2009年5月3日日曜日

Demaree and Egberts 1992


世界最初のストライキがおこなわれたと言われるデル・エル・メディーナ(ディール・アル=マディーナ:専門書においては"DeM"と略されることが多々あります)の研究書。
これは王家の谷を造営した職人たちが住んでいた村で、200年ばかり存続しました。
この村の研究を進めていることで有名なのがレイデン大学。ここに「非西欧研究センター、Centre of Non-Western Studies: CNWS」というのがあって、エジプト学も東南アジア研究もおこなっています。

R. J. Demaree and A. Egberts,
Village Voices:
Proceedings of the Symposium "Texts from Deir el-Medina and Their Interpretation", Leiden, May 31 - June 1, 1991.
CNWS Publications no. 13
(Centre of Non-Western Studies, Leiden University, Leiden, 1992)
(ix), 147 p.

DeMの研究書は何冊も出ていますけれども、非常にコアな研究グループですから、全貌を知るまでには時間がかかります。重要史料であるオストラカが全部出版されていないというのが難点のひとつ。1/3が出版済み、残りの1/3についてはチェルニーのノートに記されていて、あとの1/3が公開待ち、というような情勢でしたが、このところ史料の出版が続いており、改善されつつあります。CNWS Publicationsのシリーズはきわめて有用。
編者のDemareeは大英博物館蔵のオストラカの本を近年、出版しました。でも判型が小さく、情報の重複を避けているために他の本をいちいち参照しなければいけないところが残念。

Robert J. Demarée,
Ramesside Ostraca
(The British Museum, London, 2002)
48 p., 224 plates.

この村には、字が汚いことで知られる書記がいます。性格も相当悪かったようですが、3000年以上も前なのに、悪筆で歴史に名を残していることでは有数の人。
あるオストラカでは、この人の名前がほんの一部しか残されていないのにも関わらず、読解では職名まで復元されており、この狭い学問領域における研究層の厚さが示唆されます。
住人についてはとことん細かく調べられていて、Who's Who at Deir el-Medina (1999)などという本まで出ています。家系図も作成されており、3000年以上も前の当時の住人にとって、それが喜ばしいことなのかどうかは不明。

Demareeはこの本で王墓の寸法に言及しているオストラカを集めており、注目されます。村の人のうち、一体どれだけの者が字を読み書きできたかを問うJanssenの論考も読むべき論文。
Bierbrier、Gasse、Haring、McDowellも寄稿しており、この人たちはメディーナ研究の中枢にいる学者たちです。Haringはこのところ、活躍が目立っています。

20ページ以上も続く巻末の

"A Systematic Bibliography on Deir el-Medina"

は、まことに瞠目すべきリスト。この改訂版は出ていますし、最新情報の公開方法は今日、すでにウェブサイトへと移っています。
この出版物は薄手の本ながら、未だ重要さを失っていません。

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