2010年10月30日土曜日

Kákosy et al. 2004


ハンガリー隊による、テーベの私人墓ジェフティメス(TT 32:ラメセス2世時代)に関する2巻本の報告書。
ハンガリーによる古代エジプト調査の歴史は100年を超えており、その過程はたとえば、Vörös 2007が個人史と重ねあわせながら示しています。
Studia Aegyptiacaのシリーズは、ハンガリーのブダペストから出されているエジプト学関連の刊行書の名前で、創刊は1974年。早稲田大学の図書館にはいくらか収蔵されているはず。シリーズを新しく改めて、その最初の巻として刊行。

László Kákosy, Tamás A. Bács, Zoltán Bartos, Zoltán I. Fábián, Ernö Gaál;
Stereo-photogrammetry, György Csáki and Annamária Csáki.
The Mortuary Monument of Djehutymes (TT 32), 2 vols (Text and Plates).
Studia Aegyptiaca, Series Major I
(Archaeolingua Alapítvány, Budapest, 2004)
xi, 372 p. + xi, 115 Plates.

Table of Contents:

List of Plates (vii)
Foreword (p. 1)
Editorial Remarks (p. 5)
Situation, Type and Architecture (p. 9)
Decoration Programme in TT 32 (p. 29)
The Owner of TT 32 (p. 355)
Abbreviations and Bibliography (p. 361)

なお、出土遺物については後年、第2巻として出版されているようですが、当方は未見です。

Gábor Schreiber,
The Mortuary Monument of Djehutymes II:
Finds from the New Kingdom to the Twenty-sixth Dynasty.
Studia Aegyptiaca, Series Major II
(Archaeolingua, Budapest, 2008)
224 p.

隊長であったLászló Kákosyが亡くなっているため、この書ではZ. I. Fábiánによって書かれている章が目立ちます。
壁画の報告に多くが費やされていることが、目次からも分かります。一方、建築に関しては、冒頭に20ページほどを記しているだけです。エジプト学における報告書ではこのように、建築に関する情報はいつも短めですが、専門家の数が少ないのだから仕方ありません。
以下、例によって建築の観点からのみ、気がついた点を記します。

この墓には個人的な興味があって、曲がりながら一周して下っている、狭くて長い廊下にヒエラティック・インスクリプションが何箇所かに残っているため、これを手がかりとして一日当たりの掘削量を求めたりしたことがあります。時折、こうした断片的な文字史料が掘削墓には見受けられるのですけれども、分析に耐えうるような、複数の文字がセットとして残っている例はきわめて稀。
工人たちが少しずつ掘り進めながら日付と長さを記録していったという前提のもとに、いくつかの読み方に関してはハンガリー隊の仮報告で見られるものとは異なる解釈を提案したのですが、どうやら半分ほどは受け入れられたらしい模様。

部屋の大きさに関しては一応のキュービット換算をおこなっていますが、あまり立ち入った考察はなされていません。
地上の斜面に、わずかに残存していたピラミディオンについては、1ページしか記していませんけれども、

"The width of the pyramid at the basis was 14.55 m (the platform on which it was built 15.1 m). The rear (upper) edge measured 9.4 m, thus the ground plan took the form of a trapezium with a height of about 11 m. The angle of inclination (69-72°) may indicate that the height of the building may have been 13-15 m which seems, however, hardly conceivable because of the character of the terrain. If one assumes a change in the inclination, it may have been considerably lower. It was built, like all the other private pyramids, of mud bricks. (Size of the bricks: 34×16.5-17×9.5 cm)."
(p. 27)

