2009年11月16日月曜日

Ä&L (Ägypten und Levante) 17 (2007)


Ä&LはオーストリアのM. ビータックが編集をしている雑誌で、彼が発掘調査を続けている下エジプトのテル・エル=ダバァと密接な関連がうかがえます。18本の論考のうち、半分ぐらいがダバァ関連。2007年度の発掘調査の仮報告も、もちろん載っています。

Ägypten und Levante:
Internationale Zeitschrift für ägyptische Archäologie und deren Nachbargebiete
(Egypt and Levant:
International Journal of Egyptian Archaeology and related Disciplines
)
17 (Wien, 2007)
321 p.

エジプトとその近隣諸国との関連性に重点を置いた雑誌で、地中海の全体を扱っている、例えば

Journal of Mediterranean Archaeology (JMA):
hhttp://www.equinoxjournals.com/ojs/index.php/JMA

のような雑誌とも違うし、またエーゲ海に関わる地域を主として扱う

Aegaeum:
http://www2.ulg.ac.be/archgrec/publications.html

などのような雑誌とも異なります。
JMAは数年前に判型を変え、大きくしました。この雑誌に古代エジプトのことは滅多に載らないんですが、その中では

L. Meskell,
"Deir el-Medina in Hyperreality:
Seeking the People of Pharaonic Egypt",
in JMA 7:2 (1994), pp. 193-216.

の論考は見る価値があり、当方の知る限り、ディール・アル=マディーナ(デル・エル=メディーナ)の屋根が繋がっていて、屋上のネットワークが存在したはずだという点を明記している稀な論文。細い道が集合住居址の中を縦断している平面図だけ眺めていては、思いつかない考察。イスラームの住居を考えている人たちには、屋上が例えば女性たちの空間として知られていたりするわけですが。
Meskellは2002年にも注目すべき本を書いています。

Ä&Lはエジプトに軸足を置いていることを常に忘れていない雑誌であると表現すれば良いんでしょうか。良くも悪くもビータックという研究者に多くを負っているところがあり、背表紙にもちゃんとBietak (Hrsg.)と印刷されています。雑誌の背表紙に編集者の名が掲載されるのは珍しい。

もっとも長い論文は、

Ezra S. Marcus,
"Amenemhet II and the Sea: Maritime Aspects of the Mit Rahina (Memphis) Inscription",
pp. 137-190.

で、これが一番興味深かった。メンフィスで花崗岩に記された文字列が見つかっており、第12王朝の初期のものですが、エジプトとレヴァントとの間の航海の様子をさまざまに考察しています。
いろいろな船荷がリストとして石に記されているわけですが、それら全部を足した重さや量を推測して計算したり、またそれに基づいて船の大きさを推理したりもしている。
「アジア人、一人当たり40kg」なんていう体重の推測が考察の中の表に記されていて面白い。

最後のページには、テル・エル=ダバァの報告書の第16巻から20巻までの刊行が予告されています。この遺跡の報告書、まだまだ完結しそうにありません。エレファンティネの報告書と双璧。

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