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2014年5月10日土曜日

Garlake 1966


タンザニアに残るイスラーム時代の建築遺構に関しては、まず第一に挙げられて然るべき重要な書です。キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群はユネスコの世界遺産に指定されていますけれども、水道も電気もないところの遺跡ですので、滞在してゆっくり見ようと試みる方は苦労するのでは。

当地を長く研究されてきた人類学者の中村亮先生に先導していただきながらソンゴ・ムナラを訪れた際には、モーターボートをチャーターし、また島の砂浜に着いてからは長く続くマングローブの密林を縫う道を歩いて通ったのですが、夕方には潮が満ちて来てこの道は水没し、同行者の中には腰までびしょ濡れになる人もいました。
Moonによるキルワ・キシワニ遺跡の便利なガイドブックが出ています。

Peter S. Garlake,
The Early Islamic Architecture of the East African Coast.
Memoir Number 1 of the British Institute of History and Archaeology in East Africa.
Nairobi and London, Oxford University Press, 1966.
x, 207 p.


Contents:

Foreword (v)
Preface (vii)
List of Plates (viii)
List of Figures (ix)

I  Introduction (p. 1)
II  Materials and Techniques of Construction (p. 15)
III  Vaulted Structures (p. 30)
IV  Applied Decoration (p. 42)
V  Archaeological Evidence (p. 53)
VI  Mihrab Design (p. 59)
VII  Mosque Planning (p. 76)
VIII  Domestic Buildings (p. 87)
IX  Origins of the Coastal Architecture (p. 113)

Appendix I: Detailed Study of Songo Mnara (p. 118)

Selected Bibliography (p. 120)

Figures (p. 123)
Index (p. 203)

キルワについては考古学者Chittickによる2巻本が出版されており、基本文献となります。

H. Neville Chittick,
Kilwa: an Islamic Trading City on the East African Coast, 2 vols.,
Nairobi, British Institute in Eastern Africa, 1974.

Chittickは1984年に亡くなりましたから、今年は彼の死後30周年に当たります。GarlakeChittickの下で建築遺構の調査を続け、先にその成果を単名で出版したことになります。Garlakeが32歳の時の著作。
この本でまず注目されるのは巻末に収められた80枚以上の建築図面で、このうちのいくつかは大判の折込図面ですから、図書館にコピーを依頼しても受け付けてくれるかどうか、難しいところ。図面の発表だけで済ます手もあったと思いますけれども、まだ誰も詳しく述べていなかった建築の記述に、彼は情熱を注いでいます。

"The author is not in any way a specialist in the history of the East African coast, the dating of Islamic and Far Eastern ceramics or in the architecture of Islam and was, indeed, a complete novice in these fields before starting this research work."
(Preface, vii)

と前書きでまず述べられており、作業は大変であったでしょう。サンゴ造建築という、あまり知られていない建物のどこを見てどう報告するか、分からないことばかりで迷った部分があったかと思います。Greenlawによるサワーキンのサンゴ造建築の報告は、遅れて10年後の1976年に刊行されました。
たぶん、彼はLugli 1957などの、古代ローマ建築の構法を記した書に目を通していたと思われ、建材の積み方によって年代が判別できる可能性などを知っていたに違いありません。
その一方で、

"It is basic to the understanding of the coastal architecture to see the difference between the architecture of an "architect" and that of a "master builder" or competent artisan. To over-simplify cruelly, it is the difference between "art" and "folk art" or "peasant art". If architecture is "firmness, commodity and delight", the first two qualities are those provided by a master builder, and are outstanding attributes of the coast, but the latter---delight---is only truly possible by creative design and is missing in all the coastal architecture."
(p. 12)

といった難題が取り上げられており、これは建築に携わっている人間だけが考える問題で、建築の報告書にこういう文を記載しているのが若いGarlakeによる本の見どころともなっています。考古学者たちの間で建築報告書を書いた建築畑の人の著作は何冊もあるのですが、でも初心者の悩みとともに、自分が報告書を刊行する以上、やりたい建築学的なことを全部出す、という姿勢がとても鮮明で、僕にとっては忘れ難い報告書です。

なお奥さんも考古学者で、遺跡の大型模型を一生懸命作ったり手助けしたことが知られ、微笑ましい(pls. XIV and XV, "Palace of Husuni Kubwa")。


