2009年10月3日土曜日

Arnold 2003


古代エジプト建築事典。もともとはドイツ語で出されたものですが、改訂され、また編集者も加わりましたので、別の本として扱った方が良いように思われます。

Dieter Arnold,
translated by Sabine H. Gardiner and Helen Strudwick,
edited by Nigel and Helen Strudwick.
The Encyclopaedia of Ancient Egyptian Architecture
(I. B. Tauris, London, 2003)
vii, 274 p.

Original:
Dieter Arnold,
Lexikon der ägyptischen Baukunst
(Artemis und Winkler Verlag, Zürich, 1994)
303 p.

中近東建築事典などというものもあるのですけれども、古代エジプト建築に絞って編纂された事典です。
ドイツ語版に増補がなされたと冒頭に書かれています。多くの図版がアーノルドのBuilding in Egyptから流用されていますが、新たに描き起こされたものも少なくありません。
巻末に用語集(Glossary)が1ページ付されており、事典という性格上、用語集がつけられるのはとても珍しい。この場合は古代エジプトの専門用語に限られています。

最後にはSelected Bibliographyが3ページ、加えられています。一番冊数が多いのはボルヒャルトで、レプシウスはたった1冊。この選び方も面白い。

補記:
版を小さくし、題名を変えたペーパーバックが2009年に出ています。(2009.12.11)

Dieter Arnold,
translated by Sabine H. Gardiner and Helen Strudwick,
edited by Nigel and Helen Strudwick,
The Monuments of Egypt:
An A-Z Companion to Ancient Egyptian Architecture

(I. B. Tauris, London and New York, 2009. First published in German in 1994 as Lexikon der ägyptischen Baukunst by Artemis & Winkler Verlag, and in English as The Encyclopaedia of Ancient Egyptian Architecture by I. B. Tauris, 2003)
vii, 274 p.

2009年10月2日金曜日

Crouch and Johnson 2001


世界の建築史を学ぼうとする大学の新入生を対象にした本で、副題で良くあらわされている通り、非欧米圏の建築に光が当てられています。アメリカの研究者たちが、それまで情報の欠けていた地域を積極的に取り上げ、また既成の建築史観をも乗り越えようとした企画。

Dora P. Crouch and June G. Johnson,
Traditions in Architecture:
Africa, America, Asia, and Oceania
(Oxford University Press, New York, 2001)
xiii, 433 p.

イントロダクションの最初では、「建築とは何か?」と反問しています。

"Like history, the term architecture has both broad and strict meanings. In the widest sense, architecture is everything built or constructed or dug out for human occupation or use. A more restricted definition would emphasize the artistic and aesthetic aspects of construction. A third, and still more limited, definition would say that architecture is what specially trained architects do or make."(p. 1)

最も広い意味においては、建築は人間が用いたり占有するために構築された、また掘られたもののすべてを指すと述べられ、動物の営巣にまで近づけられている点が明瞭。また最も狭義の意味では「経験を積んだ建築家が作るもの」と言われており、ここで何が指し示されているかが意味深い。
続いて、

"In this book, architecture include three categories of built elements: professionally designed and built monuments; the houses and other structures erected by traditional building tradesmen; and structures, either fixed or movable, that ordinary people build for their own use, some of which attain the level of memorable art. We define architecture as "buildings that have been carefully thought through before they were made." We have broadened the concept of architecture to include residential spaces, such as houseboats, and natural objects that people use culturally, such as certain mountains."(pp. 1-2)

と書いており、注目されます。
「造られる前に入念に考慮された建物」という言い回しに注意。美学に関する積極的な言及を払拭。とても上手な言い方で、感心します。
さらに、「ここで包括的な建築理論を差し出そうとするつもりはないが」と断りながらも、その検討が必要だと説き、

"The old Euro-American lens for architectural history, with its emphasis on the relations of form and content, is inadequate to the study of traditional architecture of the rest of the world."(p. 3)

という文が、「新しい建築史に向かって」と題された小節の下には記されています。

冒頭の謝辞にはたくさんの建築史学者の名前が並んでいますが、日本人の名がひとつだけうかがわれ、それが渡辺保忠先生。マルカタの「魚の丘」建築を復原された方で、僕はこの先生のマルカタ王宮調査のお手伝いから古代エジプト建築に触れることになりました。
参考文献の欄には先生の「伊勢と出雲」が掲載されています。

現代美術のジェームズ・タレルの作品に触れられたりと、雑多な印象が生じるのは、何もかも非西欧的な要素を扱おうとしたためで、仕方がなかったかと思われます。アメリカで建築史を教える職業の人の多数に「こういう本が欲しかった」と言われたとありますから、まあ、出版自体は喜ばしいこと。

日本の建築史は海外においてほとんど詳しく紹介されていない、という点は銘記されるべきです。古代エジプト建築との関連を考える上で、しかしそれは悪いことではないのかもしれない。先入観がないので、最初から説明ができるわけですから。
200点以上の図版が掲載されており、それを見るだけでも楽しめます。

アメリカ人が共同で「良く知らなかった建物」という本を、反省しつつ著したのですが、その中には日本の建築はもちろん、アジアの建築、またアフリカの建築なども含まれているということ。そういう複眼的な見方で眺めるならば、また違った面白い点が発見できる書です。

2009年9月30日水曜日

Fleming, Honour, and Pevsner 1998 (5th ed.)


建築の事典と言えばいくつかがあって、すでに数冊についてはこの欄にて触れましたが、個人が自分の責任で編纂したものは、やはり面白い。
N. ペヴスナーは近代建築に関する目覚ましい著作を刊行した他、英国の歴史的建造物に関する基本台帳46冊(Buildings of England, 1951-1974)を纏めた高名な学者で、彼が纏めた建築事典はペヴスナーの死後も引き続き改訂版が出ています。

John Fleming, Hugh Honour, and Nikolaus Pevsner,
The Penguin Dictionary of Architecture and Landscape Architecture.
Penguin Reference
(Penguin Books, London, 1998, 5th ed. First published in 1966, as a title of "A Dictionary of Architecture")
vii, 644 p.

旧版の和訳も、少し昔になりましたけれども出版されました。

邦訳(旧版):
ニコラウス・ペヴスナー著、鈴木博之監訳
世界建築事典
鹿島出版会、1984年

21-22ページにかけては"Architecture"と言う項目の説明があって、権威あるこの建築事典で、どのように「建築」が説明されているかを知るのはきわめて興味深い。
第1行目からは、

"The art and science of designing structures and their surroundings in keeping with aesthetic, functional or other criteria. The distinction made between architecture and building, e. g. by Ruskin, is no longer accepted. Architecture is now understood as encompassing the totality of the designed environment, including buildings, urban spaces and landscapes."

と記していて、この部分は、初版の題名を改訂版で変更した理由にもなっていると感じられます。
一方で、ラスキンの「建築の七燈」を本格的に改めて吟味しないと駄目なのではないかという点も、同時に知られるところ。
かつては岩波文庫の訳が頼りでしたが、10年ほど前に新訳が出ました。

ジョン・ラスキン著、杉山真紀子
建築の七燈
鹿島出版会、1997年
334 p.

しかし驚かされるのは、

"The aesthetics of architecture cannot be readily distinguished from those of the other arts (poetry, music, sculpture, painting), and many questions remains to preoccupy architects: what does architecture express? what does it represent? and with what means (symbolic or otherwise) can it do this?"

という文にて項目の説明が終わる点で、要するに「建築というのは、結局は良く分からないよねえ」と、この事典は本の中の要になるはずの項目の解説において、信じ難いことを平然と綴っています(!)。

同じ英国から出ているJ. S. Curlによる建築事典では、もっと極端。

James Stevens Curl,
with line-drawings by the author and John Sambrook,
A Dictionary of Architecture.
Oxford Paperback Reference
(Oxford University Press, New York, 1999)
xi, 833 p.

この人による事典には、ペヴスナーの本では掲載されていない、もはや死語となった"parti"に関する項目(p. 484, left)があったりと、いろいろ目配りのなされていることが示唆されます。
著者については、Curl 1991、またHarris (ed.) 2006 (4th ed.)で以前に記しました。

日本語表記の「パルティー」もしくは「パルチー」は、設計行為の本質を考える上で19世紀のフランス・アカデミーの重要な用語であったはず。設計意図・設計思想、また基本設計や、設計上の工夫、たとえば今で言う「コンセプト」と同等な意味での「構想」、もしくは「芸術的霊感・インスピレーション」という、揺れ動く意味の中で使われ続けたのではないかと、この方面の権威である横浜国立大学の吉田鋼市先生は考察しています。
手書きの原稿だから、PDFになっても原稿内容は検索に引っかかりません。こういう重要な論考のテキスト化を、誰か進めてくれないかと前から思っているのですが。
この梗概集の該当箇所は、ネットにおけるCiNiiのページにて簡単にプリントアウトすることができます。

吉田鋼市
「"parti"の意味について -クロケ、ガデ、グロモールの使用例による一考察-」
日本建築学会大会学術講演梗概集(九州)9126、1989年10月、
pp. 903-904.
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004224845/

Curlの本では32-33ページで"Architecture"の項目を説明していて、最後には建築家フィリップ・ジョンソンの言葉、

"architecture is the art of how to waste space."

