2012年9月25日火曜日
Vogelsang-Eastwood 1999
歴史上からその名前が抹殺されていた少年王ツタンカーメン(トゥトアンクアメン)の墓が、かつては細々と水彩画の模写をエジプトで続けたりしていたハワード・カーターによって発見されたのが1922年。今年は発見90周年ということになりますでしょうか。
ツタンカーメンの墓から出土した膨大な量の多様な遺物については、楽器、ゲーム盤、模型の船といったように、品目ごとに報告書がイギリス・オクスフォードのグリフィス研究所 Griffith Institute より少しずつ出版されていて、それらの本の総リストは
http://www.griffith.ox.ac.uk/gri/5publ.html
のページにて見ることができます。Tutankhamun's Tomb Series (TTS)として良く知られているものの他に、グリフィス研究所からはツタンカーメン関連の報告書6冊がこれまで上梓されており、いずれも専門家の間ではしばしば引用されている刊行物。
H. Beinrich und M. Sarah, Corpus der hieroglyphischen Inschriften aus dem Grab des Tutanchamun(Oxford, 1989. ドイツ語の本なので「ツタンカーメン」の綴りが英語と異なります)はツタンカーメンの遺物に記されているヒエログリフのすべてを集成した本ですが、この墓から見つかったヒエラティックで書かれた文字資料については、Černý(cf. Černý 1973)が別の集成を出版(J. Černý, Hieratic Inscriptions from the Tomb of Tutankhamun, Oxford, 1965)。この2冊を持っていれば、ツタンカーメンの墓の遺物に書かれていた文字をとりあえずすべて網羅することになります。「とりあえず」、というのは他に記号の類があるからで、組み立て式の祠堂では部材のどことどことが接合されるのかが記号で示してありました。
ツタンカーメンの墓から見つかった遺物を対象としたグリフィス研究所による報告書の中での最新刊はEaton-Krauss 2008で、そこではツタンカーメンの玉座や腰掛けなどが扱われています。グリフィス研究所とは異なった出版社から2010年に刊行されたツタンカーメンの履物の報告書に関しては後述。
この墓に納められていた衣類に関しては、しかしながら未だ刊行がなされていません。従って、1999年から2011年にかけて欧米を巡回した下記の展覧会「ツタンカーメンの衣装 Tutankhamun's Wardrobe」展のカタログが重要になってくるわけです。薄いカタログですけれども、カラー写真や着衣の状態の復元図も納められており、貴重。衣服がたたまれて入っている衣装箱の様子を真上から撮影した写真も掲載されていますから、古代エジプトの家具を知りたい人間にとっても有用な本となります。
G. M. Vogelsang-Eastwood,
illustrations by Martin Hense and Kelvin Wilson,
[with contributions by J. Fletcher and W. Wendrich],
Tutankhamun's Wardrobe: Garments from the Tomb of Tutankhamun
(Barjesteh van Waalwijk van Doorn: Rotterdam, 1999)
[115] p.
http://www.tutankhamuns-wardrobe.com/
Table of contents:
Preface (p.4)
1. Tutankhamun (p.6)
2. Materials and decoration (p. 20)
3. Birds, beasts and plants on Tutankhamun's clothing (p.32)
4. Tutankhamun's Egyptian style garments (p.46)
5. Tutankhamun's foreign garments (p.78)
6. The king's wardrobe (p.92)
Bibliography (p.112)
この展覧会カタログの中では、J. Fletcherがツタンカーメンの鬘(かつら)箱について("The king's wig and wig box", pp.67-8)、またW. WendrichがVogelsang-Eastwoodと共著で履物(サンダル)について("The king's footwear", pp.68-77)短く書いています。なおツタンカーメンの履物(サンダル)を報告したものはA. J. Veldmeijer(cf. Veldmeijer 2009)により、Tutankhamun's Footwear: Studies of Ancient Egyptian Footwearという題で2010年に出版されました。VeldmeijerはAncient Egyptian Leatherwork and Footwearというページを運営していて、活発な研究成果をそこでつぶさに見ることができます。
Vogelsang-Eastwoodについては、Kemp and Vogelsang-Eastwood 2001で触れたことがありました。この人は今日において古代エジプトの衣服を詳しく知っているほとんど唯一の専門家と言って良く、
Gillian Vogelsang-Eastwood,
Pharaonic Egyptian Clothing.
Studies in Textile and Costume History II
(E. J. Brill: Leiden, 1993)
xxiii, 195 p., 44 plates.
という書籍を執筆しています。近年では類例が見られない書。古代エジプトではいったいどのような衣服が作られ、また当時の人々はどのような服装で着飾っていたのかを知る上で、第一に基本となる重要な本です。
古代エジプト学における服装の美術史学的な分析は進展しており、編年も確立されつつあるのですが、これは彫像や壁画などの資料に彫出あるいは描写された着衣の観察に基づく論考が主であって、実際に出土した衣類との整合性を検討する研究者はそれほど多くいないと思われます。J. J. Janssenによるラメセス時代のディール・アル=マディーナ(デル・エル=メディーナ)における衣服の値段(価格)の考察については、Kemp and Vogelsang-Eastwood 2001にて記しました。
Tutankhamun's Wardrobeでは、通常の男性の体型とツタンカーメン王の体型とを比較した図(Fig.1:11, p. 19)なども載っていますから、人体と衣服との関連に興味のある方には役立つはず。
サッシュ(飾り帯)やチュニックの簡単な型紙も小さく紹介されていますので、器用な方はこれを見て、新王国時代の衣服を自分で作ることもできるかと思われます。「装飾」の項では、エジプト禿鷲の姿であらわされるネクベト女神像についても若干述べられています(pp.34-36)。
オランダにおける古代エジプト研究の長い歴史が改めて示唆される刊行物のひとつで、目立たない冊子でありながら、誰も手をつけていない分野がどのように開拓されるかを如実に示している好著。ツタンカーメンの衣服に関して詳しく述べている本は他にありません。
2012年9月23日日曜日
Égypte, Afrique & Orient 3 (septembre 1996)
Égypte, Afrique & Orient(http://www.revue-egypte.net/)はフランスのアヴィニョンから年に4回刊行されている雑誌。毎号のテーマを決めて少数の書き手により紙面を埋める構成を取ることが多く、最近の特集の中では第64号(2011-2012年)の「古代エジプトの船と航海 Les bâteaux et la navigation en Égypte ancienne [I]」などが目を惹きます。海洋を通じた交易とこれに伴う船舶に関してはJournal of Ancient Egyptian Interconnections (JAEI) 2:3 (August 2010)において、"Special Maritime Interconnections Issue"と題した特集が組まれました。またBritish Museum Studies in Ancient Egypt and Sudan (BMSAES) 18 (August 2012)でも、"Mariners and Traders"、"Egypt's Trade with Punt"と題された特集号を刊行。古代エジプトの船については近年、新たな情報が増えつつあり、第1王朝のデン王時代の木造船の出土は2012年7月のニュースでも報じられたところ。
船に関しては、これまでの成果を簡便にまとめ、特に中王国時代の資料を充実させた最新刊である
Michael Allen Stephens,
A Categorisation and Examination of Egyptian Ships and Boats from the Rise of the Old to the End of the Middle Kingdoms.
