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2010年10月27日水曜日

Mace and Winlock 1916


メトロポリタン美術館による、エジプト発掘調査報告書シリーズの記念すべき第1巻。リシュトで発見されたセネブティシの墓(中王国時代)に関する報告で、出土した宝飾品の解説も丁寧ですけれども、いったん蓋を閉じたら二度と開かなくなる工夫が施された人型木棺などの図解が注目されます。

Arthur C. Mace and Herbert E. Winlock,
The Tomb of Senebtisi at Lisht.
The Metropolitan Museum of Art Egyptian Expedition Publications, Vol. 1
(Metropolitan Museum of Art, New York, 1916)
xxii, 132 p., 35 plates.

Contents:

Preface (vii)
Table of Contents (xi)
List of Illustrations (xv)
Introduction (xxi)

Chapter I. The Site and the Tomb (p. 3)
Chapter II. The Clearing of the Tomb (p. 9)
Chapter III. The Coffins and Canopic Box (p. 23)
Chapter IV. The Jewelry (p. 57)
Chapter V. The Ceremonial Staves (p. 76)
Chapter VI. Miscellaneous Objects, including the Pottery (p. 104)
Chapter VII. Date of Tomb and Comparison with Tombs on other Sites (p. 114)

Appendix. Notes on the Mummy, by Dr. G. Elliot Smith (p. 119)
Index of Names of Objects from the Painted Coffins (p. 121)
Index of Authorities cited (p. 127)
General Index (p. 129)
Plates (p. 133)

1000部が出版され、初版は今、かなりの高値で取引されていますが、1974年にArno Pressから再版が出され、また近年ではさらにリプリントも発行されています。しかしカラー図版は再版ではモノクロに置き換わっており、復原された宝飾品などは初版の中でしか見られない模様。
序文を書いているのはアルバート・リスゴーで、

"Here, on the desert edge south of Medinet Habu, the remains of the palace erected by Amenhotep III have now been cleared for the greater part, ..."
(p. viii)

と、メトロポリタン美術館が当時、手がけていたマルカタ王宮の発掘について触れており、メトロポリタン美術館が手をつける前にニューベリーとともにマルカタを掘ったタイトゥスの名前もここで出てきます。
もともとオクスフォードにいたアーサー・メイスはこの頃にはもう、メトロポリタン美術館に所属していました。メイスの名が良く知られているのは、ハワード・カーターと一緒にツタンカーメン王墓の発掘記を書いているからです。メイスは1928年に50歳の半ばで亡くなってしまい、これは3巻本によるツタンカーメンの墓の発掘記(Carter (and Mace) 1923-1933)の刊行中の出来事。
メトロポリタンの仕事で1900年代の初頭、メイスはエジプトの発掘に携わっていましたが、1922年にツタンカーメン王の墓が見つかって、急に忙しくなったカーターが援助をアメリカ隊のウィンロックに求め、メトロポリタン美術館のスタッフがツタンカーメンの墓の調査に関わるきっかけが生じました。
カーター自身も、アメンヘテプ3世が建立したマルカタ王宮の発掘をアメリカ人青年のタイトゥスがおこなった時には、その仕事の監督官として参加しており(cf. Leahy 1978)、ここには不思議な関係の交錯が見られます。
メイスの生涯を扱った本が出ていて、風変わりなタイトルがつけられています。

Christopher C. Lee,
The Grand Piano came by Camel: Arthur C. Mace, the Neglected Egyptologist
(Mainstream Publishing, Edinburgh, 1992)

カギのかかる木棺というのはしかし、珍しい。たいていは差し込んだ枘板に木栓を打って蓋を固定する方法がとられるわけで、蓋を閉めたら開かなくなる木棺や木箱の類例が註にいくつか挙げられています。
似た仕組みとして、カフラー王の石棺が言及されていますけれども(pp. 40-41)、実はクフ王の石棺も同じこと。ピラミッド内の玄室に今でも残っているクフ王の石棺のカギのかかる仕組みについては建築家による論考、Dormion 2004に掲載されている図が分かりやすく、またイタリアの建築家であるPietro Testaも似た図を描き起こしていたはず。テスタはまた、古王国時代の棺について最近、イタリア語で本も書いている男。

