古代エジプトの第18王朝末、複数の王に仕えた建築家カー(
Kha)とその妻メリト(
Meritもしくは
Meryt)の墓TT8は、20世紀初頭に
E. スキアパレッリにより未盗掘の状態で発見されました(cf.
Schiaparelli 1927;
Moiso (ed.) 2008;
Vassilika 2010)。
現在、トリノのエジプト博物館で専用の部屋が用意されており、そこでカーとメリトの墓に収蔵されていた品々を見ることができます。
トリノのエジプト博物館は、収蔵点数で言えばカイロ・考古学博物館に次いで世界第二位と言われますが、現在は増床の工事が行われているため、収蔵品を丁寧に見たい方は、完成予定の2015年を迎えてから訪れるのが良いかもしれません。
カーとメリトの遺物はおびただしく(
Russo 2012)、注目すべき家具類が多数含まれていますが、ここでは衣装箱などに記された文字のみに注目しています。
カーとメリトに的を絞った考察としては、おそらく最新の考察です。
Sara Caramello,
"Funny Inscriptions on Some Coffers of the Tomb of Kha,"
in
Alessandro Mengozzi and
Mauro Tosco (eds.),
Sounds and Words through the Ages: Afroasiatic Studies from Turin.
StudiUm DOST (Studi Umanistici, Department of Oriental Studies of the University of Turin) Critical Studies 14,
Alessandria, Edizioni dell'Orso, 2013,
pp. 283-292, including 4 photos.
出版社のあるアレッサンドリアという町は、トリノから30キロぐらい離れたところに位置します。
昔はイタリアで出版された專門書籍を入手するのが実に困難で、日本では
イタリア書房や
文流など、限られた店を通じておこなうしかありませんでした。近年、イタリアのアマゾンができたことでずいぶん変わりましたが、今、この本を
Amazon.it で検索しても出てこないようです。
編著者のひとりが
academia.eduを用いて表紙と目次、及び前書きを公開していますので、目次をここでタイピングする代わりに、そのURLを提示することにします。
https://www.academia.edu/3608599/Sounds_and_Words_through_the_Ages_Afroasiatic_Studies_from_Turin
今、卒業論文の執筆において海外文献を扱うことを強いられている学生さんの中で、最先端の情報が欲しい場合は、とりあえずこの
academia.eduに登録することによってダウンロードできる論文があるかもしれません。
academia.eduというのは、学者たちが参加している内輪の
SNSです。ここでは研究者たちが自分の書いた論文をPDFファイルにしてアップロードしている場合があり、読みたいものが見つかることもあります。
カーとメリトの墓からは大小を取り混ぜると数十の箱が見つかっていて、多くが衣装箱なのですが、奥さんのメリトが使っていた大型の化粧箱や、1メートル以上の高さを持つ稀有の鬘(かつら)箱といったものも混ざっています。
最大の木製の箱は、神殿のかたちをした棺です。身分が上の人になると、棺が入れ子状になっていて数がひとつではないんですが、小さな方は人型棺と呼ばれるかたちとなっており、箱とはちょっとみなし難い。
さて棺の場合、生きている時に使うことはあり得ません。だから墓から見つかった棺で良く問われるのは、「それが本当にその人のために用意されたのか、それとも最初は他人のために用意されたものを流用したのか」、ということです。ツタンカーメン王の遺品の中で、この点がしばしば討議されているのは有名。
最初はそういうことを疑うことをしなかったんですが、ひとのものを流用する例が知られてからというもの、エジプト学ではこういうことに対して敏感になりました。
棺というのは、墓への副葬品として新たに作られるものの部類に入ります。その他方で、棺以外に、亡くなった者を悼むために新しく作られる副葬品もありました。
カーとメリトの箱では、棺の場合とは異なり、もうひとつ質問が増えることとなっていて、「これらの箱のうち、実際に生活で使っていた箱はどれなのか、また副葬品として墓に納める際に、どのような装飾の変更をおこなったのか」ということが問われています。これを真正面から考えようとしたのは
E. Vassilikaで、生活で使っていた衣装箱だと考える時、切妻型の蓋がある箱は積み重ねることができない欠点がある、などと面白い発想が書かれていますが、この「生者の箱」と「死者の箱」との見きわめがけっこう難しい。
その場合には、「開け閉めする部分がすり減っている」といったところに注目して考察を進めたりします。
Égypte, Afrique & Orient 3 (1996)において
Loebenがそうした観察をしています。「眼力」、という言葉が改めて思い浮かぶ、熟練が必要とされる世界です。
下書き線や塗り直しの跡、もとは描かれていた画像を抹消した証拠などをエジプト学者たちはくまなく探すわけで、箱を見る面白さは、こういうところにも存在します。
もうひとつ手がかりがあるとするならば、箱が開かないようにする工夫で、紐で縛ったところに封泥を施すという方法もありましたが、もっと手の込んだ方法があって、閉めたら二度と開かないというカギを箱に仕込んでいる場合がうかがわれます。
「二度と開かない」というのは言い過ぎかもしれません。と言うのは、上下を逆さまにして強く揺り動かすことによって、箱を再び開けることができるからです。
けれども日常にあって、蓋を開ける際に毎回、そんな面倒なことが強いられるとは思えませんから、やはりこのカギは、墓へ副葬品として収められる際に付加されたものと考えるのが自然です。
ところがこのカギの形式がさまざまにあるわけで、副葬品を揃える段には、たぶん複数の木工職人に依頼されたのではないでしょうか。
Caramelloは新王国時代のヒエラティックを專門とする読み手というわけではなく、だから時として彼女の論考には引っかかる点もあるのですが、整理が初期の段階にあるということは本人も結論において述べています。
どうして副葬品に新しく加えられる文が統一されていないのか、ということが、近代人にとっては疑問となるかもしれません。けれどもここには遺品ごとに知恵を絞らなければならなかった事情があり、文字を記すべきそれぞれの箱では、空白の長さや幅も考慮しなければなりませんでした。それらの工夫の痕跡を細かく追うことが求められています。
テーベのデル・エル=メディーナ(ディール・アル=マディーナ)や王家の谷から出土した、石灰石片(オストラカ)にヒエラティックで記された文字史料は、新王国時代の経済活動や労働者組織の研究に大きな恩恵をもたらしていますが、これらの多くはラメセス時代と言われる第19〜20王朝に属しており、このうちでも最も統治が長かったはずのラメセス2世時代のオストラカが意外に少ないこと、また第18王朝末期の史料が未だ詳しく明らかにされていないことが指摘されています。
第18王朝末期時代と第19王朝時代以降とを分けて考えなければなりません。
テーベの労働者組織についてある程度解明されているとしても、同時代の上エジプトで同じ労働者組織があったかどうかも、ほとんど論議されていません。
古代エジプトにおける3000年間で詳しく分かっているのが下エジプトのテーベの例だけしかないので、これを参考としてピラミッド時代にまで労働者組織の話を援用するという方法も採られています。
この時に重視されているのは、「時代を問わずに共通する建造の手順」、ということになります。でもこの点は、建築の専門家によってまだ充分に吟味されていません。
文字史料でのこの断絶を架橋しようとして
Tosi 1999や
Menu (ed.) 2010などで見られる論考がなされていると捉えることもできます。
第18王朝末期のカーとメリトの豊富な遺品に関する諸史料の記録に関し、さらなる充実が願われる所以です。
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