2010年6月25日金曜日

Jomard 1809


「エジプト誌」の全巻が、今ではネットで見られることについて、すでにDescription 1809-1818にて述べました。ナポレオンによる「エジプト誌」にはテキスト編も含まれており、ジョマールはここに論考を複数、載せています。
欧州に留学中の安岡義文氏による情報。彼にはこれまでも、いろいろ貴重な最新の文献案内を送ってもらっており、多謝。BiOrの書評などを執筆していますから、興味ある方は御覧ください。

「エジプト誌」が誰にでも公開されているということは、すごいこと。逆に言うと、ここで触れられている内容を知らなければ「素人」とほとんど変わりないと判断されるわけで、辛い立場ともなります。

ここで取り上げる文章は全8章から構成され、古代エジプトの尺度に関して述べたもので、ニュートンによる52センチメートルという説を冒頭で一蹴し、これに代わる46センチメートルという値を主張して論理を展開している大論文。300ページ以上を費やしています。
ナポレオンの調査隊によってもたらされた数々の実測値をもとにした換算のリストだけでなく、古代ギリシア・ローマ、そしてアラブ世界の著述家たちによる「ジラー」を主とする長さの記述もくまなく参照しており、膨大な資料を駆使したその論述内容は、19世紀の博物学的方法の最後を飾るにふさわしい。オベリスクの寸法についても分析をおこなっています。

しかしこの頃に始まるさまざまな盗掘によって、長さ52センチメートルのものさしが実際に次々と発見されるようになります。この成果を受けてレプシウスが登場し、尺度の問題にはある程度のけりをつけました。Lepsius 1865 (English ed. 2000)を参照。
「ある程度の」というのは、実はレプシウスはジョマールの考え方を「小キュービット」として一部、残したからで、ここに混乱のもとがあると言えないこともない。レプシウスによるこのジョマール説の「救済」の方法に関しては、もっと議論があって然るべきだと思われます。G. ロビンスも、そこまで踏み込んではいません。

Edme Francois Jomard,
"Memoire sur le systeme metrique des anciens egyptiens, contenant des recherches sur leurs connoissances geometriques et sur les mesures des autres peuples de l'antiquite",
Description de l'Egypte, ou recueil des observations et des recherches qui ont ete faites en Egypte pendant l'expedition de l'armee francaise, publie par les ordres de Sa Majeste l'Empereur Napoleon le Grand.
Antiquites, Memoires, tome I
(Paris, 1809)
pp. 495-797.

すでに忘れ去られようとされているジョマールですが、ニュートンが前提とした「古代人は基準尺の倍数を構築物の主要寸法に充てた」という考えにおかしいところがあると指摘しており、これについては当たっている部分がなくもない。ニュートンはクフ王のピラミッドの計測値のうち、完数による値のみを偶然、目にしたという幸運に恵まれたと個人的には思います。澁澤龍彦(渋沢龍彦)の言い方を借りるならば、ここには建築の「死体解剖」があっても、「生体解剖」がありませんでした。
アイザック・ニュートンの論考についてはNewton 1737で紹介済み。これはまた、Greaves 1646の論考に刺激を受けての考察でもあります。
実際に古代エジプトの遺構では、いくつかの寸法でジョマールが分析したように、46センチメートル内外の長さで割り切れる場合があるわけで、この矛盾を斟酌し、できるだけ多くの報告を拾い上げようとしたレプシウスの功績は称えられるべきでしょう。
しかし結果として、キュービットは52.5cmであったというのが現段階における結論です。ニュートンの勝利でした。

まず大キュービットと小キュービットには、7:6という関係があるわけだから、大キュービットにおける6の長さは小キュービットの7の長さと一致します。この時、双方とも42パーム。この場合を除き、小キュービットで割り切れる長さがどれくらい遺構で見られるのかが問題を解く鍵となります。
ですが、こうした研究はほとんど進んでいません。小キュービットに関する建築遺構への適用は、近年ケンプがアマルナの独立住居における平面図で少し試してみている程度。
ジョマールまで再び戻って考え直さなければならない理由がここにあり、古代エジプトの基準尺に関しては、大きな陥穽があると言わざるを得ません。

古代エジプト建築の権威であるアーノルドの本には、小キュービットについての記述は一切ありません。建築の世界では、それでこと足りるからです。でもそれは美術史学の世界で論議されている尺度の問題とずいぶん、隔たりがあります。「おかしいのでは」という疑念があって然るべき。
こういう点が、今のエジプト学では論議されていません。

シャンポリオンがヒエログリフを読解する前に、ジョマールは数字だけは正確に読めたようです。中国語との類推から、「エジプト誌」のテキスト編には「百」とか「千」という漢字が載っています。ジョマールによる別の論文を参照のこと。
こういう事実はあまり知られていません。シャンポリオンもヒエログリフを読み解くために、中国語を勉強していました。新しい語学を学ぶことは、単に自分の道具を増やすことと同じだという割り切り方がここにはあって、これが日本人にとって難しい点となります。
絶望的であれ、泥縄式にでもいいから、とにかく数多く読み進めていくこと、その作業にどれだけ長年耐えられるかの競争であること、それが我々にとって唯一の早道だという指標がここでも示されています。

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