新王国時代における木箱では、このカギのかかる仕組みが多く採用されており、これについてはキレンが古代エジプトの家具について書いた本のうち、箱を扱った巻で紹介しています。
Killen 1980の続巻。

Geoffrey Killen,
Ancient Egyptian Furniture, Vol. II:
Boxes, Chests and Footstools
(Aris & Phillips, Warminster, 1994)
xii, 91 p., with catalogue of museum collections.

2009年8月1日土曜日

Willems 2007


中部エジプトに位置するベルシャ(バルシャ)の発掘調査報告書の第1巻目。ディール(デル)はDeirではなくDayrなのかと訝る向きもあると思いますが、

"Arabic geographical names in this volume are abbreviated according to the system of the ’International Journal of Middle East Studies.’" (p. 1, note 1)

とあり、ケンブリッジから出ている雑誌のやり方に倣っていることが分かります。
観光旅行ではなかなか行く機会がない中部エジプトですが、ミニヤを拠点とするならばアマルナを初めとしてベニ・ハッサン(バニー・ハサン)、カウなど、見どころの多い場所。スペオス・アルテミドスもこの地域にあります。

Harco Willems,
with the collaboration of Lies op de Beeck, Troy Leiland Sagrillo, Stefanie Vereecken, and René van Walsem,
Dayr al-Barsha, Vol. I:
The Rock Tombs of Djehutinakht (No. 17K74/1), Khnumnakht (No. 17K74/2), and Iha (No. 17K74/3).
With an Essay on the History and Nature of Nomarchal Rule in the Early Middle Kingdom.
Orientalia Lovaniensia Analecta (OLA) 155
(Peeters and Departement Oosterse Studies, Leuven/Leuvain, 2007)
xxiv, 126 p., LXI pls.

Contents:
Preface, v
Bibliography and Abbreviations, xi

Chapter 1: Introduction, p. 1
Chapter 2: The Spatial Context of the Tombs, p. 11
Chapter 3: Previous Research, p. 19
Chapter 4: The Tomb of Djehutinakht (17K74/1), p. 23
Chapter 5: The Tomb of Khnumnakht (17K74/2), p. 59
Chapter 6: The Tomb of Iha (17K74/3), p. 61
Chapter 7: An Essay on the History and Nature of Nomarchal Rule in the Early Middle Kingdom, p. 83

Indices, p. 115

焦点はこの地域における中王国時代の様相。
参考文献は非常に多く挙げられており、この中にはつくば大学の川西隊によるアコリス報告書も含まれていますが、近年刊行されている年次報告に関しては取り上げられていません。
ここでは3つの岩窟墓を報告し、7章で比較的長く、ジェフティナクトの墓で見られる自叙伝の重要性が述べられるとともに、派生する問題を検討しています。

石切場の調査も同時に着手しており、こちらとしてはその成果に注目したいところ。ですがこの巻では単に、多数残存するデモティックのインスクリプションの存在を伝えるだけ(p. 5)で、詳しくは踏み込んでおらず、むしろドイツの専門雑誌、MDAIKで発表している調査報告の方が役立ちます。建築学的観点からは、天井に多く残る赤い線などを、どのように理解するのかの記述が待たれます。

非常に広い敷地の範囲を研究対象としており、かなりの年数にわたる調査を予定しているらしく思われますけれども、最初に敷地を訪れて興味を抱いたのが1984年と序文にありますから、すでに20年以上が経過。第2巻目以降は厚くなりそうです。
ここからは未盗掘の墓が見つかり、世界的なニュースとなりました。中王国時代の直前となる第一中間期末期に属するヘヌゥ(Henu)の墓(紀元前約2050年)。サイトが用意されています。

http://www.arts.kuleuven.be/bersha/

しかしこのサイトを通じての調査自体の報告は滞っており、2002~2004年の分しか掲載されていません。
本はカラー図版を多用した立派な造りで、今後の調査の進展が楽しみです。周到な準備を重ねて編まれたことが良く分かる報告書の一例。
OLAのシリーズは良く知られており、例えば最近の、ウィーンで活躍するマンフレッド・ビータックへの献呈論文集(OLA 149、全3巻、2006年)や、第9回国際エジプト学者会議録(OLA 150、全2巻、2007年)もここから出版されています。

