2009年3月9日月曜日

Porter and Moss (PM), 8 Vols.


エジプト学における最重要な書のうちのひとつ。エジプトに数多く残る遺構を全部拾い上げるという基本台帳の位置を占める書籍で、PMが略称として広く用いられています。
にも関わらず、不備が目立つ点は手の打ちようがありません。記載されている情報が50年ほど遅れており、第1巻の改訂版の第1分冊が1960年に刊行された後、第8巻の第1・第2分冊とその索引が出たのが10年前の1999年、つまり10年前です。現在は初版と改訂版が入り混じっている状態で、初版しかまだない巻のレプリントが度々重ねられているのは、この書の需要が多い証拠。この書を基礎として、どこまで最新の資料が集められるかを皆が競っていることになります。逆から見れば、ここに載っている資料をおざなりにして論文を書くことはできません。

すでに第2版(改訂版)が出ているものについては、初版の情報をグリフィス研究所はあまり示していません。最新の情報を提供するための処置で、また初版と改訂版とは大きく異なっているからであることも大きな理由のひとつと思われます。

出版元のグリフィス研究所による一覧:
http://www.griffith.ox.ac.uk/gri/5publ.html


第1巻や第3巻は、もともとは各一冊ずつでした。情報量が圧倒的に増えたため、改訂版が出版される際に分冊として編集されています。これらを最初に纏めたポーターモスという2人の偉大な女性たちについては、分かりやすい説明がバーバラ・レスコによって書かれています。
これが掲載されている「革新:昔の世界を考古学で切り開いた女性たち」といったニュアンスのページも非常に面白い。

Barbara S. Leskoによる紹介:
http://www.brown.edu/Research/Breaking_Ground/bios/Porter_Bertha.pdf


「昔の世界を考古学で切り開いた女性たち」
http://www.brown.edu/Research/Breaking_Ground/


分冊刊行による最新刊の第8巻の題名は、「もとの場所が不明な遺物」。これがシリーズ中、最も厚い巻となっていて、索引を含めたPart 3までの本文の総計で2000ページほどもあります。未刊行のPart 4も、かなり厚くなることが容易に予想される本。
古代エジプト時代、当地に存在していたものがかなり前からヨーロッパへと運び出され始めていて、ここ2000年以上の歴史の中で世界中に散らばってしまいました。第8巻はそれらの膨大な数にのぼる遺物を扱ったものとなっており、これを纏めるという壮大な企てに着手した編者、J. マレクの能力を讃えるべき。
これに応じて書名にも、"Statues"という語が旧版の書名に加えられ、変更されています。

B. Porter and R. L. B. Moss,
assisted by Ethel W. Burney,
now edited by J. Malek,
Topographical Bibliography of Ancient Egyptian Hieroglyphic Texts, Statues, Reliefs and Paintings, 8 Vols.
(Griffith Institute, Oxford, 1927-)

Vol. I, Part 1: The Theban Necropolis.
Private Tombs
(Second ed., 1960. First published in 1927)

Vol. I, Part 2: The Theban Necropolis.
Royal Tombs and Smaller Cemeteries
(Second ed., 1964. First published in 1927)

Vol. II: Theban Temples
(Second ed., 1972, first published in 1929)

Vol. III, Part 1: Memphis.
Abu Rawash to Abusir
(Second ed., 1974, first published in 1934)

Vol. III. Part 2: Memphis.
Saqqara to Dahshur
(Second ed., 1981, first published in 1934)

Vol. IV: Lower and Middle Egypt
(First ed., 1934)

Vol. V: Upper Egypt: Sites
(First ed., 1937)

Vol. VI: Upper Egypt, Chief Temples (excluding Thebes)
(First ed., 1939)

Vol. VII: Nubia, The Deserts, and Outside Egypt
(First ed., 1952)

Vol. VIII, Part 1: Objects of Provenance Not Known.
Royal Statues. Private Statues: Predynastic to the end of Dynasty XVII
(First ed., 1999)

Vol. VIII, Part 2: Objects of Provenance Not Known.
Private Statues: Dynasty XVIII to the Roman Period. Statues of Deities
(First ed., 1999)

Vol. VIII: The Indices to Parts 1 and 2
(First ed., 1999)

Vol. VIII: Part 3: Objects of Provenance Not Known.
Stelae from the Early Dynastic Period to Dynasty XVII
(First ed., 2007)

------- 追記 -------

サイバー大学IT総合学部長・石田晴久先生の訃報に接しました。
いくつかの学内委員会で同席させていただき、先生が委員長を務められた図書委員会では環境整備に心を砕かれていらっしゃいました。
御冥福をお祈り申し上げます。

------- 追記2 -------

PMの第8巻については編集作業に関する最新情報が公開されました(2009.03.19)。

http://www.griffith.ox.ac.uk/gri/3.html


------- 追記3 -------

PMのデジタル版が公開されています(2014.04.09)。きわめて有用です。

http://www.griffith.ox.ac.uk/topbib.html

2009年3月8日日曜日

Ault and Nevett (eds.) 2005


古代ギリシアの住居に関する論考。2001年に開催のAIAサンディエゴ大会でコロキアムが企画され、その成果が編集されたもの。古代ギリシアの住居でまとまった情報が得られているのはオリントスなどに限られ、その住居が紹介されることが一般には多いわけですが、この会合では専門家たちが集まって、他の各遺構も視野に収め、全貌を捉えようとしています。

Bradley A. Ault and Lisa C. Nevett (eds.),
Ancient Greek Houses and Households:
Chronological, Regional, and Social Diversity
(University of Pennsylvania Press, Philadelphia, 2005)
x, 190 p.

Contents:
1. Introduction,
by Lisa C. Nevett (p. 1)
2. Structural Change in Archaic Greek Housing,
by Franziska Lang (p. 12)
3. Security, Synoikismos, and Koinon as Determinants for Troad Housing in Classical and Hellenistic Times,
by William Aylward (p. 36)
4. Household Industry in Greece and Anatolia,
by Nicholas Cahill (p. 54)
5. Living and Working Around the Athenian Agora: A Preliminary Case Study of Three Houses,
by Barbara Tsakirgis (p. 67)
6. Between Urban and Rural: House-Form and Social Relations in Attic Villages and Deme Centers,
by Lisa C. Nevett (p. 83)
7. Houses at Leukas in Acarnania: A Case Study in Ancient Household Organization,
by Manuel Fiedler (p. 99)
8. Modest Housing in Late Hellenistic Delos,
by Monika Trumper (p. 119)
9. Housing the Poor and Homeless in Ancient Greece,
by Bradley A. Ault (p. 140)
10. Summing Up: Whither the Archaeology of the Greek Household?,
by Bradley A. Ault and Lisa C. Nevett (p. 160)

Langの論文ではアクセス・アナリシス論を援用しており(pp. 24-26)、これが面白かった。
建物の中の部屋のつながりを考えるビル・ヒリアーたちの方法は刺激的で、部屋のかたちや窓の有無、機能などは思い切って取り去ってしまうという大胆な捉え方をします。ここから建物の「深さ」という概念を導き出し、それを数値化して示すという発想がきわめて斬新。
明らかに、現代における建築の姿をもとに組み立てられた論で、時代の刻印を受けており、それゆえ、古代の遺構に当て嵌めようとした場合、さまざまな問題が生じますが、その点こそが要所となる切り口。建物の見方の矛盾が立ちあらわれる場所となります。

Bill Hillier and Julienne Hanson,
The Social Logic of Space
(Cambridge University Press, Cambridge, 1984)
xiii, 281 p.

ヒリアーはまた、「空間は機械だ」とも言っており、これもまた興味深い考え方。219ページには古代エジプトの神殿の平面図も出てきます。

Bill Hillier,
Space is the Machine:
A Configurational Theory of Architecture
(Cambridge University Press, Cambridge, 1996)
xii, 463 p.

なお、アマルナ型住居にアクセス・アナリシス論を適用した論考が日本語で書かれています。アマルナ型住居に関して修士論文をまとめ、以降、いくつかの研究論文を発表されている方。

伊藤明良
「古代エジプトにおける居住形態の変化とその背景:アマルナ居住プランの成立」
古代文化54:8 (古代学協会、2002), pp. 31-47, 58.

イギリスで同じくアマルナ型住居に関し、修士論文を書いた人の例として、

P. T. Crocker,
"Status symbols in the architecture of el-'Amarna",
Journal of Egyptian Archaeology 71 (1985), pp. 52-65.

2009年3月7日土曜日

Bryan 1993


「あなたも女性エジプト学者になれるわ!」という本があって、自分がどのようにエジプト学者になったか、どのような勉強や訓練を経たのかを、一流の女性エジプト学者が個人的な体験をもとにやさしく書き綴っています。

Betsy M. Bryan,
You Can Be a Woman Egyptologist.
Careers in Archaeology, Part 1
(Cascade Pass, Culver City, 1993)
38 p.

およそ20cm四方の、ぺらぺらの書籍ですから、安くて入手しやすい。
これは"You Can Be a Woman......."シリーズのうちの一冊で、他にも「女性建築家になれる」、あるいは「女性エンジニアになれる」とか「女性化学者になれる」など、たくさん揃っています。
英語圏にいる若い女性たちに向けて書かれている本と思われ、執筆陣は全員、その各々の世界で成功している女性で、自分より年下の女性たちの将来を慮って具体的な指針を与えつつ、また彼女たちを大いに鼓舞する書なのですが、これをベッツィ・ブライアンが執筆しているというのがすごい。

B. ブライアンと言えば、エジプトの諸芸術が最も花開いたとされる新王国時代、特にアメンへテプ3世時代に関し、ばりばり書いている良く知られた女性エジプト学者です。評価の高い成果を次々と発表している有名な方。
たとえて言うならば、上野千鶴子・東大教授が「あなたも社会学者になれるわ」という本を女性のティーン・エージャー向けにやさしく書くことと匹敵します。
自分が歩んで来た道のりを記しており、こういう内容は滅多に読むことができないわけで、薄い本ですけれども、ブライアンという研究者の人間性が間接的に良く感じられる著作です。

この類の本は、追悼文などを除けば、エジプト学の研究論文においてまず絶対に引用されないものと言って良いのですが、とても丁寧に書かれているなという印象が残ります。
日本にもこういった手頃な本があったら、もっと良いのになと思わせる刊行物。村上龍「13歳のハローワーク」(幻冬舎、2003年)を、各専門家たちが手分けして楽しみながら書いている、そう思ってもらっていいかと思います。これを踏まえた「世界各国の調査の楽しみ」とか、そういう本もあっていい。
ブライアンのこの冊子は、活字も大きく、非常に読みやすく造られています。とても派手な装丁は、果たしてブライアンが望んだ結果なのかどうかは分かりかねますけれども。

腰を落として、目線を下げて、なおかつレヴェルは絶対に落とさないし下げない、似たようなそういう本が本当に無いかなと思う時、エジプト学からは離れてしまいますが、

加藤典洋「僕が批評家になったわけ」
(岩波書店、2005年)
249 p.

