戦争終了後、イギリス隊は再びこの地で本格的な調査を開始します。その成果を纏めたもので、全3巻4冊からなる報告書。専門家は"CoA"としばしば省略して引用をおこないます。この発掘によってアマルナの全貌がほぼ明らかにされました。レプリントも出ていますが、それも入手が難しくなりつつあります。
T. Eric Peet and C. Leonard Woolley,
with chapters by Battiscombe Gunn and P. L. O. Guy,
drawings and plans by F. G. Newton,
The City of Akhenaten, Part I:
Excavations of 1921 and 1922 at El-'Amarneh.
38th Memoir of the Egypt Exploration Society (EES)
(EES, London, 1923)
vii, 176 p., LXIV plates.
H. Frankfort and J. D. S. Pendlebury,
with a chapter by H. W. Fairman,
The City of Akhenaten, Part II:
The North Suburb and the Desert Alters;
The Excavations at Tell El Amarna during the Seasons 1926-1932.
40th Memoir of EES
(EES, London, 1933)
ix, 122 p., LVIII plates.
J. D. S. Pendlebury,
with chapters and contributions by J. Cerny, H. W. Fairman, H. Frankfort, L. Murray Thriepland, Julia Samson,
The City of Akhenaten, Part III:
The Central City and the Official Quarters;
The Excavations at Tell El-Amarna during the Seasons 1926-1927 and 1931-1936.
2 Vols. (Text and Plates)
44th Memoir of EES
(EES, London, 1951)
xix, 261 p. + xii, CXII plates.
アマルナの綴りが第1巻では異なり、また執筆者も違う点に注意。T. E. ピートはこの同じ年にリンド数学パピルスの本を出していますから、相当忙しかったはず。C. L. ウーリーはこの後、エジプトを離れてウルの発掘の指揮に携わります。
調査に関わったJ. D. S. ペンドルベリーもJ. サムソンも、それぞれアマルナに関する一般向けの本を書いていますが、研究書ではまず触れられません。
広大なアマルナで誰がどこを掘って、それはどの報告書の何ページに載っているのか、こうして長い年月を重ねるとともに当然、情報は錯綜してくるわけですが、ケンプらは全体地図を作成し直した際に建物ごとの索引を付しており、きわめて便利。どのような情報が本当に必要とされているかを充分に知った人による本の作り方。
Barry J. Kemp and Salvatore Garfi,
A Survey of the Ancient City of El-'Amarna.
Occasional Publications 9
(EES, London, 1993)
112 p., 9 maps.
多色刷りの地図で、つなぎ合わせるとかなりの大きさとなります。もっとも詳しいアマルナ王都中心部の図面。
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