西本真一 エジ本
時として書誌の欧文特殊記号などを無視します
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古代エジプト、新王国時代
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2014年7月1日火曜日
Kemp and Garfi 1993
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古代エジプトで一時期栄えた首都アマルナに関し、卒業論文のテーマとして考えたいと願う大学4年生は多いのですが、読むべきものがたくさんあって、テーマを絞ることがまず重要だと思われます。 はじめはこんなに既往研究が多くありませんでした。ピートリーが19世紀末にアマルナの王都跡を発...
2014年5月23日金曜日
Senigalliesi 1961
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トリノ・エジプト博物館に収蔵されている古代エジプトのものさしを、厳密に測って報告している論文。古代エジプトのものさしを、たとえば"Egyptian cubit"といったキーワードを使ってインターネットで検索すると時々、参考文献リストの中で出会う論考です。 ...
2014年5月22日木曜日
Caramello 2013
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古代エジプトの第18王朝末、複数の王に仕えた建築家カー( Kha )とその妻メリト( Merit もしくは Meryt )の墓TT8は、20世紀初頭に E. スキアパレッリ により未盗掘の状態で発見されました(cf. Schiaparelli 1927 ; Moiso (ed....
2014年5月15日木曜日
El Gabry 2014
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早稲田大学の河合望さんから教えていただいた本。 ジョンズ・ホプキンズ大学に提出された博士論文をもとにして出版された書です。著者は現在、ヘルワン大学の准教授。 BAR のシリーズについては以前、 Lander 1984 や、 B AR (Breasted, Ancient ...
2012年9月25日火曜日
Vogelsang-Eastwood 1999
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歴史上からその名前が抹殺されていた少年王ツタンカーメン(トゥトアンクアメン)の墓が、かつては細々と水彩画の模写をエジプトで続けたりしていたハワード・カーターによって発見されたのが1922年。今年は発見90周年ということになりますでしょうか。 ツタンカーメンの墓から出土した膨大...
2012年9月4日火曜日
Russo 2012
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古代エジプトの第18王朝に活躍した建築家カーは、いったい何者であったのかを詳細に調べ上げた論考です。 職長であり、建築家であったカー( Kha )は、アメンヘテプ2世からアメンヘテプ3世の時代を生きたディール・アル=マディーナ(デル・エル=メディーナ)の住人で、イタリアの偉大...
2012年7月26日木曜日
Kozloff, Bryan, Berman, et Delange 1993
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「アメンヘテプ3世展」は1992年から1993年にかけて開催された巡回展。クリーヴランド美術館を始めとして、次にはルイス・カーンの設計で有名なフォートワースのキンベル美術館に会場が移され、最後はフランスへ飛び、パリのグラン・パレで締め括られました。 周到な準備が重ねられた企画...
2012年7月23日月曜日
Schiff Giorgini, Soleb [5 vols.] (1965-2003)
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ツタンカーメン王の祖父に当たる新王国時代第18王朝のアメンヘテプ3世の治世は古代エジプトの黄金時代であったと言って良く、特にこの王は大規模な記念建造物を各地にたくさん建てました。第19王朝のラメセス2世は「建築王」としばしば呼ばれましたが、アメンヘテプ3世による派手な活動の真似...
2012年7月9日月曜日
Caminos 1954 (Caminos LEM)
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リカルド・カミノスの博士論文。 日本でどこの研究機関が洋書を所蔵しているかを検索できるはずの webcat で今、検索してもこの本は出てきません。しかし以前、筑波大学図書館で確かに読みました。サイバー大学図書室も持っています。ここから借り出して、久しぶりに目を通してみました。...
2012年4月2日月曜日
Tosi 1999
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古代エジプトにおける貴族墓に収められた数々の副葬品の量と質によって、彼らが当時占めていた社会的な地位の高さが推し量れるのではないかという論議は昔からありましたけれども、それを数理学的に扱えないかという問いがあって、その土台を構築したのが J. Janssen の主著。 J...
