2011年9月23日金曜日

Fraser 1996


アレキサンダー大王は、アジア遠征の途中で次々と自分の名前をつけた都市を造ったばかりではなく、各都市間を結ぶ交通網の整備も勘案しました。アレキサンドリアという名の都市の数は数十にのぼったという逸話から、この本は語り始められています。

Peter Marshall Fraser,
Cities of Alexander the Great
(Oxford University Press, New York, 1996)
xi, 263 p.

ウンベルト・エコ(ウンベルト・エーコ)は、オクスフォード大学出版局による書籍の刊行元がオクスフォードにはなく、ニューヨークに置かれているのだということを強調し、著作の中でもわざわざ述べています(エコ 1977: Japanese ed. 1991)が、この本でも同じ。
出版地がオクスフォードなのか、それともニューヨークなのか。どちらでも構わないように思われますけれども、論文などで書籍を引用しようとした場合には、少なくとも当方の場合、困惑することがしばしばです。

フレーザーの主著としては、以下に掲げるエジプトのアレキサンドリアに関するものがまず挙げられるはず。
全部で3巻本。本文の第1巻よりも註記を収めた第2巻の方が厚く、第三巻目の索引の巻を含めるならば、総ページ数は2000ページを超えるという大書です。文献学者による論考ですから、過去におけるさまざまなテキストへの注釈やクロス・リファレンスが整備され、その積み重ねの網目として古代の代表的な都市がどのように浮かび上がってくるのかが眼目。
「アレキサンドリアの街並みを復元することは不可能だろう」と本文の冒頭近くには書いてあり、従って、ここでのアレキサンドリア研究というのは視覚的な復原を意味しません。

Peter Marshall Fraser,
Ptolemaic Alexandria, 3 vols.
(Oxford University Press, New York, 1972)

Vol. I: Text. xvi, 812 p.
Vol. II: Notes. xiii, 1116 p.
Vol. III: Indexes. iii, 157 p.

だとしたら、この欄で一番最初に紹介したMcKenzie 2007は、一体どのような位置づけなのかということになるかと思われます。
たぶん文献学者の側から考えるならば、雑駁な情報を詰め込んで、アレキサンドリアの平面を力技で復原したということになるのでは。マッケンジーが採用している方法は、近年の考古学的な発掘調査の結果や19世紀の絵画資料も含め、これまでの歴史の中で提示されてきた全ての情報を最大限に生かして組み合わせたらどうなるのかを問うています。

誤解を恐れずに言うならば、マッケンジーには古典古代の時代に生きた記録者たちによる文面をまず優先するという態度がありません。テキストであろうが図像資料であろうが、情報としてはすべて等価とみなして復原をおこなっています。美術史学者のマッケンジーにとって、視覚的な像に引き寄せることは暗黙の前提として考えられていて、フレーザーによる方法との違いの間には深淵が横たわっています。
議論がもっとも白熱するところ。正しいこととはいったい何なのかが同時に尋ねられています。

これはまた、建築報告書とは何かということを考えさせる点です。
建築作品の紹介ということを想起するならば、図面を載せ、写真を載せ、場合によってはウォーク・スルーの動画を載せ、文章でも説明するという方策が今では採られていますが、こうしたやり方は結局、建てられた実際の建築作品を中心に置きながら、その周囲においてさまざまなメディアを駆使して、逆に空洞となる中心を浮かび上がらせ、想像させるという方法に近くなっています。
解説の文章に多くの図版を付与するという斬新な方法はセバスティアーノ・セルリオ Sebastiano Serlio によって試みられましたけれども、彼によって編み出されたグラフィカルな手法とはまた違ってしまった、建築を表現しようとする奇妙な世界。
建築は実際に見に行かないと、良さは決して分からないなどという言い方がよくされますが、たぶん、この事情を敏感に察して語られていることなのでは。この種の言い方が古くからあったとはとうてい思われません。 訪れて視ることの豊穣さと、情報を熟知しないために見落とされる世界の大きさとの双方が言われ、それらの質的な違いも示唆されています。

0 件のコメント:

コメントを投稿