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2011年10月8日土曜日

Zignani 2010


デンデラのハトホル神殿に関する建築報告書。この遺構は古代エジプトにおけるグレコ・ローマ時代、すなわちプトレマイオス朝に建立された代表的な神殿です。
この神殿についてはすでに十数冊もの報告書がフランス・オリエント考古学研究所(Institut Français d'Archéologie Orientale: IFAO)からシリーズとして刊行されており、Émile ChassinatFrançois DaumasSylvie Cauvilleたちによるものが広く知られていますが、神殿の名前の綴りが"Dendera"ではなく、IFAOにおいて近年は"Dendara"に統一された様子。文献を検索する側にとっては、手間がまた増えた感じがあります。
第1巻から5巻までの古い本を一括してまとめたリプリントも出ているようで、それはそれで便利なのですけれども、同時にこの再版ではタイトルの神殿名も綴りが変更されているらしく、引用の際には注意が必要です。
この本を貸してくださった大橋さん、感謝申し上げます。

Pierre Zignani,
Le temple d'Hathor à Dendara:
Relevés et étude architecturale
,
2 tomes. (texte et planches)
IFAO, Bibliothèque d'Étude (BiEtud) 146/1 et 2.
IF 997
(Institut Français d'Archéologie Orientale (IFAO): Le Caire, 2010)
xii, 421 p., 2 plans de situation + 39 planches.

Sommaire:

Remerciements (p. xi)

Chapitre I. Liminaire (p. 1)
Chapitre II. L'environnement du sanctuaire d'Hathor (p. 31)
Chapitre III. Description du temple d'Hathor (p. 81)
Chapitre IV. La composition de l'espase (p. 151)
Chapitre V. L'usage de l'espase (p. 209)
Chapitre VI. La construction du temple (p. 311)
Chapitre VII. Conclusion (p. 385)

Bibliographie (p. 389)
Table des figures (p. 409)
Plans de situation (p. 423)

これまでデンデラ神殿の基本図(平面図・立面図・断面図)といえば、

Émile Chassinat,
Le temple de Dendera, tome 5
(IFAO, Le Caire, 1947)

に所収された図版編に頼るしかありませんでしたが、もう少し詳しい大判の図版が多数、付け足されています。

Zignaniは1990年代の後半からデンデラ神殿について論文を発表していますけれど、特に

Éric Aubourg et Pierre Zignani,
"Espaces, lumières et composition architecturale au temple d'Hathor à Dendara:
Résultats préliminaires,"
Bulletin de l'Institute Français d'Archéologie Orientale (BIFAO) 100 (2000), pp. 47-77.

は本書の要約となっており、比較すると面白い。30ページほどありますが、本書が出る10年前の短報。
以前にも記した通り、100冊以上に登るBIFAOのバックナンバーは近刊を除き、すべて無料で閲覧することができます。PDFのダウンロードに要する時間がかかるのが難点。

BIFAO:
http://www.ifao.egnet.net/bifao/

BIFAO 100 (2000)の論考( 以下、Aubourg & Zignani 2000と略記)では、註記の一番最初にル・コルビュジェ(Le Corbusier)の高名な著作、「建築をめざして Vers une architecture (Paris, 1923)」が引用されており、古代エジプト建築の報告文に、巨匠とされる近代建築家の名が挙げられるのは珍しいと思っていましたら、本書ではなんと、参照する建築家をすげ替えて、ルイス・カーン(Louis Isadore Kahn)が代わりに冒頭で挙げられています(p. 7)。
この建築家は「沈黙と光」という題の本を出版していますから、確かにコルビュジェよりは、Zignaniの意向に沿っているように思われます。
コルビュジェの著作としては「モデュロール」の2巻本が参考文献リストに載っており、「建築をめざして」についてはもはや触れられていません。