と面白い情報が併記してあって、足下で確認されたらしい勾配を尊重する一方、斜面上に立てられたために台形状に残った痕跡からピラミディオンの高さを求めているようです。これはピラミディオンの水平断面のかたちが常に正方形となるという特徴を利用して算出しているわけですが、詳しい計算方法が示されても良かったかも。
というのは、図版編のPlate CXVを見ると、ピラミディオンの最下端における標高は+99.81メートルであり、他方、これより高い位置に残存する北辺の高さが+102.35メートル。つまり、テキストを信じる限り、約2メートル上がったらピラミディオンの一辺が14.55メートルから9.4メートルへと短くなったことを意味するはずですから、その一辺の差は5メートルほど。だから、1メートル高くなると2.5メートル分、一辺の長さが短くなるという勾配であったとみなされます。
これを踏まえると、復原されるピラミディオンはそれほど高くなりません。その疑問が、意識されながらも曖昧なまま提示されている状況です。ピラミディオンの勾配を気にしている割には、セケドの話は出てこないし、また

Agnes Rammant-Peeters,
Les pyramidions égyptiens du Nouvel Empire.
Orientalia Lovaniensia Analecta (OLA) 11
(Peeters Press, Leuven, 1983)
xvii, 218 p., 47 planches.

が引用されていない点も不思議なところ。
おそらくは

E. Dziobek,
"Eine Grabpyramide des frühen NR in Theben",
in MDAIK 45 (1989), pp. 109-132.

でうかがわれる内容との整合性を優先したのかと思われますが、詳細を知りたい点ではあります。

壁画の説明に際しては、Fábiánを軸に4人ほどが手分けして書いたりしていて、欧米に留学した経験をお持ちの日本の若手の方々にとっては「おいおい大丈夫か」と思われる報告書かもしれません。しかし個人的には、親近感を抱く刊行物。ここには日本と似た状況がハンガリーにおいても存在することが、充分に暗示されています。Vörös 2007もそうした目で改めて読むと、得るところが少なくない書。
この厄介な状況を脱して日本人であることをやめ、能力を活かして海外で活躍し続けるか。それとも日本に戻り、さまざまに気配りしながらやっていくのか。かつて吉本隆明が昔にどこかで書いていたことでもあります。中途半端な報告書だと断ずるのはたやすいのですけれど、日本人の研究者がこの報告書を吟味するという中には、重いわだかまりが再度、姿をあらわすはずです。

2010年10月28日木曜日

Menu (ed.) 2010


古代エジプトやメソポタミアにおける労働組織を問う国際会議の会議録です。
建造組織、あるいは労働組織を広く追究する分野にとっては、非常に重要な論集であるとみなされるPowell (ed.) 1987の刊行以降に著された注目すべき出版物で、2004年の会議開催から6年経って、ようやく上梓されました。
表紙にはベルシャのジェフティヘテプの墓で見られる有名な巨像の牽引風景を載せた、さほど厚くないペーパーバック。

IFAO(フランス・オリエント考古学研究所:通称「フラ研」)から刊行されているシリーズの中の一冊で、Bibliothèque d'Étudeは昔、BdEと略されていた覚えがあるのですが、今はBiEtudと表記するようです。
近年、ここから毎年一回出されている紀要であるBIFAOの大半に、ネットで簡単にアクセスすることが可能となりました。

http://www.ifao.egnet.net/bifao/

1901年の創刊ですから、100冊以上あって、通覧するのも大変ですが、自宅で飲みながら無料でゆっくり見ることができるというのは、たいへん素晴らしい。
大規模に研究論文を網羅する、いかにも便利そうなデータベース化をめざしながらも、お金はちゃんといただきますよというアメリカ主導によるJSTORのやり方なんかは完全に無視して、一方的にタダで公開する、というのもフランスらしい大胆な選択。
会議録の内容は多岐にわたっています。

Édité par Bernadette Menu,
L'organisation du travail en Égypte ancienne et en Mésopotamie.
Colloque AIDEA (Association Internationale pour l'étude du Droit Égyptien Ancien) - Nice 4-5 octobre 2004.
IF 1005, Bibliothèque d'Étude (BiEtud) 151
(Institut Français d'Archéologie Orientale (IFAO), Le Caire, 2010)
vi, 192 p.

