2009年7月31日金曜日

Crozat 1997


ピラミッドの組積に関わる原論を扱おうとした書。第1章で、ピラミッドに関連したこれまでの論を3つに大別し、建造技術に関わるものは第2章で、さらに3つに分類しています。こうした分け方が大胆。
ファルーク・ホスニによる序文つき。

Pierre Crozat,
Système constructif des pyramides
(Canevas, Frasne, 1997)
159 p., 1 tableau.

Table des matières:
Préface de Farouk Hosni, Ministre Égyptien de la Culture, p. 5
Introduction, p. 7

I L'état de la question, p. 15
A. Les théories mystiques, p. 16
B. Les théories pseudo-scientifiques, p. 21
C. Les théories constructivistes, p. 22

II Analyse critiques des théories constructivistes
A. Le système à rampes frontales, p. 25
B. Le système à rampes latérales ou enveloppantes, p. 36
C. Le système par accrétion et outils de levage, p. 40

III Esquisses d'une autre approche, p. 47
IV Notre raisonnement, p. 61
V Concept de construction, p. 83
VI Modélisation, p. 97
VII Rampe et Grande Galerie, p. 107
VIII Confrontation, p. 123
IX Hypothèse de l'exploitation de carrière, p. 137
X Conclusion, p. 147
XI Bibliographie sommaire, p. 151
Annexe: Tableau comparatif des assises de la Grande Pyramide, p. 153

J.-P. AdamJ. Keriselの考え方も紹介しており、珍しい。前者は古代ローマ建築を専門とする建築家・考古学者、また後者は地盤工学を専門とする研究者で、ピラミッドについて何冊も本を書いている人。筆者のCrozatは建築家・都市計画家で、だからこういう論考にも目を向ける余裕があるわけです。
考え方は独特で、まずはギリシア語で書かれたヘロドトスの「歴史」の抜粋から始め、

"Ainsi fut construite cette pyramide: quelques-uns appellent ce mode de faire les 'krossaï' et les 'bomides', une telle appellation [bomides] au début, après qu'ils construisent, une telle autre [krossaï]. Les pierres suivantes furent soulevées grâce à des machines faites de morceaux de bois court, en les enlevant de dessus le sol [pour les mettre] sur la première rangée de degrés..." (p. 48)

と、"krossaï", "bomides"の区別から出発。
その後、数式がいくらか出てきますので、覚悟が必要。
例えば68ページでは、

η Ση
1 - 1  1
2 - 3  1+2
3 - 6  1+2+3
4 - 10 1+2+3+4
5 - 15 1+2+3+4+5
6 - 21 1+2+3+4+5+6
7 - 28 1+2+3+4+5+6+7
8 - 36 1+2+3+4+5+6+7+8
9 - 45              +9
10 - 55               +10
etc.                   etc.

という階段状に並べられた数式があらわれます。これで驚いてはいけません。積み木を用い、実際にピラミッドの構築を縮尺1/50でやって見せています。

黄金比φや円周率πについて否定するために、足し算だけでピラミッドのかたちを正しく復原して見せている、そういう印象が与えられます。基本的な事項から考えるということが徹底され、目眩がする本。否定のために費やされている労力が尋常ではありません。
黄金比φや円周率πをピラミッド論の内に持ち込むことにはいびつさが感じられるわけですが、その反論にも同様のいびつさが押し出されている例。
しかしこうした論の、おおもとのモティーフは重要で、検討に値します。

ほぼ正方形の版型の、グレーの表紙のペーパーバック。
巻末に収められた大きな折り込みの図は、イタリア隊のMaraglioglio & Rinaldiによる図に加筆を施したもの。
クフ王のピラミッド内における諸室、あるいは上昇通廊でうかがわれる、いわゆる「ガードルストーン」の配置に、根拠を与えようとした考察も面白い。
ピラミッドを巡っての、こういった論が数年ごとに出てくるというところが、欧米の思考力の凄さです。
おそらく、この本の中で最も批判されているのはJ.-Ph. ロエール。エジプト学では高名ですが、論理としてはたいした解釈を提示できず、誤謬ばかりを撒き散らした張本人、という見解になるかと思われます。

Burchell 1991


古代家具の重要な本を出したHollis S. Bakerの家具会社の歩みを辿るとともに、それが同時に世界の家具史を語ることにもなっているという、風変わりな本です。
筆者は家具やインテリアを紹介する一般雑誌の編集を勤めた人。

Sam C. Burchell,
A History of Furniture:
Cerebrating Baker Furniture - 100 Years of Fine Reproductions

(Harry N. Abrams, New York, 1991)
176 p.

Contents:
Introduction, p. 6

The Long Pageant
Early Furniture, p. 18

The Golden Age
England, p. 34
France, p. 50
America, p. 64
The Industrial Revolution, p. 88
Modern Times, p. 108

The Art of Reproduction
The Baker Furniture Company, p. 128
Materials and Techniques, p. 146
The Factory Floor, p. 162
New Directions, p. 168

Bibliography, p. 172
Index, p. 174
Photograph Credits, p. 176

ほぼ各ページに1枚の図版が掲載されており、そのうちの75枚がカラー。
前近代の、機械の普及による手作業の駆逐と、これに抗う過去への憧憬、まったく新しい形態を生み出した近代の家具、並行して造られる様式を伴った家具の話などが、有名人たちを登場させながら語られていきます。

"Social life, clothing fashion, and many other aspects of everyday life are revealed in the decorative arts of any period of history, particularly in the furniture." (p. 14)

"He [=Italian cultural historian Mario Praz] goes on to suggest that "even more than painting or sculpture, perhaps even more than architecture itself, furniture reveals the spirit of an age." (p. 17)

といった表現の仕方が興味深く思われます。
ここでは家具というものの特殊なあり方が言いあらわされようとしており、文化に対する皮膚感覚のようなものが、とても大切に考えられていることが良く理解できます。
建築史と室内装飾史との分岐点であるのかもしれません。ベーカーの一生と、彼の思いを支えた時代背景がつぶさに描かれていて貴重。

