジプトにおける小キュービットに対して早合点をする場合があって、 問題だと思われます。

19世紀に、古代エジプトのものさしが実際に出土したことも、近代の研究者の考えを束縛しました。

1、ものさしに示された単位長だけを基準として建物を造ったであろうと狭く考えた。
2、ものさしに刻まれた目盛り以外の寸法は用いられなかったであろうと狭く考えた。
3、「セケド」がリンド数学パピルスにピラミッドの設計方法として記されたため、それ以外の斜めに造られている構築物部分へのセケドの適用に対しては慎重になった。

古代エジプトにおける勾配を定める方法である「セケド」はエジプト学者たちによって、これまで概念が極めて限定して考えられてきました。限られた文字史料でしか扱われてこなかったので、その解釈を厳密に考えようとした経緯は当然です。また第二中間期の記述を新王国時代の遺構に当て嵌めていいのかという逡巡もあったことでしょう。
しかし逆に言えば、柔軟に作業を進めた古代エジプト人の設計方法や建造方法をほとんど配慮しない考え方でキュービット尺やセケドの解釈を進めてきたとも言えます。

古代エジプト研究の世界は現在、細分化されています。考古学、文献学、数学など、細分化した分野で解釈の矛盾があるわけですけれど、それらを建築学の中で再びひとつに包括し、問題を解消できるのではないかという、その可能性が指摘できるように思われます。

2014年5月23日金曜日

Senigalliesi 1961


トリノ・エジプト博物館に収蔵されている古代エジプトのものさしを、厳密に測って報告している論文。古代エジプトのものさしを、たとえば"Egyptian cubit"といったキーワードを使ってインターネットで検索すると時々、参考文献リストの中で出会う論考です。

この論文の執筆者であるSenigalliesiはしかしエジプト学者ではなく、トリノの会社RIVに属する技術者で、要職を務めていたようです。この文章が掲載されている雑誌(rivista)もエジプト学の専門誌ではありません。
トリノで工業製品を生産する製造会社が出していた広報誌であるため、探して実見しようとすると、エジプト学に関連する書籍をたくさん集めているはずの図書館が収蔵していない場合が多く、大変な思いをします。

Dino Senigalliesi,
"Metrological Examination of Some Cubits Preserved in the Egyptian Museum of Turin,"
La Rivista RIV (1961),
pp. 23-54.

雑誌名に見られるRIVという会社名は、創業者の名のRoberto Incertiと、地名のVillar Perosaの略称に由来し、この会社はボールベアリングを製造していました。
RIVの設立にはイタリアの大企業である有名なフィアット(FIAT)を創り上げたジョヴァンニ・アニェッリ(もしくはジョバンニ・アニエッリ、Giovannni Agnelli)が大きく関わっています。Villar Perosaはアニェッリ(アニエッリ)が生まれた地でもあり、アニェッリ一族が本拠としていた重要な場所でした。トリノから南西方向に、35キロほど離れた山あいにある街。
会社の設立の経緯について短い説明をしているベアリングメーカーのSKFのイタリア語サイトでは、RIVアニェッリFIATとの関わりがうまく説明されています。

http://www.skf.com/it/our-company/skf-italia/cenni-storici-sulla-skf-in-italia/index.html

"FIAT"という会社名はFabblica Italiana di Automobili Torino、つまり「イタリア・トリノの自動車工場」といったほどの意味の略になりますが、同時にラテン語の"fiat"との連関が考えられており、機知に富んだ命名法をそこにうかがうことができます。
聖書を読んだことのある人ならば、旧約聖書の最初の「創世記」、そのまた冒頭の天地創造のくだりで

光あれ

という語が出てくることを御存知のはず。ラテン語では、これが"Fiat lux"(フィアット・ルクス)となります。光がラテン語では「ルクス」で、これは照度の単位になっているから建築業界の人にとっては非常に覚えやすい。

しかしこのラテン語は奇妙で、明らかに命令法なのですけれども、本来、命令文というのは一人称から二人称に向かって放たれる言葉です。
人間が二人いた時に、話し手が一人称で、聞き手が二人称。三人称は、このふたりの間で交わされる会話の中で取り上げられる者の謂であり、この三人称に対する命令法というのは基本的に存在しません。

自分に向かっての命令文(一人称に対する命令法)もあるように思えますが、これは例えば、だらしなく感じる自分に向かって「もっとしっかりしろ!」と激励する場合、架空の自分を自分自身とは別に仕立てて、その二人称に向かって呼びかけているわけで、基本的な構図の中に収まる用法です。

でも「光あれ」という言葉は、未だ存在していない光というものに対して「存在せよ」と三人称で表現しています。話者、と言うか、この場合は神なのですが、その目の前に無いというだけでなく、これまでこの世になかった非存在に対して命令する矛盾があってこうした表現になるのでしょうけれど、世界を歪ませる呪文と似ていなくもありません。
こういう不思議なニュアンスを含んだ言葉を社名として選ぶところに、アニェッリの才覚が感じられます。

自動車メーカーが自社名をラテン語と絡ませる傾向についてはどこかで読んだ記憶があるのですが、思い出すことができません。ドイツの自動車メーカーAudi「アウディ」は、創業者の名のHorchの意味をドイツ語からラテン語に直した結果であり、意味は「聞け」となります。「オーディオ」、「オーディション」、また「オーディトリアム」といった言葉と語源が同じ。「オーディトリアム」auditoriumの複数形ではauditoriumsの他に、格式ある綴り方としてauditoriaが存在するのも、このラテン語名詞が-umで終わる中性名詞であり、その場合には複数形が-aとなるためです。
スウェーデンのVolvo「ボルボ」もやはりボールベアリングとの強い関わりがあって、社名の意味はラテン語で「私は回る」。VolvoRIVとは、前述のベアリングメーカーのSKFを介し、少なからぬ関係が実際にあった点も面白いところです。

屋上に試験走行のためのコースを備えたFIATのトリノ・リンゴット工場の外観の写真はル・コルビュジェの「建築をめざして」の終わり近くに、あからさまな修正の痕を残したまま掲載されており、これも建築業界では良く知られた話。コルビュジェによる写真の修正の例は、挙げていったらきりがないと思います。
今、取り上げられることの多いSTAP細胞に関する論文での写真の扱いと比べるならば、建築における写真の扱いの特色がはっきりするかもしれません。
建築評論家のフランプトンは、コルビュジェが提示する写真で見受けられるシュルレアリスム的要素について、確か論文を書いていました。もう一度、読み直すと得るところがあるかとも思います。