を挙げ、締めくくっています。
しかし、こういう危ないことを、建築の初学者にそのまま伝えるというのは大きな勇気が必要。
「建築というのは、空間をどのように無駄に使うかを問う芸術である」、という大意になりますでしょうか。

多人数の分担執筆による大事典、たとえばブリタニカとかラルースなどの場合では、とうてい許されないであろう書き方が、これらの事典では羽目を外してなされているかと思われます。

建築を真面目に考えようとする時、しかしこうした場所こそがおそらく本当の突破口。

2009年9月29日火曜日

Vassilika 2009


閉幕間際の上野のトリノ博物館展に再び行って、今年出版された英語版のガイドブックを購入。薄手の本ですが、良く見たらいろいろと載っています。
近年、館長に就任したE. ヴァシリカによる、トリノ博物館の活性化の一環による刊行物と思われます。

Eleni Vassilika,
photographs by Giacomo Lovera, edited by Silvia Cosi, layout by Francesca Lunardi,
Masterpieces of the Museo Egizio in Turin:
Official Guide

(Fondazione Museo delle Antichità Egizie di Torino, Scala Group, Firenze, 2009)
127 p.

あくまでも遺物のカタログではなく、一般向けのガイドブックとしています。このため、ビブリオグラフィーは一切なし。ただしインヴェントリー番号は付記されています。トリノ博物館のスタッフへの謝辞の他に、G. T. マーティンへの感謝の言葉が最終ページで見られる点も書いておきます。

ほとんどのページをカラーで印刷し、縦長の造本で、ペーパーバック。しゃれた構成です。収蔵品は古いものから順番に並べており、ヴァシリカによる序文が掲載されている他は、あってもいいと思われる目次や博物館の平面図などが省かれています。トリノ博物館は大規模な展示替えが予定されているので、妥当な選択なのでしょう。昨年、開催された第10回国際エジプト学者会議(The 10th International Congress of Egyptologists: ICE)におけるトリノ博物館の館員による発表で、博物館の改装の件は伝えられていたような記憶があります。
ヴァシリカによる他の博物館関連の刊行物としては、

Eleni Vassilika,
with contributions from Janine Bourriau, photography by Bridget Taylor and Andrew Morris,
Egyptian Art.
Fitzwilliam Museum Handbooks
(Cambridge University Press, Cambridge, 1993)
viii, 139 p.

があって、これも見やすい小型の出版物でした。

トリノ博物館と言えば、文字史料だったら王名表を記したパピルス、ワーディ・ハンママートの地図を描いたパピルス、王家の谷の王墓平面図を示したパピルスなどがまず思い浮かびますが、これらをカラー写真で掲載。とても便利です。
写真が小さいのは残念ですけれども、綺麗に印刷されており、特にワーディ・ハンママートの地図はありがたい(p. 102)。ラメセス4世の王墓の平面図のカラー写真(p. 104)も貴重。探そうと思うと結構、面倒でした。
ここら辺の話は、JEA 4, Parts II-III (1917)や、Leospo 2001、またLópez 1978-1984 (O. Turin)などの項でも触れています。

永井正勝先生がすでにこの展覧会における見どころを、内覧会に出席された後にブログで紹介。

http://mntcabe.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/index.html#entry-59226268

非常に些末的な話で恐縮ですが、個人的には、女性や子供の守護神として知られているカバの化身であるタウェレト(タウレト:他にもタ・ウレト、タ・ウェレトなど。あるいはトゥエリス、トエリス)女神像の紹介が興味深かった(p. 82)。
この女神が何色に塗られていたのか、もし調べようと思ったら、時間がかかります。アンクの文字の上に片手を置いたタウェレト女神の姿が、確かパピルスのひとつにうかがわれたと思いますが、その他の例となると色が塗られていない場合が多く、困惑していたところです。
赤地に白の斑点というのは面白い。ひょっとして、カバの汗が赤いということと関係あるんでしょうか。

2009年9月26日土曜日

Greenlaw 1976 (reprint 1995)


紅海に面したスーダンの交易港スアキン(サワーキン)における、珊瑚ブロック造のイスラーム建築を扱った報告書。KPI社から出版される20年ほど前の1976年に、私家本という形式ですでに発表されていたとの注記が見られます。長い年月をかけて粘り強く建築調査が進められた成果の結実。
サンゴ造建築に関する、非常に有名な先駆けの書。しかしGarlakeの著作などへの言及はありません。

Jean-Pierre Greenlaw,
foreword by Mansour Khalid,
The Coral Buildings of Suakin:
Islamic Architecture, Planning, Design and Domestic Arrangements in a Red Sea Port

(Kegan Paul International, London and New York, 1995.
First published privately in 1976)
132 p.

Contents:
Preface, p. 6
Chapter One: The Town of Suakin, p. 8
Chapter Two: The Story of Suakin, p. 13
Chapter Three: Domestic Life in Suakin, p. 17
Chapter Four: Roshans; Casement Windows, p. 21
Chapter Five: Earlier and Larger Turkish Houses, p. 22
Chapter Six: Smaller Turkish Houses, p. 38
Chapter Seven: Zawias and Mosques, p. 62
Chapter Eight: Egyptian Style Buildings, p. 72
Chapter Nine: Military Buildings, p. 85
Chapter Ten: Building Methods, p. 87
Chapter Eleven: Woodwork, p. 103
Postscript, p. 132

建物の剛性を高めるために、壁体へ木材を積み入れて補強するというのが一番の特徴。壁体の厚さも地上階から上へ行くに従って順次、減じられます。高層の建物も実現されているというのが見どころ。
サンゴは切石を用いており、かなり質の高いものが使用されたことがうかがわれます。

近海の海にてなされたサンゴの調達は、石材と比べてどのような利点があったのかが面白い。石や木と同様に、割れやすい方向性を有する素材であったはずで、しかも内部に多数の細かな空孔を含んだ建材だから、断熱性も有利で、重量も比較的軽かったと思われます。
一方、もろいのが欠点で、たぶん細かな彫刻には向きませんでした。

日本でも、南島には同じ建築方法が見られます。まだ比較考察がなされていない分野。
キルワなどの西アフリカから、紅海を経てインド半島沿岸、そして日本に至る、活発な海上交通を前提として作られた建物群と言うことができます。しかし作り方は一様ではなく、地方色が豊か。
木材を組積造に補強として積み入れる方法はミノア時代から確認されているわけで、こうした世界を通覧する楽しみが今後、開けていくかもしれません。
「石切場」としての珊瑚礁にもこれから注目がなされるかと思われますが、これは水中考古学の領域でもあります。

2009年9月25日金曜日

Siliotti 2000


エジプトのシナイについての、縦長の薄いガイドブック。たった48ページしかないのですが、かなり意欲的にさまざまな内容を盛り込んでおり、これまでたくさんの入門書を手がけてきたA. シリオッティの力量のほどが良く了解される構成となっています。
全ページがカラー。
30エジプトポンドですから、600円ほど。

Alberto Siliotti (text and photographs),
Stephania Cossu (drawings), Richard Pierce (English translation), Yvonne Marzoni (general editing),
Sinai: Egypt Pocket Guide
(American University in Cairo Press, Cairo/Elias Modern Publishing House, Cairo/Geodia, Verona, 2000)
48 p.