も、非常に良かった。書かれる分野も、本の厚さもまるっきり異なりますが、同じような読後感を受けます。
これも個的な体験、しかもさまよった体験を随所に記し、かつ批評行為のタネというものが日常の周りに、実はたくさんあることが示されています。
自分を対象化すること、深く考えること、その道のりが平明に書かれていますが、それが批評行為の領域を押し拡げることとつながり、共感を与える/得るという本来の開けた場に、批評を今一度、戻そうというモティーフが強く伝わってきます。
歴史研究の原点にも触れる問題が展開されている本。

2009年3月6日金曜日

Cabrol 2000


アメンヘテプ3世について書かれた一般向けの一冊。この王について記した本は、アメリカとフランスでおこなわれた展覧会の成功以後、ずいぶんと増えてきました。
ペーパーバックですが、カラー写真も所収しており、図も比較的豊富です。メムノンの巨像の頭部分を上空から撮影した写真があって、もともとは王冠が載せられていたことを告げています。巻末には家系図、また「ライオン狩り」や「結婚記念」のスカラベのヒエログリフも転載。
アメンヘテプ3世に関わる遺物も50ページ近くにわたってリストアップされており、これはポーター&モスなどから抜き出して作られたものです。専門情報をやさしく伝えようとしていることが了解されます。

Agnes Cabrol,
Amenhotep III: Le magnifique
(Editions du Rocher, Monaco, 2000)
537 p.

ただ206ページの註98や巻末の参考文献リストには、

B. J. Kemp, The Excavations of Sites J, K, and P, EgyTod 2, III, 1978.

Concordian [sic], (Lilian), Malkata and the Birket Habu, The Painted Plaster from Site K, EgyTod 2, VI, 1978.

なるものが挙がっていますけれども、これらは予告だけ出され、実際には出版されていない報告書。
実際の本をろくに見もしないまま、確認を怠ってうかうかと引用すると言うことは当方もしばしばやる手なのですが、危険なことだと改めて思う次第。
数日前もEgyptologists' Electronic Forum (EEF)で、

Dieter Arnold,
Der Tempel des Königs Mentuhotep von Deir el-Bahari, Band 4:
Relieffragmente des Mentuhotep
(Mainz, 1993)

は本当に出版されているのかという問い合わせが書かれていました。これも幻の報告書のうちのひとつかと思われます。アーノルドが2003年に出しているThe Encyclopaedia of Ancient Egyptian ArchitectureArnold 2003)の"Mentuhotep, Temple of"の項目(pp. 149-150)には、

Der Tempel des Königs Mentuhotep von Deir el-Bahari, 3 vols. (Mainz 1974, 1974, 1981)

と示され、第4巻目の存在を、まず本人が記していません。
一方で、Theban Mapping Projectにおける"Bibliography for Dayr al Bahri"には第4巻が挙げてあり、こういう場合にはどちらを信じるか、ということだと感じられます。
他にもR. Stadelmannによる建築報告書など、予告だけされていて何年も経っているというものが存在します。

アメンヘテプ3世に関しては、

Elizabeth Riefstahl,
Thebes: In the Time of Amunhotep III.
The Centers of Civilization Series
(University of Oklahoma Press, Norman, 1964)
xi, 212 p.

が出ていて、これがかなり早い時期の刊行物となります。
フレッチャーによる入門書はドイツ語版もあるようですが、簡単な内容。

Joann Fletcher,
Egypt's Sun King:
Amenhotep III, An Intimate Chronicle of Ancient Egypt's Most Glorious Pharaoh
(Duncan Baird Publishers, London, 2000)
176 p.

Joann Fletcher,
Sonnenkoenig vom Nil, Amenophis III.
Die persoenliche Chronik eines Pharaos
(Droemer, Nuenchen, 2000)
176 p.

さらにはスペインで出版された別の本もあります。

Francisco J. Martin Valentin,
Amen-hotep III:
El esplendor de Egipto.
Coleccion: El legado de la historia, No. 1
(Alderaban Ediciones, Madrid, 1998)
366 p.

お気づきのように、「アメンヘテプ」の綴りが本によって異なっており、これを勘案しないとインターネットによる検索で情報をうまく把握することができません。
Amenhotep, Amunhotep, Amenophis, Amen-hotepとさまざまに記され、こういうところが厄介です。

2009年3月5日木曜日

Carter (and Mace) 1923-1933


ハワード・カーターによるツタンカーメンの墓の発掘記録で、3冊で構成されています。しかしオリジナルは稀覯本扱いとなり、揃いで買うと今なら1200ドル以上の出費を覚悟せねばなりません。
レプリントの他、抄録版も出ているので注意を要します。

Howard Carter (and A. C. Mace),
photographs by Harry Burton,
The Tomb of Tut-Ankh-Amen:
Discovered by the Late Earl of Carnavon and Howard Carter,
3 Vols.
(George H. Doran, New York)

Vol. I: 1923, 334 p., LXXIX plates.
Vol. II: 1927, xxxiv, 277 p., LXXXVIII plates.
Vol. III: 1933, xvi, 248 p., LXXX plates.

10年をかけて刊行された3冊。各巻に80点ほどの図版が付されています。
和訳は酒井傳六・他によるものが出ています。

ハワード・カーター著、
酒井傳六・熊田亨訳、
「ツタンカーメン発掘記」
筑摩叢書185(筑摩書房、1971年)
口絵12 p. + 406 p.(図版74点を含む)

この和訳では図版が大幅にカットされており、写真の質も良くありません。廉価版の出版物ですから、仕方のないところです。
ツタンカーメンの遺物のカラー写真をもっとも精力的に出版しているのはおそらく日本で、特に講談社から出された「エジプトの秘宝」(1979〜1985年)全5巻の分厚い大型本では、そのうちの2冊をツタンカーメンの遺品の紹介に充てています。

発掘者自身によってツタンカーメンの墓の発掘過程が述べられた唯一の本で、カーターに執筆の依頼が来た際には、一般の読者層に売れることがあらかじめ予測された図書でもありました。つまりベストセラーになることが約束されていた書ということになります。カーターの負担は大きかったに違いありません。W. バッジのような上手な書き手はいたものの、エジプト学に関するそうした本というのは、それまで出されたことがなかったかと思われます。
彼はエジプト学の公的な専門教育を受けたわけでなく、ヒエログリフも読めませんでした。次から次へと、誰もこれまで見たこともなかった王の遺品が出てくるわけですから、当然、書き方としては慎重になります。発掘までの経緯を記した第一冊目を早く出して欲しいという相当強い圧力もあったはずで、そうした事情も踏まえながら読むと面白い。

トマス・ホーヴィング著、屋形禎亮・榊原豊治訳「ツタンカーメン秘話」を次に読むと、さらに面白いかも。カーターの捏造についてすっぱ抜いた話題の書。エジプト学者の屋形禎亮先生はCh. デローシュ=ノーブルクール「トゥトアンクアモン」も訳されています。ほとんど資料が揃っていなかった時代において、学的な推察力を駆使して王を描いた書。この本を「古い」と一言で片付けるのは誤りで、むしろ想像力を展延させていく方法が非常に参考となります。

玄室への封鎖壁を解体している写真は、建築学的にきわめて貴重。戸口の上に架け渡された丸太が写真に写っています。第18王朝における煉瓦造の戸口がどう造られていたかが分かる、ほとんど唯一の資料です。

カーターが本を書くのはこれが初めてではなく、

The Earl of Carnavon and Howard Carter,
Five Years' Explorations at Thebes:
A Record of Work Done 1907-1911
(Oxford University Press, London, 1912)
frontispiece, xii, 100 p., LXXIX plates.

を第一次世界大戦の直前に出しています。
大して目立った遺物が出土したわけでもないのに、分担執筆者はF. Ll. グリフィス、G. ルグラン、G. メーラー、P. E. ニューベリー、W. シュピーゲルバーグとエジプト学の大御所が並んでおり、不思議な印象を与える本。カーターの交友関係の広さがしのばれます。カーターの本でなかったら、レプリントも刊行されなかったかもしれません。

2009年3月4日水曜日

Vygus 2009


タダで手に入るヒエログリフの辞書が公開されており、これがけっこう面白い。602ページもあります。17,000項目以上を所収。

Mark Vygus,
Ancient Egyptian Hieroglyph Dictionary
17,300 items, PDF, 602 p.
http://www.egypt.cd2.com/html/dictionary.html


ヒエログリフを自習した人による簡易版の辞書となりますが、それにしても労作です。
情報の出所は永井正勝先生のブログです。
本務である大東文化大学の他、早稲田大学エクステンションセンターを初めとして、各所でヒエログリフを精力的に教えておられる先生。どういう方かを知るには、この先生が執筆された論文を読むことが何よりも早道です。ヘブライ大学に留学し、日本オリエント学会第26回奨励賞を受賞された先生。ヒエログリフに関する教科書や参考資料などを丁寧に紹介されており、きわめて有用なブログです。
おそらくは受講者向けの掲示板としてもブログを活用されているようですが、他のエジプト学者が立ち上げているブログと見比べると、違いが分かって興味深い。
インターネットで情報を発信しているエジプト学者は他にもいるのですけれども、「仕事で忙しい」というただの日記に終わっていたり、あるいは真面目に既知の概要を長々と掲載したりする人が少なくない中、専門家にも毎日見ようと思わせる内容を伝えていて貴重。
エジプト学以外の話題を織り交ぜている点にも注意すべきです。

http://mntcabe.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/egyptian-hierog.html


この辞書はしかし、ガーディナーのサイン・リスト順に並べるという驚くべき方式をとっています。つまり電話帳で言うと、電話番号の若い順に並べている(!)ということ。ページ内の検索機能の使用を前提としている、珍しい辞書です。
「男子」という意味の語、"チャ"が最初の方に出てきますが、

boy [noun] A17 - D53

と書かれている後半の「A17 - D53」がガーディナーのサイン・リストの番号。ガーディナーのサイン・リストとは何かについてはすでに紹介済みなので、ここでは繰り返しません。サイン・リストは

http://www.jimloy.com/hiero/gardner0.htm


などにて見ることができます。
現在、専門家によって用いられている拡張版も公開されています。CCERのサーバは一時期、閉鎖されたりしましたが、ようやく落ち着いた模様です。

http://www.ccer.nl/apps/hiero/hiero.html


自分の名前をヒエログリフで書こうとした場合、日本人ですと母音が連続する場合が多いわけで、例えば「山花沙耶香 Yamahana Sayaka」さんなら、aの文字が7つも出てきます。通常、日本語で出版された本の中で紹介されている例ですと、日本語の「あ」に対応するヒエログリフの鳥の文字か、あるいは腕であらわされる文字のどちらかを連ねることが強いられますけれども、この辞書に出ている語を丁寧に見ていくと、ma、ha、sa、kaなどでは他に使えそうな文字があることが発見できます。
吉成薫先生は、自身の御名前のKaoruを"K3-wr"と綴る工夫を提示していたはずで、見事な翻字の例です。

初心者は発音記号をどうしても学習しなければなりません。ヒエログリフのアルファベットは20ぐらいしかありませんので、すぐに覚えられます。普通の辞書は、このアルファベットの順番で項目が並んでいますので、これを知っているかどうかが、まずは関門。

もちろんヒエログリフの辞書と言うことであれば、実はかなり前からインターネットで公開されている有名なものがあります。

Beinlich Wordlist:
Internet-searchable database.
http://www.fitzmuseum.cam.ac.uk/er/beinlich/beinlich.html


ただし、こちらはドイツ語版。

-------追記-------

永井正勝先生が本日の2009年3月4日のブログで、当方が知らなかったことを早速、補足してくださっています。さすが、プロの対応。
Beinlich Wordlistの英訳がファイルでアップされているとのこと。

Chris's Egyptology Resources:
http://www.geocities.com/cgbusch/egyptology/


古代エジプトにおける人名辞典という本もすでにある(Hermann RankeDie ägyptischen Personennamen, 3 Bände: cf. Beckerath 1999)のですが、「この逆引き、すなわち名前の最後の文字から索引できる辞書があったらどんなに便利だろう」、と到底無理なことと思われる希望を口にしていた海外の考古学者がいました。
しかし特定の文字を検索できるVygusによる事典のようなものが今後編纂されるならば、かなり役に立つと思います。

2009年3月3日火曜日

Badawy 1954-1968


古代エジプトの建築史と言えば、バダウィのこの3冊本。先王朝時代から新王国時代の終わりまでを扱っています。グレコ・ローマ時代までの建築を扱うはずであった4冊目は、とうとう出版されませんでした。代わりにD. アーノルドがTemples of the Last Pharaohs (Oxford University Press, New York and Oxford, 1999)を出しています。

Alexander Badawy,
A History of Egyptian Architecture, 3 Vols.

