2009年7月24日金曜日

Eyre, Leahy and Leahy (eds.) 1994 (Fs. A. F. Shore)


献呈論文集のひとつ。題名の"Unbroken reed"、「壊れていないアシ」というのは日本ではちょっと訳が分かりにくい書き方ですが、旧約聖書の中の預言書である「イザヤ書」第42章3節には、

「また傷んだアシを折ることなく、ほの暗い燈火を消すこともなく、真理をもって道を示す」

という下りがあらわれ、同様の「マタイ伝」第12章20節なども踏まえた表現だとみなすことができます。アシという植物は古代エジプトで馴染みが深く、筆はアシ製でしたし、ヒエログリフにもなっていますし、エジプト学の先生を褒め讃えるにはなかなか良い文句です。
33人がこの本で執筆しています。聖書は66の書からなり、またイザヤ書も66章から構成され、その半分の数を示しますが、もちろんこれは偶然。


Christopher Eyre, Anthony Leahy, and Lisa Montagno Leahy eds.,
The Unbroken Reed:
Studies in the Culture and Heritage of Ancient Egypt in Honour of A. F. Shore.

Occasional Publications 11
(The Egypt Exploration Society, London, 1994)
vii, 401 p.

献呈論文集には重要な論文が収められることがしばしばあるのですが、しかし世界のあちこちで少数部だけ出版されるという性格の書籍のために、全部に目を通すことがなかなか難しい部類に入ります。イギリスのEESから出版されているため、それでもこれは入手しやすい本。
ピラミッドの本を書いているエドワーズが、ピラミッドの形式から第4王朝の王の順番を推測するという内容の論文を寄せていて、面白い。文字資料を重視する傾向の強い中にあって、建築のかたちから年代順が分かるのではないかという大胆な提案です。上部が失われたピラミッドを、玄室の位置や通廊の繋ぎ方で類別しています。ピラミッド時代のただ中にある第4王朝時代で、さまざまな試行錯誤が繰り返されたことが改めて了解される内容。

I. E. S. Edwards,
"Chephren's Place among the Kings of the Fourth Dynasty", pp. 97-105.

スペンサーは泥煉瓦を扱っていますが、壊れた状態の泥の塊がどのように地表にあらわれ出るのか、例をいくつか挙げて説明しています。これも泥煉瓦の遺跡を実際に見たことのある人なら納得のいく発表で、長い年月によって泥が溶け出し、地表を覆ってしまう変化によって、調査時に見誤りやすい点を指摘しています。

A. J. Spencer,
"Mud Brick: Its Decay and Detection in Upper and Lower Egypt", pp. 315-320.

エジプトの模型オタクとして広く知られるトーリーは、ゲベレイン出土の模型を扱っています。ここからはちょっと変わった様式のものが確かに出ているので、注意が必要。

Angela M. J. Tooley,
"Notes on Wooden Models and the 'Gebelein Style'", pp. 343-353.

2009年7月23日木曜日

Spencer 1979


古代エジプトの煉瓦造建築に関して取り纏めた珍しい本。さまざまな技法が図示されています。スペンサーは中部エジプトにあるアシュムネインの神域の発掘調査を手がけていた人。この本もアシュムネイン調査と関連しており、言わば自分が使うためのカタログを出版したとみなせなくもない。

A. J. Spencer,
Brick Architecture in Ancient Egypt
(Aris & Phillips, Warminster, 1979)
v, 159 p., 56 plates

建築調査は石造のものが優先的に対象とされたというのは理由があって、要するに煉瓦造の建物は壊れ方が甚だしく、その記録方法がきわめて面倒であるために、手をつけるのが億劫であったということに尽きます。修復方法も、未だ確立しているとは言えません。難題が折り重なっている建材だと言うことができます。昔のように、取り除けてしまうと非常に楽なのですが、そうも行かない。

こういう種類の本が今まで出ていなかったというのが不思議です。
ただ、これはカタログなので、最初から最後まで通して読むようなものでは決してない。必要な時に、該当部分を引いて読むものです。巻末の組積方法の分類はきわめて見にくく、立体的に表現するなど、工夫があっても良かったと思われます。ブケウムの報告書における分類に倣ったのでしょうが、惜しまれるところ。
この本が出版されてから、ケンプが煉瓦の項目を執筆したり、補足の情報がいくつかあるけれども、まだ煉瓦については書かれるべきことが残されているような気がします。

煉瓦の組成分析については、あまり進んでいないように感じられます。ナイル川が運んできた黒土に、砂やスサを混ぜる他に、何を加えるのかということがはっきりしていません。灰を混ぜたとか、動物の糞を混ぜた、という説がどこまで本当なのかが良く分かっていないということです。
アマルナを訪れると、使われている煉瓦の砂質成分が多いことに驚かされます。煉瓦と言っても質が均一ではないから、丁寧な報告ではいくつかに分類されたりしますが、アマルナの煉瓦の特質といったものがもっと強調されても良い。

煉瓦の大きさに関しては、時代に応じた変化がグラフ化されているけれども、一般化できるようなものではなく、例えば煉瓦の長辺を測ると時代が分かるようにはなっていません。古代エジプトに規格が無かったのかという主題はしかし、キュービット尺があれだけ長い期間にわたって固定化されていたことを勘案するならば、奇妙な話です。タラッタートの大きさは、建造作業において便利ではなかったのかなど、話題は拡がります。

他の近隣地域の煉瓦についてはMooreyなどが書いていますが、これも年代が経っており、改訂を求める声は多いはず。技法に関する写真も増やした新たなものが望まれています。

日本における焼成煉瓦の包括的な研究というと、

水野信太郎
「日本煉瓦史の研究」
法政大学出版局、1999年

がまず挙げられるはず。これ以外はciniiで論文などを検索するのが早道となります。

2009年7月22日水曜日

Houdin 2006


クフ王のピラミッドの建造過程に関する新説を披瀝した書。テレビでも番組が放映されています。特徴はピラミッド内に螺旋状のトンネルを構築し、内側から建造していったという、度肝を抜く発想。

Jean-Pierre Houdin,
Translated from the French by Dominique Krayenbühl,
Foreword by Zahi Hawass,
Khufu:
The Secrets behind the Building of the Great Pyramid

(Farid Atiya Press, Egypt, 2006)
160 p.

ミイラの紹介やツタンカーメンの死因についてベストセラーを書き、テレビにも多数出演しているBob Brierがこれに関わって、下記の共著を出しています。Brierも出演しているテレビ番組は、たぶんこちらの本の映像化と言っていい。

Bob Brier and Jean-Pierre Houdin,
The Secret of the Great Pyramid:
How One Man's Obsession Led to the Solution of Ancient Egypt's Greatest Mystery

(Smithsonian Books, Washington DC, 2008)
304 p.

権威あるスミソニアンから出版されている点に注意。出版社で本を選ぶのは危ないという好例。
BrierはHoudinの説を書き広めており、例えば旧版を改めて40ページばかりの文章を加え、昨年に出した書、

Bob Brier and Hoyt Hobbs,
Daily Life of the Ancient Egyptians
(Greenwood Press, Connecticut, 2008.
2nd ed. First published in 1999)
xvi, 311 p.

の221ページ以降でその記述を見ることができます。
この"Daily Life"はしかしひどい本で、"Architecture"の章(pp. 155-180)は読むに耐えません。特に宮殿の説明は最悪で、B. ケンプによるアマルナ王宮の解釈は完全に無視され、20世紀中葉に出されたA. バダウィの「カタログ本」全3巻のみに情報源を頼っています。マルカタ王宮の平面図(p. 164)はでたらめ。あとは推して知るべしです。

ピラミッドの内側にトンネルが巡らされており、これを搬路としているという無理が何故、拒まれていないのかというと、大きく理由はふたつあって、ひとつは重力計による科学的な測定により、1980年代の後半に、このピラミッドの内部が一様な密度を持たないことがはっきりしたからです。日本の早稲田隊も同様の調査をしていますが、ここでは触れません。
入れ子状に納めた枡を上から眺めたような様態を呈するその平面の解析図は、同じ建築家を職業とする者による詳細な考察が述べられた書、Dormion 2004でも最初のFig. 1に挙げられています。

"En ce qui concerne la Grande Pyramide elle-même, qui présente d'être intacte, des mesures de microgravimétrie réalisées en 1987 par EDF ont permis d'éclairer cette question en évaluant la densité du monument et ses variations. On a pu mettre en évidence des alternances de densité conformes à ce que produirait la présence d'une structure interne en gradins (fig. 1)."
(pp. 35-36)

解析図から、Dormionは内部に段状の構築("gradins")があると推測しており、ピラミッド研究に通じた者の通常の解釈は、だいたいこうなるかと思われます。
ただ、よく見ると確かに四角い螺旋状を呈するようにも見え、これが出発点。

もうひとつは、かねてより問題とされてきた基準の設定方法で、地上から空中に140メートル以上も上がった位置のピラミッドの先の仮想点に向かって、どうやって4つの稜線を合致させたのかという施工上の困難に関する推察。すでにふたりの建築家による、Clarke and Engelbach 1930の本の第10章で、詳しく指摘がなされている問題です。
常に複数の基準点を見通しながら建造を進めたと考えるならば、ピラミッドの周りには何も付加したくはありません。これがピラミッドの外周を取り巻く斜路を、短絡的に内部へ想定する根拠となっているようです。

以上の2点を勘案した結果として、斜路をピラミッド内に想定するというのは、しかしかなり飛躍があり、古代エジプト建築に関係する者で誰も支持しなかったから、建築には疎いけれども説明の上手なBrierが出てきたのではないかと思われるところ。

真っ直ぐ伸びた建造用の斜路があまりにも長くなるために、その存在が否定されるという論理は、説明になっていません。U. Hölscherの考察による、カルナック神殿の第1塔門の裏に残存している泥煉瓦造の斜路の復原のように、途中で折れ曲がっていれば問題が解消します。
四角い構造物の内部に通廊が巡らされている例として、ネウセルラーの太陽神殿の報告書の第1巻、

Ludwig Borchardt,
Das Re-Heiligtum des Königs Ne-Woser-Re,
Band I: Der Bau
(Verlag von Alexander Duncker, Berlin, 1905)
vii, 89 p., 62 Abb., 6 Blatt.

を引いてくるのも、どうかと思われます。ここでは巨大なオベリスクを台座の上に立てた姿が復原されており、台座の上に登るための通廊が設けられているのであって、用途が異なります。

古くはPetrie 1883(The Pyramids and Temples of Gizeh)で、クフ王のピラミッドの各石積みの層の高さが異なることが、巻末の折り込みページの棒グラフで明らかに示されており、そこでは地上の第1層から頂上に向かって、大まかには石は次第に小さくなる傾向がうかがわれるものの、途中で何回か、また大きくなったりし、各層の石材の高さが全体として段状に変化する点が示されているのが興味深い。
長年にわたって考えられてきた疑問点をまずは整理して考えるべき。ピラミッド内部に思いを巡らせるならば、ほぼ等間隔の距離で垂直に配された、上昇通廊に見られる4つの石版の意味も考えどころです。
組織的に石を積む順序が結果として、緩い勾配の斜めの線を外側に描くと言うことは充分にあり得ます。

いたずらに「科学的」という装いを過剰に纏っているものだから、Houdinの話はややこしくなっています。重力計の計測結果の図示が意味する答えは、ピラミッド内部の螺旋トンネルというひとつの説に限定されて収斂するわけではないと思われます。
ただこのウーダンによる論考に見るべき点があるとするならば、それはピラミッドの内部構造に焦点を当てたというところで、このことは評価されて良いかもしれません。
ピラミッド研究はGreaves 1646など、かなり前から開始されているので、この360年以上にわたる欧米の蓄積を、数日や数週間で手早く理解しようとするのは難しい。誤謬を辿ることも大事です。

2009年7月21日火曜日

Haring 2006


前にも触れたことがありますが、エジプト学でTTとは"Theban Tomb"のことで、その第1番がディール・アル=マディーナにあるセンネジェムの墓。2番はその隣の息子たちの墓となります。
センネジェムの墓に記された文字を集成したのがこの本。パレオグラフィーというのは「古文書学」と訳されたりしますけれども、フィロロジー「文献学」との区別が分かりにくい。手書きの文字のかたちなどを調べることによって地域による違いや年代差など、古い時代のことを研究する分野のことを指します。
他にもレキシコグラフィーとかプロソポグラフィー(プロソフォグラフィー)とか、何々グラフィーというのが複数あって、非常に紛らわしい。
ま、文字を専門にやろうと思わない人は、あまり気にしないことです。

Ben J. J. Haring,
The Tomb of Sennedjem (TT1) in Deir el-Medina:
Paleography.
IF 958.
Paléographie Hiéroglyphique (PalHiero) 2
(Institut Français d'Archéologie Orientale (IFAO), Le Caire, 2006)
iv, 220 p.

