2009年8月2日日曜日

Endruweit 1994


エジプトの「アマルナ型住居」と呼ばれるものは、住居の歴史で最初の方に出てくる有名なものになっていますが、それだけを取り上げて論じている専門書ということになると、世界でたった数冊しかありません。その中では、もっとも新しい本です。

Albrecht Endruweit,
Staedtischer Wohnbau im Aegypten:
Klimagerechte Lehmarchitektur in Amarna

(Gebr. Mann, Berlin, 1994)
220 p., 11 Tafeln

Inhaltsverzeichnis:
1. Die Aussenhuelle
2. Die Mittelhalle
3. Zur Schaffung eines behaglichen Innenklimas
4. Das Schlafzimmer
5. Der Garten
6. Zusammenfassung
7. Klimatische Faktoren und Wohnkultur

アマルナ型住居の研究と言えば、H. リッケによるモノグラフが基本となります。その後にボルヒャルトとリッケによる図面集が出版されたのは20世紀末で、これをもとにして詳しい分析がようやく始められるようになりました。

この本は、中部エジプトの砂漠に建てられたアマルナ型住居が、その土地の風土と気候にどのように適合しているかを詳述したものです。
エジプトは乾燥地帯で、砂混じりの北風が年間を通じて吹きつける場所ですから、住居の形態もこれに合うように工夫されていました。北風を受けるための北向きの高窓が造られたのはそのひとつです。寝室が必ず北向きに造られたのもこの理由によります。日乾煉瓦造による住居はこの地方にとって、過ごしやすい住環境を提供する重要な役割を演じていました。

砂漠の家の周囲に木を植えたり、人工的に池を造ったりすることは大変な苦労を必要としたはずなのですが、古代エジプト人たちは好んで庭園を造営しました。水面や緑を見て楽しむということもあったでしょうが、並んだ樹木は砂を含んだ風から泥造りの家が損傷を受けることを防ぐ防風林や防砂林の役目を果たし、水を湛えた人工湖もまた、気化熱によって気温を下げることに幾分は貢献したのではないかと言われています。
壁画には、家の中に水を撒いている光景を描写したものもあり、打ち水がおこなわれたと考えられています。

寝室の奥の天井の形式で、ヴォールト天井が架けられていたという復原は、おそらくは否定されるべきものです。根拠は、ここだけ両側の壁体が厚くなっているという点と、ピートリの報告による家型模型ですけれども、あまり説得力を感じません。ここには早稲田隊のマルカタ王宮の「王の寝室」も引用されていますが、曖昧な報告をしたことは反省すべき点。もしヴォールトが架かっていたとしたら、アマルナ型住居の通風窓が絵画史料で三角形に描かれることはなかったと思われます。

この本の書評を、アマルナ調査にも携わったK. SpenceがJESHO 39:1 (1996), pp. 50-52で書いており、そこで展開されている知恵比べも面白い。古い科学情報をもとにしているのではないかという疑義が出されたりしますけれども、最後の方では自分がエジプトの日乾煉瓦造の建物で日々を過ごした結果の快適さを個人的経験として述べていて、結局は泥で造られた建物の魅力を双方の研究者が伝える結果となっています。

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