Vol. I: From the Earliest Times to the End of the Old Kingdom
(published by the author, Giza, 1954)
xv, 212 p., VIII plates.

Vol. II: The First Intermediate Period, the Middle Kingdom, and the Second Intermediate Period
(University of California Press, Berkeley and Los Angeles, 1966)
frontispiece, xxvii, 272 p.

Vol. III: The Empire (the New Kingdom), From the Eighteenth Dynasty to the End of the Twentieth Dynasty 1580-1085 B.C.
(University of California Press, Berkeley and Los Angeles, 1968)
frontispiece, xxxix, 548 p.

第1冊目は自費出版でしたが、2巻目以降はカリフォルニア大学の出版局から刊行されています。第1巻は入手が困難であったために、レプリントが「人類の歴史とミステリー社」から1990年に出ています。この面白い名前の出版社も、古書を扱っていたマイケル・サンダースという人が興した会社。

古代エジプトの建築史には3つほどの種類があって、ひとつ目は美術史家によるもの。ふたつ目は考古学者によって執筆されたもの、3つ目が建築の専門家によって記されたもの。それぞれ違いがあるので、読み比べると面白い。
バダウィの本はしかし、ややカタログ的で、建築表現の変転に主眼を置く人からは、辛口の批評が寄せられる傾向にあります。この辺の事情を書いた文を訳したことがあります。以下を参照のこと。誤字脱字が混じっています!

http://www.waseda.jp/prj-egypt/sites/EgArch/Haeny.htm


新王国時代を扱う第3巻では、建物の軸線を扱った章があり、他の本ではなかなか見られません。B. ケンプやK. スペンスたちはこれを参照しながら自論を展開していますけれども、註にはあらわれ出なかったりする場合もあります。
カラー図版で紹介される何枚かの復原図は、今となっては多少の修正が必要となっています。

バダウィの初期の代表作は、3次元の世界に存在する建築が、どのように2次元の絵画で表現されるかを追究したもので、この種の研究もあまり類例がなく、珍しい。

Alexander Badawy,
Le dessin architectural chez les anciens egyptiens:
Etude comparative des representations egyptiennes de constructions

(Service des Antiquites de l'Egypte, Le Caire, 1948)
xxiii, 291 p.

2009年3月2日月曜日

Lacovara 1990


古代エジプトの初期新王国時代の王宮であるディール・エル=バラスの発掘調査報告書。使われた煉瓦は大ぶりで、中王国時代のピラミッドで用いられたものを思い起こさせます。
城塞のような造りで、矩形平面の周壁を巡らせ、その中央に高い基壇が築かれて、その上に建物が立っていた模様。テル・エル=ダーバの王宮との類似点が挙げられ、注目されます。
彩画片もいくらか出土しています。
発掘を始めてからこの報告書が出るまでに、10年かかっています。遺跡の調査では、短い場合でもだいたいこのぐらいかかってしまうという例。

Peter Lacovara,
Deir el-Ballas:
Preliminary Report on the Deir el-Ballas Expedition, 1980-1986
.
American Research Center in Egypt Reports, Vol. 12
(Eisenbrauns, Winona Lake, 1990)
x, 67 p., XVII plates, 5 folded plans.

この発掘調査の成果をもとにして、以下の博士論文が執筆されました。162ページから250ページまでは図版です。新王国時代に属する住居系の建物の平面図が集められていますから便利。
もちろんアマルナやマルカタも含まれていますし、それ以外にも小規模な住宅類の図が所収されています。E. Roikによるモノグラフといった少数を除き、こういう本はあまりありません。

Peter Lacovara,
State and Settlement:
Deir el-Ballas and the Development, Structure, and Function of the New Kingdom Royal City.

A Dissertation submitted to the Faculty of the Division of the Humanities in Candidacy for the degree of Doctor of Philosophy.
Department of Near Eastern Languages and Civilizations, University of Chicago
(Chicago, 1993)
xiii, 275 p.

この博士論文の内容がほとんどそのままのかたちでロンドンのKPI社から本が刊行されました。"Studies in Egyptology"のうちの一冊です。
題名も改められましたが、しかしこのタイトルであったなら、本当はもうちょっと数多くの遺構を取り扱わなければなりません。このため、「扱う範囲が狭い」というような辛口の書評が確か、寄せられていたように記憶しています。

Peter Lacovara,
The New Kingdom Royal City.
Studies in Egyptology
(Kegan Paul International, London, 1997)
xiv, 202 p.

この後に王宮建築に関する本がいくつも出されていますから、重要性がいくらか薄らいだとも思えますが、しかし古代エジプトの王宮を知ろうとする場合にはやはり、基本的な著作のひとつに数えられます。

2009年3月1日日曜日

Baldwin Smith 1938


建築史家には種類があって、ひとつは自分の専門領域を定め、深く掘り下げる人。他方は時代や地域を問わず、勝手気ままに横断して行く人です。
この著者は明らかに後者に属し、決して古代エジプト建築の専門家と言える人ではありません。にも関わらず、ここで取り上げる書は重要。
古代エジプト建築を美術史的側面から眺め、それらの多様な見かけ上の形式を語る学者はたくさんいるのですけれども、どのように建築が発想され、また実現されたかを問う本はいくらもないというのが現状です。その点で、この本の存在は貴重。
「文化表現としてのエジプト建築」という表題には、建築表現一般にまで問題を押し拡げようとした意図が感じられます。古代エジプト建築は、ここでは単なるひとつのケース・スタディにしか過ぎません。

E. Baldwin Smith,
Egyptian Architecture as Cultural Expression
(D. Appleton-Century Co., New York, 1938)
xviii, 264 p.

78ページ分の図版は全部、著者による手書きの達者なペン画です。写真の掲載がとても高価であった当時の制約を、どのように乗り越えて一般向けに最新の成果を伝えようとしたか、その工夫のさまが良く分かります。

この人が他にどのようなものを著しているかと言えば、

Early Christian Iconography and a School Ivory Carvers in Provence
(Princeton University Press, Princeton, 1918)
276 p.

The Dome: A Study in the History of Ideas.
Monographs in Art and Archaeology
(Princeton University Press, Princeton, 1950)
200 p.

Architectural Symbolism of Imperial Rome and the Middle Ages
(Princeton University Press, Princeton, 1956)
ix, 219 p.

と非常に多岐にわたり、唯一の繋がりがあるとすれば、かたちとその意味との関連、ということになるでしょうか。
最後の著書に関しては和訳が刊行されており、この訳業には非常な苦労が伴ったに違いありません。労作です。

ボルドウィン・スミス著、河辺泰宏・辻本敬子・飯田喜四郎共訳、
「建築シンボリズム」
(中央公論美術出版、2003年)
352 p.

1938年という出版年代は、未だ古代エジプトの主要な遺構における発掘調査が充分に進んでいない時期であって、このためにアマルナの王都に関する記述に対しては、反論が後に寄せられたりもしています。
しかし著者の提示した根源的な問題点は少数の専門家には確実に伝えられており、現代の観念を振り捨てて遺構を見ると言うことがどれほど難しいかを今なお、語り伝えています。
「抽象と感情移入」などで高名な美術史家のW. ヴォリンガー(ヴォリンゲル)の解釈に反対意見を唱えるなど、見るべき点が多々ある書。

2009年2月28日土曜日

Dodge and Ward-Perkins (eds.) 1992


J. B. ワード=パーキンズは古代ローマ建築の研究で知られている存在。建築作品だけではなく、それを作り上げている石材にも強い関心を抱き、大理石の研究にも着手しました。
「いにしえの大理石」といったような意味の題名を有する論考集。

Hazel Dodge and Bryan Ward-Perkins (eds.),
Marble in Antiquity:
Collected Papers of J. B. Ward-Perkins.

Archaeological Monographs of the British School at Rome, No. 6
(British School at Rome, London, 1992)
xi, 2 colour plates, 180 p.

Contents:
Chapter One Introduction
Chapter Two John Bryan Ward-Perkins: An Appreciation
Chapter Three John Bryan Ward-Perkins: Bibliography of Published Works
Chapter Four Materials, Quarries and Transportation
Chapter Five The Roman System in Operation
Chapter Six The Trade in Sarcophagi
Chapter Seven Taste and Technology: the Baltimore Sarcophagi
Chapter Eight 'Africano' Marble and 'Lapis Sarcophagus'
Chapter Nine Nicomedia and the Marble Trade
Chapter Ten Columna Divi Antonini
Chapter Eleven Dalmatia and the Marble Trade
Chapter Twelve The Trade in Marble Sarcophagi between Greece and Northern Italy
Chapter Thirteen The Imported Sarcophagi of Roman Tyre
Appendix 1 Main Quarries and Decorative Stones of the Roman World
Appendix 2 Bibliography of Marble Studies

大理石は古代ギリシア以降、好んで用いられた石材。純白なものは特に重視されました。この傾向は今でも続いています。大理石は光を透過させる石でもありますから、薄く切ったものは窓に嵌め込み、明かり取りにも用いることができました。瓦が大理石で造られた場合のパルテノン神殿の室内の明るさに関する研究もなされています。
きめが細かくて柔らかい上に粘りがあり、精妙な加工に向いている石材であったことが人気の秘密であったように思われます。透過性も備え、「光を蓄える石」としか表現する方法がない性質を有していた点が「かなめ」。
この石材について、石切場の研究から加工の方法、運搬方法、交易など、およそ思いつかれることは基本的にすべて網羅されているのが良く了解される本。

カラー図版では色とりどりの大理石が紹介されており、巻末では主要な大理石や色つきの他の石材の石切場がまとめて地図とともに例示されています。
大理石研究についての文献リストが重要で、

A General Marble
B Identification and Analysis
C Quarries, Quarrying and Trade
D Shipwrecks and Transport
E Architectural Use of Marble
F Sarcophagi
G Sculptors, Sculpture and Statuary
H Carving and Tools
I Later Use, Spolia and Reuse
J Prices, and Diocletian's Edict of Maximum Prices AD 301
K Other Works Frequently Cited

と細かく分類され、有用。15年前の作成ですけれども、あとはJournal of Roman ArchaeologyのReview articleなどで補うことができます。

2009年2月27日金曜日

Clarke and Engelbach 1930


古代エジプト建築がどのように造られたかを扱う本で、建築家たちによる専門的な考察が含まれます。このように建築構法を考えた書としては、石造に限ったものとしてD. アーノルドの新しい本が現在ではすでに出ていますが、クラークとエンゲルバッハの本の言わば改訂版に相当する一冊。
クラークとエンゲルバッハの本については、複数の安価なレプリント版が広く出回っています。長く読み続けられている、重要な書。

Somers Clarke and R. Engelbach,
Ancient Egyptian Masonry:
The Building Craft
(Oxford University Press, London, 1930)
xvi, 242 p.

