2009年4月30日木曜日

Bietak (Hrsg.) 2001


古代ギリシア建築と古代エジプト建築との接点を探るため、ウィーンで開催された国際コロキアムの報告書。薄手の本ながら、重要な論考が収められています。コロキアムは、シンポジウムと似たような専門家による会合ですが、より専門性が高く、通常は少人数でおこなわれます。

Manfred Bietak (Herausgegeben von),
Archaische Griechische Tempel und Altegypten.
Internationales Kolloquium am 28. November 1997 am Institut fur Agyptologie der Universitat Wien.
Untersuchungen der Zweigstelle Kairo des Osterreichischen Archaologischen Instituts, Band XVIII
(Verlag der Osterreichischen Akademie der Wissenschaften, Wien, 2001)
115 p.

エジプト建築がどこまでギリシア建築に影響を与えたのかに関しては、実は多くが分かっていない状況です。ギリシア建築研究の大御所クールトンも、この点に関してはほとんど何も言っていない。
ウィーン大学のビータックのもとで、この会合が開かれている点は注目されるべき。たぶん彼のところ以外では、こうした企画は困難と思われます。「古代エジプトにおける住居と王宮」(1996年)が出版された時と同じシリーズにて刊行。
地中海を取り巻く諸文明を踏まえた研究調査を進めているビータックならではの書。

イスミアの前身神殿についての、建造技術を扱った論考は非常に興味深い。小振りの石を用いて建造された神殿ですが、使用石材には溝が切られており、縄をかけた跡と見られるこの加工痕はきわめて珍しいため、クールトンもかつて言及していました。

ヘーニーやアーノルドといった、有名な学者たちも執筆しています。
G. ヘーニーは、"Tempel mit Umgang"という副題を持つ論文を書いており、これはもちろんボルヒャルトの名高い著作を意識したもの。ボルヒャルトに対する注釈と情報の更新という位置づけです。図版多数。
D. アーノルドは末期王朝以降の神殿における木製屋根の復原を述べています。彼自身がすでに出版している"The Temples of the Last Pharaohs" (1999)を補完する内容。これも復原図がたくさん作成されています。

2009年4月29日水曜日

Romer 2007


クフ王のピラミッドに関し、最新の情報を盛り込んだ分厚い書。一般向けに何冊も出しているローマーだけあって、読みやすさが工夫されています。
51の断章から構成され、それらの全体を7つの章に分けていますが、こういう書き方は珍しいと言っていい。ひとつひとつの断章は短い記述からなっており、必ず断章の中には図版が含まれるように配慮されています。クフ王のピラミッドについての面白いトピックが50以上、集められているという印象です。
裏表紙にはW. K. シンプソン、B. J. ケンプ、そしてI. ショーによる好意的な書評の抜粋が掲載されており、この3人はいずれも非常に有名なエジプト学者。もっとも、ショーはケンプの弟子筋だから、その点は割り引かないといけないかもしれません。
でも、全般的には評価が高い書だと思います。

John Romer,
The Great Pyramid: Ancient Egypt Revisited
(Cambridge University Press, Cambridge, 2007)
xxii, 564 p.

話の中心は、このピラミッドがどう設計され、また建造されたかを綴った部分にあります。
大きな特徴は、20キュービット間隔の水平線と、底辺を6つに分割してできる垂直線とでできる格子を基本として、内部の部屋や通路の位置も、外側の勾配も決定されたとみなしている点で、これは要するに、今まではピラミッドの設計方法を語るに当たっては抜きにはできなかった「リンド数学パピルス」の「ピラミッドの問題」をすっぱりと切り捨てたことを意味します。
建築学的には、これが最も重大な点となるかと思われます。

「リンド数学パピルス」をどう考えるかは、悩ましい問いのひとつではありました。
書かれた時代はピラミッド時代よりも下りますから、同じ手法が古王国時代にも果たして適用されていたかは疑念が残るのではないか。これは文献学が主流のエジプト学にとって、当然討議がなされる問いかけです。従って、「リンド数学パピルスは考慮しなくてもいい」という立場を取る研究者がいても不思議ではありません。

「リンド数学パピルス」を手放すメリットがあって、それはこの本のように、少なくともクフ王のピラミッドまでは話が簡略化でき、整然と語ることができるという点です。
逆に考えるならば、この流れに属する説における致命的なデメリットは、クフ王以降のピラミッドに対して普遍性を持たないという点です。この説に拘泥する限り、「クフ王のピラミッド以降では計画方法が変わったんだ」と考えざるを得ません。

ここはピラミッド研究に関わる者の見解が大きく分かれるところで、非常に興味深い様相を呈しています。
建築に関わる人間は、「リンド数学パピルス」に書かれている勾配の素朴な決定方法を重視する傾向にあり、だから古代エジプト建築研究の第一人者、D. アーノルドは、古王国時代のピラミッドのセケド(リンド数学パピルスに登場する、勾配を決める方法)を求めたりしています。

ここ20年の間にピラミッド学はかなりの進展を見せました。残念なことに、日本にはあまりその情報が入ってきていないと感じます。
この本の日本語訳もまた望まれる所以です。
スペンスによるこの本の評については、EA (Egyptian Archaeology) 33 (2008)を参照。

2009年4月28日火曜日

Ulrich 2007


古代ローマ時代の木工を集成し、考察を加えた本。ポンペイとヘラクレネウム、オスティアは住居遺構が残っていることで有名ですが、そこでうかがわれる木材の用法についての調査結果を踏まえています。

Roger B. Ulrich,
Roman Woodworking
(Yale University Press, New Haven and London, 2007)
xiii, 376 pp.

古代ローマ建築での木材の使用は、断片的にはこれまで触れられてきましたが、煉瓦造と石造が主流であるため,どちらかというと脇に追いやられていた感がありました。Adamによるローマ建築の本でも、木造についてはほんの少しだけしか記述されていません。
木工が包括的に扱われたのはおそらく初めてで、書評でも記されている通り、古代ローマの木工に関する基本文献となるでしょう。

ローマ時代の鉋の写真を、この本で初めて見ました。家具や船についても対象に含めています。
日本建築における仕口や継手の複雑さは良く知られていますが、ほとんど同じことがおこなわれている点に驚きます。特に船の竜骨で使われたという継手(p. 68, Fig. 4.9)は素晴らしい。
木を建材として扱う場合に考慮されるのは,部材同士がずれないこと,できるだけお互いの接触面積を増やすこと,経年変化による変形に対処することなどですけれども、それらに応じたずれ止めや反り止めが工夫されています。

モノクロの図版が豊富に収録されている他、巻末の用語集が60ページ以上もあります。車輪を述べた章、また当時のイタリアにおける樹種の分布について書かれている章もあって面白い。

しかし,実際にポンペイやヘラクレネウム(エルコラーノ)に行かれた方はお分かりでしょうが、このふたつの町は火山の噴火による熱い火砕流で埋まったわけですから,木材が残っていると言っても、丸焦げの炭が見られるだけ。これらの炭の痕を丹念に調べ、架構や扉,窓の復原がおこなわれています。

10年以上の調査をもとに書かれたと序文では述べられています。10年ほどでこれを纏めることができたというのは、でも著者の能力の高さがそこに示されていると見るべき。

2009年4月27日月曜日

JEA 4, Parts II-III (1917)


EESがEEFと名乗っていた時代の、イギリスから出ているエジプト学の専門雑誌。刊行されて間もない時期の号で、考えてみればこの頃、ヨーロッパは第一次世界大戦の真っ直中です。こういう時期に、雑誌を刊行する余力を持っていることに驚きます。
この号だけを単独で購入したのは面白い内容に惹かれたためで、建築と関わりの深い特別な号。合併号です。

The Journal of Egyptian Archaeology,
Vol. IV, Parts II-III
(The Egypt Exploration Fund, London, April-July 1917)
pp. 71-210.