参考文献リストにルイス・カーンの名前が出ている古代エジプトの建築報告書というものを初めて見ました。本書の第1巻(テキスト編)の巻末に見られる文献リストには、上記のAubourg & Zignani 2000が記されていないというのも面白い。 共同執筆論文とは言え、自分が関わって30ページほど書いた研究論文を、最終報告書の中で引用することをやめているわけです。
ちなみに、古代エジプト時代とその後のグレコ・ローマ時代の建築を分けつつ、資料が多く残る後者から情報を可能な限り汲み取ろうとするRossi 2004の参考文献リストでは、この人の研究業績のうち、[Aubourg &] Zignani 2000だけを掲載。Zignaniが厳密な測量をおこなった点を讃え、註記しています(pp. 171-2)。
共同執筆者の名前を省き、実質的に仕事をおこなった者の名だけを挙げるというやり方だと思われます。

「沈黙と光」という題の本を書いた近代建築家カーンの方が、コルビュジェよりもZignaniにとっては贔屓にしたい存在だったのではと書きましたが、これはAubourg & Zignani 2000ですでに顕著に見られる傾向から推測される点であって、その研究成果がこの報告書にも充分に反映されており、石造神殿の各所に設けられた小さな窓に関し、実に詳細な報告がなされています。
このように窓から建物の中に差し込む陽光(日光)について、また時間を追って移動する日射に関して細かく考察した例は、これまでなかったのでは。
年代が下り、成熟したかたちを示したエジプトの神殿建築の造り方に、さらにギリシアの考え方が流入して影響が与えられているものの、古代エジプト建築における建物内の光と影というテーマについて、初めて切り込んだ著書。

カーンはフォート・ウェインの劇場の設計において、バイオリンとそのケースという入れ子状の構成を考えましたが、デンデラ神殿における入れ子状の構成との関連性を探ってみることも面白い(cf. Hawass, Manuelian, and Hussein (eds.) 2010 [Fs. Edward Brovarski])。

2011年9月23日金曜日

Fraser 1996


アレキサンダー大王は、アジア遠征の途中で次々と自分の名前をつけた都市を造ったばかりではなく、各都市間を結ぶ交通網の整備も勘案しました。アレキサンドリアという名の都市の数は数十にのぼったという逸話から、この本は語り始められています。

Peter Marshall Fraser,
Cities of Alexander the Great
(Oxford University Press, New York, 1996)
xi, 263 p.

ウンベルト・エコ(ウンベルト・エーコ)は、オクスフォード大学出版局による書籍の刊行元がオクスフォードにはなく、ニューヨークに置かれているのだということを強調し、著作の中でもわざわざ述べています(エコ 1977: Japanese ed. 1991)が、この本でも同じ。
出版地がオクスフォードなのか、それともニューヨークなのか。どちらでも構わないように思われますけれども、論文などで書籍を引用しようとした場合には、少なくとも当方の場合、困惑することがしばしばです。

フレーザーの主著としては、以下に掲げるエジプトのアレキサンドリアに関するものがまず挙げられるはず。
全部で3巻本。本文の第1巻よりも註記を収めた第2巻の方が厚く、第三巻目の索引の巻を含めるならば、総ページ数は2000ページを超えるという大書です。文献学者による論考ですから、過去におけるさまざまなテキストへの注釈やクロス・リファレンスが整備され、その積み重ねの網目として古代の代表的な都市がどのように浮かび上がってくるのかが眼目。
「アレキサンドリアの街並みを復元することは不可能だろう」と本文の冒頭近くには書いてあり、従って、ここでのアレキサンドリア研究というのは視覚的な復原を意味しません。

Peter Marshall Fraser,
Ptolemaic Alexandria, 3 vols.
(Oxford University Press, New York, 1972)

Vol. I: Text. xvi, 812 p.
Vol. II: Notes. xiii, 1116 p.
Vol. III: Indexes. iii, 157 p.