Contents:
I. The Earliest Egyptian Masonry
II. Quarrying: Soft Rocks
III. Quarrying: Hard Rocks
IV: Transport Barges
V. Preparations before Building
VI. Foundations
VII. Mortar
VIII. Handling the Blocks
IX. Dressing and Laying the Blocks
X. Pyramid Construction
XI. Pavements and Column Bases
XII. Columns
XIII. Architraves, Roofs, and Provision against Rain
XIV. Doors and Doorways
XV. Windows and Ventilation Openings
XVI. Stairs
XVII. Arches and Relieving Arches
XVIII. Facing, Sculpturing, and Painting the Masonry
XIX. Brickwork
XX. Egyptian Mathematics
Appendices

日乾煉瓦や、あるいは古代エジプトの数学の章も含められており、包括的に扱おうとしている様子がうかがえます。屋根のところでは神殿などで見られる周到な排水計画などについて触れています。ただ、世界最初の石造建築である階段ピラミッドの報告書の刊行は1936年で、そうした成果が充分盛り込まれていません。

29ページでは、アスワーンの未完成のオベリスクの近くで見つかった「労働者別の掘削進行表」が扱われています。これはエンゲルバッハの報告書でお馴染みのもの。3キュービットの計測棒が用いられた可能性も、再びここで記されています。
ただし、註が設けられており、この3キュービットの長さの棒の使用を思いついたのは自分たちではなく「ピートリ卿である」と新しく書き加えられていて、どうして何年も経ってからこういう事実が記されたのか、不思議なところ。

ケンプはさらに近年、3キュービットの棒ではなく、労働者自身の身長に基づいて計測がおこなわれたのではないかと考察しています。70年経って新たな解釈が提示されたわけで、少数の目利きたちによって建築に関する考察がこうしてゆっくりと進み、次第に深められていく様子が分かります。

2009年2月26日木曜日

CoA I-III, 4 Vols. (1923-1951)


「アケナテン(アクエンアテン)の都市 City of Akhenaten」というのはアマルナのことで、ピートリが19世紀末に中枢部を発掘した後、同じイギリス隊によって私人墓の調査がなされました。次にはドイツ隊が住居地域の発掘を始めましたが、第一次世界大戦により中断。
戦争終了後、イギリス隊は再びこの地で本格的な調査を開始します。その成果を纏めたもので、全3巻4冊からなる報告書。専門家は"CoA"としばしば省略して引用をおこないます。この発掘によってアマルナの全貌がほぼ明らかにされました。レプリントも出ていますが、それも入手が難しくなりつつあります。

T. Eric Peet and C. Leonard Woolley,
with chapters by Battiscombe Gunn and P. L. O. Guy,
drawings and plans by F. G. Newton,
The City of Akhenaten, Part I:
Excavations of 1921 and 1922 at El-'Amarneh.
38th Memoir of the Egypt Exploration Society (EES)
(EES, London, 1923)
vii, 176 p., LXIV plates.

H. Frankfort and J. D. S. Pendlebury,
with a chapter by H. W. Fairman,
The City of Akhenaten, Part II:
The North Suburb and the Desert Alters;
The Excavations at Tell El Amarna during the Seasons 1926-1932.
40th Memoir of EES
(EES, London, 1933)
ix, 122 p., LVIII plates.

J. D. S. Pendlebury,
with chapters and contributions by J. Cerny, H. W. Fairman, H. Frankfort, L. Murray Thriepland, Julia Samson,
The City of Akhenaten, Part III:
The Central City and the Official Quarters;
The Excavations at Tell El-Amarna during the Seasons 1926-1927 and 1931-1936.
2 Vols. (Text and Plates)
44th Memoir of EES
(EES, London, 1951)
xix, 261 p. + xii, CXII plates.

アマルナの綴りが第1巻では異なり、また執筆者も違う点に注意。T. E. ピートはこの同じ年にリンド数学パピルスの本を出していますから、相当忙しかったはず。C. L. ウーリーはこの後、エジプトを離れてウルの発掘の指揮に携わります。
調査に関わったJ. D. S. ペンドルベリーもJ. サムソンも、それぞれアマルナに関する一般向けの本を書いていますが、研究書ではまず触れられません。

広大なアマルナで誰がどこを掘って、それはどの報告書の何ページに載っているのか、こうして長い年月を重ねるとともに当然、情報は錯綜してくるわけですが、ケンプらは全体地図を作成し直した際に建物ごとの索引を付しており、きわめて便利。どのような情報が本当に必要とされているかを充分に知った人による本の作り方。

Barry J. Kemp and Salvatore Garfi,
A Survey of the Ancient City of El-'Amarna.
Occasional Publications 9
(EES, London, 1993)
112 p., 9 maps.

多色刷りの地図で、つなぎ合わせるとかなりの大きさとなります。もっとも詳しいアマルナ王都中心部の図面。

2009年2月25日水曜日

Klemm and Klemm 2008 (revised ed. of 1993)


古代エジプトの石切場を扱う唯一の本。ドイツ語で出版されたものが英訳されました。ドイツ語による初版に関し、Journal of Roman Archaeologyの書評論文(review article)で「索引がない」と注文がつけられたりしていた部分は改善されています。

Rosemarie Klemm and Dietrich D. Klemm,
Stones and Quarries in Ancient Egypt
(The British Museum Press, London, 2008.
Originally published as "Steine und Steinbrueche im alten Aegypten", (Springer-Verlag, Berlin, 1993), xv, 465 p.)
xiii, 354 p.

奥さんがエジプト学者で旦那が岩石学者という二人による著書。夫婦あるいは家族でエジプト学を進めている例はいくつか知られており、決して珍しくはありません。
Dieter Arnold、Dorothea Arnold、Felix Arnoldたちの言わば「聖家族」や、初期キリスト教建築研究のGrossmann夫妻(ドイツ人の夫とギリシア人の妻)、かつてのZivie夫妻、また最近ではフランスの双子のエジプト学者(!)、Marc GaboldeとLuc Gaboldeたちの活躍が有名です。

判型が大きくなって見やすくなった点は評価されます。本文には改訂が認められ、入れ替えた図もまた見られます。
アコリスの石切場に関しては、しかし川西宏幸先生と辻村純子先生によって継続されている調査の成果がまったく反映されていません。近隣のザヴィエト・スルタンの未完成巨像についても同様で、惜しまれます。

クレム夫妻はあちこちの石切場を調べて、鑿跡から時代が判定できるという見方をしています。でもこの見解はあまり説得力がなく、D. アーノルドも否定的な見解を述べており、支持する者はきわめて少数です。鑿跡に基づいた年代判定が、まだエジプト全土には通用しないということです。
未完成巨像に関し、「アメンヘテプ3世時代であろう」と記していますけれども、デモティックによる書きつけが多数発見されていて、これがプトレマイオス朝まで降るのは確かであると思われます。「新王国時代の鑿跡が見られる」とクレムたちは報告しており、彼らの判断基準はここでも疑わしい。

シーディ・ムーサの石切場についての記述も興味深い。石切場の天井に残るいくつもの数字について、「掘り出された石材の大きさであろう」と見解が述べられていますが、おそらくこの見方は誤りで、岩盤が掘削された量の記録と見た方が合理的です。シーディ・ムーサでは4つの数字が並んでおり、これが何を意味するか、また王朝時代の石切りの方法とどのような関連があるか、これからの詳しい考察が必要。

エジプトにおける石切場調査に関しては、アメリカの岩石学者J. ハーレルがいて、彼の意見が待たれます。特にアマルナ近辺の石切場に関する最終報告が楽しみ。
石切場の調査が本格的に開始されたのは最近で、調査者の目的も決して同じではなく、それらがどうエジプト学の蓄積に結びついていくかはこれからの問題です。

作業工程をつぶさに追うことはもはや、些末的な作業に属します。労働者集団の組織の問題や、さらには掘削に関わるもうひとつの謎の単位、「ネビィ nbj」とどう関わるかが重要です。
「ネビィ」については、長さの単位であるかどうかさえも今なお、はっきりしていません。新しい包括的な見方が望まれており、そこが楽しみなところ。

2009年2月24日火曜日

Petrie 1894


エジプトのアマルナ王宮に関する最初の発掘報告書で、最重要となる本。都市の中枢部が掘られ、王宮の大列柱室から見事な床面の彩色画が発見されました。現在、カイロのエジプト考古学博物館の一階の中央吹抜けホールに展示されているのがこれです。
もっとも、すごく大きな家型のガラスケースに覆われていて見にくく、また彩色画は復原して加筆がなされているために、新たに描き起こした部分だけを見て帰る人が多いのが残念。
もちろん色の鮮やかなところは、現代の職人が真似して描いた部分です。退色し、モティーフが良く分からなくなっている部分こそが3400年前の床絵。

W. M. Flinders Petrie,
Tell el Amarna
(Methuen & Co., London, 1894)
iv, 46 p., XLII plates.

アマルナ王宮が発掘された経緯は劇的です。通常、日乾煉瓦造の建物が折り重なる都市遺構は発掘調査が大変なので敬遠されがちだったのですが、ここから楔形文書の記されたタブレット(粘土板)が見つかって、急遽、イギリスの調査隊が編成されました。
きっかけは、或る農婦が田畑の肥料となる泥煉瓦を探すために遺跡を掘り返したこと。大英博物館のW. バッジのところへ、「こんなものが見つかったけど、買ってくれないか」とこのタブレットが持ち込まれました。アッカド語が読めた彼は資料の重要性にすぐさま気づいて、どこからこれが掘り出されたかを教えろと問い正します。
古代の外交文書として高名な「アマルナ文書」が、こうして世に知られることとなりました。

「アマルナ文書」の訳業に一生を賭したのはW. L. モランで、英訳も出ています。国家間の「よろしくお付き合いのほどを」という豪華な贈り物のリスト、「隣国からいじめられていて、もう大変です」という泣きの手紙、「王さまの歯が痛いんだけれども」という相談などが記されており、たいへん貴重。

William L. Moran (edited and translated),
The Amarna Letters
(The John Hopkins University Press, Baltimore, 1992.
Originally published as "Les Lettres d'El-Amarna",
Editions du Cerf, 1987)
xlvii, 393 p.

和訳は飯島紀先生の「古代の歴史ロマン11、エジプト・アマルナ王朝手紙集 :王への手紙 王からの手紙」(国際語学社、2007年)も出ているけれども、数十通の抄訳となるのが惜しい。
アマルナ王宮の華麗な壁画は、最初の発掘報告の35年後に大判の画集として出版されています。植物が繁茂し、鳥たちが飛び交う場面をあらわしている通称「グリーン・ルーム」の壁画は特に有名。

H. Frankfort ed.,
with contributions by N. de Garis Davies, H. Frankfort, S. R. K. Glanville, T. Whittemore;
Plates in colour by the late Francis G. Newton, Nina de G. Davies, N. de Garis Davies,
The Mural Paintings of El-'Amarneh.
F. G. Newton Memorial Volume
(The Egypt Exploration Society (EES), London, 1929)
xi, 74 p., XXI plates.

