Edward Brovarski, Susan K. Doll, and Rita E. Freed (eds.),
Egypt's Golden Age:
The Art of Living in the New Kingdom 1558-1085 B.C.
Catalogue of the Exhibition
(Museum of Fine Arts, Boston. Boston, 1982)
336 p.
についてはちょっと触れたことがありますけれど、巻末には目配りの利いた多数の参考文献が列記されるなど、きわめて充実した内容を示す本で、新王国時代の研究者にとっては必携の書です。
この本の編者の一人がBrovarskiで、下記のように、ASAEのCahierシリーズ(CASAE)から出版されました。
Zahi Hawass, Peter Der Manuelian, and Ramadan B. Hussein (eds.),
Perspectives on Ancient Egypt: Studies in Honor of Edward Brovarski.
Supplément aux Annales du Service des Antiquités de l'Égypte, Cahier (CASAE) 40
(Publications du Counseil Suprême des Antiquités de l'Égypte, Le Caire, 2010)
474 p.
Contents:
Zahi Hawass,
PREFACE (p. 9)
ACKNOWLEDGEMENTS (p. 11)
Del Nord,
EDWARD BROVARSKI: AN EGYPTOLOGICAL BIOGRAPHY (p. 13)
BIBLIOGRAPHY OF EDWARD BROVARSKI (p. 23)
Schafik Allam,
NOTES ON THE DESIGNATION 'ELDEST SON/DAUGHTER'
(z3/z3.t smsw: Sri '3/Sri.t '3.t) (p. 29)
Hartwig Altenmüller,
SESCHAT, 'DIE DEN LEICHNAM VERSORGT', ALS HERREN ÜBER VERGANGENHEIT UND GESCHICHTE (p. 35)
Mariam F. Ayad,
RE-FIGURING THE PAST: THE ARCHITECTURE OF THE FUNERARY CHAPEL OF AMENIRDIS I AT MEDINET HABU, A RE-ASSESSEMENT (p. 53)
Manfred Bietak,
THE EARLY BRONZE AGE III TEMPLE AT TELL IBRAHIM AWAD AND ITS RELEVANCE FOR THE EGYPTIAN OLD KINGDOM (p. 65)
Tarek el Awady,
MODIFIED SCENES AND ERASED FIGURES FROM SAHURE'S CAUSEWAY RELIEFS (p. 79)
Marjorie Fisher,
A NEW KINGDOM OSTRACON FOUND IN THE KING'S VALLEY (p. 93)
Laurel Flentye,
THE MASTABAS OF DUAENRA (G 5110) AND KHEMETNU (G 5210) IN THE WESTERN CEMETERY AT GIZA: FAMILY RELATIONSHIPS AND TOMB DECORATION IN THE LATE FOURTH DYNASTY (p. 101)
Fayza Haikal,
OF CATS AND TWINS IN EGYPTIAN FOLKLORE (p. 131)
Tohfa Handoussa,
THE FALSE DOOR OF HETEPU FROM GIZA (p. 137)
Zahi Hawass,
THE EXCAVATION OF THE HEADLESS PYRAMID, LEPSIUS XXIX (p. 153)
Jennifer Houser Wegner,
A LATE PERIOD WOODEN STELA OF NEHEMSUMUT IN THE UNIVERSITY OF PENNSYLVANIA MUSEUM OF ARCHAEOLOGY AND ANTHROPOLOGY (p. 171)
Angela Murock Hussein,
BEWARE OF THE RED-EYED HORUS: THE SIGNIFICANCE OF CARNELIAN IN EGYPTIAN ROYAL JEWELRY (p. 185)
Ramadan B. Hussein,
'SO SAID NU': AN EARLY bwt SPELL FROM NAGA ED-DÊR (p. 191)
Naguib Kanawati,
CHRONOLOGY OF THE OLD KINGDOM NOBLES OF EL-QUSIYA REVISITED (p. 207)
Barbara S. Lesko,
THE WOMEN OF KARNAK (p. 221)
Leonard H. Lesko,
ANOTHER WAY TO PUBLISH BOOK OF THE DEAD MANUSCRIPTS (p. 229)
Peter Der Manuelian,
