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2009年9月29日火曜日

Vassilika 2009


閉幕間際の上野のトリノ博物館展に再び行って、今年出版された英語版のガイドブックを購入。薄手の本ですが、良く見たらいろいろと載っています。
近年、館長に就任したE. ヴァシリカによる、トリノ博物館の活性化の一環による刊行物と思われます。

Eleni Vassilika,
photographs by Giacomo Lovera, edited by Silvia Cosi, layout by Francesca Lunardi,
Masterpieces of the Museo Egizio in Turin:
Official Guide

(Fondazione Museo delle Antichità Egizie di Torino, Scala Group, Firenze, 2009)
127 p.

あくまでも遺物のカタログではなく、一般向けのガイドブックとしています。このため、ビブリオグラフィーは一切なし。ただしインヴェントリー番号は付記されています。トリノ博物館のスタッフへの謝辞の他に、G. T. マーティンへの感謝の言葉が最終ページで見られる点も書いておきます。

ほとんどのページをカラーで印刷し、縦長の造本で、ペーパーバック。しゃれた構成です。収蔵品は古いものから順番に並べており、ヴァシリカによる序文が掲載されている他は、あってもいいと思われる目次や博物館の平面図などが省かれています。トリノ博物館は大規模な展示替えが予定されているので、妥当な選択なのでしょう。昨年、開催された第10回国際エジプト学者会議(The 10th International Congress of Egyptologists: ICE)におけるトリノ博物館の館員による発表で、博物館の改装の件は伝えられていたような記憶があります。
ヴァシリカによる他の博物館関連の刊行物としては、

Eleni Vassilika,
with contributions from Janine Bourriau, photography by Bridget Taylor and Andrew Morris,
Egyptian Art.
Fitzwilliam Museum Handbooks
(Cambridge University Press, Cambridge, 1993)
viii, 139 p.

があって、これも見やすい小型の出版物でした。

トリノ博物館と言えば、文字史料だったら王名表を記したパピルス、ワーディ・ハンママートの地図を描いたパピルス、王家の谷の王墓平面図を示したパピルスなどがまず思い浮かびますが、これらをカラー写真で掲載。とても便利です。
写真が小さいのは残念ですけれども、綺麗に印刷されており、特にワーディ・ハンママートの地図はありがたい(p. 102)。ラメセス4世の王墓の平面図のカラー写真(p. 104)も貴重。探そうと思うと結構、面倒でした。
ここら辺の話は、JEA 4, Parts II-III (1917)や、Leospo 2001、またLópez 1978-1984 (O. Turin)などの項でも触れています。

永井正勝先生がすでにこの展覧会における見どころを、内覧会に出席された後にブログで紹介。

http://mntcabe.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/index.html#entry-59226268

非常に些末的な話で恐縮ですが、個人的には、女性や子供の守護神として知られているカバの化身であるタウェレト(タウレト:他にもタ・ウレト、タ・ウェレトなど。あるいはトゥエリス、トエリス)女神像の紹介が興味深かった(p. 82)。
この女神が何色に塗られていたのか、もし調べようと思ったら、時間がかかります。アンクの文字の上に片手を置いたタウェレト女神の姿が、確かパピルスのひとつにうかがわれたと思いますが、その他の例となると色が塗られていない場合が多く、困惑していたところです。
赤地に白の斑点というのは面白い。ひょっとして、カバの汗が赤いということと関係あるんでしょうか。

2009年9月25日金曜日

Siliotti 2000


エジプトのシナイについての、縦長の薄いガイドブック。たった48ページしかないのですが、かなり意欲的にさまざまな内容を盛り込んでおり、これまでたくさんの入門書を手がけてきたA. シリオッティの力量のほどが良く了解される構成となっています。
全ページがカラー。
30エジプトポンドですから、600円ほど。

Alberto Siliotti (text and photographs),
Stephania Cossu (drawings), Richard Pierce (English translation), Yvonne Marzoni (general editing),
Sinai: Egypt Pocket Guide
(American University in Cairo Press, Cairo/Elias Modern Publishing House, Cairo/Geodia, Verona, 2000)
48 p.

表紙の裏を折り込みとし、ここにシナイ半島の地図を掲載。裏表紙ではラース(ラス)・モハメッドの鳥瞰図を示しています。
最初にシナイ半島の概要に触れており、プレート・テクトニクスの観点からシナイ半島や紅海はどのような動きを見せているのかがまず説明されます。シナイ半島全体の断面図を挙げているのも、うまい方法。地質と気候について次に見開きで紹介し、その後には動植物に関する多彩な言及。渡り鳥の足取りを示した図の挿入も上手。

"Natural Environments"と題した14ページからは、珊瑚礁とそこに生息する生物たちの紹介で、魚介類とサンゴが扱われます。マングローブについてもまた見開きで説明をおこなっており、こういうところは神経が行き届いた感じがあって、見事。
さらに砂漠、オアシスについて述べた後に、新石器時代の石造建造物である「ナワミース」を取り上げ、その後は古代エジプトの王朝時代におけるシナイを概観。名だたる遺跡セラビト・カディムの平面図はここで示されます。

28ページの題名は"From the Nabataeans to the Ottomans"で、おそろしく時代をすっ飛ばした内容ですが、「科学的調査」、「現代歴史」がこの後に続き、遊牧民の紹介、またいくつかの見どころの解説が後半の内容となっています。
トゥール、ラス・モハメッド、シャルム・シェイク、ダハブ、ヌワイバ(ヌウェイバ)、ターバといった紅海沿岸の、珊瑚礁を巡るリゾート地、また聖カトリーヌ修道院などが扱われており、盛り沢山。

シナイは交易で栄えた地で、また複数の宗教が交錯する地域でもあります。山脈が中央に高く聳え立ち、ワーディ(涸れ沢)が鋭く切れ込んで、この下の水脈を頼りに陸内の交易が進められた一方、沿岸を伝った船によるアジアとヨーロッパとの交通路が結ばれました。
かなりの昔から、人々が山奥まで分け入って鉱物を採掘した場所としても有名。日本人には単に、荒れ果てた土地と見やすい場所の複雑な様相の場面が、多くの図版を重ねつつ提示されており、小さな本ながら扱う情報量はかなり高く、170点以上の写真や地図、挿絵が含まれていると書かれてあります。

多角的な視点からシナイ半島を追った佳作。これだけページ数が限定されている中で、シナイ半島の魅力というものを、さまざまな学問の成果をあれこれと援用しながら提示しています。個人的な好みから言えば、5ページの図版は他のページのものと調子を揃えた方が良いような気もしますが、それは些末的な指摘に過ぎません。
むしろ、次から次へと繰り出される、乱暴と言えるほどまでに刻まれた多種多様な知識の断片が光を放つように感じられ、逆にこの小さな冊子の魅力となっています。

2009年9月21日月曜日

Trigger 1993


エジプトやメソポタミアの他、マヤやインカ、アステカなども含めた7つの初期文明を比較考察した本があります。高名な人類学者ブルース・トリッガーによる著作。幸いなことに、和訳も出ています。

Bruce G. Trigger,
Early Civilizations:
Ancient Egypt in Context

(American University in Cairo Press, Cairo, 1993)

邦訳:
ブルース・G・トリッガー著、川西宏幸
初期文明の比較考古学
同成社、2001年

訳書では、この本のモティーフが詳しく記されているので大変参考になります。ここから読み始めても良い。トリッガーによる著作の和訳の状況についても記されているので有用。
訳者は長年、中部エジプトのアコリスにおける発掘調査を続行されている、つくば大学の教授です。比較考古学に関わる著作もある先生。知識の横断と言うことを重視され、また実践なさっておられる方。

各文明に関して数十冊の文献を読みこなす中で、情報の多寡によって何がどこまで分かっているのかを推し量るという下りは面白い。エジプト学については、政治学に関する問題意識の欠如を掲げており、またエジプト学者が古代エジプト文明を、独自なものと考えるあまりに他との比較を怠ってきた点が厳しく指弾されています。
こういう点は、J. マレクも指摘していたところ。
クメール文明は、その研究の深度の至らなさによって対象から外されているという記述も楽しかった。