BAR International Series 2358
(Archaeopress: Oxford, 2012)
vi, 220 p.
も出ている模様です。
Égypte, Afrique & Orientは一般向けとは言え、カラー写真も組み込まれ、また世に知られている学者たちが執筆しているので資料的な価値が高く、それ故にオクスフォードのグリフィス研究所ではポーター&モス(cf. Porter and Moss, 8 vols.)を編纂するための予備作業として、この雑誌に掲載されている遺物の総リストを作成したりしているのでしょう(cf. http://www.griffith.ox.ac.uk/gri/3Egypte_Afrique_&_Orient.pdf)。
ここではÉgypte, Afrique & Orientの、古代エジプト家具の特集号を掲げます。
Égypte, Afrique & Orient 3 (septembre 1996)
Les meubles des Anciens égyptiens
Sommaire
Geoffrey Killen: "Le travail du bois et ses techniques dans l'Égypte ancienne",
traduit de l'anglais par Anne Berthoin-Mathieu (pp. 2-7).
Jean-Luc Bovot: "Les meubles égyptiens du musée du Louvre" (pp. 8-13).
Enrichetta Leospo: "Les meubles égyptiens. Les styles de l'Ancien au Nouvel Empire. Tendances et innovations",
traduit de l'italien par Jean Bruguier (pp. 14-19).
Christian E. Loeben: "La fonction funéraire des meubles égyptiens",
traduit de l'allemand par Nathalie Baum (pp. 20-27).
4人の執筆者のうち、フランス語で書いているのはたったひとりだけで、あとは英語、イタリア語、ドイツ語で書いてもらった原稿を仏訳して載せています。どの人もかなり有名。Loebenの原稿をフランス語に訳したBaumは、
Nathalie Baum,
Arbres et arbustes de l'Égypte ancienne:
La liste de la tombe thébaine d'Ineni (No 81).
Orientalia Lovaniensia Analecta (OLA) 31
(Leuven, 1988)
xx, 381 p.
を出しています。
最初の書き手については前にも何回か触れました(Killen 1980; Killen 2003; Herrmann ed. 1996)。現在はラメセス期の家具に関してまとめをおこなっているようです。木工技術についての紹介。
2番目の人は古代エジプト美術の解説書を執筆している他、ルーヴル美術館のサイトでは作品の解説文も手がけている研究者。ルーヴル美術館に収蔵されている良質の家具を、たくさん取り上げている点が注目されます。
3番目のレオスポについては、Leospo 2001などを参照。トリノ・エジプト博物館の遺物を交え、新王国時代の家具の様式を概観しています。家具の様式についてはH.G. Fischer(cf. Fischer 1996)が著した「4つの講義録」、L'écriture et l'art de l'Égypte ancienne: Quatre leçons sur la paléographie et l'épigraphie pharaoniques (Paris, 1986)の中で重要なことが述べられており(Leçon IV: Les meubles égyptiens, pp. 169-240)、その線に沿って語られている論考。
レーベンはテーベ西岸の「王妃の谷」の研究等で知られていますが、この知見を生かし、「死者の書」でうかがわれる記述と副葬品としての家具との関連を最初に述べ、墓の中に副葬品として納められる家具の役割を語っています。ツタンカーメンの家具も取り上げられていて、面白い見方が展開されています。開け閉めで用いる部分のすり減っている度合いから、王宮内で使われていた家具であろうと判断するなど、観察が詳細で非常に鋭い。
この雑誌は古い号の入手が難しく、エジプト学の書だけを専門とする特異なフランスの古書店Librairie Cybeleを通じても品切の状態がずっと続いています。
2012年9月19日水曜日
ビックリハウス Super 8 (Winter 1978)
ビックリハウス Super 9に続き、その前号を紹介。
目次では「第2回JPC展(日本パロディ広告展)作品カタログ」というのが出てきますが、これは当時、美術を志す人にとっては応募のしやすい公募展で、非常に人気がありました。この回の入賞者の方々の名を、できるだけ正確に挙げておきます。
「日本写真文化協会 Japan Photo Culture Association」という由緒ある団体が、似た名前の「JPC全国写真展」を昔から本格的に開催していますので、たいへん紛らわしい。混同しやすい展覧会の名をわざと考えたビックリハウス側の、手に余るたちの悪さが改めて指弾されます。
後には間口を拡げ、「日本パロディ・カルチャー展」となります。パルコ(PARCO)の一貫した戦略がかつて成功をおさめたひとつのプロジェクト。