古代エジプトのものさしについては、大キュービット(=52.5cm)と小キュービット(=45cm)の2種類があると語られることが多いようですが、これをそのまま信じると、長さが異なるふたつのものさしがエジプトの遺跡からたくさん出土しているのだろうという話になりがちです。
けれども小キュービットのものさしというのは基本的に発見されていないわけで、差し当たり幻想なのではないかと疑いの目を向けた方が良いかと思われます。
Dieter Arnoldは古代エジプトの建築に関する権威者ですが、彼はおそらくどの著作においても小キュービットについてまったく発言していません。だいたい古代エジプト建築に関わる者は、小キュービットについて何も語らないことが多いわけです。

だからBarry Kempがアマルナ型住居に関して小キュービットによる計画方法の分析を試みた(Amarna Reports VI, London, EES, 1995, p. 22)のは、「キュービットについてはもう一度考えた方が良くないかい?」という問いかけを暗に意味しており、この意見には賛成です。
Greaves 1646, Newton 1737, Jomard 1809, Lepsius 1865といった一連の論考を辿るならば、明瞭な小キュービットのものさしの例が出土していないにも関わらず、「小キュービットというものを考えざるを得ない」という幻想をエジプト学が紡ぎ出していく過程が見えてくるかと思われます。

Senigalliesiの論文は、第18王朝末期の建築家カーKha)の墓TT8から見つかった折り畳み式ものさしを何枚もの写真で紹介しており、貴重です。論文の中には数式が記されており、どれだけ誤差があるのかを調べています。
ただ各目盛りの実測値が報告されていないので、その点が批判を浴びることになります。

今で言う「折尺」が今から3400年ほど前に存在していたという点が驚きで、しかもこの折尺を収納するための細長い革袋も一緒に発見されました。携帯用だったのでしょう。
実寸大のレプリカが限定番号付きでトリノ・エジプト博物館のミュージアム・ショップから販売されています。もちろん本革の袋付きとなっており、古代エジプトのキュービット研究者は必携。

"MuseumShop", Museo Egizio di Torino:
http://www.museoegizio.it/pages/shop.jsp

2014年5月16日金曜日

Ordo et Mensura IV/V 1998


古代エジプトで用いられていた尺度については、一般向けにきわめていい加減な説明がなされている場合が大変多く、この点はいずれ正される必要があろうと案じています。
先日、「計量学-早わかり(第3版)」というページを見つけたのですが、冒頭に書かれていた古代エジプトの尺度についての記述を読んで驚きました。

ものさしという存在から、まずは語る必要があるのかもしれません。ものさしが見つかっているかどうかや、そこに刻まれた目盛りというものによって人の考え方はかなり束縛されるようで、この点で研究者の考えとの大きな乖離が生じることとなります。

ものさしが実際に見つかっていないからといって、もちろんその時代にものさしが存在しなかったと考えるべきではありません。金属でできているニップールのものさし(Nippur cubit)は最古のものさしとしてしばしば取り上げられており、ウィキペディアにも書かれていますが、だからと言ってこれよりも前の時代の世界にはものさしがなかったことにはなりませんし、だいたいニップールのものさしが「本当にものさしなのかどうか」を疑う必要があります。

世界には昔の計量学に焦点を合わせた専門の雑誌が幾冊もあります。以前に触れたNexus誌(cf. Morrison 2008)もそのひとつで、建築と数学を扱っている雑誌でした。ニップールのものさしについてはしかし、例えば以下に示す別の刊行物に所収されている論文で検討がおこなわれています。

Dieter Ahrens und Rolf C. A. Rottländer (Hrsg.),
Ordo et Mensura IV / Ordo et Mensura V,
Sachüberlieferung und Geschichte: Siegener Abhandlungen zur Entwicklung der materiellen Kultur, Band 25.
St. Katharinen, Scripta Mercaturae Verlag, 1998,
vi, 434 p.

2回開催された会議の記録を収めているため、言わば合併号という体裁をとっています。この中で最も注目がなされるのは、

Marvin A. Powell,
"Gudea's Rule and the So-called Nippur Cubit: The Problem of Historical Evidence,"
D. Arrens und R. C. A. Rottländer (Hrsg.), Ordo et Mensura V,
pp. 93-102.

の論考でしょう。
パウエルという人が編集したPowell (ed.) 1987に関してはこの欄で前に挙げたことがあり、それは古代中近東における労働者組織の話の時であったわけですけれども、この方がミネソタ大学に提出した博士論文のタイトルはSumerian Numeration and Metrology (1971)で、もともとシュメールの計量学が専門の学者です。サッソンやベインズたちによる、

Jack J. Sasson et al. eds., Civilizations of the Ancient Near East, 4 vols.
(New York, Charles Scribner's Sons, 1995) .
Editor in Chief: Jack J. Sasson, Associate Editors: John Baines, Gary Beckman, and Karen S. Rubinson.

Vol. I: xxxii, 648 p.
Vol. II: x, 651-1369 p.
Vol. III: x, 1373-2094 p.
Vol. IV: x, 2097-2966 p.

の4巻本は、E. M. Meyers et al. eds., The Oxford Encyclopedia of Archaeology in the Near East, 5 vols. (Oxford, Oxford University Press, 1997)とともにこの分野において良く知られた事典ですが、そこでは「メソポタミアの計量学と数学」の項目(Vol. III, pp. 1941-1957)に関して執筆もしており、この領域の権威として認められている人間。その彼が、ニップールのものさしについてどのような見解を抱いているかというと、

"an enigmatic piece of evidence like the so-called Nippur cubit"

と表現した後に、

"It has a curious form, sometimes said - but without supporting evidence - to be shaped like a stylus, with six indentations, dividing it into seven unequal parts. The deepest of these indentations mark off a space of about 518 millimeters, and it is this that has been referred to as the "Nippur Cubit" (Nippur-Elle). (...) In short, it is not usable at present as evidence for historical metrology."
(pp. 100-101)

と記しています。かたちが変で、目盛りの間隔が一定でなく、正確な出土場所が記録されていないために年代が実のところ不明で、学問的な資料としては扱えないという点がはっきりと述べられており、Ordo et Mensura誌のめざしているであろう方針とは真っ向から対立する立場。Powellの論文のあとには、この会議録Ordo et Mensuraの共同編集者のひとり、Rottländer