カナダのこの人類学者の功績については、日本ではウィキペディアでもまだ紹介されていない様子。どれだけ偉いのかを知るために、英語によるウィキペディアを、まずちらっと見ることも必要です。
人間とはいったい何ものなのかという非常に大きな問題を若い頃から自分の課題として据えて、研究を重ねてきた碩学。エジプトやスーダンに関する著作がまず知られています。

研究の途上にあることは、執筆者が一番良く知っていて、ただその「熱ある方位」を指し示すことに傾注がおこなわれています。揚げ足取りはいくらでもできる代わり、対案となる説を出すことはきわめて困難。百年単位でものごとを考えている人間だけが書くことのできる著作。

巻末の、短いコメントつきの文献紹介も興味深い。エジプト学の関係者は、ここの部分だけでも見ると良いかも。

2009年9月3日木曜日

Manuelian (ed.) 1996 (Fs. W. K. Simpson)


エジプト学者W. K. シンプソンへの献呈論文集。70人弱の研究者たちが論考を寄せています。執筆陣の豪華さと圧倒的な量がすばらしい。10年に一度出るか出ないかという充実した内容。アメリカのボストン美術館の力量が存分に発揮されています。
造本はManuelianの手によるもので、編集もおこなっているこの人はエジプト学の出版物におけるDTPを進めていることで知られている研究者。博士論文はアメンヘテプ2世でした。
文中へのヒエログリフやコプト文字の挿入、レリーフの写真のレイアウトとそのモティーフの線描画起こし、壁画の配置に合わせた複雑な表の作成など、エジプト学の発表形式で良く見受けられるさまざまな面倒の対処について深く理解している人ですから、たいへん見やすく、上品に仕上げられた本となっています。

Peter Der Manuelian (editor),
Rita E. Freed (project supervisor),
Studies in Honor of William Kelly Simpson, 2 vols.
(Department of Ancient Egyptian, Nubian, and Near Eastern Art, Museum of Fine Arts, Boston, 1996)

Volume I: xxxi, 1-428 p.
Volume II: x, 429-877 p.

最初のページにはヒエログリフでw k sの3つの文字、そしてさらにankh wedja senebの3つの文字による省略形が綴ってありますが、これはシンプソンの名前のイニシャルの後に、「御健康で長生きされ、ますます御活躍のほどを」といった意味の言葉を付したもの。王名の後などに良く用いられる決まり文句のひとつで、英語では簡単にL. P. H. と訳されたりします。ankh wedja senebの3つの文字による省略形に倣って、それぞれの訳語の"Life, Prosperity, Health"を略したもの。
ヒエラティックなどでは、ただ単に3本の斜線でおざなりに記されたりもする部分。「とこしえに御壮健でありますよう」という意味の言葉を3本線の殴り書きで済ませるわけで、良く考えると、とっても失礼。

個人的に興味深く思われるものを挙げるならば、

Dieter Arnold,
"Hypostyle Halls of the Old and Middle Kingdom?",
pp. 39-54.
多柱室というと、カルナック大神殿の奥にあるトトメス3世祝祭殿が嚆矢だと良く言われたりしますが、これに疑問を投げかける内容。復原図を交えて説明がなされています。

Edward Brovarski,
"An Inventory List from "Covington's Tomb" and Nomenclature for Furniture in the Old Kingdom",
pp. 117-155.
壁画に見られるリストから、古王国時代の家具を問う論文。古王国時代にだけ流行した2本足の寝台については、図版を多く提示しています。

Zahi Hawass,
"The Discovery of the Satellite Pyramid of Khufu (GI-d)",
pp. 379-398.
クフ王のピラミッドの脇から新たに見つかった小さな衛星ピラミッドの痕跡の報告と考察を、ザヒ・ハワースが書いています。

Rainer Stadelmann,
"Origins and Development of the Funerary Complex of Djoser",
pp. 787-800.
H. リッケの考え方を展開させ、ジョセル王の階段ピラミッドの初源の姿を探る論考。ピラミッド学の権威R. シュタデルマンの自由な思考方法の一端が分かって面白い。

巻末には執筆者の住所録が載っていますが、今となってはすでに何人かが物故者となっています。J.-Ph. ロエールはその中のひとり。

2009年8月26日水曜日

Bellinger 2008


古代エジプトの庭園に関する本が久しぶりにまた出たかと思ったら、思わぬ展開。
庭園史において古代エジプトや西アジアの庭園は最初に記述され、専門書も出ています。この本はしかし、別の趣向を求めている模様。

John Bellinger,
Ancient Egyptian Gardens
(Amarna Publishing, Sheffield, 2008)
(vii), 195 p.

Contents:
Acknowledgements, p. 1
Foreword (by Kay Bellinger), p. 3
1. An Introduction to Egypt, p. 5
2. The Beginnings of the Formal Garden, p. 13
Egyptian Gardens, p. 13
Assirian Gardens, p. 31
Babylonian Gardens, p. 33
Persian Gardens, p. 35
Greek Gardens, p. 40
Roman Gardens, p. 42
Indian Mughal Gardens, p. 49
Islamic Gardens in Spain, p. 52
Medieval Gardens, p. 56
3. Plants and Flowers Portrayed in Art, p. 61
4. Gardeners in Pharaonic Times, p. 69
5. Plants for All Purposes, p. 73
6. Your Own Egyptian Garden, p. 169
Bibliography, p. 189
List of Illustrations, p. 193

エジプトの庭園が大急ぎで論述されています。
各時代の壁画、あるいは中王国時代のメケトラーの木製模型などが文中で扱われますけれども、図版が紹介される例は少数。テル・エル=ダバアにおける発掘調査の成果は無視。アマルナにもおざなりに言及しますけれども、アマルナ型住居における庭園については語りません。
エジプト以降の古代・中世の庭園を扱っていることが分かりますが、中途半端で、例えばミノアの庭園などには触れられていません。クノッソス宮殿における庭園についてはShaw夫妻のどちらかが論考を発表していたはず。
最後の第6章の題を見て、ようやく目的が分かります。

"In order to produce an ancient Egyptian garden in the UK it is important to consider the possible problems that are to be overcome in order for it to succeed. The climate of the British Isles is temperate and fairly cool compared with the sub-tropical conditions experienced in Egypt."
(p. 169)

つまり、イギリスでエジプト風庭園を造りたい人に向けての簡単な手引き書で、気候を無視したやり方を教える本。
謝辞にはRosalie Davidの名が最初に挙げられています。

古代エジプトの庭園に関しては以下の2冊が基本で、良く引用されます。

Jean-Claude Hugonot,
Le jardin dans l'Égypte ancienne.
Publications Universitaires Européennes, Série XXXVIII, Archéologie, Vol. 27
(Verlag Peter Lang GmbH, Frankfurt am Main, 1989)
viii, 321 p.

Alix Wilkinson,
The Garden in Ancient Egypt
(The Rubicon Press, 1998)
xvii, 206 p.

前者は入手が今ではけっこう難しい。
ボストン博物館が出した展覧会のカタログ、

Edward Brovarski, Susan K. Doll, and Rita E. Freed eds.,
Egypt's Golden Age:
The Art of Living in the New Kingdom 1558-1085 B.C.

(The Museum of Fine Arts, Boston, Boston, 1982)
336 p.

にも「庭園」の項目があって、見逃せません。

2009年8月24日月曜日

Assaad and Kolos 1979


ツタンカーメン王の墓で発見された遺物にうかがわれるヒエログリフの文字列を、分かりやすく読んでいくという薄い冊子。初めてエジプトへ行った時にはこの本がルクソール東岸のガッディス書店に並んでおり、ヒエログリフを自習する上で当時はたいへん役に立ちました。

Hany Assaad and Daniel Kolos,
The Name of the Dead:
Hieroglyphic Inscriptions of the Treasure of Tutankhamun Translated

(Benben Publications, Ontario, 1979)
129 p.