2009年7月30日木曜日

Spencer 2009


大英博物館によるエジプトのナイル・デルタの都市に関する発掘調査の最終年次報告書。冊子体ではなく、電子版として配布する形式を取っています。カラー写真が豊富に使え、何よりも安く作成することが可能で、さらには世界中へ簡単に配布できるというのがポイント。
良いこと尽くめのようですが、まだ一般的な方法ではありません。長く残るかどうか、誰もが訝しく思っているところがあり、また改変も簡単にできるため、信頼性に欠けるという短所もあります。報告書では、基本的に改訂版を出すという発想がありません。
配信を考慮して容量を軽くしていますけれども、印刷して見たい向きには別途、連絡すれば送ってくれるようです。

A. J. Spencer,
with a contribution by Tomasz Herbich,
Excavations at Tell el-Balamun 2003-2008.
(2009)
109 p.

Contents:
http://www.britishmuseum.org/research/research_projects/excavation_in_egypt/reports_in_detail.aspx

調査の概要は、大英博物館のサイトで見ることができます。

http://www.britishmuseum.org/research/research_projects/excavation_in_egypt.aspx

欄外の註は設けず、すべて本文内で処理しています。レイアウトにあまり凝ってもしょうがないという考え方がなされており、いくらか詰め込んでいる印象。遺物の扱いも、無理して図化せずに、ただ写真を載せてキャプションに寸法を書き込むという方法をしばしば採っています。レリーフも、モティーフが分かりにくいものを除き、基本的に描き起こしの図を作成していません。
簡便な、分かりやすい纏め方。

32ページでは壁体の脇の砂層の中に置き去りにされた煉瓦が報告されていて、"Mud-brick axis-marker"と呼ばれています。たぶん、こういう出土遺物は普通の発掘調査では無視されることも少なくないと思われますが、検出された場所が建物の奥の長軸上に近い場所ですから、あえて脱落した煉瓦とみなさず、積極的な意味を与えています。建物の平面全体と、遺物の出土場所を考えて、なおかつ建物をどういう順番で作るかという点を勘案した際の発想。
煉瓦の本を出している人ですから、細かい注意を払っています。建築の素養の有無が、こうした点から知ることが可能。

71-72ページには、「扉の軸受け」が出てきますが、しかしこれは非常に大きく("The hollow in the top is 73cm across on the exterior of the rim, with a depth of 14cm. The rounded rim is damaged in places and is 12cm high.", p. 72)、別の用途に用いられたのではないかという疑いがあります。情報が少ないので詳細が不明ですが、写真を見る限り、軸を受けたような明瞭な擦痕は見受けられない模様。
では何に使われたのかというと、適当なものが思いつきません。著者も迷った挙げ句の記述です。

第11章で扱われている磁気探査(pp. 104-109)は、ここでも成果を挙げています。テル・エル=ダバァにおける成功例が、ここでも参照されています。何が写っているのかを見る作業は、しかし現地の事情を良く知っていないと、とうていできるものではありません。掘らずに土の中から土の建築を見つけるという、画期的な科学技術。

プロジェクトの開始が1991年で、2008年の終了時まで20年近く掘り続けられた遺構。調査報告の方法について大きな示唆を与える発表です。

2009年7月29日水曜日

Clark (ed.) 2007


カンボジアのシェムリアプに行くと、アンコール地域のクメール建築がたくさん見られますが、それらの中で、たぶん最も複雑怪奇な構成を呈しているバイヨン寺院に関する本格的な研究論文集です。数年前から予告されながら、なかなか出版されませんでした。

Joyce Clark ed.,
Bayon: New Perspectives
(River Books, Bangkok, 2007)
403 p.

執筆陣は非常に豪華で、

Joyce Clark
Ang Choulean
Olivier Cunin
Claude Jacques
T. S. Maxwell
Vittorio Rovera
Anne-Valerie Schweyer
Peter D. Sharrock
Michael Vickery
Hiram Woodward


といったメンバーが、各研究分野の立場から執筆をおこなっています。バイヨン研究にとっては必読の、きわめて重要な書です。
この中で一番長く書かれているOlivier Cuninによる論考、

"The Bayon: An Archaeological and Architectural Study"
(pp. 136-229)

は圧巻で、多数の図版や加工した写真を交えて、何回も増改築が繰り返されたバイヨン寺院の建設工事の模様を、立体的に図示することが試みられています。久々に面白い建築報告を読むことができました。壮大で非常に複雑な立体パズルだと言えるかも知れません。

イントロダクションでVickeryは、

"Readers will also note serious disagreement, especially between Jacques and Cunin, on the dating, both absolute and relative, of the phases of the Bayon's construction; and their views, presented here, differ from earlier proposals, for example by Parmentier and Dumarçay." (p. 18)

と、クニンとジャックの論が異なることを指摘しており、これは特に"16 courtyard passageways (structures A-P)"がいつ建てられたかに関しての見解の違いで顕著となっていますが、建築学からは、ジャックの論が成り立たない点はきわめて明瞭。
石のかたちや目地を見ることで、どちらの石が先に設置されたのかは分かります。立体的な造形の把握に疎いため、ジャックは致命的な間違いを犯しています。
砂岩における微弱な磁気の傾向(帯磁率)を検出することで、石材の切り出された場所が異なる点を指し示せるようになりましたが、その結果もクニンの説を支持しています。
Dumarcay 1967-1973にてクニンの博士論文がダウンロードできることはすでに記しましたが、この論考は非常に重要。

Olivier Cunin,
De Ta Prohm au Bayon, Analyse comparative de l'histoire architecturale des principaux monuments du style du Bayon, 4 vols.
(Nancy, 2004)

Tome I: Analyse comparative de l'histoire architecturale des principaux monuments du style du Bayon
(viii), 484 p.
Tome II: Contribution à l'histoire architecturale du temple du Bayon
(iii), 181 p.
Annexe I: Documents graphiques
(i), 313 p.
Annexe II: Documents photographiques
(i), 98 p.