Sommaire:

Laure Pantalacci,
Préface (p. 1)

INTRODUCTION

Bernadette Menu,
Présentation générale (p. 3)

Robert Carvais,
Pour une préhistoire du droit du travail avant la Révolution (p. 13)

I. LES MÉTIERS ET LE DROIT CONTRACTUEL DU TRAVAIL

Schafik Allam,
Les équipes dites meret spécialisées dans le filage-tissage en Égypte pharaonique (p. 41)

Sophie Démare-Lafont,
Travailler à la maison. Aspects de l'organisation du travail dans l'espace domestique (p. 65)

Francis Joannès,
Le travail des esclaves en Babylonie au premier millénaire av. J.-C. (p. 83)

Barbara Anagnostou-Canas,
Contrats de travail dans l'Égypte des Ptolémées et à l'époque augustéenne (p. 95)

Patrizia Piacentini,
Les scribes: trois mille ans de logistique et de gestion des ressources humaines dans l'Égypte ancienne (p. 107)

II. GESTION DU TRAVAIL ET ORGANISATION DES CHANTIERS

Christopher Eyre,
Who Built the Great Temples of Egypt? (p. 117)

Laure Pantalacci,
Organisation et contrôle du travail dans la province oasite à la fin de l'Ancien Empire.
Le cas des grands chantiers de construction à Balat (p. 139)

Katalin Anna Kóthay太字,
La notion de travail au Moyen Empire. Implications sociales (p. 155)

Bernadette Menu,
Quelques aspects du recrutement des travailleurs dans l'Égypte du deuxième millénaire av. J.-C. (p. 171)

Robert J. Demarée,
The Organization of Labour among the Royal Necropolis Workmen of Deir al-Medina.
A Preliminary Update (p. 185)

序文は、カール・マルクスの「資本論」第1巻の引用から始められており、労働組織への注視が古代社会の構造を解き明かす上で重要なトピックであることを改めて強調しています。新王国時代後期のデル・エル=メディーナ(ディール・アル=マディーナ)の資料はここでも尊重されていますけれども、この村の存在を普遍的に扱って、古代エジプトにおける他の時代へ適用することについてはより慎重な姿勢を示しており、一方、中王国時代に属するpReisner(cf. Simpson 1963-1986)などへの言及は、近年の研究成果が反映され、増加しています。

Demaréeによる最後の論文は、デル・エル=メディーナ研究の現在の水準と今後の課題を語っており、有用。メトロポリタン美術館や大英博物館で所蔵されている未刊行の第18王朝に属するオストラカについて、報告書の作成を控えめながら促しています。
新王国時代におけるヒエラティックの代表的な読み手として名をなすAllam、Eyre、Demaréeたちが今、何を考えているかを知りたい学徒たちにとっても貴重な本。


2010年10月27日水曜日

Mace and Winlock 1916


メトロポリタン美術館による、エジプト発掘調査報告書シリーズの記念すべき第1巻。リシュトで発見されたセネブティシの墓(中王国時代)に関する報告で、出土した宝飾品の解説も丁寧ですけれども、いったん蓋を閉じたら二度と開かなくなる工夫が施された人型木棺などの図解が注目されます。

Arthur C. Mace and Herbert E. Winlock,
The Tomb of Senebtisi at Lisht.
The Metropolitan Museum of Art Egyptian Expedition Publications, Vol. 1
(Metropolitan Museum of Art, New York, 1916)
xxii, 132 p., 35 plates.

Contents:

Preface (vii)
Table of Contents (xi)
List of Illustrations (xv)
Introduction (xxi)

Chapter I. The Site and the Tomb (p. 3)
Chapter II. The Clearing of the Tomb (p. 9)
Chapter III. The Coffins and Canopic Box (p. 23)
Chapter IV. The Jewelry (p. 57)
Chapter V. The Ceremonial Staves (p. 76)
Chapter VI. Miscellaneous Objects, including the Pottery (p. 104)
Chapter VII. Date of Tomb and Comparison with Tombs on other Sites (p. 114)

Appendix. Notes on the Mummy, by Dr. G. Elliot Smith (p. 119)
Index of Names of Objects from the Painted Coffins (p. 121)
Index of Authorities cited (p. 127)
General Index (p. 129)
Plates (p. 133)

