2009年9月30日水曜日

Fleming, Honour, and Pevsner 1998 (5th ed.)


建築の事典と言えばいくつかがあって、すでに数冊についてはこの欄にて触れましたが、個人が自分の責任で編纂したものは、やはり面白い。
N. ペヴスナーは近代建築に関する目覚ましい著作を刊行した他、英国の歴史的建造物に関する基本台帳46冊(Buildings of England, 1951-1974)を纏めた高名な学者で、彼が纏めた建築事典はペヴスナーの死後も引き続き改訂版が出ています。

John Fleming, Hugh Honour, and Nikolaus Pevsner,
The Penguin Dictionary of Architecture and Landscape Architecture.
Penguin Reference
(Penguin Books, London, 1998, 5th ed. First published in 1966, as a title of "A Dictionary of Architecture")
vii, 644 p.

旧版の和訳も、少し昔になりましたけれども出版されました。

邦訳(旧版):
ニコラウス・ペヴスナー著、鈴木博之監訳
世界建築事典
鹿島出版会、1984年

21-22ページにかけては"Architecture"と言う項目の説明があって、権威あるこの建築事典で、どのように「建築」が説明されているかを知るのはきわめて興味深い。
第1行目からは、

"The art and science of designing structures and their surroundings in keeping with aesthetic, functional or other criteria. The distinction made between architecture and building, e. g. by Ruskin, is no longer accepted. Architecture is now understood as encompassing the totality of the designed environment, including buildings, urban spaces and landscapes."

と記していて、この部分は、初版の題名を改訂版で変更した理由にもなっていると感じられます。
一方で、ラスキンの「建築の七燈」を本格的に改めて吟味しないと駄目なのではないかという点も、同時に知られるところ。
かつては岩波文庫の訳が頼りでしたが、10年ほど前に新訳が出ました。

ジョン・ラスキン著、杉山真紀子
建築の七燈
鹿島出版会、1997年
334 p.

しかし驚かされるのは、

"The aesthetics of architecture cannot be readily distinguished from those of the other arts (poetry, music, sculpture, painting), and many questions remains to preoccupy architects: what does architecture express? what does it represent? and with what means (symbolic or otherwise) can it do this?"

という文にて項目の説明が終わる点で、要するに「建築というのは、結局は良く分からないよねえ」と、この事典は本の中の要になるはずの項目の解説において、信じ難いことを平然と綴っています(!)。

同じ英国から出ているJ. S. Curlによる建築事典では、もっと極端。

James Stevens Curl,
with line-drawings by the author and John Sambrook,
A Dictionary of Architecture.
Oxford Paperback Reference
(Oxford University Press, New York, 1999)
xi, 833 p.

この人による事典には、ペヴスナーの本では掲載されていない、もはや死語となった"parti"に関する項目(p. 484, left)があったりと、いろいろ目配りのなされていることが示唆されます。
著者については、Curl 1991、またHarris (ed.) 2006 (4th ed.)で以前に記しました。

日本語表記の「パルティー」もしくは「パルチー」は、設計行為の本質を考える上で19世紀のフランス・アカデミーの重要な用語であったはず。設計意図・設計思想、また基本設計や、設計上の工夫、たとえば今で言う「コンセプト」と同等な意味での「構想」、もしくは「芸術的霊感・インスピレーション」という、揺れ動く意味の中で使われ続けたのではないかと、この方面の権威である横浜国立大学の吉田鋼市先生は考察しています。
手書きの原稿だから、PDFになっても原稿内容は検索に引っかかりません。こういう重要な論考のテキスト化を、誰か進めてくれないかと前から思っているのですが。
この梗概集の該当箇所は、ネットにおけるCiNiiのページにて簡単にプリントアウトすることができます。

吉田鋼市
「"parti"の意味について -クロケ、ガデ、グロモールの使用例による一考察-」
日本建築学会大会学術講演梗概集(九州)9126、1989年10月、
pp. 903-904.
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004224845/

Curlの本では32-33ページで"Architecture"の項目を説明していて、最後には建築家フィリップ・ジョンソンの言葉、

"architecture is the art of how to waste space."

を挙げ、締めくくっています。
しかし、こういう危ないことを、建築の初学者にそのまま伝えるというのは大きな勇気が必要。
「建築というのは、空間をどのように無駄に使うかを問う芸術である」、という大意になりますでしょうか。

多人数の分担執筆による大事典、たとえばブリタニカとかラルースなどの場合では、とうてい許されないであろう書き方が、これらの事典では羽目を外してなされているかと思われます。

建築を真面目に考えようとする時、しかしこうした場所こそがおそらく本当の突破口。

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