月刊「ビックリハウス」や、その別冊(別巻)の後続誌「スーパーアート」とその後に改称された「スーパーアート悟空(スーパーアートゴクー / スーパーアートゴクウ / スーパーアート Gocoo)」の書誌については、ビックリハウス Super 9 (Spring 1979)を御参照ください。
ビックリハウス Super 第8号 (1978 Winter)
ビックリハウス別冊
森=迷宮感覚/第2回JPC展カタログ
1978(昭和53)年11月10日刊(冬期号)、580円
表紙イラストレーション:吉田カツ
p. (1) 目次
p. (2) 「迷図」、関三平(Maze No. 36)
pp. (3-4) 広告
pp. 5-28 森=迷宮感覚
p. 5 (口絵、作者不詳)
pp. 6-7 評論:「森の画家たち」、中山公男
pp. 8-9 美術:「コラージュ」、合田佐和子
p. 10 美術:「オブジェ」、鈴木慶則、撮影=山崎博
pp. 11-13 詩:「暗黒賛歌」、田村隆一、イラストレーション=滝野晴夫
pp. 14-15 絵本:「FOREST」、鈴木康治
pp. 16-17 歌:「森傅圖」、須永朝彦、イラストレーション「妖精たちの森」、野中ユリ
pp. (18-20) 広告
pp. 21-23 評論:「<森>とは何か -グリムと賢治を手がかりに-」、天沢退二郎、イラストレーション=磯原育生
p. 24 随筆:「森の魔」、佐々木幹郎
pp. 25-27 創作:「迷宮の森の芝刈り」、赤瀬川原平
p. 28 随筆:「センチメンタル・オラウータン」(註:ママ)、糸井重里
pp. 29-35 狂気と建築
pp. 29-32 「書物の空間:アントニオ・ガウディ・コルネ(1852-1926)」、粟津潔
pp. 33-35 「1g essay 工事中であるものたちへの覚え書き」、松岡正剛
p. (36) 広告
pp. 37-67 第2回JPC展(日本パロディ広告展)作品カタログ:受賞・入選作品紹介
p. 37 JPC賞 塩谷秀行(横浜市)
p. 38 入選 福田直美(渋谷区)、入選 武市真先・朝倉毅(川崎市)、入選 南部俊安・戸漱秀昭・武田学(大阪市)、入選 伊藤清彦(北区)
p. 39 入選 よしだともひこ(藤沢市)、入選 武富謙二(福岡市)、入選 宮沢一郎(武蔵野市)、入選 井上資巳(渋谷区)
p. 40 パルコ賞 山県旭(横浜市)
p. 41 特選 小長谷朗彦(大阪市)
p. 42 入選 清水和男(杉並区)、入選 横山晃治(横浜市)、入選 信原真治(刈谷市)、入選 横山晃治(横浜市)
p. 43 入選 小林友征(北足立郡)、入選 山県旭(横浜市)、入選 小林友征(北足立郡)、入選 山県旭(横浜市)
p. 44 特選 八木沢重之(小金井市)
p. 45 特選 雪組・佐々木(渋谷区)
p. 46 入選 本山昌司(横浜市)、入選 本山昌司(横浜市)、入選 本山昌司(横浜市)、入選 本山昌司(横浜市)
p. 47 入選 染谷義紀(目黒区)、入選 吉田康彦(板橋区)、入選 宮野哲也(横浜市)、入選 菅谷健夫・須賀昌彦(千代田区)
p. 48 ダイヤトーン賞 坪井泰彦(上越市)、デルモンテ賞 浅野泰弘(川口市)
p. 49 スーパーニッカ賞 和田哲裕(豊島区)、アバロンヒル賞 マエダ・ヒオミ(大阪市)
p. 50 入選 西永奨(富山市)、入選 野上周一(神戸市)、入選 伊川英雄(小平市)、入選 加藤由記夫(葛飾区)
p. 51 入選 村上豊(京都市)、入選 村上豊(京都市)、入選 村上豊(京都市)、入選 今西雅文(神戸市)
p. 52 キャノン賞 町田哲(渋谷区)、キャノン賞 片上晴夫(神戸市)
p. 53 キャノン賞 竹林賢二(横浜市)、奨励賞 吉田良三(杉並区)
p. 54 入選 荒井孝昌(豊川市)、入選 山中宏文(東大阪市)、入選 浮田邦彦(新宿区)、入選 瀬戸理子(小田原市)
p. 55 入選 駒根木弘子(堺市)、入選 上口睦人(新宿区)、入選 大成留美(京都市)、入選 平野内智彦(渋谷区)
p. 56 奨励賞 浜崎哲治(福岡市)、奨励賞 加藤順一(国立市)
p. 57 奨励賞 中村豊(杉並区)、奨励賞 横山新一(川崎市)
P. 58 入選 長谷川裕一(横浜市)、入選 田中悦郎(小牧市)、入選 清水宏章(松戸市)、入選 佐々木誠(愛知郡)
p. 59 入選 寺嶋三重子(国分寺市)、入選 内田一秀(新宿区)、入選 野上碧(横浜市)、選外佳作 上口睦人(新宿区)、選外佳作 伊藤俊文(目黒区)
p. 60 佳作入選 山口せえご、佳作入選 新家公徳(広島市)、佳作入選 白浜誠一(福岡市)、佳作入選 平出孝(田無市)
p. 61 佳作入選 猥飢男(横浜市)、佳作入選 高村智(豊島区)、佳作入選 河根徹・新井功(江戸川区)、佳作入選 サコーカズオ(岐阜市)
p. 62 選外佳作 藤井えり子(京都府)、選外佳作 リノ・ルテ(尼ヶ崎市)、選外佳作 飯泉隆(千葉市)、選外佳作 松田正比古(箕面市)、選外佳作 佐藤博(八戸市)、選外佳作 森口英晴(小金井市)、選外佳作 加来義則(杉並区)、選外佳作 松野裕司(世田谷区)、選外佳作 藤原ゆーぞー(京都市)
p. 63 選外佳作 菊田哲(金沢市)、選外佳作 菅谷健夫・須賀晶彦(千代田区)、選外佳作 緒方和彦(世田谷区)、選外佳作 布施保宏(大田区)、選外佳作 戸崎利美(交野市)、選外佳作 山田晴樹(川崎市)、選外佳作 森谷統(東村山市)、選外佳作 杉本三智男(浜松市)、選外佳作 サコーカズオ(岐阜市)
p. 64 入選 宮島浩一(文京区)、入選 菊池弘光(名古屋市)、入選 古館陽子(三郷市)、入選 俊悦治(中野区)
p. 65 入選 河合悌市(新宿区)、入選 しのはらみちこ(杉並区)、入選 島田勲(横須賀市)、入選 多田正文(東大阪市)
p. 66 選外佳作 浜田良作(摂津市)、選外佳作 沢田コータロー(中央区)、選外佳作 小林友征(北足立郡)、選外佳作 竹友浩二(渋谷区)、選外佳作 つげ勝年(岡山市)、選外佳作 小林友征(北足立郡)、選外佳作 宮本悦美(大阪市)、選外佳作 寺西健治(文京区)、選外佳作 伊川英雄(小平市)