2012年9月12日水曜日

Moon 2005


世界遺産に指定されているタンザニアのキルワ島へ行く機会を得ました。東アフリカの沿岸に属し、島々が点在して珊瑚礁が発達しているこの場所は港湾の設営にも適しているため、古来から海外交易によって栄えた場所。
案内役を務めてくださったのは、このキルワ島について学位論文を執筆されている人類学者の中村亮先生(総合地球環境研究所)で、もしもたったひとりで行ったとしたら到底見ることができない遺跡をたくさん拝見することができました。予定されていた現地での御自身の研究もあったと思われますが、わざわざダル・エス・サラーム空港までお迎えいただいた後、キルワ島への移動と滞在で数日間行動をともにしていただき、貴重なお時間を割いてくださったこと、また遺跡にて詳しい専門的な御説明を逐一賜りました点について厚く御礼申し上げます。
もともとエジプト・シナイ半島南部に残存する珊瑚造建築の調査に関わっていたことを機縁とした比較調査です。古代エジプトの石造建築は非常に有名ですが、クセイルやシナイ半島南部のラーヤあるいはトゥールなどの沿岸部において珊瑚を用いた建物が残っていることは、あまり知られていません(cf. Le Quesne 2007)。
一方で、Greenlaw 1976の報告によりスーダンの交易港サワーキン(スアキン)における珊瑚造の建物群は有名で、建築構法としてどのような違いがあるのかどうかが気になるところです。

以下の本はキルワ島に残存する遺跡の様相を簡潔にまとめたもので、上空からのカラー写真も多く交えており、参考になります。キルワ島をこれから訪れようと考えている方々に役に立つことは間違いありません。各遺構の平面図もカラーで掲載されています。見やすい地図の他、CGによる復元図もいくつか紹介されており、往時の姿を知ることもできます。高さ20センチ、幅21センチのほぼ正方形の薄い判型で、持って歩くのにも便利。重宝します。

Karen Moon,
Kilwa Kisiwani: Ancient Port City of the East African Coast
(Ministry of Natural Resources and Tourism: Dar es Salaam, 2005)
68 p.

Contents:

Introduction (p.9)

Historic Sites (p.13)
Malindi Mosque and Cemetery (p.13)
Gereza (Kilwa's Fort) (p.15)
Makutani (p.18)
Tombs of the Kilwa Sultans (p.22)
Jangwani Mosque and House (p.23)
Small Domed Mosque (p.25)
The Great Mosque (p.27)
The Great House (p.32)
Husuni Kubwa (p.35)
Husuni Ndogo (p.40)
Ancient wells (p.42)

Village and Island (p.44)
Kisiwani village (p.44)
Cultural Practices and Traditions (p.48)
Further Historical Sites of Kilwa Kisiwani (p.52)
Nature Walks (p.55)

Kisiwani in Context (p.61)
Other Sites of Kilwa Bay (p.61)
Related Sites of the Swahili Coast (p.64)

Chronology of Events (p.66)
Further Reading (p.68)

ただ難点を述べるならば、あくまでも一般向けの薄い書籍なので、建築遺構のどこが面白い点なのかを具体的に知ることは難しいと思われます。
逆に、この本で触れられていない点を探し出して図を交え、説明することが、あるいは一般に対して建築史の全体の流れをより分かりやすく語ることができるのかもしれません。
特に柱を林立させ、各ベイ(格間:4本の柱によって囲まれた部分)の天井形式に変化を持たせている大モスクを見る時、そう感じます。
ここでは各辺の長さが微妙に異なる長方形平面の上に載せられた楕円形のドームとヴォールト vault の天井の併用が見られ、天井近くの壁体上部にはペンデンティブ、また柱間には半円アーチとポインテッド・アーチ、さらには外壁にリンテル・アーチ lintel arch(フラット・アーチ flat arch)なども多々観察されて、西洋の主要な建築構造の流れを説明するには最適。ひとつの遺構に、全部が集まっている状況です。
なお、平らなアーチすなわちフラット・アーチや、「平らなヴォールト屋根(!):フラット・ヴォールト」については、Fitchen 1961Rabasa Diaz 2000を参照。
東アフリカ沿岸に残る遺構としては画期的な巨大なドームが、この建物の一隅にかつては存在したという報告もなされています。

列柱廊におけるドームの建設についてはこの場合、小規模であり、おそらくは土砂を積み立てて仮設の土台を造ったのでは。ドームやアーチを架構する場合には足場が必要とされるわけですけれども、ひとつひとつの楕円形のドームのライズ(高さ)や曲率が異なるように見受けられ、同じ木製の型枠を使い回したとは考えにくいと推察されます。この点については今後の研究の進展が望まれます。

