2009年8月22日土曜日

Málek 1986


古代エジプトの彫像(人間の姿の彫刻像)は、死んでミイラにされた時の状態をあらわすのであれば両足が揃っていますけれども、それ以外の場合は何故、右足ではなく左足を前に出していることが多いのか。良い質問を数日前に学生のKimieさんから書き込んでいただいて、これが日本語であまり詳細に説明されていないことに気づきました。
古代エジプトに詳しい方ならば、エジプトでは「左」よりも「右」が重視されたという点は御存知のはず。「王の右側の羽扇持ち」、という重要な役職名もありました。ならば、右足を前方に出すはずではないのか、という疑問が当然出てくるわけです。
今、イタリアのトリノ・エジプト博物館展が上野で開催されていますから、改めて注意して見ると良いかもしれません。

この問いに関しては、博覧強記で有名なエジプト学者J. マレクが見解を書いています。エジプトのあらゆる遺跡の情報を集めようとしている、通称「ポーター&モス」(Porter and Moss, 8 Vols.)と呼ばれる基礎台帳のシリーズの編集者として広く知られている人。面白い説明の仕方なので、ちょっと長くなりますが書き写しておきます。

Jaromír Málek,
photographs by Werner Forman,
In the Shadow of the Pyramids:
Egypt during the Old Kingdom

(Orbis Book Publishing Corporation, London, 1986;
The American University in Cairo Press, Cairo, 1986;
reprint, University of Oklahoma Press, Norman, 1992)
128 p.

"Already the earliest male standing statues invariably show the left foot advanced in the typically Egyptian 'flat-footed' posture. There are two reasons for this: the favourite 'main' direction in Egyptian two-dimensional art, as well as writing, was for figures and hieroglyphs to face right, while one of the basic representational rules was that none of the important elements should be obscured. For the Egyptians the ideas of completeness and perfection were almost identical. If we imagine two people of the same height, both facing right, represented side by side on the same base-line, it has to be the person farther away from us whose face is projected slightly forward of the face of the nearer person. If represented differently, the man's face, his most characteristic feature, would be obscured. In the case of the feet of a man standing facing right it is the left foot which is shown slightly advanced, even if the person is just standing, not striding. A sculptor started to make a statue by sketching its profile on a stone block from which he was going to carve, and thus introduced this element into three-dimensional sculpture."
(p. 54)

これが碑文も読めて美術史にも詳しいエジプト学者の解釈。彼が著したエジプト美術に関する本は、和訳も出ています。
ヒエログリフは右から左にも、また左から右にも書くことができましたが、正式には右から左に記す書式が尊ばれました。この時、文字自体は右向きとなります。レリーフなどを含む絵画表現においても、この決まりが適用されたらしく思われます。右向きに重きが置かれると言うことです。

一方、絵画などにおいて、古代エジプト人はもののかたちを、見える通りではなく、知っている通りにあらわそうとしました。記憶に残る、重要で特徴的なことを全部描こうとしたわけです。人体の場合には、腕や足が2本ずつあることの明示が大切であったようです。このために、右向きの立った人物像が描かれた場合、顔は右向きながら、胴体は正面を向いて2本の腕が伸びる様子がはっきりとあらわされ、また歩くポーズではなくて、ただ立っている時でさえも、奥にある左足が少し前に出されて、手前に描かれた右足とともに両足が描写されます。

右向きの立像の図ですから、右足が観察者の手前に描かれます。奥にある左足を、右足の左に描写する、つまり左足の「かかと」を右足のかかとの左に描くのではなく、左足の、「かかと」よりも普段見慣れた特徴的なかたちである「つま先」を右足のつま先の右に描くという点に注意。この時、足の親指の爪まで描かれることが多い。
マレクは人の顔で説明していますが、事情は同じです。

つまり3次元の立体表現である彫刻の像の場合でも、「古代エジプトでは右が優先されているのだから右足の方が前に出て然るべきではないか」ということではなく、たとえ正面から眺めるべきものであっても、像の全体には「右向きの格好で見られることへの尊重」が勘案されており、この際には左足が前に、右足が後ろになる姿勢が取られます。ここにはエジプト人が大切なことを最大限に表現しようと注意を払った痕跡がうかがわれ、とても興味深い。
寝そべった姿をしたスフィンクスの彫刻で、尻尾の見える側面の方が重要なのだと見学会で以前、説明したこともありましたが、この話題と重なります。

Gay Robinsによるエジプト美術の本を紹介したことがありましたけれど、そこでも

"The primary orientation in two-dimensional art for hieroglyphs and figures was facing to the viewer's right. However, both could be reversed to face left as the occasion demanded."
(Robins 1997, p. 24)

と書かれており、ここでまたもや引用されているのが、Henry George Fischerによる1977年の本。「方向の逆転」という題を持つ、大変楽しい本ですが、残念なことに第1冊目が出ただけで終わってしまいました。
古代エジプトのさまざまな場面において「右」が優先されるということは良く知られていますから、立像などの三次元の立体的な表現においても、右足を前に出すのではという発想を誰もが抱きがちです。しかし実際の彫刻作品では逆であるわけで、そのためにいろいろな説がまことしやかに語られて流布している、そういうことだと思われます。
左右の逆転という話題は、本当に面白い。対象物(ここでは立像)を中心に考えるか、それともそれを見る人の視点を中心に考えるかによって、左右が入れ替わります。

エジプト美術については下記の古い本が今なお、基本文献と思われます。大美術史家ゴンブリッチの序文付きで、ベインズが適宜情報を補って英訳。

Heinrich Schäfer,
edited by Emma Brunner-Traut, translated and edited by John Baines,
foreword by E. H. Gombrich,
Principles of Egyptian Art
(Griffith Institute, Oxford, 1986, reprint, with revisions of first English edition.
First published in 1919, "Von ägyptischer Kunst", Leipzig.
Fourth edition, Otto Harrassowitz, Wiesbaden, 1963.
First English edition, Oxford, 1974)
xxviii, 470 p., 109 plates.

500ページ近くもある大著。中が4つに仕切られている器を、古代エジプト人はどう絵に描いたかなど、興味ある指摘がたくさん書かれています。サイバー大学福岡キャンパス附属図書館にも収蔵されています。図版多数。

さて、現在ではGoogle booksという、書籍の全ページではないけれども、厖大な数の本をスキャンしたものが公開されていますから、時折、知りたい内容がヒットすることもあります。

グーグル・ブックス
http://books.google.com/

のページで検索用の小窓に、

egyptian statue & left foot & reason

と入力して検索してみると、マレクの本を含む記述が多く出てきます。上記の引用文も、これを参照しました。
キーワードの選択がここでは重要。最適の言葉を複数、選ばなければなりません。でないと文献の山に溺れてしまいます。
あとはその中から、名の知れた学者が書いたものを参照すればいいかと思います。
こういうのは、根気よく、いろいろと試してみるのが一番。

グーグル・スカラー
http://scholar.google.co.jp/

もありますが、こちらは論文の題名や最初のページしか出てこないことが多く、自宅のコンピュータでキーボードを叩いて使いこなすのは難しい。アクセスに制限があるからです。もちろん電子化された多数の学術雑誌へのアクセスが可能となっている研究機関の図書館では有用。書評なども含まれています。

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