2010年6月27日日曜日

Bleiberg and Freed (eds.) 1991


ラメセス2世に関する国際シンポジウムの記録。本の題名は、イギリスの代表的な詩人シェリーの、非常に有名な詩の一節から採られています。

Edward Bleiberg and Rita Freed eds.,
Fragments of a Shattered Visage:
The Proceedings of the International Symposium of Ramesses the Great
.
Monographs of the Institute of Egyptian Art and Archaeology, 1.
Series editor: William J. Murnane
(Memphis State University, Memphis, 1991).
v, 269 p.

さてこの薄ピンク色のペーパーバック、錚々たる顔ぶれが論考を寄せているため、新王国時代後期に興味を持っている人なら必ず見たいと思わせる書籍。
外見は安っぽいんですけれども、中身はきわめて重要です。16編の論考が掲載されていますが、建築関連ならばケラー、キッチン、オコーナー、そしてシュタデルマンの4本の論文は必読。

一番長い分量を書いているのはフランスの大御所ノーブルクールですが、2番目に長い文を寄稿しているケラーの内容は、壁画を専門とする人間にとって欠くことができない内容を伝えています。

C. A. Keller,
"Royal Painters: Deir el-Medina in Dynasty XIX"
pp. 50-86.

NARCE 115 (1981)に書かれたモティーフが、10年を経てこういうかたちに展開されるのかという思い。何しろ3200年前の画工の個人を特定しようという恐るべき試みであるわけで、絵画に対する情熱を持っていないと論旨についていけません。
この論文が何故、建築に関わりがあるかと言うならば、それは岩窟墓の造営作業に関わった労働者集団組織の編成をどう考えるかという問題と繋がるからです。王家の谷の岩窟墓は「右班」と「左班」とによって掘削され、仕上げが施されました。この時の「右班」と「左班」は、実際に墓の右と左をそれぞれ担当したのであろうとチェルニーが書いています。ただしガーディナーは右と左について、墓の奥から見た場合の右と左であることを言及していますので、留意されるべき。墓の入口から見た左右ではありません。
このチェルニーの見方への反論であるわけですが、建造作業の場合は、また別の見方が必要であろうと思われます。

Kenneth A. Kitchen,
"Towards a Reconstruction of Ramesside Memphis",
pp. 87-104.

キッチンは汚い絵を数枚掲載していますが、その殴り書きに近いメンフィスの全体見取り図が、少なくともこれから長く引用され続けるであろうということをはっきりと意識しています。意図的に乱暴な描き方をすることで、考え方の骨格だけを正確に伝えるという見事な表現。図面は綺麗に描くほど価値があると考えている凡庸な研究者たちに、根本的な批判を与える図と言っていい。単に多忙だから汚い絵を出していると思っていると大きく間違えます。

David O'Connor,
"Mirror of the Cosmos: The Palace of Merenptah",
pp. 167-198.

オコーナーに対しては、ちょっと厳しい見方をすべきだと僕は考えています。メルエンプタハの宮殿を発掘したのはペンシルヴェニア大学の博物館で、壮大なことを書く前に、後継者はもう少し細かい情報を出して欲しかった。
エジプトの王宮について調べようと思ったら、しかし彼のこの論考は疑いもなく、最重要の部類に入ります。事実、多く引用されている論文。

Rainer Stadelmann,
"The Mortuary Temple of Seti I at Gurna: Excavation and Restoration",
pp. 251-269.

MDAIKで発掘調査の経過を追っている人は、読む必要がないかもしれない。
シュタデルマンによるセティ1世葬祭殿の建築報告書は、たぶんもう出版されないのではないかと個人的に思っていますが。彼による論考もまた、王宮建築の研究者にとっては重要。

活躍していたWilliam J. Murnaneが亡くなってしまいました。これが非常に残念です。ここではシリーズ・エディターとして登場。

2 件のコメント:

  1. 西本先生
    この前シュタデルマンにお会いしましたら、セティ1世葬祭殿の報告書を準備中とのことです。事実、実動部隊の建築家Günterが作業を行っているとのうわさを聞きました。
    N.K

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  2. Philipp von Zabernの近刊書案内でこの予告を見たのは、確か20年ほど前。本当に出るといいんですが。マルカタのアメン神殿と平面が似ており、テーベにおける両者の配置も面白いところですよね。

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