http://tel.archives-ouvertes.fr/tel-00007699

Clark編集のこの本は比較的細かい字でびっしりと印刷された書籍で、通常通りの文字の大きさであったなら、きっと600ページを超える本になっていたでしょう。
サンスクリット語、ヴェトナム語・チャム語、クメール語の専門用語集が巻末に付されています。
註も充実しています。

Arnold 1987


ダハシュールに残るアメンエムハト3世のピラミッドに関する報告書。泥煉瓦の巨大な塊が残る遺構です。ドイツ考古学研究所カイロ支部(DAIK)からのシリーズの一冊。
「ダハシュール」の綴りは国によって異なったりするので、検索に際しては面倒なところがあります。ここではドイツ語ですからDahschurですが、英語ではDahshurもしくはDashur、フランスではDahchour、イタリア語でDahsciurなど。
なお、出土遺物を扱った第2巻、"Die Funde"はかなり遅れて2002年に出ています。

Dieter Arnold,
Der Pyramidenbezirk des Königs Amenemhet III. in Dahschur,
Band I: Die Pyramide.
Deutsches Archäologisches Institut Abteilung Kairo (DAIK),
Archäologische Veröffentlichungen 53
(Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 1987)
105 p., 72 Tafeln, 3 Faltpläne.

Inhaltsverzeichnis:
Vorwort, p. 7
1. Baubeschreibung, p. 9
2. Einzelbetrachtungen zur Bautechnik, p. 73
3. Die Geschichte der Pyramide und ihrer Erforschung, p. 93
4. Die Stellung des Pyramidenbezirkes Amenemhet III. innerhalb der 12. Dynastie, p. 97
5. Bemerkungen zur Entwicklung der Innerräume der Gräber von Königinnen der 12. Dynastie, p. 99
6. Sachregister, p. 104
Abkürzungsverzeichnis, p. 105

彼が51歳の時の報告書で、1979年にはディール・アル=バフリーのメンチュヘテプの建物の報告書を出版。ダハシュールにおけるアメンエムヘト3世のピラミッドに関するこの本を出した翌年の1988年には、リシュトのセンウセルト1世のピラミッドの報告書の第1巻をメトロポリタン美術館から英語で出しています。むろん、同時並行に仕事を進めていたに違いないわけで、彼の旺盛な活躍はこの頃から顕著になります。

見どころの多い報告集。
Building in Egyptに転載されている図面が多くうかがわれます。玄室の笠石の組み方はもちろんのこと、古代エジプトではきわめて珍しい、部屋と部屋とのつながりを確認するための模型の紹介、また計画寸法の検討などが面白い。
p. 82, Abb. 40には、煉瓦に指でいろいろな印を付けているさまを15例ほど挙げており、注意を惹きます。A. J. SpencerによるBrick Architecture in Ancient Egyptが1979年の出版ですから、そこには反映されていません。煉瓦についてのこうした情報は、今一度、纏められておいて良いかと思われるところです。

2009年7月28日火曜日

Shaw and Nicholson (eds.) 2000


「大英博物館古代エジプト百科事典」で知られている二人組が纏めた「古代エジプト物質材料技術事典」。類書がほとんどありません。
古代技術の全般ということならR. J. Forbesの全9巻のものがありますが、すでに古く、レイデンのブリル社は現在改訂中。またシンガー、他の「技術の歴史」についても前に触れました。

「ビチューメン」とか「エレクトラ」とか「カルトナージュ」とか、文献の中で時折出くわす訳の良く分からない物体を詳しく調べたい時には、この本が必要になります。
「石」や「煉瓦」、あるいは「金属」、「顔料」といった項目もあり、基礎知識を得るには最良の書籍。権威ある本となっています。

Ian Shaw and Paul T. Nicholson,
Ancient Egyptian Materials and Technology
(Cambridge University Press, Cambridge, 2000)
xxii, 702 p.

700ページを超す分厚い本。
数多くの執筆者によって書かれていますけれども、この本はもともとA. ルーカスがたったひとりで著したものが出発点になります。

Alfred Lucas,
Ancient Egyptian Materials
(Edward Arnold & Co., London, 1926)
viii, 242 p.

彼は科学分析や修復に携わった人間です。ツタンカーメンの墓が発見されてから数年後に出版されている点も興味深い。
この本、後にはハリスが大幅な改訂をおこないました。それが「ルーカス&ハリス」の名で知られている刊行物です。初版と比べるならば、ページ数が倍増している点に注意。題名も少しだけ変更されています。手元にあるのは第4版のレプリント。

Alfred Lucas, revised by J. R. Harris,
Ancient Egyptian Materials and Industries
(Edward Arnold, London, 1962, reprint of 4th ed.)
xvi, 523 p.

この第4版は何度も増刷され、1989年にはヒストリーズ&ミステリーズ・オブ・マン社から、さらなるリプリントが出されました。多くの需要があったことをここから了解できます。

科学分析が発達し、"Archaeometry"などの専門誌が刊行されている現在、材料や技術に関する情報は増大する一方。もはや、たったひとりで書き切れるものではありません。

Lancaster 2005


ローマ時代にコンクリートのヴォールト天井がどのように造られたかを詳細に記した本。図版が豊富で、自分で撮影した写真に点線や矢印などを入れて説明をおこなっており、非常に分かりやすい。遺跡のどこをどう見ればいいのか、参考になります。
近代建築の巨匠である建築家ルイス・カーンの文を巻頭に引用しています。

Lynne C. Lancaster,
Concrete Vaulted Construction in Imperial Rome:
Innovations in Context

(Cambridge University Press, Cambridge, 2005)
xxii, 274 p.