小モスクの片隅で見られる、井戸から汲み上げた水を建物内に導き入れるための水路も貴重。キルワ島の遺構全般に見られることですが、水に関する諸施設が良好に残存している点は特記されるべきだと思われます。水浴施設と便所が高度に整備されていたことを今日まで明瞭に伝えており、詳細な報告がおこなわれるならば注目を集めるのではないでしょうか。
この方面の研究はあまり進んでいない状態で、古代ローマ建築の包括的なトイレの研究に関してはHobson 2009がようやく近年初めて刊行されており、そこで見られる遺構例との類似点が面白いと感じられます。井戸に頼るしかない生活であったにも関わらず、衛生設備の付設がキルワ島では十全に図られたということを指し示しているように見受けられます。古代エジプトにしても、アマルナの住居遺構(Borchardt und Ricke 1980; cf. Tietze ed. 2008)や、メディネット・ハブ(マディーナト・ハブー)すなわちラメセス3世葬祭殿の附属小宮殿(cf. Hölscher 1934-1954)などにしか残っていません。

この島の建築ガイドブックをもし簡明に執筆する機会を得たとしたら、何を書くべきか。
さまざまな思いが去来します。面白く書くことは可能かもしれない。キルワ島に残る遺跡を通じ、西洋建築史の古代から中世までの流れを建物の構造という視点から描くこと。しかしそれはこの島にひっそりと平和に佇む遺構の何かを破壊する契機へと繋がるような気もします。
電気も水道もないこの地では、久しぶりに満天の星々を見ることができたのが印象に残りました。星など見えなくなっても一向に困らない生活を現代人は加速している、ということを改めて実感した数日の滞在でした。

2009年9月26日土曜日

Greenlaw 1976 (reprint 1995)


紅海に面したスーダンの交易港スアキン(サワーキン)における、珊瑚ブロック造のイスラーム建築を扱った報告書。KPI社から出版される20年ほど前の1976年に、私家本という形式ですでに発表されていたとの注記が見られます。長い年月をかけて粘り強く建築調査が進められた成果の結実。
サンゴ造建築に関する、非常に有名な先駆けの書。しかしGarlakeの著作などへの言及はありません。

Jean-Pierre Greenlaw,
foreword by Mansour Khalid,
The Coral Buildings of Suakin:
Islamic Architecture, Planning, Design and Domestic Arrangements in a Red Sea Port

(Kegan Paul International, London and New York, 1995.
First published privately in 1976)
132 p.

Contents:
Preface, p. 6
Chapter One: The Town of Suakin, p. 8
Chapter Two: The Story of Suakin, p. 13
Chapter Three: Domestic Life in Suakin, p. 17
Chapter Four: Roshans; Casement Windows, p. 21
Chapter Five: Earlier and Larger Turkish Houses, p. 22
Chapter Six: Smaller Turkish Houses, p. 38
Chapter Seven: Zawias and Mosques, p. 62
Chapter Eight: Egyptian Style Buildings, p. 72
Chapter Nine: Military Buildings, p. 85
Chapter Ten: Building Methods, p. 87
Chapter Eleven: Woodwork, p. 103
Postscript, p. 132

建物の剛性を高めるために、壁体へ木材を積み入れて補強するというのが一番の特徴。壁体の厚さも地上階から上へ行くに従って順次、減じられます。高層の建物も実現されているというのが見どころ。
サンゴは切石を用いており、かなり質の高いものが使用されたことがうかがわれます。

近海の海にてなされたサンゴの調達は、石材と比べてどのような利点があったのかが面白い。石や木と同様に、割れやすい方向性を有する素材であったはずで、しかも内部に多数の細かな空孔を含んだ建材だから、断熱性も有利で、重量も比較的軽かったと思われます。
一方、もろいのが欠点で、たぶん細かな彫刻には向きませんでした。

日本でも、南島には同じ建築方法が見られます。まだ比較考察がなされていない分野。
キルワなどの西アフリカから、紅海を経てインド半島沿岸、そして日本に至る、活発な海上交通を前提として作られた建物群と言うことができます。しかし作り方は一様ではなく、地方色が豊か。
木材を組積造に補強として積み入れる方法はミノア時代から確認されているわけで、こうした世界を通覧する楽しみが今後、開けていくかもしれません。
「石切場」としての珊瑚礁にもこれから注目がなされるかと思われますが、これは水中考古学の領域でもあります。