だとしたら、この欄で一番最初に紹介したMcKenzie 2007は、一体どのような位置づけなのかということになるかと思われます。
たぶん文献学者の側から考えるならば、雑駁な情報を詰め込んで、アレキサンドリアの平面を力技で復原したということになるのでは。マッケンジーが採用している方法は、近年の考古学的な発掘調査の結果や19世紀の絵画資料も含め、これまでの歴史の中で提示されてきた全ての情報を最大限に生かして組み合わせたらどうなるのかを問うています。

誤解を恐れずに言うならば、マッケンジーには古典古代の時代に生きた記録者たちによる文面をまず優先するという態度がありません。テキストであろうが図像資料であろうが、情報としてはすべて等価とみなして復原をおこなっています。美術史学者のマッケンジーにとって、視覚的な像に引き寄せることは暗黙の前提として考えられていて、フレーザーによる方法との違いの間には深淵が横たわっています。
議論がもっとも白熱するところ。正しいこととはいったい何なのかが同時に尋ねられています。

これはまた、建築報告書とは何かということを考えさせる点です。
建築作品の紹介ということを想起するならば、図面を載せ、写真を載せ、場合によってはウォーク・スルーの動画を載せ、文章でも説明するという方策が今では採られていますが、こうしたやり方は結局、建てられた実際の建築作品を中心に置きながら、その周囲においてさまざまなメディアを駆使して、逆に空洞となる中心を浮かび上がらせ、想像させるという方法に近くなっています。
解説の文章に多くの図版を付与するという斬新な方法はセバスティアーノ・セルリオ Sebastiano Serlio によって試みられましたけれども、彼によって編み出されたグラフィカルな手法とはまた違ってしまった、建築を表現しようとする奇妙な世界。
建築は実際に見に行かないと、良さは決して分からないなどという言い方がよくされますが、たぶん、この事情を敏感に察して語られていることなのでは。この種の言い方が古くからあったとはとうてい思われません。 訪れて視ることの豊穣さと、情報を熟知しないために見落とされる世界の大きさとの双方が言われ、それらの質的な違いも示唆されています。

2009年12月20日日曜日

Arnold 1999


古代エジプトの末期王朝からグレコ・ローマン時代までの建築を詳しく扱う本。ほとんど類書がありません。アレキサンダー・バダウィが古代エジプト建築史について、それぞれ古王国時代、中王国時代、新王国時代を述べた3巻本を書いており(Badawy 1954-1968)、末期王朝以降を扱う第4冊目の刊行が予告されていましたが、結局は出版されませんでした。
30年以上経って、それが実現されたことになります。

Dieter Arnold,
Temples of the Pharaohs
(Oxford University Press, New York, 1999)
viii, 373 p.

王別によって建物が豊富な図版とともに順次紹介されており、たとえば流されてしまって今は失われた、ヤシ柱の列柱室を前面に有するカウ・エル=ケビール(アンタエオポリス)の神殿、あるいはアルマントの誕生殿などは、コンピュータ・グラフィックスによって復原されているという具合。
計画寸法の話、木造屋根の復原考察、柱頭の装飾モティーフの配列など、怠りなく説明されています。

近年はHölblなどが出版を重ねて、グレコ・ローマン時代に関する文献も増えつつあります。

Günther Hölbl,
Altägypten im römischen Reich:
Der römische Pharao und seine Tempel.


Band I:
Römische Politik und altägyptische Ideologie von Augustus bis Diocletian, Tempelbau in Oberägypten
(Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 2000)
v, 122 p.

Band II:
Die Tempel des römischen Nubien
(Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 2004)
iv, 160 p.

Band III:
Heiligtümer und religiöses Leben in den ägyptischen Wüsten und Oasten
(Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 2005)
116 p.

なども有用。
この人は1994年に"Geschichte des Ptolemäerreiches"を書いており、英訳された本、

Günther Hölbl,
translated by Tina Saavedra,
A History of the Ptolemaic Empire
(Routledge, London, 2001)
xxxvi, 373 p., 2 maps.