1000部が出版され、初版は今、かなりの高値で取引されていますが、1974年にArno Pressから再版が出され、また近年ではさらにリプリントも発行されています。しかしカラー図版は再版ではモノクロに置き換わっており、復原された宝飾品などは初版の中でしか見られない模様。
序文を書いているのはアルバート・リスゴーで、

"Here, on the desert edge south of Medinet Habu, the remains of the palace erected by Amenhotep III have now been cleared for the greater part, ..."
(p. viii)

と、メトロポリタン美術館が当時、手がけていたマルカタ王宮の発掘について触れており、メトロポリタン美術館が手をつける前にニューベリーとともにマルカタを掘ったタイトゥスの名前もここで出てきます。
もともとオクスフォードにいたアーサー・メイスはこの頃にはもう、メトロポリタン美術館に所属していました。メイスの名が良く知られているのは、ハワード・カーターと一緒にツタンカーメン王墓の発掘記を書いているからです。メイスは1928年に50歳の半ばで亡くなってしまい、これは3巻本によるツタンカーメンの墓の発掘記(Carter (and Mace) 1923-1933)の刊行中の出来事。
メトロポリタンの仕事で1900年代の初頭、メイスはエジプトの発掘に携わっていましたが、1922年にツタンカーメン王の墓が見つかって、急に忙しくなったカーターが援助をアメリカ隊のウィンロックに求め、メトロポリタン美術館のスタッフがツタンカーメンの墓の調査に関わるきっかけが生じました。
カーター自身も、アメンヘテプ3世が建立したマルカタ王宮の発掘をアメリカ人青年のタイトゥスがおこなった時には、その仕事の監督官として参加しており(cf. Leahy 1978)、ここには不思議な関係の交錯が見られます。
メイスの生涯を扱った本が出ていて、風変わりなタイトルがつけられています。

Christopher C. Lee,
The Grand Piano came by Camel: Arthur C. Mace, the Neglected Egyptologist
(Mainstream Publishing, Edinburgh, 1992)

カギのかかる木棺というのはしかし、珍しい。たいていは差し込んだ枘板に木栓を打って蓋を固定する方法がとられるわけで、蓋を閉めたら開かなくなる木棺や木箱の類例が註にいくつか挙げられています。
似た仕組みとして、カフラー王の石棺が言及されていますけれども(pp. 40-41)、実はクフ王の石棺も同じこと。ピラミッド内の玄室に今でも残っているクフ王の石棺のカギのかかる仕組みについては建築家による論考、Dormion 2004に掲載されている図が分かりやすく、またイタリアの建築家であるPietro Testaも似た図を描き起こしていたはず。テスタはまた、古王国時代の棺について最近、イタリア語で本も書いている男。

新王国時代における木箱では、このカギのかかる仕組みが多く採用されており、これについてはキレンが古代エジプトの家具について書いた本のうち、箱を扱った巻で紹介しています。
Killen 1980の続巻。

Geoffrey Killen,
Ancient Egyptian Furniture, Vol. II:
Boxes, Chests and Footstools
(Aris & Phillips, Warminster, 1994)
xii, 91 p., with catalogue of museum collections.

2010年10月26日火曜日

Hawass and Wegner (eds.) 2010 [Fs. David P. Silverman]


今夏の2010年7月中旬、ザマレックのSCAを訪れた時に出版関連の仕事に携わる方から見せてもらい、すぐに注文した本。シルバーマンへの、2巻本の献呈論文集です。
American University in Cairo Pressのサイトにて注文したけれど、そこではASAE Cahier 39というシリーズ名の方が優先的に表示されているので、ちょっと見つけづらい。
いささか長くなりますが、目次も併記。論文題名に含まれていたエジプト語の発音記号は、ネットにて用いられるものに変えてあります。

Zahi Hawass and Jennifer Houser Wegner eds.,
Millions of Jubilees: Studies in Honor of David P. Silverman.
Supplément aux Annales du Service des Antiquités de l'Égypte (ASAE), Cahier no. 39.
2 vols.
(Conseil Suprême des Antiquités de l'Égypte, Le Caire, 2010)
xxiv, 455 p. + ix, 386 p.