"Die Standardfehler der Methoden der überkommenen Historischen Meteorologie"
(pp. 103-114)

と題する論文を書いており、ここにもニップールのものさしが分析図付きで出てきますが、相反する意見を並べて掲載しているところが重要です。読者に判断を任せるという姿勢。

ものさしには等間隔の目盛りがあるはずだろうという見方はしかし、ともすると考え方を逆に狭める恐れもあり、ものさしに刻まれていない目盛りで建物を設計することはないだろうという勝手な推測に結びついたりします。古代の尺度を考える際には、ものさしから話を始めなければならないのでは、と思うのはそういう時です。

なお同じ刊行物では、

Florian Huber,
"Das attisch-olympische bzw. geodätische Fußmaß von 30,9 cm.
Seine Herkunft und die Verwendung in der justinianischen Baukunst,"
D. Ahrens und R. C. A. Rottländer (Hrsg.),
Ordo et Mensura III,
Sachüberlieferung und Geschichte: Siegener Abhandlungen zur Entwicklung der materiellen Kultur, Band 15.
St. Katharinen, Scripta Mercaturae Verlag, 1995,
pp. 180-192.

のうち、pp. 186-189などでも"Die Nippurelle"を扱っています。

2014年5月11日日曜日

Le Roux, Sellato et Ivanoff (éds.) 2004-2008


EFEO(École française d'Extrême-Orient)から出版された、東南アジア諸国の度量衡に関する研究書。
第2巻目の巻末には両巻に収められた論文の詳細な目次が掲載されていますが、これをタイピングするのは一苦労ですので、時間のある時に再度、試みることにします。
タイ、ベトナム(ヴェトナム)、ラオス、フィリピン、その他の諸国における度量衡を扱っています。

Pierre Le Roux, Bernard Sellato et Jacques Ivanoff éds.,
Poids et mesures en Asie du Sud-Est: Systèmes métrologiques et sociétés, 2 vols.
Études thématiques 13-1/2.
Paris et Marseille, École française d'Extrême-Orient, Institut de Recherche sur le Sud-Est Asiatique, 2004-2008.

Volume I: L'Asie du Sud-Est austronésienne et ses marches, 
Études thématiques 13-1,
423 p.

Volume II: L'Asie du Sud-Est continentale et ses marches, 
Études thématiques 13-2,
pp. 425-826 (404 p.)

この2巻本で見たかったのは、ただひとつの論文で、カンボジアを扱ったものです。

Marie Alexandrine Martin
"Dâmloeung et niel: Évaluer l'or et le riz dans le Cambodge traditionnel,"
 in P. Le Roux, B. Sellato et J. Ivanoff éds.,
Poids et mesures en Asie du Sud-Est: Systèmes métrologiques et sociétés, vol. 2, 
Études thématiques 13-2, pp. 503-514.

P. 508からは"Les mesures de longueur et de surface"と題した章の論述が始まり、p. 509には、"probablement les 41 cm notés par certains auteurs," といった記述が見られるのですけれど、これが果たして知りたかった長さの数値なのかどうかは、また別の問題となります。
人体尺の話はこの本のあちこちに出ていて、図示がなされ、興味深い。
本の背表紙には書物のモティーフが述べられていますので、ちょっと長くなりますが、これを引き写しておきます。

Poids et mesures en Asie du Sud-Est
Plus que jamais présents dans les sociétés, les systèmes de poids et de mesures intéressent aussi le politique; la n'a-t-elle pas présidé à l'établissement et au développement des États ? Des nombreux travaux existants de métrologie historique, bien peu concernent l'Asie du Sud-Est. Cet ouvrage, né d'un ambitieux projet d'envisager les systèmes métrologiques du point de vue englobant de l'anthropologie sociale tout en tirant profit d'une approche interdisciplinaire, regroupe quarante contributions de spécialistes internationaux:  ethnologues, historiens, archéologues, sociologues, linguistes. Voici donc écrit un vaste chapitre de l'histoire économique et sociale de l'Asie du Sud-Est, entendue au sens large - ce qui constitue l'autre originalité du projet -, puisqu'il englobe ses marches culturelles: la région himalayenne, la Nouvelle-Guinée et Madagascar.

建築に関する度量衡としては、一番重要なものとして「長さ」があるんですけれども、これをどう捉えるかで一冊の本が書けるように思います。古代の「ものさし」の話は複雑で、実際に「ものさし」が出土し、尺度が分かっているように思われる古代エジプトにあっても、尺度を巡る論議が未だ続いています。面白いところです。

2014年5月10日土曜日

De Bruyne 1982


オランダの美術館が企画した展覧会「古代エジプト家具芸術のかたちと幾何学」のカタログ。
M. Eaton-Kraussは古代エジプト家具の専門家でもあり、彼女の執筆によるJEAに掲載された家具に関する論文の註によってこの本の存在を知りましたが、ようやく入手することができました。ツタンカーメン研究でも広く知られているEaton-Kraussの家具に関する論考については、Eaton-Krauss and Graefe 1985や、Eaton-Krauss 2008を参照。

De Bruyneによるこのカタログは、ほぼ真四角の本で、図版はすべてモノクロです。
地方の美術館・博物館で企画された展覧会のカタログは、日本で入手しようと思うと困難が待ち受けています。Vogelsang-EastwoodによるTutankhamun's Wardrobeなども、日本に何冊入っているのか、良く分かりません。
エジプト学に関する海外書籍の入手方法を、かつては偉そうにサイトを作って書いたこともありましたけれども、インターネットの急速な発展に伴い、すぐに古びてしまいました。

オランダの展覧会は、非常に意欲的なものであったことが以下の目次の構成からも了解されます。

Pieter De Bruyne
Vorm en Geometrie in de Oud-Egyptische meubelkunst
Gent, Gent-Museum, 1982.
108 p., 26 plates, 60 figures.

