レプリントの他、抄録版も出ているので注意を要します。
Howard Carter (and A. C. Mace),
photographs by Harry Burton,
The Tomb of Tut-Ankh-Amen:
Discovered by the Late Earl of Carnavon and Howard Carter,
3 Vols.
(George H. Doran, New York)
Vol. I: 1923, 334 p., LXXIX plates.
Vol. II: 1927, xxxiv, 277 p., LXXXVIII plates.
Vol. III: 1933, xvi, 248 p., LXXX plates.
10年をかけて刊行された3冊。各巻に80点ほどの図版が付されています。
和訳は酒井傳六・他によるものが出ています。
ハワード・カーター著、
酒井傳六・熊田亨訳、
「ツタンカーメン発掘記」
筑摩叢書185(筑摩書房、1971年)
口絵12 p. + 406 p.(図版74点を含む)
この和訳では図版が大幅にカットされており、写真の質も良くありません。廉価版の出版物ですから、仕方のないところです。
ツタンカーメンの遺物のカラー写真をもっとも精力的に出版しているのはおそらく日本で、特に講談社から出された「エジプトの秘宝」(1979〜1985年)全5巻の分厚い大型本では、そのうちの2冊をツタンカーメンの遺品の紹介に充てています。
発掘者自身によってツタンカーメンの墓の発掘過程が述べられた唯一の本で、カーターに執筆の依頼が来た際には、一般の読者層に売れることがあらかじめ予測された図書でもありました。つまりベストセラーになることが約束されていた書ということになります。カーターの負担は大きかったに違いありません。W. バッジのような上手な書き手はいたものの、エジプト学に関するそうした本というのは、それまで出されたことがなかったかと思われます。
彼はエジプト学の公的な専門教育を受けたわけでなく、ヒエログリフも読めませんでした。次から次へと、誰もこれまで見たこともなかった王の遺品が出てくるわけですから、当然、書き方としては慎重になります。発掘までの経緯を記した第一冊目を早く出して欲しいという相当強い圧力もあったはずで、そうした事情も踏まえながら読むと面白い。
トマス・ホーヴィング著、屋形禎亮・榊原豊治訳「ツタンカーメン秘話」を次に読むと、さらに面白いかも。カーターの捏造についてすっぱ抜いた話題の書。エジプト学者の屋形禎亮先生はCh. デローシュ=ノーブルクール「トゥトアンクアモン」も訳されています。ほとんど資料が揃っていなかった時代において、学的な推察力を駆使して王を描いた書。この本を「古い」と一言で片付けるのは誤りで、むしろ想像力を展延させていく方法が非常に参考となります。
玄室への封鎖壁を解体している写真は、建築学的にきわめて貴重。戸口の上に架け渡された丸太が写真に写っています。第18王朝における煉瓦造の戸口がどう造られていたかが分かる、ほとんど唯一の資料です。
カーターが本を書くのはこれが初めてではなく、
The Earl of Carnavon and Howard Carter,
Five Years' Explorations at Thebes:
A Record of Work Done 1907-1911
(Oxford University Press, London, 1912)
frontispiece, xii, 100 p., LXXIX plates.
を第一次世界大戦の直前に出しています。
大して目立った遺物が出土したわけでもないのに、分担執筆者はF. Ll. グリフィス、G. ルグラン、G. メーラー、P. E. ニューベリー、W. シュピーゲルバーグとエジプト学の大御所が並んでおり、不思議な印象を与える本。カーターの交友関係の広さがしのばれます。カーターの本でなかったら、レプリントも刊行されなかったかもしれません。
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