2010年7月6日火曜日

泉井 1978


「数」という存在に言語学から触れた書。この書籍をどういう経緯で入手したのか、もう忘れてしまいましたが、今でも時折読み返すことのある印象深い好著です。

日本語では単数と複数との区別があんまりはっきりとはしていません。でも、これを厳密におこなう言葉は多くあります。この傾向は、特に古代語においては顕著でした。
単数と複数の他に、双数(両数)という概念があり、これはサンスクリットや、また印欧語ではないけれども、古代エジプト語でも見られますし、現在でも例えばアラビア語ではっきりと区別がなされます。本来、2つが揃って然るべき存在に、単数とも複数とも異なるかたちが与えられるわけです。
本書はまず、そこを探ることから始まります。

大昔の人間は数をどう捉えていたか、その意識をどのように言語へ定着させたかが語られ、興味深い本です。

泉井久之助
「印欧語における数の現象」
(大修館書店、1978年)
x, 225 p.

目次:
第一部 複数・単数・複個数 ー顕点と潜点ー
第二部 双数について ーその機能と起源ー
補説  数詞の世界

複数形を明瞭に持たない日本人にとって、名詞の単複の使い分けというのは理解しがたい部分があるわけですけれども、著者はさらに、印欧語には「巨数」あるいは「漠数」という概念が潜在するのではないかと論じています(p. 47ff)。

さらに注意が惹かれる点は巻末の「数詞の進法」(p. 210ff)において述べられる内容です。
原共通印欧語では何故、5が「~と」という意味合いを有する語尾を持つのか、また8がどうして双数形をとるのか(!)を述べています。

フランス語で80のことを、「20が4つ」という言い方をするのは知られていますが、これと似たようなことが古い印欧語でうかがわれるという指摘がなされています。4をひとつのまとまりとして捉えるような感覚があったに違いない、という指摘はとても面白い。
4,8と至って、その次の9にはそれ故に、「新しい」という含意が認められ、ラテン語でもサンスクリットでも、数字の9は「新しい」という言葉と共通の語根を持つのだという指摘にも驚きます。
十進法とはまるで異なる世界が、そこでは開示されています。

現代人にとって、数字の記法とは単に量の増減があるだけの、限りなく平坦に展延されるだけの世界の話となりますが、かつてはそこに不思議な起伏があったことが指摘されています。
「だから何なの?」という疑問を持たれる方には不用の書。
しかし数をかぞえるという素朴な行為の中に、かつては異なった意識や観念の投影がさまざまにあったのだという点に興味を持たれる方にとっては、たぶん読んで失望しない著作です。

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