2012年3月5日月曜日
Rammant-Peeters 1983
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OLA のシリーズの中の知られた一冊。 新王国時代の神殿型貴族墓(tomb chapel:トゥーム・チャペル)の背後には、せいぜい高さが数メートルの、小さな規模のピラミッドが造られました。かつてピラミッドは王の墓であったわけですが、新王国時代に至るとその伝統が途絶え、代わりに貴族...
2011年12月31日土曜日
Shoukry 2010
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マルカタ王宮に関する最新の論考。 「マルカタ」の綴りは、この論文では"Malqatta"となっており、ここにはアラビア語の表音についての普遍的な難しい問題と、地名の意味をあらわす努力、及びマルカタが位置するルクソールの現地での方言の表記の問題が同時にあらわれ出...
2011年9月24日土曜日
Hayes 1935
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William Hayes の博士論文です。 新王国時代の第18王朝に属する王たちの石館に刻まれている碑文が、古王国時代のピラミッド・テキスト、中王国時代のコフィン・テキスト、またパピルスに記された「死者の書」などと密接な繋がりがあり、長い歴史を引き継いでいることを伝えています。...
2011年9月21日水曜日
Graffiti de la montagne thébaine (1969-1983)
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テーベ西岸の懸崖などにうかがわれる新王国時代のグラフィティ(落書き)を集成したもの。 エジプトのドキュメンテーション・センター、Centre de Documentation et d'Études sur l'Ancienne Égypte ( CEDAE )の...
2011年5月21日土曜日
Tylor 1898
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小さな建物であっても、何年も経ってから、やはり重要だと改めて認識されるものは少なくありません。 エル・カブにあるアメンヘテプ3世の小神殿も、そのひとつ。観光客は至って少なく、レストハウスも一応作られていますけれども、開店している時があるのかどうか不明。 古代エジプト建築の本には、...
2010年11月30日火曜日
Vassilika 2010
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トリノのエジプト博物館へ2年ぶりに行ってみたら、建築家カーとその奥さんのメリトの墓(TT 8)から出土した遺品の展示室が、何倍も大きい別の広間へと移動していました。この夫妻、新王国時代の第18王朝末を生きた上流階級の者たちです。たくさんの家具類が見つかったことで、古代家具史の世界...
2010年10月30日土曜日
Kákosy et al. 2004
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ハンガリー隊による、テーベの私人墓ジェフティメス(TT 32:ラメセス2世時代)に関する2巻本の報告書。 ハンガリーによる古代エジプト調査の歴史は100年を超えており、その過程はたとえば、 Vörös 2007 が個人史と重ねあわせながら示しています。 Studia Aegypt...
2010年7月10日土曜日
Roehrig et al. (eds.) 2005
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エジプトの最も華やかな時代において強大な権力を握った女王のひとり、ハトシェプストに関する展覧会のカタログです。 展覧会はサンフランシスコ美術館、ニューヨーク・メトロポリタン美術館(以下、 MMA )、フォートワース・キンベル美術館の3箇所にて開催されました。いずれもアメリカ...
2010年7月4日日曜日
Kemp and O'Connor 1974
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水中考古学の専門誌に掲載された、アメンヘテプ3世のマルカタ王宮調査に関する重要な調査報告。マルカタ王宮に関する報告の数は、それほど多くはありません。アクエンアテン(アケナテン)によるアマルナ王宮とは大きく異なる点となります。 アマルナ王宮調査は最初にピートリが手がけ、その後にドイ...
2010年6月27日日曜日
Bleiberg and Freed (eds.) 1991
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ラメセス2世に関する国際シンポジウムの記録。本の題名は、イギリスの代表的な詩人シェリーの、非常に有名な詩の一節から採られています。 E dward Bleiberg and Rita Freed eds., Fragments of a Shattered Visage: T...
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