p. 67 選外佳作 橋詰里江(保谷市)、選外佳作 原真澄(三鷹市)、選外佳作 松永茂晴(船橋市)、選外佳作 安部清次(佐伯郡)、選外佳作 岡田清隆(渋谷区)、選外佳作 横山新一(川崎市)、選外佳作 山下雅章(宝塚市)、選外佳作 青野信夫(中野区)
p. (68) (SUPERMAN)
pp. (69)-77 第2回JPC展(日本パロディ広告展)選評座談 <状況を笑え>
出席:赤瀬川原平、粟津潔、福田繁雄、マッド・アマノ、しとうきねお、高梨豊、山口はるみ、司会:榎本了壱、撮影:山崎博
p. 71 受賞者一覧
p. 72 受賞者の略歴:JPC賞受賞の辞、塩谷秀行・柴山宜康
p. 73 受賞者の略歴:パルコ賞受賞の辞、山県旭;特選受賞の辞、小長谷朗彦
pp. 73-74 受賞者の略歴:特選受賞の辞、八木沢重之
p. 74 受賞者の略歴:特選受賞の辞、雪組・佐々木、山本としお
pp. 74-75 受賞者の略歴:キャノン賞、町田哲
p. 75 受賞者の略歴:キャノン賞、片上晴夫・野田耕司・南本艶子・旦昌弘・田川秀史;キャノン賞、竹林賢二;デルモンテ賞、浅野泰弘;ダイヤトーン賞、坪井泰彦
pp. 75-76 受賞者の略歴:アバロンヒル賞、マエダ・ヒオミ
p. 76 受賞者の略歴:スーパーニッカ賞、和田哲裕;奨励賞、浜崎哲治・酒井隆晴;奨励賞、加藤順一;奨励賞、吉田良三;奨励賞、中村豊
pp. 76-77 受賞者の略歴:奨励賞、横山新一
pp. 78-(79) 讀ムリ*新聞(*註:「ムリ」は「魚」ヘンに「売」)
pp. 80-(81) 朝目新聞
pp. (82-84) 広告
pp. 85-87 「発想について6:タイムトンネルに吹く風 日本画とグラフィックデザインの間」、佐藤晃一
pp. (88-89), (92-93) 「木村恒久のヴィジュアル・スキャンダル6:HEGEMONY <覇権>」、木村恒久
pp. 90-91, 94-95 「スーパーニット」、山田峰子;撮影=中道順詩
pp. 96-97 「福田繁雄のグラフィック・トーア6 直線仕立てのフレンチ・ホルン」、福田繁雄
pp. 98-100 「HOW TO パロディ5:交差点の巻」、マッド・アマノ
pp. (101-102) 広告
p. (103) 季刊ビックリハウス Super バックナンバー
p. (104) 第2回JPC展(日本パロディ広告展)開催広告、編集ノート
もともとがパロディ誌のため、タイトルや投稿者の名前、投稿作品の内容などで一文字だけ違うのが誤植なのか、それとも本当に意図されたものなのかの見きわめがけっこう難しい。
当時の校正作業は大変であったろうと推察されます。
2012年9月15日土曜日
ビックリハウス Super 9 (Spring 1979)
「ビックリハウス」という、紙質はあまり良くない雑誌(月刊誌)が1975(昭和50)年に発刊され、これは1985年11月の最終号(130号)まで続きました。「宝島」などと並び、当時に見られたサブカルチャーの隆盛のさまを代表して示す有数の雑誌のうちのひとつ。
最初はぺらぺらの雑誌だったのですけれども、すぐその後に投稿を広く募る独自の形式を採用し始め、かなりの人気となって、後に判型を大きくした別冊(別巻)が刊行されるようになります。これが季刊「ビックリハウス Super(ビックリハウススーパー)」で、1977年から1979年まで出版されました。
「ビックリハウス Super」の後継誌(あるいは継続誌、継承誌)は月刊「スーパーアート悟空(スーパーアート Gocoo):スーパーアートゴクー、あるいはスーパーアートゴクウ」です。季刊から月刊へと変更され、最初はただの「スーパーアート」でしたが、第8号から「スーパーアートGocoo」に改称。1979年から1981年まで続きました。
後継誌は当初、「スーパーアート」ではなく、「ソピカ」という誌名を候補として考えていたことが知られています(cf. ビックリハウス Super 9、pp. 30-31、104:後述)。パブロ・ピカソ Pabro Picassoという、有名な現代絵画の巨匠のファミリーネームに基づき、このカタカナを単純に入れ替えただけの誌名は、視覚的なパロディの紹介に特化しようとしたこの雑誌の方向性を良くあらわしているように思われます。
似た命名の方法の代表はたぶん、Googleによるデジタル写真管理ソフトの「ピカサ Picasa」。
月刊「ビックリハウス」が栄えた歴史を知るには、
「ビックリハウスアゲイン」
http://www.ne.jp/asahi/gomasio/rf-2/bh.html
を訪れるのが一番です。「ビックリハウス」の刊行の後期に当時、編集作業に携わっていた管理人イノリンさんによるページ。雑誌から直接スキャンされた抜粋が具体的に掲載することも多々おこなわれていますから、とても重要。上記のHPでは、映像作家かわなかのぶひろ氏によるコラム、http://www.rundog.org/kawagochi/にて月刊「ビックリハウス」が世に公刊された経緯が詳細に披瀝され、まことに貴重な情報だと思われますが、現在はリンク切れの様子。
ここでは競合を避けるために、月刊「ビックリハウス」の別巻である季刊「ビックリハウス Super」が、季刊から月刊「スーパーアート悟空」へと変わる直前の最終号を紹介。
3誌を並べ立てて論じており、分かりにくくてすみません。検索の便宜を考え、タイトルのカタカナ表記も繰り返しています。
ビックリハウス Super(ビックリハウススーパー:ビックリハウス別冊)、季刊
発行:パルコ出版
編集:エンジンルーム
編集人:榎本了壱
出版期間:第1号(1977 [昭和52] 年1月)〜第9号(1979 [昭和54] 年2月)