最初に、ヒエログリフが横書きでも縦書きでも、また右から左にも、その反対に左から右にも書けるさまが示され、24からなるアルファベット表がこれに続きます。
巻末には、用いられている象形文字の説明を所収。ガーディナーによるサイン・リストの簡略版です。

本文では20ほどのさまざまな遺物が選択されて、それらに記された文字を次々と示していきます。第1行目にはヒエログリフが、第2行目には文字の音価を示すトランスリテレーションが、第3行目には発音が、第4行目には文字通りの意味が、そして第5行目にはこなれた訳が並びます。
ここまで丁寧に説明してくれる本というものは、いろいろと入門書が著されている今日でも少ないかもしれません。
文字の抜けや、本来の文字の順番とは逆になっている部分については註で触れています。王のための副葬品であるにも関わらず、けっこう間違いがあると言う意外な事実もこれで分かります。

専門家向けにはその後、ツタンカーメンの墓から出た遺物に記されたヒエログリフによる文字資料のすべてが一冊に纏められ、出版されています。グリフィス研究所から出されている、ツタンカーメン・シリーズの中の一冊。

Horst Beinlich und Mohamed Saleh,
Corpus der hieroglyphischen Inschriften aus Grab des Tutanchamun
(Griffith Institute, Oxford, 1989)
xvi, 282 p.

この墓からは少数のヒエラティックによる文字資料も見つかっていますが、それらはまた別にチェルニーが報告しており、グリフィス研究所から刊行されています。主として土器の肩に記された文字列。

ベンベン出版社は、カナダにおけるエジプト学関連の書籍を扱うところとして有名。
8ページには近刊書として、

Ancient Egyptian Plans, 2 vols.

という広告が掲載されており、第1巻では都市、城塞、神殿の図面が、また第2巻では主要な墓とピラミッドの図面が集められて出版される予定であったらしいのですけれども、惜しいことにまだ刊行されていない模様です。

2009年8月22日土曜日

KRI (Kitchen, Ramesside Inscriptions) 1969-1990


古代エジプトの第19王朝と第20王朝とをあわせて「ラメセス時代」と言われますが、この間の歴史的な文字資料を集成した膨大な量の文献。8巻で総計が3000ページを超えています。8巻目は索引ですが、それ以外は全部、ヒエログリフを手書きで筆写しています。

Kenneth A. Kitchen,
Ramesside Inscriptions (KRI): Historical and Biographical, 8 vols.
(B. H. Blackwell, Oxford, 1969-1990)

Vol. I: xxxii, 416 p.
Vol. II: xxxii, 928 p.
Vol. III: xxxii, 848 p.
Vol. IV: xxxii, 448 p.
Vol. V: xxxii, 672 p.
Vol. VI: xxxii, 880 p.
Vol. VII: xxxii, 464 p.
Vol. VIII: viii, 264 p.

この時期の文字資料はあまりにも数が多すぎて、纏める人が出てこなかったのですが、長い年月をかけて出版が実現されました。現在においてもラメセス時代に属する文字史料は、発掘調査の進展に伴い、増え続けているわけで、終わりのない仕事。

当初は1960年代の末から各巻はいくつもの分冊にて刊行。それ故、初版の刊行年次は複雑です。
さらにこのKRI(7巻+索引)には、題名が似ている続編があって、英語への翻訳を扱うRITAと、注釈を記載したRITANCの2つのシリーズがそれぞれ対応して7巻ずつ、刊行の予定。早稲田隊によるアブシール調査で発見されたカエムワセトの石造建造物に関しても、ある程度、成果を反映させています。
書店のサイトで検索すると、あまり正確ではない近刊の予告も含まれる場合があります。ものすごく情報が錯綜していて、もう何が何だか分からなくなっているのはこうした以上の理由のため。

Kenneth A. Kitchen,
Ramesside Inscriptions: Translated and Annotated.
Translations
(RITA)
(Blackwell, Oxford, 1993-)

現在、第5巻(2008)までが刊行。この最新刊の目次と書評については

http://www.bmcreview.org/2009/07/20090762.html

などを参照。一方、

Kenneth A. Kitchen,
Ramesside Inscriptions: Translated and Annotated.
Notes and Comments
(RITANC)
(Blackwell, Oxford, 1993-)

のシリーズは、第2巻(1998)までが既刊。
KRIの最初の巻が出てから40年が経ちますが、今なお、独力で進められています。信じ難い仕事です。

最初はRITARITANCが交互に出されていたのですが、最も重要であるとみなされるラメセス2世時代を記したRITANCの巻が刊行された後、近年では英訳を扱うRITAのみが先行して出版されるようになりました。時間がより必要とされる注釈を後回しとし、仕事のやり方を変えたのだと思われます。
Kitchenはもうすぐ80歳。

Málek 1986


古代エジプトの彫像(人間の姿の彫刻像)は、死んでミイラにされた時の状態をあらわすのであれば両足が揃っていますけれども、それ以外の場合は何故、右足ではなく左足を前に出していることが多いのか。良い質問を数日前に学生のKimieさんから書き込んでいただいて、これが日本語であまり詳細に説明されていないことに気づきました。
古代エジプトに詳しい方ならば、エジプトでは「左」よりも「右」が重視されたという点は御存知のはず。「王の右側の羽扇持ち」、という重要な役職名もありました。ならば、右足を前方に出すはずではないのか、という疑問が当然出てくるわけです。
今、イタリアのトリノ・エジプト博物館展が上野で開催されていますから、改めて注意して見ると良いかもしれません。

この問いに関しては、博覧強記で有名なエジプト学者J. マレクが見解を書いています。エジプトのあらゆる遺跡の情報を集めようとしている、通称「ポーター&モス」(Porter and Moss, 8 Vols.)と呼ばれる基礎台帳のシリーズの編集者として広く知られている人。面白い説明の仕方なので、ちょっと長くなりますが書き写しておきます。

Jaromír Málek,
photographs by Werner Forman,
In the Shadow of the Pyramids:
Egypt during the Old Kingdom

(Orbis Book Publishing Corporation, London, 1986;
The American University in Cairo Press, Cairo, 1986;
reprint, University of Oklahoma Press, Norman, 1992)
128 p.

"Already the earliest male standing statues invariably show the left foot advanced in the typically Egyptian 'flat-footed' posture. There are two reasons for this: the favourite 'main' direction in Egyptian two-dimensional art, as well as writing, was for figures and hieroglyphs to face right, while one of the basic representational rules was that none of the important elements should be obscured. For the Egyptians the ideas of completeness and perfection were almost identical. If we imagine two people of the same height, both facing right, represented side by side on the same base-line, it has to be the person farther away from us whose face is projected slightly forward of the face of the nearer person. If represented differently, the man's face, his most characteristic feature, would be obscured. In the case of the feet of a man standing facing right it is the left foot which is shown slightly advanced, even if the person is just standing, not striding. A sculptor started to make a statue by sketching its profile on a stone block from which he was going to carve, and thus introduced this element into three-dimensional sculpture."
(p. 54)

これが碑文も読めて美術史にも詳しいエジプト学者の解釈。彼が著したエジプト美術に関する本は、和訳も出ています。
ヒエログリフは右から左にも、また左から右にも書くことができましたが、正式には右から左に記す書式が尊ばれました。この時、文字自体は右向きとなります。レリーフなどを含む絵画表現においても、この決まりが適用されたらしく思われます。右向きに重きが置かれると言うことです。

一方、絵画などにおいて、古代エジプト人はもののかたちを、見える通りではなく、知っている通りにあらわそうとしました。記憶に残る、重要で特徴的なことを全部描こうとしたわけです。人体の場合には、腕や足が2本ずつあることの明示が大切であったようです。このために、右向きの立った人物像が描かれた場合、顔は右向きながら、胴体は正面を向いて2本の腕が伸びる様子がはっきりとあらわされ、また歩くポーズではなくて、ただ立っている時でさえも、奥にある左足が少し前に出されて、手前に描かれた右足とともに両足が描写されます。

右向きの立像の図ですから、右足が観察者の手前に描かれます。奥にある左足を、右足の左に描写する、つまり左足の「かかと」を右足のかかとの左に描くのではなく、左足の、「かかと」よりも普段見慣れた特徴的なかたちである「つま先」を右足のつま先の右に描くという点に注意。この時、足の親指の爪まで描かれることが多い。
マレクは人の顔で説明していますが、事情は同じです。

つまり3次元の立体表現である彫刻の像の場合でも、「古代エジプトでは右が優先されているのだから右足の方が前に出て然るべきではないか」ということではなく、たとえ正面から眺めるべきものであっても、像の全体には「右向きの格好で見られることへの尊重」が勘案されており、この際には左足が前に、右足が後ろになる姿勢が取られます。ここにはエジプト人が大切なことを最大限に表現しようと注意を払った痕跡がうかがわれ、とても興味深い。
寝そべった姿をしたスフィンクスの彫刻で、尻尾の見える側面の方が重要なのだと見学会で以前、説明したこともありましたが、この話題と重なります。

