もっとも、すごく大きな家型のガラスケースに覆われていて見にくく、また彩色画は復原して加筆がなされているために、新たに描き起こした部分だけを見て帰る人が多いのが残念。
もちろん色の鮮やかなところは、現代の職人が真似して描いた部分です。退色し、モティーフが良く分からなくなっている部分こそが3400年前の床絵。
W. M. Flinders Petrie,
Tell el Amarna
(Methuen & Co., London, 1894)
iv, 46 p., XLII plates.
アマルナ王宮が発掘された経緯は劇的です。通常、日乾煉瓦造の建物が折り重なる都市遺構は発掘調査が大変なので敬遠されがちだったのですが、ここから楔形文書の記されたタブレット(粘土板)が見つかって、急遽、イギリスの調査隊が編成されました。
きっかけは、或る農婦が田畑の肥料となる泥煉瓦を探すために遺跡を掘り返したこと。大英博物館のW. バッジのところへ、「こんなものが見つかったけど、買ってくれないか」とこのタブレットが持ち込まれました。アッカド語が読めた彼は資料の重要性にすぐさま気づいて、どこからこれが掘り出されたかを教えろと問い正します。
古代の外交文書として高名な「アマルナ文書」が、こうして世に知られることとなりました。
「アマルナ文書」の訳業に一生を賭したのはW. L. モランで、英訳も出ています。国家間の「よろしくお付き合いのほどを」という豪華な贈り物のリスト、「隣国からいじめられていて、もう大変です」という泣きの手紙、「王さまの歯が痛いんだけれども」という相談などが記されており、たいへん貴重。
William L. Moran (edited and translated),
The Amarna Letters
(The John Hopkins University Press, Baltimore, 1992.
Originally published as "Les Lettres d'El-Amarna",
Editions du Cerf, 1987)
xlvii, 393 p.
和訳は飯島紀先生の「古代の歴史ロマン11、エジプト・アマルナ王朝手紙集 :王への手紙 王からの手紙」(国際語学社、2007年)も出ているけれども、数十通の抄訳となるのが惜しい。
アマルナ王宮の華麗な壁画は、最初の発掘報告の35年後に大判の画集として出版されています。植物が繁茂し、鳥たちが飛び交う場面をあらわしている通称「グリーン・ルーム」の壁画は特に有名。
H. Frankfort ed.,
with contributions by N. de Garis Davies, H. Frankfort, S. R. K. Glanville, T. Whittemore;
Plates in colour by the late Francis G. Newton, Nina de G. Davies, N. de Garis Davies,
The Mural Paintings of El-'Amarneh.
F. G. Newton Memorial Volume
(The Egypt Exploration Society (EES), London, 1929)
xi, 74 p., XXI plates.
この「グリーン・ルーム」の壁面には小さな矩形の窪みがいくつも設けられており、鳥を飼うための巣箱を意図したものではないかとも言われていますが、詳細は不明です。ケンプはある程度、その可能性を認めています。
Kemp and Weatherhead 2000
の文献における、最後のディスカッションの項を参照のこと。
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