なども出しています。

2009年8月3日月曜日

Bülow-Jacobsen 2009


古代ギリシア・ローマ時代に属する石切場のひとつから見つかった石片には文字を記したものがあり、9000ほどのその中から石切り活動に関わる文字だけを選んで報告した書。
エジプトの石切場調査は最近、増えてきていますが、建築学的な知見がどれだけ増えているかというと、そうでもありません。建築技法についてはもちろん、いろいろ新しく見つかっても当然のことです。けれどもそれらは些末的な問題。ここを間違えている人が多くいます。
建築に関わって、なおかつ他の分野に繋げられるトピックが探し出されることこそ本当は重要なのですが、それがあまりおこなわれていない現状です。

Adam Bülow-Jacobsen,
Mons Claudianus:
Ostraca graeca et latina
IV.
The Quarry-Texts O. Claud. 632-896.
IF 995.
Documents de Fouilles (DFIFAO) 47
(Institut Français d'Archéologie Orientale (IFAO), Le Caire, 2009)
xiii, 367 p.

Table of Contents:
http://www.ifao.egnet.net/uploads/publications/sommaires/IF995.pdf

O. Claud.というような省略した書き方が専門書ではなされており、要するにオストラカ Ostraca、という言葉が端折って記されるわけです。これはパピルスも同じ。

O. BM (あるいはoBM)=大英博物館(British Museum)収蔵のオストラカ
O. Cairo (あるいはoCairo)=カイロ博物館収蔵のオストラカ
O. Turin (あるいはoTurin)=トリノ・エジプト博物館収蔵のオストラカ
P. Anastasi I (あるいはpAnastasi I)=第1アナスタシ・パピルス

といった感じです。
そう言えばトリノ博物館の展覧会が始まりましたが、トリノ博物館はラメセス時代に属する多くのオストラカを収蔵しており、貴重。報告はJesus Lopezが4巻本でおこなっています。

ギリシアでは、アルファベットが数字としても代用されました。すなわち、

α(アルファ)=1
β(ベータ)=2
γ(ガンマ)=3
δ(デルタ)=4

などとなります。
従って、O. Claud. 841の35行目に出てくる簡単なアルファベットの3つの羅列、

ε δ α

は「5 × 4 × 1」と訳され(p. 170)、これは石材の長さと幅と高さの寸法。
ここにはふたつ重ねられた飛躍があります。3つ並ぶアルファベットが数字をあらわし、しかもそれがひとつの石材の大きさであるという認識が必要。何しろ石切り現場での書き付けですから、省略がいろいろあり、これを勘案しながら石切り作業の全体像を追っていくことが望まれます。
石切場を巡る研究というのは、こういうところが面白い。

石材の大きさがこのように文字資料として小さな石片に記録されることは、王朝時代にはしかしあまり例がなく、ラメセウムのオストラカとして知られているものぐらいしかありません。岩窟墓における掘削量を記録しているものなら、いくらかあるのですけれども。
石に直接、その大きさを記した王朝時代の例も極端に少なく、クフ王の船坑の蓋石に書かれたものがほとんど唯一の例と思われます。クフの第2の船の調査研究を担当されているサイバー大学の山下弘訓先生にこの6月、初めて蓋石の書き付けを見せていただきましたけれども、きわめて貴重。
王朝時代からグレコ・ローマ時代にかけての長い期間における石切りの様相を概括することは、建築に関わる人間の仕事だと思います。

この巻では3つの付章が重要です。
Appendix 1では石切り作業に関連する専門用語を所収しており、他の辞書ではほとんど見られない語ばかりが並びます。
Appendix 2は、「この石切場に何人いたか?」という章で、人名リストを挙げています。労働組織の規模に関わる論考。
Appendix 3は、巨大な石の運搬に関する論議がなされています。
とても大きな建材の運搬について考えるはずのところなのに、規模がえらく異なった実験を、住宅内の床の上にて自分で進めていることがすごくおかしい。コロの上に載せた、小型の段ボール箱の側面にデジタルキッチンスケール(台所用の計り)をテープで固定し、その計量皿の部分の中央を右のひとさし指で押しています。わざわざこれを写真で紹介しており(p. 271, App. 3, Figs. 2-3)、靴下を履いた足が背景に写っているのも御愛嬌。
註もつけてあって、