Contents:
Preface, xix
1 Introduction, p. 1
2 Centering and Formwork, p. 22
3 Ingredients: Mortar and Caementa, p. 51
4 Amphoras in Vaults, p. 68
5 Vaulting Ribs, p. 86
6 Metal Clamps and Tie Bars, p. 113
7 Vault Behavior and Buttressing, p. 130
8 Structural Analysis: History and Case Studies, p. 149
9 Innovations in Context, p. 166

Appendix 1. Catalogue of Major Monuments, p. 183
Appendix 2. Catalogues of Building Techniques, p. 205
Appendix 3. Scoria Analysis, p. 222
Appendix 4. Thrust Line Analysis, p. 225

序文を読むと、ケンブリッジ大学のクールトンに指導を受けたと書いてあります。Coultonは古代ギリシア建築に関する碩学(Coulton 1977)。他に教えを受けたという学者たちも良く知られた人たちで、建築ゼミの様子など、充実した教育環境が良く了解されます。こういう世界は羨ましい。

基礎部分やヴォールト天井に埋め込まれた大きなアンフォラ壺に関してまとまった情報を提供しており、興味深い。荷重を軽減するため、あるいは地下の水に対する処置の工夫が記述されています。
構造に関しても、かなりの分量を割いて説明しており、建築家・考古学者としての知識を存分に発揮している書。同じように建築家・考古学者として活躍しているJ.-P. Adam(Adam 1984)やM. Wilson Jones(Wilson Jones 2000)の著作を意識して、誰がどこまで書いているかを念頭に、これまで書かれていない点を入念に論述しています。
ローマのヴォールトと言えば、その到達点となるのはパンテオン。そのパンテオンに至るまでのさまざまな技術が通覧されます。最後には社会的背景にも触れられます。

4つのアペンディックスを見ると、Wilson Jonesの本の影響を感じます。
Appendix 1は、主な遺構に関するコメントを付しており、どこが見どころなのかを説明。
建造技術を扱ったカタログのAppendix 2では、"personal observation"の欄が並んでおり、面白い。全部、自分で観察して特徴を見つけたリスト。
ペーパーバックの再版も出ており、良く読まれていることが知られます。
建築報告書として、見習うべき点が多い。

2009年7月27日月曜日

Gundlach and Taylor (eds.) 2009


王の住居に関する国際シンポジウムの報告書。王の家はほとんど全く残っていないので、皆がどう考えているかが興味深いところです。早稲田大学の河合望先生から教えていただいた書籍。
王権に関するシンポジウムの一環として開催され、こうした催しは4回目で、過去の記録はÄgypten und Altes Testament (ÄAT) 36:1-3 (1995-2001)に所収されています。

Rolf Gundlach and John H. Taylor,
Egyptian Royal Residences:
4. Symposium zur ägyptischen Königsideologie / 4th Symposium on Egyptian Royal Ideology,
London, June, 1st-5th 2004.
Königtum, Staat, und Gesellschaft früher Hochkulturen (KSG) 4,1
(Harrassowitz, Wiesbaden, 2009)
viii, 197 p.

Table of Contents:
Vorwort, vii
Preface, viii

Denise M. Doxey,
The Nomarch as Ruler: Provincial necropoleis of the Old and Middle Kingdoms, p. 1
Andrea M. Gnirs,
In the King's House: Audiences and receptions at court, p. 13
Rolf Gundlach,
'Horus in the Palace': The centre of state and culture in pharaonic Egypt, p. 45
Eileen Hirsch,
Residences in Texts of Senwosret I, p. 69
Peter Lacovara,
The Development of the New Kingdom Royal Palace, p. 83
Stephen Quirke,
The Residence in Relations between Places of Knowledge, Production and Power: Middle Kingdom evidence, p. 111
Christine Raedler,
Rank and Favour at the Early Ramesside Court, p. 131
Maarten J. Raven,
Aspects of the Memphite Residence as illustrated by the Saqqara New Kingdom necropolis, p. 153
Kate Spence,
The Palaces of el-Amarna: Towards an architectural analysis, p. 165

Lacovaraの論文内容は、しかし彼の博士論文である

Peter Lacovara,
The New Kingdom Royal City.
Studies in Egyptology
(Kegan Paul International, London, 1997)
xiv, 202 p.

から進展なし。Spenceのものも、同じ年に出された彼女の博士論文、

Katherine Emma Spence,
Orientation in Ancient Egyptian Royal Architecture
(Dissertation, unpublished. University of Cambridge, September 1997)
vi, 248 p., 37 Figs.

の内容と代わり映えがありません。
むしろここではGnirsやQuirkeたちの論考が目を惹きます。
中王国時代の王宮を研究する際には非常に重要となる1冊です。

2009年7月26日日曜日

Gabolde (ed.) 2008 (Fs. J.-Cl. Goyon)


J.-Cl. Goyon
が70歳を迎えた記念の献呈論文集。双子のGabolde兄弟のうちのひとりが編集をおこなっています。
41人が執筆。目次はIFAOのウェブサイトにて公開されています。ザヒ・ハワースも古王国時代の彫像について文を寄せています。

Luc Gabolde (textes réunis et édités par),
Hommages à Jean-Claude Goyon offerts pour son 70e anniversaire.
IF 981. Bibliothèque d'Étude (BiÉtud) 143.
(Institut Français d'Archéologie Orientale (IFAO), Le Caire, 2008)
(iv), 434 p.

Table des matières:
http://www.ifao.egnet.net/uploads/publications/sommaires/IF981.pdf


Goyonと共著の多いGolvinは、リビアの神殿に関して執筆しています。

Jean-Claude Golvin,
"Le temple no 8 de Sabratha: Iséum ou Sérapéum?
Restitution architecturale, identification, datation", pp. 225-239.

エジプトだけではなく、ギリシアやローマなどの遺構にも詳しい建築畑の人間ならではの考察。
このGolvinという人は、地中海世界の古代遺跡の復原図を見事な水彩画で描くことで非常に知られており、最近は画集を何冊も出しています。検索するならば、各国語に訳されているものが出てくるはず。
アレキサンドリアの復原図も数枚描いており、ポスターにもなっていました。

Claire Simon-Boidot,
"Encore une révision de l'ostracon BM 41228 et sa représentation de reposoir de barque !", pp. 361-373.