A DIG DIVIDED: THE GIZA MASTABA OF THE HETI, G 5480 (GIZA ARCHIVES GLEANINGS IV) (p. 235)
Dimitri Meeks,
DE QUELQUES 'INSECTES' ÉGYPTIENS: ENTRE LEXIQUE ET PALÉOGRAPHIE (p. 273)
Karol Mysliwiec,
FATHER'S AND ELDEST SON'S OVERLAPPING FEET: AN ICONOGRAPHIC MESSAGE (p. 305)
Del Nord,
THE EARLY HISTORY OF THE ÌPT SIGN (GARDINER SIGN LIST O45/046) (p. 337)
Laure Pantalacci,
LE BOVIN ENTRAVÉ: AVATARS D'UNE FIGURE DE L'ART ET L'ÉCRITURE DE L'ÉGYPTE ANCIENNE (p. 349)
M. Carmen Pérez Die,
THE FALSE DOOR AT HERAKLEOPOLIS MAGNA (I) TYPOLOGY AND ICONOGRAPHY (p. 357)
Ali Radwan,
'nx-m-m3't (BRITISH MUSEUM STATUE EA 480 - BANKES STELA 15) (p. 395)
Cynthia May Sheikholeslami,
PALAEOGRAPHIC NOTES FROM TWENTY-FIFTH DYNASTY THEBES (p. 405)
David P. Silverman,
A FRAGMENT OF RELIEF BELONGING TO AN OLD KINGDOM TOMB (p. 423)
Josef Wegner,
EXTERNAL CONNECTIONS OF THE COMMUNITY OF WAHSUT DURING THE LATE MIDDLE KINGDOM (p. 437)
Christiane Ziegler,
NOUVEAUX TÉMOIGNAGES DU 'SECOND STYLE' DE L'ANCIEN EMPIRE (p. 459)
入れ子状の建物を扱ったAyadの論考は、さまざまなことを想起させます。あんまり整理されていない文で、繰り返しが多々見られる不備が残念ですが、言いたいことは良く伝わってきます。
B. J. ケンプが指摘した入れ子状の建物の重要性に関する再確認をおこなっており、D. アーノルドもTemples of the Last Pharaohs (New York and Oxford, 1999)において、後にこの話題に触れました。
これが建築学的にどういう意味なのかは、しかし述べられていません。四角い一室しか持たない簡単な建物の中に、同じような建物が収まっている表現はどのように解釈すべきものなのか?
当方の知る限り、このような建築表現について明確な意見を書いているのは、もう亡くなってしまった建築家の毛綱モン太(毛綱毅曠)で、ある建物から同じ建物が見えるというのは面白いことなんだ、とどこかで述べていたはずです。
彼の考えを借りると、入れ子状の建築の表現とは、ある建物の中に入ると同一の建物がそこにある、そういう解釈になります。そうであるならば、ひとは建物の中に入ったことになるのか。それとも建物の外に立っていることになるのか。その両方を宙吊りにした状態になるのか。
空間に関する近代の感覚を破壊する思考で、とても面白い。Fischerによる扉の考察と併せて考えるべき問題かと思われます(cf. Fischer 1996)。
レスコ夫妻のうち、旦那の方はコンピュータ時代の悩ましい問題を語っていて、これも興味を惹きます。史料を次代へと引き継ぐ問題で、技術を駆使すれば精緻なデータなどはもちろんこれから先もたくさん得られるんですけれども、いったいこの先、錯綜する厖大な史料データを誰が纏めて面倒を見るのかという問いかけ。
レスコ夫妻のうち、旦那の方はコンピュータ時代の悩ましい問題を語っていて、これも興味を惹きます。史料を次代へと引き継ぐ問題で、技術を駆使すれば精緻なデータなどはもちろんこれから先もたくさん得られるんですけれども、いったいこの先、錯綜する厖大な史料データを誰が纏めて面倒を見るのかという問いかけ。
情報の共有というありふれた話題のように思われながら、A Dictionary of Late Egyptian, 5 vols. (Berkeley, 1982-1990)が彼によって編纂されたことは知られていますので、この発言には重みがあります。
彼が問題にしているのは取りあえず「死者の書」に関連する資料ですが、いっこうに埒があかない状況への苛立ちが感じられ、課題の大きさを伝えています。史料の「読み手」の問題がここには隠されていて、解像度を高めたデジタル情報の提供量の増大はこれから見込まれるものの、その解釈の側はどうなっているのかという反問。
彼が問題にしているのは取りあえず「死者の書」に関連する資料ですが、いっこうに埒があかない状況への苛立ちが感じられ、課題の大きさを伝えています。史料の「読み手」の問題がここには隠されていて、解像度を高めたデジタル情報の提供量の増大はこれから見込まれるものの、その解釈の側はどうなっているのかという反問。
問題の本質を掴まえないで、いたずらに情報量だけを増やしている連中への、悪意の表明とみなせなくもない。
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