フランスのオリエント考古学研究所(IFAO)からは、すでにパレオグラフィーのシリーズが3冊出ており、他にもエスナ神殿のアーキトレーヴに刻まれた文字や、アブー・シンベルの小神殿の文字などが既刊。

http://www.ifao.egnet.net/publications/catalogue/PalHiero/


にてリストを見ることが可能です。
10ページ目からは文字の向きが記してあって、H. G. Fischerが1977年に書いた本の影響がうかがわれる箇所。向きに規則があるわけですが、いわゆる"retrograde"がこの墓にもあって、その説明が11ページにあり、縦書きの文章が左から右に書かれているものの、通常とは異なって文字は右向きとなります。
人の足であらわされる文字の向きが、場合によって左向きにも右向きにもなるという話は、やはり面白い。墓室に「入る」あるいは「出る」という記述に合わせ、向きが逆転します。

13ページからは間違いの指摘が記されており、古代エジプト人による手書きの文章が、3200年ほど経ってから徹底的に添削されています。30ほどの書き誤りが見つかっており、列挙されていますけれども、「死者に鞭打つ」とはこのことを言います。

今日、労働者集合住居内にはもはや立ち入れない状態となっており、墓室内にも保護のためのガラスの衝立が巡らされているはず。時代の流れで見学しにくくなっていますが、他方でウェブサイトは充実しており、

http://www.osirisnet.net/tombes/artisans/sennedjem1/e_sennedjem1_01.htm


では3ページにわたってこの墓を丁寧に紹介しています。
近年、この墓を包括的に扱った論文にも触れておくべきでしょう。同じ2006年の執筆。カタロニア語で書かれています。

Marta Saura Sanjaume,
La Tomba de Sennedjem a Deir-El-Medina TT.1
(Thesis, University of Barcelona, 2006)
xi, 541 p.

http://tdx.cesca.es/TESIS_UB/AVAILABLE/TDX-0814106-114225/


全文をPDFでダウンロードできますが、12の章ごとに分かれているため、少々手間がかかります。遺物をカタログ化した労作。著者の名とセンネジェムとは、子音の並びが似ているところも面白い。著者はこれをきっかけに研究を進めたのかもしれません。

多色で描かれたヒエログリフを紹介した本は、そう言えばまだあんまり出ていません。
パピルスは伊東屋などで販売されていますから、日本画の顔料を膠で溶いてこれに描き、それを纏めるだけでも出版する価値があると思います。ヒエログリフは1000文字ほどありますが、全部を扱う必要がなく、良く用いられるものだけで充分。
文法を知る必要が一切ないというのが大きな利点です。卒業研究のテーマとしては最適と思われるのですが。

2009年7月13日月曜日

Martin 1987


サッカーラ(サッカラ)でツタンカーメンに仕えた時代の高官ホルエムヘブ(ホレムヘブ)や宝庫長マヤなどの墓を発見した、G. T. マーティンによる新王国時代のレリーフの報告書。ホルエムヘブは後に王となり、テーベの王家の谷に自分の墓を造営しています。
この本、第1巻のみが現在、刊行されています。

Geoffrey Thorndike Martin,
Corpus of Reliefs of the New Kingdom from the Memphite Necropolis and Lower Egypt, Vol. I
Studies in Egyptology
(Kegan Paul International, London, 1987)
xv, 63 p., 114 plates.

最終ページは63ページ。
けれども本文の途中にたくさんの図版が入っており、実際にはもっとページがあります。

画像の説明はきわめて簡単。
これまであまり知られていなかったりした画像資料をできるだけ広く認めてもらおうという意図のもとに集成し、刊行された本。続巻が強く望まれますが、新しい墓、特にラメセス時代のものが次々と見つかっている状況ですので、なかなか難しい。
謝辞の最後には1985年の9月という日付が見られ、かなり前から準備されていた本であることがうかがわれます。

インデックス(索引)が設けられており、各博物館に収蔵されている登録番号と、この本で紹介されている番号との対照リスト(コンコーダンス)、及びレリーフに記載されている個人名のリストが巻末に収められています。
本を新しく出す時には、長く使ってもらいたい、読んでもらいたいと思うのは誰もが強く願うことで、その時にこの巻末のインデックスがきわめて重要になります。
単に、知っていることを長々と書くだけでは駄目だというしるし。使う人の立場に立って、使いやすいように心がけられています。こういう配慮がないと、書評では正しく指摘されます。

マーティンは歴史学者であるとともに碑文学者。ですからこういう点は周到。
文献学者がレリーフの本を出すのかという反発がもちろんあるわけで、それを充分わきまえた刊行です。むしろ、美術史学者が何故、こうしたものを早く用意しないのかという批判もここには当然、隠されていると考えるべき。

この本からは、最低限、こういう報告をすべきだという示唆をさまざまに知ることができて、非常に役に立ちます。完全版下で原稿が用意されたと推測され、著者の苦労が忍ばれる本。
カイロの早稲田ハウスで今回、久しぶりに見て、改めてマーティンの考え方に接した様な気がしています。
マーティンが一般向けに書いた本としては、

Geoffrey T. Martin,
The Hidden Tombs of Memphis.
New Discoveries from the Time of Tutankhamun and Ramesside the Great
(Thames and Hudson, London, 1991)
216 p.

が知られています。巻末にはメンフィス地域で現在確認されていない新王国時代の高官たちの墓のリストが掲載されており、きわめて面白い。
なお、関係資料として

The New Kingdom Memphis Newsletter
(Leiden and London, 1988-. ca. 20 p)

No. 1 (October 1988)
No. 2 (September 1989)
No. 3 (October 1995)

があり、これは関係者たちのみで刊行されている冊子。メンフィスにおけるトゥーム・チャペルを研究する者にはおそらく必読の刊行物。
こういうふうに、アクセスが難しい少部数刊行の出版物がある点が厄介です。続巻があるのかどうか、当方も把握していません。

アマルナの王墓の報告書だったか、マーティンが現場まで歩いていくという記述が序文にあって、驚きました。アマルナを訪れたことのある人であったら、それがどれ程の長い距離なのか、分かるかと思います。
この人の書いた報告書の序文はすごく興味深い。間違いだらけの、印刷技術が始まったばかりの時の本からの引用があります。
何が正確で何が正確でないか。また何が伝わって後世に残り、何が伝わらないのか。
そうした経緯を知っている書き方がなされています。

2009年6月15日月曜日

KMT 20:2 (Summer 2009)


20周年を迎えたアメリカの雑誌の最新号。古代エジプトに関する一般向けの情報誌で、年に4回発行。海外からの購読料は年に47ドル。
カラー写真を多く掲載した体裁によって人気があります。
誌名のkmt 「ケメト」とは、古代エジプト語で『エジプト』のこと。黒い土地という意味に由来します。赤い砂漠の土地はデシェレトと呼ばれ、対照的な表現。赤と黒の配色は、エジプトの国旗にも反映されています。
Kemiという誌名を持つエジプト学の専門誌も別にあるので注意。

KMT: A Modern Journal of Ancient Egypt,
Volume 20, Number 2 (Summer 2009)
88 p.

Contents:
Editor's Report (p. 2)
Nile Currents (p. 5)
For the Record (p. 10)
Nefertiti's Final Secret (p. 18)
Meresamun: Life of a Temple Singer (p. 29)
A Permanent Exhibition of Ancient Egyptian Life, Death & Eternity (p. 37)
A Unique "Bed" with Lion-Headed Terminals: A KV63 Report (p. 44)
The Oases of Egypt's Western Desert: A Photo Essay, Part 2 (p. 49)
The Ancient Egyptian Museum, Shibuya, Tokyo (p. 61)
Book Preview: Intimate Egypt (p. 70)
Luxor Update: A Pictorial (p. 76)
Books & Briefs (p. 84)
Where is it? (p. 88)

王家の谷の63号墓における調査で見つかった特殊な「寝台」に関する最新のレポートを掲載しています。棺を載せるための台として作られたようで、非常に奇妙。端部にはライオンの頭部の彫刻が付加されますが、脚部などは端折った形式。
ライオンの頭部の飾りが付いているとは言え、個人的にはこういう粗末なものを「ベッド」とは呼びたくはないんですが。

東京の渋谷で新たに開館した古代エジプトの個人美術館の紹介がとても面白い。
目次では66ページから始まる記事となっていますが、これは誤りで、61ページから9ページを費やして紹介されています。
菊川氏が創設した私的なこの美術館に関しては、すでにいろいろと情報が知られており、

http://www.egyptian.jp


という公式サイトのURLも当誌において掲載されていますけれども、そこでは登録会員番号の入力が求められます。来館に際しては電話予約が必要。
エジプト学者の仕事場を模した展示方法が目を惹きます。

近藤二郎・大城道則・菊川匡
「古代エジプトへの扉:菊川コレクションを通して」
文芸社、2004年
197 p.

も参照のこと。

2009年6月9日火曜日

Kemp 2007


B. ケンプが「死者の書」を一般向けに語った本で、吟味すべき一冊。さほど厚くないペーパーバックの本で、10章から構成されます。
易しく語られていますが、内容は高度。大学院生の教材などで取り上げたりしたら、とっても面白いかも。

Barry Kemp,
The Egyptian Book of the Dead.
How to Read Series
(Granta Books, London, 2007)
xi, 125 p.

Contents:
Introduction (p. 1)
1. Between Two Worlds (p. 11)
2. Working with Myths (p. 23)
3. The Landscape of the Otherworld (p. 33)
4. Voyages and Pathways (p. 43)
5. Reviewing One's Life (p. 53)
6. The Body's Integrity (p. 63)
7. Voice and Performance (p. 72)
8. Empowerment (p. 81)
9. Becoming a God (p. 90)
10. Perpetual Fears (p. 100)

Notes (p. 108)
Chronology (p. 112)
Suggestions for Further Readings (p. 114)
Index (p. 118)

一般向けに書かれたケンプによる本と言うことであれば、先駆けはありました。
同著者によるヒエログリフの本です。同じロンドンの出版社から出されましたが、またアメリカからも主タイトルと副タイトルとを逆にしたものが刊行されました。

Barry Kemp,
100 Hieroglyphs: Think Like an Egyptian
(Granta Books, London, 2005)
xv, 256 p.

Barry Kemp,
Think Like an Egyptian: 100 Hieroglyphs
(A Plume Book, New York, 2005. Originally published in UK, entitled as "100 Hieroglyphs: Think Like an Egyptian" by Granta Books, 2005)
xv, 256 p.