この「グリーン・ルーム」の壁面には小さな矩形の窪みがいくつも設けられており、鳥を飼うための巣箱を意図したものではないかとも言われていますが、詳細は不明です。ケンプはある程度、その可能性を認めています。

Kemp and Weatherhead 2000

の文献における、最後のディスカッションの項を参照のこと。

2009年2月23日月曜日

Kemp (ed.) 1995


11年間に渡って刊行され続けたアマルナ・レポートの厚い第6冊目。最近の発掘調査の成果を収めていますが、これ以降、アマルナ・レポートはしばらく刊行されていない模様。近年、成果はむしろモノグラフで出版されています。
もっとも、「次号のアマルナ・レポートで発表する予定」と158ページには記されており、続巻が期待されるところです。

Barry J. Kemp (ed.),
with contributions by A. Bomann, A. D. Boyce, J. A. Charles, B. J. Kemp, M. D. S. Mallinson, I. J. Mathieson, P. T. Nicholson, C. Powell, P. J. Rose, D. J. Samuel, and F. J. Weatherhead,
Amarna Reports VI.
Occasional Publications 10
(The Egypt Exploration Society (EES), London, 1995)
vii, 462 p.

以下に示す通り、最初はこのシリーズ、年報として出すことが目論まれたのではないかと思われるのですが、第5巻と第6巻との間には6年の開きがあります。そのためか、この号ではページが倍増しており、また読み応えもある一冊。

Barry J. Kemp (ed.),
Amarna Reports I.
Occasional Publications 1 (EES, London, 1984)
viii, 211 p.

Amarna Reports II.
Occasional Publications 2 (EES, London, 1985)
ix, 204 p.

Amarna Reports III.
Occasional Publications 4 (EES, London, 1986)
xii, 212 p.

Amarna Reports IV.
Occasional Publications 5 (EES, London, 1987)
vii, 167 p.

Amarna Reports V.
Occasional Publications 6 (EES, London, 1989)
viii, 290 p.

22ページではアマルナ型住居の部屋の大きさに小キュービット(=45cm)の完数が用いられた可能性が指摘されています。四角い外形が定められてから、内側に向かって部屋の寸法が測り取られて行ったという推測は重要で、検討する価値があります。つまり、最も重要と思われる中央列柱室の矩形の寸法は余った長さとなるわけで、興味深い計画方法。住居内の堆積物の量から2階の存在を探る考察もケンプらしい。

210~215ページにわたる図版はきわめて重要で、アマルナの中心部における建造過程と都市の軸線の設定のやり直しが図化されています。カルナック神殿の平面図を裏返しにしてアマルナ王宮の図と重ねて見せるという離れ業もこの中に含まれます。

正誤表が一枚、差し挟まれていますけれども、アマルナから見つかった種子の植物学的な同定に関する表の訂正で、比較の中には「アニス」「セロリ」「フェンネル」「クミン」「パセリ」「ディル」といった名前が並びます。結局、インドに由来する「アジョワン」であろうと判断されており、おそらくは香辛料あるいは薬用として古代から用いられていたのではないかと推察されているのがとても面白い。

2009年2月22日日曜日

Kemp and Weatherhead 2000


アマルナの壁画について,発掘調査隊長と彩色画復原の担当者が最新成果を述べた論文。テラ島(サントリーニ島)の壁画に関する国際シンポジウムにて発表されました。

Barry Kemp and Fran Weatherhead,
"Palace Decoration at Tell el-Amarna",
in S. Sherratt ed.,
The Wall Paintings of Thera:
Proceedings of the First International Symposium
.
Petros Nomikos Conference Centre, Thera, Hellas,
30 August - 4 September 1997, 2 vols.
Vol. I (Athens, 2000), pp. 491-523.

シンポジウムの報告書は全体が1000ページを超える分量で,これを2巻に分け、加えてカラー図版集が別の薄い冊子として付きます。函入りで,厚さが8cmもあります。

シンポジウム自体はエジプトとクノッソス、そしてテラにおける壁画の関連性を討論し、当時の地中海の交易状況、また文化が伝播する様子を明らかにしようという学際的な試みで、J. ショーN. マリナトスなど,ミノア文化研究の第一線で活躍する学者たちが多数参加。
エジプト学の側からは、もちろんM. ビータックもテル・エル=ダバァの彩画片を報告しています。

M. Bietak,
"Minoan Paintings in Avaris, Egypt",
ditto, pp. 33-42.

M. Bietak, N. Marinatos and C. Palyvou,
"The Maze Tableau from Tell el Dab'a",
ditto, pp. 77-90.

F. WeatherheadによるAmarna Palace Paintings (London, 2007)では,アマルナの住居から出土した彩画片についてはほとんど触れていませんでしたが、ここでは王宮との比較も少しだけ述べるなど、アマルナにおける彩画装飾の全貌を知るには欠かせない文献。
マルカタ王宮との相違点も述べられていて、見逃せません。アマルナの王都が廃棄された後に、かなりの人為的な破壊を被ったはずなのですが、数少ない資料を駆使しつつ、全体像を描き出そうとしています。古代エジプトにおける王宮の建築装飾を語る上で、必見の論考となります。

アマルナ王宮の中枢を占める遺構を立体的に描き出している図を新たに作成して挿入しており、これも見事です。分かりやすい工夫を常に心がけている人の発表で、建築の表現には見習うべき点が多々あります。ハッチングを重ね、陰影を巧みに施してモノクロによる立体感を高める方法がとられています。人物像を配してスケール感を出しているのもうまい。

発表の後にディスカッションもおこなわれており、ここで通称「グリーン・ルーム」の壁面に設けられている小さなアルコーヴをどう捉えるか、ケンプの見解が記されていますからとても重要。鳥が本当にここで飼われていたかという可能性について、まったくの否定はしていません。

この論文の和文抄訳を読みたいという向きには、「史標」にて以下の訳が発表されています。

佐藤桂,
「B. ケンプ/F. ウェザーヘッド『テル・エル=アマルナの王宮装飾』」、
史標47(2002)、pp. 5-20.

ただし適当に原文を端折っている部分が見られますので、原文に当たることを強くお勧めします。上述の通り、後続のディスカッションも重要なのですが、この和訳にはまったく含まれていません。

2009年2月21日土曜日

Schijns 2008


ダクラ・オアシスの煉瓦造建築を扱った本で、ダクラ・オアシス・プロジェクトにおける第10巻目の報告書。かなり前から刊行の予告が出ていた書で、ようやく出版の運びとなったようです。

Wolf Schijns,
with contributions from Olaf Kaper and Joris Kila,
Vernacular Mud Brick Architecture in the Dakhleh Oasis, Egypt, and the Design of the Dakhleh Oasis Training and Archaeological Conservation Centre.
Dakhleh Oasis Project: Monograph 10
(Oxbow Books, Oxford, 2008)
vii, 56 p.

Contents:
Chapter I: Introduction to the Project
Chapter II: Geographical and Historical Background
Chapter III: Description of the Mud Brick Architecture
of Dakhleh
Chapter IV: Case Studies of Houses
Chapter V: The D.O.T.A.C.P. Centre

日乾煉瓦の建物を主題とする本は、実はあんまり見ることができません。その意味でこの本は期待されていたのですが、案外と薄いペーパーバックの冊子で、残念でした。

序文には「1997年における踏査(field trip)に基づく報告」とありますけれども、全部で60ページ程度の報告がどうして出版に11年もかかったのか、謎です。写真図版も1997年に撮影されたものであるらしく、本のほぼ半分は図版等で用いられていますから、文章の分量は30ページほど。

特に第4章のケース・スタディでは3軒の家が紹介されていますが、ほとんどが図版と写真で、文章による説明があまりなされていません。2番目の"House 2 in Bashendi"に至っては、文章が11行だけです。

古代の泥煉瓦(日乾煉瓦)についてはスペンサーがカタログを作成し、ケンプが比較的長めの解説を書いたりしています。ラメセウム(ラメセス2世葬祭殿)の穀物倉庫に関しては、かなり詳細な煉瓦の積み方などを記した報告書が出ており、重要。「古代エジプト建築のヴォールト」と題する2巻本も参考になります。

Salah el-Naggar,
Les voutes dans l'architecture de l'Egypte ancienne,
2 vols.
Bibliotheque d'Etude (BdE) 128
(Institut Francais d'Archeologie Orientale (IFAO),
Le Caire, 1999)
ii, 466 p. + ii, 333 p.

煉瓦についてはしかし、まだ触れられていない点がいくつかあって、例えば煉瓦の表と裏が判別できることなど、まだ誰も書いていないように思われます。平滑で中央が凹みがちで、時折指跡やスタンプが残っているのが表面で、小石や砂、また土器片などが張り付き、比較的荒くて縁が張り出しているのが裏面です。
煉瓦の表と裏を識別することにどのような意味があるかと反問する向きもあるでしょうが、裏面では縁が突出するため、煉瓦を計測する時には大きめの値が導き出されてしまいます。泥煉瓦の大きさをもとに建物を比較して調べる際には、注意が必要。

2009年2月20日金曜日

Kemp and Vogelsang-Eastwood 2001


アマルナ王宮都市の外れ、砂漠の方へ入ったところにある労働者集合住居からは、布の断片などが多数見つかりました。約5000点にのぼるというそれらを対象とした分厚い研究報告書。この時代の衣服、また布の織り方を復原しています。

Barry J. Kemp and Gillian Vogelsang-Eastwood,
assisted by Andrew Boyce, Herbert G. Farbrother, Gwilym Owen and Pamela Rose,
The Ancient Textile Industry at Amarna.
68th Excavation Memoir
(Egypt Exploration Society, London, 2001)
(iv), 498 p.

この時代の衣服を探ると言うことになると、情報が限られます。建築家カーの墓などからまとまった量の衣服が箱に収められて見つかってはいるものの、壁画に描かれた絵画資料との対照が必要。
また文字資料にも記載されることがあって、特にヤンセンの大著、Commodity Prices from the Ramessid Period (Leiden, 1975)により、衣服の値段が判っています。
ヤンセンの衣服に関する新たな論考は昨年出版されたばかり。ただし、これは語彙を探った論考で図版はまったく掲載されていません。

Jac. J. Janssen,
Daily Dress at Deir el-Medina:
Words for Clothing
.
Golden House Publications Egyptology 8
(Golden House Publications, London, 2008)
vi, 112p.

さて、本書の著者の一人は古代エジプトの衣服の専門家で、

G. M. Vogelsang-Eastwood,
Pharaonic Egyptian Clothing.
Studies in Textile and Costume History 2
(Leiden, 1993)
220 p.

などを出している人。古代エジプトの衣服については現在、この人の本がほとんど唯一の詳しい書となります。
他にも厚い本、Riding Costume in Egypt (Leiden, 2003)など。

全体はふたつに分かれており、前半は労働者集合住居から出土した布片に関する報告、後半はアマルナにおける布の手工業生産を分析しています。
丸い布片がいくつか出土しているらしいのですが、これは長方形の布地の中央に首を通すために切り抜かれた丸穴に対応する布片と考えられており、一枚の布地から作られた簡単な衣服の展開図も紹介されています。

実際に紡績車や木製の機織り機の小さな断片なども出土しており、これらをもとにして機織り機そのものを復原することもおこなっているのが後半の特徴。しかしながら、この本を単なる技術報告に終わらせていないところが注目され、メディネット・グローブとの比較もなされていて、非常に層の厚い論考が提示されています。
第11章「アマルナにおけるテキスタイル・インダストリー」は全部、ケンプの執筆によるもの。分かりやすい図解もケンプによっています。複雑な機構の図示といったことが得意な人なのだと言うことが良く了解されます。

2009年2月19日木曜日

MMJ 42 (2007)


ニューヨークのメトロポリタン美術館が刊行している学術雑誌(ISSN 0077-8958)で、年一回発行。美術館の会員向けに年4回、配布されるThe Metropolitan Museum of Art Bulletin(ISSN 0026-1521)とは異なります。
この美術館も多くの部門を擁しており、ここに属するスタッフたちの研究成果などが掲載されるため、内容はきわめて多様です。

Metropolitan Museum Journal (MMJ), Vol. 42
(The Metropolitan Museum of Art, New York, 2007)
184 p.