ツタンカーメンの墓を発見する前のハワード・カーターが2編書いていますが、ひとつは文献学者ガーディナーとの共同執筆で、墓の平面図が描かれていることで知られているトリノのパピルスを扱っています。

Howard Carter and Alan H. Gardiner,
"The Tomb of Ramesses IV and the Turin Plan of a Royal Tomb,"
JEA 4 (1917), pp. 130-158.

132ページと133ページとの間に挟まっている両開きカラー刷りのPl. XXIXが欲しかったので買ったようなもの。図書館ではたいてい雑誌を製本してしまうため、本が思うように開けなくなります。このカラー図版は

Ernesto Scamuzzi,
Museo Egizio di Torino
(Torino, 1963)

などでも見られるはず。
玄室には何重にも黄色い長方形が石棺を囲んで入れ子状に描写されていますが、この論文が発表された当時、その意味が良く分かりませんでした。レプシウスは「階段かも」などと言っています。その後、ツタンカーメンの黄金の厨子が何重にも石棺の上に覆い被さっているのが分かって、この問題は氷解しました。
墓の右側・左側に関する記述が出てきますが、墓の奥から入口を向いた時の左右で表記されている点もきわめて重要です。

カーターの名前で発表されているもう一本の論文は発掘報告書で、もとはふたつの報告をJEAの編集者がひとつに纏めたもの。こういう形式も珍しい。註などを編集者が加えています。

Howard Carter,
"A Tomb prepared for Queen Hatshepsuit and Other Recent Discoveries at Thebes,"
pp. 107-118.

この他には建築関連で以下の2編が注目されます。

N. de Garis Davies,
"An Architect's Plan from Thebes,"
pp. 194-199.

Ernst Mackay,
"Proportion Squares on Tomb Walls in the Theban Necropolis,"
pp. 74-85.

さらには巻末近くの"Notes and News"で、メトロポリタン美術館による「アメンヘテプ3世の居住都市」、つまりマルカタ王宮の発掘にも少しだけ触れられており、このような理由で、当方としてはこの号をどうしても購入せざるを得ませんでした。

2009年4月26日日曜日

Arnold 1990


エジプトのピラミッドや神殿を建てるのに使われた石には時折、日付や人名がインクで記されていることがあり、これらを研究対象としてモノグラフが構成されるまでになったのはごく最近のことです。たいていこうした文字はひどく荒く書かれており、あまり字を書き慣れていない者が記録を残したのではないかと疑われます。経年によってインクが薄れていることが多く、読みにくい上に、読めたとしても大して重要なことに触れられていないため、本格的な考察は後回しにされてきたという経緯がありました。
この本は、主として中王国時代に属する建物の石材に見られる書きつけを集成したもの。建築学的な検討がなされており、建造順序の解明などに光を当てることができる点を示した著作で、その功績は讃えられるべきだと思われます。

Felix Arnold,
in collaboration with Dieter Arnold, I. E. S. Edwards, Juergen Osing.
Using notes by William C. Hayes.
The Control Notes and Team Marks.
The Metropolitan Museum of Art Egyptian Expedition, The South Cemeteries of Lisht, vol. II
(The Metropolitan Museum of Art, New York, 1990)
188 p., 14 pls.

この本の見返しには"Arnold, Felix. 1972-"と印刷されていて、このように著者の生年が明記される場合がしばしばあります。これをもとにして計算すると、著者が18歳の時の本と言うことになります。
読みづらいヒエラティックに関する報告書を、高校3年か大学1年という若さでメトロポリタン美術館から刊行したことを意味しますが、彼が古代エジプト建築研究の第一人者ディーター・アーノルドの息子だという事情が判っていれば、そうした出版が可能である点は首肯されます。母親もまた、エジプト学では土器研究で非常に有名な人。

錚々たるメンバーが協働に当たっており、遺漏がないように図られたと思われるのですが、残念なことに149ページのC11のインスクリプションの図は上下が逆です。
Goettinger Miszellen 122 (1991), pp. 7-14と129 (1992), pp. 27-31には、F. アーノルドによる関連論文が寄稿されています。

この本が出版されてから、例えばヴェルナーによるBaugraffitiなど、汚くて読みにくい書きつけにも注意が向けられるようになって、後続の報告書が出されることになりました。その点で、メトロポリタン美術館に収蔵されていたヘイズの筆写を用いながら本として纏めたことは慧眼です。
後年の

Nicole Alexanian,
Dahshur II: 
Das Grab des Prinzen Netjer-aperef. Die Mastaba II/1 in Dahshur.
Deutsches archaeologisches Institut Abteilung Kairo, Archaeologische Veroeffentlichungen (AVDAIK) 56
(Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 1999)
173 p., 20 Tafeln.

でも同様の試みがなされており、やはり影響が認められますが、ここでは石材のどこに文字が記されているかも図示され、より丁寧な報告の方法がうかがわれます。

2009年4月25日土曜日

Ginouves (et Martin) 1985-1998


古代ギリシア・ローマ建築に関する大系的な事典で、3巻本です。13年をかけて完結しました。フランス・アテネ学院とフランス・ローマ学院との共同作業で、さらにはそこにCNRS(フランス国立科学研究センター)も加わっていますから、フランスの研究者たちの知恵の結集と考えても良いかもしれません。

Rene Ginouves et Roland Martin,
Dictionnaire methodique de l'architecture grecque et romaine, I:
Materiaux, techniques de construction, techniques et formes du decor
(Ecole Francaise d'Athenes, Ecole Francaise de Rome, Athenes/Rome, 1985)
viii, 307 p., 65 planches.

Rene Ginouves,
Dictionnaire methodique de l'architecture grecque et romaine, II: Elements constructifs:
Supports, couvertures, amenagements interieurs

(Ecole Francaise d'Athenes, Ecole Francaise de Rome, Athenes/Rome, 1992)
viii, 352 p., 90 planches.

