「紀伊和歌浦明細新地図」も、経緯がよく分からない出版物です。多色刷(墨色、山吹色、淡藍色)の地図で、和歌山県立図書館の他、和歌山市立博物館などが初版を収蔵。
岡田久楠
「紀伊和歌浦明細新地図」
岡田久楠
明治42(1909)年11月
54×39 cm
和歌山市立博物館「'05秋季特別展:和歌浦(わかのうら)、その景とうつりかわり」、和歌山市立博物館、平成17(2005)年、96 p. は
額田雅裕・太田宏一・寺西貞弘各氏による労作で、貴重な図版が多数収められており、研究者必携の書。この本の52ページに図51として「紀伊和歌浦明細新地図」はカラーで掲載されています(解説文は90ページ)。「あしべ屋本店」の他に、「あしべ屋別荘」が2箇所に記されている点が重要(cf.
塩崎 1893、
濱口 1919)。
この地図は何としても個人的に入手したいと思い、願いは叶ったのですが、ただ「和歌浦、その景とうつりかわり」に載っているものとはいくらか違いが認められ、若干手直しがなされたものも初版として頒布されていたようです。
島津俊之
「経験とファンタジーのなかの和歌の浦:田山花袋『月夜の和歌の浦』を読む」
空間・社会・地理思想14(2011年)
pp. 41-67
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/geo/pdf/space14/14_41shimadu.pdf
の論文の最後にも、「紀伊和歌浦明細新地図」の部分拡大図は掲載されています。この「紀伊和歌浦明細新地図」は和歌山市立博物館に所蔵されているもの。和歌山市立博物館蔵の裏面には、「遊覧記念 和歌浦 明光台」という丸いスタンプが押印されているのが面白い。このエレベーターに乗り込んだ時の記念として地図は用いられたんでしょう。しかしこの初版には、明光台が描かれていないわけです。
明治43(1910)年7月には再版が出ているらしく、香川県立ミュージアムが鎌田家資料の中のひとつとして収蔵しています。その紹介写真を見ると、望海楼が立てた東洋一のエレベーター「明光台」が描き込まれているようです。このエレベーターの築造は明治43(1910)年ですから、ただちに地図の修正が施されたと推定されます。
香川県立ミュージアム所蔵「和歌浦明細新地図」、再版
http://www.pref.kagawa.lg.jp/kanzouhinkensaku/index.php/rekishi/detail/500415
さて、
岡田久楠はこの地図とは別の、変更を加えて題名を変えたものも後に刊行しました。これが
岡田久楠
「名所旅館案内和歌浦地図」
岡田久楠
明治45(1912)年6月
で、高低差はケバによってより細かく表現され、海深も等高線で示されるなど、「和歌浦明細新地図」の再版と全体の構成は酷似しているんですけれども、改変が施されています。多色刷ではなく、墨刷の版に旅館(赤色)や名所(青色)を手塗りによって簡単に彩色したもの。つまり、香川県立ミュージアムが持っている「紀伊和歌浦明細新地図」の再版ととても良く似ているのが特徴です。香川県立ミュージアム収蔵のものは、同様に墨版の単色刷りに赤色で手彩色が施されていると思われ、青色の手塗りはうかがわれない様子。
なお、
田中修司
「森田庄兵衛による新和歌浦観光開発について」
日本建築学会計画系論文集第74巻第635号(2009年)
pp.291-97
の294ページと297ページで「紀伊和歌浦明細新地図」と「名所旅館案内和歌浦地図」が言及され、すでに両者の関連は簡単に指摘されています。なお、後者については日本古地図学会「古地図研究ニュース」第54号(2007年4月)の巻末に2枚に分けて掲載されており、p. 6には
芳賀啓氏による解説も記されています。
この
岡田久楠という人物はいったい何者かという話ですが、
金子郡平・高野隆之編
「北海道人名辞書」第2版
北海道人名辞書編纂事務所
大正12(1923)年
660 p.+9 p.
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936734
の「札幌市を之部」、38-9ページに「旧姓は貴志。明治17年3月28日、和歌山県和歌山市小松通六丁目生まれ」の
岡田久楠が掲載されています。明治42年は彼が20歳半ばの頃に相当しますけれど、北海道勤務ですから、普通なら和歌浦の詳しい地図を作ることはできなかったはず。しかし一方で、優秀な土木技師であったらしい彼の手にかかれば、こうした地図を短期間でこさえることは可能であったようにも思われます。
纏めますと、「紀伊和歌浦明細新地図」の初版には少なくとも2種類あること、「再版」と称する1年後の改訂版があり、そこには良くも悪くも評判となった「明光台」エレベーターの存在が反映されていること、さらには似た構成の「名所旅館案内和歌浦地図」が出されており、これが「紀伊和歌浦明細新地図」の第3版に相当するらしいこと、さらには著者の
岡田久楠と同じ名を持つ和歌山市生まれの土木技師が北海道で同時代、活躍した記録が残っているが、関連性は今ひとつ確認できないこと、となります。
100年ほど前のことが、もう詳しく分からなくなっています。