2009年2月13日金曜日

Roehrig 1995


テーベにある「王家の谷」の墓の入口に木製の扉が備えつけられるようになった経緯を辿る、画期的な研究。
ツタンカーメンの墓のように、第18王朝では王の墓の入口は塞がれて隠されるのですが、やがて墓室内の装飾が墓内の玄室と付近の諸室だけではなく、入口のすぐ奥にある通廊の壁面や天井にまで及ぶようになり、これと並行して第19王朝では入口に木の扉が設けられることとなります。
どれもこれも似た印象のエジプトの諸王の墓も、丁寧に見ていくと少しずつ改変や工夫が重ねられていることが知られるという好例で、きわめて面白い展開を呈する論考。

本書は国際シンポジウムの報告で、日本からは近藤二郎先生が参加し、アメンヘテプ3世の墓に関して発表がおこなわれています。
C. H. レーリグの書いたものは、所収されているものの中では最も長い論文。図版を多数用い、分かりやすく述べられています。
題名の付け方も面白い。「地下世界への門」という、人を惹きつける謎めいたタイトルです。

Catharine H. Roehrig,
"Gates to the Underworld:
The Appearance of Wooden Doors in the Royal Tombs in the Valley of the Kings,"

in Richard H. Wilkinson (ed.),
Valley of the Sun Kings:
New Explorations in the Tombs of the Pharaohs.
Papers from The University of Arizona International Conference on the Valley of the Kings
(The University of Arizona Egyptian Expedition, Tucson, 1995),
pp. 82-107.

通常、王家の谷の墓を全部、時代順に見て廻るということはなかなかできませんし、また現在では新たに設置された保護のための床板や鉄扉枠などが邪魔して、入口の細部を観察することも困難な場合があります。そのため、彼女も「これは仮の報告だから」と断っていますけれども、しっかりとした構成を示した研究で、特にセティ1世、ラメセス2世、そしてメルエンプタハの3つの墓の入口の扉を並べて見せている図が非常に印象的。

訪れたことのある方だったらすぐにお分かりの通り、王家の谷の墓では、入口を入るとすぐに斜めに降る通廊が地下へと続きます。この入口に内開きの扉をつけることにしたら、天井も斜めに下がっているために、扉板を内側に向かって開こうとすると、天井にぶつかってしまいます。セティ1世の墓の入口はこの理由で低い扉をつけ、上部は板で覆う方法をとっていたようです。

これを改善したのがラメセス2世の墓で、入口のすぐ内側の天井部分を、扉が開けられるだけ、削り取りました。これで扉を開くことが可能となります。ただ、入口を入ってすぐの部分の両脇の壁画は、扉が開いた状態では扉板によって隠されて見えなくなってしまう欠点が生じてしまいます。

この欠点をさらにメルエンプタハの墓では工夫して改め、扉板が内側に開いた場合に隠されてしまう部分を空白として残しました。壁画は扉板の幅を持つ余白部分を入口のすぐ奥に挟み、その次から始められるわけで、こうした改変につぐ改変の痕跡が、古代エジプト人たちの建築の作り方を示唆していて鮮やか。

一歩一歩少しずつ、新たに改良を加えるという建造方法がここでも確認され、3000年の建築活動の営為について再考する必要を感じさせる内容です。実際に造ってみなければ不具合が判らないという、建築設計行為の根幹にも触れている論考。

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