藤原貞朗
「オリエンタリストの憂鬱:
植民地主義時代のフランス東洋学者とアンコール遺跡の考古学」
(めこん、2008年)
582 p.
註、及び参考文献も充実しており、厚い本となっています。
「考古学と政治との関係を探った」と書かれていて、確かに政治的な意図のもとにさまざまな学的な方向性が決定されることはあり、あるいはアンコール・ワットの部分原寸模型がマルセイユ博覧会などで立ち上げられた理由の裏にはフランスの国威を示す狙いがあったと記されれば、それはそういう側面もうかがわれるだろうなと思います。
面白いとは思ったんですが、どこかで「それで何?」と感じる向きもあるかもしれない。フランスの外交手法はつとに知られた剛腕。初めて聞く話ではありません。きわめて政治的な色彩を帯びながら、フランス極東学院は創設されたはずです。
中近東の調査現場に出かける人たちならば、学術分野の方向性が政治によってあっけなく左右されてしまうことを身にしみて知っています。イラク戦争が起こった時には、関連する研究者たちによる反対声明の署名運動がメールで世界中を回りました。たぶん効力がないと感じながら応じた人も少なくなかった。
つまりこのような論考が、例としてエジプト学などの領域であり得るかなと考えた時、あまり思い浮かべることができない原因がそこにあるように思われます。
少なくともエジプト学では、こうした論考にあまり重きを置かないのではないでしょうか。政治によって現実が反転される可能性を繰り込みながら常時、調査がおこなわれているわけで、格別取り上げて論じるような珍しいことではない。
だから論を立てるのであれば、もっとラディカルな見方が必要なのではないかと不満がいくらか残るわけです。たとえばブルーノ・ラトゥールの「科学が作られているとき:人類学的考察」(産業図書、1999年)が示す徹底した方法のように。
本書の最後近くでは、
「長い欧米列強と日本の帝国主義時代の中で、東洋の考古学・美術史はバラバラに分断された。繰り返すように、フランスはインドシナを、イギリスはインドを、オランダはインドネシアを、日本は韓半島などを独占的な調査の場とし、独自の(政治的な)美術史構想を育んでいった」(p. 484)
とありますけれども、本当の分断の原因を単に政治だけに求められるのかどうかは課題となるはずで、もっと根が深いように思われます。
しかしながら強く興味が惹かれたのは、この本に伊東忠太、岡倉覚三(天心)、関野貞、藤岡通夫、藤田嗣治といった者たちが登場するからであって、変なところで変な人がカンボジア研究史を横切ります。そこがとても面白い。
著者はリヨン第二大学への留学を経た茨城大学人文科学部准教授。
【追記】
本書は第31回サントリー学芸賞を受賞。
受賞のことばは、
http://www.suntory.co.jp/news/2009/10600-3.html
で見ることができます。
(2009.11.10)