論文のタイトルに感嘆符を付けるというのは、きわめて異例です。小さな建物の平面が描かれ、寸法も入っている石灰岩片(オストラコン)が大英博物館に収蔵されているのですが、その再吟味。幅は従来、「27キュービット」と解釈されてきましたけれど、これを著者は「17キュービット」と読み、分析がなされています。
この人は「ネビィ」と呼ばれる単位に関する考察で知られていますが、異論も多い。この論文でも、JEA 79 (1993), pp. 157-177やCdÉ LXXV/149 (2000), pp. 66-79などに掲載された「ネビィ」に関する自分の論文を註で引用していますが、この長さの単位が広く認められているわけではありません。
「ネビィ」については

Elke Roik,
Das Längenmaßsystem im alten Ägypten
(Christian-Rosenkreutz-Verlag, Hamburg, 1993)
xiii, 404 p.

の出版後、論議が高まり、Göttinger Miszellen (GM)やDiscuttions in Egyptology (DE)などの雑誌に、関連する論考が掲載されています。

2009年7月25日土曜日

O'Connor 2009


1960年代からアビュドスの発掘調査に関わっている第一人者による、古代エジプトの聖地アビュドスについての非常に詳しい重要な書籍。エジプト学における最も権威ある「エジプト学事典」、Lexikon der Ägyptologie (LÄ)で「アビュドス」の項を執筆しているのもこの人でした。とてもお勧めしたい本です。
ただ7ページに"Aydos"と脱字があって、本の題でも用いられている大事な地名が間違って記されており、この書籍は本当に大丈夫なのかと思わせますが、ここは編集者による文章で、オコーナーが書いた部分ではありません。

David O'Connor,
Abydos:
Egypt's First Pharaohs and the Cult of Osiris

(Thames & Hudson, London, 2009)
216 p.

Contents:
General Editor's foreword, p. 7
Preface, p. 9
Introduction, p. 15

PART I Abydos and Osiris, p. 22
1 The Discovery of Abydos, p. 22
2 Osiris - Eternal Lord Who Presides in Abydos, p. 30
3 The Temple of Seti I, p. 42

PART II Life Cycle of a Sacred Landscape, p. 62
4 The Rediscovery of Abydos, p. 62
5 The Evolution of a Sacred Landscape, p. 70
6 The Expanding Landscape of the Middle Kingdom, p. 86
7 The Landscape Completed: Abydos in the New Kingdom, p. 104
8 The Climax of the Osiris Cult, p. 120

PART III Origins of the Abydos Landscape, p. 136
9 The Royal Tombs of Abydos, 136
10 The Mysterious Enclosures of Abydos, p. 158
11 Boat Graves and Pyramid Origins, p. 182
12 Abydos: Summing-up, p. 201

注目されるのは第3部で、G. ドライヤーが発掘したU-j墓の検討、そこから見つかった「世界最古」と言われる文字の読解、中が空っぽの葬祭周壁の解釈や、14隻並んで発見された木造船の正体、またこれらがピラミッドの歴史とどうつながるか、などという点にありますが、問題をそれぞれ分かりやすく説明しており、面白い。

DjerとQa'aの墓の復原については、ドライヤーの説に対し、祠堂も付設した自説を、立体図も交えて紹介しており(Fig. 85)、こういうところにオコーナーの考え方があらわれています。ただ、第3王朝の階段ピラミッドを、それまでのマウンド墓、祠堂、葬祭周壁によるセットのひとまとめにしたものと捉えようとして、時代を遡ったDjerとQa'aの墓にも祠堂を設けた復原を提示している感じも若干、与えます。
常に大きく構想しようとするこの人の姿勢が、時として強引さを与えかねないということ。

天に登るための階段をピラミッドは象徴しているのではという、専門家も良く言っている考え方を明確に否定しており(pp. 198-199)、この点は賛成。
ここ20年ほどで、ピラミッドがどのような過程で生まれたかに関する研究が進みました。アビュドスのマウンド墓や、マスタバの中に隠されたマウンド状の覆いの様相が詳しく分かってきたからです。その要点が語られています。

註の数は抑え気味にされて、読みやすさが第一に勘案されていることが分かります。カラーページもいくらか差し挟まれています。
5ページにわたるSelect Bibliographyが巻末に付され、細かい活字で数百の文献を紹介。

"The definitive account of one of Egypt's most important ancient sites, written by the world authority"

という宣伝文句は、嘘ではありません。

2009年7月24日金曜日

Eyre, Leahy and Leahy (eds.) 1994 (Fs. A. F. Shore)


献呈論文集のひとつ。題名の"Unbroken reed"、「壊れていないアシ」というのは日本ではちょっと訳が分かりにくい書き方ですが、旧約聖書の中の預言書である「イザヤ書」第42章3節には、

「また傷んだアシを折ることなく、ほの暗い燈火を消すこともなく、真理をもって道を示す」

という下りがあらわれ、同様の「マタイ伝」第12章20節なども踏まえた表現だとみなすことができます。アシという植物は古代エジプトで馴染みが深く、筆はアシ製でしたし、ヒエログリフにもなっていますし、エジプト学の先生を褒め讃えるにはなかなか良い文句です。
33人がこの本で執筆しています。聖書は66の書からなり、またイザヤ書も66章から構成され、その半分の数を示しますが、もちろんこれは偶然。


Christopher Eyre, Anthony Leahy, and Lisa Montagno Leahy eds.,
The Unbroken Reed:
Studies in the Culture and Heritage of Ancient Egypt in Honour of A. F. Shore.

Occasional Publications 11
(The Egypt Exploration Society, London, 1994)
vii, 401 p.