Gay Robinsによるエジプト美術の本を紹介したことがありましたけれど、そこでも

"The primary orientation in two-dimensional art for hieroglyphs and figures was facing to the viewer's right. However, both could be reversed to face left as the occasion demanded."
(Robins 1997, p. 24)

と書かれており、ここでまたもや引用されているのが、Henry George Fischerによる1977年の本。「方向の逆転」という題を持つ、大変楽しい本ですが、残念なことに第1冊目が出ただけで終わってしまいました。
古代エジプトのさまざまな場面において「右」が優先されるということは良く知られていますから、立像などの三次元の立体的な表現においても、右足を前に出すのではという発想を誰もが抱きがちです。しかし実際の彫刻作品では逆であるわけで、そのためにいろいろな説がまことしやかに語られて流布している、そういうことだと思われます。
左右の逆転という話題は、本当に面白い。対象物(ここでは立像)を中心に考えるか、それともそれを見る人の視点を中心に考えるかによって、左右が入れ替わります。

エジプト美術については下記の古い本が今なお、基本文献と思われます。大美術史家ゴンブリッチの序文付きで、ベインズが適宜情報を補って英訳。

Heinrich Schäfer,
edited by Emma Brunner-Traut, translated and edited by John Baines,
foreword by E. H. Gombrich,
Principles of Egyptian Art
(Griffith Institute, Oxford, 1986, reprint, with revisions of first English edition.
First published in 1919, "Von ägyptischer Kunst", Leipzig.
Fourth edition, Otto Harrassowitz, Wiesbaden, 1963.
First English edition, Oxford, 1974)
xxviii, 470 p., 109 plates.

500ページ近くもある大著。中が4つに仕切られている器を、古代エジプト人はどう絵に描いたかなど、興味ある指摘がたくさん書かれています。サイバー大学福岡キャンパス附属図書館にも収蔵されています。図版多数。

さて、現在ではGoogle booksという、書籍の全ページではないけれども、厖大な数の本をスキャンしたものが公開されていますから、時折、知りたい内容がヒットすることもあります。

グーグル・ブックス
http://books.google.com/

のページで検索用の小窓に、

egyptian statue & left foot & reason

と入力して検索してみると、マレクの本を含む記述が多く出てきます。上記の引用文も、これを参照しました。
キーワードの選択がここでは重要。最適の言葉を複数、選ばなければなりません。でないと文献の山に溺れてしまいます。
あとはその中から、名の知れた学者が書いたものを参照すればいいかと思います。
こういうのは、根気よく、いろいろと試してみるのが一番。

グーグル・スカラー
http://scholar.google.co.jp/

もありますが、こちらは論文の題名や最初のページしか出てこないことが多く、自宅のコンピュータでキーボードを叩いて使いこなすのは難しい。アクセスに制限があるからです。もちろん電子化された多数の学術雑誌へのアクセスが可能となっている研究機関の図書館では有用。書評なども含まれています。

2009年8月14日金曜日

Ziegler (ed.) 2002


イタリア・ヴェネツィアのパラッツォ・グラッシにて2002年の9月から12月にかけて開催された「ファラオ」という名の展覧会のカタログ。275点にのぼる遺物によって構成された展覧会です。カラー図版多数。内容もぜいたくな造りの分厚い本。

Christiane Ziegler (ed.),
The Pharaohs
(Rizzoli International Publications, New York, 2002)
512 p.

豪華な執筆陣が特色で、イタリア・フランス・ドイツ・アメリカ・スイスなどの有名な研究者たちが各節を分担しています。それらを纏めているジーグラーは、ルーヴル美術館古代エジプト部門長。最初の100ページで王朝の歴史が記されています。

The Pharaohs and History:
"The Predynastic Period", by Günter Dreyer, Christiane Ziegler
"The Old Kingdom", by Alessandro Roccati
"The Middle Kingdom", by Sydney H. Aufrere
"The New Kingdom", by David P. Silverman
"The Third Intermediate Kingdom", by Mamduh el-Damaty, Isabelle Franco
"The Late Period", by Edda Bresciani

錚々たる権威者たちによる通史で、展覧会のカタログとしては稀有な例。
この他、征服者としての王についてはNicolas Grimalが、宗教に関してはClaude Trauneckerが、建設者としての王についてはRainer Stadelmannが、王墓に関してはErik Hornungが執筆しています。いずれも第一級の専門家ばかりです。
164ページにはカルナック神殿の平面図が、建造時期別に、つまり王別に色分けされて提示されています。いざ探そうと思うと、こういう図はなかなか見つかりません。

メトロポリタン美術館のDorothea Arnoldが王宮建築に関して執筆しており、マルカタ王宮とネチェリケト王の階段ピラミッド複合体におけるセド祭のための広庭とを比較しています。内容は画期的で、residential palaceではないことが強調されています。
第3王朝と第18王朝の建物を、しかも機能がまったく異なるもの同士を比べるのは本当は無茶というものですが、セド祭関連の建物については類例がきわめて限られているために、こうした方法がおこなわれるわけです。しかしこの指摘はとても重要。

カタログの説明文のうち、388-389ページの部分だけが異様に長く、変わっています。"introduction"まで用意されており、ここだけがエジプト学者による執筆ではなく、古代遺物を出品したコレクター自身が書いた文章。本の編集者と、一悶着がどうやらあったことらしいことがうかがわれる箇所です。

年表がpp. 496-497に掲載されていますが、前半はJ. BainesとJ. MalekによるCultural Atlas of Ancient Egypt、また後半はJ. von BeckerathのHandbuch der ägyptischen Koenigsnamenを使っていることを小さく注記として印字しています。
こういうのも珍しい。古代エジプトでは絶対年代が用いられますが、いくつかの説があり、一致していません。異なるものをつなぎ合わせて使う例は、あんまりないかと思われます。

2009年8月11日火曜日

BAR (Breasted, Ancient Records) 1906-1907


エジプト学では"BAR"は飲みに行く店ではなく、Breasted, Ancient Recordsの略。
ただし、British Archaeological Reportsを略したBARというシリーズもあって、紛らわしい。
J. H. ブレステッド(1865-1935)はアメリカにおいてエジプト学を最初に手がけた偉大な人。エジプト語辞典であるA. Erman und H. Grapow (Hrsg.), Wörterbuch der ägyptischen Sprache (Akademie-Verlag, Berlin, 1926-1961), 12 Vols.の編纂に関わったり、エジプト語の文法書を出したりしたドイツのA. エルマンのもとで、初めて博士論文を執筆した米国人。
ブレステッドはシカゴ大学オリエント研究所(OIC)の創立当初、所長としてこの名高い組織を率いた人物でもありました。

James Henry Breasted,
Ancient Records of Egypt:
Historical Documents from the Earliest Times to the Persian Conquest
, 5 Vols.
(University of Chicago Press, Chicago, 1906-1907)

Volume I: The First to the Seventeenth Dynasties (1906)
Volume II: The Eighteenth Dynasty (1906)
Volume III: The Nineteenth Dynasty (1906)
Volume IV: The Twentieth to the Twenty-sixth Dynasties (1906)
Volume V: Indices (1907)

エジプトの第1王朝から26王朝までの長い期間にわたる主な歴史資料を、注釈付きで英語に訳しています。1〜4巻を1906年に出し、最後の5巻目になる索引だけを翌年に刊行。
この本はシカゴ大学出版局で1923年、1927年と版を重ねた後、さらにロンドンの出版社、Histories & Mysteries of Man Ltd.から1988年に、またシカゴのUniversity of Illinois Pressから2001年にリプリントが出されています。100年近く読み継がれている、驚くべき本。ブレステッドが亡くなる前の1927年出版のものが決定版とされ、2001年に出たものにはP. A. Piccioneによって新たに紹介文や文献などが書き足されました。

1906年は、これもまた恐るべき刊行物、Kurt Sethe, Urkunden der 18. Dynastie(Urk. IV)がベルリンから出た年でもあります。
手分けをしているかのような出版。一方は全般の網羅を、他方では花の第18王朝に関する全部の歴史資料の集成を試みています。
ただUrkundenのシリーズもまた、全部を包括することをめざしており、一足早く開始して出版。
Urkundenのシリーズの一覧は、Michael Tilgnerが纏めています。

http://www.geocities.com/TimesSquare/Alley/4482/EEFUrk.html

ほとんどの巻のダウンロードが可能。

同じ時期、エジプト学に愛想を尽かしたイギリスのピートリは、この年に

W. M. Flinders Petrie,
with chapters by C. T. Currelly,
Researches in Sinai
(E. P. Dutton and Company, New York, 1906)
xxiii, 280 p.