表紙の裏を折り込みとし、ここにシナイ半島の地図を掲載。裏表紙ではラース(ラス)・モハメッドの鳥瞰図を示しています。
最初にシナイ半島の概要に触れており、プレート・テクトニクスの観点からシナイ半島や紅海はどのような動きを見せているのかがまず説明されます。シナイ半島全体の断面図を挙げているのも、うまい方法。地質と気候について次に見開きで紹介し、その後には動植物に関する多彩な言及。渡り鳥の足取りを示した図の挿入も上手。

"Natural Environments"と題した14ページからは、珊瑚礁とそこに生息する生物たちの紹介で、魚介類とサンゴが扱われます。マングローブについてもまた見開きで説明をおこなっており、こういうところは神経が行き届いた感じがあって、見事。
さらに砂漠、オアシスについて述べた後に、新石器時代の石造建造物である「ナワミース」を取り上げ、その後は古代エジプトの王朝時代におけるシナイを概観。名だたる遺跡セラビト・カディムの平面図はここで示されます。

28ページの題名は"From the Nabataeans to the Ottomans"で、おそろしく時代をすっ飛ばした内容ですが、「科学的調査」、「現代歴史」がこの後に続き、遊牧民の紹介、またいくつかの見どころの解説が後半の内容となっています。
トゥール、ラス・モハメッド、シャルム・シェイク、ダハブ、ヌワイバ(ヌウェイバ)、ターバといった紅海沿岸の、珊瑚礁を巡るリゾート地、また聖カトリーヌ修道院などが扱われており、盛り沢山。

シナイは交易で栄えた地で、また複数の宗教が交錯する地域でもあります。山脈が中央に高く聳え立ち、ワーディ(涸れ沢)が鋭く切れ込んで、この下の水脈を頼りに陸内の交易が進められた一方、沿岸を伝った船によるアジアとヨーロッパとの交通路が結ばれました。
かなりの昔から、人々が山奥まで分け入って鉱物を採掘した場所としても有名。日本人には単に、荒れ果てた土地と見やすい場所の複雑な様相の場面が、多くの図版を重ねつつ提示されており、小さな本ながら扱う情報量はかなり高く、170点以上の写真や地図、挿絵が含まれていると書かれてあります。

多角的な視点からシナイ半島を追った佳作。これだけページ数が限定されている中で、シナイ半島の魅力というものを、さまざまな学問の成果をあれこれと援用しながら提示しています。個人的な好みから言えば、5ページの図版は他のページのものと調子を揃えた方が良いような気もしますが、それは些末的な指摘に過ぎません。
むしろ、次から次へと繰り出される、乱暴と言えるほどまでに刻まれた多種多様な知識の断片が光を放つように感じられ、逆にこの小さな冊子の魅力となっています。

2009年9月24日木曜日

Warner 2005


カイロの古い街並みで見られるイスラームの歴史的建造物の平面を逐一、大きな地図上に示した労作です。副題では"A Map"となっているけれども、掲載されているのは大版の折り込み地図が31枚。分割されて所収がおこなわれています。
ゲジラ島とローダ島の東方に位置するナイル川岸辺の当該地域の地図の縮尺は1/1250。小さな住宅についても、かろうじて平面が分かる大きさです。
大判の本で、すべて手書きの大図面が何と言っても素晴らしい。
ARCE Conservation Seriesの第1冊目。

Nicholas Warner,
The Monuments of Historic Cairo:
A Map and Descriptive Catalogue.

American Research Center in Egypt (ARCE) Conservation Series 1.
American Research Center in Egypt (ARCE) Edition
(American University in Cairo (AUC) Press, Cairo, 2005)
xvi, 250 p., 31 maps.

Contents:
Foreword by J. L. Bacharach and R. K. Vincent, Jr. (vii)
Acknowledgments (ix)
Preface (xii)
Introduction: Cartography, Architecture, and Urbanism in Cairo, AD 1500-2000 (p. 1)
Note on Sources, Cartography, and Architectural Drawings (p. 82)
Descriptive Catalogue (p. 87)
Glossary (p. 192)
Abbreviations (p. 194)
References (p. 195)
Index of Buildings by Number (p. 202)
Index of Buildings by Name (p. 220)
Index of Buildings by Date (p. 243)
Maps (251)

著者のWarnerは、ARCE Conservation Series 2に当たるクセイルの砦のプロジェクト(Le Quesne 2007)にも参加している建築研究者。
序文では、

"The twentieth-century English poet W.H. Auden wrote that 'poetry makes nothing happen: it survives in the valley of its saying.' Like poetry, 'The Monuments of Historic Cairo' is in a sense nothing more than a record, documenting a moment of a city.(中略)The poetry of these maps lies in making Cairo's memory survive, and it is their 'saying' that constitutes Nicholas Warner's achievement."

と、詩人オーデンの句を引きながら、この本の価値が強調されています。
252ページ目の"Map Key"を見るならば、かつてあったけれども、もうなくなってしまったイスラーム建築の位置なども示されていることが了解され、建物の上階から飛び出ている部分の輪郭を点線で示すなど、細かく丁寧に描き分けた工夫の跡も良く分かります。
文章による建物の簡潔な説明も充実しています。シタデルやアイユーブ朝の城壁、またイブン・トゥールーン・モスクに関する記述などが最も長く、それぞれ1ページほどの分量。
索引では建物番号、建造物名、建造年代から調べることができます。

この本はAmerican University in Cairo Pressから出版されているので、タハリール広場の脇の大学キャンパス近くまで行った折に購入する方法もありますけれども、カイロの書店案内というものが日本語で出ており、サイトでも情報が公開されていますので、どこで売っていそうだという目安がつき、カイロで長居をする時にはこれが非常に便利です。

日本学術振興会カイロ研究連絡センター、
平井文子、原山隆広、橋爪烈、勝沼聡、竹村和朗、亀谷学

カイロ書店案内 2004
日本学術振興会カイロ研究連絡センター、カイロ、2004年
(iii)+ii, 123 p., 28 maps.
http://asj.ioc.u-tokyo.ac.jp/html/guide/cairo/c_s_f.html

Les Livres de Franceの閉店状態をサイト版では伝えるなど、改訂がなされていますが、一方で旧ナイル・ヒルトン・ホテルのショッピング・モールの地下にあったL’Orientale (旧L’Orientaliste)の動向については最新情報が反映されておらず、残念。
もちろんこれは贅沢を言っているわけで、歩いて本屋さんをくまなく調べるという、この貴重な情報誌を作成する上でおそらく大変であったろう労力に改めて敬意を表します。
ありがたく使わせていただいている次第。特に調査に関わる者にとっては、冊子体の方にエジプトの地図屋さん(p. 102, L-7: ドッキ、ミサーハ広場周辺)が明記されている点が重宝しており、何回も助けてもらっています。

2009年9月23日水曜日

Le Quesne 2007


エジプトの港市クセイルの城塞に関して述べた本。イスラーム時代に属するエジプトの、紅海沿岸の遺跡を詳しく扱った本として注目されます。
16世紀のオスマン朝に建造された砦ですが、何故、紅海沿岸にこのようなものが建てられたかと言えば、海を渡っての交易の拠点となっていたからです。ヨーロッパとアジアとを結ぶ交通路の途上の、紅海における要所でした。
クセイルはまた、古代エジプトにおける砂漠の道、ワーディ・ハンママートの紅海側の終端でもありました。ワーディ・ハンママートはナイル川と紅海とを東西に繋ぐ道で、面白いことに古代に記された地図が残っています。
クセイルはメッカへの巡礼の際にも、重要な役割を果たした土地。

Charles Le Quesne,
with contributions by Martin Hense, Salima Ikram, Ruth Pelling, Ashraf al-Senussi, Willeke Wendrich,
Illustrations by Tim Morgan and Julian Whitewright,
photography by Tim Loveless,

Quseir:
An Ottoman and Napoleonic Fortress on the Red Sea Coast of Egypt.
American Research Center in Egypt (ARCE) Conservation Series 2
(American University in Cairo Press, Cairo, 2007)
xxv, 362 p.

Contents:
1. Introduction and Background (p. 1)
2. Historical Background (p. 25)
3. Foundation and Early Occupation (1571-Late Seventeenth Century) (p. 45)
4. Late Ottoman Occupation (Eighteenth Century) (p. 87)
5. Napoleonic Occupation (1799-1800) (p. 97)
6. The Nineteenth and Twentieth Centuries (p. 147)
7. Finds and Specialist Reports (p. 169)
8. Final Discussion and Conclusions (p. 299)
Appendix: Description of the Town of Quseir and Its Vicinity (p. 319)

参考:360度パノラマ
http://www.360cities.net/image/quseir-fort-16th-c
http://www.360cities.net/image/fort-of-sultan-selim-quseir

サンゴも建材として用いていますが、これはトゥールのキーラーニー地区、あるいはラーヤ遺跡と同じです。紅海沿岸ではスーダンのサワーキン(スワキン)や、サウジアラビアのジェッダ、またヤンブーなどでサンゴ造建築は知られているものの、エジプト建築史では非常に稀で、特筆されます。サンゴを用い、紅海沿岸に砦を造った例としては、ラーヤの方が古く、規模もこちらの方が大きい。
この城塞が何故、正方形でなくて菱形になっているのか、ちょっと興味が惹かれるところです。地形の制約があったし、建物の正面をメッカに向けたかったと著者は述べていますが、他にも理由があったかもしれない。

この方面の研究者たちであるフランスのJ.-M. Mouton、あるいはアメリカのD. S. Whitcombたちの名と並んで、トゥールとラーヤを長年発掘してきた川床睦夫先生による各報告書も、本書のあちこちで引用されていますけれども、ただ執筆者は全部を見てはいない様子。

Mutsuo Kawatoko,
"Multi-disciplinary approaches to the Islamic period in Egypt and the Red Sea Coast",
Antiquity 79 (2005), pp. 844-857.