Rene Ginouves,
Dictionnaire methodique de l'architecture grecque et romaine, III:
Espaces architecturaux, bâtiments et ensembles
(Ecole Francaise d'Athenes, Ecole Francaise de Rome, Athenes/Rome, 1998)
ix, 357 p., 115 planches.

古代ギリシア建築の重鎮、R. マルタンは第1巻目だけに参加しています。
その第1巻目では例えば、文章編のほぼ3分の1が索引に充てられていて、フランス語索引、ドイツ語索引、英語索引、イタリア語索引、現代ギリシア語索引、古代ギリシア語索引、そしてラテン語索引と入念に構成されています。

J.-P. Adam, La construction romaine: materiaux et techniques (Paris, 1984)とその英訳本がすでに出ていますし、またM.-Ch. Hellmann, L'architecture grcque (Paris, 2002-)のシリーズも刊行中であるため、これらでほとんどの用は足りるかもしれませんが、多国語の検索ができる点は有用で、あまり類書がありません。

図版が多く所収されていることは重要です。石材の紹介のページなどではカラー写真も使われています。図版の作成は大変だったでしょうが、その多くを描いているのは上述のアダムであることが図版リストから了解されます。
J.-Cl. ゴルヴァンもまた図の作成に関わっており、この人は古代エジプト建築のさまざまな復原図を描いていることで有名。
古典古代建築の研究がどこまで進んでいるかが良く分かる図書で面白い。

2009年4月24日金曜日

Petrie 1897


ピートリによるルクソール地域における調査報告。「テーベの6つの神殿」と題名をさらっと書いていますが、現在ではこのような大胆な調査は絶対にできません。ナイル川沿いに並ぶ王の記念神殿を、次から次へと渡り歩いています。
見るだけであったら、もちろん可能。しかし発掘をやってるわけで、こういうすごい調査が今後もおこなわれるのであれば、是非とも参加したいと思わせます。

W. M. Flinders Petrie, with chapter by Wilhelm Spiegelberg,
Six Temples at Thebes. 1896.
(Bernard Quaritch, London, 1897)
iv, 33 p., 26 plates.

Contents:
Introduction (p. 1)
Chapter I. The Chapel of Uazmes, etc. (p. 3)
Chapter II. The Temple of Amenhotep II (p. 4)
Chapter III. The Temple of Tahutmes IV (p. 7)
Chapter IV. The Work of Amenhotep III (p. 9)
Chapter V. The Temple of Merenptah (p. 11)
Chapter VI. The Temple of Tausert (p. 13)
Chapter VII. The Temple of Siptah (p. 16)
Chapter VIII. Later Objects and Plan (p. 17)
Chapter IX. The Inscriptions (by W. Spiegelberg) (p. 20)
Chapter X. Shells Used by the Egyptians (p. 30)

建築に関する情報が各所に散りばめられている報告書で、ピートリが建築についての深い知識を豊富に有していたことが、ここからも容易にうかがわれます。建築の見方を自分で会得した人。稀有な存在です。
特別な言葉に慣れない者にとっては専門用語の「鎮壇具」と言われても「ファンデーション・デポジット」と言われても、いっこうにイメージが思い浮かばないのですが、要するに建物の下に埋められる「お供え品」あるいは「記念品」のことで、それを基礎の下から見つけ出しており、貴重な報告。中でも「ネフェル」の文字を書き込んだ石片が報告されていて、これはアブ・シールのカエムワセトの遺構からも出ていたはず。
「古代エジプトにおける鎮壇具」という題の博士論文はすでに英語で書かれていますが、時を経ていますので、情報の更新が必要となっています。

James Morris Weinstein,
Foundation Deposits in Ancient Egypt
(Dissertation, University of Pennsylvania. 1973)
lxxvi, 437 p.

さて、

"The two model corn grinders of yellow quartzite have the 'nefer' signs and a border line painted on in black." (p. 15)

と記していて、解釈が面白い。
図版21では、出土したさまざまな工具を紹介しており、特に3つのノコギリに関する言及が注目されます。

"The saws are of the Eastern type, to cut when pulling and not when pushing. There is no appreciable set in the teeth to alternate sides in order to clear the way in cutting; but the rake of the teeth toward the handle is obvious in the longest saw, implying the pulling cut." (p. 19)

と、ノコギリの目立ての有無などについても細かく観察していて、さすがです。わざわざ「このノコギリは手前に引く時に切れるもので、押す時に切れるものではない」と書いてあります。
日本人だったら、当たり前のことなのでこういうことは報告書に書かないはず。というのは、日本のノコギリはみな引く時に切れるタイプなのですが、西洋のノコギリは押す時に切れるタイプで、方向が逆となります。彼らにとっては、そちらの方が奇異。
"Eastern type"なのだと記しているのはこのためです。

石材に記されていた書きつけをシュピーゲルバーグが報告しており、労働者たちが「右班」と「左班」とに分かれていたことをすでに19世紀末に指摘していて、偉大な学者であったことを改めて思い知らされます(pp. 22-23)。図版9の24番は"position of filling"と訳されており、建造に関わるグラフィティとしての例がきわめて少ないヒエラティックの「 r' 」(ラー)が記されている点は重要。ラメセウムの他、KV 5などで類例があります。

2009年4月23日木曜日

Isler 2001


アメリカに住む著者は1926年生まれで、30年以上、ピラミッドを含む古代エジプトの建造技術に関する研究を独自に進めてきました。その研究の集大成というべき本。彼が75歳の時の本となります。

Martin Isler, foreword by Dieter Arnold,
Sticks, Stones, and Shadows:
Building the Egyptian Pyramids

(University of Oklahoma Press, Norman, 2001)
xiv, 352 p.

古代エジプト建築の専門家でメトロポリタン美術館にいるD. アーノルドが短い序文を寄せています。「私の書いた"Building in Egypt"とは解釈が非常に異なるけれども、彼の見方については興味を共有する者同士の皆さんで分かち合いたい」、という鷹揚な書き方。けれども、

"Whereas my work focuses mainly on the archaeological evidence for pharaonic building methods, Martin's offers practical solutions for problems that cannot as yet be resolved by archaeological confirmation." (p. ix)

と、問題意識が違うことを明言しており、学術的には現在の技術方法をそのまま過去には適用することが許されないのだという点を柔らかく、しかしはっきりと示しています。著者の方が年上ですから敬意を払いつつも、問題の所在については指摘がなされている点が重要。

ピラミッドがどのようにして建てられたのかは、長年、建築に関わる者たちの間で討議されてきました。古代エジプト人たちは、ピラミッドの建造作業についての情報を、一切と言って良いほど残していません。ピラミッドの計画方法を示唆する資料は、リンド数学パピルスなど、きわめて僅かです。いくらかの文字資料や絵画資料が今日まで伝わっていれば少しは参考になったであろうと思われますけれども、これがまったくうかがわれません。
建造方法が秘密だったのだという意見もありますが、秘密にすべきはピラミッド内の部屋の配置、及び侵入者を防ぐための建築的な対策で、外形の計画方法を秘密にする理由はありませんでした。

