2009年5月4日月曜日

Samson (ed.) 1990


「住居」という、誰にでも馴染みのある対象を考古学的に扱った小さな本で、見逃せない書籍。

"All the main schools of social theory are covered, including feminism, marxism, structuralism and structuration theory. The ideas developed by Henry Glassie, Bill Hillier and Julienne Hanson are also explored."

とカバーには書かれていて、なかなか意欲的な内容であることがうかがわれます。
ここでの"schools"とは「学校」ではなく、「流派・学派」のこと。フェミニズムやマルクス主義、構造主義的考察などによる解釈が広く扱われることになります。

Ross Samson ed.,
The Social Archaeology of Houses
(Edinburgh University Press, Edinburgh, 1990)
v, 282 p.

Contents:
1. Introduction, by Ross Samson (p. 1)
2. The Living House: Signifying Continuity, by Douglass W. Bailey (p. 19)
3. Social Inequality on Bulgarian Tells and the Varna Problem, by John Chapman (p. 49)
4. Comment on Chapman: Some Cautionary Notes on the Application of Spatial Measures to Prehistoric Settlements, by Frank E. Brown (p. 93)
5. The Late Neolithic House in Orkney, by Colin Richards (p. 111)
6. Domestic Organisation and Gender Relations in Iron Age and Romano-British Households, by Richard Hingley (p. 125)
7. Romano-British Villas and the Social Construction of Space, by Eleanor Scott (p. 149)
8. Comment on Eleanor Scott's 'Romano-British Villas and the Social Construcion of Space', by Ross Samson (p. 173)
9. The Feudal Construction of Space: Power and Domination in the Nucleated Village, by Tom Saunders (p. 181)
10. The Rise and Fall of Tower-Houses in Post-Reformation Scotland, by Ross Samson (p. 197)
11. The Englishman's Home and its Study, by Matthew Johnson (p. 245)
12. Analysing Small Building Plans: A Morphological Approach, by Frank E. Brown (p. 259)
Index (p. 277)

編者のサムソンが序章の他に2つも書いており、またF. E. ブラウンもふたつの章を担当しています。こういう点をどう解釈するかは、勘案のしどころ。

ヒリアーの理論をもとにした第3章に対するブラウンによる論評、第4章が面白い。ブラウンはここで、当然とも言える反論を用意していて、ヒリアーの理論では部屋というものを、大きさを完全に無視している点などを図も交えて誇張して挙げ、注意を喚起しています。
この説明の仕方はきわめて興味深く、「部屋の繋がり方だけを言うのであれば、それはロンドンにおける近世の長屋であっても同じじゃないか」と言っています。その類例の提示のやり方が愉快です。建築を良く分かっている研究者による、説得力ある書き方。
この部分が他の者によって引用される理由がここにあります。

ですが、これがヒリアーの論に対する本当の批評になっているかどうか。またブラウンの論文の引用者が、本当にその意味を理解しているのかどうか。
ヒリアーの展開した論の射程は思いの他、広がりを持っており、これによってさまざまなことが明るみにされる可能性があるように思われ、単に考古学の現場へ当て嵌めることができないという理由だけで捨て去るには忍びない感じがします。
矛盾を孕んでいるところこそが、深く考えるべき場所のように思われます。

忌野清志郎の訃報に接しました。
「体が弱くて不健康ができるか」との笑える書き込みのある、彼の顔が大写しにされた30年ほど前の昔の大きなポスターを吉祥寺のパルコで見たことを改めて思い出しました。

人間が「不良として生きる」ということを、生涯を通じてまっとうした注目すべき偉人。惜しまれます。
心から冥福を祈ります。

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