は、巻末の参考文献リストから抜け落ちています。
図版を多く含んだ本で、数ページはカラーで印刷されています。層位図等も掲載しており、第1期から第7期にわたる変遷を描こうとしていますが、もう少し分かりやすい図示が試みられても良かったかも。

クセイル遺跡の観光センターを立案するために調査がなされたという経緯が述べられていて、建築的な側面についてはMichael Mallinsonの名が挙げられています。この人はケンプのアマルナ調査にも参加している建築家。エジプト学に関わっているS. IkramやW. Wendrichも、それぞれの専門分野からの報告文を載せています。古代石切場の調査を進めているPeacockへの謝辞も見られ、エジプト調査の運営が厳しくなっている中で、協力関係を結んでいることが良く了解されます。

"Curtain wall"という用語を城塞の壁に対して使っていますが、窓の設けられていない、稜堡の重厚で高い壁を言い指したもの。今日の建築の世界で「カーテン・ウォール」というのは、高層ビルなどでただ吊り下げられるだけの、建物全体を支える構造的な意味あいにおいては何ら寄与しない壁のことを言うのであって、解釈が大きく異なり、違和感がありますけれども、ここでは軍事建築の専用用語としての「カーテン・ウォール」。ですから建築構造力学から見られる意味がまったく逆転します。
註を記したp. 327, note 4の、"This work was carried out carried out by Mallinson Architects,"というケアレスミスなどもいくつかあって、惜しまれるところ。
ARCEから出ているこのConservation Seriesはしかし、エジプトの遺跡に関する修復作業を一般読者に広めようとしている点で貴重です。

2009年9月21日月曜日

Trigger 1993


エジプトやメソポタミアの他、マヤやインカ、アステカなども含めた7つの初期文明を比較考察した本があります。高名な人類学者ブルース・トリッガーによる著作。幸いなことに、和訳も出ています。

Bruce G. Trigger,
Early Civilizations:
Ancient Egypt in Context

(American University in Cairo Press, Cairo, 1993)

邦訳:
ブルース・G・トリッガー著、川西宏幸
初期文明の比較考古学
同成社、2001年

訳書では、この本のモティーフが詳しく記されているので大変参考になります。ここから読み始めても良い。トリッガーによる著作の和訳の状況についても記されているので有用。
訳者は長年、中部エジプトのアコリスにおける発掘調査を続行されている、つくば大学の教授です。比較考古学に関わる著作もある先生。知識の横断と言うことを重視され、また実践なさっておられる方。

各文明に関して数十冊の文献を読みこなす中で、情報の多寡によって何がどこまで分かっているのかを推し量るという下りは面白い。エジプト学については、政治学に関する問題意識の欠如を掲げており、またエジプト学者が古代エジプト文明を、独自なものと考えるあまりに他との比較を怠ってきた点が厳しく指弾されています。
こういう点は、J. マレクも指摘していたところ。
クメール文明は、その研究の深度の至らなさによって対象から外されているという記述も楽しかった。

カナダのこの人類学者の功績については、日本ではウィキペディアでもまだ紹介されていない様子。どれだけ偉いのかを知るために、英語によるウィキペディアを、まずちらっと見ることも必要です。
人間とはいったい何ものなのかという非常に大きな問題を若い頃から自分の課題として据えて、研究を重ねてきた碩学。エジプトやスーダンに関する著作がまず知られています。

研究の途上にあることは、執筆者が一番良く知っていて、ただその「熱ある方位」を指し示すことに傾注がおこなわれています。揚げ足取りはいくらでもできる代わり、対案となる説を出すことはきわめて困難。百年単位でものごとを考えている人間だけが書くことのできる著作。

巻末の、短いコメントつきの文献紹介も興味深い。エジプト学の関係者は、ここの部分だけでも見ると良いかも。

2009年9月3日木曜日

HiP (Häuser in Pompeji) 1984-


ポンペイの家々を一軒ずつ紹介するという、ドイツ考古学研究所(DAI)によるとてつもない企画のシリーズ本。高さが50cmもある大判の書籍で、光沢のある赤い布張りの立派な装丁です。古代ローマの住居建築を探る上では必読書。参考文献リストでは基本書として頻繁に挙げられます。

第1巻のみ、建築界では良く知られているヴァスムート社から出版されましたが、2巻目以後はミュンヘンが出版地です。25年を費やして、現在までようやく12冊が出ました。
住居のひと部屋ずつ、丁寧に記録がおこなわれており、建築調査に関わる者の手本となる内容。組積など構法上の留意点の他、計画寸法に関する考察もなされていて、注目されるところ。図版多数。最新刊の第12巻に至っては、何と図版が800点以上。壁画や床のモザイク画については、もちろん多数のカラー写真で撮影されています。
近年刊行されるものは厚くなる傾向にあって、その分、非常に高価。個人ではなかなか購入できません。一度は見ておく価値がある、本格的な建築報告書。
10〜12巻については未見のため、書誌はいくらか曖昧です。


Volker Michael Strocka (Herausgegeben von),
Häuser in Pompeji.
Deutsches Archäologisches Institut (DAI)
(Band 1: Verlag Ernst Wasmuth, Tübingen, 1984/Band 2-: Hirmer Verlag, München, 1988-)
http://www.dainst.org/index_37f33b66bb1f14a132480017f0000011_de.html


Volker Michael Strocka,
Photographien von Peter Grunwald, Wandgraphiken von Pavlos Pagagialias,
Band 1: Casa del Principe di Napoli (VI 15, 7.8).
(Verlag Ernst Wasmuth, Tübingen, 1984)
53 p., 168 Abbildungsverzeichnis.

Wolfgang Ehrhardt,
Photographien von Peter Grunwald und Wilhelm Gut, Wandgraphiken von Wulfhild Aulmann,
Band 2: Casa dell'Orso (VII 2, 44-46).
(Hirmer Verlag, München, 1988)
84 p., 254 Abbildungsverzeichnis.

Dorothea Michel,
Photographien von Peter Grunwald und Wilhelm Gut. Graphische Dokumentation von Michael Sohn,
Band 3: Casa dei Cei (I 6, 15).
(Hirmer Verlag, München, 1990)
95 p., 299 Abbildungsverzeichnis.

Volker Michael Strocka,
mit einem Beitrag von C. L. J. Peterse. Photographien von Peter Grunwald. Graphische Dokumentation von Pavlos Pagagialias,
Band 4: Casa del Labirinto (VI 11, 8-10).
(Hirmer Verlag, München, 1991)
143 p., 482 Abbildungsverzeichnis.

Florian Seiler,
Photographien von Peter Grunwald und Wilhelm Gut. Wandgraphiken von Heide Diederichs und Judith Sellers,
Band 5: Casa degli Amorini dorati (VI 16, 7.38).
(Hirmer Verlag, München, 1992)
149 p., 631 Abbildungsverzeichnis.

Klaus Stemmer,
Photographien von Peter Grunwald und Johannes Kramer. Graphische Dokumentation von Pavlos Pagagialias, Michael Sohn und Wulfhild Aulmann,
Band 6: Casa dell'Ara massima (VI 16, 15-17).
(Hirmer Verlag, München, 1992)
67 p., 258 Abbildungsverzeichnis.

Margareta Gierow,
Photographien von Peter Grunwald, Jill Crossley und Johannes Kramer, Wandgraphiken von Wulfhild Aulmann,
Band 7: Casa del Granduca (VII 4, 56) und Casa dei Capitelli figurati (VII 4, 57).
(Hirmer Verlag, München, 1994)
84 p., 221 Abbildungsverzeichnis.

Thomas Fröhlich,
Photographien von Peter Grunwald, Wandgraphiken von Wulfhild Aulmann und Regina Brendel,
Band 8: Casa della Fontana piccola (VI 8, 23.24).
(Hirmer Verlag, München, 1996)
123 p., 477 Abbildungsverzeichnis.

