エジプトの石切場調査は最近、増えてきていますが、建築学的な知見がどれだけ増えているかというと、そうでもありません。建築技法についてはもちろん、いろいろ新しく見つかっても当然のことです。けれどもそれらは些末的な問題。ここを間違えている人が多くいます。
建築に関わって、なおかつ他の分野に繋げられるトピックが探し出されることこそ本当は重要なのですが、それがあまりおこなわれていない現状です。
Adam Bülow-Jacobsen,
Mons Claudianus:
Ostraca graeca et latina IV.
The Quarry-Texts O. Claud. 632-896.
IF 995.
Documents de Fouilles (DFIFAO) 47
(Institut Français d'Archéologie Orientale (IFAO), Le Caire, 2009)
xiii, 367 p.
Table of Contents:
http://www.ifao.egnet.net/uploads/publications/sommaires/IF995.pdf
O. Claud.というような省略した書き方が専門書ではなされており、要するにオストラカ Ostraca、という言葉が端折って記されるわけです。これはパピルスも同じ。
O. BM (あるいはoBM)=大英博物館(British Museum)収蔵のオストラカ
O. Cairo (あるいはoCairo)=カイロ博物館収蔵のオストラカ
O. Turin (あるいはoTurin)=トリノ・エジプト博物館収蔵のオストラカ
P. Anastasi I (あるいはpAnastasi I)=第1アナスタシ・パピルス
といった感じです。
といった感じです。
そう言えばトリノ博物館の展覧会が始まりましたが、トリノ博物館はラメセス時代に属する多くのオストラカを収蔵しており、貴重。報告はJesus Lopezが4巻本でおこなっています。
ギリシアでは、アルファベットが数字としても代用されました。すなわち、
α(アルファ)=1
β(ベータ)=2
γ(ガンマ)=3
δ(デルタ)=4
などとなります。
従って、O. Claud. 841の35行目に出てくる簡単なアルファベットの3つの羅列、
ε δ α
は「5 × 4 × 1」と訳され(p. 170)、これは石材の長さと幅と高さの寸法。
ギリシアでは、アルファベットが数字としても代用されました。すなわち、
α(アルファ)=1
β(ベータ)=2
γ(ガンマ)=3
δ(デルタ)=4
などとなります。
従って、O. Claud. 841の35行目に出てくる簡単なアルファベットの3つの羅列、
ε δ α
は「5 × 4 × 1」と訳され(p. 170)、これは石材の長さと幅と高さの寸法。
ここにはふたつ重ねられた飛躍があります。3つ並ぶアルファベットが数字をあらわし、しかもそれがひとつの石材の大きさであるという認識が必要。何しろ石切り現場での書き付けですから、省略がいろいろあり、これを勘案しながら石切り作業の全体像を追っていくことが望まれます。
石切場を巡る研究というのは、こういうところが面白い。
石材の大きさがこのように文字資料として小さな石片に記録されることは、王朝時代にはしかしあまり例がなく、ラメセウムのオストラカとして知られているものぐらいしかありません。岩窟墓における掘削量を記録しているものなら、いくらかあるのですけれども。
石に直接、その大きさを記した王朝時代の例も極端に少なく、クフ王の船坑の蓋石に書かれたものがほとんど唯一の例と思われます。クフの第2の船の調査研究を担当されているサイバー大学の山下弘訓先生にこの6月、初めて蓋石の書き付けを見せていただきましたけれども、きわめて貴重。
王朝時代からグレコ・ローマ時代にかけての長い期間における石切りの様相を概括することは、建築に関わる人間の仕事だと思います。
この巻では3つの付章が重要です。
Appendix 1では石切り作業に関連する専門用語を所収しており、他の辞書ではほとんど見られない語ばかりが並びます。
Appendix 2は、「この石切場に何人いたか?」という章で、人名リストを挙げています。労働組織の規模に関わる論考。
Appendix 3は、巨大な石の運搬に関する論議がなされています。
とても大きな建材の運搬について考えるはずのところなのに、規模がえらく異なった実験を、住宅内の床の上にて自分で進めていることがすごくおかしい。コロの上に載せた、小型の段ボール箱の側面にデジタルキッチンスケール(台所用の計り)をテープで固定し、その計量皿の部分の中央を右のひとさし指で押しています。わざわざこれを写真で紹介しており(p. 271, App. 3, Figs. 2-3)、靴下を履いた足が背景に写っているのも御愛嬌。
石切場を巡る研究というのは、こういうところが面白い。
石材の大きさがこのように文字資料として小さな石片に記録されることは、王朝時代にはしかしあまり例がなく、ラメセウムのオストラカとして知られているものぐらいしかありません。岩窟墓における掘削量を記録しているものなら、いくらかあるのですけれども。
石に直接、その大きさを記した王朝時代の例も極端に少なく、クフ王の船坑の蓋石に書かれたものがほとんど唯一の例と思われます。クフの第2の船の調査研究を担当されているサイバー大学の山下弘訓先生にこの6月、初めて蓋石の書き付けを見せていただきましたけれども、きわめて貴重。
王朝時代からグレコ・ローマ時代にかけての長い期間における石切りの様相を概括することは、建築に関わる人間の仕事だと思います。
この巻では3つの付章が重要です。
Appendix 1では石切り作業に関連する専門用語を所収しており、他の辞書ではほとんど見られない語ばかりが並びます。
Appendix 2は、「この石切場に何人いたか?」という章で、人名リストを挙げています。労働組織の規模に関わる論考。
Appendix 3は、巨大な石の運搬に関する論議がなされています。
とても大きな建材の運搬について考えるはずのところなのに、規模がえらく異なった実験を、住宅内の床の上にて自分で進めていることがすごくおかしい。コロの上に載せた、小型の段ボール箱の側面にデジタルキッチンスケール(台所用の計り)をテープで固定し、その計量皿の部分の中央を右のひとさし指で押しています。わざわざこれを写真で紹介しており(p. 271, App. 3, Figs. 2-3)、靴下を履いた足が背景に写っているのも御愛嬌。
註もつけてあって、
"I am grateful to my brother, Jan Bülow-Jacobsen, who provided the necessary floor-space and most of the materials for this experiment." (p. 271)
と、読者に向かってウインクしてみせる様子がうかがわれ、かなりユーモアに富んだ著者であることがこれで分かる。
本文におけるきわめて専門的な書き方との、大きな落差が笑えます。
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