11本の論考を掲載し、主題の時代順に並べています。
一番最後に載っているのが、ハリー・バートンの写真家としての仕事を紹介している論文。デル・エル=バハリ(ディール・アル=バフリー)における発掘調査の様子を伝える写真が、同じくこの美術館に専属する写真家である筆者によって分析されています。

Bruce Schwarz,
"Harry Burton's Photographs of the Metropolitan's Excavations at Deir el-Bahri",
pp. 173-183.

バートンはツタンカーメンの王墓の発掘風景や遺物の写真を撮影したことで有名。発見によってとたんに忙しくなったハワード・カーターは急遽、助言に従ってアメリカ隊に救援を依頼し、撮影に関してはバートンが出向くことになりました。
ツタンカーメンの墓から発見された遺物の数々や発掘の模様を撮影した膨大な量の写真は、現在はイギリスのグリフィス研究所に収蔵されており、ネットにて通覧できる他、研究用や出版用に写真を有料で取り寄せることもできます。一日では全部を見ることができない量で、他にはハワード・カーターの残した野帳のコピーも公開されていて有用。J. マレク(cf. Málek 1986、またPorter & Moss)による壮大で重要なプロジェクト。

Griffith Institute, 
Tutankhamun: Anatomy of an Excavation
http://www.griffith.ox.ac.uk/tutankhamundiscovery.html

一見、さりげなく写されたかのように見えるバートン自身の作業風景も、計算尽くで撮影されたに違いないと述べられています。

"The cliffs at the upper left give the scene its grandeur. Hatshepsut's temple is visible in the background, but hardly the main interest, while the foreground is out of focus and unimportant. Except for the sphinx at the right, the horizontal row of statuary fragments is undistinguished. This image was made first thing in the morning, when the site was quiet and the air free from dust. In this harsh light, only the white shirts of the two figures glow." (p. 182)

プロの写真家が写真をどのように見ているかがここには書いてあって面白い。一枚の写真の中に写されているさまざまな対象物に序列をつけていくさまが看取され、「真っ白なシャツが輝く人物像」という言い方で視線を引き寄せる対象を指摘しています。

同じように、絵画をどのように見るかを示す論文が以下の論文。ターナーとカナレットとを対照的に扱った論考で、ヴェネツィアの風景を複数描いているふたりの画家の絵を対比させ、描写されている内容が異なっている点を論じています。

Katharine Baetjer,
"'Canaletti Painting': On Turner, Canaletto, and Venice",
pp. 163-172.

ターナーはヴェネツィアの人々にも旅行者たちにも関心がなかったし、建物の細部についてもどうでも良かった、という下りは興味を惹きます。「カナレットは水平に拡がるヴェネツィアの街を描くが、一方でターナーのそれは垂直にある」というような言い方をしており、対極的な扱いが見どころ。

2009年2月18日水曜日

Hoepfner und Schwandner 1994


ギリシア世界における街並みを問う研究書。註の数は700近くに及び、考古学者、文献学者、建築史学者たちが共同して研究を纏めた3巻本のシリーズの最初の本。
300点以上の図版を収めますが、多色刷りを用いて家屋を立体的に描写しており、分かりやすい都市の復原図が並びます。街路の幅や区画の大きさなどを当時の尺度に換算して遺構値を求め、最後の章では比較もおこなっています。
街を縦横に走る道で碁盤目のように覆う都市計画の方法は古代ギリシアに始まりますが、これを包括的に扱ったドイツ考古学研究所刊行の書。1985年が初版で、改訂がなされました。

Wolfram Hoepfner und Ernst-Ludwig Schwandner,
unter Mitarbeit von Sotiris Dakaris et al.,
mit Beitraegen von Joachim Boessneck et al.,
Haus und Stadt im klassischen Griechenland.
Wohnen in der klassischen Polis, Band I.
Deutsches Archaeologisches Institut Architekturreferat,
fuer Zusammenarbeit mit dem Seminar fuer Klassische Archaeologie der Freien Universitaet Berlin
(Deutscher Kunstverlag, Muenchen, 1994.
Zweite, stark ueberarbeitete Auflage)
xx, 356 p.

Inhalt:
I. Kolonien - Streifenstaedte
II. Fruehe demokratische Staedte
III. Hippodamos und das neue Bauten mit Typenhaeusern
IV. Olynth. Eine hochklassische Streifenstadt und ihr Wandel im 4. Jh. v.Chr.
V. Kassope. Bericht ueber die Ausgrabungen einer spaetklassischen Streifenstadt in Nordwestgriechenland
VI. Abdera. Eine hippodamische Stadt in Thrakien
VII. Priene. Eine hippodamische Stadtanlage als Gasamtkunstwerk
VIII. Halikarnassos. Die Hauptstadt des Maussollos
IX. Alexandria. Bebinn einer neuen Aera
X. Dura Europos. Griechen in Mesopotamien
XI. Delos. Die hellenistische Neustadt der Athener (166 bis 69 v.Chr.)
XII. Zusammenfassungen und Ergebnisse

家屋の模型まで作って見せたり、あるいは各都市の姿を1/10,000の図面で示すなど、各所に工夫が見られます。続巻は以下の通り。

Wolfgang Schuller, Wolfram Hoepfner, und E.-L. Schwandner,
Demokratie und Architektur: Der hippodamische Staedtebau und die Entstehung der Demokratie
Konstanzer Symposium vom 17. bis 19.7.1987.
Wohnen in der klassischen Polis, Band II
(1989)

Maureen Carroll-Spillecke,
KHPOS: Der antike griechische Garten.
Wohnen in der klassischen Polis, Band III
(1989)

2009年2月17日火曜日

Dominicus 2004


スイス隊によるテーベのメルエンプタハ王の葬祭殿に関する建築調査報告書のうち、第2巻目。壁画レリーフ片の集成で、葬祭殿の部屋ごと、場所ごとに報告をおこなっています。扱っているのは2000点ほどの断片。石造神殿のレリーフ片で大型片が多いため、1/10や1/20という縮尺の図面を駆使している労作です。
140枚の図版のうち、線描画が90枚、モノクロ写真が45枚、またカラー写真が5枚という構成。この他に本文中には59点の説明図が入ります。

Brigitte Dominicus,
mit einem Beitrag von Horst Jaritz,
Die Dekoration und Ausstattung des Tempels.
Untersuchungen im Totentempel des Merenptah in Theben, Band II.
Beitraege zur Aegyptischen Bauforschung und Altertumskunde (BeitraegeBf), Band 15
(Schweizerisches Institut fuer Aegyptische Bauforschung und Altertumskunde Kairo, Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 2004)
173 p., 140 Tafeln.

メルエンプタハの葬祭殿は規模が比較的小さい一方で、新王国時代の典型的な形式を良くとどめている上に、アメンヘテプ3世の葬祭殿から石材を流用して建てたことで知られている遺構。このアメンヘテプ3世の葬祭殿というのがとんでもない幻の建物で、現在はほとんど跡形もなく消え失せていますが、古代エジプトでも最大規模を誇っていた宗教建築でした。もし現存するならば、規模としてはカルナックのアメン大神殿を上回ります。
今日、塔門の前にあった王の座像が残っており、メムノンの巨像として有名。ナイル川が増水した時には周囲が水浸しになるように意図的に計画された葬祭殿としても知られており、見渡す限りの水面に現れ出る「原初の丘」を現世に再現しようとした建物であったことが推定されます。

かつてのアメンヘテプ3世葬祭殿については、同じスイス隊が調査をおこなっており、報告書はすでに

Gerhard Haeny,
mit Beitraegen von Herbert Ricke und Labib Habachi,
Untersuchungen im Totentempel Amenophis' III.
Beitraege zur Aegyptischen Bauforschung und Altertumskunde (BeitraegeBf), Heft 11
(Franz Steiner, Wiesbaden, 1981)
xxv, 122 p., 42 Tafeln, 5 Falttafeln.

として刊行されています。メルエンプタハの葬祭殿の報告書の第1巻目も

Susanne Bickel,
mit Beitraegen von Horst Jaritz, Uwe Minuth, Raphael A. J. Wuest,
Tore und andere wiederverwendete Bauteile Amenophis' III.
Untersuchungen im Totentempel des Merenptah in Theben, Band III.
Beitraege zur Aegyptischen Bauforschung und Altertumskunde (BeitraegeBf), Band 16
(Schweizerisches Institut fuer Aegyptische Bauforschung und Altertumskunde Kairo, Franz Steiner, Stuttgart, 1997)
175 p., 95 Tafeln.

として既刊。Band IIIが先に出版されました。建築分析を記すBand Iの出版が遅れるのは良くある話。
神話の世界をこの世に実現させたアメンヘテプ3世の夢を追究する、長年にわたる試みの一環です。Astonによる土器に関する厚い報告Band IVも2008年に出ています。全7巻と予告されたこのシリーズも、若干構成が変えられた模様。
個人的にはここから出たヒエラティック・インスクリプションの内容が早く知りたいところです。

2009年2月16日月曜日

Phillips (ed.) 1997 [Festschrift M. R. Bell]


献呈論文集。ヴァン・シクレン出版社、実はエジプト学者がやっている出版社です。2巻本で、新王国時代に関する論考が集中しています。

Jacke Phillips,
with Lanny Bell, Bruce B. William,
and James Hoch and Ronald J. Leprohon (eds.),
Ancient Egypt, the Aegean, and the Near East:
Studies in Honour of Martha Rhoads Bell
.
2 vols.
(Van Siclen Books, San Antonio, 1997)
xi, pp. 1-248 + vii, pp. 249-506.

自動車事故によって突然亡くなったエーゲ文明の専門家を悼む書。故人が土器、特にミケーネに属する土器を扱っていた研究者であったために、

Janine Bourriau and Kathryn Erikson,
"A Late Minoan Sherd from an Early 18th Dynasty Context at Kom Rabi'a, Memphis"
(pp. 95-120)

Vronwy Hankey,
"Aegean Pottery at El-Amarna: Shapes and Decorative Motifs"
(pp. 193-218)

Colin Hope,
"Some Memphite Blue-painted Pottery of the Mid-18th Dynasty"
(pp. 249-286)

Christine Lilyquist,
"A Foreign Vase Representation from a New Theban Tomb (The Chapel for MMA 5A P2)"
(pp. 307-343)

といった土器分析関連の論考が並んでいるのが特徴。以上に挙げた中で上から3番目まではよく知られているトップクラスの土器の専門家たちです。
古代エジプトの土器については専門誌、

Cahiers de la Ceramique Egyptienne
(Institut Francais de l'Archeologie Orientale (IFAO), Cairo, 1987-)

が刊行されており、当該分野に興味を持っている者にとっては最重要の刊行物。

この献呈論文集はしかし、建築に関係する人間にとっても必須の本で、

Peter Lacovara,
"Gurob and the New Kingdom 'Harim' Palace"
(pp. 297-306)

David O'Connor,
"The Elite Houses of Kahun"
(pp. 389-400)

などが寄せられています。家具を扱う

Marianne Eaton-Krauss,
"Three Stools from the Tomb of Sennedjem, TT 1"
(pp. 179-192)

あるいは、

Stephen Quirke and Lesley Fitton,
"An Aegean Origin for Egyptian Spirals?"
(pp. 421-444)

なども重要。
最後の論文に関してはふたりの執筆者名が目次で誤記されており、引用に際しては注意が必要です。

2009年2月15日日曜日

BACE 18 (2007)


BACE
の18号についても記しておきます。
8本の論文が掲載されています。

The Bulletin of the Australian Centre for Egyptology (BACE), Vol. 18 (2007)
159 p.