Wolfgang Ehrhardt,
Photographien von Peter Grunwald, Wilhelm Gut, Johannes Kramer, Graphiken von Wulfhild Aulmann,
Band 9: Casa di Paquius Proculus (I 7, 1.20).
(Hirmer Verlag, München, 1998)
172 p., 487 Abbildungsverzeichnis.

Margareta Staub Gierow,
Photographien von Peter Grunwald, Wandgraphiken von Wulfhild Aulmann,
Band 10: Casa della Parete nera. Casa della Forme di creta (VII 4, 58-60/VII 4, 61-63).
(Hirmer Verlag, München, 2000)
116 p., 356 Abbildungsverzeichnis.

Penelope M. Allison und Frank B. Sear,
Plaster analyses by Peter Grave and Reinhard Meyer-Graft, Photographien von Jill Crossley, Wilhelm Gut und Johannes Kramer. Wandgraphiken von Judith Sellers. Architekturzeichnungen von Zig Kapelis,
Band 11: Casa della Caccia antica (VII 4, 48).
(Hirmer Verlag, München, 2002)
104 p., 271 Abbildungsverzeichnis.

Wolfgang Ehrhardt,
Photographien von Peter Grunwald und Johannes Kramer. Wandgraphiken von Wulfhild Aulmann, Lisa Bauer, Michael Sohn. Architekturzeichnungen von Athanassios Tsingas,
Band 12: Casa delle Nozze d'argento (V 2, 1).
(Hirmer Verlag, München, 2005)
284 p., 823 Abbildungsverzeichnis.

住居名に続くカッコ内の記号は、住居番号を示します。
日本国内で、どの大学図書館がどの巻を収蔵しているかは、前にも記したように、

NACSIS Webcat: 総合目録データベースWWW検索サービス
http://webcat.nii.ac.jp/

のページで"Häuser in Pompeji"を検索すると、簡単に調べることができ、便利。

Manuelian (ed.) 1996 (Fs. W. K. Simpson)


エジプト学者W. K. シンプソンへの献呈論文集。70人弱の研究者たちが論考を寄せています。執筆陣の豪華さと圧倒的な量がすばらしい。10年に一度出るか出ないかという充実した内容。アメリカのボストン美術館の力量が存分に発揮されています。
造本はManuelianの手によるもので、編集もおこなっているこの人はエジプト学の出版物におけるDTPを進めていることで知られている研究者。博士論文はアメンヘテプ2世でした。
文中へのヒエログリフやコプト文字の挿入、レリーフの写真のレイアウトとそのモティーフの線描画起こし、壁画の配置に合わせた複雑な表の作成など、エジプト学の発表形式で良く見受けられるさまざまな面倒の対処について深く理解している人ですから、たいへん見やすく、上品に仕上げられた本となっています。

Peter Der Manuelian (editor),
Rita E. Freed (project supervisor),
Studies in Honor of William Kelly Simpson, 2 vols.
(Department of Ancient Egyptian, Nubian, and Near Eastern Art, Museum of Fine Arts, Boston, 1996)

Volume I: xxxi, 1-428 p.
Volume II: x, 429-877 p.

最初のページにはヒエログリフでw k sの3つの文字、そしてさらにankh wedja senebの3つの文字による省略形が綴ってありますが、これはシンプソンの名前のイニシャルの後に、「御健康で長生きされ、ますます御活躍のほどを」といった意味の言葉を付したもの。王名の後などに良く用いられる決まり文句のひとつで、英語では簡単にL. P. H. と訳されたりします。ankh wedja senebの3つの文字による省略形に倣って、それぞれの訳語の"Life, Prosperity, Health"を略したもの。
ヒエラティックなどでは、ただ単に3本の斜線でおざなりに記されたりもする部分。「とこしえに御壮健でありますよう」という意味の言葉を3本線の殴り書きで済ませるわけで、良く考えると、とっても失礼。

個人的に興味深く思われるものを挙げるならば、

Dieter Arnold,
"Hypostyle Halls of the Old and Middle Kingdom?",
pp. 39-54.
多柱室というと、カルナック大神殿の奥にあるトトメス3世祝祭殿が嚆矢だと良く言われたりしますが、これに疑問を投げかける内容。復原図を交えて説明がなされています。

Edward Brovarski,
"An Inventory List from "Covington's Tomb" and Nomenclature for Furniture in the Old Kingdom",
pp. 117-155.
壁画に見られるリストから、古王国時代の家具を問う論文。古王国時代にだけ流行した2本足の寝台については、図版を多く提示しています。

Zahi Hawass,
"The Discovery of the Satellite Pyramid of Khufu (GI-d)",
pp. 379-398.
クフ王のピラミッドの脇から新たに見つかった小さな衛星ピラミッドの痕跡の報告と考察を、ザヒ・ハワースが書いています。

Rainer Stadelmann,
"Origins and Development of the Funerary Complex of Djoser",
pp. 787-800.
H. リッケの考え方を展開させ、ジョセル王の階段ピラミッドの初源の姿を探る論考。ピラミッド学の権威R. シュタデルマンの自由な思考方法の一端が分かって面白い。

巻末には執筆者の住所録が載っていますが、今となってはすでに何人かが物故者となっています。J.-Ph. ロエールはその中のひとり。

2009年9月2日水曜日

Phillips 2002


古代エジプトの柱の類例を多数集めたもの。L. BorchardtやG. Foucartが100年ほど前に似たことをやっていますが、ここではもっと徹底的に収集がなされています。
図版が中心と言っていい本ですので、見やすい特徴を持っています。

J. Peter Phillips,
The Columns of Egypt
(Peartree Publishing, Manchester, 2002)
x, 358 p.

大まかには時代順に並べられており、多くは写真を用いて紹介されています。一方で図面が少ないことは、非常に惜しまれる点。
エジプト建築における柱のデザインの豊穣さが良く了解される本と言っていい。ですが、エジプト学の専門家ではないために、系統立って纏められているという印象は薄く、他の本との併読が必要かと思われます。

古代エジプトの柱についての建築学的研究は、欧米ではほとんど進められていないといっても過言ではありません。Petrieが大昔に、「寸法計画がまちまちであるように思われる」と表明した以降、進展していない状況にあります。カルナック大神殿の柱に関する組織的な分析が最近おこなわれ、注目されましたが、この遺跡は新王国時代以降が中心ですので、それより遡る時代に関しては触れていません。
本当はギリシア・ローマ時代のオーダーとの関連が探られてもいいはずなのですけれども。柱の太さに対する高さ、また柱のテーパーとセケドとの関係など、Petrieに倣い、さらに対象を拡張して広範に諸資料が集められるべきだと思います。

著者に関しては、"Senior position in Information Technology at the University of Manchester"を早期に退職して、この柱の研究に打ち込んだと書いてあります。IT出身の方ですね。少々、変わった人。
なお、序文をR. Janssenが書いています。

2009年9月1日火曜日

Janssen 1961


オランダのライデン(レイデン)博物館とトリノ・エジプト博物館が所蔵するパピルスを述べた研究。「古代エジプトのふたつの航海日誌」という、魅惑的な題名です。J. J. ヤンセンの博士論文。
新王国時代後期のラメセス時代におけるヒエラティック(神官文字)の専門家で、特にディール・アル=マディーナに関しては世界中で最も知識の豊富な学者とみなされます。

Jac J. Janssen,
Two Ancient Egyptian Ship's Logs:
Papyrus Leiden I 350 verso and Papyrus Turin 2008+2016
.
Supplement to Oudheidkundige Mededelingen uit het Rijksmuseum van Oudheden te Leiden (OMRO) 42 (1961)
(E. J. Brill, Leiden, 1961)
viii, 114 p., IV plates.

学術雑誌OMROの付巻として刊行されました。
OMROと略記されるこの雑誌名は、「レイデン王立古代博物館考古学通信」といったような意味合いを持ちます。OMROは国内ですと、大阪の国立民族学博物館などがバックナンバーを持っているはず。Two Ancient Egyptian Ship's Logsは、都内ではたとえば早大図書館が所蔵しています。

題名に出てくる"verso"は専門用語で「裏側の面」。反対語は"recto"で、「表面」。パピルスやオストラコンの他、本のページや貨幣でも用いられる語です。これらの省略形もしばしば見受けられます。

100ページ足らずの本ながら、おこなわれていることは多岐にわたり、まず通常のエジプト語の辞書には出てこない言葉が頻出するので、その意味を類推しなければなりません。外来語である可能性もあるわけです。
パピルスに書かれている文字列を、どのように報告するかが良く分かる一冊。註のつけ方も、一般の論文と比べるならばかなり複雑です。
航海日誌にはラメセス2世の第4王子であるカエムワセトの名が出てきており、こうした点も面白い。非常に長生きをしたラメセス2世の注目すべき広範な諸建築活動を支えた張本人です。

ラメセス2世の息子たちに関しては、カエムワセト王子にテーマを絞った

Farouk Gomaà,
Chaemwese:
Sohn Ramses' II. und Hoherpriester von Memphis.

