古代世界の"palace"と言われているものには、実は良く分からないものが相当数、含まれています。「宮殿」あるいは「王宮」という言葉からは、「王が住んだ大規模な居宅」というイメージが浮かびますが、それが証明されている建物はほとんど存在しません。
これは古代エジプトのアマルナ王宮やマルカタ王宮、メンフィスにおけるメルエンプタハの王宮、テル・エル=ダバァ、あるいはデル・エル=バラスにおいても等しく言えることです。
クノッソス宮殿でも、王の寝室などが見つかっているわけではありません。今では大規模な祭祀施設のひとつとして捉えられることの方が多い気がします。こうした見直しの機運のもとに書かれた一冊となります。
Marina Panagiotaki,
The Central Palace Sanctuary at Knossos.
British School at Athens, Supplementary Volume No. 31
(British School at Athens, London, 1999)
xviii, 300 p., 45 plates, 2 folded plans.
エジプト文明に親しんでいる人が、他の古代中近東あるいは古代地中海文明の解説に出会ってまず戸惑うのは、年号が明瞭な数字として出てこないことで、エジプト研究では絶対年代が用いられるのに対し、他の地域では多くの場合、相対年代が用いられます。
人類の古い歴史は大きく石器時代、青銅器時代、鉄器時代などと分けられ、この青銅器時代 Bronze Age を、初期 Early、中期 Middle、後期 Late の3つに分けます。それぞれをまたI、II、IIIと分け、さらにまたそれぞれをA、B、などと細分化していきます。例えばMB II とは、それゆえ中期青銅器時代の第II期のこと。
この本ではLM IBとか、MM IIIAという別の言い方も頻出します。ミノア時代 Minoan の略号 M も同時に使っており、話がより複雑になるわけで、LM IBは後期ミノア時代の第I期Bのこと。
クノッソス宮殿の中枢部では改変が認められ、第1期と第2期とがあったことが分かっています。出土したさまざまなもの、土器だけではなく金属製品から動物の骨に至るまで、遺物の総リストが各章の最後に作成されており、全体の註の数も1000ほどあります。アシュモール博物館のクノッソス・アーカイヴ収蔵資料を駆使した労作。
でも結局、どの部屋が一番重要であったのかは不明であるという結論が導かれており、これが残念。
エヴァンスによる全4巻の報告書、
A. J. Evans,
The Palace of Minos at Knossos, 4 vols.
(London, 1921-1935)
などに戻って併読することが必要です。
(London, 1921-1935)
などに戻って併読することが必要です。