"I am grateful to my brother, Jan Bülow-Jacobsen, who provided the necessary floor-space and most of the materials for this experiment." (p. 271)

と、読者に向かってウインクしてみせる様子がうかがわれ、かなりユーモアに富んだ著者であることがこれで分かる。
本文におけるきわめて専門的な書き方との、大きな落差が笑えます。

2009年7月30日木曜日

Spencer 2009


大英博物館によるエジプトのナイル・デルタの都市に関する発掘調査の最終年次報告書。冊子体ではなく、電子版として配布する形式を取っています。カラー写真が豊富に使え、何よりも安く作成することが可能で、さらには世界中へ簡単に配布できるというのがポイント。
良いこと尽くめのようですが、まだ一般的な方法ではありません。長く残るかどうか、誰もが訝しく思っているところがあり、また改変も簡単にできるため、信頼性に欠けるという短所もあります。報告書では、基本的に改訂版を出すという発想がありません。
配信を考慮して容量を軽くしていますけれども、印刷して見たい向きには別途、連絡すれば送ってくれるようです。

A. J. Spencer,
with a contribution by Tomasz Herbich,
Excavations at Tell el-Balamun 2003-2008.
(2009)
109 p.

Contents:
http://www.britishmuseum.org/research/research_projects/excavation_in_egypt/reports_in_detail.aspx

調査の概要は、大英博物館のサイトで見ることができます。

http://www.britishmuseum.org/research/research_projects/excavation_in_egypt.aspx

欄外の註は設けず、すべて本文内で処理しています。レイアウトにあまり凝ってもしょうがないという考え方がなされており、いくらか詰め込んでいる印象。遺物の扱いも、無理して図化せずに、ただ写真を載せてキャプションに寸法を書き込むという方法をしばしば採っています。レリーフも、モティーフが分かりにくいものを除き、基本的に描き起こしの図を作成していません。
簡便な、分かりやすい纏め方。

32ページでは壁体の脇の砂層の中に置き去りにされた煉瓦が報告されていて、"Mud-brick axis-marker"と呼ばれています。たぶん、こういう出土遺物は普通の発掘調査では無視されることも少なくないと思われますが、検出された場所が建物の奥の長軸上に近い場所ですから、あえて脱落した煉瓦とみなさず、積極的な意味を与えています。建物の平面全体と、遺物の出土場所を考えて、なおかつ建物をどういう順番で作るかという点を勘案した際の発想。
煉瓦の本を出している人ですから、細かい注意を払っています。建築の素養の有無が、こうした点から知ることが可能。

71-72ページには、「扉の軸受け」が出てきますが、しかしこれは非常に大きく("The hollow in the top is 73cm across on the exterior of the rim, with a depth of 14cm. The rounded rim is damaged in places and is 12cm high.", p. 72)、別の用途に用いられたのではないかという疑いがあります。情報が少ないので詳細が不明ですが、写真を見る限り、軸を受けたような明瞭な擦痕は見受けられない模様。
では何に使われたのかというと、適当なものが思いつきません。著者も迷った挙げ句の記述です。

第11章で扱われている磁気探査(pp. 104-109)は、ここでも成果を挙げています。テル・エル=ダバァにおける成功例が、ここでも参照されています。何が写っているのかを見る作業は、しかし現地の事情を良く知っていないと、とうていできるものではありません。掘らずに土の中から土の建築を見つけるという、画期的な科学技術。

プロジェクトの開始が1991年で、2008年の終了時まで20年近く掘り続けられた遺構。調査報告の方法について大きな示唆を与える発表です。

2009年4月9日木曜日

Goddio (ed.) 2008 (2nd ed.)