Woord vooraf: 
De Egyptische "Canon" (p. 4)
Erkentelijkheid (p. 5)

0  Inleiding (p. 6)
1  De ontledingen (p. 8)
2  Konstruktieprincipes (p. 10)
3  Vorm en symbool (p. 13)
4  Vorm en ethiek (p. 13)
5  Middelen (p. 14)
6  De analysen (p. 15)
7  KIST. esdoorn, wit geschilderd met opschriften (p. 15)
8  Laag krukje, geschilderd hout (p. 20)
9  Zitting van laag krukje, geschilderd hout (p. 26)
10  Tafel hout (p. 29)
11  Kistje, geschilderd hout (p. 36)
12  STOEL, palmhout en Acacia (p. 40)
13  STOEL, Hout met inlegwerk in ivoor (p. 44)
14  PIEDESTAL, hout, geschilderd (p. 50)
15  Vergelijking met aanpalende kulturen (p. 60)
16  Het meubel en de canon (p. 66)
17  Voorlopige besluiten (p. 70)
18  TOILETKISTJE van KEMEN, cederhout, ebbenhout en ivoor en zilver beslag (p. 70)
19  De diagonalen en de maatvoering (p. 75)
20  Het meetkundig schema en de praktijk (p. 75)
21  Het egyptische meubel, situering en betekenis (p. 79)
22  Nawoord (p. 82)

Voetnota's (p. 83)

English summary (p. 85)

内容はきわめて刺激的です。分析図は多く掲載されており、また幾何学形態の模型を同時に提示しているのも面白い。家具で見られる各種の勾配がどのように定められたのかを追究している図に、もっとも惹かれます。
巻末に英文の要約が掲載されており、オランダ語で書かれている内容の概要を把握することが可能。ただ部分的に意味が不明な記述もうかがわれ、

"Illustration 3 shows, in comparison with the aforementioned royal cubit, the six-part cubit, in which 1 palm=0.0875 m; this revised unit measure was introduced at the beginning of the 16th century."
(p. 92)

と明らかにおかしい時代となっているので原文を確かめると、"begin van de XXVIo dynasty" (p. 14) と書かれており、この記述であるならば納得するわけです。

現代においては良く知られている幾何学的な分割方法が、どこまで古代エジプト人に知られていたのか、これがカギとなるわけですが、個人的には後半の論理の展開には無理があるように感じています。しかし、冒頭において"Grenzen van het onderzoek (Limits of the study)" (p. 7) の項目を設けている点は注目されるべきで、この慎重な態度にまずは注目したいと思います。参考文献のページは、さほど充実していません。プラトンの「対話篇」が引用されているのが興味深く思えます。
古代エジプト家具の設計過程を考える上で、重要な書となります。著者は1931年生まれ。


2011年12月29日木曜日

Birch (ed.) 1737 [Works of John Greaves, 2 vols.]


クフ王のピラミッドに関する測量は、かなり古くからおこなわれていたようです。
でも外形ではなく、ピラミッド内部の計測となると、まったく別の話。

実測の結果に基づいて、オクスフォード大学の天文学者ジョン・グリーヴス(John Greaves: 1602-1652)は17世紀に「ピラミドグラフィア(Pyramidographia)」を著し、世界で初めて大ピラミッド(ギザ台地に立つクフ王のピラミッド)の断面図を公表しました(Greaves 1646)。この人は若い頃に接した計量学の先生の影響を受け、古代建築の基準長の分析に深い興味を抱いていた学徒でもあります。古代ローマの尺度を考えたりもしました。
またアラビア語文献にも通じており、中東への旅行中に、関連書籍の渉猟と収集に努めていたことが知られています。異文化に触れることに楽しみを覚える人だったのではないでしょうか。
こうした少数の者の努力によって、エジプト学の基本的な問題点が切り開かれていきます。

グリーヴスの研究業績をまとめた2巻本は彼の死後、およそ80年経ってからトーマス・バーチの編集によって出版されており、この書が今では無料でダウンロードできます。
編者であったバーチの偉いところは、本をまとめるに当たって関連文献も含めている点です。後世の読者への案内を充分に考えており、このことは貴重でした。グリーヴスの論考が後の人間たちに与えた影響をも具体的に示した結果、最終的にはフリンダース・ピートリというエジプト学の創設者を生み出す契機を促すこととなりました。

グリーヴスの考察に触発されたアイザック・ニュートンによって古代エジプトのキュービット尺の実長が突きとめられ(cf. Newton 1737)、もともとラテン語で書かれていたニュートンの手稿の英訳が、バーチによって本書の中に一緒に収められました。ニュートンはバビロニアの煉瓦を扱っているものの、古代建築の煉瓦の大きさが建物の設計寸法や、全体の煉瓦使用量の積算と関わりがあるのではと問いかけていて、建築学の見地からは重要です。
しかしニュートンのこの手稿は、生前には発表されなかった論文で、書誌はあまり明確ではありません。20世紀になってマイケル・セント・ジョン(Michael St. John)が編集したレプシウスの訳書であるLepsius 1865(English ed. 2000)の中で、ニュートンによるキュービットの論文を1737年としているのは、バーチ編集のこの本に基づいているらしく思われます。
この後、ピアッツィ・スミスによる本(1867)の中にも、ニュートンの論文の英訳は再録されました。

Thomas Birch (ed.),
Miscellaneous Works of Mr. John Greaves, Professor of Astronomy in the University of Oxford
(J. Hughs, London, 1737)

Vol. I:
http://books.google.co.jp/books/?id=Puk0AAAAMAAJ&redir_esc=y

Vol. II:
http://books.google.co.jp/books?id=0uk0AAAAMAAJ&redir_esc=y

ここでは目次を割愛します。
バーチというと、古代エジプトではまずサミュエル・バーチが思い起こされますが、直接の関連はない模様。

第1巻の最初でグリーヴスの生涯が語られており、50歳で惜しくも亡くなった波乱の人生が披瀝されていて、これが面白い。
主著「ピラミドグラフィア」の記述にはいくつか誤りがあって、その指摘が読者からすぐになされており、それに対するグリーヴスの応答や訂正の計算などが収録されているというのも興味深い点です。誤りも遺漏もある報告書であったということです。しかし、多大な影響を及ぼした本であったという点に疑いはありません。
誤りがいくらか存在する本であっても、学問として大きく進展させる書物というのはあり得ます。大きな指標が示されるのであるならば、このようなことが可能であるわけです。

グリーヴスによるクフ王のピラミッドの大回廊の断面図に関する報告にも欠陥があり、この書の成果を前提として考察がなされたニュートンの論文では「1キュービットは6パームから構成されるであろう」という誤謬も記されています。
Maragioglio e Rinaldi 1963-1975での図面と比べるならば、この間違いは一目瞭然。でもそれを今、指摘することに対して大きな意味があるとは思えません。大事なことは、正確な情報に基づく考察とは一体何なのかを考えることです。