Contents:

Editorial Foreword
(pp. 5-6)

Magdy el Badry,
"Tombs of the Late Old Kingdom: West of the White Monastery (Sohag)"
(pp. 7-20)

Gillian E. Bowen, Wendy Dolling, Colin A. Hope, Paul Kucera,
"Brief Report on the 2007 Excavations at Ismant el-Kharab"
(pp. 21-52)

Jacobus van Dijk,
"A Late Middle Kingdom Parallel for the Incipit of Book of the Dead Chapter 22"
(pp. 53-58)

Linda Evans, "The Curious Case of the 'Mummified Pigeon'"
(pp. 59-64)

Beatrix Gessler-Loehr,
"Pre-Amarna Tomb Chapels in the Teti Cemetery North at Saqqara"
(Revised and updated version of "Grabkapellen der Vor-Amarnazeit im Bereich des Teti-Nordfriedhofs in Saqqara", presented in Cairo in 2000; Eighth International Congress of Egyptologies, Cairo, Abstracts of Papers, pp. 71-72)
(pp. 65-108)

Eve Guerry,
"Controlling Human Suffering: Terminology of Divine Mercy in Ancient Egypt and Ancient Israel"
(pp. 109-123)

Mahmoud El-Khadragy,
"Fishing, Fowling and Animal-handling in the Tomb of Djefaihapi I at Asyut"
(pp. 125-144)

Lesley J. Kinney,
"Dancing on a Time Line: Visually Communicating the Passage of Time in Ancient Egyptian Wall Art"
(pp. 145-159)

Beatrix Gessler-Loehrの論文は、新王国時代のトゥーム・チャペル(平地に立つ神殿型貴族墓)を調べる上で見ておくべきものかもしれません。

Lesley J. Kinneyの論文が個人的にはすごく面白いと思いました。
壁画において、動き、あるいは時間の経過を含めて説明する表現についての論文です。説話を壁画で長々と表現することは、東南アジアのボロブドゥールやアンコール・ワット、バイヨンなどのレリーフで典型的に知られていますけれども、時間と空間との錯綜から成り立っているこの複雑な内容を、2次元の世界である絵画によって、古代エジプトではどのように表現しているかを示しています。
以下、当該論文の冒頭と、最後の結論のみを書き記しておきます。

(Introduction) (p. 145)
"Communicating the passage of time and the sequence in which events unfold is an important consideration when representing complex visual narratives such as those attempted by ancient Egyptian artists. The emphasis in this paper is the investigation of notions of sequential time as represented in the wall art of the ancient Egyptians and the examination of the visual tools employed to create a sense of temporal sequence and consequentially a sense of the passage of time in the wall scenes."

Concluding Remarks (p. 156)
"The ability of Egyptian artists to convey the concept of time in the iconography, independently of text, enabled this abstract notion to be perceived even by illiterate audiences. Many of the conventions used to represent the passage of time, which are taken for granted by both artists and viewers today, were the invention and innovation of the ancient artists. Such was their sophistication and ingenuity, there does not appear to be one mechanism for the visual communication of the passage of time that was not already known to or invented by the ancient Egyptians."

2009年2月14日土曜日

BACE 19 (2008)


オーストラリアにおけるエジプト学の研究機関が年に一回出す紀要です。昨日届きました。A5版という小さな判型の若い雑誌。日本で所蔵している箇所は比較的少ないと思われますので、全目次とともに紹介。
The Australian Centre for Egyptologyのサイトは

http://www.egyptology.mq.edu.au


で、ここからは"The Rundle Foundation for Egyptian Archaeology Newsletter"も発行されています。

The Bulletin of the Australian Centre for Egyptology (BACE), Vol. 19 (2008)
144 p.

Contents:
Editorial Foreword p. 5
The Church of Deir Abu Metta and a Christian Cemetery in Dakhleh Oasis:
a Brief Report (Gillian E. Bowen) p. 7
Guaranteeing the 'Pac Aegyptiaca'?: Re-assessing the Role of Elite Offspring a Wards and Hostages within the New Kingdom Egyptian Empire in the Levant (Paul J. Cowie) p. 17
Matalworking at Amarna: a Preliminary Report (Mark Eccleston) p. 29
The Excavations at Mut el-Kharab, Dakhleh Oasis in 2008 (C. A. Hope, G. E. Bowen, W. Dolling, E. Healey, O. E. Kaper, J. Milner) p. 49
The Use of Stone in Early Dynastic Egyptian Construction (Angela La Loggia) p. 73
Ceramics at Mut el-Kharab, Dakhleh Oasis: Evidence of a New Kingdom Temple (Richard J. Long) p. 95
The Naos of King Darius I (Heba Mahran) p. 111
New Tombs at el-Mo'alla and the Family of 'Ankhtify' (Yahia el-Masry) p. 119
Theban Tomb 147: its Owner and Erasures Revisited (Boyo G. Ockinga) p. 139

ここ数年、ページ数は一定しており、順調に運営がなされていることがうかがえます。
ダクラ・オアシスに関する研究発表が多いのは、オーストラリアのモナシュ大学にいるC. ホープがここの調査を手がけているためです。発表者をどのように振り分けているかを見るのも面白いところ。

アマルナにおける金属精製の話が掲載されており、これはおそらく速報で、本格的な報告が別に予告されています。ケンプと著者がファイアンスを試作する写真も載っていて面白い。

同じくらい長い論文が「初期王朝のエジプトの建造における石材の使用」で、この論考は最後に該当する遺構の総リストを提示していますから、ピラミッド時代以前における古代エジプトの初期の石造建築を知ろうとする者にとってはたいへん有益な資料となります。修士課程の最後に課された研究をもとにしているらしく、チェックリストとして有用。

2009年2月13日金曜日

Roehrig 1995


テーベにある「王家の谷」の墓の入口に木製の扉が備えつけられるようになった経緯を辿る、画期的な研究。
ツタンカーメンの墓のように、第18王朝では王の墓の入口は塞がれて隠されるのですが、やがて墓室内の装飾が墓内の玄室と付近の諸室だけではなく、入口のすぐ奥にある通廊の壁面や天井にまで及ぶようになり、これと並行して第19王朝では入口に木の扉が設けられることとなります。
どれもこれも似た印象のエジプトの諸王の墓も、丁寧に見ていくと少しずつ改変や工夫が重ねられていることが知られるという好例で、きわめて面白い展開を呈する論考。

本書は国際シンポジウムの報告で、日本からは近藤二郎先生が参加し、アメンヘテプ3世の墓に関して発表がおこなわれています。
C. H. レーリグの書いたものは、所収されているものの中では最も長い論文。図版を多数用い、分かりやすく述べられています。
題名の付け方も面白い。「地下世界への門」という、人を惹きつける謎めいたタイトルです。

Catharine H. Roehrig,
"Gates to the Underworld:
The Appearance of Wooden Doors in the Royal Tombs in the Valley of the Kings,"

in Richard H. Wilkinson (ed.),
Valley of the Sun Kings:
New Explorations in the Tombs of the Pharaohs.
Papers from The University of Arizona International Conference on the Valley of the Kings
(The University of Arizona Egyptian Expedition, Tucson, 1995),
pp. 82-107.

通常、王家の谷の墓を全部、時代順に見て廻るということはなかなかできませんし、また現在では新たに設置された保護のための床板や鉄扉枠などが邪魔して、入口の細部を観察することも困難な場合があります。そのため、彼女も「これは仮の報告だから」と断っていますけれども、しっかりとした構成を示した研究で、特にセティ1世、ラメセス2世、そしてメルエンプタハの3つの墓の入口の扉を並べて見せている図が非常に印象的。

訪れたことのある方だったらすぐにお分かりの通り、王家の谷の墓では、入口を入るとすぐに斜めに降る通廊が地下へと続きます。この入口に内開きの扉をつけることにしたら、天井も斜めに下がっているために、扉板を内側に向かって開こうとすると、天井にぶつかってしまいます。セティ1世の墓の入口はこの理由で低い扉をつけ、上部は板で覆う方法をとっていたようです。

これを改善したのがラメセス2世の墓で、入口のすぐ内側の天井部分を、扉が開けられるだけ、削り取りました。これで扉を開くことが可能となります。ただ、入口を入ってすぐの部分の両脇の壁画は、扉が開いた状態では扉板によって隠されて見えなくなってしまう欠点が生じてしまいます。

この欠点をさらにメルエンプタハの墓では工夫して改め、扉板が内側に開いた場合に隠されてしまう部分を空白として残しました。壁画は扉板の幅を持つ余白部分を入口のすぐ奥に挟み、その次から始められるわけで、こうした改変につぐ改変の痕跡が、古代エジプト人たちの建築の作り方を示唆していて鮮やか。

一歩一歩少しずつ、新たに改良を加えるという建造方法がここでも確認され、3000年の建築活動の営為について再考する必要を感じさせる内容です。実際に造ってみなければ不具合が判らないという、建築設計行為の根幹にも触れている論考。

2009年2月12日木曜日

Fischer 1996


文献学者による「エジプト論考」の3冊目。古代エジプトの家具についてもっとも詳しかったひとりでしたが、惜しくも亡くなりました。
Night and Light and the Half-light (Blacksburg, 1999)と題する80ページほどの詩集も晩年に出している才人です。

Henry George Fischer,
Varia Nova.
Egyptian Studies III
(The Metropolitan Museum of Art, New York, 1996)
xxxiii, 264 p.

「エジプト論考」の第1冊目は、ちょうどこの本より20年前に出されており、また2冊目は翌年にパート1が刊行されました。この2冊目はヒエログリフがどのような場合に向きが逆転するのかを記しており、非常に面白い研究で、続巻がとうとう出されなかったことが惜しまれます。
南から北へと流れるナイル川を唯一の川とみなしていたエジプト人が、外国へ遠征して北から南へと反対に流れる川に出会った時、船の文字を逆転させた表現をとるなど、興味深い話を展開させています。

Henry George Fischer,
Varia.
Egyptian Studies I
(The Metropolitan Museum of Art, New York, 1976)
xvi, 126 p.

Henry George Fischer,
The Orientation of Hieroglyphs, Part I: Reversals.
Egyptian Studies II
(The Metropolitan Museum of Art, New York, 1977)
xxiii, 147 p.