謝辞(ix)などがきわめて短い点は、ケンプの本では通例のこと。
この場合では改行もなく、出稿が遅れたことの言い訳、世話になった編集者への御礼、そして研究助成をもらったことの書きつけが続けて記されるだけです。
次の"A Note on Translation"(xi)も同様。改行は一切なく、「R. O. Faulkner、及びT. G. Allenの文献を参考にした」と書かれるだけ。

一般向けの本だから、註も文献リストもきわめて限られています。
その中にあって、4ページに振られた註1(p. 108)では20行以上にわたる文が書かれていて、そこではJ. BainesとJ. Assmannの見方だけが自分の観点に叶うと述べられ、彼らの先行研究が引用されています。
しかし一方で、"Suggestions for Further Reading"(p. 114)の筆頭に挙げられているのは、E. Hornungによる著書、Altägyptische Jenseitsbücher (Darmstadt, 1997)。

こういう扱いには、秘かな批判も込められていると見るべきです。古代エジプトの宗教研究に関しては、世界でJ. アスマンとE. ホルヌンクの2人が双璧である点は、エジプト学関係者たちにとって、もちろん周知のこと。
そのどちらを支持するのかが、記述された文章によってではなく、むしろ本の形式を借りて表現されています。

序章の1ページでは映画の"The Mummy"がいきなり扱われており、つまりこれは日本で「ハムナプトラ」の名のもとに公開されたハリウッド映画である訳ですが、

"The film never claimed historical authenticity"

と、まずは一言であっさり否定して済ませます。要するに「全くのでたらめ」、ということですね。それを格調高く言うために、いささか難しい単語が選択されている点にも注意。
序章では引き続き、この映画における「死者の書」の扱いと、実際のものとがどれだけ異なるのかを初心者にも分かるように丁寧に説明しており、そこでは書物の外的な形態の違いにも触れられますけれども、

"The Otherworld was not a place of earthly pleasures or of family reunions." (p. 1)

といった点も描いています。キリスト教やイスラームなどからの安易な類推を禁じた言葉が見られ、重要。
広く宗教を見渡して考え、人間の死骸を保存したり、蘇りを信じていたとされる良くある見方が、決して凶々しい特殊な人間の精神世界ではないとみなしていることが分かり、それは序章で積極的に「我々と似ていないか」と問いかける姿勢などからも明らか。
以下、各章の冒頭には「死者の書」からの引用が付される形式を取ります。

ケンプが流行の映画に言及するのは珍しい。テレビの存在についてはかつて、彼の"Anatomy"の本で触れていたと思われるけれども。
この本にはまたインターネットのURLが記載されていて、こういう点も興味深かった。これまで彼はあまり引用しませんでしたが、既往研究が次々とネットで公開されている近況への配慮。

第9章のタイトル、"Becoming a God"は、おそらく欧米人にとって最も理解の難しい考え方のひとつ。逆に、日本人にとってはすんなり入っていくことのできる道でもあって、簡単ながら、その説明に興味が惹かれます。

日本の古代の精神世界に分け入った折口信夫(おりくちしのぶ)が文芸作品「死者の書」を執筆しており、それを纏めた

折口信夫著、安藤礼二編、
「初稿・死者の書」
(国書刊行会、2004年)
338 p.

と並読するならば、他の国の人間にはできない心の体験ができそうで、興味深い。

「生き返ること自体を第一の目的にすることはエジプト人は決して発想しなかったであろうし、蘇りが目的であったに違いないと考えるのは、何でも功利主義と結びつける浅ましい現代人だけであろうし、それが目的になったとたんに、もはや『死者の書』ではなくなる」という、ケンプの考え方がここでは表明されています。
この本はだから、現代文明への強い批評ともなっています。そこを読み取ることができるかどうかが、たぶん「ケンプを読む」ということの意味。

2009年6月7日日曜日

Veldmeijer 2009


古代エジプト人がどんな靴を履いていたのかを専門に研究している人の連続論文のうちのひとつ。第16番目の論考。
こういうことを綿密に調べ上げようとしている人は世界に2〜3人しかいないので、最新研究を見れば、既往文献リストのほとんどすべてが入手できます。
ルーヴル美術館のエジプト部門から数年前に、古代エジプトのサンダルのカタログが出版され、へえーと思った記憶がありますが、こちらの内容も面白い。

André J. Veldmeijer,
"Studies of ancient Egyptian footwear.
Technological aspects. Part XVI. Leather Open Shoes",
in British Museum Studies in Ancient Egypt and Sudan (BMSAES) 11 (2009),
pp. 1-10.
http://www.britishmuseum.org/system_pages/holding_area/issue_11/veldmeijer.aspx


BMSAESは大英博物館から出されている電子ジャーナルで、無料にてダウンロードすることができます。PDFにて配信。カラー写真が豊富に掲載されている論文が多いのが特徴です。

Ancient Egyptian Footwear Project (AEFP)なるプロジェクトが進行中とのこと。まずは最後の参考文献から目を通すというのは、論考の範囲を知るための最初の手順であるわけですが、ツタンカーメンの履き物について報告書がもうすぐ出版されると言うことがここで分かります。
Tutankhamun's Footwearという題を持つことが予定されているこの本はしかし、単著ではなく、何人かの(しかも比較的多くの)共同執筆者がいるようで、その中にP. T. NicholsonやG. Vogelsang-Eastwoodが入っているのは理解できるとしても、J. A. Harrellが加わっているのは意外。
NicholsonはAncient Egyptian Material and Technology (Cambridge, 2000)の大著を纏めた片割れで有名、またVogelsang-Eastwoodは古代エジプトの衣服に関する稀な専門家。
でもHarrellは岩石学に基づく石切場の専門家で、彼がどのような文を書くのかは個人的に興味のあるところ。

Veldmeijerは、Footwear in Ancient Egyptという3巻本を出す予定であることも、参考文献リストで了解され、このように論文の参考文献リストというのは、自分の偉さを宣伝する学術的な広告の場でもあるということが良く分かります。
しかしこの人の場合は極端で、掲げている17の参考文献のうち、10本が自分が書いたもの。またその半数以上が"in press", "in preparation"で、一体どうなっているのか、良く分かりません。順番をつけ、一挙に提出したということでしょうか。
こういうことが有りなのだと、面白く思います。

文献リストで出ているオランダのJEOLという雑誌は、日本ではちょっと探しにくい専門誌。レイデン(ライデン)から出ており、正式名称は

Jaarbericht Ex Oriente Lux

です。NACSIS Webcatのページ、

http://webcat.nii.ac.jp/


にてこの雑誌のフルタイトルを検索すると、京大、東大、東海大、天理図書館などが持っていることが分かります。ただ、どこがどの号を所有しているかを確認することが必要。
実はこの他に購読している研究室はあると思われるのですが、そういうのはネット検索では通常、出てきません。
エジプト学関連では、同様にオランダのOMROなども、日本で見るには手数のかかる面倒な雑誌。でも、

http://www.saqqara.nl/excavations/publications


ではサッカラを中心としたオランダにおける研究成果を公開しており、最新の成果を知るにはとても便利です。
エジプト学に関連する雑誌名称の略記に関しては、Lexikon der Ägyptologieでリストがありますけれども、以前も触れたように、エジプト学者たちも多く加入しているEgyptologists' Electronic Forum(EEF)の"Bibliographical Abbreviations"のページ、

http://www.geocities.com/TimesSquare/Alley/4482/AHmag.html


で見ることもできます。

Egyptian Archaeology 33 (2008)でも見たようなサンダルの絵がFig. 4で出ており、こうした表現は素晴らしい。
革を使ってどのように靴が作られているのか、その図解も楽しめます。このFig. 2は、色も使って図示すれば、もっと分かりやすくなったはず。

つくば大学によるアコリス調査でも多数のサンダルが出土しており、こういう情報が今後、どのように反映されていくかも見て行きたいところです。

2009年6月6日土曜日

McNicoll 1997


プラトンの晩年の書「法律」の引用から始められるこの本の第1章は「防御の重要性」。ヘレニズム時代の要塞建築を扱ったもので、分類としては古代ギリシアの軍事建築ということになりますが、古典古代の軍事建築研究というのはけっこうあって、古代エジプト建築の場合と対照的です。

42歳で亡くなった著者の博士論文で、1971年に執筆されたものに、他の人が加筆をおこなっています。
序文を寄せているのは古代ギリシア建築の碩学J. J. クールトン。彼はオクスフォードのこのモノグラフのシリーズの編集者のひとりでもあり、この本の出版の意義を分かりやすく述べています。

Anthony W. McNicoll,
with revisions and an additional chapter by N. P. Milner,
Hellenistic Fortifications from the Aegean to the Euphrates.
Oxford Monographs on Classical Archaeology
(Clarendon Press, Oxford, 1997)
xxv, 230 p.

城塞ですから厚い壁を巡らせ、要所に四角い塔を建てるというのが共通した外観です。開口部をほとんど設けない造りですから、石材の積み方などが見どころのひとつ。
石の積み方を種類別に分けることを精緻におこなった研究書が

Robert Lorentz Scranton,
Greek Walls
(Cambridge, Mass., 1941)
xvi, 194 p.

で、ここには「壁体リスト」なるものも収められています。
Mass.というのはマサチューセッツのことで、このようにイギリスとアメリカに同じ地名があって紛らわしい場合には、どちらの地名かを明記することが推奨されます。ドイツにおけるFrankfurt am Mainといった表記と同じ。
Scrantonの本もまた博士論文で、この本を参考にしつつ、石組みの分類方法はさらに詳しくなっており、説明のための写真も豊富。

クールトンは「ここ25年間で要塞研究の様相は目まぐるしく変わった」と序文では記していて、そこで代表的なものとして挙げられているのが

F. E. Winter,
Greek Fortifications
(London, 1971)

A. W. Lawrence,
Greek Aims in Fortification
(Oxford, 1979)

J.-P. Adam
L'architecture militaire grecque
(Paris, 1982)

の3冊です。いずれも知られた専門家。
最近では、

Isabelle Pimouguet-Pédarros,
Archéologie de la défense: 
histoire des fortifications antiques de Carie, époques classique et hellénistique
(Presses Universitaires de Franche-Comté, Besançon, 2000)
508 p.

も出ている模様。
M.-Ch. Hellmannによって現在刊行中のシリーズにはすでに触れましたが、L'architecture grecque, vol. 3でも要塞が扱われることが予告されており、おそらくはもうすぐ刊行されるかと思われます。
古代ギリシアの建築研究が神殿だけではないことを伝える書籍の群。

2009年6月5日金曜日

Kramer 2009


古代エジプトの新王国時代末期、アクエンアテンによるアマルナ時代だけに用いられた定形の小型石材を「タラタート」と呼び、3000年続いたエジプトの石造文化の中では異色。この大きさの石が出土したら、時代が分かると言うことになります。石の寸法を測ったら時代が分かるなどという研究は、世界でほとんどおこなわれていないはず。
クメール建築の分野で、ちらと見た覚えがありますけれども、建築学の専門家による考察ではありません。

このタラタートに関する文献を網羅しようとした論文で、早稲田大学の河合望先生からの御教示。こうした論考の背景には岩石学からの新たな知見が増えたこと、石切場の調査が近年、増加していることなどが挙げられます。
鍵となる本があって、すでに紹介しているVergnieuxらによる書籍がこの方面の研究をうまく促しています。

Arris H. Kramer,
"Talatat Shipping from Gebel el-Silsileh to Karnak:
A Literature Survey",
in Bibliotheca Orientalis (BiOr) LXVI, No. 1-2 (2009),
cols. 7-20.