今年の6月から横浜で開催予定(朝日新聞社主催)の、「海のエジプト展」のもととなる展覧会の英語カタログです。すでにヨーロッパを巡回している展覧会のために作成されたもので、日本での開催にあわせ、いずれ和訳されたカタログがこれから出版されるかと思われます。
原本を見ておくことは重要。

Franck Goddio with David Fabre (eds.),
photography of the artefacts by Christoph Gerigk,
Egypt's Sunken Treasures
(Prestel, Munich, 2008, 2nd revised and updated ed.
First published in 2006)
399 p.

Contents:
I. The Region and Its History (p. 25)
II. Religion and Cults (p. 57)
III. Cities, Ports and Palaces (p. 217)
IV. From Excavations to Exhibition (p. 281)
V. Catalogue (291)
VI. Appendices (p. 365)

朝日新聞社やテレビ局のTBSなどが関わるこの大規模な展覧会については、

http://www.asahi.com/egypt/outline.html


を御参照ください。
フランク・ゴディオ(Franck Goddio)による水中考古学の成果、特にカノープス調査報告書については、当ブログの

http://ejibon.blogspot.com/2008/12/goddio-2007.html


で既出。

カタログには490点の展示物に関する説明が掲載され、この点数は通常の展覧会の点数の2倍に匹敵するかもしれません。大規模な会場を必要とするが故に、横浜だけでしか開催されないのではと考えられます。
日本ではおそらく多くの場合、200点ちょっとが通常の展示点数の目安で、これは広い会場がなかなか見つからないということもあるし、また欧米とは異なって日本人の観客の体力が続かないという配慮もあります。

海外の展覧会に行くと甚だ疲れるように感じるのは、圧倒的な点数の違いも理由のひとつ。全部の展示品が日本に来るかどうかは不明ですが、多数の展示品の鑑賞により、心地良く疲れを感じる展覧会となりそうな予感もあります。

ほとんど全ページがカラーという構成で、ハードカバーの装丁のために、かなり重い出版物。ページの全部を覆う、海中における調査の様子を伝える写真もあちらこちらに散りばめており、この当たりは普通のエジプト関連の展覧会のカタログとは違うところです。これらの図版にはページ番号が振られていませんから、挿入された図版によって文章が途切れ、いくらか読みにくくなっている側面もあります。

前半の解説の文章と遺物の写真とが同じページに並んでいないので、本当に読もうとするならば本の中をあちこち探さなければならない努力が強いられますけれども、意図的に構成を混交している点もうかがわれ、水中考古学の魅力を伝えようとすることが主眼に置かれているのだと理解するならば、目的は達せられていると見られます。

末尾の謝辞が3ページも続きます。稀です。
とてつもなく大きなプロジェクトが実現されたことが良く了解される、しかし巻末に回されて非常に目立たない記述。

2008年12月29日月曜日

Goddio 2007


ヒルティ財団から研究資金を得てなされたエジプト・カノープスにおける水中考古学調査の報告書。ロゼッタ・ストーンが見つかったことで知られているロゼッタと古都アレキサンドリアとの中間地点にカノープスは位置しています。
この町についてはストラボンによる記述の中にうかがわれ、そこではヘラクレスを祀った神殿「ヘラクレイオン」にも言及されています。

フランク・ゴディオが率いるアレキサンドリアの海中調査に関しては、すでに広く知られているところ。このカノープス地域における調査も大がかりで、対象となる海域が 約110平方キロメートル、と記しています。1990年代の初頭から予備調査が始められ、長い年月にわたる調査ですけれども、もちろんこのような広さの海底全部を潜って精査できるはずもなく、最新の探査機器やGPSなどが駆使されています。
2009年の6月、ゴディオ隊による調査の成果は横浜において「海のエジプト展」として公開され、そこでは多様な遺物とともに大画面に映し出される映像も見ることができるとのことですが、おそらくはここに記された内容が中心のひとつとなるはず。

Franck Goddio,
Underwater Archaeology in the Canopic Region in Egypt:
The Topography and Excavation of Heracleion-Thonis and East Canopus (1996-2006).
Oxford Centre for Maritime Archaeology (OCMA): Monograph 1
(Institute of Archaeology, University of Oxford, Oxford, 2007)
xvi, 136 p.