Ägyptologische Abhandlungen (ÄA), Band 27
(Otto Harrassowitz, Wiesbaden, 1973)
xii, 137 p., VIII Tafeln.

が知られています。いわゆる「修復ラベル」にも言及。カエムワセトが最古の考古学者と言われる所以です。
息子たちの墓の概要を伝える発掘調査報告書、

Kent R. Weeks,
KV 5:
A Preliminary Prort on the Excavation of the Tomb of the Sons of Rameses II in the Valley of the Kings

(American University in Cairo Press, Cairo, 2000)
vi, 201 p.

は、ラメセス2世の子供たちをひとところに纏めて埋葬するための迷路のような施設のまとめ。王家の谷において最大規模を誇る墓です。今なお、どこまで深く続いているのか、まったく分かっていません。地下水が湧き出ているため、最深部の調査は困難を極めているようです。
むちゃくちゃ数が多かったラメセス2世の子供たちの墓をいちいち独立させて造っていては大変だと、手を抜いて小部屋を無数に並べて済ませた形式。サッカーラのセラペウムとの平面形式の類似が建築学的には焦点。古王国時代にも、こういう墓の形式の先例はあったことが指摘されます。
ウェブサイトでは、

Theban Mapping Project: KV 5
http://www.thebanmappingproject.com/sites/browse_tomb_819.html

にて図とともに説明が見られます。
うじゃうじゃといるラメ2(ラメセス2世を、こう短く呼ぶことが多い。欧米では"R2"もしくは"RII"、つまり「アール・ツー」。同様にTIII=トト3、AIII=アメ3)の子供たち全部を扱う

Marjorie M. Fisher,
The Sons of Ramesses II, 2 vols.
Ägypten und Altes Testament (ÄAT), Band 53
(Harrassowitz Verlag, Wiesbaden, 2001)

Volume I: Text and Plates.
xxii, 287 p.
Volume II: Catalogue.
v, 232 p.

といったモノグラフも8年前に出版されました。
しかし、もし史料を全部見ようとするなら、KRIRITARITANCとともに雑誌の新しい号などを調べなければなりません。

古代エジプトにおける王族の家系一般の通覧なら、

Aidan Dodson and Dyan Hilton,
The Complete Royal Families of Ancient Egypt
(Thames and Hudson, London, 2004)
320 p.

が便利です。

2009年8月28日金曜日

Crema 1959


古代ローマ建築を包括的に扱った書で、きわめて充実した内容を示しています。G. ルッリの有名な本、Lugli 1957に2年遅れて出版されていますが、建造技法に関して良く纏められています。

Luigi Crema,
L'architettura romana.
Enciclopedia Classica, Sezione III:
Archeologia e storia dell'arte classica, volume XII.
Archeologia (Arte romana)
(Società Editrice Internazionale, Torino, 1959)
xxiii, 688 p.

古代ローマ建築の研究書は充実しているという点を、こういう本を見るたびに改めて感じ入ります。
ローマ建築全般をできるだけ広く扱おうとしている本で、この傾向もまた非常に珍しい。たいていの本はローマ帝国の本拠があった中心都市ローマの建築を扱うことにとどめられるのですが、ここでは北アフリカやレヴァント、小アジアなど、諸地域の遺構にもきめ細かく目が配られています。こういうところは、Lugliの本には見られません。
しかしこのような広域を網羅しようとするには膨大な作業が強いられ、今日ではもう、この改訂版を望むことは無理かもしれません。

図版は小さいながらも、驚くべきことに844点も収められています。
絶版を迎えて久しく、入手はほとんど困難な本ですが、再版の刊行が強く望まれます。
エジプト学で言うと、Vandierのマニュアルと同じような位置を占めている本。
ひとりでこういう内容のものをどうやって書くことができるのか、いつも不思議に思い、胸を打たれます。

Lugli 1957


古代ローマ建築の技法を述べた書として重宝な本。分厚い2冊から構成されています。ローマ建築の建造技術についてはJ.-P. アダムが近年、仏語版と英語版で良い本を出していますが、この伊語版も重要。
考古学者はこの伊語の本を引用することが少なくありません。

Giuseppe Lugli,
La technica edilizia romana, con particolare riguardo a Roma e Lazio, 2 vols.
(Presso Giovanni Bardi Editore, Roma, 1957)
Vol. I: Testo, 743 p.
Vol. II: Tavole, 210 tavole + 19 p.

再版も出ています。
文章編で700ページを超え、これに写真図版編がつきます。
古代ローマ建築がどのように計画され、建造されたかについては、すでに紀元前1世紀の建築家ウィトルウィウスがラテン語で「建築書」を書き残しており、これが世界最古の建築書となります。ウィトルウィウスの本は日本語訳も出ているほど、見逃せない基本史料。

こうした歴史もあって、古代ローマ建築についてはかなり古くから、技法の研究がおこなわれてきました。エジプトなど他の地域における石造建築の技法を考える場合でも、必ずといって良いほど古代ローマ建築が参照されるのはこのためです。古代ローマ建築の技法に関しては、一番研究が進んでいます。

しかし出版後、50年以上が経っており、改訂すべき点が出てきているのは事実です。建材の積み方でおおよその時代が判別できるという見方には異議も唱えられ始めています。
けれども文章編の中の図版も充実しており、今なおその生命を終えていません。
同じく伊語で書かれたCrema 1959とともに、研究者必携の書に挙げられます。

2009年8月27日木曜日

Gourlay 1981


トリノ・エジプト博物館展で、手箒を見て思い出した本。植物繊維を用いて造った箒やサンダル、籠、ロープ、マット、網などの類が研究されています。出土はディール・アル=マディーナ(デル・エル=メディーナ)で、ここは新王国時代の「王家の谷」の墓を造営した職人たち(画工・彫工・石工など)が居住していた村。
ディール・アル=マディーナはフランス隊が長く調査研究を続けてきていますが、もともとはイタリア隊が調査をおこなった場所で、センネジェムの墓(TT 1)や、建築家カーとその妻のメリトの墓(TT 8)などの遺物が多量にトリノ・エジプト博物館でうかがわれるのは、イタリア人考古学者のスキアパレッリたちの活躍に負うところが大きい。

Yvon J.-L. Gourlay,
Les sparteries de Deir el-Médineh:
XVIIIe-XXe Dynasties
, 2 vols.
Documents de Fouilles de l'Institut Français d'Archéologie Orientale (DFIFAO), tome XVII/1 et 2.
IF 567A et B
(Publications de l'Institut Français d'årchéologie Orientale, Le Caire, 1981)

Vol. I: Catalogue des techniques de sparterie.
viii, 94 p., XII planches.

Vol. II: Catalogue des objets de sparterie.
v, p. 170, XXII planches.

Table des matières:
Préface, v
Introduction, vii
I. Balais de ménage, p. 1
II. Brosses et Pinceaux, p. 7
III. Garnissage ou revêtement de meuble, p. 13
IV. Cordes et noeuds, p. 21
V. Postiches, p. 27
VI. Nattes, p. 33
VII. Sacs et résilles, p. 37
VIII. Sandales de cordes, p. 55
IX. Anneaux, p. 65
X. Vannerie, p. 69
Indices, p. 157

多種多様の品々が登場し、第1巻では特に技術を扱っているために、例えば上野のトリノ博物館展で展示されているような手箒の作り方が2〜4ページで紹介されています。漁網や、椅子の座に張られるマットも含まれ、豊富な図版によってそれらの作り方が紹介されている他、壁画で見られる籠類も図版に収められています。
W. Wendrichによる研究書のさきがけ。大英博物館が収蔵する縄や籠の類の報告は、また別に出版されています。

IFAOからたくさん出ているディール・アル=マディーナの報告書を全部揃えることは難しく、1930年代中葉までのものが特に品薄です。日本で一番多く持っているのはたぶん東海大学湘南キャンパスの図書館で、次に早稲田大学の本部図書館でしょうか。
B. Bruyèreが執筆した村に関する厚い報告書は、建築学的には非常に重要。時代が降るとともに村が拡張されていく過程が図示されています。

López 1978-1984 (O. Turin)


トリノ・エジプト博物館に収蔵されている遺物をすべて掲載している書物はまだ存在していません。歴史ある博物館では悩ましい共通した問題。図版を交えてそれらの抜粋が本でまとめて紹介されたのは1963年で、その英訳が2年後にニューヨークから出ています。

Ernesto Scamuzzi,
Museo Egizio di Torino
(Edizioni d'Arte Fratelli Pozzo, Torino, 1963)
CXIV tavole.