かみそりの刃が一枚も入らないほど、ぴったりと石材が接合されているという点が驚きをもって強調されがちですけれど、本当の問題はどうすれば歪み無く高い構築物を建てることができるのかにかかっています。100メートル以上も高い地点に向かって、空中に浮かぶ指標がない状態で石を積み上げていくためには、地上で計測を繰り返し、確かめながら下から上へと作業を進める他はなく、精度の確保をどのような手順でおこなったのかが解明すべき点です。
石積みの方法に関してはまた別の問題となり、これについてはさまざまな手順が推定されている状態。

図版は非常に上手に描かれていて、手慣れた様子がうかがわれます。ピラミッドがどのように建てられたかを説明しようとした類書は多いのですが、基本的な諸問題について触れている書ですから、例えばアーノルドの本と併読すると興味深い。
オクラホマ大学出版局は、少数ですが面白い古代エジプト関連の本を出しています。

2009年4月22日水曜日

Newton 1737


科学者のアイザック・ニュートンが古代エジプトのキュービットの長さを突き止めていたということが広く知られるようになったのは、Michael St. Johnが編集し、J. Degreefがドイツ語から訳したレプシウスの本が2000年に新しく出てからです(Lepsius 1865 [English ed. 2000])。PetrieがNature誌などで、ニュートンによりキューピットの長さの分析がおこなわれていることを書いていますけれども、それまではほとんど知られていませんでした。これには理由があって、"Alt-aegyptische Elle und ihre Eintheilung"というこの本、誰もほとんど見たことがないままに皆が引用を続けていたという、力が抜ける話。
ラテン語によるニュートンの論文は19世紀に英訳が出ており、ピアッツィ・スミスの本がこうして今日でも別の意味で役に立つことになります。

Isaac Newton,
Dissertatio De Sacro Judaeorum Cubito, atque de Cubitis aliarum Gentium nonnullarum; in qua ex maximae Aegyptiacarum Pyramidum dimensionibus, quales Johannes Gravius invenit, antiquus Memphis Cubitus definitur

[Dissertation on the sacred Jewish cubit, and the cubits of some other nations, in which the ancient cubit of Memphis is determined on the basis of the dimensions of the Great Pyramid of Egypt, as Johannes Gravius discovered]

(Lausannae & Genevae, 1744),
pp. 491-510, 1 figure.

(English translation)
C. Piazzi Smyth,
Life and Work at the Great Pyramid during the Months of January, February, March, and April, A.D. 1865;
with a Discussion of the Facts Ascertained. Vol. II
(Edinburgh, 1867)
pp. 341-366.

Johannes GraviusとはJohn Greavesのこと(Greaves 1646)。
ニュートンの考え方は徹底しており、煉瓦造建築についても触れているのが面白い点です。彼によれば、もし煉瓦が古代尺に合わせた大きさであったなら、建物全体で使用する煉瓦の量が計算しやすいであろうとのこと。これは煉瓦の大きさに関する論考の、非常に早い例のうちのひとつであろうかと思われます。

実際にはしかし、煉瓦の大きさはまちまちで、キュービット尺とは整合性があまり認められません。古代エジプトの建築において、数多く積まれる建材の大きさがキュービット尺と揃えられるのは第18王朝末期のアクエンアテン時代の「タラタート」の場合だけで、石の寸法によって時代がただちに判別できるという唯一の例。
でも「古代で積算がおこなわれたに違いない」という重要な指摘は当たっており、このような論理の飛び方と、結びつかせる方法には感心します。

出てくる数値は非常に細かく、電卓を片手に持ちながら読むことになります。フィートとインチだから、また換算が大変。
ニュートンの本は東京大学の駒場キャンパスの図書館が所有。スミスの方は結局、当方の場合、イギリスの図書館に複写を依頼することになりました。

追記(2012年3月7日)
Birch (ed.) 1737 [Works of John Greaves, 2 vols.]においても、ニュートンの論文の英訳を読むことができます。

2009年4月21日火曜日

Greaves 1646


ギザのピラミッドに関する実測の結果を詳しく伝えたものとしては最古の部類に属する書。この有名な本はマーク・レーナーの「ピラミッド大百科」でも紹介されているので、御存知の方も少なくないかと思われます。ピラミッド学では欠かせぬ基本書となります。
比較的簡単に複写を入手することができ、ここ数日をかけて目を通しましたが、非常に面白かった。

John Greaves,
Pyramidographia:
or A Description of the Pyramids in Aegypt
(Printed for George Badger, and are to be sold at his shop in St Dunstans Churchyard in Fleet-street, London, 1646)
(xiii), 142 p. (?), illustrations.

(Contents:)
The Preface (iii)
Of the Authors or Founders of the Pyramids (p. 1)
Of the Time in which the Pyramids were built (p. 16)
Of the end or intention of the Pyramids, that they were for Seplchers: where, by the way is expressed the manner of imbalming used by the Aegyptians (p. 43)
A description of the Pyramids in Aegypt, as I found them, in the ⅭⅠↃ XL VIII yeare of the Hegira, or in the yeares ⅭⅠↃ DCXXXVIII, and ⅭⅠↃ DCXXXIX of our Lord, after the Dionysian account (p. 67)
A description of the first and fairest Pyramid (p. 67)
The description of the inside of the first Pyramid (p. 79)
A description of the second Pyramid (p. 103)
A description of the third Pyramid (p. 108)
Of the rest of the Pyramids in the Libyan desert (p. 114)
In what manner the Pyramids were built (p. 115)
The Conclusion (p. 119)

高さ16cm、幅10cmほどの小さな本です。p. 119の次にはp. 142が来ています。本文の前に置かれた13ページ分などが、最終ページには含まれて表記されているのかとも思われますが、それにしても勘定が合わず、詳細は不明。
本当は著者の名前はIOHN GREAVESと記されてあって、これはラテン語表記。また活字の"s"と"f"との区別がつきにくく、注意が必要です。

すでに上記の目次でお分かりの通り、1000に対する数字の表記は"M"を用いていません。例えば3000は本文中で"ⅭⅠↃ ⅭⅠↃ ⅭⅠↃ"とあらわされています。ここら辺の読み方は、インターネットで"Roman numeral"を検索すれば情報がすぐに出てきます。便利な時代です。
17世紀の本ですから、"yeare"などと記されるのも興味深いところ。
67ページから始まる章名では、"the first and fairest Pyramid"と言葉遊びも交えています。

本の前半は当時知られていたことのまとめで、頭がおかしくなりそうな記述が満載。しかしピラミッドにまつわる今日の怪しげで胡散臭い論議のほとんどが、ここで全部提出されているとも見ることができます。
著者はオクスフォード大学の教授であった人。天文学者で50歳の時に亡くなりましたが、学者には収まらずにどうやら破天荒な人生を送った模様。大旅行家で、古代ローマの度量衡に関する本も出版しています。
たぶん、時代の間尺に合わなかった人でした。