献呈論文集には重要な論文が収められることがしばしばあるのですが、しかし世界のあちこちで少数部だけ出版されるという性格の書籍のために、全部に目を通すことがなかなか難しい部類に入ります。イギリスのEESから出版されているため、それでもこれは入手しやすい本。
ピラミッドの本を書いているエドワーズが、ピラミッドの形式から第4王朝の王の順番を推測するという内容の論文を寄せていて、面白い。文字資料を重視する傾向の強い中にあって、建築のかたちから年代順が分かるのではないかという大胆な提案です。上部が失われたピラミッドを、玄室の位置や通廊の繋ぎ方で類別しています。ピラミッド時代のただ中にある第4王朝時代で、さまざまな試行錯誤が繰り返されたことが改めて了解される内容。

I. E. S. Edwards,
"Chephren's Place among the Kings of the Fourth Dynasty", pp. 97-105.

スペンサーは泥煉瓦を扱っていますが、壊れた状態の泥の塊がどのように地表にあらわれ出るのか、例をいくつか挙げて説明しています。これも泥煉瓦の遺跡を実際に見たことのある人なら納得のいく発表で、長い年月によって泥が溶け出し、地表を覆ってしまう変化によって、調査時に見誤りやすい点を指摘しています。

A. J. Spencer,
"Mud Brick: Its Decay and Detection in Upper and Lower Egypt", pp. 315-320.

エジプトの模型オタクとして広く知られるトーリーは、ゲベレイン出土の模型を扱っています。ここからはちょっと変わった様式のものが確かに出ているので、注意が必要。

Angela M. J. Tooley,
"Notes on Wooden Models and the 'Gebelein Style'", pp. 343-353.

2009年7月23日木曜日

Spencer 1979


古代エジプトの煉瓦造建築に関して取り纏めた珍しい本。さまざまな技法が図示されています。スペンサーは中部エジプトにあるアシュムネインの神域の発掘調査を手がけていた人。この本もアシュムネイン調査と関連しており、言わば自分が使うためのカタログを出版したとみなせなくもない。

A. J. Spencer,
Brick Architecture in Ancient Egypt
(Aris & Phillips, Warminster, 1979)
v, 159 p., 56 plates

建築調査は石造のものが優先的に対象とされたというのは理由があって、要するに煉瓦造の建物は壊れ方が甚だしく、その記録方法がきわめて面倒であるために、手をつけるのが億劫であったということに尽きます。修復方法も、未だ確立しているとは言えません。難題が折り重なっている建材だと言うことができます。昔のように、取り除けてしまうと非常に楽なのですが、そうも行かない。

こういう種類の本が今まで出ていなかったというのが不思議です。
ただ、これはカタログなので、最初から最後まで通して読むようなものでは決してない。必要な時に、該当部分を引いて読むものです。巻末の組積方法の分類はきわめて見にくく、立体的に表現するなど、工夫があっても良かったと思われます。ブケウムの報告書における分類に倣ったのでしょうが、惜しまれるところ。
この本が出版されてから、ケンプが煉瓦の項目を執筆したり、補足の情報がいくつかあるけれども、まだ煉瓦については書かれるべきことが残されているような気がします。

煉瓦の組成分析については、あまり進んでいないように感じられます。ナイル川が運んできた黒土に、砂やスサを混ぜる他に、何を加えるのかということがはっきりしていません。灰を混ぜたとか、動物の糞を混ぜた、という説がどこまで本当なのかが良く分かっていないということです。
アマルナを訪れると、使われている煉瓦の砂質成分が多いことに驚かされます。煉瓦と言っても質が均一ではないから、丁寧な報告ではいくつかに分類されたりしますが、アマルナの煉瓦の特質といったものがもっと強調されても良い。

煉瓦の大きさに関しては、時代に応じた変化がグラフ化されているけれども、一般化できるようなものではなく、例えば煉瓦の長辺を測ると時代が分かるようにはなっていません。古代エジプトに規格が無かったのかという主題はしかし、キュービット尺があれだけ長い期間にわたって固定化されていたことを勘案するならば、奇妙な話です。タラッタートの大きさは、建造作業において便利ではなかったのかなど、話題は拡がります。

他の近隣地域の煉瓦についてはMooreyなどが書いていますが、これも年代が経っており、改訂を求める声は多いはず。技法に関する写真も増やした新たなものが望まれています。

日本における焼成煉瓦の包括的な研究というと、

水野信太郎
「日本煉瓦史の研究」
法政大学出版局、1999年

がまず挙げられるはず。これ以外はciniiで論文などを検索するのが早道となります。

2009年7月22日水曜日

Houdin 2006


クフ王のピラミッドの建造過程に関する新説を披瀝した書。テレビでも番組が放映されています。特徴はピラミッド内に螺旋状のトンネルを構築し、内側から建造していったという、度肝を抜く発想。

Jean-Pierre Houdin,
Translated from the French by Dominique Krayenbühl,
Foreword by Zahi Hawass,
Khufu:
The Secrets behind the Building of the Great Pyramid

(Farid Atiya Press, Egypt, 2006)
160 p.

ミイラの紹介やツタンカーメンの死因についてベストセラーを書き、テレビにも多数出演しているBob Brierがこれに関わって、下記の共著を出しています。Brierも出演しているテレビ番組は、たぶんこちらの本の映像化と言っていい。

Bob Brier and Jean-Pierre Houdin,
The Secret of the Great Pyramid:
How One Man's Obsession Led to the Solution of Ancient Egypt's Greatest Mystery

(Smithsonian Books, Washington DC, 2008)
304 p.

権威あるスミソニアンから出版されている点に注意。出版社で本を選ぶのは危ないという好例。
BrierはHoudinの説を書き広めており、例えば旧版を改めて40ページばかりの文章を加え、昨年に出した書、

Bob Brier and Hoyt Hobbs,
Daily Life of the Ancient Egyptians
(Greenwood Press, Connecticut, 2008.
2nd ed. First published in 1999)
xvi, 311 p.

