2009年4月9日木曜日

EA (Egyptian Archaeology) 34 (Spring 2009)


数週間前に届いたEESのEA 34号です。たった40ページほどの冊子ですが、いつもの通り、図版が豊富で楽しめます。

Egyptian Archaeology:
The Bulletin of the Egypt Exploration Society (EES),
No. 34
(Spring 2009)
44 p.

オーストラリアにいるC. ホープがダクラ・オアシスでの発掘調査で見つけた古代ローマ時代の住居を発表しています。壁画が綺麗に残っているので、カラー写真などを多用するこの雑誌で発表することは最適。事実、見開きの2ページを図版だけに充てたりしています。
大きい住居の方はおよそ20メートル四方もあり、400平米を越えます。エリートの家だと判断された理由が推し量れるところ。

家の中央には4本の円柱が立つ四角の広い部屋が見られ、円柱の直径が1.4メートルとのこと。とっても邪魔になる大きさです。普通の住宅ではあり得ない大きさ。
これらの柱の配置はしかし、中央の柱間を広く取っており、この4本の柱で囲まれた部分には天井がなく、アトリウムの形式をとっていたであろうと判断されているのは自然な考え方と推察されます。
平面図のスケール・バーを見ると、中央間の間隔は5メートルほどと見積もられ、これはかなり大きいスパンです。木製の水平梁ではちょっと無理かとも思われる寸法。日本の家屋でも、3間の柱間(1.8m × 3 = 5.4m)を飛ばすということには相当の無理があります。通りに面する間口の大きい商店などで例はありますけれども。

この部屋の天井高さも推測されており、「柱の直径から考えて、少なくとも5.6メートルはあったに違いない」と述べています。つまり、最低で柱の直径の4倍程度の高さがあったと判断しているらしい。
コリント式の柱頭の断片も出土しているようですが、柱径の4倍の高さしかないコリント式というみっともない柱が、本当にこの部屋に並べられていたのか、今後の研究の進展が待たれます。
この住居の平面は判然としないところがあり、たとえば入口の位置が良く分かりません。普通、平面の各部屋に番号を付けようとする場合、入口玄関から始めて、奥に向かって順番に数字を振ることが少なくないのですけれども、ここでは中央の一番広い部屋に1番を充てています。文章では何も書かれていませんが、発掘者たちも今のところ、住居の入口の位置を量りかねているのかもしれない。

B. ケンプは、王宮から離れた位置に建つアマルナの集合住居におけるベス神の壁画をカラーで紹介しており、短い報告ながら、これも注目される発表。とても良く知られた図であるからです。アマルナに興味を持っている研究者は必見。デル・エル・メディーナでもうかがわれますが、ベス神は言わば家の守り神のように扱われました。
王家の谷などの岩窟墓を造営するために日頃、男たちは家を空けることが多く、デル・エル・メディーナの家の中は女性たちの生活を優先するしつらいになっていたらしいと、ケンプは別のどこかで記しているはずです。

他にビータックらも書いていますけれども、メディネット・グローブの調査報告やサッカーラの階段ピラミッド周辺の探査などについては博士課程の学生たちが記述しており、隊長たちが若手を応援して発表の機会を与えようとしている様子が示唆されます。これも見ておきたい点です。

2010年の9月には、英国エジプト学者会議も開催予定とのこと。
またEESの大会では、K. スペンスによるセセビの調査に関する発表などが予定されている様子。
かつても記したように、セセビはアクエンアテン(アケナテン)の遺構が残存していることで広く知られており、アマルナを長年調査してきたケンプの弟子であるスペンスが、どのようなことを目論んでいるのかが、ひとまずは大きく注目されます。

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