Contents
Volume I:
Preface (vii)
Acknowledgments (xi)
David P. Silverman (xiii)

Matthew Douglas Adams,
"The Stela of Nakht, Son of Nemty: Contextualizing Object and Individual in the Funerary Landscape at Abydos" (p. 1)

James P. Allen,
"The Original Owner of Tutankhamun's Canopic Coffins" (p. 27)

Dieter Arnold,
"A Boat Ritual of King Mentuhotep Nebhetepetra" (p. 43)

Rachel Aronin,
"'Sitting among the Great Gods': Denoting Divinity in the Papyrus of Nu" (p. 49)

Nathalie Beaux,
"Arc-en-ciel, apparition et couronnement: À propos du signe N 28“ (p. 61)

Patricia A. Bochi,
"Figuring the Dead: The Ancestor Busts and the Embodied Transition" (p. 69)

Edda Bresciani,
"Un conteneur lithique en forme de navicella decoré avec lotus et motifs de la navigation celeste" (p. 81)

Edward Brovarski,
"The Date of Metjetji" (p. 85)

Denise Doxey,
"The Military Officer Pamerihu: An Unpublished Relief in the Museum of Fine Arts, Boston" (p. 141)

Paul John Frandsen,
"Durkheim's Dichotomy Sacred: Profane and the Egyptian Category bwt" (p. 149)

Ed Gyllenhall,
"From Parlor to Castle: The Egyptian Collection at Glencairn Museum" (p. 175)

Zahi Hawass,
"Five Old Kingdom Sphinxes Found at Saqqara" (p. 205)

Jane A. Hill,
"Window between Worlds: The ankh as a Dominant Theme in Five Middle Kingdom Mortuary Monuments" (p. 227)

Salima Ikram,
"A Plaster Head in Cairo" (p. 249)

Janice Kamrin, with Elina Nuutinen and Amina El Baroudi,
"Getting Tutankhamun's Number" (p. 253)

Arielle P. Kozloff,
"Chips off the Old Block: Amenhotep IV's Sandstone Colossi, Re-Cut from Statues of Amenhotep III" (p. 279)

Ronald J. Leprohon,
"Sinuhe's Speeches" (p. 295)

Barbara S. Lesko,
"Divine Interest in Humans in Ancient Egypt" (p. 305)

Kate Liszka,
"'Medjay' (no. 188) in the Onomasticon of Amenemope" (p. 315)

Ulrich Luft,
"Die Stele des Sn-nfr in Deir el-Bersha und ihr Verhältnis zur Chronologie des Neuen Reiches" (p. 333)

Dawn McCormack,
"Establishing the Legitimacy of Kings in Dynasty Thirteen" (p. 375)

Antonio J. Morales,
"Threats and Warnings to Future Kings: The Inscription of Seti I at Kanais (Wadi Mia)" (p. 387)

Ellen F. Morris,
"Opportunism in Contested Lands, B.C. and A.D.: Or How Abdi-Ashirta, Aziru, and Padsha Khan Zadran Got Away with Murder" (p. 413)

Brian Muhs,
"A Demotic Donation Contract from Early Ptolemaic Thebes (P. Louvre N. 3263)" (p. 439)


Volume II:
Tracy Musacchio,
"An Unpublished Stela from Dendera dating to the Eleventh Dynasty" (p. 1)

M. G. Nelson-Hurst,
"'...Who Causes his Name to Live': The Vivification Formula through the Second Intermediate Period" (p. 13)

Del Nord,
"Under the Chair: A Problem in Egyptian Perspective" (p. 33)

David O'Connor,
"The King's Palace at Malkata and the Purpose of the Royal Harem" (p. 55)