「ビブリオテカ・オリエンタリス」は、BiOrと略記される中近東関連の研究紹介雑誌で、オランダから出版。年に3回発行で、書籍に関する雑誌。

年に1回刊行されるのは年刊誌(annual journal)。年に2回出るのは年2回刊誌(semiannual journal)。2ヶ月に一度の割合で、一年に6冊出る形態は隔月刊誌(bimonthly journal)。3ヶ月に一度の割合で、年に4回刊行されるのは季刊誌(quarterly journal)。

BiOrはいずれでもなく、年3回刊誌(quadrimonthly journal)で、かつてのDiscussions in Egyptology (DE)やVaria Aegyptiaca (VA)などもそうでした。
Quadrimonthlyというのは聞き慣れない語ですが、quadr-というのは建築で時折、目にする単語。Quadrangleやquadriface、またquadrupleなど。「4」を意味します。

この雑誌では、組版が二段組となっていて、1ページの中に縦にふたつ、文章のコラムが立ち、それぞれに別のナンバーが振られます。1ページ内にふたつの番号が振られるという方法。引用箇所の指定の際には、「××ページ、左」というような書き方よりも簡単な指示ができるわけで、エジプト学における最強の百科事典、Lexikon der Ägyptologieと同じやり方。

建築でタラタートが問題となるのはまずその大きさで、52×26×20-24センチメートルという定形のうち、高さがどうしてこの値となるのかが良く分からない。1キュービットは52.5センチですから、長さはこの尺度を意識したに違いなく、また幅もこれの半分です。タラタートの積み方はレンガで言うイギリス積みで、組積の際には縦目地が揃うことは避けられますから、レンガの場合と同じく、1/4枚分の幅だけずらされることになります。
高さが幅よりも若干短い根拠、また長さと幅に比べて誤差が大きい理由は不明ですが、石材の層理を考えてのことであったのかもしれません。寸法が同じだと、横に並べて置くべきものを縦に倒して設置する可能性があるからで、石目を意識した結果かも。
Kramerは註7で、1×1/2×1/2キュービット、と書いていますけれども、高さを幅とは数値を揃えない明瞭な意図があったのかもしれない。

ベルギー隊の報告に基づき、

"Quarry marks on the ceilings of some of the stone quarries at this site indicate the size of the blocks to be extracted." (col. 13)

と書いてありますが、ひょっとして彼らは石の切り出しの際のセパレーション・トレンチのこと、また天井面に沿って水平に掘り進めるトンネルのことを忘れているのではないかと思います。必要な石材の大きさが、石切場の天井面に残されることはほとんどないということに気づいていないのではないかという心配があり、ベルギー隊の調査の進捗が注目されます。

2009年6月3日水曜日

Vergnieux 1999


アメンヘテプ4世(アクエンアテン)によるテーベの建物を追究した専門書。二巻本です。
アマルナへ遷都をおこなう前に、この王によってカルナックのアメン大神殿の最奥の部分へ建造物が建立されたのですが、その際、大きさの規格を持つ石材タラタート(あるいはタラッタート)によって積まれました。
人ひとりが持ち上げることのできるほどの大きさの石で、これにより、迅速な建造が図られたと考えられています。

Robert Vergnieux,
Recherches sur les monuments thebaines d'Amenhotep IV a l'aide d'outils informatiques:
Methodes et resultats
.
Cahiers de la Societe d'Egyptologie, vol. 4,
2 fascicules (texte et planches)
(Societe d'Egyptologie, Geneve, 1999)
ix, 243 p. + (iii), 109 planches

タラタートにはレリーフが刻まれており、そのモティーフの復原が主な作業。図版編の第2巻は、折り込みのページを多用し、丁寧に図示をおこなっています。
今、見比べてみる時間がないのですが、この作業は

Jocelyn Gohary,
Akhenaten's Sed-festival at Karnak.
Study in Egyptology
(Kegan Paul International, London, 1992)
x, 238 p., 110 pls.

でもおこなわれていたはず。またD. レッドフォードのアケナテン・テンプル・プロジェクトの仕事とどれくらいの差異があるのかも、興味が惹かれるところです。
複数の国にまたがって、パズルが長い年月にわたって進められてきた典型。

この著者のタラタートに関する考え方は周到で、規格材を用いて壁を作る時、隅部の収まりで問題が生じることを、しっかりと考察しています。
それだけではなく、岩盤からの具体的な石切りの様子までも考察している点は注目されます。

すでに書きましたが、タラタートは小口積みと長手積みの層を交互に重ねていく、今で言う「イギリス積み」と同じ煉瓦の積み方を示しますが、これですと「羊羹」と呼ばれる縦割りの細長い煉瓦が必要となってきます。タラタートの場合にも同じことがおこなわれたという考察が示されており、これはタラタートそのものの寸法を考える上で重要。

しかしパズルの結果を示している図版がやはり目を惹き、感心するところです。
もう少し大きい図版を用いて、著者は出版したかったかもしれませんが、しかしこれは切りがない願いというもの。

2009年6月2日火曜日

Vergnieux and Gondran 1997


アメンヘテプ4世(アケナテンもしくはアクエンアテンという名前に変えられる前の王名)がカルナックのアメン大神殿の裏側に作った神殿の復原をおこなっている本。コンピュータ・グラフィックスをたくさん用い、ほとんど全ページにカラー図版があります。

Robert Vergnieux et Michel Gondran,
Amenophis IV et les pierres du soleil: Akhenaton retrouve
(Arthaud, Paris, 1997)
198 p.

カルナックの裏側には、観光客は現在、立ち入ることができませんが、こんな凄いものが当時はあったのかと驚かされます。と言うか、アマルナのアテン神殿をそのまま持ってきている復原図ではあるのですけれども。

「タラタート(タラッタート)」と呼ばれる石の説明が詳しく、石切りの様子までも復原しています。またそこに残されているレリーフのジグソーパズルを経て復原された壁面レリーフの図が掲載されており、これもまた見事。

タラタート(タラッタート)というのは、長さが1キュービットの石で、後にアメンヘテプ4世からアケナテン(アクエンアテン)と名前を変えるこの王様だけが使った規格石材。
3000年の間、古代エジプトではさまざまな石造建築が造られましたが、その石材の大きさはまちまちで、同じ大きさのものはないと言っても良いかもしれません。
例えば、クフ王のピラミッドでは、上に行くほど石の大きさは小さくなっていきます。唯一、石の大きさを揃えて建物を建てたのがアメンヘテプ4世で、このためにこの石が出土すると、たちどころに時代が分かります。石の大きさだけで時代の判別ができるという、稀有な例です。

一般向けなので、巻末の参考文献は最小限に抑えられています。
ルクソール博物館の2階には、タラタートによる復原された大壁面の展示があって、この博物館の特徴のひとつとなっていますが、しかし石のパズルというのは大変で、かつてはIBMが協力し、どの石とどの石とが合うかをコンピュータを使って処理したりもしました。この仕事はカナダの歴史家D. レッドフォードが進め、別に報告書も刊行されています。

カンボジアのバイヨン寺院の外周壁のパズルをやろうか、という企画にも関わったことがありましたけれども、ひとりでは到底動かせない石材のレリーフのパズルというのは大変です。本当に接合できるのかどうか、最後はやはり合わせてみないと分からない。
ボロブドゥールの首を切られた多数の仏像でも、頭と胴体との接合をコンピュータで処理する試みをおこなっていたかと思います。

「アメンヘテプ」と刻まれている王名を、「アクエンアテン」と刻み直している写真もあったりと、見て楽しませることが存分に発揮されています。
83ページに掲載されているカルナックのアメン大神殿のカラー図版による平面図では、どこの部分をどの王が建立したがが一目で分かり、重要。こういうものを掲載している書籍はきわめて限られます。
カルナックへ行けば、入口のところに似たような大きな平面図がガラスに入って掲示されていますが、その綺麗な図版が載っているとお考えください。

2009年6月1日月曜日

Bietak (Hrsg.) 1996


古代エジプトの住居、また王宮や宮殿について論じ合った国際会議の記録。主催者はM. ビータックで、テル・エル=ダバァの王宮を発掘した人であり、できる限り広い見地からエジプトの住居や王宮を眺め渡そうとした試みがおこなわれています。
こうした会合はあんまり例がなく、貴重。

Manfred Bietak (Herausgeber),
Haus und Palast im alten Ägypten.
Internationales Symposium 8. bis 11. April 1992 in Kairo.
Untersuchungen der Zweigstelle Kairo des Österreichischen Archäologischen Instituts, Band XIV.
Österreichische Akademie der Wissenschaften:
Denkschriften der Gesamtakademie, Band XIV.
(Verlag der Österreichischen Akademie der Wissenschaften, Wien, 1996)
294 p., 9 Pläne.

Inhalt:
Vorwort (7)
Felix Arnold: Settlement Remains at Lisht-North (13)
Manfred Bietak: Zum Raumprogramm ägyptischer Wohnhäuser des Mittleren und des Neuen Reiches (23)
Charles Bonnet: Habitat et palais dans l'ancienne Nubie (45)
Zahi Hawass: The Workmen's Community of Giza (53)
Josef Dorner: Zur Lage des Palastes und des Haupttempels der Ramsesstadt (69)
Dieter Eigner: A Palace of the Early 13th Dynasty at Tell el-Dab'a (73)
Robin Hägg: The Palaces of Minoan Crete / Architecture and Function in a Comparative Perspective (81)
Peter Jánosi: Hausanlagen der späten Hyksoszeit und der 18. Dynastie in Tell el-Dab'a und 'Ezbet Helmi (85)
Peter Jánosi: Die Fundamentplattform eines Palastes (?) der späten Hyksoszeit in 'Ezbet Helmi (Tell el-Dab'a) (93)
Horst Jaritz: The Temple Palace of Merenptah in his House of a Million Years at Qurna (99)
Achim Krekeler: Stadtgrabung am Westkom von Elephantine / Wohnbauten des 1. Jahrtausends v. Chr. (107)
Klaus Peter Kuhlmann: Serif-style Architecture and the Design of the Archaic Egyptian Palace ("Königszelt") (117)
Peter Lacovara: Deir el-Ballas and New Kingdom Royal Cities (139)
Nannó Marinatos: The Iconographical Program of the Palace of Knossos (149)
P. Paice, J. S. Holladay Jr., E. C. Brock: The Middle Bronze Age / Second Intermediate Period Houses at Tell El-Maskhuta (159)
Ibrahim Rizkana: The Prehistoric House (175)
Abdel-Aziz Saleh: Ancient Egyptian House and Palace at Giza and Heliopolis (185)
Stephan J. Seidlmayer: Die staatliche Anlage der 3. Dyn. in der Nordweststadt von Elephantine / Archäologische und historische Probleme (195)
Alan J. Spencer: Houses of the Third Intermediate Period at El-Ashmunein (215)
Rainer Stadelmann: Temple Palace and Residential Palace (225)
Christian Tietze: Amarna, Wohn- und Lebensverhältnisse in einer ägyptischen Stadt (231)
Charles C. Van Siclen III: Remarks on the Middle Kingdom Palace at Tell Basta (230)
Thomas von der Way: Early Dynastic Architecture at Tell el-Fara'în-Buto (247)
Cornelius von Pilgrim: Elephantine im Mittleren Reich: Bemerkungen zur Wohnarchitektur in einer "gewachsenen" Stadt (253)
Robert J. Wenke and Douglas J. Brewer: The Archaic - Old Kingdom Delta: the Evidence from Mendes and Kom El-Hisn (265)
David Jeffreys: House, Palace and Islands at Memphis (287)

Marinatos、あるいはHäggが発表者の中に入っているのは面白い。エジプトとミノアとの関連がもちろん考慮されています。彼らの編書、

Robin Hägg and Nanno Marinatos, eds.,
The Function of the Minoan Palaces.
Skrifter Utgivna av Svenska Institutet i Athen, 4, XXXV / Acta Instituti Atheniensis Regni Sueciae, Series in 4, XXXV.
Proceedings of the Fourth International Symposium at the Swedish Institute in Athens, 10-16 June, 1984
(Stockholm, 1987)
344 p.

は見るべき価値があります。

この中で重要なのは、ビータック、クールマン、そしてシュタデルマンによる各論考であるように思えます。
ビータックはエジプトにおける住居の空間構成の変遷に光を当てようとしており、しばしば引用される論文。ピートリが発掘し、H. リッケが解釈をおこなったカフーンの住居が再び注目されています。ここだけカラー図版が用いられている(pp. 32-33)のは、編者だからできること。
クールマンはエジプトの最初の建築の姿を探っていますが、口を開けたワニの写真を載せるなど、想像力を駆使した楽しい読み物を提示しています。この人は古代エジプトにおける玉座、つまり王が座る椅子の専門家で、実物があまり残っていないものをヒエログリフや絵画資料から類推する術に長けている研究者。

Klaus P. Kuhlmann
Der Thron im alten Ägypten: 
Untersuchungen zu Semantik, Ikonographie und Symbolik eines Herrschaftszeichens.
Abhandlungen des Deutschen Archäologischen Instituts Kairo, 
Ägyptologische Reihe, Band 10
(Verlag von J. J. Augustin, Glückstadt, 1977)
xvi, 114 p., V Tafeln.

