2010年9月11日土曜日

Peschlow-Bindokat 1990


太宰治の名作「走れメロス」では親友の石工セリヌンティウスという者が登場し、最後にはメロスと音を立ててお互いに殴り合います。互いをどこまで深く信じていたのかについて決着をつける行為。
セリヌンティウスと呼ばれるこの男、

「今は此のシラクスの市で、石工をしている」

と小説の冒頭には説明があって、太宰の短編小説の舞台がイタリアのシチリア島(シシリー島)であることを改めて知るわけですが、その石工の名前(Selinuntius)は「セリヌント(セリヌンテ)の人」という意味。「シラクス」、「シラクーザ」あるいは「シラクサ」は、シチリア島における中心都市の名です。「セリヌント」はこの島の地方の名。

イタリア領の島のひとつであるシチリアには昔、古代ギリシア人たちの植民都市が築かれたので、古い形式の神殿が今でもいくつか残っています。石造建築に深い興味を抱く人ならば、シチリアに残るセジェステ(セジェスタ)の神殿が多くの専門書で繰り返し取り扱われていることを御存知のはず。古代ギリシア建築の構法を扱う代表的な教科書として挙げられるHellmann 2002では、カラー図版でそれが大写しで掲げられています。
シチリアの神殿は全般的に、残存状態はあまり良くなくて、観光目的で見に行くとがっかりする方もいらっしゃるかと思うのですが、なぜ古代建築の専門家たちが、セジェステに佇む壊れた神殿に注目するかと言えば、未完成であるために建物の造り方が詳しく分かるという利点があるからで、本来は完成時に削り落とすべき突起が、石材のあちこちに見受けられたりします。
特に基壇部分の突起は、非常に頻繁に引用されており、古代エジプトにおけるギザのメンカウラー王ピラミッド基部の花崗岩に残る突起などとともに、世界で有数の突起のうちのひとつ。

この島には神殿を建てるために切り開かれた多数の石切場も同じように残っていて、その中でも大きな円柱を切り出そうとしてそのまま残された光景は特筆され、とても有名。
本書はシチリアのセリヌントにある石切場の報告書。クーサ(Cusa)の石切場を主として扱っています。
前回で挙げたMalacrino 2010にも、クーサの石切場に残る切りかけの円柱群はもちろん34ページの図で紹介されており、それでこの本を思い出した次第。

Anneliese Peschlow-Bindokat,
mit einem Beitrag von Ulrich Friedrich Hein,
Die Steinbrüche von Selinunt:
Die Cave di Cusa und die Cave di Barone
.
Deutsches Archäologisches Institut (DAI)
(Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 1990)
66 p., 30 Tafeln, 4 Beilagen.

Inhalt:

Presentazione (Vincenzo Tusa) (p. 7)
Vorwort (p. 8)

Die Steinbrüche von Selinunt (p. 9)
Steinbrüche und Bautätigkeit von Selinunt (p. 9)
Die Cave di Cusa (p. 14)
Die Cave di Cusa und der Tempel G (p. 33)
Die Cave di Cusa und die Marmorbrüche von Milet (p. 38)
Die Cave di Barone (p. 40)

Geologische und petrographische Merkmalsmuster antiker Baustoffe Selinunts und seiner Steinbrüche (Ulrich Friedrich Hein) (p. 45)
Einleitung (p. 45)
Der geologische Rahmen (p. 46)
Die antiken Steinbrüche (p. 49)
Zur Petrographie der antiken Baumaterialien (p. 56)
Zur Geochemie der antiken Baumaterialien (p. 62)
Bemerkungen zum lithologischen Inventar der Bauwerke (p. 63)
Anhang: Probenverzeichnis (p. 64)

Abbildungsnachweis (p. 66)

前半は技法に関する考察で占められ、後半では岩石学的な記述がおこなわれています。
上記の通り、目次ではドイツ語とイタリア語とが入り混じっており、こういうところは定冠詞というものが存在しない日本語をもっぱら用いている人間にとって、かなり衝撃的です。

建築学で建造過程を眺めようとする領域は、それはすなわち「段取りをどう見るか」の世界ですから、切り出した円柱のドラムをどのように効率的に岩盤から切り出すのか、どっちの方向へ運び出そうとしているのかを把握するのが焦点となります。円柱を切り出すために、1メートル弱の幅の狭い溝を円柱の周囲に沿って掘り下げていますけれども、掘削量を可能な限り削減しようとしたらしいことが、ここでもうかがわれます。
複数の石切場と、現地に残る数々の神殿との対応関係を探っているのは注目されます。考古学・建築学と、科学分析の成果とがうまく組み合わされた例。報告書においてある程度、最終の着地点が見える場合にはこうした共同作業ができて、幸せな邂逅が達成されます。
でも、いつもこうしたことができるとは限らない。

円柱を切り出そうとした痕跡が集中している石切場というのは世界的にも案外に少なくて、クーサの石切場などが注視される所以です。古代エジプトにおける一本柱の整形の仕方と、古代ギリシア・ローマでの一本柱の整形の方法がどのように異なるのかといった細かな検討も、まだおこなわれていないはず。
それは一見、専門技術に関わる話で、全体として些細な問題であるように思われながらも、時代の要請に応じ、何を優先して何を切り捨てたのかという文化の違いを示す話とも繋がっていきます。

かつて、古代エジプトを中心とした石切場の文献を集めたことがありました。類似したページは今でもあまりないようですので、御参考までに。

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