2009年7月29日水曜日

Arnold 1987


ダハシュールに残るアメンエムハト3世のピラミッドに関する報告書。泥煉瓦の巨大な塊が残る遺構です。ドイツ考古学研究所カイロ支部(DAIK)からのシリーズの一冊。
「ダハシュール」の綴りは国によって異なったりするので、検索に際しては面倒なところがあります。ここではドイツ語ですからDahschurですが、英語ではDahshurもしくはDashur、フランスではDahchour、イタリア語でDahsciurなど。
なお、出土遺物を扱った第2巻、"Die Funde"はかなり遅れて2002年に出ています。

Dieter Arnold,
Der Pyramidenbezirk des Königs Amenemhet III. in Dahschur,
Band I: Die Pyramide.
Deutsches Archäologisches Institut Abteilung Kairo (DAIK),
Archäologische Veröffentlichungen 53
(Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 1987)
105 p., 72 Tafeln, 3 Faltpläne.

Inhaltsverzeichnis:
Vorwort, p. 7
1. Baubeschreibung, p. 9
2. Einzelbetrachtungen zur Bautechnik, p. 73
3. Die Geschichte der Pyramide und ihrer Erforschung, p. 93
4. Die Stellung des Pyramidenbezirkes Amenemhet III. innerhalb der 12. Dynastie, p. 97
5. Bemerkungen zur Entwicklung der Innerräume der Gräber von Königinnen der 12. Dynastie, p. 99
6. Sachregister, p. 104
Abkürzungsverzeichnis, p. 105

彼が51歳の時の報告書で、1979年にはディール・アル=バフリーのメンチュヘテプの建物の報告書を出版。ダハシュールにおけるアメンエムヘト3世のピラミッドに関するこの本を出した翌年の1988年には、リシュトのセンウセルト1世のピラミッドの報告書の第1巻をメトロポリタン美術館から英語で出しています。むろん、同時並行に仕事を進めていたに違いないわけで、彼の旺盛な活躍はこの頃から顕著になります。

見どころの多い報告集。
Building in Egyptに転載されている図面が多くうかがわれます。玄室の笠石の組み方はもちろんのこと、古代エジプトではきわめて珍しい、部屋と部屋とのつながりを確認するための模型の紹介、また計画寸法の検討などが面白い。
p. 82, Abb. 40には、煉瓦に指でいろいろな印を付けているさまを15例ほど挙げており、注意を惹きます。A. J. SpencerによるBrick Architecture in Ancient Egyptが1979年の出版ですから、そこには反映されていません。煉瓦についてのこうした情報は、今一度、纏められておいて良いかと思われるところです。

2009年4月26日日曜日

Arnold 1990


エジプトのピラミッドや神殿を建てるのに使われた石には時折、日付や人名がインクで記されていることがあり、これらを研究対象としてモノグラフが構成されるまでになったのはごく最近のことです。たいていこうした文字はひどく荒く書かれており、あまり字を書き慣れていない者が記録を残したのではないかと疑われます。経年によってインクが薄れていることが多く、読みにくい上に、読めたとしても大して重要なことに触れられていないため、本格的な考察は後回しにされてきたという経緯がありました。
この本は、主として中王国時代に属する建物の石材に見られる書きつけを集成したもの。建築学的な検討がなされており、建造順序の解明などに光を当てることができる点を示した著作で、その功績は讃えられるべきだと思われます。

Felix Arnold,
in collaboration with Dieter Arnold, I. E. S. Edwards, Juergen Osing.
Using notes by William C. Hayes.
The Control Notes and Team Marks.
The Metropolitan Museum of Art Egyptian Expedition, The South Cemeteries of Lisht, vol. II
(The Metropolitan Museum of Art, New York, 1990)
188 p., 14 pls.