ピラミッド研究で有名なシュタデルマンは王宮の研究家でもあり、新王国時代の王宮全般に関して分かりやすい説明をおこなっていて、自分の調査地のひとつであるクルナのセティ1世葬祭殿をもとに、さまざまな示唆を投げかけているのが興味深い。アマルナを抜きにした王宮の解説。

2009年5月31日日曜日

Herrmann (ed.) 1996


古代の家具を調べようとするならば、本書は要諦。
20人以上ほどの専門家が集った国際会議の記録で、エジプト・西アジアにおける家具研究がものすごい勢いで並び、類書がまったくありません。
考古学を一般向けに紹介するMinerva誌であったか、この会議の模様が短く報告されているはずです。研究者同士がすぐに打ち解けて、活発な研究発表がおこなわれたらしい。この世界に携わる人はごく少数ですから、当然のこと。

世界中に散らばっていて、それまで長年、孤立しながら研究を続けていた者たちが、ほとんど初めて大規模に集まった会議で、おそらくは恋人とようやく遭遇したような、熱い雰囲気であったと想像されます。
西アジア・エジプトにおける古代家具の研究は、世界でこれぐらいしか人数がいないと言うことです。この事情は、今でも大きく変わっていないと思われます。
400ページを超える、20世紀の末に出版された記念すべき書。古代の木工の詳細に関する貴重な情報が掲載されています。

Georgina Herrmann ed.,
Assistant editor: Neville Parker,
The Furniture of Western Asia : Ancient and Traditional.
Papers of the Conference held at the Institute of Archaeology, University College London, June 28 to 30, 1993
(Philipp von Zavern, Mainz am Rhein, 1996)
xxviii, 301 p., farbigem Frontispiz, 92 Tafeln.

Table of Contents:
Introduction,
by Georgina Herrmann (xix)

Timber trees of Western Asia,
by F. Nigel Hepper (p. 1)

Ancient Egyptian carpentry, its tools and techniques,
by Geoffrey Killen (p. 13)

Architecture and Furniture,
by Michael Roaf (p. 21)

Domestic furniture in Iraq, ancient and traditional,
by Lamia al Gailani Werr (p. 29)

The earliest evidence from Mesopotamia,
by Harriet Crawford (p. 33)

Middle Bronze Age furniture from Jericho and Baghouz,
by Peter J. Parr (p. 41)

Furniture in the West Semitic Texts,
by T. C. Mitchell (p. 49)

Le Mobilier d'Ougarit (d'aprés les travaux récents),
by Annie Caubet et Marguerite Yon (p. 61)

Cypriote furniture and its representations from the Chalcolithic to the Cypro-Archaic,
by Maro Theodossiadou (p. 73)

Furniture in the Aegean Bronze Age,
by O. H. Krzyszkowska (p. 85)

Mycenaean Footstools,
by Yannis Sakellarakis (p. 105)

Hittite and Neo-Hittite furniture,
by Dorit Symington (p. 111)

The influence of Egypt on Western Asiatic furniture, and evidence from Phoenicia,
by Eric Gubel (p. 139)

Ivory furniture pieces from Nimrud: North Syrian evidence for regional traditions of furniture manufacture,
by Georgina Herrmann (p. 153)

Assyrian furniture: The archaeological evidence,
by John Curtis (p. 167)

Urartian furniture,
by Ursula Seidl (p. 181)

Pyrygian furniture from Gordion,
by Elizabeth Simpson (p. 187)

Furniture in Elam,
by Ann C. Gunter (p. 211)

Neubabylonische Möbel und das Sitzen auf dem Bett,
by Peter Calmeyer (p. 219)

Achaimenidische Möbel und "kussu sa sarrute",
by Peter Calmeyer (p. 223)

Parthian and Sasanian furniture,
by Vesta Sarkhosh Curtis (p. 233)

Furniture in Islam,
by J. M. Rogers (p. 245)

Concluding remarks,
by Roger Moorey (p. 253)

The Authors (p. 259)
Bibliography (p. 265)

長々と目次を掲げたのは、内容を逐一示すためです。題名において一部、特殊記号を省略。
網羅されている時代と地域に、特に御注目ください。
ただ圧倒されるばかりです。15年以上経っていますが、これに比肩すべき会合は一切開催されていないはず。

会議の最後にまとめとしての"Concluding remarks"をしゃべる役目となったMooreyは、惜しくも亡くなりましたが、適任。語りの冒頭では当該分野の先蹤者としてH. BakerO. Wanscherの2名の家具職人を挙げ、讃えています。
このMooreyという人は、古代西アジア研究の分野できわめて高名な人。

P. R. S. Moorey,
Ancient Mesopotamian Materials and Industries:
The Archaeological Evidence

(Clarendon Press, Oxford, 1994)
xxiii, 414 p.

を書いた研究者で、この本も類書が見当たりません。古代技術の解明に努力した、恐るべき博学の人でした。

しっかりとした造本で、265-301ページに纏められた長大な参考文献リストはきわめて重要。これだけ古代の家具に関する著作を集めたリストは、現在でも稀有です。

2009年5月30日土曜日

Baker 1966


古代家具に関する教科書で、基本中の基本。出版以来、40年以上経ちますが、類書がありません。偉大な書です。
こうした本に対し、ラテン語で"opus magnum"という書き方がされる場合があり、傑出した本に贈られる言葉。字義は「偉大な達成」というほどの意味。

Hollis S. Baker,
with an introduction by Sir Gordon Russell,
Furniture in the Ancient World:
Origins and Evolution 3100-475 B.C.

(The Connoisseur, London, 1966)
351 p.

Contents:
Part I: Egypt (p. 17)
Part II: The Near East (p. 157)
Part III: The Aegean (p. 233)
Appendix (p. 291)
(以下略)

著者は家具職人で、作ることを熟知しているからこその記述があって、そこが見どころです。
これだけの情報を、良くもまあ集めたと感心します。
写真図版が多数。ほとんどがモノクロですが、カラー写真も数ページ、含まれています。

この本、人に貸したら戻ってこないと言うことが何回かあって、3回ぐらい買い直しているのですが、家具に興味のある人にとっては必携。日本でも家具史の本は何冊も出ていますけれども、この本の受け売りである場合が大半です。

付章では仕口の図解があり、これも非常に重要。
"Measured Drawings"も巻末に収められており、Killenがこの点に関しては近年、精力的に情報を改訂しています。

Bakerの会社は未だ存続しており、

http://baker.kohlerinteriors.com/baker/1_0_0_baker_home.jsp


を見るならば、古代エジプトの家具を復原して販売していることが分かります。
"stool"を検索してみてください。

2009年5月29日金曜日

Caputo 1959


リビアの世界遺産であるサブラタの劇場に関する報告書。「サブラタの劇場とアフリカの劇場建築」という題の本。
G. カプートの著作の中でもっとも参照されているもののうちの一冊ながら、実のところはなかなか見ることが困難な本でしたけれども、古代ローマ時代の劇場建築を網羅したSear 2006が刊行され、事情が変わりました。
少々長くなりますが、参考までに目次の抜粋を掲載。

Giacomo Caputo,
Il teatro di Sabratha e l'architettura teatrale africana.
Monografie di Archeologia Libica, Vol. VI
(L'ERMA di Bretschneider, Roma, 1959)
90 p., 93 tavole.

Indice generale della materia:
Premessa (p. 5)
Avvertenza (p. 6)

Parte Prima: Il teatro di Sabratha
Ubicazione e struttura (p. 9)
La facciata (p. 11)
La cavea (p. 13)
I rilievi del pulpito (p. 15)
L'iposcenio (p. 23)
La scena (p. 26)
Il triportico dietro la scena ed i saloni (p. 28)
Il complesso architettonico (p. 29)
Aggiunta epigrafica (p. 32)
L'opera di restauro (p. 33)
L'ultima fase dell'opera (p. 36)
Documentazione e saggi grafici (p. 38)
Il problema statico (p. 39)
Appendice (p. 43)

Parte Seconda: L'architettura teatrale africana
Il teatro antico e l'Africa (p. 49)
I teatri romani in Marocco, Algeria, Tunisia, Tripolitania (p. 50)
Morfologia fondamentale (p. 56)
Intermezzo (p. 61)
Le peculiarità dei teatri della Cirenaica (p. 65)

Note (p. 71)
Indice descrittivo delle tavole e figure (p. 83)
Indice descrittivo delle tavole e dei graffici (p. 87)
Tavole (p. 91)

全体は2つに分けられます。
第1部はサブラタの劇場を扱っており、第2部においては北アフリカにおける類例を挙げ、比較を試みていますが、記述は比較的簡素。
同じ著者によるレプティス・マグナの劇場については、予告よりもかなり遅れ、

Giacomo Caputo,
Il teatro augusteo di Leptis Magna: Scavo e restauro (1937-1951).
Monografie di Archeologia Libica III
(L'ERMA di Bretschneider, Roma, 1987)
148 p., 188 tavole, XXXIX tavole

として出版されています。チュニジアのモザイクなどについても、彼は報告書を刊行。
Monografie di Archeologia Libicaは、リビアの古代建築を知る上で欠かせないシリーズ。今も刊行され続けています。

2009年5月28日木曜日

Österreichischen Archäologischen Institut Wien (ÖAIW) 1953 (2. unveränderte Auflage)


エフェソスの図書館に関する大判の報告書。基礎資料となります。ウィーン調査隊による一連のエフェソスの報告書を日本で見るには多少の努力を必要とするかも。

東京近辺であったら、中近東の建築報告書については武蔵野の中近東文化センタ−や町田の国士舘大学イラク古代文化研究所などが、豊富な蔵書を誇ります。
日本や海外の、どこの図書館がどういう書籍を持っているかを知ることは、研究を進める上での第一歩。 こういうことは、いろいろ検索を続けていくうちに自然と身につきます。
全部を持っている図書館は、世界のどこにも存在しません。名だたる大英博物館の図書館も、収蔵図書は偏っています。
逆に言えば、日本語の本だけを見ている人は何年経っても駄目。

Österreichischen Archäologischen Institut Wien
(veröffentlicht vom),
Forschungen in Ephesos, Band V, Heft 1: Die Bibliothek
(Österreichischen Archäologischen Institut Wien, Wien, 1953. 2. unveränderte Auflage.
1. Auflage: 1945)
vi, 84 p., 2 Tafeln, mit 118 Abbildungen im Text

Übersicht des Inhalts:
I: Das Gebäude (1-42)
II. Der Sarkophag des Celsus (43-46)
III. Die Skulpturen (47-60)
IV. Die Inschriften (61-80)
V. Bibliothek und Heroon (81-84)

初版と何も変えていない再版、と書いてあるんですが、初版を見比べる機会がないのでこの再版を扱います。
梁の組み方など、細かいところまで報告をおこなっており、注目されます。
当方は戸口の石の組み方を知るために、この本を調べた次第。
ドイツ系の調査隊による建築報告書は記述が綿密で、圧倒されます。大判の報告書の良さが存分に示されている書。

アメリカの古書店Ars Libriから連絡があり、久しぶりに建築の本をカタログに纏めたからどう? と誘いがあったのですが、ものすごい内容です。

http://www.arslibri.com/


バールベックの報告書3巻本が揃いで8750ドル。スイス隊による古代エジプト建築の調査報告書、BeiträgeBfの12巻までのシリーズが2000ドル。豪華本として知られているタイトゥス・シリーズの古代エジプトの貴族墓報告書の5巻本が6500ドル。
いずれもこの十数年、市場に出回っていない本ばかりです。日本にあまり入っていない。持ってるだろうなと思われる人の顔は具体的に出てくるのです。心は立ち騒ぐものの、ま、購入は到底無理。

日本で海外の建物を調べることの意味を、こういう時にいつも思い知らされます。自分は今、何をやっているのかと言うことですね。
古書店が送ってくる本のカタログから、自分の今の立場を改めて考え直すということが促されたりもするわけです。ここで落ち込むか、それともポジティブに考えるか。

強いものをあおって、ちょっと飲み直しながら再び考えたいところ。

2009年5月27日水曜日

Cerny 1973


チェルニーの主著。
デル・エル=メディーナ(Deir el-Medina: もしくはディール・アル=マディーナ)が、王家の谷で働いていた者たちの村であるということをいち早く類推した研究者でした。新王国時代のヒエラティックを精力的に読んだ人の本です。カイロ博物館収蔵の土器片・石灰岩片に記された文字資料(「オストラコン」;複数形は「オストラカ」)やデル・エル=メディーナから出土した文字資料、あるいはテーベの懸崖に残る読みにくい多数の落書きなどを、何冊もの報告書にまとめた偉人。ツタンカーメンの墓から見つかったヒエラティックを解読した報告書も書いています。
この人の教えを受けたのがJ. J. Janssenで、彼はその後、オランダのレイデンにデル・エル=メディーナに関する一大研究拠点を作り上げました。

デル・エル=メディーナ研究の難しいところは、刊行された資料を用いるだけでは埒があかないことです。未刊行資料にも目を通さないと話が進みません。
10数年ほど前にクメール研究に携わるようになった時、連想したのは、デル・エル=メディーナ研究と似た状況だなということでした。クメール研究においても、パリに本拠を置くEFEO(フランス極東学院)所蔵の未刊行資料に当たらないと、非常な不自由を感じることになります。資料が一握りの人間たちだけに知られている状態にあるという好例。

Jaroslav Cerny,
A Community of Workmen at Thebes in the Ramesside Period.
Bibliotheque d'Etude (BdE) 50; IF 453
(Institut Francais d'Archeologie Orientale, Le Caire, 1973)
iv, 383 p.