後継誌:スーパーアート(第1〜7号)、後にスーパーアート悟空(スーパーアート Gocoo/スーパーアートゴクー、あるいはスーパーアートゴクウ:第8〜23号)、月刊
第1号(1979 [昭和54] 年5月)〜第23号(1981 [昭和56] 年3月)
ビックリハウス Super 第9号 (Spring 1979)
ビックリハウス別冊
JPC展作家競作集
1979(昭和54)年2月10日刊(春期号)、580円
表紙イラストレーション:中山泰
pp. (1)-2 目次
pp. (3-4) 広告
pp. 5-14 国際現在美術館 International Contemporary Museum 巨匠漫画展
p. 5 「偏執狂的批判的こまわり - サルマネール・ダレ」、島田勲
p. 6 「赤兵衛の叫び(フギャーッ!) - エドバーロ・モンク」、菊地弘光
p. 7 「耳を切る前の自画像 - ファン・コッホ」、河合悌市
p. 8 「摩訶呂尼法蓮僧之図 - 陳方志切」、小長谷朗彦+西田猛
p. 9 「スポーツカーを運転する天才バカボン - ノーミン・コックウェル」、中村豊
p. 10 「サラリーマンのいる風景1・2 - ヘルナール・ビュッファ」、マエダ・ヒオミ
p. 11 「パスカルの群れの少女 - ボール・ゼサンヌ」、山口せえご
p. 12 「つる姫の予感 - ネル・マグネット」、小林友征
p. 13 「キャプテン・ハーロックとクイーン・エメラルダス - モジリ・アネ」、竹林賢二
p. 14 「太陽の鉄兵 - 岡木大郎」、宮沢一郎
pp. 15-20 雑誌表紙パロディ
p. 15 「暗しの手帖 - 首つりひもは、どこのメーカーがよいか」、山県旭
p. 16 「太相撲 - 月面場所総決算号」、和田哲裕
p. 17 「COOKIN’ON - ミック・ジャガイモスープの作り方ほか」、八木沢重之
p. 18 「侍とメルヘン - 侍はタフでなければ生きられない」、浅野泰弘
p. 19 「ビッグ・クミッコ - <ブロマイド・レディ>」、浜崎哲治+酒井隆晴
p. 20 「ぷあ - 食後の静かなブーム『プアプリン』」、塩谷秀行+柴山宜康
pp. 21-27 特集 シーク・ア・ワード(言葉探し) Seek a word
p. 21 「アリスの生き物探し」、柳瀬尚紀
p. 22 「わが犬ピュスのあだ名いろいろ」、名木田恵子
p. 23 「レコード・レーベル」、大瀧詠一
p. 24 「小説のように」、日向あき子
p. 25 「言語の権化」、窪田僚
p. 26 「国定忠次の歌」、明石町先生
p. 27 「航海記」、日下部真紀子
pp. 28-29 「異見絵画論:レオナルド・ダ・ヴィンチ」、火野鉄平
pp. 30-31 月刊ソピカ10大公募規定
(「ビックリハウス SUPERは4月1日刊(5月号)より、ソピカと誌名も新たに月刊化します」)
p. (32) Seek a word 解答
pp. (33-34) 日刊どうも
pp. 35-36 日刊ちょっとスポーツ
pp. 37-39 「発想法について7」、戸村浩
pp. 40-41 「福田繁雄のグラフィック・トーア7 プルッツルと正十五面体」、福田繁雄
pp. 42-43 「迷図」、関三平(Maze No. 78)
pp. 44-49 「アメリカを遊園地と勘違いしては困る:アダルトコミックスの背景にあるもの」、マッド・アマノ
pp. 50-51 「映画=ナショナル・ランプーンのアニマル・ハウス」(執筆者不詳)
pp. 52-59 「シンボルマーク II」、制作=安部清次、マエダ・ヒオミ、山県旭、河合悌市、清水和男、加藤順一、南部俊安、武田学、吉川晶子、平野内智彦、宮沢一郎、和田哲裕、戸瀬秀昭、山下雅章、坪谷一利、清水健司
p. 52 安部清次、マエダ・ヒオミ
p. 53 山県旭、マエダ・ヒオミ
p. 54 清水和男、加藤順一、河合悌市
p. 55 マエダ・ヒオミ、加藤順一、安部清次
p. 56 山県旭、平野内智彦、加藤順一、南部俊安+武田学+吉川晶子、マエダ・ヒオミ、戸瀬秀昭
p. 57 山県旭、マエダ・ヒオミ、宮沢一郎、和田哲裕、加藤順一
p. 58 山下雅章、坪谷一利、清水健司、平野内智彦、南部俊安+吉川晶子、加藤順一
p. 59 坪谷一利、平野内智彦
pp. (60)-65 「ヴィジュアル・ファンタジイの新しい展開:コミックスとイラストレーションのあいだ」、小野耕世
pp. (66-68) 広告
pp. 69-73 ベスト・オブ・ビックリハウス1978、パロディ・コマーシャル総集編
p. 69 荒井孝昌、杉谷博士、桜桃太、富谷弘彰、甲斐智子、杉谷博士
p. 70 薬師神良行、小野寺紳、江渡加奈、高橋おさむ、水野はるみ、森多たかし、荒井勉、やなぎけいこ
p. 71 とみやひろあき、高橋浩徳、渡辺一恵、ゲランの光子、片桐沙恵子、辻昌宏、薬師神良行、きだまきし
p. 72 杉谷博士、村山晃史、モタイタカヒデ、斉藤淳一、加藤謙二、坂田洋子、のともあきら、高橋健治
p. 73 富谷弘彰、ジェントリー富沢、清水良郎、富谷弘彰、岩崎信幸、荒井雅視、権田均、のともあきら
pp. 74-79 ベスト・オブ・ビックリハウス1978、月例フォト・コンテスト総集編
p. 74 「あっち向いてホイ!」名和誠、「いらっしゃいませ!」金原司、「僕陸上部です。足? もちろん自信あります」おヨシ坊金時、「これ5杯が限度かな?」小林孝次
p. 75 「非常口」後藤大和、「燃料補給中」岡本史郎、「うっ、わ、我家が…」早坂幸一、「うっ、中々取れないこのマスク」石井文也、「誰でんねん。わてが、ねてる間にたんこぶ作ったのは!!」望月主悦、「我ら、偏向世代ッ!!」岩田邦彦、「立たされ坊主」曽根浩、「今月のベスト5」小野寺紳
p. 76 「非情ブレーキ!!」岡本省司、「すみからすみまでずずずいと……」小貝高妙子・和子、「ぼっ木」佐藤彰洋、「僕は、寝る子は育つという諺を信じております」中島弘人、「住宅難」金井康子、「親分、ほらあそこにUFOが!」坂田ピコ、「観察結果! 左より震度2、震度3、震度5!!」池田陽一、「人種差別ハンタ〜イ! 黄色人種だって駐車させてよ!」いまいずみゆう
