2012年9月25日火曜日
Vogelsang-Eastwood 1999
歴史上からその名前が抹殺されていた少年王ツタンカーメン(トゥトアンクアメン)の墓が、かつては細々と水彩画の模写をエジプトで続けたりしていたハワード・カーターによって発見されたのが1922年。今年は発見90周年ということになりますでしょうか。
ツタンカーメンの墓から出土した膨大な量の多様な遺物については、楽器、ゲーム盤、模型の船といったように、品目ごとに報告書がイギリス・オクスフォードのグリフィス研究所 Griffith Institute より少しずつ出版されていて、それらの本の総リストは
http://www.griffith.ox.ac.uk/gri/5publ.html
のページにて見ることができます。Tutankhamun's Tomb Series (TTS)として良く知られているものの他に、グリフィス研究所からはツタンカーメン関連の報告書6冊がこれまで上梓されており、いずれも専門家の間ではしばしば引用されている刊行物。
H. Beinrich und M. Sarah, Corpus der hieroglyphischen Inschriften aus dem Grab des Tutanchamun(Oxford, 1989. ドイツ語の本なので「ツタンカーメン」の綴りが英語と異なります)はツタンカーメンの遺物に記されているヒエログリフのすべてを集成した本ですが、この墓から見つかったヒエラティックで書かれた文字資料については、Černý(cf. Černý 1973)が別の集成を出版(J. Černý, Hieratic Inscriptions from the Tomb of Tutankhamun, Oxford, 1965)。この2冊を持っていれば、ツタンカーメンの墓の遺物に書かれていた文字をとりあえずすべて網羅することになります。「とりあえず」、というのは他に記号の類があるからで、組み立て式の祠堂では部材のどことどことが接合されるのかが記号で示してありました。
ツタンカーメンの墓から見つかった遺物を対象としたグリフィス研究所による報告書の中での最新刊はEaton-Krauss 2008で、そこではツタンカーメンの玉座や腰掛けなどが扱われています。グリフィス研究所とは異なった出版社から2010年に刊行されたツタンカーメンの履物の報告書に関しては後述。
この墓に納められていた衣類に関しては、しかしながら未だ刊行がなされていません。従って、1999年から2011年にかけて欧米を巡回した下記の展覧会「ツタンカーメンの衣装 Tutankhamun's Wardrobe」展のカタログが重要になってくるわけです。薄いカタログですけれども、カラー写真や着衣の状態の復元図も納められており、貴重。衣服がたたまれて入っている衣装箱の様子を真上から撮影した写真も掲載されていますから、古代エジプトの家具を知りたい人間にとっても有用な本となります。
G. M. Vogelsang-Eastwood,
illustrations by Martin Hense and Kelvin Wilson,
[with contributions by J. Fletcher and W. Wendrich],
Tutankhamun's Wardrobe: Garments from the Tomb of Tutankhamun
(Barjesteh van Waalwijk van Doorn: Rotterdam, 1999)
[115] p.
http://www.tutankhamuns-wardrobe.com/
Table of contents:
Preface (p.4)
1. Tutankhamun (p.6)
2. Materials and decoration (p. 20)
3. Birds, beasts and plants on Tutankhamun's clothing (p.32)
4. Tutankhamun's Egyptian style garments (p.46)
5. Tutankhamun's foreign garments (p.78)
6. The king's wardrobe (p.92)
Bibliography (p.112)
この展覧会カタログの中では、J. Fletcherがツタンカーメンの鬘(かつら)箱について("The king's wig and wig box", pp.67-8)、またW. WendrichがVogelsang-Eastwoodと共著で履物(サンダル)について("The king's footwear", pp.68-77)短く書いています。なおツタンカーメンの履物(サンダル)を報告したものはA. J. Veldmeijer(cf. Veldmeijer 2009)により、Tutankhamun's Footwear: Studies of Ancient Egyptian Footwearという題で2010年に出版されました。VeldmeijerはAncient Egyptian Leatherwork and Footwearというページを運営していて、活発な研究成果をそこでつぶさに見ることができます。
Vogelsang-Eastwoodについては、Kemp and Vogelsang-Eastwood 2001で触れたことがありました。この人は今日において古代エジプトの衣服を詳しく知っているほとんど唯一の専門家と言って良く、
Gillian Vogelsang-Eastwood,
Pharaonic Egyptian Clothing.
Studies in Textile and Costume History II
(E. J. Brill: Leiden, 1993)
xxiii, 195 p., 44 plates.
という書籍を執筆しています。近年では類例が見られない書。古代エジプトではいったいどのような衣服が作られ、また当時の人々はどのような服装で着飾っていたのかを知る上で、第一に基本となる重要な本です。
古代エジプト学における服装の美術史学的な分析は進展しており、編年も確立されつつあるのですが、これは彫像や壁画などの資料に彫出あるいは描写された着衣の観察に基づく論考が主であって、実際に出土した衣類との整合性を検討する研究者はそれほど多くいないと思われます。J. J. Janssenによるラメセス時代のディール・アル=マディーナ(デル・エル=メディーナ)における衣服の値段(価格)の考察については、Kemp and Vogelsang-Eastwood 2001にて記しました。
Tutankhamun's Wardrobeでは、通常の男性の体型とツタンカーメン王の体型とを比較した図(Fig.1:11, p. 19)なども載っていますから、人体と衣服との関連に興味のある方には役立つはず。
サッシュ(飾り帯)やチュニックの簡単な型紙も小さく紹介されていますので、器用な方はこれを見て、新王国時代の衣服を自分で作ることもできるかと思われます。「装飾」の項では、エジプト禿鷲の姿であらわされるネクベト女神像についても若干述べられています(pp.34-36)。
オランダにおける古代エジプト研究の長い歴史が改めて示唆される刊行物のひとつで、目立たない冊子でありながら、誰も手をつけていない分野がどのように開拓されるかを如実に示している好著。ツタンカーメンの衣服に関して詳しく述べている本は他にありません。
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