Ernesto Scamuzzi,
translated by Barbara Arnett Melchiori,
Egyptian Art: In the Egyptian Museum of Turin
(Harry N. Abrams, New York, 1965)

パピルスに描かれた王家の谷の墓の平面図がカラーで紹介されたりしており、建築学的には貴重な図集。ただ、これらはページが打たれていない本で、いささか使いづらい書です。
それでも、比較的詳しい記述がうかがわれ、きわめて有用。

Leospo 2001のところで述べた通り、Donadoni Roveri (ed.) 1988-1989の3巻本がその後に出ていますが、これはトリノ・エジプト博物館にある遺物を使ってエジプト文明をさらに詳しく系統的に解説しようとしたもので、遺物そのもののカタログではありません。博物館収蔵の遺物のカタログの刊行は別に、それと並行して当時、すでに始められています。
このカタログは、

Il Catalogo, Serie I - Monumenti e Testi
Il Catalogo, Serie II - Collezioni

のように、大きくふたつのシリーズに分かれています。
後者に属する代表的な例が、以下に示すオストラカ(石灰岩片や陶片に文字や絵を書いたもの)のカタログ。ヒエラティックの文字列が記されたものを扱い、4巻本です。

Jesús López,
Ostraca ieratici, 4 fascicoli.
Catalogo Generale del Museo Egizio di Torino (CGT):
Serie II (seconda) - Collezioni, Volume III, Fasc. 1-4.
(Istituto Editoriale Cisalpino, Milano, 1978-1984)

Fascicolo 1: Ostraca ieratici, n. 57001-57092 (1978)
54 p., tavole 1-50.

Fascicolo 2: Ostraca ieratici, n. 57093-57319 (1980)
82 p., tavole 51-100.

Fascicolo 3: Ostraca ieratici, n. 57320-57449 (1982)
54 p., tavole 101-150.

Fascicolo 4: Ostraca ieratici, n. 57450-57568 / Tabelle lignee, n. 58001-58007 (1984)
57 p., tavole 151-210.

2年おきに1冊ずつ刊行。図版を50葉ずつ出したことが良く分かります。黒と赤との2色刷を用い、実際のもので見られるインクの色の違いの様子を忠実に表現しようとしています。
ディール・アル=マディーナから出土してフランス隊が報告しているもの(O. DeM)、カイロ博物館にあるもの(O. Cairo)、大英博物館に収められているもの(O. BM)と並んで、重要な史料集。新王国時代の石灰岩のオストラカというのは主にテーベからしか出土しておらず、これらは基本的にディール・アル=マディーナ学ともいうべき特殊な領域の史料を構成しています。
オストラカの見つかり方には斑があって、例えばとても長生きしたラメセス2世時代に属するとはっきり判別されるものというのは、不思議なことに相対的には数がそれほど多くありません。J. Janssenの指摘。"Funerary cone"というのも、テーベからしか見つかっていませんでした。思えば不思議な地域です。

著者はカルナック神殿から見つかったタラタートの書きつけについても報告しており、10個にひとつの割合でチェックのために記されているのではないかという指摘が面白い。

Jesús López,
"Inscriptions hiératiques sur les talâtât provenant des temples d'Akhénaton à Karnak",
Cahiers de Karnak VIII (IFAO, Le Caire, 1978), pp. 245-270.
(Cf. Kramer 2009, col. 18)

この報告では、アマルナで見つかりながらも、読解が進められていなかったヒエラティックについても訳を提示しており、City of Akhenatenのシリーズ、つまり CoA I-III, 4 Vols. (1923-1951) の記述内容を一部補完しています。

追記
トリノ博物館の収蔵品をカラーで紹介しているハンディ・サイズのガイドブックとしては、Vassilika 2009が新しく出ています。(2009.10.18)

Leospo 2001


古代エジプトにおける木製の遺物のすべてを扱っているかのようなタイトルですが、家具がかなり含まれています。仕口と継手の図示が注目されるところ。
カラーページが豊富に掲載されており、大変見やすい構成。トリノ・エジプト博物館に収蔵されているものが紹介されている冊子です。
イタリアには保存状態の良い古代エジプトの家具が収蔵されていて、これは主として19世紀頃にエジプトへ行ったイタリア人たちの功績です。しかしその詳細が世界にあまり知られていません。もはや出土場所も分からないものが少なくないとは言え、ボローニャやフィレンツェなどの博物館はとても良い家具を持っています。
特にトリノには、建築家カーの墓に収められていた家具が一式揃っていて、見応えがあります。E. スキアパレッリによるディール・アル=マディーナ調査の成果。墓の木製戸口まで取り出し、イタリアに持ち帰っており、驚かされます。
この博物館には巨大な遺物はあんまりないのですが、王名パピルスや、王家の谷の墓の平面図が描かれたパピルスなどが展示されており、これらは非常に貴重。

Enrichetta Leospo,
The Art of Woodworking.
Quaderni del Museo Egizio
(Electa, Milano, 2001)
54 p.

しかしこの本は、別に出されている3巻本の"Daily Life"の巻の中でうかがわれる内容とそっくりで、下記の3冊を御存知であるならば見る必要はありません。トリノが収蔵している名品をカラーで紹介しながら信仰や日常生活、記念建造物などを述べたシリーズで、良くできています。

Anna Maria Donadoni Roveri ed.,
Egyptian Museum of Turin: Egyptian Civilization, 3 vols.
(1988-1989).

Religious Beliefs
(Electa, Milano, 1988)
261 p.

Daily Life
(Electa, Milano, 1988)
262 p.

Monumental Art
(Electa, Milano, 1989)
261 p.

トリノ博物館は現在、大規模な展示の模様替えを模索しているところ。館長が替わり、出版にも今後、力を入れたい様子です。
トリノ博物館から出ているカタログは刊行中。

Catalogo generale del Museo Egizio di Torino (CGT)

と呼ばれ、これも日本ではなかなか全部が揃えられていない出版物であるように思われます。

http://www.archaeogate.org/egittologia/article/187/1/il-catalogo-generale-del-museo-egizio-di-torino-a-cura.html

では、CGTの経緯や既刊分のリストを4ページにわたってイタリアのエジプト学者A. Roccatiが説明。Moiso (ed.) 2008のところでも、この既刊分のリストについては触れました。

2009年8月26日水曜日

Bellinger 2008


古代エジプトの庭園に関する本が久しぶりにまた出たかと思ったら、思わぬ展開。
庭園史において古代エジプトや西アジアの庭園は最初に記述され、専門書も出ています。この本はしかし、別の趣向を求めている模様。

John Bellinger,
Ancient Egyptian Gardens
(Amarna Publishing, Sheffield, 2008)
(vii), 195 p.

Contents:
Acknowledgements, p. 1
Foreword (by Kay Bellinger), p. 3
1. An Introduction to Egypt, p. 5
2. The Beginnings of the Formal Garden, p. 13
Egyptian Gardens, p. 13
Assirian Gardens, p. 31
Babylonian Gardens, p. 33
Persian Gardens, p. 35
Greek Gardens, p. 40
Roman Gardens, p. 42
Indian Mughal Gardens, p. 49
Islamic Gardens in Spain, p. 52
Medieval Gardens, p. 56
3. Plants and Flowers Portrayed in Art, p. 61
4. Gardeners in Pharaonic Times, p. 69
5. Plants for All Purposes, p. 73
6. Your Own Egyptian Garden, p. 169
Bibliography, p. 189
List of Illustrations, p. 193

エジプトの庭園が大急ぎで論述されています。
各時代の壁画、あるいは中王国時代のメケトラーの木製模型などが文中で扱われますけれども、図版が紹介される例は少数。テル・エル=ダバアにおける発掘調査の成果は無視。アマルナにもおざなりに言及しますけれども、アマルナ型住居における庭園については語りません。
エジプト以降の古代・中世の庭園を扱っていることが分かりますが、中途半端で、例えばミノアの庭園などには触れられていません。クノッソス宮殿における庭園についてはShaw夫妻のどちらかが論考を発表していたはず。
最後の第6章の題を見て、ようやく目的が分かります。

"In order to produce an ancient Egyptian garden in the UK it is important to consider the possible problems that are to be overcome in order for it to succeed. The climate of the British Isles is temperate and fairly cool compared with the sub-tropical conditions experienced in Egypt."
(p. 169)

つまり、イギリスでエジプト風庭園を造りたい人に向けての簡単な手引き書で、気候を無視したやり方を教える本。
謝辞にはRosalie Davidの名が最初に挙げられています。

古代エジプトの庭園に関しては以下の2冊が基本で、良く引用されます。

Jean-Claude Hugonot,
Le jardin dans l'Égypte ancienne.
Publications Universitaires Européennes, Série XXXVIII, Archéologie, Vol. 27
(Verlag Peter Lang GmbH, Frankfurt am Main, 1989)
viii, 321 p.