オクスフォード大学はニュートンが書いたラテン語の手稿を公開し始めており、原典のテクストに基づく比較検討も可能なようになってきました。新たな時代の到来ということを改めて感じます。
ピラミッドの計画寸法を考える上で見逃せない書。同時に、古代エジプトにおけるキュービット尺の実長を探る過程を改めて追う上でも欠かせない本になっていると思います。

2010年12月16日木曜日

Testa 2010


古代エジプトの古王国時代における棺を集め、寸法計画を分析した本です。木棺が8例、石棺が42例。
建築家である著者ならではの考察。CADを用いたカラー図版を用いながら、直方体を呈する棺の寸法と、キュービット王尺(1キュービット=52.5cm)との関連を探っています。
古代エジプトにおける寸法計画を考える上で、かなり画期的な書。どの棺を対象としているのかは、たぶん注目される事項ですので、第5章のみ、長くなりますが目次の小項目も掲げておきます。クフ王の石棺、カフラー王の石棺は考察対象に入っていますが、地中海に沈んでしまったメンカウラー王の石棺は入っていません。
目次と実際の小項目との記載が合致していないので、注意が必要。表記の統一が徹底されていません。ここでは適当に(!)勘案して掲げます。
被葬者の名前が分からない場合、Inv. No.ぐらいは明記しておいて欲しかったところですが。

Pietro Testa,
La progettazione dei sarcofagi egiziani dell'Antico Regno.
Area 10: Scienze dell'antichità, filologico-letterarie e storico-artistiche, 650
(Aracne Editrice, Roma, 2010)
126 p., 21+25 tavole.

Indice:

Prefazione (p. 11)

Capitolo I: La religione egiziana (p. 13)
Capitolo II: Mummificazione e rituali (p. 31)
Capitolo III: Il rituale funerario (p. 43)
Capitolo IV: I sarcofagi (p. 71)
Capitolo V: L'analisi progettuale (p. 77)

Sarcofago ligneo nº1
Sarcofago ligneo nº2. Set-ka
Sarcofago ligneo nº3. Idu II
Sarcofago ligneo nº4
Sarcofago ligneo nº5. Mery-ib
Sarcofago ligneo nº6. Seshem-nofer
Sarcofago ligneo nº7. Ny-ankh-Pepy
Sarcofago ligneo nº8

Sarcofago litico nº1
Sarcofago litico nº2. Hetep-heres
Sarcofago litico nº3. Kheope
Sarcofago litico nº4. Hor-gedef
Sarcofago litico nº5. Heru-baf
Sarcofago litico nº6. Ka-uab
Sarcofago litico nº7. Ka-em-sekhem
Sarcofago litico nº8. Gedef-Khufu
Sarcofago litico nº9. Khufu-ankh
Sarcofago litico nº10. Khefren
Sarcofago litico nº11. Kha(i)-merr(u)-nebty (I)
Sarcofago litico nº12. Meres-ankh III
Sarcofago litico nº13. Kha-merru-nebty (II?)
Sarcofago litico nº14. Una regina di Mikerino (?)
Sarcofago litico nº15. Kai-em-nefert
Sarcofago litico nº16
Sarcofago litico nº17
Sarcofago litico nº18
Sarcofago litico nº19
Sarcofago litico nº20. Snefru-khaef
Sarcofago litico nº21
Sarcofago litico nº22. Seshem-nofer (III)
Sarcofago litico nº23. Hetep-heres, moglie di Seshem-nofer (III)
Sarcofago litico nº24. Senegem-ib Inti
Sarcofago litico nº25. Ptah-segefa detto Fefi
Sarcofago litico nº26. Ny-ankh-Ra (I)
Sarcofago litico nº27. Weta
Sarcofago litico nº28. Hetepi
Sarcofago litico nº29. Ny-ankh-Ra (II)
Sarcofago litico nº30. Hekeni-Khnum
Sarcofago litico nº31. Ir-sekhu
Sarcofago litico nº32. Seshem-nofer (IV)
Sarcofago litico nº33. Nefer detto Idu (I)
Sarcofago litico nº34. Sekhem-ka
Sarcofago litico nº35. Ankh-ma-Hor
Sarcofago litico nº36. Khnum-nefer
Sarcofago litico nº37. Seneb
Sarcofago litico nº38
Sarcofago litico nº39. Meru
Sarcofago litico nº40. Teti
Sarcofago litico nº41. Pepi II
Sarcofago litico nº42. La gatta Ta-miat

Bibliografia (p. 125)
Tavole (p. 127)

実測値については逐一、掲載されていません。
テスタが参考にしているのは、トリノ・エジプト学博物館の前館長であった人物が以前出版した古王国時代の棺に関する本で、この書物は現在、ボストン博のページからPDFのダウンロードが可能。
A. M. Donadori Roveriの著作については、これまでも何回か触れてきました。下記の本でも、木工の仕口は詳しく図示されており、興味深い書です。

Anna Maria Donadoni Roveri,
I sarcofagi egizi dalle origini alla fine dell'Antico Regno.
Istituto di Studi del Vicino Oriente, Serie Archeologica 16
(Università di Roma, Roma, 1969)
180 p., 20 figs., 40 tavole.
http://www.gizapyramids.org/pdf%20library/roveri_sarcofagi.pdf

テスタの本は、古代エジプトの尺度と、計画方法とをともに考えようとしたものであることには疑いなく、同時に「小キュービット」と呼ばれてきた尺度(=45cm)が本当に存在したのかという、大事な点を問うことを言外に示している書、という位置づけになります。
巻末に収められた、カラーを交えた棺の分析図は、建築を専門とする者にとって重要。
本文中に誤記が散見される点は残念です。

2010年6月26日土曜日

Hinz 1955


イスラームでも時代や地域によって度量衡が変わり、特に長さについて調べることは建築の世界では重要な作業となります。しかし、これが案外と見つけ出しにくくて大変。
それらの情報をひとつにまとめた薄い冊子です。

Walther Hinz,
Islamische Masse und Gewichte umgerechnet ins metrische System.
Handbuch der Orientalistik:
Ergänzungsband 1, Heft 1
(Brill, Leiden, 1955)
(viii), 66 p.