ジョン・グリーヴスによる「ピラミドグラフィア」はアイザック・ニュートンの注意を惹き、キュービットの長さに関する論文が執筆される契機となります。この論文はニュートンの生前には発表されませんでしたが、これを後世に向け、積極的に紹介したのがThomas Birchで、バーチはJ. Greavesの一連の著作についても同じようにまとめて紹介をおこなっています。
これらを読んで、再びピラミッドの実測を試みたのがエジプト学の始祖であるフリンダース・ピートリです。まるで手帖のような一冊の小さな本を出発点として始まった経緯を考え合わせながら繙くと、エジプト学、あるいはピラミッド学の成立過程の縮図が立ちあらわれます。
授業でこの小さな本をどう使おうかと思案中。

2009年4月9日木曜日

EA (Egyptian Archaeology) 34 (Spring 2009)


数週間前に届いたEESのEA 34号です。たった40ページほどの冊子ですが、いつもの通り、図版が豊富で楽しめます。

Egyptian Archaeology:
The Bulletin of the Egypt Exploration Society (EES),
No. 34
(Spring 2009)
44 p.

オーストラリアにいるC. ホープがダクラ・オアシスでの発掘調査で見つけた古代ローマ時代の住居を発表しています。壁画が綺麗に残っているので、カラー写真などを多用するこの雑誌で発表することは最適。事実、見開きの2ページを図版だけに充てたりしています。
大きい住居の方はおよそ20メートル四方もあり、400平米を越えます。エリートの家だと判断された理由が推し量れるところ。

家の中央には4本の円柱が立つ四角の広い部屋が見られ、円柱の直径が1.4メートルとのこと。とっても邪魔になる大きさです。普通の住宅ではあり得ない大きさ。
これらの柱の配置はしかし、中央の柱間を広く取っており、この4本の柱で囲まれた部分には天井がなく、アトリウムの形式をとっていたであろうと判断されているのは自然な考え方と推察されます。
平面図のスケール・バーを見ると、中央間の間隔は5メートルほどと見積もられ、これはかなり大きいスパンです。木製の水平梁ではちょっと無理かとも思われる寸法。日本の家屋でも、3間の柱間(1.8m × 3 = 5.4m)を飛ばすということには相当の無理があります。通りに面する間口の大きい商店などで例はありますけれども。

この部屋の天井高さも推測されており、「柱の直径から考えて、少なくとも5.6メートルはあったに違いない」と述べています。つまり、最低で柱の直径の4倍程度の高さがあったと判断しているらしい。
コリント式の柱頭の断片も出土しているようですが、柱径の4倍の高さしかないコリント式というみっともない柱が、本当にこの部屋に並べられていたのか、今後の研究の進展が待たれます。
この住居の平面は判然としないところがあり、たとえば入口の位置が良く分かりません。普通、平面の各部屋に番号を付けようとする場合、入口玄関から始めて、奥に向かって順番に数字を振ることが少なくないのですけれども、ここでは中央の一番広い部屋に1番を充てています。文章では何も書かれていませんが、発掘者たちも今のところ、住居の入口の位置を量りかねているのかもしれない。

B. ケンプは、王宮から離れた位置に建つアマルナの集合住居におけるベス神の壁画をカラーで紹介しており、短い報告ながら、これも注目される発表。とても良く知られた図であるからです。アマルナに興味を持っている研究者は必見。デル・エル・メディーナでもうかがわれますが、ベス神は言わば家の守り神のように扱われました。
王家の谷などの岩窟墓を造営するために日頃、男たちは家を空けることが多く、デル・エル・メディーナの家の中は女性たちの生活を優先するしつらいになっていたらしいと、ケンプは別のどこかで記しているはずです。

他にビータックらも書いていますけれども、メディネット・グローブの調査報告やサッカーラの階段ピラミッド周辺の探査などについては博士課程の学生たちが記述しており、隊長たちが若手を応援して発表の機会を与えようとしている様子が示唆されます。これも見ておきたい点です。

2010年の9月には、英国エジプト学者会議も開催予定とのこと。
またEESの大会では、K. スペンスによるセセビの調査に関する発表などが予定されている様子。
かつても記したように、セセビはアクエンアテン(アケナテン)の遺構が残存していることで広く知られており、アマルナを長年調査してきたケンプの弟子であるスペンスが、どのようなことを目論んでいるのかが、ひとまずは大きく注目されます。

Goddio (ed.) 2008 (2nd ed.)


今年の6月から横浜で開催予定(朝日新聞社主催)の、「海のエジプト展」のもととなる展覧会の英語カタログです。すでにヨーロッパを巡回している展覧会のために作成されたもので、日本での開催にあわせ、いずれ和訳されたカタログがこれから出版されるかと思われます。
原本を見ておくことは重要。

Franck Goddio with David Fabre (eds.),
photography of the artefacts by Christoph Gerigk,
Egypt's Sunken Treasures
(Prestel, Munich, 2008, 2nd revised and updated ed.
First published in 2006)
399 p.

Contents:
I. The Region and Its History (p. 25)
II. Religion and Cults (p. 57)
III. Cities, Ports and Palaces (p. 217)
IV. From Excavations to Exhibition (p. 281)
V. Catalogue (291)
VI. Appendices (p. 365)

朝日新聞社やテレビ局のTBSなどが関わるこの大規模な展覧会については、

http://www.asahi.com/egypt/outline.html


を御参照ください。
フランク・ゴディオ(Franck Goddio)による水中考古学の成果、特にカノープス調査報告書については、当ブログの

http://ejibon.blogspot.com/2008/12/goddio-2007.html


で既出。

カタログには490点の展示物に関する説明が掲載され、この点数は通常の展覧会の点数の2倍に匹敵するかもしれません。大規模な会場を必要とするが故に、横浜だけでしか開催されないのではと考えられます。
日本ではおそらく多くの場合、200点ちょっとが通常の展示点数の目安で、これは広い会場がなかなか見つからないということもあるし、また欧米とは異なって日本人の観客の体力が続かないという配慮もあります。

海外の展覧会に行くと甚だ疲れるように感じるのは、圧倒的な点数の違いも理由のひとつ。全部の展示品が日本に来るかどうかは不明ですが、多数の展示品の鑑賞により、心地良く疲れを感じる展覧会となりそうな予感もあります。

ほとんど全ページがカラーという構成で、ハードカバーの装丁のために、かなり重い出版物。ページの全部を覆う、海中における調査の様子を伝える写真もあちらこちらに散りばめており、この当たりは普通のエジプト関連の展覧会のカタログとは違うところです。これらの図版にはページ番号が振られていませんから、挿入された図版によって文章が途切れ、いくらか読みにくくなっている側面もあります。