p. 77 「新カップル––愛があれば年の差なんて……」杉谷博士、「僕写真写り悪いんだ」長尾勉、「異母兄弟」大島博、「これ本物の心霊写真でしょうか?」岡本幹哉、「ちきしょう! 接着剤が、効いてきやがった!」安藤岳志、「面白半分」中村幸一郎、「出口まで10ヶ月要!!」柳恵子、「無視––かわいそうな先生」(投稿者名記載なし)
p. 78 「オルカ」川崎豊志、「ママ、ここにもおしりがあるョ」山崎まこと、「今からうんこするんだから見るなよ」「うん」山口茂、「ワッハハ、ワシがミルク会社の社長じゃ」増田辺伊志代、「風見猫」井川正貴、「次の一手」高橋浩徳、「アンチ・ジャイアンツ」大木孝威、「金とひまをもてあます」三宅由希児、「母ちゃん! 長らくお世話になりました。わたしお嫁に行きます」高田風子、「ウ〜ウォンテッド!!」萩原麻理子、「愛してるよ」「あら、そんな所さわっちゃダメ!」石川よしあき、「キミ、そのヒゲはどうにかならんのかね!?」小野寺紳
p. 79 「石油のおじさん、タンクの栓が抜けとるで〜!!」上野智、「ある夏の暑い日」佐川光夫、「世界を股に掛ける男」長尾勉、「恐怖の受験地獄…か、か、顔まで脳味噌に……」長尾勉、「ホームシック」船越重子、「フィルム逆に入ってるの!」佐久間鉄朗、隔月刊・小説怪物広告
pp. (80-84) 広告
pp. (85)-91 スーパーパース
p. (85) 「牛野屋インド支店」、片上晴夫+旦昌弘
p. 86 「クラウンライタービル」、坪井泰彦、「走り過ぎた新幹線」、片上晴夫+旦昌弘、「人民寺院東京支部」、加藤順一
p. 87 「新宿新幹線」、加藤順一
p. 88 「世界的住宅難」、吉田良三、「新発売超大型冷蔵庫」、吉田良三、他
p. (89) 「(う〜ん、チョコレートまであともう少し……)」、加藤順一
p. 90 「グランドキャニオンの四代首領」、福田直美、「(なんだなんだ)」、加藤順一
p. 91 「スターダム1978」、横山新一
pp. (92)-(97) 「木村恒久のヴィジュアル・スキャンダル7 氷河期」、木村恒久
pp. (98)-100 「マッド・アマノのHOW TO パロディ6 政治の巻」、マッド・アマノ
pp. (101-102) 広告
p. (103) 季刊ビックリハウス SUPER バックナンバー
p. (104) 編集ノート、誌名改変予告
ページ数が印刷されていない場合にはカッコ内で表示。
個人による多数の投稿がうかがわれ、かつての諸作品は年月を経た後も投稿者によってネット検索がなされるかもしれないという点を勘案し、ここでは情報を比較的詳しく記載しました。
国立国会図書館や大宅壮一文庫、あるいは米沢嘉博記念図書館をもとに2014年度の完成をめざしている明治大学国際マンガ図書館等も、
「ビックリハウス」
「ビックリハウス Super」(別巻)
「スーパーアート悟空/Gocoo」(別巻後継誌)
といった3誌の全巻を、今のところ収蔵していない様子だと思われます。当時、ゲリラ的に出版されたことを良く示している有様。特に国立国会図書館法の納本制度は守られていないわけです。
若い頃に熱意を抱き、当誌に原稿を投稿された方々にとってはたいへん残念な状態。改善が望まれます。
月刊「ビックリハウス」の簡単な書誌については以下の通り。
ビックリハウス
発行:パルコ出版
編集:エンジンルーム
第1号(創刊号):1975(昭和50)年1月~第130号(最終号):1985(昭和60)年11月;
第131号(復刊号):2004(平成16)年1月。
なお関連書として「ビックリハウス驚愕大全」(1993 [平成5] 年12月)の他、「BH」や「小説怪物」といったシリーズなども出ているはずです。他に、音版ビックリハウスというものもあるらしい。
当方はこれらについて知識を持っておりません。詳しい事情を御存じの方から御教示いただけましたら幸いです。
2012年9月12日水曜日
Moon 2005
世界遺産に指定されているタンザニアのキルワ島へ行く機会を得ました。東アフリカの沿岸に属し、島々が点在して珊瑚礁が発達しているこの場所は港湾の設営にも適しているため、古来から海外交易によって栄えた場所。
案内役を務めてくださったのは、このキルワ島について学位論文を執筆されている人類学者の中村亮先生(総合地球環境研究所)で、もしもたったひとりで行ったとしたら到底見ることができない遺跡をたくさん拝見することができました。予定されていた現地での御自身の研究もあったと思われますが、わざわざダル・エス・サラーム空港までお迎えいただいた後、キルワ島への移動と滞在で数日間行動をともにしていただき、貴重なお時間を割いてくださったこと、また遺跡にて詳しい専門的な御説明を逐一賜りました点について厚く御礼申し上げます。
もともとエジプト・シナイ半島南部に残存する珊瑚造建築の調査に関わっていたことを機縁とした比較調査です。古代エジプトの石造建築は非常に有名ですが、クセイルやシナイ半島南部のラーヤあるいはトゥールなどの沿岸部において珊瑚を用いた建物が残っていることは、あまり知られていません(cf. Le Quesne 2007)。
一方で、Greenlaw 1976の報告によりスーダンの交易港サワーキン(スアキン)における珊瑚造の建物群は有名で、建築構法としてどのような違いがあるのかどうかが気になるところです。
以下の本はキルワ島に残存する遺跡の様相を簡潔にまとめたもので、上空からのカラー写真も多く交えており、参考になります。キルワ島をこれから訪れようと考えている方々に役に立つことは間違いありません。各遺構の平面図もカラーで掲載されています。見やすい地図の他、CGによる復元図もいくつか紹介されており、往時の姿を知ることもできます。高さ20センチ、幅21センチのほぼ正方形の薄い判型で、持って歩くのにも便利。重宝します。