長さについては54ページから記述が始まります。長さにも何種類もあって複雑ですが、たとえばカイロにおける1ディラー=58センチメートル、なんていうことが書いてあり、その後にダマスカス、アレッポ、トリポリ、エルサレム、イラク、イラン、インドの場合、というように説明が続きます。

イスラームのことを調べるのであったら、専門の研究者は自分のコンピュータにインストールしている「エンサイクロペディア」で索引をかけるのかもしれません。これはライデンのブリルから出ている権威ある事典。
CD-ROMも販売されるようになりました。

P. J. Bearman, Th. Bianquis, C. E. Bosworth, E. van Donzel and W. P. Heinrichs eds.,
The Encyclopaedia of Islam
CD-ROM
(Brill, Leiden, 2005)

15000項目以上もあり、冊子体では12巻で供給されます。第3版の刊行が始まっていて、これの完結にはまだまだ時間を要するはずですから、第2版を用いるのが現実的。
CD-ROMとは言え、10万円以上もします。ブリルの会員になると最新情報も含め、オンラインで見ることもできますけれども、こちらも高額で、個人では手が出にくいというのが現状。
簡略版もあって、

H. A. R. Gibb and J. H. Kramers eds.,
Shorter Encyclopaedia of Islam
(Brill, Leiden, 1997)
viii, 671 p., 2 plans, 7 plates

これだったら1万円ほどで購入ができるはず。古本では5000円以下で入手が可能です。イスラームに興味を抱く大学院生であったら、たいてい持っているのではと思われる本。これに匹敵する書籍が少ないものですから、人気の高い出版物。

ビザンティンからイスラームに変えられた遺構というものもあり、このためにビザンティンにおける長さの情報も見ることを強いられます。
ビザンティンの度量衡の決定版は、

Erich Schilbach,
Byzantinische Metrologie.
Handbuch der Altertumswissenschaft, XII, Teil 4
(Verlag C. H. Beck, Munchen, 1970)
xxix, 291 p.

で、pp. 13-55において長さに関する記述が見られます。
前時代における古代ローマの尺度ではなく、古代ギリシアの尺度に基づいて長さが決定されたのではないかという考察が重要。

2010年6月25日金曜日

Jomard 1809


「エジプト誌」の全巻が、今ではネットで見られることについて、すでにDescription 1809-1818にて述べました。ナポレオンによる「エジプト誌」にはテキスト編も含まれており、ジョマールはここに論考を複数、載せています。
欧州に留学中の安岡義文氏による情報。彼にはこれまでも、いろいろ貴重な最新の文献案内を送ってもらっており、多謝。BiOrの書評などを執筆していますから、興味ある方は御覧ください。

「エジプト誌」が誰にでも公開されているということは、すごいこと。逆に言うと、ここで触れられている内容を知らなければ「素人」とほとんど変わりないと判断されるわけで、辛い立場ともなります。

ここで取り上げる文章は全8章から構成され、古代エジプトの尺度に関して述べたもので、ニュートンによる52センチメートルという説を冒頭で一蹴し、これに代わる46センチメートルという値を主張して論理を展開している大論文。300ページ以上を費やしています。
ナポレオンの調査隊によってもたらされた数々の実測値をもとにした換算のリストだけでなく、古代ギリシア・ローマ、そしてアラブ世界の著述家たちによる「ジラー」を主とする長さの記述もくまなく参照しており、膨大な資料を駆使したその論述内容は、19世紀の博物学的方法の最後を飾るにふさわしい。オベリスクの寸法についても分析をおこなっています。

しかしこの頃に始まるさまざまな盗掘によって、長さ52センチメートルのものさしが実際に次々と発見されるようになります。この成果を受けてレプシウスが登場し、尺度の問題にはある程度のけりをつけました。Lepsius 1865 (English ed. 2000)を参照。
「ある程度の」というのは、実はレプシウスはジョマールの考え方を「小キュービット」として一部、残したからで、ここに混乱のもとがあると言えないこともない。レプシウスによるこのジョマール説の「救済」の方法に関しては、もっと議論があって然るべきだと思われます。G. ロビンスも、そこまで踏み込んではいません。

Edme Francois Jomard,
"Memoire sur le systeme metrique des anciens egyptiens, contenant des recherches sur leurs connoissances geometriques et sur les mesures des autres peuples de l'antiquite",
Description de l'Egypte, ou recueil des observations et des recherches qui ont ete faites en Egypte pendant l'expedition de l'armee francaise, publie par les ordres de Sa Majeste l'Empereur Napoleon le Grand.
Antiquites, Memoires, tome I
(Paris, 1809)
pp. 495-797.

すでに忘れ去られようとされているジョマールですが、ニュートンが前提とした「古代人は基準尺の倍数を構築物の主要寸法に充てた」という考えにおかしいところがあると指摘しており、これについては当たっている部分がなくもない。ニュートンはクフ王のピラミッドの計測値のうち、完数による値のみを偶然、目にしたという幸運に恵まれたと個人的には思います。澁澤龍彦(渋沢龍彦)の言い方を借りるならば、ここには建築の「死体解剖」があっても、「生体解剖」がありませんでした。
アイザック・ニュートンの論考についてはNewton 1737で紹介済み。これはまた、Greaves 1646の論考に刺激を受けての考察でもあります。
実際に古代エジプトの遺構では、いくつかの寸法でジョマールが分析したように、46センチメートル内外の長さで割り切れる場合があるわけで、この矛盾を斟酌し、できるだけ多くの報告を拾い上げようとしたレプシウスの功績は称えられるべきでしょう。
しかし結果として、キュービットは52.5cmであったというのが現段階における結論です。ニュートンの勝利でした。

まず大キュービットと小キュービットには、7:6という関係があるわけだから、大キュービットにおける6の長さは小キュービットの7の長さと一致します。この時、双方とも42パーム。この場合を除き、小キュービットで割り切れる長さがどれくらい遺構で見られるのかが問題を解く鍵となります。
ですが、こうした研究はほとんど進んでいません。小キュービットに関する建築遺構への適用は、近年ケンプがアマルナの独立住居における平面図で少し試してみている程度。
ジョマールまで再び戻って考え直さなければならない理由がここにあり、古代エジプトの基準尺に関しては、大きな陥穽があると言わざるを得ません。

古代エジプト建築の権威であるアーノルドの本には、小キュービットについての記述は一切ありません。建築の世界では、それでこと足りるからです。でもそれは美術史学の世界で論議されている尺度の問題とずいぶん、隔たりがあります。「おかしいのでは」という疑念があって然るべき。
こういう点が、今のエジプト学では論議されていません。