2009年9月23日水曜日

Le Quesne 2007


エジプトの港市クセイルの城塞に関して述べた本。イスラーム時代に属するエジプトの、紅海沿岸の遺跡を詳しく扱った本として注目されます。
16世紀のオスマン朝に建造された砦ですが、何故、紅海沿岸にこのようなものが建てられたかと言えば、海を渡っての交易の拠点となっていたからです。ヨーロッパとアジアとを結ぶ交通路の途上の、紅海における要所でした。
クセイルはまた、古代エジプトにおける砂漠の道、ワーディ・ハンママートの紅海側の終端でもありました。ワーディ・ハンママートはナイル川と紅海とを東西に繋ぐ道で、面白いことに古代に記された地図が残っています。
クセイルはメッカへの巡礼の際にも、重要な役割を果たした土地。

Charles Le Quesne,
with contributions by Martin Hense, Salima Ikram, Ruth Pelling, Ashraf al-Senussi, Willeke Wendrich,
Illustrations by Tim Morgan and Julian Whitewright,
photography by Tim Loveless,

Quseir:
An Ottoman and Napoleonic Fortress on the Red Sea Coast of Egypt.
American Research Center in Egypt (ARCE) Conservation Series 2
(American University in Cairo Press, Cairo, 2007)
xxv, 362 p.

Contents:
1. Introduction and Background (p. 1)
2. Historical Background (p. 25)
3. Foundation and Early Occupation (1571-Late Seventeenth Century) (p. 45)
4. Late Ottoman Occupation (Eighteenth Century) (p. 87)
5. Napoleonic Occupation (1799-1800) (p. 97)
6. The Nineteenth and Twentieth Centuries (p. 147)
7. Finds and Specialist Reports (p. 169)
8. Final Discussion and Conclusions (p. 299)
Appendix: Description of the Town of Quseir and Its Vicinity (p. 319)

参考:360度パノラマ
http://www.360cities.net/image/quseir-fort-16th-c
http://www.360cities.net/image/fort-of-sultan-selim-quseir

サンゴも建材として用いていますが、これはトゥールのキーラーニー地区、あるいはラーヤ遺跡と同じです。紅海沿岸ではスーダンのサワーキン(スワキン)や、サウジアラビアのジェッダ、またヤンブーなどでサンゴ造建築は知られているものの、エジプト建築史では非常に稀で、特筆されます。サンゴを用い、紅海沿岸に砦を造った例としては、ラーヤの方が古く、規模もこちらの方が大きい。
この城塞が何故、正方形でなくて菱形になっているのか、ちょっと興味が惹かれるところです。地形の制約があったし、建物の正面をメッカに向けたかったと著者は述べていますが、他にも理由があったかもしれない。

この方面の研究者たちであるフランスのJ.-M. Mouton、あるいはアメリカのD. S. Whitcombたちの名と並んで、トゥールとラーヤを長年発掘してきた川床睦夫先生による各報告書も、本書のあちこちで引用されていますけれども、ただ執筆者は全部を見てはいない様子。

Mutsuo Kawatoko,
"Multi-disciplinary approaches to the Islamic period in Egypt and the Red Sea Coast",
Antiquity 79 (2005), pp. 844-857.

は、巻末の参考文献リストから抜け落ちています。
図版を多く含んだ本で、数ページはカラーで印刷されています。層位図等も掲載しており、第1期から第7期にわたる変遷を描こうとしていますが、もう少し分かりやすい図示が試みられても良かったかも。

クセイル遺跡の観光センターを立案するために調査がなされたという経緯が述べられていて、建築的な側面についてはMichael Mallinsonの名が挙げられています。この人はケンプのアマルナ調査にも参加している建築家。エジプト学に関わっているS. IkramやW. Wendrichも、それぞれの専門分野からの報告文を載せています。古代石切場の調査を進めているPeacockへの謝辞も見られ、エジプト調査の運営が厳しくなっている中で、協力関係を結んでいることが良く了解されます。

"Curtain wall"という用語を城塞の壁に対して使っていますが、窓の設けられていない、稜堡の重厚で高い壁を言い指したもの。今日の建築の世界で「カーテン・ウォール」というのは、高層ビルなどでただ吊り下げられるだけの、建物全体を支える構造的な意味あいにおいては何ら寄与しない壁のことを言うのであって、解釈が大きく異なり、違和感がありますけれども、ここでは軍事建築の専用用語としての「カーテン・ウォール」。ですから建築構造力学から見られる意味がまったく逆転します。
註を記したp. 327, note 4の、"This work was carried out carried out by Mallinson Architects,"というケアレスミスなどもいくつかあって、惜しまれるところ。
ARCEから出ているこのConservation Seriesはしかし、エジプトの遺跡に関する修復作業を一般読者に広めようとしている点で貴重です。