Karen Moon,
Kilwa Kisiwani: Ancient Port City of the East African Coast
(Ministry of Natural Resources and Tourism: Dar es Salaam, 2005)
68 p.
Contents:
Introduction (p.9)
Historic Sites (p.13)
Malindi Mosque and Cemetery (p.13)
Gereza (Kilwa's Fort) (p.15)
Makutani (p.18)
Tombs of the Kilwa Sultans (p.22)
Jangwani Mosque and House (p.23)
Small Domed Mosque (p.25)
The Great Mosque (p.27)
The Great House (p.32)
Husuni Kubwa (p.35)
Husuni Ndogo (p.40)
Ancient wells (p.42)
Village and Island (p.44)
Kisiwani village (p.44)
Cultural Practices and Traditions (p.48)
Further Historical Sites of Kilwa Kisiwani (p.52)
Nature Walks (p.55)
Kisiwani in Context (p.61)
Other Sites of Kilwa Bay (p.61)
Related Sites of the Swahili Coast (p.64)
Chronology of Events (p.66)
Further Reading (p.68)
ただ難点を述べるならば、あくまでも一般向けの薄い書籍なので、建築遺構のどこが面白い点なのかを具体的に知ることは難しいと思われます。
逆に、この本で触れられていない点を探し出して図を交え、説明することが、あるいは一般に対して建築史の全体の流れをより分かりやすく語ることができるのかもしれません。
特に柱を林立させ、各ベイ(格間:4本の柱によって囲まれた部分)の天井形式に変化を持たせている大モスクを見る時、そう感じます。
ここでは各辺の長さが微妙に異なる長方形平面の上に載せられた楕円形のドームとヴォールト vault の天井の併用が見られ、天井近くの壁体上部にはペンデンティブ、また柱間には半円アーチとポインテッド・アーチ、さらには外壁にリンテル・アーチ lintel arch(フラット・アーチ flat arch)なども多々観察されて、西洋の主要な建築構造の流れを説明するには最適。ひとつの遺構に、全部が集まっている状況です。
なお、平らなアーチすなわちフラット・アーチや、「平らなヴォールト屋根(!):フラット・ヴォールト」については、Fitchen 1961やRabasa Diaz 2000を参照。
東アフリカ沿岸に残る遺構としては画期的な巨大なドームが、この建物の一隅にかつては存在したという報告もなされています。
列柱廊におけるドームの建設についてはこの場合、小規模であり、おそらくは土砂を積み立てて仮設の土台を造ったのでは。ドームやアーチを架構する場合には足場が必要とされるわけですけれども、ひとつひとつの楕円形のドームのライズ(高さ)や曲率が異なるように見受けられ、同じ木製の型枠を使い回したとは考えにくいと推察されます。この点については今後の研究の進展が望まれます。
小モスクの片隅で見られる、井戸から汲み上げた水を建物内に導き入れるための水路も貴重。キルワ島の遺構全般に見られることですが、水に関する諸施設が良好に残存している点は特記されるべきだと思われます。水浴施設と便所が高度に整備されていたことを今日まで明瞭に伝えており、詳細な報告がおこなわれるならば注目を集めるのではないでしょうか。
この方面の研究はあまり進んでいない状態で、古代ローマ建築の包括的なトイレの研究に関してはHobson 2009がようやく近年初めて刊行されており、そこで見られる遺構例との類似点が面白いと感じられます。井戸に頼るしかない生活であったにも関わらず、衛生設備の付設がキルワ島では十全に図られたということを指し示しているように見受けられます。古代エジプトにしても、アマルナの住居遺構(Borchardt und Ricke 1980; cf. Tietze ed. 2008)や、メディネット・ハブ(マディーナト・ハブー)すなわちラメセス3世葬祭殿の附属小宮殿(cf. Hölscher 1934-1954)などにしか残っていません。
この島の建築ガイドブックをもし簡明に執筆する機会を得たとしたら、何を書くべきか。
さまざまな思いが去来します。面白く書くことは可能かもしれない。キルワ島に残る遺跡を通じ、西洋建築史の古代から中世までの流れを建物の構造という視点から描くこと。しかしそれはこの島にひっそりと平和に佇む遺構の何かを破壊する契機へと繋がるような気もします。
電気も水道もないこの地では、久しぶりに満天の星々を見ることができたのが印象に残りました。星など見えなくなっても一向に困らない生活を現代人は加速している、ということを改めて実感した数日の滞在でした。
2012年9月4日火曜日
Russo 2012
古代エジプトの第18王朝に活躍した建築家カーは、いったい何者であったのかを詳細に調べ上げた論考です。
職長であり、建築家であったカー(Kha)は、アメンヘテプ2世からアメンヘテプ3世の時代を生きたディール・アル=マディーナ(デル・エル=メディーナ)の住人で、イタリアの偉大な考古学者エルネスト・スキアパレッリ(Ernesto Schiaparelli)によってカーとその妻メリトの未盗掘の墓が20世紀の初頭に発見されました。多数の副葬品はトリノ・エジプト博物館に収蔵されています。この博物館における主要展示品のひとつ。