3冊目のこの書では、"Egyptian Doors, Inside and Out"(pp. 91-102)が印象的。古代エジプトの扉は外側から見るならば内開きで、表と裏があり、もちろん平滑な面が表面で、横桟を打ち付けてあるのが裏面です。内開きとなるのは防犯上、軸受けを隠す必要があるからで、従って扉を開かないようにするボルトは扉の裏面、すなわち横桟が打たれた面(室内側)に設けられます。
ところがナオスなどでは外側に扉の裏面を向ける表現が取られ、横桟とボルトが丸見えです。外から内に入って行く場所で、内から外へ出て行く時に見かける扉の様子が提示されるわけです。神殿の最奥部に置かれるナオスの扉の表現で、表と裏を逆転させるのはどうしてなのか。

"In turning the doors so conspicuously inside out the Egyptians evidently wished to emphasize a reversed point of view: these doors were not primarily a means of access to the naos, but rather a means of access from the naos to the temple or chapel within which it was placed." (p. 97)

およそ常識からは大きく逸脱した、仰天するようなことが平気で言われています。エジプトの神殿のナオスでは「内側は外側よりも大きい」ということが、はっきりと指摘されているからです。あるいは、エジプトの神殿では「部分と全体が一致する」という思想が展開されていると言うべきでしょうか。
こういうことを語るエジプト学者は他にいません。これを理解するかどうかがエジプトの建築表現を解く鍵であって、きわめて重要な考え方が披瀝されています。

"A Chair of the Early New Kingdom"(pp. 141-176)も貴重な論考。椅子に関する丁寧な思考過程が見られます。

2009年2月11日水曜日

Sliwa 1975


古代エジプトの手工芸、特に木工に関する研究書。家具だけではなく、船なども対象に含んでおり、このように包括的に扱うものはきわめて少なく、たいへん貴重です。古代エジプトにおける木工の仕口にも言及。
著者はポーランドの研究者。

Joachim Sliwa,
Studies in Ancient Egyptian Handicraft: Woodworking.
Universitas Iagellonica acta Scientiarum Litterarumque CCCCIV.
Schedae Archaeologicae, Fasciculus XXI:
Studia ad Archaeologiam Mediterraneam Pertinentia Vol. IV
(Nakladem Uniwersytetu Jagiellonskiego, Krakow, 1975)
83 p., 32 pls.

Contents:
Introduction (p. 5)
I. Application of Wood. Raw Materials (p. 9)
II. Tools. Workshop (p. 21)
III. Principal Working Techniques and Main Fields of Production (p. 45)
IV. Remarks Concerning the Organization of Labour and the Social Position of Craftsmen Engaged in Woodworking (p. 65)
V. Reliefs, Models and Paintings with Woodworking Scenes (p. 73)
VI. Selective Bibliography (p. 77)

出版から30年以上経って、この目次で見られるトピックをそれぞれ充実させた本が何冊か出ています。樹種を挙げている箇所をSliwaBeekmanの大著に多くを負っていますが、エジプトの樹木についての本はすでに数冊、他の著者によって出版がなされました。木工の工具についてはKillenArnold太字などが新たに論じています。また船に関する絵画資料集も、かなり詳しいものが出されました。

いくらか内容が部分的に古びたとは言え、しかし木材の加工技術を総合的に追うことは今なお、充分には突き詰められていないように感じます。その基本的なモティーフを早くから見つけ出していた論考。

出版元のヤギェウォ大学はポーランドで最も古い歴史を誇る大学として有名。創設は14世紀に遡り、コペルニクスなどを輩出したことで知られていて、たかだか100年ほどしか経っていない日本の大学などとは格が違います。イタリアのボローニャ大学はヨーロッパ最古の大学ですけれども、こうした歴史ある大学は相互の繋がりを図って「コインブラ・グループ」と呼ばれる連盟を形成しています。アメリカの大学制度に対する批判を含む動向。

なお、Sliwaの献呈論文集が出版されているようですが未見。

Les civilisations du bassin mediterraneen:
Hommages a Joachim Sliwa
(Universite Jagellone, Institut d'archeologie, Krakow, 2000)
457 p.

ポーランドやハンガリーなどにおけるエジプト学の動向を、日本から把握するのはなかなか難しく思われます。

2009年2月10日火曜日

Eaton-Krauss and Graefe 1985


ツタンカーメンの墓から出土した、小さな祠堂の模型に関する報告書。
たかだか50cmほどの高さの黄金厨子の模型ひとつの報告だけで、1冊の本が造られています。いくら全面に金箔が貼られているからとは言え、特別に扱われ過ぎですが、しかしこれがツタンカーメン王の墓から出土したものの特色。

M. Eaton-Krauss and E. Graefe,
The Small Golden Shrine from the Tomb of Tutankhamun
(Griffith Institute, Oxford, 1985)
xii, 43 p., XXIX Pls.

グリフィス研究所から何冊も出ているこれらツタンカーメン関連の遺物の刊行シリーズは、改めて詳細な調査がなされずに纏められているという点においても独特な位置を占めます。カーターの遺物カード、日誌、写真などから図を起こし、報告書が仕立てられているわけで、カイロ博物館に収蔵されている現物を再調査していません。手持ちの資料をもとに纏めるという方法が採られています。

P. 2の註12には、

"Since it did not prove feasible to examine the shrine with questions of technique in mind, a detailed description of its construction could not be incorporated in this study."

という、たいへん微妙に書かれた部分があり、さらっと書いてありますが、この壊れやすい木製の模型がどう造られているかに関しては、調べることが完全に放棄されているということです。「できなかった」と記されていますが、こういう書き方をそのまま鵜呑みにしてはいけないところ。

従って、主として装飾モティーフと文字の解読にもっぱら焦点が当てられているわけで、文献学と美術史学とがエジプト学の中で先行している現状にあっては致し方ない点です。
これまで「金細工の名品」と言われてきたものの、実際には手抜きが見られ、仕事は雑だという報告文の最後が面白い(p. 43)。王のものだからということで、何でも完璧に拵えられたとみなされがちです。

建築的には、このかたちが上エジプトの祠堂「ペル=ウェル」を意味するものではなく、一般的な神殿の形態をあらわすものだという指摘が重要かと思われます。
ガードの堅い報告書の書き方が良く分かる本。

2009年2月9日月曜日

Leahy 1978


マルカタ王宮の詳細な研究には必見の書。
「遺物を飛行機のトランジットでなくしちゃった」と1ページ目には記され、脱力系の報告書でもあります。巻末の対応表を見ると、20片以上なくしてしまったらしい。
王宮の再発掘に伴って出土した文字資料の報告書です。

M. A. Leahy,
The Inscriptions.
Exacavations at Malkata and the Birket Habu 1971-1974.
Egyptology Today, No. 2, Vol. IV
(Aris & Phillips Ltd., Warminster, 1978)
vi, 63 pp., 24 pls.

マルカタ王宮都市がDaressyによって最初に調査されたのは19世紀末で、ほとんどアマルナ王宮の最初の調査と同時期ですが、年報のASAEでその報告がなされたのは遅れて1903年のこと。この年、アメリカの裕福な青年Tytusによって、マルカタの再調査仮報告書も出版されています。

因みにTytusによる調査の時のエジプト側の視察官は、後にツタンカーメン王墓の大発見で世界的な著名人となるハワード・カーターで、「たいして重要なものは出土していない」ということを短く数行だけ、ぶっきらぼうに同じく1903年のASAEにて報告しており、両者の間で何か諍いがあったのかもしれません。
マルカタ王宮とツタンカーメン王墓との繋がりは約20年後にもあり、ふたつの遺跡の記録撮影は同じ写真家、メトロポリタン美術館のH. バートンがおこなっています。

1910年頃からメトロポリタン美術館による本格的な発掘がなされましたが、第一次世界大戦を挟み、1920年頃まで続くものの、正式な報告書が刊行されず、次いでペンシルヴェニア大学付属博物館による調査が1971年から1974年までおこなわれました。
メトロポリタン美術館による発掘で得られた文字資料の報告はHayesによって1950年代に発表され、この論文が現在のマルカタ王宮に関する位置づけに関し、最も大きな影響力を持っています。
反対の側から見るならば、考古学的資料は今でもほとんど詳しく発表されていません。

ペンシルヴェニア大学付属博物館による発掘隊の隊長は2人いて、D. オコーナーとB. ケンプです。
少なくとも6冊の発掘報告書が刊行予定でしたが、このうちの2冊のみが出版されただけに終わっており、今後、残りがどのように報告されるのかは不明です。

この報告書の重要性はしかし、"Site K"と呼ばれる発掘場所からもたらされた文字資料の報告がおこなわれたという点に尽きると思います。
建築学から見るならば、煉瓦スタンプの報告も重要で、主王宮と同じ型が発見されていることが見逃せません。マルカタ王宮の初期に属する建築がどこかに建てられて、それがすぐに解体され、"Site K"に捨てられたということです。
同時に、セド祭(王位更新祭)の29年あるいは30年の文字資料が複数出土していることが注目されます。早稲田隊が発見した「魚の丘」建築とどう関わるのか。こうした問題を検討する時には、本書を外すことができません。

2009年2月8日日曜日

Hulten 1968


ニューヨークの近代美術館で開催された「機械展」のカタログ。表紙がブリキでできている特殊な装釘で、本が広げられるように蝶番がついているのが大きな特色。

K. G. Pontus Hulten,
The Machine as Seen at the End of the Mechanical Age
(The Museum of Modern Art, New York, 1968)
216 p.

正確には「機械時代の終わりの機械」という名の展覧会。
20世紀の後半からは、はっきりと今までの機械とは異なる機械の存在が意識されるようになります。具体的にはコンピュータ。簡単な機械というものは古代からあったわけですが、19世紀の後半からは日常生活に画期的な機械が導入されて事情が一変します。この時期、新たな知覚を得たといっても過言ではありませんでした。
鉄道や自動車の普及による高速度の体験、気球や飛行船、あるいは飛行機による高位置の視点の獲得、写真や映画による視覚像の定着、そして電気というこれまで用いられなかった不思議なエネルギー。20世紀の初頭に、こうした驚きの感覚はすぐに未来派などによって表現されます。

このカタログはレオナルド・ダ・ヴィンチによる飛行機のスケッチから始められており、機械にまつわる美術を中心として集められています。「絵を描く機械」などのユーモラスかつペシミスティックな作品を作ったジャン・ティンゲリーなど、懐かしいものが並んでいますが、もちろん目玉はマルセル・デュシャンによる「大ガラス」。
これらの図版はすべてモノクロですけれども、「美術とテクノロジー」と題された最後の章の数ページだけ青刷りで、機械時代が終わり、再び世界観が変わったことが告げられています。

機械文明と美術・文学を結びつけて語ったミッシェル・カルージュのきわめて有名な著作「独身者の機械」が、ここで下敷きにされているのは言うまでもありません。この本、今では和訳されたものさえ高額で取引されています。20世紀前半の機能主義や機械美について語ろうとする際には基本となる、重要な評論。
「独身者の機械」という妙なタイトルは、デュシャンの「大ガラス」の正式な題名、「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」に基づきます。

ミッシェル・カルージュ著、高山宏・森永徹訳
「独身者の機械」
(ありな書房、1991年)
原著:
Michel Carrouges,
Les Machines celibataires
(Arcanes, Paris, 1954)
245 p.

機械は実際に出てきませんが、この和訳と同じ年に出版された種村季弘による似た題名の本があって、大きく動いた20世紀という時代を1990年代に多くの人が振り返ろうとしたことを示唆しています。

種村季弘
「愚者の機械学」
(青土社、1991年)
292 p.

近代社会からはみ出した、とんでもなくおかしな芸術家や学者、詐欺師などを語った面白い書。