W. M. Flinders Petrie,
with chapters by J. Garrow Duncan,
Hyksos and Israelite Cities.
Egyptian Research Account, Twelfth Year (ERA XII)
(Egypt Exploration Fund, London, 1906)
viii, 76 p., LI plates.

を刊行し、イスラエルへと調査の足場を移そうとした傾向が濃厚。
それぞれの学者が当時の最先端で見ている仕事の内容の違いが分かって面白い。

2009年8月10日月曜日

Ashabranner 2002


巨大なオベリスクのかたちをしたワシントンの記念塔を紹介する一般向けの薄い本ですが、面白い指摘があって、見逃せません。発端はマーシュという外交官。

Brent Ashabranner,
photographs by Jennifer Ashabranner and historical photographs,
The Washington Monument:
A Beacon for America.

Great American Memorials
(Twenty-First Century Books, Connecticut, 2002)
64 p.

オベリスクを調べているうちに、アメリカのワシントン記念塔のかたちが気になって、その正確なかたちが知りたいと思っていたら、George Perkins Marsh(1801-1882)という人物に突き当たりました。この人、イタリアに滞在したアメリカ大使です。
彼は当時の首都であるトリノに住み、ローマにも行った人物で、本もたくさん書いています。ローマに立つオベリスクに興味を持って、いろいろ調べていたらしいのですが、この人はエジプト学ではまったく知られていないはず。

"Marsh's studies had shown that the height of an Egyptian obelisk was ten times the width of its base. Marsh's calculations also told him that the dimensions of the shaft should be reduces as it rose, the top of the obelisk varying from two thirds to three fourths of the length of the base." (p. 47)

"The shaft would taper 1/4 inch to the foot (.64 centimeters to the meter [sic !]) as it rose. The walls would attenuate (become thinner) from 15 feet (4.6 meters) at the base to 18 inches (45.7 centimeters) at the top of the shaft. The width at the base of the shaft was 55.5 feet (16.8 meters). The width at the top of the shaft would be 34.5 feet (10.5 meters)." (p. 50)

"At a height of 555 feet 5 1/8 inches (169.4 meters), the Washington Monument is the tallest freestanding all-masonry structure in the world." (p. 60)

石造建築としては確かに世界一高いものなのでしょうけれども、個人的にはシャフトの勾配の値の方に興味があり、1フィート当たり、1/4インチの勾配と書いてありますが、両側の傾きを併せると1フィート=12インチ当たり1/2インチ、すなわち24:1の傾きとなります。1キュービットに対する1ディジットは28:1。小キュービット、あるいはreformed cubitと呼ばれる末期王朝以降の尺度では24:1。
19世紀にこれだけのことが分かっていたという点は驚きで、特筆に値します。
たぶんこれからは、このマーシュという人が、オベリスク研究を切り開いた者として語られるようになるのでは。

この記念碑についてはしかし、

Thomas B. Allen,
foreword by Stephen E. Ambrose,
The Washington Monument:
It Stands for All

(Discovery Books, New York, 2000)
172 p.

の方が解説は丁寧です。

2009年8月8日土曜日

Curran, Grafton, Long, and Weiss 2009


オベリスクが西欧の世界においてどのように受容されたかを述べたもの。社会学的な意味を持つ研究。ウィーンに留学中の安岡義文さんからの御教示。いろいろと本や論文を教えてくれる方々が周りにいて、当方としては非常に有難い。

Brian A. Curran, Anthony Grafton, Pamela O. Long, and Benjamin Weiss,
Obelisk: A History
(Burndy Library, Cambridge, Massachusetts, 2009)
383 p.

Contents:
Introduction, p. 7

1. The Sacred Obelisks of Ancient Egypt, p. 13
2. The Obelisks of Rome, p. 35
3. Survival, Revival, Transformations: Middle Ages to Renaissance, p. 61
4. The High Renaissance: Ancient Wisdom and Imperium, p. 85
5. Moving the Vatican Obelisk, p. 103
6. Changing the Stone: Egyptology, Antiquarianism, and Magic, p. 141
7. Baroque Readings: Athanasius Kircher and Obelisks, p. 161
8. Grandeur: Real and Delusional, p. 179
9. The Eighteenth Century: New Perspectives, p. 205
10. Napoleon, Champollion, and Egypt, p. 229
11. Cleopatra's Needles: London and New York, p. 257
12. The Twentieth Century and Beyond, p. 283

Acknowledgements, p. 297
Notes, p. 301
Bibliography, p. 339
Illustrations, p. 365
The Wandering Obelisks: A Check Sheet, p. 371
Index, p. 375

イヴァーセンは2冊のオベリスクの本を書いており(Iversen 1968-1972)、この2巻本(続巻も予定されていたんでしたが)についてはカバーの後ろ見返し部分に印刷されている書評でも"unrivalled work"と記されていますが、他にエジプトが西欧世界でどのように見られてきたかを書いた

Erik Iversen,
The Myth of Egypt and its Hieroglyphs:
In European Tradition

(G.E.C. Gad Publishers, Copenhagen, 1961)
178 p.

も出していて、考え方は良く似ています。

Labib Habachi,
edited by Charles C. Van Siclen III,
The Obelisks of Egypt:
Skyscrapers of the Past

(Charles Scribner's Sons, New York, 1977)
xvi, 203 p.

邦訳:
ラビブ・ハバシュ著、吉村作治訳、
「エジプトのオベリスク」
(六興出版、1985年)
230 p.

が、エジプト学の視点から初めて本格的に記されたオベリスクの本だとするならば、4人による合作のこの本は、西洋史の中で扱われるオベリスクに焦点を当てた本。ヒエログリフを読もうとしたキルヒャーについては章を独立させて綴っています。
なお、参考文献には掲げられていませんが、オベリスクに関する怪しげな解釈もあって、厚い本である、

Peter Tompkins,
The Magic of Obelisks
(Harper & Row, New York, 1981)
viii, 470 p.

はその典型。これも別な意味で少しばかり興味深い。

2009年8月4日火曜日

Vartavan and Amorós 1997


古代エジプトで用いられた樹木に関する研究書。
古代の木に関しては、「すべての時代の木」という題を持つ、以下の6巻本(1949-1955)のうちの第1巻と第2巻が古典として知られていて、そのうちエジプトを扱った部分の

W. Boerhave Beekman,
"Hoofstuk 7: bossen, bomen en toegepast hout bij de Egyptenaren",
Ditto,
Hout in alle tijden, Deel I
(A. E. Kluwer, Deventer, 1949)
pp. 399-578

が引用されたりしますが、これはオランダ語で書かれたもの。
もう少し新しくて他に良く引用されるものとしては、

Russell Meiggs,
Trees and Timber in the Ancient Mediterranean World
(Oxford University Press at the Clarendon Press, Oxford, 1982)
xviii, 553 p., map, 16 plates.

が有名です。けれども世界を地中海近辺に絞っている点に注意。科学技術の進展で、情報が過多となり、すべてを網羅することがもう諦められています。
さて、

Christian de Vartavan and Victoria Asensi Amorós,
Codex of Ancient Egyptian Plant Remains.
Triade Exploration's Opus Magnum Series in the field of Egyptology (TOMS.E): 1
(Triade Exploration, London, 1997)
(v), 401 p.

は膨大な情報量のデータベースをそのまま打ち出したような書籍で、古代エジプトの草や木の用例が一冊に纏められたもの。読みにくいというか、調べにくい本なのですが、ツタンカーメンに話題を限った続巻とも言うべきものがあって、

Christian de Vartavan,
Hidden Fields of Tutankhamun:
From Identification to Interpretation of Newly Discovered Plant Material from the Pharaoh’s Grave
.
Triade Exploration's Opus Magnum Series. Egyptology (TOMS.E): 2
(Triade Exploration, London, 1999)
xi, 220 p., x plates, 57 plates.