ディール・アル=マディーナは第18王朝から第20王朝にかけて栄えた職人たちの集合住居で、彼らの仕事は王家の谷や女王の谷に岩窟墓を造営することでした。
オランダ・レイデン(ライデン)にある学術機関が非常に緻密な研究を進めていますが、第18王朝における公開資料は少なく、今後の進展が望まれるところ(cf. Tosi 1999)。
Barbara Russo,
Kha (TT8) and his Colleagues:
The Gifts in his Funerary Equipment and related Artefacts from Western Thebes.
GHP Egyptology 18
(Golden House Publications (GHP): London, 2012)
v, 98 p., 8 color pls.
Table of contents:
Introduction (p.1)
Chapter 1. The discovery (p.3)
Chapter 2: Analysis of the artefact (p.9)
The "gifts": nature and documentation
The gift cubit rod of Amenhotep II
The senet-board and a walking stick of Neferhebef et Banermer(u)t
The walking stick of Neferhebef
The statue group A 57, Musée du Louvre, Paris
The funerary scene of TT 8
The "gold of favour"
The scribal pallete of Amonmes
Excursus: the title imy-r k3(w)t nbt nt nswt
The bronze cup with cartouche of Amenhotep III
The vase of Userhat
The walking staff of Khaemuaset
Chapter 3: The artefacts found outside the tomb (p.49)
Ostracon 5598, Hermitage Museum, St. Petersburg
Ostracon SR 12204, Egyptian Museum, Cairo
Graffiti nos. 1670 and 1850 from the Theban mountains
Stela BM EA 1515, British Museum, London
Jar-labels from Malqata
Chapter 4: Suppositions concerning the Great Place (p.64)
The identity of Kha: datable elements
Kha's family
Kha's career
Titles composed with st '3t
ḥry (n) st-'3t
imy-r k3(w)t n st-'3t
sdm-'š n st-'3t
sš nsw n st-'3t and sš n st-'3t
Conclusions (p.77)
Abbreviations (p.79)
Bibliography (p. 79)
Index (p.95)
目次の第2章のところでは僅かな編集上の誤記があるようで、上記の目次は本文に見られる項目名を尊重するように努め、転記をおこないました。
キュービット・ロッドに記されたヒエログリフを紹介している10ページでは、訂正の紙片が貼り付けてあって、これも校正が行き届かなかったことを示しています。でも、大した問題ではありません。
序文には「2006年に開催された会議 "Ernesto Schiaparelli e la tomba di Kha" で発表した内容をもとに展開した」と書かれており、以降も継続して入念な研究が進められた様子。巻末の参考文献では400タイトル近くの充実した文献がリストアップされており、その粘り強い努力のあとが示唆されます。
カーの墓から見つかった品々のうち、情報量が多くうかがわれるもの、特に王名が記された副葬物を中心に分析を始めており、次いで海外の博物館に収蔵されているカーに関連した遺物を検討。さらにはオストラカや、テーベの谷で見つかっているグラフィティ(Graffiti de la montagne thébaine 1969-1983)といった文字史料の中からカーに関する記述を探し出して考察を加えています。アメンヘテプ3世のマルカタ王宮から出土したジャー・ラベルにも言及しているのが注目されるところ。
最後近くでは、
"Judging by the value of some of Kha's objects it can be argued that he was of middle-high rank status."
(p.69)
と論じており、カーの社会的な地位が諸資料の吟味をもとに推測されています。
エジプト学のオーソドックスな方法を踏襲しながら、カーの肩書き(タイトル)の検討などを経て追究の成果が披瀝されており、好著となっています。
関連文献としては、Schiaparelli 1927やMoiso 2008などでしょうか。
比較的最近に刊行が始まったGHPから出版されているエジプト学のモノグラフのシリーズをさらに面白くしている最新刊で、この領域に興味を持たれている方にはお薦めの本です。