この本の見返しには"Arnold, Felix. 1972-"と印刷されていて、このように著者の生年が明記される場合がしばしばあります。これをもとにして計算すると、著者が18歳の時の本と言うことになります。
読みづらいヒエラティックに関する報告書を、高校3年か大学1年という若さでメトロポリタン美術館から刊行したことを意味しますが、彼が古代エジプト建築研究の第一人者ディーター・アーノルドの息子だという事情が判っていれば、そうした出版が可能である点は首肯されます。母親もまた、エジプト学では土器研究で非常に有名な人。

錚々たるメンバーが協働に当たっており、遺漏がないように図られたと思われるのですが、残念なことに149ページのC11のインスクリプションの図は上下が逆です。
Goettinger Miszellen 122 (1991), pp. 7-14と129 (1992), pp. 27-31には、F. アーノルドによる関連論文が寄稿されています。

この本が出版されてから、例えばヴェルナーによるBaugraffitiなど、汚くて読みにくい書きつけにも注意が向けられるようになって、後続の報告書が出されることになりました。その点で、メトロポリタン美術館に収蔵されていたヘイズの筆写を用いながら本として纏めたことは慧眼です。
後年の

Nicole Alexanian,
Dahshur II: 
Das Grab des Prinzen Netjer-aperef. Die Mastaba II/1 in Dahshur.
Deutsches archaeologisches Institut Abteilung Kairo, Archaeologische Veroeffentlichungen (AVDAIK) 56
(Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 1999)
173 p., 20 Tafeln.

でも同様の試みがなされており、やはり影響が認められますが、ここでは石材のどこに文字が記されているかも図示され、より丁寧な報告の方法がうかがわれます。

2009年3月30日月曜日

Arnold 2008


リシュトにある古代エジプトの中王国時代の私人墓に関する建築報告書。すでにメトロポリタン美術館が1900年代の初期に発掘調査をおこなったものの、報告書がずっと未刊行のままでした。
追加の調査をおこない、当時の記録をもとに、厚い報告書に仕上げています。

Dieter Arnold, 
with an appendix by James P. Allen,
Middle Kingdom Tomb Architecture at Lisht.
Publications of the Metropolitan Museum of Art,
Egyptian Expedition, Volume XXVIII
(Metropolitan Museum of Art, New York, 2008)
99 p., 170 pls.

見どころは図版で、リシュトに位置するセンウセルト1世、あるいはアメンエムハト1世のピラミッドの周囲に築かれた数々の墓が対象。建築の専門教育を受けた人間が調査隊長で、しかも主として本人が図面を描いているから、非常に見やすい。いくつかの図はすでにアーノルドのBuilding in Egyptの中で紹介されていますが、見応えのある図面がここでも揃っています。折り込みとなっている図版も少なくありません。
地上に建物が立つ他に、地下にも迷路のように部屋や廊下が造営されますから、理解が容易となるように、場合によっては立体図(アクソノメトリック)も交えています。手前の部分をカットアウトして見やすくする工夫が特に注目されます。
新王国時代、平地に盛んに建てられたいわゆる「トゥーム・チャペル(神殿型貴族墓)」の形式と似たものが、すでにあったことが分かって興味を惹きます。中王国時代の住居の形式とも相似を示している部分があり、もう一度問題を広く捉え直すべき時期に来ているのかもしれません。

盗掘行為を防ぐために、二重に設けられた石の引き戸(!)が用意された墓がうかがわれるのが面白い。立てた石の平板を上から落とす「落とし戸」ではなく、横から石板を引き出してきて通路を塞ぐ方式です。斜め上から石版を落とす方式はダハシュールの屈折ピラミッドの中で見られ、有名ですけれども、引き戸というのは驚かされる。