の221ページ以降でその記述を見ることができます。
この"Daily Life"はしかしひどい本で、"Architecture"の章(pp. 155-180)は読むに耐えません。特に宮殿の説明は最悪で、B. ケンプによるアマルナ王宮の解釈は完全に無視され、20世紀中葉に出されたA. バダウィの「カタログ本」全3巻のみに情報源を頼っています。マルカタ王宮の平面図(p. 164)はでたらめ。あとは推して知るべしです。

ピラミッドの内側にトンネルが巡らされており、これを搬路としているという無理が何故、拒まれていないのかというと、大きく理由はふたつあって、ひとつは重力計による科学的な測定により、1980年代の後半に、このピラミッドの内部が一様な密度を持たないことがはっきりしたからです。日本の早稲田隊も同様の調査をしていますが、ここでは触れません。
入れ子状に納めた枡を上から眺めたような様態を呈するその平面の解析図は、同じ建築家を職業とする者による詳細な考察が述べられた書、Dormion 2004でも最初のFig. 1に挙げられています。

"En ce qui concerne la Grande Pyramide elle-même, qui présente d'être intacte, des mesures de microgravimétrie réalisées en 1987 par EDF ont permis d'éclairer cette question en évaluant la densité du monument et ses variations. On a pu mettre en évidence des alternances de densité conformes à ce que produirait la présence d'une structure interne en gradins (fig. 1)."
(pp. 35-36)

解析図から、Dormionは内部に段状の構築("gradins")があると推測しており、ピラミッド研究に通じた者の通常の解釈は、だいたいこうなるかと思われます。
ただ、よく見ると確かに四角い螺旋状を呈するようにも見え、これが出発点。

もうひとつは、かねてより問題とされてきた基準の設定方法で、地上から空中に140メートル以上も上がった位置のピラミッドの先の仮想点に向かって、どうやって4つの稜線を合致させたのかという施工上の困難に関する推察。すでにふたりの建築家による、Clarke and Engelbach 1930の本の第10章で、詳しく指摘がなされている問題です。
常に複数の基準点を見通しながら建造を進めたと考えるならば、ピラミッドの周りには何も付加したくはありません。これがピラミッドの外周を取り巻く斜路を、短絡的に内部へ想定する根拠となっているようです。

以上の2点を勘案した結果として、斜路をピラミッド内に想定するというのは、しかしかなり飛躍があり、古代エジプト建築に関係する者で誰も支持しなかったから、建築には疎いけれども説明の上手なBrierが出てきたのではないかと思われるところ。

真っ直ぐ伸びた建造用の斜路があまりにも長くなるために、その存在が否定されるという論理は、説明になっていません。U. Hölscherの考察による、カルナック神殿の第1塔門の裏に残存している泥煉瓦造の斜路の復原のように、途中で折れ曲がっていれば問題が解消します。
四角い構造物の内部に通廊が巡らされている例として、ネウセルラーの太陽神殿の報告書の第1巻、

Ludwig Borchardt,
Das Re-Heiligtum des Königs Ne-Woser-Re,
Band I: Der Bau
(Verlag von Alexander Duncker, Berlin, 1905)
vii, 89 p., 62 Abb., 6 Blatt.

を引いてくるのも、どうかと思われます。ここでは巨大なオベリスクを台座の上に立てた姿が復原されており、台座の上に登るための通廊が設けられているのであって、用途が異なります。

古くはPetrie 1883(The Pyramids and Temples of Gizeh)で、クフ王のピラミッドの各石積みの層の高さが異なることが、巻末の折り込みページの棒グラフで明らかに示されており、そこでは地上の第1層から頂上に向かって、大まかには石は次第に小さくなる傾向がうかがわれるものの、途中で何回か、また大きくなったりし、各層の石材の高さが全体として段状に変化する点が示されているのが興味深い。
長年にわたって考えられてきた疑問点をまずは整理して考えるべき。ピラミッド内部に思いを巡らせるならば、ほぼ等間隔の距離で垂直に配された、上昇通廊に見られる4つの石版の意味も考えどころです。
組織的に石を積む順序が結果として、緩い勾配の斜めの線を外側に描くと言うことは充分にあり得ます。

いたずらに「科学的」という装いを過剰に纏っているものだから、Houdinの話はややこしくなっています。重力計の計測結果の図示が意味する答えは、ピラミッド内部の螺旋トンネルというひとつの説に限定されて収斂するわけではないと思われます。
ただこのウーダンによる論考に見るべき点があるとするならば、それはピラミッドの内部構造に焦点を当てたというところで、このことは評価されて良いかもしれません。
ピラミッド研究はGreaves 1646など、かなり前から開始されているので、この360年以上にわたる欧米の蓄積を、数日や数週間で手早く理解しようとするのは難しい。誤謬を辿ることも大事です。

2009年7月21日火曜日

Haring 2006


前にも触れたことがありますが、エジプト学でTTとは"Theban Tomb"のことで、その第1番がディール・アル=マディーナにあるセンネジェムの墓。2番はその隣の息子たちの墓となります。
センネジェムの墓に記された文字を集成したのがこの本。パレオグラフィーというのは「古文書学」と訳されたりしますけれども、フィロロジー「文献学」との区別が分かりにくい。手書きの文字のかたちなどを調べることによって地域による違いや年代差など、古い時代のことを研究する分野のことを指します。
他にもレキシコグラフィーとかプロソポグラフィー(プロソフォグラフィー)とか、何々グラフィーというのが複数あって、非常に紛らわしい。
ま、文字を専門にやろうと思わない人は、あまり気にしないことです。

Ben J. J. Haring,
The Tomb of Sennedjem (TT1) in Deir el-Medina:
Paleography.
IF 958.
Paléographie Hiéroglyphique (PalHiero) 2
(Institut Français d'Archéologie Orientale (IFAO), Le Caire, 2006)
iv, 220 p.

