この神殿についてはすでに十数冊もの報告書がフランス・オリエント考古学研究所(Institut Français d'Archéologie Orientale: IFAO)からシリーズとして刊行されており、Émile Chassinat、François Daumas、Sylvie Cauvilleたちによるものが広く知られていますが、神殿の名前の綴りが"Dendera"ではなく、IFAOにおいて近年は"Dendara"に統一された様子。文献を検索する側にとっては、手間がまた増えた感じがあります。
第1巻から5巻までの古い本を一括してまとめたリプリントも出ているようで、それはそれで便利なのですけれども、同時にこの再版ではタイトルの神殿名も綴りが変更されているらしく、引用の際には注意が必要です。
この本を貸してくださった大橋さん、感謝申し上げます。
Pierre Zignani,
Le temple d'Hathor à Dendara:
Relevés et étude architecturale,
2 tomes. (texte et planches)
IFAO, Bibliothèque d'Étude (BiEtud) 146/1 et 2.
IF 997
(Institut Français d'Archéologie Orientale (IFAO): Le Caire, 2010)
xii, 421 p., 2 plans de situation + 39 planches.
Sommaire:
Remerciements (p. xi)
Chapitre I. Liminaire (p. 1)
Chapitre II. L'environnement du sanctuaire d'Hathor (p. 31)
Chapitre III. Description du temple d'Hathor (p. 81)
Chapitre IV. La composition de l'espase (p. 151)
Chapitre V. L'usage de l'espase (p. 209)
Chapitre VI. La construction du temple (p. 311)
Chapitre VII. Conclusion (p. 385)
Bibliographie (p. 389)
Table des figures (p. 409)
Plans de situation (p. 423)
これまでデンデラ神殿の基本図(平面図・立面図・断面図)といえば、
Émile Chassinat,
Le temple de Dendera, tome 5
(IFAO, Le Caire, 1947)
に所収された図版編に頼るしかありませんでしたが、もう少し詳しい大判の図版が多数、付け足されています。
Zignaniは1990年代の後半からデンデラ神殿について論文を発表していますけれど、特に
Éric Aubourg et Pierre Zignani,
"Espaces, lumières et composition architecturale au temple d'Hathor à Dendara:
Résultats préliminaires,"
Bulletin de l'Institute Français d'Archéologie Orientale (BIFAO) 100 (2000), pp. 47-77.
は本書の要約となっており、比較すると面白い。30ページほどありますが、本書が出る10年前の短報。
以前にも記した通り、100冊以上に登るBIFAOのバックナンバーは近刊を除き、すべて無料で閲覧することができます。PDFのダウンロードに要する時間がかかるのが難点。
BIFAO:
http://www.ifao.egnet.net/bifao/
BIFAO 100 (2000)の論考( 以下、Aubourg & Zignani 2000と略記)では、註記の一番最初にル・コルビュジェ(Le Corbusier)の高名な著作、「建築をめざして Vers une architecture (Paris, 1923)」が引用されており、古代エジプト建築の報告文に、巨匠とされる近代建築家の名が挙げられるのは珍しいと思っていましたら、本書ではなんと、参照する建築家をすげ替えて、ルイス・カーン(Louis Isadore Kahn)が代わりに冒頭で挙げられています(p. 7)。
この建築家は「沈黙と光」という題の本を出版していますから、確かにコルビュジェよりは、Zignaniの意向に沿っているように思われます。
コルビュジェの著作としては「モデュロール」の2巻本が参考文献リストに載っており、「建築をめざして」についてはもはや触れられていません。
参考文献リストにルイス・カーンの名前が出ている古代エジプトの建築報告書というものを初めて見ました。本書の第1巻(テキスト編)の巻末に見られる文献リストには、上記のAubourg & Zignani 2000が記されていないというのも面白い。 共同執筆論文とは言え、自分が関わって30ページほど書いた研究論文を、最終報告書の中で引用することをやめているわけです。
ちなみに、古代エジプト時代とその後のグレコ・ローマ時代の建築を分けつつ、資料が多く残る後者から情報を可能な限り汲み取ろうとするRossi 2004の参考文献リストでは、この人の研究業績のうち、[Aubourg &] Zignani 2000だけを掲載。Zignaniが厳密な測量をおこなった点を讃え、註記しています(pp. 171-2)。
共同執筆者の名前を省き、実質的に仕事をおこなった者の名だけを挙げるというやり方だと思われます。
「沈黙と光」という題の本を書いた近代建築家カーンの方が、コルビュジェよりもZignaniにとっては贔屓にしたい存在だったのではと書きましたが、これはAubourg & Zignani 2000ですでに顕著に見られる傾向から推測される点であって、その研究成果がこの報告書にも充分に反映されており、石造神殿の各所に設けられた小さな窓に関し、実に詳細な報告がなされています。
このように窓から建物の中に差し込む陽光(日光)について、また時間を追って移動する日射に関して細かく考察した例は、これまでなかったのでは。
年代が下り、成熟したかたちを示したエジプトの神殿建築の造り方に、さらにギリシアの考え方が流入して影響が与えられているものの、古代エジプト建築における建物内の光と影というテーマについて、初めて切り込んだ著書。
カーンはフォート・ウェインの劇場の設計において、バイオリンとそのケースという入れ子状の構成を考えましたが、デンデラ神殿における入れ子状の構成との関連性を探ってみることも面白い(cf. Hawass, Manuelian, and Hussein (eds.) 2010 [Fs. Edward Brovarski])。