ではイギリスの王立キュー・ガーデンが所蔵していたツタンカーメンの墓出土の木片サンプルなどを報告。

一方、キューガーデンからは一般向けに、

F. Nigel Hepper,
Pharaoh's Flowers:
The Botanical Treasures of Tutankhamun
.
Royal Botanic Gardens, Kew
(Her Majesty's Stationery Office (HMSO), London, 1990)
xii, 80 p.

が出ています。
キュー・ガーデンに勤めていたHepperの名は

Rowena Gale, Peter Gasson, Nigel Hepper,
"Wood (Botanical section)",
in Nicholson and Shaw (eds.) 2000,
pp. 334-352.

でも共同執筆のひとりとして見られますが、この"Wood"の項目のリファレンスのページ、pp. 385-389にはVartavanの本が出てこないし、逆にVartavanの本にもHepperの本が触れられていません。
双方とも古代エジプトの植物を専門とし、これもまた狭い世界であるはずなのですけれども、研究者間であまり交流がないなと感じさせる一例。
ツタンカーメンの墓から出土した木材については、

Renate Germer,
Die Pflanzenmaterialien aus dem Grab des Tutanchamun.
Hildesheimer ägyptologische Beiträge (HÄB) 28
(Garstenberg, Hildesheim, 1989)

でも記述があります。この人は

Renate Germer,
Flora des pharaonischen Ägypten.
Deutsches Archäologisches Institut Abteilung Kairo (DAIK), Sonderschrift, Band 14
(Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 1985)

Sylvia Shoske, Barbara Kreißl, und Renate Germer,
"Anch" Blumen für das Leben:
Pflanzen im alten Ägypten.

Schriften aus der ägyptischen Sammlung (SÄS), Heft 6
(Staatliche Sammlung Ägyptischer Kunst, München, 1992)

も出しています。

2009年7月28日火曜日

Shaw and Nicholson (eds.) 2000


「大英博物館古代エジプト百科事典」で知られている二人組が纏めた「古代エジプト物質材料技術事典」。類書がほとんどありません。
古代技術の全般ということならR. J. Forbesの全9巻のものがありますが、すでに古く、レイデンのブリル社は現在改訂中。またシンガー、他の「技術の歴史」についても前に触れました。

「ビチューメン」とか「エレクトラ」とか「カルトナージュ」とか、文献の中で時折出くわす訳の良く分からない物体を詳しく調べたい時には、この本が必要になります。
「石」や「煉瓦」、あるいは「金属」、「顔料」といった項目もあり、基礎知識を得るには最良の書籍。権威ある本となっています。

Ian Shaw and Paul T. Nicholson,
Ancient Egyptian Materials and Technology
(Cambridge University Press, Cambridge, 2000)
xxii, 702 p.

700ページを超す分厚い本。
数多くの執筆者によって書かれていますけれども、この本はもともとA. ルーカスがたったひとりで著したものが出発点になります。

Alfred Lucas,
Ancient Egyptian Materials
(Edward Arnold & Co., London, 1926)
viii, 242 p.

彼は科学分析や修復に携わった人間です。ツタンカーメンの墓が発見されてから数年後に出版されている点も興味深い。
この本、後にはハリスが大幅な改訂をおこないました。それが「ルーカス&ハリス」の名で知られている刊行物です。初版と比べるならば、ページ数が倍増している点に注意。題名も少しだけ変更されています。手元にあるのは第4版のレプリント。

Alfred Lucas, revised by J. R. Harris,
Ancient Egyptian Materials and Industries
(Edward Arnold, London, 1962, reprint of 4th ed.)
xvi, 523 p.

この第4版は何度も増刷され、1989年にはヒストリーズ&ミステリーズ・オブ・マン社から、さらなるリプリントが出されました。多くの需要があったことをここから了解できます。

科学分析が発達し、"Archaeometry"などの専門誌が刊行されている現在、材料や技術に関する情報は増大する一方。もはや、たったひとりで書き切れるものではありません。

2009年7月26日日曜日

Gabolde (ed.) 2008 (Fs. J.-Cl. Goyon)


J.-Cl. Goyon
が70歳を迎えた記念の献呈論文集。双子のGabolde兄弟のうちのひとりが編集をおこなっています。
41人が執筆。目次はIFAOのウェブサイトにて公開されています。ザヒ・ハワースも古王国時代の彫像について文を寄せています。

Luc Gabolde (textes réunis et édités par),
Hommages à Jean-Claude Goyon offerts pour son 70e anniversaire.
IF 981. Bibliothèque d'Étude (BiÉtud) 143.
(Institut Français d'Archéologie Orientale (IFAO), Le Caire, 2008)
(iv), 434 p.

Table des matières:
http://www.ifao.egnet.net/uploads/publications/sommaires/IF981.pdf


Goyonと共著の多いGolvinは、リビアの神殿に関して執筆しています。

Jean-Claude Golvin,
"Le temple no 8 de Sabratha: Iséum ou Sérapéum?
Restitution architecturale, identification, datation", pp. 225-239.

エジプトだけではなく、ギリシアやローマなどの遺構にも詳しい建築畑の人間ならではの考察。
このGolvinという人は、地中海世界の古代遺跡の復原図を見事な水彩画で描くことで非常に知られており、最近は画集を何冊も出しています。検索するならば、各国語に訳されているものが出てくるはず。
アレキサンドリアの復原図も数枚描いており、ポスターにもなっていました。

Claire Simon-Boidot,
"Encore une révision de l'ostracon BM 41228 et sa représentation de reposoir de barque !", pp. 361-373.

論文のタイトルに感嘆符を付けるというのは、きわめて異例です。小さな建物の平面が描かれ、寸法も入っている石灰岩片(オストラコン)が大英博物館に収蔵されているのですが、その再吟味。幅は従来、「27キュービット」と解釈されてきましたけれど、これを著者は「17キュービット」と読み、分析がなされています。
この人は「ネビィ」と呼ばれる単位に関する考察で知られていますが、異論も多い。この論文でも、JEA 79 (1993), pp. 157-177やCdÉ LXXV/149 (2000), pp. 66-79などに掲載された「ネビィ」に関する自分の論文を註で引用していますが、この長さの単位が広く認められているわけではありません。
「ネビィ」については

Elke Roik,
Das Längenmaßsystem im alten Ägypten
(Christian-Rosenkreutz-Verlag, Hamburg, 1993)
xiii, 404 p.

の出版後、論議が高まり、Göttinger Miszellen (GM)やDiscuttions in Egyptology (DE)などの雑誌に、関連する論考が掲載されています。

2009年7月25日土曜日

O'Connor 2009


1960年代からアビュドスの発掘調査に関わっている第一人者による、古代エジプトの聖地アビュドスについての非常に詳しい重要な書籍。エジプト学における最も権威ある「エジプト学事典」、Lexikon der Ägyptologie (LÄ)で「アビュドス」の項を執筆しているのもこの人でした。とてもお勧めしたい本です。
ただ7ページに"Aydos"と脱字があって、本の題でも用いられている大事な地名が間違って記されており、この書籍は本当に大丈夫なのかと思わせますが、ここは編集者による文章で、オコーナーが書いた部分ではありません。

David O'Connor,
Abydos:
Egypt's First Pharaohs and the Cult of Osiris

(Thames & Hudson, London, 2009)
216 p.