フランスのオリエント考古学研究所(IFAO)からは、すでにパレオグラフィーのシリーズが3冊出ており、他にもエスナ神殿のアーキトレーヴに刻まれた文字や、アブー・シンベルの小神殿の文字などが既刊。

http://www.ifao.egnet.net/publications/catalogue/PalHiero/


にてリストを見ることが可能です。
10ページ目からは文字の向きが記してあって、H. G. Fischerが1977年に書いた本の影響がうかがわれる箇所。向きに規則があるわけですが、いわゆる"retrograde"がこの墓にもあって、その説明が11ページにあり、縦書きの文章が左から右に書かれているものの、通常とは異なって文字は右向きとなります。
人の足であらわされる文字の向きが、場合によって左向きにも右向きにもなるという話は、やはり面白い。墓室に「入る」あるいは「出る」という記述に合わせ、向きが逆転します。

13ページからは間違いの指摘が記されており、古代エジプト人による手書きの文章が、3200年ほど経ってから徹底的に添削されています。30ほどの書き誤りが見つかっており、列挙されていますけれども、「死者に鞭打つ」とはこのことを言います。

今日、労働者集合住居内にはもはや立ち入れない状態となっており、墓室内にも保護のためのガラスの衝立が巡らされているはず。時代の流れで見学しにくくなっていますが、他方でウェブサイトは充実しており、

http://www.osirisnet.net/tombes/artisans/sennedjem1/e_sennedjem1_01.htm


では3ページにわたってこの墓を丁寧に紹介しています。
近年、この墓を包括的に扱った論文にも触れておくべきでしょう。同じ2006年の執筆。カタロニア語で書かれています。

Marta Saura Sanjaume,
La Tomba de Sennedjem a Deir-El-Medina TT.1
(Thesis, University of Barcelona, 2006)
xi, 541 p.

http://tdx.cesca.es/TESIS_UB/AVAILABLE/TDX-0814106-114225/


全文をPDFでダウンロードできますが、12の章ごとに分かれているため、少々手間がかかります。遺物をカタログ化した労作。著者の名とセンネジェムとは、子音の並びが似ているところも面白い。著者はこれをきっかけに研究を進めたのかもしれません。

多色で描かれたヒエログリフを紹介した本は、そう言えばまだあんまり出ていません。
パピルスは伊東屋などで販売されていますから、日本画の顔料を膠で溶いてこれに描き、それを纏めるだけでも出版する価値があると思います。ヒエログリフは1000文字ほどありますが、全部を扱う必要がなく、良く用いられるものだけで充分。
文法を知る必要が一切ないというのが大きな利点です。卒業研究のテーマとしては最適と思われるのですが。

2009年7月13日月曜日

Martin 1987


サッカーラ(サッカラ)でツタンカーメンに仕えた時代の高官ホルエムヘブ(ホレムヘブ)や宝庫長マヤなどの墓を発見した、G. T. マーティンによる新王国時代のレリーフの報告書。ホルエムヘブは後に王となり、テーベの王家の谷に自分の墓を造営しています。
この本、第1巻のみが現在、刊行されています。

Geoffrey Thorndike Martin,
Corpus of Reliefs of the New Kingdom from the Memphite Necropolis and Lower Egypt, Vol. I
Studies in Egyptology
(Kegan Paul International, London, 1987)
xv, 63 p., 114 plates.

最終ページは63ページ。
けれども本文の途中にたくさんの図版が入っており、実際にはもっとページがあります。

画像の説明はきわめて簡単。
これまであまり知られていなかったりした画像資料をできるだけ広く認めてもらおうという意図のもとに集成し、刊行された本。続巻が強く望まれますが、新しい墓、特にラメセス時代のものが次々と見つかっている状況ですので、なかなか難しい。
謝辞の最後には1985年の9月という日付が見られ、かなり前から準備されていた本であることがうかがわれます。

インデックス(索引)が設けられており、各博物館に収蔵されている登録番号と、この本で紹介されている番号との対照リスト(コンコーダンス)、及びレリーフに記載されている個人名のリストが巻末に収められています。
本を新しく出す時には、長く使ってもらいたい、読んでもらいたいと思うのは誰もが強く願うことで、その時にこの巻末のインデックスがきわめて重要になります。
単に、知っていることを長々と書くだけでは駄目だというしるし。使う人の立場に立って、使いやすいように心がけられています。こういう配慮がないと、書評では正しく指摘されます。

マーティンは歴史学者であるとともに碑文学者。ですからこういう点は周到。
文献学者がレリーフの本を出すのかという反発がもちろんあるわけで、それを充分わきまえた刊行です。むしろ、美術史学者が何故、こうしたものを早く用意しないのかという批判もここには当然、隠されていると考えるべき。

この本からは、最低限、こういう報告をすべきだという示唆をさまざまに知ることができて、非常に役に立ちます。完全版下で原稿が用意されたと推測され、著者の苦労が忍ばれる本。
カイロの早稲田ハウスで今回、久しぶりに見て、改めてマーティンの考え方に接した様な気がしています。
マーティンが一般向けに書いた本としては、

Geoffrey T. Martin,
The Hidden Tombs of Memphis.
New Discoveries from the Time of Tutankhamun and Ramesside the Great
(Thames and Hudson, London, 1991)
216 p.

が知られています。巻末にはメンフィス地域で現在確認されていない新王国時代の高官たちの墓のリストが掲載されており、きわめて面白い。
なお、関係資料として

The New Kingdom Memphis Newsletter
(Leiden and London, 1988-. ca. 20 p)

No. 1 (October 1988)
No. 2 (September 1989)
No. 3 (October 1995)

があり、これは関係者たちのみで刊行されている冊子。メンフィスにおけるトゥーム・チャペルを研究する者にはおそらく必読の刊行物。
こういうふうに、アクセスが難しい少部数刊行の出版物がある点が厄介です。続巻があるのかどうか、当方も把握していません。

アマルナの王墓の報告書だったか、マーティンが現場まで歩いていくという記述が序文にあって、驚きました。アマルナを訪れたことのある人であったら、それがどれ程の長い距離なのか、分かるかと思います。
この人の書いた報告書の序文はすごく興味深い。間違いだらけの、印刷技術が始まったばかりの時の本からの引用があります。
何が正確で何が正確でないか。また何が伝わって後世に残り、何が伝わらないのか。
そうした経緯を知っている書き方がなされています。