前半の解説の文章と遺物の写真とが同じページに並んでいないので、本当に読もうとするならば本の中をあちこち探さなければならない努力が強いられますけれども、意図的に構成を混交している点もうかがわれ、水中考古学の魅力を伝えようとすることが主眼に置かれているのだと理解するならば、目的は達せられていると見られます。

末尾の謝辞が3ページも続きます。稀です。
とてつもなく大きなプロジェクトが実現されたことが良く了解される、しかし巻末に回されて非常に目立たない記述。

2009年4月7日火曜日

Vandier 1952-1978


たったひとりの学者によってエジプト学の要覧が作られた例。J. ヴァンディエは20年以上をかけて、古代エジプトの建築・彫刻・浮彫・絵画を網羅しようとしています。

空前絶後とはこのことを言います。これから先、こういう意欲的で無謀な学者が出るかというと、まずは絶望的です。
とうの昔に情報が古びていると指摘する向きがあるかもしれない。確かに最初の巻が出たのはもう半世紀以上も前です。けれども「全部を網羅する」という意味合いがすでに変質してしまった現在、偉大な企画であったと言わざるを得ません。これが最後の試みであったということを我々は充分考える必要があるかと思われます。
今日、「網羅する」と言うことを考えるならば、必ずこれよりも範囲をひどく矮小化したかたちでしか、もはや実現できなくなっています。特に第3巻の彫刻を扱ったものを見ると、その思いは強い。屋形禎亮先生がすでに御指摘されているように、類書がまったくありません。
私見ですがたぶん、20世紀の中葉にヨーロッパでは第2次世界大戦を迎え、研究発表が少なくなったことを契機として、それまでのエジプト学の文献のほとんどに目を通していた少数の学者たちは、これまでの纏めをおこなう良い機会だというように、事態を逆に積極的な方向へと捉え直そうとしたのではないでしょうか。
全体として総ページ数は図版を含め4000ページを超え、圧倒的な存在感に心を打たれます。

老舗出版社のピカールは他の分野でもこうしたシリーズを出版しており、今でもその姿勢を変えていません。レイデンのブリルと双璧をなしています。

Jacques Vandier,
Manuel d'archeologie egyptienne, 6 tomes.
(Edition A. et J. Picard et Cie, Paris, 1952-1978)

Tome I, pt. 1: Les epoques de formation. La prehistoire
(1952)
viii, pp. 1-609.
Tome I, pt. 2: Les epoques de formation. Les trois premieres dynasties
(1952)
iii, pp. 613-1044.

Tome II, pt. 1: Les grandes epoques. L'architecture funeraire
(1954)
viii, pp. 1-544, 1 carte.
Tome II, pt. 2: Les grandes epoques. L'architecture religieuse et civile
(1955)
v, pp. 555-1086, 1 plan.

Tome III: Les grandes epoques. La statuaire
(1958)
viii, 701 p.
Tome III: Les epoques. La statuaire, album de 174 planches
(1958)
174 planches.

Tome IV: Bas-reliefs et peintures. Scenes de la vie quotidienne.
Pt. 1: Les tombes
(1964)
v, 858 p.
Tome IV: Bas-reliefs et peintures. Scenes de la vie quotidienne.
Pt. 1: Album de 40 planches
(1964)
ii, 40 planches.

Tome V: Bas-reliefs et peintures. Scenes de la vie quotidienne.
Pt. 2: Elevage, chasse, peche, navigation
(1969)
vii, 1037 p.
Tome V: Bas-reliefs et peintures. Scenes de la vie quotidienne.
Pt. 2: Album de 48 planches
(1969)
ii, 48 planches.

Tome VI: Bas-reliefs et peintures. Scenes de la vie agricole, a l'ancien et au Moyen Empire
(1978)
vii, 354 p.

2009年4月6日月曜日

Kent (ed.) 1990


スイスからペルーまで、時代も地域も異なる遺構に関する新たな論考。建築学とも深く関連しており、大学教科書として、あるいは副読本として読まれることが目されています。
"Domestic Architecture"を扱うのであって、"Monumental Architecture"を対象とするのではありません。本の題名には、そういう意味が含まれていると考えることができます。目立つ遺構ばかりが追い求められがちな傾向に対する戒め。
地味な住居遺構の分析には多くの手間とともに、広範な領域にわたる知識が必要となりますけれども、そこにこそ学問の本来的な姿があるという表明が、本の副題からは感じられます。

Susan Kent (ed.),
Domestic Architecture and the Use of Space:
An interdisciplinary cross-cultural study.
New Directions in Archaeology
(Cambridge University Press, Cambridge, 1990)
vii, 192 p.

Contents:
1. Activity areas and architecture:
an interdisciplinary view of the relationship between use of space and domestic built environments (p. 1)
by Susan Kent
2. Systems of activities and systems of settings (p. 9)
by Amos Rapoport
3. Domestic space and the tenacity of tradition among some Betsileo of Madagascar (p. 21)
by Susan Kus and Victor Raharijaona
4. The built environment and consumer decisions (p. 34)
by Richard R. Wilk
5. Behavioral conventions and archaeology:
methods for the analysis of ancient architecture (p. 43)
by Donald Sanders
6. Public collective and private space:
a study of urban housing in Switzerland (p. 73)
by Roderick J. Lawrence
7. Domestic space in the Greek city-state (p. 92)
by Michael H. Jameson
8. A structuring structure:
the Swahili house (p. 114)
by Linda W. Donley-Reid
9. A cross-cultural study of segmentation, architecture, and the use of space (p. 127)
by Susan Kent
10. Domestic space and social structure in pre-Columbian northern Peru (p. 153)
by Garth Bawden

75ページにはフランク・ロイド・ライトの3つの住宅の平面図が掲載され、共通したダイアグラムを紹介しています。部屋のかたちが異なっても、構成は一緒だというマーチ=ステッドマンによる考え方。
建築学的に見るならば、ライトの十字形プランに触れていないなど不満はあるものの、こうしたかたちでライトが考古学の教科書に掲載されるというのは非常に興味深い。

平面が「構造的に酷似する」と言った場合、しかしこの論考の廊下の扱いには危うさが感じられます。つまりミースの主空間・従空間の分け方に通じる部分があるわけで、建築の人間ならばどのように解釈すべきなのか、ここは熟考を求められる点。
さまざまな示唆があり、重要です。ペーパーバックで入手できる点は有難い。

2009年4月5日日曜日

Szpakowska 2003


サイバー大学の和田浩一郎先生からお教えいただいた本。古代エジプトにおける夢を扱った書で、この題材をテーマとした本は珍しい。夢に関する同様の話題は、2009年1月1日の

http://ejibon.blogspot.com/2009/01/gardiner-1935.html


でも触れました。
一冊の刊行物としての豊かな纏まりを考え、話題を増やしていることが読み取れますから、目次も同時に掲げます。
「夢」と言うことだったらフロイトで、また彼が古代エジプトに興味を抱いていた経緯がありますので、どうしても扱わざるを得ない事情が生じます。
第1章が設けられた所以。

Kasia Szpakowska,
Behind Closed Eyes:
Dreams and Nightmares in Ancient Egypt
(The Classical Press of Wales, Swansea, 2003)
xii, 237 p.