CGによって地上の建物を復原している図は、非常に精緻で素晴らしい。石材のひとつひとつの大きさがまちまちであるというのが大方の古代エジプトにおける石造建築の特徴なので、CGの作り手にとっては面倒であったはず。床面の敷石に至っては不定形の石が並べられますので、これも苦労したかと思われます。石目地のパターンをただコンピュータ上のモデルに貼り付けるだけでは不満が残る箇所。
この本のシリーズはまだ続くようで、石棺の類型などに関しては、ダハシュールの中王国時代の私人墓をまとめた次巻にて記されるとのこと。

著者は、テーベにおけるデル・エル・バハリのメンチュヘテプ2世の記念神殿はもちろん、中王国時代のピラミッド群など、主要なモニュメントの発掘調査に長く関わってきた人。奥さんは土器の専門家、子供もエジプト学者という点は以前にも触れました。
メンチュヘテプ2世の記念神殿については、基壇上にピラミッドを載せる姿をとった20世紀初期の復原案が、アーノルドによって疑問符を付され、今やほとんど信じられていません。
一枚の復原図を描いた時に、それが50年持つか持たないか、建築に関わる者はそれを競うということではないかと思われます。

2009年1月1日木曜日

Gardiner 1935


古代エジプトにおける「夢」と言えば、トトメス4世の「夢の碑文」が有名。ギザの大スフィンクスの前足の間に立てられている大きなステラに、その内容が刻まれています。
当時は王子であったトトメス4世が大スフィンクスの傍らで寝ていた時に、「砂に覆われている自分(=スフィンクス)を掘り出してくれるならば、エジプトの王にしてやろう」というお告げを夢に見たという逸話。
王の継承権を正当に継いでいるかどうかが、当時どのように考えられていたか、それを端的に示す文字資料として知られており、しばしば参照がなされています。

夢占いのパピルスというのも一方で残っていますが、不思議なことにはこの文字資料に強い興味を示す人はあまりいないように思われます。
本書は碩学ガーディナーによる、世界最古の「夢の書(夢の本、あるいは夢占いの本)」として知られているチェスター・ビッティ・パピルスの読解などを含んだもの。ヒエラティックをヒエログリフに書き直し、英訳を添えたものです。原典は中王国時代にまで遡るとのこと。

Alan H. Gardiner,
Hieratic Papyri in the British Museum, Third Series:
Chester Beatty Gift, Vol. I, Text
(The British Museum, London, 1935)
xiii, 142 p.

各文章は短く、いずれも決まり文句の

「夢のなかで・・・・・を見たら、」

という書き出しで始められます。
日本語で、ある程度の訳もなされています。下記の本ではデモティックによって記された後の時代の「夢の書」についても同時に触れられており、概要を知るにはこちらの方が便利かもしれません。夢の解釈は、時代を超えて共通しているという興味深い話が展開されています。
没後も稀代のドイツ文学者として今なお人気の高い、種村季弘の著書です。

M. ポングラチュ/I. ザントナー著、
種村季弘・池田香代子・岡部仁・土合文夫訳、
「夢の王国 -夢解釈の四千年-」
(河出書房新社、1987年)
viii, 408 p.

それぞれの夢に吉凶が記されており、例えば家に関する夢については以下の通り。

「夢のなかでおのれの家を建てるのを見たらーーー凶、不快な言葉が身に迫る。」
「夢のなかでおのれの家が揺れるのを見たらーーー凶、病災あるの前兆。」

当方の専門である建築に関しては、いずれもあまり良いことが望めないようである点が甚だ残念です。
今年は丑年ですので、牡牛の夢をパピルスの文中から探りますと、

「夢のなかでおのれが牡牛を殺すのを見たらーーー吉、敵は殺されるであろう。」
「夢のなかでおのれが牡牛の群を牛舎に入れるのを見たらーーー吉、神は彼のために人を集めてくださるであろう。」

と記されていました。
初夢には是非、牡牛の夢を見ていただくことを願っています。

古代エジプトの夢に関して近年書かれた包括的な論考は

Szpakowska 2003

で、重要です。