Contents:
Chapter 1: Introduction: The Canopic region - presentation of the project
Chapter 2: The ancient topography of the Canopic region - East Canopus
Chapter 3: Heracleion

朝日新聞社による「海のエジプト展」の 公式ページは、

http://www.asahi.com/egypt/?ref=recc


となります。
カラー図版がふんだんに盛り込まれた贅沢な作りの報告書で、ほとんど全ページにカラー図版が挿入されているといっても過言ではありません。海底における等高線が作成され、そこに遺物が書き込まれるという基本的なシステムが組まれています。

かつては陸地であったカノープスの町は、その後、海の底に沈んでしまいました。その復元をこの巻ではおこなっています。
注目される遺物は鉛などで造られた船のアンカーで、これが深い場所から相当数、見つかっています。この情報を元に、昔は船が行き来していた運河や水路の領域が大まかに特定され、等高線と重ね合わせて考えるならば、どこに往時の海抜があったのかを推定することができます。沈んでしまった陸の輪郭を描き出す作業がおこなわれたら、石材が散らばる建物址も見つけ出されていますから、島に建っていた神殿の位置も割り出すことができるという過程を踏んでいます。
「海のエジプト展」において提示されるこの都市の復原では、こうした考察の流れを経て復原されているのだと考えると判りやすい。

ヘラクレイオンの建材、石碑(ステラ)、彫刻像、その他の出土遺物が多数のカラー写真とともに紹介されていますし、報告書としては非常に分かりやすい書き方がなされています。
研究資金面で協力しているヒルティは小国リヒテンシュタインの会社で、土木建設業を主とし、現在では世界中に支社を構えています。民間から資金を得、学術的にはオクスフォード大学からの強力なバックアップを背景に出版された本。

2008年12月14日日曜日

McKenzie 2007


20年に1冊出るか出ないかという意味合いを持つ、重要な本です。
およそ3000年にわたる古代エジプト建築の歴史に関する書籍はすでに何冊も出ており、またエジプトのイスラーム建築についても、たくさんの本が言及しています。都市アレクサンドリアを述べたものも多く出ている状況。
しかしこの出版物は、そのように分断された書かれ方の空白を埋めることを明確な目的としておそらくは著されたものであって、とても素晴らしい。
この本の登場によって、エジプト建築の5000年間にわたる歴史の通覧がはじめて可能になったとみなすことができるかもしれません。

Judith McKenzie,
The Architecture of Alexandria and Egypt, 300 BC - AD 700.
Pelican History of Art
(Yale University Press, New Heaven and London, 2007).
xx, 458 p.

本の題名の後半には"300 BC - AD 700"としか書かれていません。でも単なる年代を記しているだけに見えるこの記述は、事情を知る者にとっては、エジプトのプトレマイオス王朝からイスラーム時代直前までのビザンティン建築を扱った本であるという点がすぐに了解されます。

エジプトにおけるこの時期の約1000年間の建築について何故、今まで研究が遅れていたかと言えば、複数の異なる言葉や文化・宗教・美術などに知悉していなければならないという大きな制約があったからです。それが乗り越えられ、成果が達成されている書。
「話が込み入ってますし、分かりにくいでしょうから」と、冒頭で本の粗筋が紹介されているのは面白い点です。最も短い第13章では、建築の作図方法について触れられており、有用。

カラー図版も多く交え、もちろん既往研究の情報が緻密に網羅されています。
Pelican History of Artのシリーズに対しては、昔から高い評価が寄せられていました。数年前から判型を大きくし、またカラー写真を多数加える改変を経て、さらに評価は高まっているように思われます。
著者はペトラの建築についての報告書も出していることで有名。
書評がEgyptian Archaeology 34 (Spring 2009), p. 42に出ました。