Contents:
Acknowledgements (ix)
Chronology (xi)
1. Theories of dreams (p. 1)
2. The dream phenomenon (p. 15)
3. Literature and politics (p. 41)
4. Dream interpretation (p. 61)
5. Dreams and religion (p. 123)
6. Nightmares (p. 159)
7. Conclusion (p. 181)
8. Appendix of texts (p. 185)
9. List of abbreviations (p. 203)
10. Bibliography (p. 205)
11. Index (p. 231)

本の最初にマーク・トウェインの自伝からの文が引かれる他、各章の冒頭にも引用句がうかがわれますが、第2章では映画「マトリックス」からの台詞の引用があるのが驚き。モーフィアスが発した「夢を見たことがないか、ネオ?」という問いかけの部分を本に記しています。
書籍からの引用ではなく、映画の台詞ですから、おそらくは長い時代を重ねた後ではもとの史料を追跡することがきわめて困難になる部分で、面白い箇所です。「人生など跡形もなく消える」というトウェインの引用がすでにあるので、事情を承知の上での引用と思われます。著者の、エジプト学に向かって意欲的な姿勢を示す年齢がこれで推測されるとともに、ある種の諦念が同時にここには表明されていると考えることができ、興味深いところ。

第8章では、「夢の本」として良く知られる第3チェスター・ビッティ・パピルスを除き、王朝時代に属する夢に関したパピルスやオストラカなどの記述の訳を収めており、著者が読み進めたはずの博士論文の核とも言うべき部分が資料として付けられ、有用。
夢に関しては、今の人間による解釈と大して変わりばえは無いのだという結論の締めくくりが印象に残ります。
同じ著者による新刊、

Kasia Szpakowska,
Daily Life in Ancient Egypt
(Blackwell Publishing, Oxford, 2008)

も出ています。

日本語で書かれた古代エジプトの眠りについての論文は、同じ年に書かれたもの、

秋山慎一「古代エジプトにおける『ねむり』」、
屋形禎亮編「古代エジプトの歴史と社会」
(同成社、2003年)

を参照。
「夢の本」における言葉遊びについての論考は、

Scott Noegel and Kasia Szpakowska,
"'Word Play' in the Ramesside Dream Manual",
in Studien zur Altägyptischen Kultur (SAK) 35 (2006),
pp. 193-212

などがあります。

2009年4月4日土曜日

Svarth 1998


デンマークで刊行された古代エジプトの家具の本。縮尺1/5で作られた模型を使って家具が紹介されています。図面が秀逸。またカラー写真も素晴らしい。
デンマーク語と英語が併記される形式です。

Dan Svarth,
Egyptisk mobelkunst fra faraotiden
[Egyptian Furniture - Making in the Age of the Pharaohs]
(Skippershoved, Ebeltoft, 1998)
151 p.

Contents (English):
Preface (p. 7)
Ancient Egyptian Civilization (p. 10)
Architecture (p. 16)
Furniture (p. 24)
Biers and Beds (p. 48)
Chairs (p. 65)
Stools (p. 85)
Tables (p. 102)
Chests and Caskets (p. 112)
Materials (p. 127)
Tools and Techniques (p. 133)
Time-table (p. 143)
List of Illustration (p. 147)
Literature (p. 151)

北欧は木を使う家具の伝統が長いところですから、古代の木製家具に目を向ける家具デザイナーたちが時折、登場します。オーレ・ワンシャーやハンス・ウェグナーなどが代表的。
この本も、古代エジプトの家具を網羅する学術書ではないことを、あらかじめ序文で断っています。狙われているのは、デザイナーたちに最初の家具の魅力を知ってもらうこと。そしてそれがじわじわと、良い家具が作られるような流れに影響していくこと。

"This work is the product of a furniture designer's interest and studies, and sets out in concise form some of the features of the earliest furniture-cultures which have come to play a decisive role in inspiring our own culture and which will also in future - as part of a conscious or unconscious process - influence modern furniture design." (p. 7)

造本が凝っているのは、デザイナーに手に取ってもらいたいからだと思われます。ほとんど真っ黒な装丁に金字を入れ、表紙の最下部に赤帯を入れています。また、見返しが真っ赤なキャンソン紙。本文では朱と黒の文字を使い分けます。

精巧な模型を作ったのは著者。目次で知られる通り、さまざまな家具が紹介されています。工具にも触れており、仕口の立体的な図化もなされています。家具と本との両方が楽しめる本。

2009年4月3日金曜日

Baldwin Smith 1950


ドームに関する研究書ですが、常識を当てにすると裏切られます。世界に名だたるドーム建築はほとんど登場せず、ハギア・ソフィアはちらっと出てくるだけで、図版では1枚だけという扱い。ローマのパンテオンは2箇所で言及されますけれども、図版はありません。フィレンツェの大聖堂に至っては、まったく触れられないというドームの本。

つまり通常の西欧建築史におけるドーム建築の本ではないわけです。
ドームの起源が探索されており、あまり知られていない古代中近東の遺構についての検討をおこなっています。

E. Baldwin Smith,
The Dome: A Study in the History of Ideas.
Princeton Monographs in Art and Archaeology XXV
(Princeton University Press, Princeton, 1950)
x, 164 p., 228 figs.

Contents:
Preface (vii)
I. Domical Origins (p. 3)
II. The Use of the Wooden Dome in the Near East (p. 10)
III. The Masonry Dome and the Mortuary Tradition in Syria and Palestine (p. 45)
IV. Domical Forms and their Ideology (p. 61)
V. Domical Churches: Martyria (p. 95)
VI. The Place of Commemoration (p. 132)
Appendix: Description of the Church of S. Stephen at Gaza by Choricius, Sections 37-46 - Translation and Notes by G. Downey (p. 155)

「ドーム」というのは、半球状のかたちを言い指す言葉ではないという姿勢がはっきりと打ち出されています。構造技術者による見解と歴史学者の見方とが分かれるところ。
家の祖型から出発したドームの展開が述べられており、その展開は構造力学的な、また建造技術の立場から見られたものではありません。

力学的なふるまいから眺めるならば、アーチを連続的に並べたものがヴォールトで、アーチを回転させたものがドームになります。しかし、これは構造力学が成立した19世紀以降の見方というべきものであって、ボールドウィン・スミスはそうした解釈をしません。
この研究は多文化を横断する作業となりますから、労力を伴う仕事。「観念の歴史の研究」という副題が注目されます。アイデアの歴史、着想の歴史というよりも、もう少し広く意味を汲み取って、観念の歴史と訳したい気持ちに駆られます。文化としての建築の存在に光を当てようとする論考で、この時、ドームは或る世界を象徴する「天蓋」へと変貌します。それこそが建築なのだと、著者は主張しています。