シャンポリオンがヒエログリフを読解する前に、ジョマールは数字だけは正確に読めたようです。中国語との類推から、「エジプト誌」のテキスト編には「百」とか「千」という漢字が載っています。ジョマールによる別の論文を参照のこと。
こういう事実はあまり知られていません。シャンポリオンもヒエログリフを読み解くために、中国語を勉強していました。新しい語学を学ぶことは、単に自分の道具を増やすことと同じだという割り切り方がここにはあって、これが日本人にとって難しい点となります。
絶望的であれ、泥縄式にでもいいから、とにかく数多く読み進めていくこと、その作業にどれだけ長年耐えられるかの競争であること、それが我々にとって唯一の早道だという指標がここでも示されています。

2010年1月17日日曜日

Sakarovitch 1998


スペインのラバサ・ディアス(Rabasa Diaz 2000 (Japanese ed. 2009)を参照)と双璧をなす研究。扱われる時代も重なるところがあります。
ただ、こちらの方は建築書あるいは建築図面というものにこだわっているのが大きな特徴。最初の方で正投象・軸側投象・斜投象・透視投象の簡単な図解が示されています。

Joël Sakarovitch,
Épures d'architecture:
de la coupe des pierres à la géométrie descriptive XVIe-XIXe siècles.

Science Networks. Historical Studies, Volume 21
(Birkhäuser Verlag, Basel 1998)
xii, 427 p.

Table des matières:

Introduction (p. 1)

Chapitre I - La double projection dans le dessin d'architecture: une question de détail ? (p. 15)

Chapitre II - Taille des pierres et recherche des formes: L'ememple des descentes biaises (p. 95)
Les descentes biaises: (p. 149)

Chapitre III - La géométrie descriptive: une discipline révolutionnaire (p. 185)
Les leçons de l'Ecole normale de l'an III (p. 189)
La

à l'Ecole du génie de Mézières (p. 218)
Une discipline scolaire, une discipline révolutionnaire (p. 247)

Chapitre IV - Heurs et malheurs de l'enseignement de la géométrie descriptive au XIXe siècle (p. 283)
Diffusion et influence d'une nouvelle branche des mathématiques (p. 287)
Les applications de la géométrie descriptive (p. 299)
L'enseignement de la géométrie descriptive au XIXe siècle et la formation des ingénieurs en France (p. 319)

Conclusion (p. 343)
Annexes (p. 355)
Bibliographie (p. 399)
Index des noms cités (p. 421)

メソポタミアやエジプトといった古代の建築図面をいくらか紹介しているのも面白いところです(17〜31ページ)。しかしこの領域に関して第一に挙げられるべきHeisel 1993の本は参考文献に載っておらず、残念。情報が分断されている学問領域ですから、仕方ありません。

22ページの図4に掲げられているオストラコンは古代エジプトの建築図面として良く知られているもので、何人もの学者が言及していますが、この図面の最新の研究は2008年のClaire Simon-Boidotによる論考となります。Gabolde (ed.) 2008(Fs. J.-Cl. Goyon)を参照。
関東学院大学の関和明先生も、この図面については論文を書いていらっしゃいます。ダウンロードが可能。

関和明
「陶片に描かれた祠堂の図について:
古代エジプト建築における設計方法の研究3」
日本建築学会大会学術講演梗概集F、
1993年9月、pp. 1375-1376.

http://ci.nii.ac.jp/naid/110004201658

31ページからは、中国の建築書「営造方式」 Ying Tsao Fa Shihが簡単に紹介されています。情報は基本的にニーダムの著書に負うところが多いから、あまり詳しくは論じられていません。Haselberger (ed.) 1999のところで「営造方式」が扱われていることに触れましたが、日本の建築書(木割書)についても世界で知ってもらいたいところ。

著者はTechniques et Architecture (April 1999)など、現代建築を扱うフランスの商業雑誌などにも立体截石術(ステレオトミー)の紹介記事を書いています。ラバサ・ディアスとはお互いに論文や著書の引用をし合っているさまが、特に巻末の参考文献の欄を見比べると良く了解されます。
21ページも続くこの参考文献のページは、ステレオトミーの分野に興味を抱く者にとってはきわめて重要。


2009年12月13日日曜日

Lepsius 1865 (English ed. 2000)


古代エジプトで使われた尺度について述べられた、きわめて重要な本。にも関わらず、本当は誰も詳しく読んでいなかったという奇妙な経緯があります。
初めての英語訳です。編者が最初に、「世界で初版が9冊だけ確認されている」と書いています。再版も出ていましたが、この英訳が出たおかげでレプシウスの考えが広く知られることになりました。

Richard Lepsius,
The Ancient Egyptian Cubit and its Subdivision 1865.
Including a Reprint of the Complete Original Text with Two Appendices and Five Half Scale Plates.
Translated by J. Degreef, with expanded bibliographical notes on the works cited by Lepsius and brief biographical notes on their authors.
Compiled by Bruce Friedman and Michael Tilgner.
Edited by Michael St. John.
(The Museum Bookshop Ltd., London, 2000)
67 p. + 67 p., 5 Tafeln, xx.

Original:
Richard Lepsius,
Die alt-aegyptische Elle und ihre Eintheilung.
Abhandlungen der philosophisch- historischen Klasse der königl. Akademie der Wissenschaften zu Berlin
(Königlichen Akademie der Wissenschaften, Berlin, 1865. Reprint, LTR-Verlag, Bad Honnef, 1982)
(ii), 63 p., 5 folded figures.

大科学者アイザック・ニュートンの名がここで見られるのは面白い(Newton 1737)。ナポレオンによる「エジプト誌」の文章編にたくさん書いているジョマールの論考にも言及しています。
200年以上にわたってエジプトの尺度が考え続けられ、今なお結論が出ていないことを伝える不思議な書。

1997年に出たマーク・レーナーの"Complete Pyramids"では、アイザック・ニュートンに言及していなかったはず。
2007年のジョン・ローマーによる"The Great Pyramid: Ancient Egypt Revisited"(Romer 2007)ではしかし、ニュートンの業績について触れられています。最近でもMDAIKの発掘調査報告でニュートンの果たした役割について見かけましたが、編者のM. セント・ジョンの功績を称えるべきだと思います。
この人はポルトガル在住で、エジプトの物差しに興味を持っている方。新王国時代の物差しについての薄い本を出版しています。

Michael St. John,
Three Cubits Compared
(Estoi, Portugal, 2000)
i, 39 p.