レプリントも出版されました。
王家の谷が当時、何と呼ばれていたか(「セト・マァト」、『真実の場所』というほどの意味)の説明に始まり、労働者集団の名、階層と各肩書き、班構成の考察、掘削された石の量の単位、その他、岩窟墓の造営に関する基本的な問題がここでは展開されています。デル・エル=メディーナ研究における必携の書。
これには続巻というべきものがあって、彼の遺した断片的な情報が薄い本となって纏められています。

Jaroslav Cerny,
The Valley of the Kings (Fragments d'un manuscrit inarcheve).
Bibliotheque d'Etude (BdE) 61; IF 455
(Institut Francais d'Archeologie Orientale, Le Caire, 1973)
vi, 55 p.

また、上記2冊の本に書かれている内容の要約に類する文章が、The Cambridge Ancient History (CAH)のどこかの巻に短く掲載されているはずですので、興味のある方は最初、これに目を通すと良いかもしれない。

チェルニーはまた、グロールと共著で新エジプト語の文法書を書いており、まず中エジプト語の学習を終えた者はこれに進むことになります。

Jaroslav Cerny and Sarah Israelit Groll
assisted by Christopher Eyre,
A Late Egyptian Grammar.
Studia Pohl: Series Maior, Dissertations Scientificae de Rebus Orientis Antiqui 4.
(Biblical Institute Press, Rome, 1984, 3rd updated ed.
First published in 1973)
lxxxiv, 620 p.

アシストしている人間がクリストファー・エアである点に注意。Powell編の本で新王国時代の労働について書いている研究者です。
この書、本文をなす620ページの文法解説の前に、84ページにもわたる前置きが付きます。ちょっとない。
グロールも2007年末、81歳で亡くなってしまいました。

2009年5月4日月曜日

Samson (ed.) 1990


「住居」という、誰にでも馴染みのある対象を考古学的に扱った小さな本で、見逃せない書籍。

"All the main schools of social theory are covered, including feminism, marxism, structuralism and structuration theory. The ideas developed by Henry Glassie, Bill Hillier and Julienne Hanson are also explored."

とカバーには書かれていて、なかなか意欲的な内容であることがうかがわれます。
ここでの"schools"とは「学校」ではなく、「流派・学派」のこと。フェミニズムやマルクス主義、構造主義的考察などによる解釈が広く扱われることになります。

Ross Samson ed.,
The Social Archaeology of Houses
(Edinburgh University Press, Edinburgh, 1990)
v, 282 p.

Contents:
1. Introduction, by Ross Samson (p. 1)
2. The Living House: Signifying Continuity, by Douglass W. Bailey (p. 19)
3. Social Inequality on Bulgarian Tells and the Varna Problem, by John Chapman (p. 49)
4. Comment on Chapman: Some Cautionary Notes on the Application of Spatial Measures to Prehistoric Settlements, by Frank E. Brown (p. 93)
5. The Late Neolithic House in Orkney, by Colin Richards (p. 111)
6. Domestic Organisation and Gender Relations in Iron Age and Romano-British Households, by Richard Hingley (p. 125)
7. Romano-British Villas and the Social Construction of Space, by Eleanor Scott (p. 149)
8. Comment on Eleanor Scott's 'Romano-British Villas and the Social Construcion of Space', by Ross Samson (p. 173)
9. The Feudal Construction of Space: Power and Domination in the Nucleated Village, by Tom Saunders (p. 181)
10. The Rise and Fall of Tower-Houses in Post-Reformation Scotland, by Ross Samson (p. 197)
11. The Englishman's Home and its Study, by Matthew Johnson (p. 245)
12. Analysing Small Building Plans: A Morphological Approach, by Frank E. Brown (p. 259)
Index (p. 277)

編者のサムソンが序章の他に2つも書いており、またF. E. ブラウンもふたつの章を担当しています。こういう点をどう解釈するかは、勘案のしどころ。

ヒリアーの理論をもとにした第3章に対するブラウンによる論評、第4章が面白い。ブラウンはここで、当然とも言える反論を用意していて、ヒリアーの理論では部屋というものを、大きさを完全に無視している点などを図も交えて誇張して挙げ、注意を喚起しています。
この説明の仕方はきわめて興味深く、「部屋の繋がり方だけを言うのであれば、それはロンドンにおける近世の長屋であっても同じじゃないか」と言っています。その類例の提示のやり方が愉快です。建築を良く分かっている研究者による、説得力ある書き方。
この部分が他の者によって引用される理由がここにあります。

ですが、これがヒリアーの論に対する本当の批評になっているかどうか。またブラウンの論文の引用者が、本当にその意味を理解しているのかどうか。
ヒリアーの展開した論の射程は思いの他、広がりを持っており、これによってさまざまなことが明るみにされる可能性があるように思われ、単に考古学の現場へ当て嵌めることができないという理由だけで捨て去るには忍びない感じがします。
矛盾を孕んでいるところこそが、深く考えるべき場所のように思われます。

忌野清志郎の訃報に接しました。
「体が弱くて不健康ができるか」との笑える書き込みのある、彼の顔が大写しにされた30年ほど前の昔の大きなポスターを吉祥寺のパルコで見たことを改めて思い出しました。

人間が「不良として生きる」ということを、生涯を通じてまっとうした注目すべき偉人。惜しまれます。
心から冥福を祈ります。

2009年5月3日日曜日

Demaree and Egberts 1992


世界最初のストライキがおこなわれたと言われるデル・エル・メディーナ(ディール・アル=マディーナ:専門書においては"DeM"と略されることが多々あります)の研究書。
これは王家の谷を造営した職人たちが住んでいた村で、200年ばかり存続しました。
この村の研究を進めていることで有名なのがレイデン大学。ここに「非西欧研究センター、Centre of Non-Western Studies: CNWS」というのがあって、エジプト学も東南アジア研究もおこなっています。

R. J. Demaree and A. Egberts,
Village Voices:
Proceedings of the Symposium "Texts from Deir el-Medina and Their Interpretation", Leiden, May 31 - June 1, 1991.
CNWS Publications no. 13
(Centre of Non-Western Studies, Leiden University, Leiden, 1992)
(ix), 147 p.

DeMの研究書は何冊も出ていますけれども、非常にコアな研究グループですから、全貌を知るまでには時間がかかります。重要史料であるオストラカが全部出版されていないというのが難点のひとつ。1/3が出版済み、残りの1/3についてはチェルニーのノートに記されていて、あとの1/3が公開待ち、というような情勢でしたが、このところ史料の出版が続いており、改善されつつあります。CNWS Publicationsのシリーズはきわめて有用。
編者のDemareeは大英博物館蔵のオストラカの本を近年、出版しました。でも判型が小さく、情報の重複を避けているために他の本をいちいち参照しなければいけないところが残念。

Robert J. Demarée,
Ramesside Ostraca
(The British Museum, London, 2002)
48 p., 224 plates.

この村には、字が汚いことで知られる書記がいます。性格も相当悪かったようですが、3000年以上も前なのに、悪筆で歴史に名を残していることでは有数の人。
あるオストラカでは、この人の名前がほんの一部しか残されていないのにも関わらず、読解では職名まで復元されており、この狭い学問領域における研究層の厚さが示唆されます。
住人についてはとことん細かく調べられていて、Who's Who at Deir el-Medina (1999)などという本まで出ています。家系図も作成されており、3000年以上も前の当時の住人にとって、それが喜ばしいことなのかどうかは不明。

Demareeはこの本で王墓の寸法に言及しているオストラカを集めており、注目されます。村の人のうち、一体どれだけの者が字を読み書きできたかを問うJanssenの論考も読むべき論文。
Bierbrier、Gasse、Haring、McDowellも寄稿しており、この人たちはメディーナ研究の中枢にいる学者たちです。Haringはこのところ、活躍が目立っています。

20ページ以上も続く巻末の

"A Systematic Bibliography on Deir el-Medina"

は、まことに瞠目すべきリスト。この改訂版は出ていますし、最新情報の公開方法は今日、すでにウェブサイトへと移っています。
この出版物は薄手の本ながら、未だ重要さを失っていません。

2009年5月2日土曜日

Hoffmann et al. (Hrsg.) 1991


建築の考古学的考察をまとめた本。「古代の建築技術」という原題です。国際会議の報告書で、古代ギリシア・ローマの建築遺構が主として対象にされていますが、P. グロスマンが古代エジプトのローマ期における日乾煉瓦造壁体への木材の積み入れについても論文を寄せています。

Adolf Hoffmann, Ernst-Ludwig Schwandner, Wolfram Hoepfner, und Gunnar Brands
(Herausgegeben von),
Bauteknik der Antike
Internationales Kolloquium in Berlin vom 15.-17. Februar 1990 veranstaltet vom Architekturreferat des DAI (Deutsches Archaeologisches Institut) in Zusammenarbeit mit dem Seminar fuer Klassische Archaeologie der Freien Universitaet Berlin.
Diskussionen zur Archaeologischen Bauforschung, Band 5
(Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 1991)
x, 265 p.

その道のエキスパートばかりが集まっている会合なので、きわめて専門的な事項の報告が多く、知らないことばかりです。
古代ローマ建築におけるガラス窓や、古代ギリシア神殿の天井の木材の用法、コルドバのモスクにおけるアーチの詳細、鉄によるギリシア神殿の補強方法の話、瓦屋根の詳しい復元、古代におけるノコギリで大石を切る方法、他にはマヤの「宝庫」に関する考察など、多岐にわたっている論文集。

E. Hansenによるギリシア神殿基壇の石材の設置方法に関する論文は重要で、しばしば引用されています。
これはしかし、9ページのうち、文章はたったの2ページ弱。あとは全部、基壇の細かな造り方の手順を示した図版で占められるという、ちょっと変わった論文。

Diskussionen zur Archaeologischen Bauforschungのシリーズはこの後も刊行されており、重要です。

2009年4月30日木曜日

Bietak (Hrsg.) 2001


古代ギリシア建築と古代エジプト建築との接点を探るため、ウィーンで開催された国際コロキアムの報告書。薄手の本ながら、重要な論考が収められています。コロキアムは、シンポジウムと似たような専門家による会合ですが、より専門性が高く、通常は少人数でおこなわれます。

Manfred Bietak (Herausgegeben von),
Archaische Griechische Tempel und Altägypten.
Internationales Kolloquium am 28. November 1997 am Institut für Ägyptologie der Universität Wien.
Untersuchungen der Zweigstelle Kairo des Österreichischen Archäologischen Instituts, Band XVIII
(Verlag der Österreichischen Akademie der Wissenschaften, Wien, 2001). 
115 p.