ボールドウィン・スミスというこの建築史学者は、かたちの意味に徹底的にこだわった人で、異色の存在。彼の書いた古代エジプト建築の本が見直される所以です。
もちろん個々の情報が古くなっている点は否めませんが、こうした本にあっては思考の跡こそを辿るべきで、間違い探しをしてもあまり意味がない。むしろ何が批判されているかを読み取ることが重要となります。
ドームについて、あるいは建築文化について知っているような顔をするなという強烈な無言のメッセージがあり、忘れ難い書。

2009年4月2日木曜日

Berman (ed.) 1990


クリーヴランド美術館は75周年記念に当たる1991年のために「アメンヘテプ3世展」を企画しました。この展覧会はアメリカとフランスを巡回し、大成功を収めましたが、その準備のために開催された国際シンポジウムの記録。研究会といった性格を持ちます。
この企画の発案者はクリーヴランド美術館の学芸員A. P. コズロフで、彼女は滋賀県にあるMiho Museumの収蔵品カタログの解説も書いたりしていますので、日本においても知られている研究者。
シンポジウムはコズロフとB. M. ブライアンが手配し、その後に"Amenhotep III, Lord of a Perfect World"という名の展覧会が開かれるはずでした。

Lawrence Michael Berman (ed.),
The Art of Amenhotep III:
Art Historical Analysis.
Papers Presented at the International Symposium Held at
The Cleveland Museum of Art, Cleveland, Ohio, 20-21 November 1987.
(The Cleveland Museum of Art, Cleveland, 1990)
xii, 92 p., 27 pls.

この論文集で一番長い原稿を寄せているのはR. ジョンソンで、彼は壁画や碑文を模写して記録にとどめる作業を行う専門家です。ルクソールにおいて長くこの作業に携わっている中で、アメンヘテプ3世の図像を、様式的に3つに分けられる点に気づきました。アメンヘテプ3世の治世は40年弱であって、これは紀元前約1300年前の話です。今から3300年前に描かれた壁画を見て、そこに3つの年代差を見分けることができるという、まったく新しい話をこのシンポジウムで発表しました。またこの話が、以前から決着がずっとつかないでいたアメンヘテプ3世とアクエンアテンとの共同統治の問題と深く関わったものですから、一躍、注目を浴びることになります。
この影響か、展覧会の題も当初の計画から"Egypt's Dazzling Sun: Amenhotep III and His World"へと変更されました。"Dazzling Sun"は、ジョンソンの論文に出てくる言葉です。

ジョンソンの論考に対する意見をJ. F. ロマーノがすぐその後のページに書いており、このふたつは比較して読む必要があります。

W. Raymond Johnson,
"Images of Amenhotep III in Thebes:
Styles and Intentions",
pp. 26-46.

James F. Romano,
"A Second Look at 'Images of Amenhotep III in Thebes:
Styles and Intentions' by W. Raymond Johnson",
pp. 47-54.

ジョンソンが根拠としたのは眼や鼻、また唇のかたちの違いで、美術史学的なこの鑑識の結果が考古学者には実感が伴わず、共有されないことが明瞭にされており、興味深い。
ベス神の像を扱って1000ページ以上の分量の博士論文を著しているロマーノは、こうした断絶の様態を良く知るひとりで、

"Archaeologists and art historians are trained to separate their subjects, be they artistic styles, cultures, etc., into groups." (p. 53)

とさえ言っています。
最後のまとめの言葉を記しているW. K. シンプソンも、

"Egypt communicates to us in two principal ways. The first is text --- in written language, artfully structured, always with a purpose but not always a comprehensive intent. (.......) The second means of communication is two- and three- dimensional communication, which is more subtle." (pp. 81-82)

というように、表現の引き裂かれた空隙を問いかけています。
エジプト学において何が「真」なのかが定まっていない点が露呈され、薄いけれども注目される書です。

2009年4月1日水曜日

Wanscher 1980


格式を備えた折り畳み椅子を世界中から探し出した奇書。古代家具の研究書としてはH. S. Bakerの本とともに必ず挙げられるといっても良い非常に有名な本で、類書がまったくありません。
「家具 オーレ・ワンシャー」のふたつの単語で検索するならば「北欧家具デザイン界の巨匠」と出てくるはずですから、著者についてここで詳しく述べることは不要です。
題名の"sella"はラテン語で「椅子」のこと、また"curulis"は"currus"(chariot)から派生したらしい。古代ローマの皇帝が座る、背もたれのないX脚を持つ折り畳み椅子がこの名で呼ばれました。

Ole Wanscher,
Sella Curulis:
The Folding Stool, An Ancient Symbol of Dignity

(Rosenkilde and Bagger, Copenhagen ,1980)
350 p.

Contents:
Preface (p. 6)
I. Egypt (p. 9)
II. Ancient Near East (p. 69)
III. Nordic Bronze Age (p. 75)
IV. Cretan - Mycenaean (p. 83)
V. Greek (p. 86)
VI. Etruscan (p. 105)
VII. Sella Curulis (p. 121)
VIII. Faldestoel - Faldisrorium (p. 191)
IX. Pliant (p. 263)
X. China - Japan (p. 279)

1935年に、彼が建築専門雑誌へ折り畳み椅子の遺物について書いたことが契機となったと序文には見られますから、実に45年をかけて調べ上げ、書いた本と言うことになります。彼は1903年生まれですから、77歳の時に出版した書。日本で言えば喜寿に相当する年齢。

4000年以上にわたって世界で使われ続けた折り畳み椅子を、時代順に追っていきます。背もたれがなく、脚が交差し、折り畳むことができるこのタイプの椅子は、移動に便利な簡単な造りによるものでしたが、同時に権力の象徴でもありました。古代エジプトにおいても、ツタンカーメンの折り畳み椅子が知られています。第1章で、かなりの分量を割きながらエジプトの家具の例をまず紹介しています。第7章の、古代ローマにおける皇帝の椅子の記述も長い。その後、中世では高位僧職者の椅子として登場します。

一番最後の章では中国と日本における折り畳み椅子が扱われ、中国では2世紀に、すでに文字記録にあらわれるとのこと。古代ローマとの接触が疑われています。ここでも中国の皇帝が座る椅子。
日本の「床几(しょうぎ)」が出てくるのは、かなり本の後ろの方です。年月を費やして地球を巡り、東の果てへと辿り着きます。映画監督が座るディレクターズ・チェアとして、今なお最後の格式を保っている形式かもしれません。

家具設計者の視点から記された文面も多数散見され、興味深い。
掲載されている線描の図版はたいへん繊細で、著者の入念な配慮がしのばれます。