長さ52.5cmの王尺(ロイヤル・キュービット)の他に、エジプトでは長さ45cmの小キュービットも用いられていた、という記述はあちこちで見受けられますが、その根拠が実はあやふやであることが、このレプシウスを読むと良く分かります。「王尺は建物に、そして小キュービット尺は家具などに用いられた」などという巷の説を、そのまま信じるべきではありません。建築と美術史とでは見方が異なる点にも注意。
エジプトの尺度について述べている文章で、この本に触れていないものは皆無であると言っていいと思います。あらゆる論考がこの本に戻ってきています。
でもその内容は入り組んでおり、今後も詳しく討議されるべき。

2009年4月22日水曜日

Newton 1737


科学者のアイザック・ニュートンが古代エジプトのキュービットの長さを突き止めていたということが広く知られるようになったのは、Michael St. Johnが編集し、J. Degreefがドイツ語から訳したレプシウスの本が2000年に新しく出てからです(Lepsius 1865 [English ed. 2000])。PetrieがNature誌などで、ニュートンによりキューピットの長さの分析がおこなわれていることを書いていますけれども、それまではほとんど知られていませんでした。これには理由があって、"Alt-aegyptische Elle und ihre Eintheilung"というこの本、誰もほとんど見たことがないままに皆が引用を続けていたという、力が抜ける話。
ラテン語によるニュートンの論文は19世紀に英訳が出ており、ピアッツィ・スミスの本がこうして今日でも別の意味で役に立つことになります。

Isaac Newton,
Dissertatio De Sacro Judaeorum Cubito, atque de Cubitis aliarum Gentium nonnullarum; in qua ex maximae Aegyptiacarum Pyramidum dimensionibus, quales Johannes Gravius invenit, antiquus Memphis Cubitus definitur

[Dissertation on the sacred Jewish cubit, and the cubits of some other nations, in which the ancient cubit of Memphis is determined on the basis of the dimensions of the Great Pyramid of Egypt, as Johannes Gravius discovered]

(Lausannae & Genevae, 1744),
pp. 491-510, 1 figure.

(English translation)
C. Piazzi Smyth,
Life and Work at the Great Pyramid during the Months of January, February, March, and April, A.D. 1865;
with a Discussion of the Facts Ascertained. Vol. II
(Edinburgh, 1867)
pp. 341-366.

Johannes GraviusとはJohn Greavesのこと(Greaves 1646)。
ニュートンの考え方は徹底しており、煉瓦造建築についても触れているのが面白い点です。彼によれば、もし煉瓦が古代尺に合わせた大きさであったなら、建物全体で使用する煉瓦の量が計算しやすいであろうとのこと。これは煉瓦の大きさに関する論考の、非常に早い例のうちのひとつであろうかと思われます。

実際にはしかし、煉瓦の大きさはまちまちで、キュービット尺とは整合性があまり認められません。古代エジプトの建築において、数多く積まれる建材の大きさがキュービット尺と揃えられるのは第18王朝末期のアクエンアテン時代の「タラタート」の場合だけで、石の寸法によって時代がただちに判別できるという唯一の例。
でも「古代で積算がおこなわれたに違いない」という重要な指摘は当たっており、このような論理の飛び方と、結びつかせる方法には感心します。

出てくる数値は非常に細かく、電卓を片手に持ちながら読むことになります。フィートとインチだから、また換算が大変。
ニュートンの本は東京大学の駒場キャンパスの図書館が所有。スミスの方は結局、当方の場合、イギリスの図書館に複写を依頼することになりました。

追記(2012年3月7日)
Birch (ed.) 1737 [Works of John Greaves, 2 vols.]においても、ニュートンの論文の英訳を読むことができます。

2009年1月2日金曜日

Robins 1994


古代エジプトの美術を専門とする学者による書で、壁画に興味があるものにとっては基本文献となります。Goettinger MiszellenDiscussions in Egyptologyといった、比較的審査の緩い専門雑誌において多く考察を重ね、10数年経って集大成された本。

Gay Robins, drawings by Ann S. Fowler,
Proportion and Style in Ancient Egyptian Art
(Thames and Hudson, London, 1994)
x, 283 p.

しかしこの本を読むにはまず、イヴァーセンによる研究書を知らなければなりません。イヴァーセンによる、よく知られた本を批判している内容を持つからです。

Erik Iversen in collaboration with Yoshiaki Shibata,
Canon and Proportions in Egyptian Art
(Aris and Phillips, Warminster, 1975. Second edition
fully revised. First published in London, 1955)
94 p., 34 pls.

イヴァーセンの初版と再版とは内容が全然異なりますから、ここにも面白い問題が潜んでいます。1955年の論考があり、これを根本的に変える必要があってほぼ20年後に同じ著者によって再考がなされた本が出され、でもまだ不明なところがあったので、また約20年後に、今度は別の著者によって本が出たという経緯を踏んでいます。

問題は、未完成の壁画などでしばしば見られる下書きの格子線(キャノン・グリッド)で、これがどのような役割を果たすのかという点、古代エジプトの尺度であったキュービットとどのように関わるのかという点、そして時代による変遷があるのかという点です。
いずれも悩ましい問題で、本当のことを言うと、未だに良く分からない部分もあったりします。古代エジプトの尺度については、200年ほど、ああでもないこうでもないと言っているところがありますので。
古代エジプトの絵画におけるキャノン・グリッドについては美術史家のフランカステルも触れており、和訳された論文が出版されていますので、見る価値があります。

この本にはたくさんの分析図が収められており、それを見るだけでも楽しめます。
著者の夫は大学に席を置く数学者。一緒に論文を書いたりしていますが、下記の論文は古代エジプト建築の研究においてはきわめて重要な論考。リンド数学パピルスに出てくる、ピラミッドの勾配の決定方法であるセケド(sqd = seqedあるいはseked)の概念に関する拡張を考えています。

G. Robins and C. C. D. Shute,
"Mathematical Bases of Ancient Egyptian Architecture and Graphic Art,"
Historia Mathematica 12 (1985), pp. 107-122.

残念なことに、旦那さんは数年前に亡くなってしまいました。
この本の謝辞の最後には、「結婚したばかりの時に、夫から古代エジプトの尺度について聞かれ、それを契機にイヴァーセンの本を読み直すことになった。本書を夫に捧げたい」と記してあります。

カラー写真をたくさん収めた古代エジプト美術史の本も、彼女は大英博物館から出しています。これは欧米の大学で教科書あるいは副読本として広く学生に読まれているはずですから、持っていて損はありません。

Gay Robins,
The Art of Ancient Egypt
(British Museum Press, London, 1997)
271 p.