2009年2月25日水曜日

Klemm and Klemm 2008 (revised ed. of 1993)


古代エジプトの石切場を扱う唯一の本。ドイツ語で出版されたものが英訳されました。ドイツ語による初版に関し、Journal of Roman Archaeologyの書評論文(review article)で「索引がない」と注文がつけられたりしていた部分は改善されています。

Rosemarie Klemm and Dietrich D. Klemm,
Stones and Quarries in Ancient Egypt
(The British Museum Press, London, 2008.
Originally published as "Steine und Steinbrueche im alten Aegypten", (Springer-Verlag, Berlin, 1993), xv, 465 p.)
xiii, 354 p.

奥さんがエジプト学者で旦那が岩石学者という二人による著書。夫婦あるいは家族でエジプト学を進めている例はいくつか知られており、決して珍しくはありません。
Dieter Arnold、Dorothea Arnold、Felix Arnoldたちの言わば「聖家族」や、初期キリスト教建築研究のGrossmann夫妻(ドイツ人の夫とギリシア人の妻)、かつてのZivie夫妻、また最近ではフランスの双子のエジプト学者(!)、Marc GaboldeとLuc Gaboldeたちの活躍が有名です。

判型が大きくなって見やすくなった点は評価されます。本文には改訂が認められ、入れ替えた図もまた見られます。
アコリスの石切場に関しては、しかし川西宏幸先生と辻村純子先生によって継続されている調査の成果がまったく反映されていません。近隣のザヴィエト・スルタンの未完成巨像についても同様で、惜しまれます。

クレム夫妻はあちこちの石切場を調べて、鑿跡から時代が判定できるという見方をしています。でもこの見解はあまり説得力がなく、D. アーノルドも否定的な見解を述べており、支持する者はきわめて少数です。鑿跡に基づいた年代判定が、まだエジプト全土には通用しないということです。
未完成巨像に関し、「アメンヘテプ3世時代であろう」と記していますけれども、デモティックによる書きつけが多数発見されていて、これがプトレマイオス朝まで降るのは確かであると思われます。「新王国時代の鑿跡が見られる」とクレムたちは報告しており、彼らの判断基準はここでも疑わしい。

シーディ・ムーサの石切場についての記述も興味深い。石切場の天井に残るいくつもの数字について、「掘り出された石材の大きさであろう」と見解が述べられていますが、おそらくこの見方は誤りで、岩盤が掘削された量の記録と見た方が合理的です。シーディ・ムーサでは4つの数字が並んでおり、これが何を意味するか、また王朝時代の石切りの方法とどのような関連があるか、これからの詳しい考察が必要。

エジプトにおける石切場調査に関しては、アメリカの岩石学者J. ハーレルがいて、彼の意見が待たれます。特にアマルナ近辺の石切場に関する最終報告が楽しみ。
石切場の調査が本格的に開始されたのは最近で、調査者の目的も決して同じではなく、それらがどうエジプト学の蓄積に結びついていくかはこれからの問題です。

作業工程をつぶさに追うことはもはや、些末的な作業に属します。労働者集団の組織の問題や、さらには掘削に関わるもうひとつの謎の単位、「ネビィ nbj」とどう関わるかが重要です。
「ネビィ」については、長さの単位であるかどうかさえも今なお、はっきりしていません。新しい包括的な見方が望まれており、そこが楽しみなところ。

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