Stephen R. Phillips,
"The Splitting Headache: A Case of Interpersonal Violence in a Graeco-Roman Era Human Cranium from Meydûm, Egypt" (p. 81)

Nicholas S. Picardo,
"(Ad)dressing Washptah: Illness or Injury in the Vizier's Death, as Related in his Tomb Biography" (p. 93)

Mary-Ann Pouls Wegner,
"The Construction Accounts from the 'Portal Temple' of Ramesses II in North Abydos" (p. 105)

Donald B. Redford,
"The False-Door of Nefer-shu-ba from Mendes" (p. 123)

Janet Richards,
"Honoring the Ancestors at Abydos: The Middle Kingdom in the Middle Cemetery" (p. 137)

Robert K. Ritner,
"Two Third Intermediate Period Books of the Dead: P. Houston 31.72 and P. Brooklyn 37.1801E" (p. 167)

Joshua Aaron Roberson,
"Observations on the so-called 'sw sDm=f,' or Middle Egyptian Proclitic Pronoun Construction" (p. 185)

Gay Robins,
"The Small Golden Shrine of Tutankhamun: An Interpretation" (p. 207)

Carolyn Routledge,
"Akhenaten's Rejection of the Title nb irt-xt" (p. 233)

Cynthia May Sheikholeslami,
"An Intriguing Faience Fragment: UCL 38096" (p. 245)

JJ Shirley,
"One Tomb, Two Owners: Theban Tomb 122 - Re-Use or Planned Family Tomb?" (p. 271)

Emily Teeters,
"Egypt in Chicago: A Story of Three Collection" (p. 303)

Pascal Vernus,
"Du moyen égyptien au néo-égyptien, de m à m-jr: l'auxiliation de l'impératif à la dix-huitième dynastie" (p. 315)

Jennifer Houser Wegner,
"A Fragmentary Demotic Cosmology in the Penn Museum" (p. 337)

Josef W. Wegner,
"A Group of Miniature Royal Sarcophagi from South Abydos" (p. 351)

Christiane Ziegler,
"Note sur une peinture thébaine (TT 145)" (p. 379)


オコーナーがマルカタ王宮について書くのは久しぶりで、ここではドロシー・アーノルドが2002年にカタログに書いた文(cf. Ziegler (ed.) 2002)と、Vomberg 2004、すなわち「御臨の窓」(window of appearance)に関する本への反応が語られています。
彼の語り口にはしかし、いつも古代エジプトにおける理念の追究という側面が読み取られ、現場に携わる人は絶えず、こうした考えの「足を引っ張るような発見」に努めるべき。現場における細かな観察が、エジプト学の通念をひっくり返す可能性というのは、どこにでもあると感じられます。
Vombergの書誌です。

Petra Vomberg,
Das Erscheinungsfenster innerhalb der amarnazeitlichen Palastarchitektur: Herkunft - Entwicklung - Fortleben.
Philippika: Marburger altertumskundliche Abhandlungen 4
(Harrassowitz Verlag, Wiesbaden, 2004)
xiii, 379 p., 4 Tafeln.

古代エジプトの「ハーレム」についてはドイツ語で書かれた博士論文、

E. Reiser, Der königliche Harim im alten ägypten und seine Verwaltung
(Wien, 1972)

と、ケンプによってJEAに書かれたその書評、またすぐその後でZÄSに掲載されたケンプの論文などが知られていますが、これらの他、さらにメディネット・ハブ(ラメセス3世葬祭殿)の入口塔の上階の話を含め、ハーレムを包括的に語ろうとしているのが特徴。
最近ではイアン・ショーが進めているプロジェクト、

Gurob Harem Palace Project:
http://www.gurob.org.uk/

があって、以上の資料に目を通せばハーレムの解釈については最新の情報が得られるはず。
ショーが指揮する調査チームの人員リストには、ソルボンヌのM. Yoyotteという、エジプト学に関わる者ならば「ん?」と感じるような名前もうかがわれ、イギリス人だけで固める隊にするのはやめようという意識が感じられて好ましく思われます。