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2009年12月24日木曜日

村上 2006


美術家の本。金儲けと美術とを直接結びつけたとして注目を浴び、また反発を覚えた向きもあったのではないかと想像しますが、しかしそのこと自体は、たぶん建築の分野ではあまり珍しいことではありません。建築というのは、基本的に人のお金で建物を造る作業ですから。
そこが個人的には面白いところです。

村上隆
「芸術起業論」
(幻冬舎、2006年)
247 p.

芸大の美術学部日本画科を出て、博士課程修了という経歴を持ちます。
日本画の世界は江戸時代からの流れを未だに脈々と汲んでおり、たとえば美術年鑑を見たことのある人ならば、そこに系統図が載っていたりしたのを御存知かもしれません。
淋派や狩野派という言葉は、まだ生きています。先生の先生の先生…というように遡ると、江戸時代まで行くということです。

長く続く伝統の良さもあるのですが、一方でこれを束縛と感じる学生も、もちろんいるかと思います。昔、芸大卒制展と東京五美大卒業制作展が合同で上野の東京都美術館にて開催されていました。芸大、武蔵美、多摩美、女子美、造形大、日芸、各大学の作品を見比べることができましたが、当時は芸大日本画科の人たち、自由に出品ができなかったのでは。

記されている内容はしかし、ブルーノ・ラトゥール「科学が作られているとき:人類学的考察」(1987年)ときわめて近い部分があるかもしれないと思わせます。そう言えば、ラトゥールの本に繰り返し出てくるヤヌスのふたつの顔と、この本の装丁はそっくりです。
心を打つものを制作すれば、それは自然に注目されるようになるという考え方を真っ向から否定していますが、これは、学問において真実を発表すれば必ず広く認められるという大きな誤謬を突くラトゥールの考え方と酷似しています。

起業という言葉に鋭く反応するよりも、ここでは現在という時代における回路の積極的な恢復がめざされているのだと考えた方が分かりやすいと思われます。「ほんとうのこと」が今日では深く疑われており、それに対する過激な、また現実的な処方箋が提示されているのだということです。
本人がそれを実践しているのだから、説得力がある。

著者が芸大に提出した博士論文が「意味の無意味の意味」を巡る考察、というのも非常に興味深い。概念とメタ概念とを分ける考え方。
時代の空隙を見定める作業を続けている人なのだと言うことが、この題名だけでも伝わってきます。頭の回転が速い人なのだなと言うことも、同時に分かる題名の付け方です。

「です・ます」調で書かれているので、非常に読みやすい。海洋堂のプロ集団に認められていく経緯も面白いけれども、終盤のマチスとピカソとの対比がとても示唆的です。ウォーホールのやり方は分かる、という言い方にも興味が惹かれます。