2012年7月26日木曜日
Kozloff, Bryan, Berman, et Delange 1993
「アメンヘテプ3世展」は1992年から1993年にかけて開催された巡回展。クリーヴランド美術館を始めとして、次にはルイス・カーンの設計で有名なフォートワースのキンベル美術館に会場が移され、最後はフランスへ飛び、パリのグラン・パレで締め括られました。
周到な準備が重ねられた企画で、その模様は直前に出されているBerman (ed.) 1990でうかがい知ることができ、この流れはまたその後の重要な専門書であるO'Connor and Cline (ed.) 1998の出版にも繋がっていきます。
アメリカとフランスでの巡回展ですから、カタログは英語(1992年)とフランス語(1993年)の両方が作成されています。目次を見ると当たり前のことながら、ほとんど同じ構成。
でもフランス語版では不思議なことにページ数が60ページ以上も少なくなっており、見比べるとレイアウトもかなり変えられている点が注意を惹きます。
英語版:
Aeielle P. Kozloff and Betsy M. Bryan,
with Lawrence M. Berman,
and an essay by Elisabeth Delange,
Egypt's Dazzling Sun: Amenhotep III and hid World
(Cleveland Museum of Art: Cleveland, 1992)
xxiv, 476 p.
フランス語版:
Arielle P. Kozloff, Betsy M. Bryan, Lawrence M. Berman, et Elisabeth Delange,
Aménophis III: le pharaon-soleil
(Réunion des musées nationaux: Paris, 1993)
xxiii, 411 p.
共著者が4名以上になる場合、普通はこうやってずらずらと挙げるものではないんですが、ここではネット検索の便宜を図るために各著者の名を逐一掲げることを優先したいと思います。海外の参考文献の引用の仕方については厚い専門書が出ています。"Chicago Style"などで調べてくだされば。
英語版よりも1年遅く出版されたフランス語版のカタログのページ数が少ないのは、アメリカからフランスへ会場が移った際に展示品数が減らされたからではないのかという疑念が浮かぶわけですが、しかしまったくの逆で、グラン・パレで開催された時の方が展示品は増えているらしく思われます。
展示品には番号が付されており、英語版でもフランス語版でも最後の品の番号は136で一緒。
一方、フランス語版のpp. 410−1には、どの展示品をどこの美術館から借り出したのかをリストアップしていますけれども、そこでは例えばただの"34"番の他に、別の"34 bis"、"34 ter"というものが見られ、こうした後付けの展示番号を抜き出せば以下の通り。
2 bis: Scarabée de Tiy ou scarabée du règne
22 bis: Fragment d'une statuette d'Aménophis III
34 bis: Déesse Sekhmet
34 ter: Déesse Sekhmet
51 bis: Portraits peints d'Aménophis III
67 bis: Ouchebti d'Aménophis III
75 bis: La tête d'une cuiller à la nageuse
113 bis: Boîte à parfum
これらの8点は、英語版のカタログには掲載されていないようです。
アメンヘテプ3世の横顔を描いた"51 bis"はこの王の墓から切り出された壁画の一部ですが、このようにパリでの展示は、ルーヴル美術館に収蔵されているものなどをいくつか新たに加えた展覧会であったことが分かります。
さて、他には英語版とフランス語版で大きく異なるところがあるのかどうか。
個人的には巻末の参考文献が大幅に変えられているという印象を受けます。リストアップされている文献の総数は双方とも300タイトル弱で、量としてあまり違いは見られません。しかし英語版では
R. A. Schwaller de Lubicz,
Les temples de Karnak, 2 vols.
(Paris, 1982. [English ed., London, 1999])
を挙げていますけれど、フランス語版では削除されており、他方で
C. C. van Siclen,
"The Accession Date of Amenhotep III and the Jubilee,"
JNES 32 (1973), pp. 290-300.
などはフランス語版だけに加えられています。これはほんの一例ですけれども、ここでうかがわれる変更の判断は妥当であるように思えます。
相当、参考文献の欄は手が入れられて整理されている感じが与えられ、もしどちらかを購入したいというのであれば、お勧めしたいのはページ数の少ないフランス語版の方。レイアウトを変えてページ数を減らしながらも、展示品数は8点ほど多く、カラー写真も英語版よりも多いはず。特に最後の宝飾品関係の品々の紹介で、フランス語版ではカラー図版が多く挿入されています。
複数の国々を巡回する大規模な展覧会では、しばしばこうしたカタログの違いが生じます。これは日本に回ってくる国際的な巡回展の場合でも同じ。展覧会のカタログは全部がそのまま翻訳されたもので、内容については同じだろうと考えていると間違えることがある、という教訓。
コズロフはダーラム大学のオリエント博物館に収蔵されているペルパウティ Perpawty(ペルパウト、ペルポー、あるいはパペルパ)とその妻であるアディ Ady の木製の家型木箱について解説を書いています(英語版:pp. 285-7、フランス語版:pp. 250-2)が、この中でボローニャの考古学博物館所蔵のペルパウティの同型の家型木箱との比較もしており、美術様式から見るとボローニャの方が時代は早いのではと記しています。布を納めるための家具の木箱の外側に施された彩色のモティーフが良く似ているので、ペルパウティが年を経た後に、今はボローニャが収蔵している最初に造られた箱を職人に見せ、同じ物を作れと命じてダーラム所蔵の木箱ができたのではないかという推測を述べており、非常に興味深い考察。3000年以上も前の人間の、同じように見える所有物なのに、時代の新旧が分かるという点が面白い。コズロフが目利きであることが、これで了解されるわけです。
以前にも書きましたが、ペルパウティの遺品についてはイタリアの研究者による論考があり、コズロフとはお互いに研究成果を引用していないから併読が必要。
Patrizia Piacentini,
"Il dossier di Perpaut,"
Aegyptiaca Bononiensia I.
Monograpfie di SEAP, Series Minor, 2
(Giardini: Pisa, 1991)
pp. 105-130.
ペルパウティについては、Roehrig et al. (eds.) 2005も参照のこと。コズロフとピアチェンティーニの両方を引用しています。
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