Contents:
General Editor's foreword, p. 7
Preface, p. 9
Introduction, p. 15

PART I Abydos and Osiris, p. 22
1 The Discovery of Abydos, p. 22
2 Osiris - Eternal Lord Who Presides in Abydos, p. 30
3 The Temple of Seti I, p. 42

PART II Life Cycle of a Sacred Landscape, p. 62
4 The Rediscovery of Abydos, p. 62
5 The Evolution of a Sacred Landscape, p. 70
6 The Expanding Landscape of the Middle Kingdom, p. 86
7 The Landscape Completed: Abydos in the New Kingdom, p. 104
8 The Climax of the Osiris Cult, p. 120

PART III Origins of the Abydos Landscape, p. 136
9 The Royal Tombs of Abydos, 136
10 The Mysterious Enclosures of Abydos, p. 158
11 Boat Graves and Pyramid Origins, p. 182
12 Abydos: Summing-up, p. 201

注目されるのは第3部で、G. ドライヤーが発掘したU-j墓の検討、そこから見つかった「世界最古」と言われる文字の読解、中が空っぽの葬祭周壁の解釈や、14隻並んで発見された木造船の正体、またこれらがピラミッドの歴史とどうつながるか、などという点にありますが、問題をそれぞれ分かりやすく説明しており、面白い。

DjerとQa'aの墓の復原については、ドライヤーの説に対し、祠堂も付設した自説を、立体図も交えて紹介しており(Fig. 85)、こういうところにオコーナーの考え方があらわれています。ただ、第3王朝の階段ピラミッドを、それまでのマウンド墓、祠堂、葬祭周壁によるセットのひとまとめにしたものと捉えようとして、時代を遡ったDjerとQa'aの墓にも祠堂を設けた復原を提示している感じも若干、与えます。
常に大きく構想しようとするこの人の姿勢が、時として強引さを与えかねないということ。

天に登るための階段をピラミッドは象徴しているのではという、専門家も良く言っている考え方を明確に否定しており(pp. 198-199)、この点は賛成。
ここ20年ほどで、ピラミッドがどのような過程で生まれたかに関する研究が進みました。アビュドスのマウンド墓や、マスタバの中に隠されたマウンド状の覆いの様相が詳しく分かってきたからです。その要点が語られています。

註の数は抑え気味にされて、読みやすさが第一に勘案されていることが分かります。カラーページもいくらか差し挟まれています。
5ページにわたるSelect Bibliographyが巻末に付され、細かい活字で数百の文献を紹介。

"The definitive account of one of Egypt's most important ancient sites, written by the world authority"

という宣伝文句は、嘘ではありません。

2009年7月24日金曜日

Eyre, Leahy and Leahy (eds.) 1994 (Fs. A. F. Shore)


献呈論文集のひとつ。題名の"Unbroken reed"、「壊れていないアシ」というのは日本ではちょっと訳が分かりにくい書き方ですが、旧約聖書の中の預言書である「イザヤ書」第42章3節には、

「また傷んだアシを折ることなく、ほの暗い燈火を消すこともなく、真理をもって道を示す」

という下りがあらわれ、同様の「マタイ伝」第12章20節なども踏まえた表現だとみなすことができます。アシという植物は古代エジプトで馴染みが深く、筆はアシ製でしたし、ヒエログリフにもなっていますし、エジプト学の先生を褒め讃えるにはなかなか良い文句です。
33人がこの本で執筆しています。聖書は66の書からなり、またイザヤ書も66章から構成され、その半分の数を示しますが、もちろんこれは偶然。


Christopher Eyre, Anthony Leahy, and Lisa Montagno Leahy eds.,
The Unbroken Reed:
Studies in the Culture and Heritage of Ancient Egypt in Honour of A. F. Shore.

Occasional Publications 11
(The Egypt Exploration Society, London, 1994)
vii, 401 p.

献呈論文集には重要な論文が収められることがしばしばあるのですが、しかし世界のあちこちで少数部だけ出版されるという性格の書籍のために、全部に目を通すことがなかなか難しい部類に入ります。イギリスのEESから出版されているため、それでもこれは入手しやすい本。
ピラミッドの本を書いているエドワーズが、ピラミッドの形式から第4王朝の王の順番を推測するという内容の論文を寄せていて、面白い。文字資料を重視する傾向の強い中にあって、建築のかたちから年代順が分かるのではないかという大胆な提案です。上部が失われたピラミッドを、玄室の位置や通廊の繋ぎ方で類別しています。ピラミッド時代のただ中にある第4王朝時代で、さまざまな試行錯誤が繰り返されたことが改めて了解される内容。

I. E. S. Edwards,
"Chephren's Place among the Kings of the Fourth Dynasty", pp. 97-105.

スペンサーは泥煉瓦を扱っていますが、壊れた状態の泥の塊がどのように地表にあらわれ出るのか、例をいくつか挙げて説明しています。これも泥煉瓦の遺跡を実際に見たことのある人なら納得のいく発表で、長い年月によって泥が溶け出し、地表を覆ってしまう変化によって、調査時に見誤りやすい点を指摘しています。

A. J. Spencer,
"Mud Brick: Its Decay and Detection in Upper and Lower Egypt", pp. 315-320.

エジプトの模型オタクとして広く知られるトーリーは、ゲベレイン出土の模型を扱っています。ここからはちょっと変わった様式のものが確かに出ているので、注意が必要。

Angela M. J. Tooley,
"Notes on Wooden Models and the 'Gebelein Style'", pp. 343-353.

2009年6月15日月曜日

KMT 20:2 (Summer 2009)


20周年を迎えたアメリカの雑誌の最新号。古代エジプトに関する一般向けの情報誌で、年に4回発行。海外からの購読料は年に47ドル。
カラー写真を多く掲載した体裁によって人気があります。
誌名のkmt 「ケメト」とは、古代エジプト語で『エジプト』のこと。黒い土地という意味に由来します。赤い砂漠の土地はデシェレトと呼ばれ、対照的な表現。赤と黒の配色は、エジプトの国旗にも反映されています。
Kemiという誌名を持つエジプト学の専門誌も別にあるので注意。

KMT: A Modern Journal of Ancient Egypt,
Volume 20, Number 2 (Summer 2009)
88 p.

Contents:
Editor's Report (p. 2)
Nile Currents (p. 5)
For the Record (p. 10)
Nefertiti's Final Secret (p. 18)
Meresamun: Life of a Temple Singer (p. 29)
A Permanent Exhibition of Ancient Egyptian Life, Death & Eternity (p. 37)
A Unique "Bed" with Lion-Headed Terminals: A KV63 Report (p. 44)
The Oases of Egypt's Western Desert: A Photo Essay, Part 2 (p. 49)
The Ancient Egyptian Museum, Shibuya, Tokyo (p. 61)
Book Preview: Intimate Egypt (p. 70)
Luxor Update: A Pictorial (p. 76)
Books & Briefs (p. 84)
Where is it? (p. 88)

王家の谷の63号墓における調査で見つかった特殊な「寝台」に関する最新のレポートを掲載しています。棺を載せるための台として作られたようで、非常に奇妙。端部にはライオンの頭部の彫刻が付加されますが、脚部などは端折った形式。
ライオンの頭部の飾りが付いているとは言え、個人的にはこういう粗末なものを「ベッド」とは呼びたくはないんですが。

東京の渋谷で新たに開館した古代エジプトの個人美術館の紹介がとても面白い。
目次では66ページから始まる記事となっていますが、これは誤りで、61ページから9ページを費やして紹介されています。
菊川氏が創設した私的なこの美術館に関しては、すでにいろいろと情報が知られており、

http://www.egyptian.jp


という公式サイトのURLも当誌において掲載されていますけれども、そこでは登録会員番号の入力が求められます。来館に際しては電話予約が必要。
エジプト学者の仕事場を模した展示方法が目を惹きます。

近藤二郎・大城道則・菊川匡
「古代エジプトへの扉:菊川コレクションを通して」
文芸社、2004年
197 p.

も参照のこと。

2009年6月9日火曜日

Kemp 2007


B. ケンプが「死者の書」を一般向けに語った本で、吟味すべき一冊。さほど厚くないペーパーバックの本で、10章から構成されます。
易しく語られていますが、内容は高度。大学院生の教材などで取り上げたりしたら、とっても面白いかも。

Barry Kemp,
The Egyptian Book of the Dead.
How to Read Series
(Granta Books, London, 2007)
xi, 125 p.

Contents:
Introduction (p. 1)
1. Between Two Worlds (p. 11)
2. Working with Myths (p. 23)
3. The Landscape of the Otherworld (p. 33)
4. Voyages and Pathways (p. 43)
5. Reviewing One's Life (p. 53)
6. The Body's Integrity (p. 63)
7. Voice and Performance (p. 72)
8. Empowerment (p. 81)
9. Becoming a God (p. 90)
10. Perpetual Fears (p. 100)

Notes (p. 108)
Chronology (p. 112)
Suggestions for Further Readings (p. 114)
Index (p. 118)

一般向けに書かれたケンプによる本と言うことであれば、先駆けはありました。
同著者によるヒエログリフの本です。同じロンドンの出版社から出されましたが、またアメリカからも主タイトルと副タイトルとを逆にしたものが刊行されました。

Barry Kemp,
100 Hieroglyphs: Think Like an Egyptian
(Granta Books, London, 2005)
xv, 256 p.

