2011年12月31日土曜日

Hartmann 1989


古都エルカブとネクベト女神に関する博士論文。
ドイツに留学中の安岡君が手配してくれ、マイクロフィッシュの形態にて頒布されていたこの論考にようやくアクセスすることができました。
註は1150を超え、初期王朝から神殿が造営されたエルカブの長い歴史を論述しています。 エルカブ(Elkab)、もしくはエル・カブ(El Kab)の表記も、さまざまなかたちがあって難しい。ここでも「ネケブ」は"Nekheb"ではなくてドイツ語表現の"Necheb"となり、ネクベトも"Nekhbet"ではなく、"Nechbet"と綴っています。ネットでの検索に時間がかかる原因。

Hartwig Hartmann,
Necheb und Nechbet: Untersuchungen zur Geschichte des Kultortes Elkab.
Deutsche Hochschulschrifften (DHS) 822
(Dissertation. Mainz 1993)
xx, 404 p., 38 Tafeln.

Inhalt

Abbildungsverzeichnis (vii)
Abkürzungsverzeichnis (ix)
Einleitung (xiii)

1. Das Delta des Wadi Hellal (1)
2. Die ältesten Quellen zur Geschichte Elkabs (14)
3. Der archäologische Befund im Fruchtland bis zum Ende des AR (39)
4. Die Tempelanlage im Fruchtland seit der 1. Zwischenzeit (78)
5. Die Tempelanlagen in der Wüste des AR und NR (129)
6. Die Götter in den Beamtengräbern von Elkab (220)
7. Beiträge zur Verwaltung und Prosopographie von Elkab (267)
8. Resümee und Ausblick (345)

Literaturverzeichnis (349)
Sachindex (377)

Abbildungen

手堅くまとめられたこの考察からはしかし、ネクベトにまつわる研究の広大な領域を改めて思い知らされます。
徹頭徹尾、ネクベト女神に関する図像学との関連を断ち切ることで成立しており、ベルギー隊によって長く調査が続けられているこの都市の歴史については、近年、大英博物館が発行している電子ジャーナルのBMSAESに掲載された論考(Limme 2008)などによっても知られますが、新王国時代以降に造営された多数の石造神殿や王墓といったモニュメントの天井に、両翼を広げたハゲワシの姿で描かれたネクベト画像がいかなる経緯によってあらわされるようになったのかについては不明。

アマルナの労働者集合住居の近くで発見された祠堂では、両翼を広げたネクベト画像が戸口のリンテル側面に描写されていました。その画像の復原がKempWeatherheadによっておこなわれています(Weatherhead and Kemp 2007)けれども、出土した画片が小さいために、全体像として参考にされているのはラメセス時代のものです。
彼らの意識の中では、描かれたネクベト像に格別、時代による様式の変化があったとは考えられていない点が明らか。どれも同じように見えるから当然です。しかし仔細に眺めると、時代が判別できるような相違が認められるように思われ、盲点があると感じられます。

天井画として同じように描写されるネクベトの様式に、実は差異があり、また向きにも法則性があるのではという点は、まだ誰も指摘していないはず。些細に思われることかもしれませんが、こういうところから世界をひっくり返す作業が始められるとも思われます。

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