エジプト建築がどこまでギリシア建築に影響を与えたのかに関しては、実は多くが分かっていない状況です。ギリシア建築研究の大御所クールトンも、この点に関しては残念なことにほとんど何も言っていません。
ウィーン大学のM. ビータックのもとで、この会合が開かれている点は注目されるべきです。たぶん彼のところ以外では、こうした企画は困難であると思われます。「古代エジプトにおける住居と王宮」(1996年)が出版された時と同じシリーズにて刊行されました。
地中海を取り巻く諸文明を踏まえた研究調査を進めているビータックならではの書です。

イスミアの前身神殿についての、建造技術を扱った論考は非常に興味深いと思われます。小振りの石を用いて建造された神殿ですが、使用石材には溝が切られており、縄をかけた跡と見られるこの加工痕はきわめて珍しいため、クールトンもかつて言及していました。

ヘーニーやアーノルドといった、有名な学者たちも執筆しています。
G. ヘーニーは、"Tempel mit Umgang"という副題を持つ論文を書いており、これはもちろんボルヒャルトの名高い著作のタイトルを意識したものです。ボルヒャルトに対する注釈と情報の更新という位置づけです。図版多数を所収しています。
D. アーノルドは末期王朝以降の神殿における木製屋根の復原を述べています。彼自身がすでに出版している"The Temples of the Last Pharaohs" (1999)を補完する内容です。これも復原図がたくさん作成されています。

2009年4月29日水曜日

Romer 2007


クフ王のピラミッドに関し、最新の情報を盛り込んだ分厚い書。一般向けに何冊も出しているローマーだけあって、読みやすさが工夫されています。
51の断章から構成され、それらの全体を7つの章に分けていますが、こういう書き方は珍しいと言っていい。ひとつひとつの断章は短い記述からなっており、必ず断章の中には図版が含まれるように配慮されています。クフ王のピラミッドについての面白いトピックが50以上、集められているという印象です。
裏表紙にはW. K. シンプソン、B. J. ケンプ、そしてI. ショーによる好意的な書評の抜粋が掲載されており、この3人はいずれも非常に有名なエジプト学者。もっとも、ショーはケンプの弟子筋だから、その点は割り引かないといけないかもしれません。
でも、全般的には評価が高い書だと思います。

John Romer,
The Great Pyramid: Ancient Egypt Revisited
(Cambridge University Press, Cambridge, 2007)
xxii, 564 p.

話の中心は、このピラミッドがどう設計され、また建造されたかを綴った部分にあります。
大きな特徴は、20キュービット間隔の水平線と、底辺を6つに分割してできる垂直線とでできる格子を基本として、内部の部屋や通路の位置も、外側の勾配も決定されたとみなしている点で、これは要するに、今まではピラミッドの設計方法を語るに当たっては抜きにはできなかった「リンド数学パピルス」の「ピラミッドの問題」をすっぱりと切り捨てたことを意味します。
建築学的には、これが最も重大な点となるかと思われます。

「リンド数学パピルス」をどう考えるかは、悩ましい問いのひとつではありました。
書かれた時代はピラミッド時代よりも下りますから、同じ手法が古王国時代にも果たして適用されていたかは疑念が残るのではないか。これは文献学が主流のエジプト学にとって、当然討議がなされる問いかけです。従って、「リンド数学パピルスは考慮しなくてもいい」という立場を取る研究者がいても不思議ではありません。

「リンド数学パピルス」を手放すメリットがあって、それはこの本のように、少なくともクフ王のピラミッドまでは話が簡略化でき、整然と語ることができるという点です。
逆に考えるならば、この流れに属する説における致命的なデメリットは、クフ王以降のピラミッドに対して普遍性を持たないという点です。この説に拘泥する限り、「クフ王のピラミッド以降では計画方法が変わったんだ」と考えざるを得ません。

ここはピラミッド研究に関わる者の見解が大きく分かれるところで、非常に興味深い様相を呈しています。
建築に関わる人間は、「リンド数学パピルス」に書かれている勾配の素朴な決定方法を重視する傾向にあり、だから古代エジプト建築研究の第一人者、D. アーノルドは、古王国時代のピラミッドのセケド(リンド数学パピルスに登場する、勾配を決める方法)を求めたりしています。

ここ20年の間にピラミッド学はかなりの進展を見せました。残念なことに、日本にはあまりその情報が入ってきていないと感じます。
この本の日本語訳もまた望まれる所以です。
スペンスによるこの本の評については、EA (Egyptian Archaeology) 33 (2008)を参照。

2009年4月28日火曜日

Ulrich 2007


古代ローマ時代の木工を集成し、考察を加えた本。ポンペイとヘラクレネウム、オスティアは住居遺構が残っていることで有名ですが、そこでうかがわれる木材の用法についての調査結果を踏まえています。

Roger B. Ulrich,
Roman Woodworking
(Yale University Press, New Haven and London, 2007)
xiii, 376 pp.

古代ローマ建築での木材の使用は、断片的にはこれまで触れられてきましたが、煉瓦造と石造が主流であるため,どちらかというと脇に追いやられていた感がありました。Adamによるローマ建築の本でも、木造についてはほんの少しだけしか記述されていません。
木工が包括的に扱われたのはおそらく初めてで、書評でも記されている通り、古代ローマの木工に関する基本文献となるでしょう。

ローマ時代の鉋の写真を、この本で初めて見ました。家具や船についても対象に含めています。
日本建築における仕口や継手の複雑さは良く知られていますが、ほとんど同じことがおこなわれている点に驚きます。特に船の竜骨で使われたという継手(p. 68, Fig. 4.9)は素晴らしい。
木を建材として扱う場合に考慮されるのは,部材同士がずれないこと,できるだけお互いの接触面積を増やすこと,経年変化による変形に対処することなどですけれども、それらに応じたずれ止めや反り止めが工夫されています。

モノクロの図版が豊富に収録されている他、巻末の用語集が60ページ以上もあります。車輪を述べた章、また当時のイタリアにおける樹種の分布について書かれている章もあって面白い。

しかし,実際にポンペイやヘラクレネウム(エルコラーノ)に行かれた方はお分かりでしょうが、このふたつの町は火山の噴火による熱い火砕流で埋まったわけですから,木材が残っていると言っても、丸焦げの炭が見られるだけ。これらの炭の痕を丹念に調べ、架構や扉,窓の復原がおこなわれています。

10年以上の調査をもとに書かれたと序文では述べられています。10年ほどでこれを纏めることができたというのは、でも著者の能力の高さがそこに示されていると見るべき。

2009年4月27日月曜日

JEA 4, Parts II-III (1917)


EESがEEFと名乗っていた時代の、イギリスから出ているエジプト学の専門雑誌。刊行されて間もない時期の号で、考えてみればこの頃、ヨーロッパは第一次世界大戦の真っ直中です。こういう時期に、雑誌を刊行する余力を持っていることに驚きます。
この号だけを単独で購入したのは面白い内容に惹かれたためで、建築と関わりの深い特別な号。合併号です。

The Journal of Egyptian Archaeology,
Vol. IV, Parts II-III
(The Egypt Exploration Fund, London, April-July 1917)
pp. 71-210.

ツタンカーメンの墓を発見する前のハワード・カーターが2編書いていますが、ひとつは文献学者ガーディナーとの共同執筆で、墓の平面図が描かれていることで知られているトリノのパピルスを扱っています。

Howard Carter and Alan H. Gardiner,
"The Tomb of Ramesses IV and the Turin Plan of a Royal Tomb,"
JEA 4 (1917), pp. 130-158.

132ページと133ページとの間に挟まっている両開きカラー刷りのPl. XXIXが欲しかったので買ったようなもの。図書館ではたいてい雑誌を製本してしまうため、本が思うように開けなくなります。このカラー図版は

Ernesto Scamuzzi,
Museo Egizio di Torino
(Torino, 1963)

などでも見られるはず。
玄室には何重にも黄色い長方形が石棺を囲んで入れ子状に描写されていますが、この論文が発表された当時、その意味が良く分かりませんでした。レプシウスは「階段かも」などと言っています。その後、ツタンカーメンの黄金の厨子が何重にも石棺の上に覆い被さっているのが分かって、この問題は氷解しました。
墓の右側・左側に関する記述が出てきますが、墓の奥から入口を向いた時の左右で表記されている点もきわめて重要です。

カーターの名前で発表されているもう一本の論文は発掘報告書で、もとはふたつの報告をJEAの編集者がひとつに纏めたもの。こういう形式も珍しい。註などを編集者が加えています。

Howard Carter,
"A Tomb prepared for Queen Hatshepsuit and Other Recent Discoveries at Thebes,"
pp. 107-118.

この他には建築関連で以下の2編が注目されます。

N. de Garis Davies,
"An Architect's Plan from Thebes,"
pp. 194-199.

Ernst Mackay,
"Proportion Squares on Tomb Walls in the Theban Necropolis,"
pp. 74-85.

さらには巻末近くの"Notes and News"で、メトロポリタン美術館による「アメンヘテプ3世の居住都市」、つまりマルカタ王宮の発掘にも少しだけ触れられており、このような理由で、当方としてはこの号をどうしても購入せざるを得ませんでした。

2009年4月26日日曜日

Arnold 1990


エジプトのピラミッドや神殿を建てるのに使われた石には時折、日付や人名がインクで記されていることがあり、これらを研究対象としてモノグラフが構成されるまでになったのはごく最近のことです。たいていこうした文字はひどく荒く書かれており、あまり字を書き慣れていない者が記録を残したのではないかと疑われます。経年によってインクが薄れていることが多く、読みにくい上に、読めたとしても大して重要なことに触れられていないため、本格的な考察は後回しにされてきたという経緯がありました。
この本は、主として中王国時代に属する建物の石材に見られる書きつけを集成したもの。建築学的な検討がなされており、建造順序の解明などに光を当てることができる点を示した著作で、その功績は讃えられるべきだと思われます。

Felix Arnold,
in collaboration with Dieter Arnold, I. E. S. Edwards, Juergen Osing.
Using notes by William C. Hayes.
The Control Notes and Team Marks.
The Metropolitan Museum of Art Egyptian Expedition, The South Cemeteries of Lisht, vol. II
(The Metropolitan Museum of Art, New York, 1990)
188 p., 14 pls.

この本の見返しには"Arnold, Felix. 1972-"と印刷されていて、このように著者の生年が明記される場合がしばしばあります。これをもとにして計算すると、著者が18歳の時の本と言うことになります。
読みづらいヒエラティックに関する報告書を、高校3年か大学1年という若さでメトロポリタン美術館から刊行したことを意味しますが、彼が古代エジプト建築研究の第一人者ディーター・アーノルドの息子だという事情が判っていれば、そうした出版が可能である点は首肯されます。母親もまた、エジプト学では土器研究で非常に有名な人。

錚々たるメンバーが協働に当たっており、遺漏がないように図られたと思われるのですが、残念なことに149ページのC11のインスクリプションの図は上下が逆です。
Goettinger Miszellen 122 (1991), pp. 7-14と129 (1992), pp. 27-31には、F. アーノルドによる関連論文が寄稿されています。

この本が出版されてから、例えばヴェルナーによるBaugraffitiなど、汚くて読みにくい書きつけにも注意が向けられるようになって、後続の報告書が出されることになりました。その点で、メトロポリタン美術館に収蔵されていたヘイズの筆写を用いながら本として纏めたことは慧眼です。
後年の

Nicole Alexanian,
Dahshur II: 
Das Grab des Prinzen Netjer-aperef. Die Mastaba II/1 in Dahshur.
Deutsches archaeologisches Institut Abteilung Kairo, Archaeologische Veroeffentlichungen (AVDAIK) 56
(Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 1999)
173 p., 20 Tafeln.