Barry Kemp,
Think Like an Egyptian: 100 Hieroglyphs
(A Plume Book, New York, 2005. Originally published in UK, entitled as "100 Hieroglyphs: Think Like an Egyptian" by Granta Books, 2005)
xv, 256 p.

謝辞(ix)などがきわめて短い点は、ケンプの本では通例のこと。
この場合では改行もなく、出稿が遅れたことの言い訳、世話になった編集者への御礼、そして研究助成をもらったことの書きつけが続けて記されるだけです。
次の"A Note on Translation"(xi)も同様。改行は一切なく、「R. O. Faulkner、及びT. G. Allenの文献を参考にした」と書かれるだけ。

一般向けの本だから、註も文献リストもきわめて限られています。
その中にあって、4ページに振られた註1(p. 108)では20行以上にわたる文が書かれていて、そこではJ. BainesとJ. Assmannの見方だけが自分の観点に叶うと述べられ、彼らの先行研究が引用されています。
しかし一方で、"Suggestions for Further Reading"(p. 114)の筆頭に挙げられているのは、E. Hornungによる著書、Altägyptische Jenseitsbücher (Darmstadt, 1997)。

こういう扱いには、秘かな批判も込められていると見るべきです。古代エジプトの宗教研究に関しては、世界でJ. アスマンとE. ホルヌンクの2人が双璧である点は、エジプト学関係者たちにとって、もちろん周知のこと。
そのどちらを支持するのかが、記述された文章によってではなく、むしろ本の形式を借りて表現されています。

序章の1ページでは映画の"The Mummy"がいきなり扱われており、つまりこれは日本で「ハムナプトラ」の名のもとに公開されたハリウッド映画である訳ですが、

"The film never claimed historical authenticity"

と、まずは一言であっさり否定して済ませます。要するに「全くのでたらめ」、ということですね。それを格調高く言うために、いささか難しい単語が選択されている点にも注意。
序章では引き続き、この映画における「死者の書」の扱いと、実際のものとがどれだけ異なるのかを初心者にも分かるように丁寧に説明しており、そこでは書物の外的な形態の違いにも触れられますけれども、

"The Otherworld was not a place of earthly pleasures or of family reunions." (p. 1)

といった点も描いています。キリスト教やイスラームなどからの安易な類推を禁じた言葉が見られ、重要。
広く宗教を見渡して考え、人間の死骸を保存したり、蘇りを信じていたとされる良くある見方が、決して凶々しい特殊な人間の精神世界ではないとみなしていることが分かり、それは序章で積極的に「我々と似ていないか」と問いかける姿勢などからも明らか。
以下、各章の冒頭には「死者の書」からの引用が付される形式を取ります。

ケンプが流行の映画に言及するのは珍しい。テレビの存在についてはかつて、彼の"Anatomy"の本で触れていたと思われるけれども。
この本にはまたインターネットのURLが記載されていて、こういう点も興味深かった。これまで彼はあまり引用しませんでしたが、既往研究が次々とネットで公開されている近況への配慮。

第9章のタイトル、"Becoming a God"は、おそらく欧米人にとって最も理解の難しい考え方のひとつ。逆に、日本人にとってはすんなり入っていくことのできる道でもあって、簡単ながら、その説明に興味が惹かれます。

日本の古代の精神世界に分け入った折口信夫(おりくちしのぶ)が文芸作品「死者の書」を執筆しており、それを纏めた

折口信夫著、安藤礼二編、
「初稿・死者の書」
(国書刊行会、2004年)
338 p.

と並読するならば、他の国の人間にはできない心の体験ができそうで、興味深い。

「生き返ること自体を第一の目的にすることはエジプト人は決して発想しなかったであろうし、蘇りが目的であったに違いないと考えるのは、何でも功利主義と結びつける浅ましい現代人だけであろうし、それが目的になったとたんに、もはや『死者の書』ではなくなる」という、ケンプの考え方がここでは表明されています。
この本はだから、現代文明への強い批評ともなっています。そこを読み取ることができるかどうかが、たぶん「ケンプを読む」ということの意味。

2009年6月7日日曜日

Veldmeijer 2009


古代エジプト人がどんな靴を履いていたのかを専門に研究している人の連続論文のうちのひとつ。第16番目の論考。
こういうことを綿密に調べ上げようとしている人は世界に2〜3人しかいないので、最新研究を見れば、既往文献リストのほとんどすべてが入手できます。
ルーヴル美術館のエジプト部門から数年前に、古代エジプトのサンダルのカタログが出版され、へえーと思った記憶がありますが、こちらの内容も面白い。

André J. Veldmeijer,
"Studies of ancient Egyptian footwear.
Technological aspects. Part XVI. Leather Open Shoes",
in British Museum Studies in Ancient Egypt and Sudan (BMSAES) 11 (2009),
pp. 1-10.
http://www.britishmuseum.org/system_pages/holding_area/issue_11/veldmeijer.aspx


BMSAESは大英博物館から出されている電子ジャーナルで、無料にてダウンロードすることができます。PDFにて配信。カラー写真が豊富に掲載されている論文が多いのが特徴です。

Ancient Egyptian Footwear Project (AEFP)なるプロジェクトが進行中とのこと。まずは最後の参考文献から目を通すというのは、論考の範囲を知るための最初の手順であるわけですが、ツタンカーメンの履き物について報告書がもうすぐ出版されると言うことがここで分かります。
Tutankhamun's Footwearという題を持つことが予定されているこの本はしかし、単著ではなく、何人かの(しかも比較的多くの)共同執筆者がいるようで、その中にP. T. NicholsonやG. Vogelsang-Eastwoodが入っているのは理解できるとしても、J. A. Harrellが加わっているのは意外。
NicholsonはAncient Egyptian Material and Technology (Cambridge, 2000)の大著を纏めた片割れで有名、またVogelsang-Eastwoodは古代エジプトの衣服に関する稀な専門家。
でもHarrellは岩石学に基づく石切場の専門家で、彼がどのような文を書くのかは個人的に興味のあるところ。

Veldmeijerは、Footwear in Ancient Egyptという3巻本を出す予定であることも、参考文献リストで了解され、このように論文の参考文献リストというのは、自分の偉さを宣伝する学術的な広告の場でもあるということが良く分かります。
しかしこの人の場合は極端で、掲げている17の参考文献のうち、10本が自分が書いたもの。またその半数以上が"in press", "in preparation"で、一体どうなっているのか、良く分かりません。順番をつけ、一挙に提出したということでしょうか。
こういうことが有りなのだと、面白く思います。

文献リストで出ているオランダのJEOLという雑誌は、日本ではちょっと探しにくい専門誌。レイデン(ライデン)から出ており、正式名称は

Jaarbericht Ex Oriente Lux

です。NACSIS Webcatのページ、

http://webcat.nii.ac.jp/


にてこの雑誌のフルタイトルを検索すると、京大、東大、東海大、天理図書館などが持っていることが分かります。ただ、どこがどの号を所有しているかを確認することが必要。
実はこの他に購読している研究室はあると思われるのですが、そういうのはネット検索では通常、出てきません。
エジプト学関連では、同様にオランダのOMROなども、日本で見るには手数のかかる面倒な雑誌。でも、

http://www.saqqara.nl/excavations/publications


ではサッカラを中心としたオランダにおける研究成果を公開しており、最新の成果を知るにはとても便利です。
エジプト学に関連する雑誌名称の略記に関しては、Lexikon der Ägyptologieでリストがありますけれども、以前も触れたように、エジプト学者たちも多く加入しているEgyptologists' Electronic Forum(EEF)の"Bibliographical Abbreviations"のページ、

http://www.geocities.com/TimesSquare/Alley/4482/AHmag.html


で見ることもできます。

Egyptian Archaeology 33 (2008)でも見たようなサンダルの絵がFig. 4で出ており、こうした表現は素晴らしい。
革を使ってどのように靴が作られているのか、その図解も楽しめます。このFig. 2は、色も使って図示すれば、もっと分かりやすくなったはず。

つくば大学によるアコリス調査でも多数のサンダルが出土しており、こういう情報が今後、どのように反映されていくかも見て行きたいところです。