でも同様の試みがなされており、やはり影響が認められますが、ここでは石材のどこに文字が記されているかも図示され、より丁寧な報告の方法がうかがわれます。

2009年4月25日土曜日

Ginouves (et Martin) 1985-1998


古代ギリシア・ローマ建築に関する大系的な事典で、3巻本です。13年をかけて完結しました。フランス・アテネ学院とフランス・ローマ学院との共同作業で、さらにはそこにCNRS(フランス国立科学研究センター)も加わっていますから、フランスの研究者たちの知恵の結集と考えても良いかもしれません。

Rene Ginouves et Roland Martin,
Dictionnaire methodique de l'architecture grecque et romaine, I:
Materiaux, techniques de construction, techniques et formes du decor
(Ecole Francaise d'Athenes, Ecole Francaise de Rome, Athenes/Rome, 1985)
viii, 307 p., 65 planches.

Rene Ginouves,
Dictionnaire methodique de l'architecture grecque et romaine, II: Elements constructifs:
Supports, couvertures, amenagements interieurs

(Ecole Francaise d'Athenes, Ecole Francaise de Rome, Athenes/Rome, 1992)
viii, 352 p., 90 planches.

Rene Ginouves,
Dictionnaire methodique de l'architecture grecque et romaine, III:
Espaces architecturaux, bâtiments et ensembles
(Ecole Francaise d'Athenes, Ecole Francaise de Rome, Athenes/Rome, 1998)
ix, 357 p., 115 planches.

古代ギリシア建築の重鎮、R. マルタンは第1巻目だけに参加しています。
その第1巻目では例えば、文章編のほぼ3分の1が索引に充てられていて、フランス語索引、ドイツ語索引、英語索引、イタリア語索引、現代ギリシア語索引、古代ギリシア語索引、そしてラテン語索引と入念に構成されています。

J.-P. Adam, La construction romaine: materiaux et techniques (Paris, 1984)とその英訳本がすでに出ていますし、またM.-Ch. Hellmann, L'architecture grcque (Paris, 2002-)のシリーズも刊行中であるため、これらでほとんどの用は足りるかもしれませんが、多国語の検索ができる点は有用で、あまり類書がありません。

図版が多く所収されていることは重要です。石材の紹介のページなどではカラー写真も使われています。図版の作成は大変だったでしょうが、その多くを描いているのは上述のアダムであることが図版リストから了解されます。
J.-Cl. ゴルヴァンもまた図の作成に関わっており、この人は古代エジプト建築のさまざまな復原図を描いていることで有名。
古典古代建築の研究がどこまで進んでいるかが良く分かる図書で面白い。

2009年4月24日金曜日

Petrie 1897


ピートリによるルクソール地域における調査報告。「テーベの6つの神殿」と題名をさらっと書いていますが、現在ではこのような大胆な調査は絶対にできません。ナイル川沿いに並ぶ王の記念神殿を、次から次へと渡り歩いています。
見るだけであったら、もちろん可能。しかし発掘をやってるわけで、こういうすごい調査が今後もおこなわれるのであれば、是非とも参加したいと思わせます。

W. M. Flinders Petrie, with chapter by Wilhelm Spiegelberg,
Six Temples at Thebes. 1896.
(Bernard Quaritch, London, 1897)
iv, 33 p., 26 plates.

Contents:
Introduction (p. 1)
Chapter I. The Chapel of Uazmes, etc. (p. 3)
Chapter II. The Temple of Amenhotep II (p. 4)
Chapter III. The Temple of Tahutmes IV (p. 7)
Chapter IV. The Work of Amenhotep III (p. 9)
Chapter V. The Temple of Merenptah (p. 11)
Chapter VI. The Temple of Tausert (p. 13)
Chapter VII. The Temple of Siptah (p. 16)
Chapter VIII. Later Objects and Plan (p. 17)
Chapter IX. The Inscriptions (by W. Spiegelberg) (p. 20)
Chapter X. Shells Used by the Egyptians (p. 30)

建築に関する情報が各所に散りばめられている報告書で、ピートリが建築についての深い知識を豊富に有していたことが、ここからも容易にうかがわれます。建築の見方を自分で会得した人。稀有な存在です。
特別な言葉に慣れない者にとっては専門用語の「鎮壇具」と言われても「ファンデーション・デポジット」と言われても、いっこうにイメージが思い浮かばないのですが、要するに建物の下に埋められる「お供え品」あるいは「記念品」のことで、それを基礎の下から見つけ出しており、貴重な報告。中でも「ネフェル」の文字を書き込んだ石片が報告されていて、これはアブ・シールのカエムワセトの遺構からも出ていたはず。
「古代エジプトにおける鎮壇具」という題の博士論文はすでに英語で書かれていますが、時を経ていますので、情報の更新が必要となっています。

James Morris Weinstein,
Foundation Deposits in Ancient Egypt
(Dissertation, University of Pennsylvania. 1973)
lxxvi, 437 p.

さて、

"The two model corn grinders of yellow quartzite have the 'nefer' signs and a border line painted on in black." (p. 15)

と記していて、解釈が面白い。
図版21では、出土したさまざまな工具を紹介しており、特に3つのノコギリに関する言及が注目されます。

"The saws are of the Eastern type, to cut when pulling and not when pushing. There is no appreciable set in the teeth to alternate sides in order to clear the way in cutting; but the rake of the teeth toward the handle is obvious in the longest saw, implying the pulling cut." (p. 19)

と、ノコギリの目立ての有無などについても細かく観察していて、さすがです。わざわざ「このノコギリは手前に引く時に切れるもので、押す時に切れるものではない」と書いてあります。
日本人だったら、当たり前のことなのでこういうことは報告書に書かないはず。というのは、日本のノコギリはみな引く時に切れるタイプなのですが、西洋のノコギリは押す時に切れるタイプで、方向が逆となります。彼らにとっては、そちらの方が奇異。
"Eastern type"なのだと記しているのはこのためです。

石材に記されていた書きつけをシュピーゲルバーグが報告しており、労働者たちが「右班」と「左班」とに分かれていたことをすでに19世紀末に指摘していて、偉大な学者であったことを改めて思い知らされます(pp. 22-23)。図版9の24番は"position of filling"と訳されており、建造に関わるグラフィティとしての例がきわめて少ないヒエラティックの「 r' 」(ラー)が記されている点は重要。ラメセウムの他、KV 5などで類例があります。

2009年4月23日木曜日

Isler 2001


アメリカに住む著者は1926年生まれで、30年以上、ピラミッドを含む古代エジプトの建造技術に関する研究を独自に進めてきました。その研究の集大成というべき本。彼が75歳の時の本となります。

Martin Isler, foreword by Dieter Arnold,
Sticks, Stones, and Shadows:
Building the Egyptian Pyramids

(University of Oklahoma Press, Norman, 2001)
xiv, 352 p.

古代エジプト建築の専門家でメトロポリタン美術館にいるD. アーノルドが短い序文を寄せています。「私の書いた"Building in Egypt"とは解釈が非常に異なるけれども、彼の見方については興味を共有する者同士の皆さんで分かち合いたい」、という鷹揚な書き方。けれども、

"Whereas my work focuses mainly on the archaeological evidence for pharaonic building methods, Martin's offers practical solutions for problems that cannot as yet be resolved by archaeological confirmation." (p. ix)

と、問題意識が違うことを明言しており、学術的には現在の技術方法をそのまま過去には適用することが許されないのだという点を柔らかく、しかしはっきりと示しています。著者の方が年上ですから敬意を払いつつも、問題の所在については指摘がなされている点が重要。

ピラミッドがどのようにして建てられたのかは、長年、建築に関わる者たちの間で討議されてきました。古代エジプト人たちは、ピラミッドの建造作業についての情報を、一切と言って良いほど残していません。ピラミッドの計画方法を示唆する資料は、リンド数学パピルスなど、きわめて僅かです。いくらかの文字資料や絵画資料が今日まで伝わっていれば少しは参考になったであろうと思われますけれども、これがまったくうかがわれません。
建造方法が秘密だったのだという意見もありますが、秘密にすべきはピラミッド内の部屋の配置、及び侵入者を防ぐための建築的な対策で、外形の計画方法を秘密にする理由はありませんでした。

かみそりの刃が一枚も入らないほど、ぴったりと石材が接合されているという点が驚きをもって強調されがちですけれど、本当の問題はどうすれば歪み無く高い構築物を建てることができるのかにかかっています。100メートル以上も高い地点に向かって、空中に浮かぶ指標がない状態で石を積み上げていくためには、地上で計測を繰り返し、確かめながら下から上へと作業を進める他はなく、精度の確保をどのような手順でおこなったのかが解明すべき点です。
石積みの方法に関してはまた別の問題となり、これについてはさまざまな手順が推定されている状態。

図版は非常に上手に描かれていて、手慣れた様子がうかがわれます。ピラミッドがどのように建てられたかを説明しようとした類書は多いのですが、基本的な諸問題について触れている書ですから、例えばアーノルドの本と併読すると興味深い。
オクラホマ大学出版局は、少数ですが面白い古代エジプト関連の本を出しています。

2009年4月22日水曜日

Newton 1737


科学者のアイザック・ニュートンが古代エジプトのキュービットの長さを突き止めていたということが広く知られるようになったのは、Michael St. Johnが編集し、J. Degreefがドイツ語から訳したレプシウスの本が2000年に新しく出てからです(Lepsius 1865 [English ed. 2000])。PetrieがNature誌などで、ニュートンによりキューピットの長さの分析がおこなわれていることを書いていますけれども、それまではほとんど知られていませんでした。これには理由があって、"Alt-aegyptische Elle und ihre Eintheilung"というこの本、誰もほとんど見たことがないままに皆が引用を続けていたという、力が抜ける話。
ラテン語によるニュートンの論文は19世紀に英訳が出ており、ピアッツィ・スミスの本がこうして今日でも別の意味で役に立つことになります。

Isaac Newton,
Dissertatio De Sacro Judaeorum Cubito, atque de Cubitis aliarum Gentium nonnullarum; in qua ex maximae Aegyptiacarum Pyramidum dimensionibus, quales Johannes Gravius invenit, antiquus Memphis Cubitus definitur

[Dissertation on the sacred Jewish cubit, and the cubits of some other nations, in which the ancient cubit of Memphis is determined on the basis of the dimensions of the Great Pyramid of Egypt, as Johannes Gravius discovered]

(Lausannae & Genevae, 1744),
pp. 491-510, 1 figure.

(English translation)
C. Piazzi Smyth,
Life and Work at the Great Pyramid during the Months of January, February, March, and April, A.D. 1865;
with a Discussion of the Facts Ascertained. Vol. II
(Edinburgh, 1867)
pp. 341-366.

Johannes GraviusとはJohn Greavesのこと(Greaves 1646)。
ニュートンの考え方は徹底しており、煉瓦造建築についても触れているのが面白い点です。彼によれば、もし煉瓦が古代尺に合わせた大きさであったなら、建物全体で使用する煉瓦の量が計算しやすいであろうとのこと。これは煉瓦の大きさに関する論考の、非常に早い例のうちのひとつであろうかと思われます。

実際にはしかし、煉瓦の大きさはまちまちで、キュービット尺とは整合性があまり認められません。古代エジプトの建築において、数多く積まれる建材の大きさがキュービット尺と揃えられるのは第18王朝末期のアクエンアテン時代の「タラタート」の場合だけで、石の寸法によって時代がただちに判別できるという唯一の例。
でも「古代で積算がおこなわれたに違いない」という重要な指摘は当たっており、このような論理の飛び方と、結びつかせる方法には感心します。

出てくる数値は非常に細かく、電卓を片手に持ちながら読むことになります。フィートとインチだから、また換算が大変。
ニュートンの本は東京大学の駒場キャンパスの図書館が所有。スミスの方は結局、当方の場合、イギリスの図書館に複写を依頼することになりました。

追記(2012年3月7日)
Birch (ed.) 1737 [Works of John Greaves, 2 vols.]においても、ニュートンの論文の英訳を読むことができます。