Alix Wilkinson,
The Garden in Ancient Egypt
(The Rubicon Press, 1998)
xvii, 206 p.

前者は入手が今ではけっこう難しい。
ボストン博物館が出した展覧会のカタログ、

Edward Brovarski, Susan K. Doll, and Rita E. Freed eds.,
Egypt's Golden Age:
The Art of Living in the New Kingdom 1558-1085 B.C.

(The Museum of Fine Arts, Boston, Boston, 1982)
336 p.

にも「庭園」の項目があって、見逃せません。

2009年8月24日月曜日

Assaad and Kolos 1979


ツタンカーメン王の墓で発見された遺物にうかがわれるヒエログリフの文字列を、分かりやすく読んでいくという薄い冊子。初めてエジプトへ行った時にはこの本がルクソール東岸のガッディス書店に並んでおり、ヒエログリフを自習する上で当時はたいへん役に立ちました。

Hany Assaad and Daniel Kolos,
The Name of the Dead:
Hieroglyphic Inscriptions of the Treasure of Tutankhamun Translated

(Benben Publications, Ontario, 1979)
129 p.

最初に、ヒエログリフが横書きでも縦書きでも、また右から左にも、その反対に左から右にも書けるさまが示され、24からなるアルファベット表がこれに続きます。
巻末には、用いられている象形文字の説明を所収。ガーディナーによるサイン・リストの簡略版です。

本文では20ほどのさまざまな遺物が選択されて、それらに記された文字を次々と示していきます。第1行目にはヒエログリフが、第2行目には文字の音価を示すトランスリテレーションが、第3行目には発音が、第4行目には文字通りの意味が、そして第5行目にはこなれた訳が並びます。
ここまで丁寧に説明してくれる本というものは、いろいろと入門書が著されている今日でも少ないかもしれません。
文字の抜けや、本来の文字の順番とは逆になっている部分については註で触れています。王のための副葬品であるにも関わらず、けっこう間違いがあると言う意外な事実もこれで分かります。

専門家向けにはその後、ツタンカーメンの墓から出た遺物に記されたヒエログリフによる文字資料のすべてが一冊に纏められ、出版されています。グリフィス研究所から出されている、ツタンカーメン・シリーズの中の一冊。

Horst Beinlich und Mohamed Saleh,
Corpus der hieroglyphischen Inschriften aus Grab des Tutanchamun
(Griffith Institute, Oxford, 1989)
xvi, 282 p.

この墓からは少数のヒエラティックによる文字資料も見つかっていますが、それらはまた別にチェルニーが報告しており、グリフィス研究所から刊行されています。主として土器の肩に記された文字列。

ベンベン出版社は、カナダにおけるエジプト学関連の書籍を扱うところとして有名。
8ページには近刊書として、

Ancient Egyptian Plans, 2 vols.

という広告が掲載されており、第1巻では都市、城塞、神殿の図面が、また第2巻では主要な墓とピラミッドの図面が集められて出版される予定であったらしいのですけれども、惜しいことにまだ刊行されていない模様です。

2009年8月22日土曜日

KRI (Kitchen, Ramesside Inscriptions) 1969-1990


古代エジプトの第19王朝と第20王朝とをあわせて「ラメセス時代」と言われますが、この間の歴史的な文字資料を集成した膨大な量の文献。8巻で総計が3000ページを超えています。8巻目は索引ですが、それ以外は全部、ヒエログリフを手書きで筆写しています。

Kenneth A. Kitchen,
Ramesside Inscriptions (KRI): Historical and Biographical, 8 vols.
(B. H. Blackwell, Oxford, 1969-1990)

Vol. I: xxxii, 416 p.
Vol. II: xxxii, 928 p.
Vol. III: xxxii, 848 p.
Vol. IV: xxxii, 448 p.
Vol. V: xxxii, 672 p.
Vol. VI: xxxii, 880 p.
Vol. VII: xxxii, 464 p.
Vol. VIII: viii, 264 p.

この時期の文字資料はあまりにも数が多すぎて、纏める人が出てこなかったのですが、長い年月をかけて出版が実現されました。現在においてもラメセス時代に属する文字史料は、発掘調査の進展に伴い、増え続けているわけで、終わりのない仕事。

当初は1960年代の末から各巻はいくつもの分冊にて刊行。それ故、初版の刊行年次は複雑です。
さらにこのKRI(7巻+索引)には、題名が似ている続編があって、英語への翻訳を扱うRITAと、注釈を記載したRITANCの2つのシリーズがそれぞれ対応して7巻ずつ、刊行の予定。早稲田隊によるアブシール調査で発見されたカエムワセトの石造建造物に関しても、ある程度、成果を反映させています。
書店のサイトで検索すると、あまり正確ではない近刊の予告も含まれる場合があります。ものすごく情報が錯綜していて、もう何が何だか分からなくなっているのはこうした以上の理由のため。

Kenneth A. Kitchen,
Ramesside Inscriptions: Translated and Annotated.
Translations
(RITA)
(Blackwell, Oxford, 1993-)

現在、第5巻(2008)までが刊行。この最新刊の目次と書評については

http://www.bmcreview.org/2009/07/20090762.html

などを参照。一方、

Kenneth A. Kitchen,
Ramesside Inscriptions: Translated and Annotated.
Notes and Comments
(RITANC)
(Blackwell, Oxford, 1993-)

のシリーズは、第2巻(1998)までが既刊。
KRIの最初の巻が出てから40年が経ちますが、今なお、独力で進められています。信じ難い仕事です。

最初はRITARITANCが交互に出されていたのですが、最も重要であるとみなされるラメセス2世時代を記したRITANCの巻が刊行された後、近年では英訳を扱うRITAのみが先行して出版されるようになりました。時間がより必要とされる注釈を後回しとし、仕事のやり方を変えたのだと思われます。
Kitchenはもうすぐ80歳。

Málek 1986


古代エジプトの彫像(人間の姿の彫刻像)は、死んでミイラにされた時の状態をあらわすのであれば両足が揃っていますけれども、それ以外の場合は何故、右足ではなく左足を前に出していることが多いのか。良い質問を数日前に学生のKimieさんから書き込んでいただいて、これが日本語であまり詳細に説明されていないことに気づきました。
古代エジプトに詳しい方ならば、エジプトでは「左」よりも「右」が重視されたという点は御存知のはず。「王の右側の羽扇持ち」、という重要な役職名もありました。ならば、右足を前方に出すはずではないのか、という疑問が当然出てくるわけです。
今、イタリアのトリノ・エジプト博物館展が上野で開催されていますから、改めて注意して見ると良いかもしれません。

この問いに関しては、博覧強記で有名なエジプト学者J. マレクが見解を書いています。エジプトのあらゆる遺跡の情報を集めようとしている、通称「ポーター&モス」(Porter and Moss, 8 Vols.)と呼ばれる基礎台帳のシリーズの編集者として広く知られている人。面白い説明の仕方なので、ちょっと長くなりますが書き写しておきます。

Jaromír Málek,
photographs by Werner Forman,
In the Shadow of the Pyramids:
Egypt during the Old Kingdom

(Orbis Book Publishing Corporation, London, 1986;
The American University in Cairo Press, Cairo, 1986;
reprint, University of Oklahoma Press, Norman, 1992)
128 p.

"Already the earliest male standing statues invariably show the left foot advanced in the typically Egyptian 'flat-footed' posture. There are two reasons for this: the favourite 'main' direction in Egyptian two-dimensional art, as well as writing, was for figures and hieroglyphs to face right, while one of the basic representational rules was that none of the important elements should be obscured. For the Egyptians the ideas of completeness and perfection were almost identical. If we imagine two people of the same height, both facing right, represented side by side on the same base-line, it has to be the person farther away from us whose face is projected slightly forward of the face of the nearer person. If represented differently, the man's face, his most characteristic feature, would be obscured. In the case of the feet of a man standing facing right it is the left foot which is shown slightly advanced, even if the person is just standing, not striding. A sculptor started to make a statue by sketching its profile on a stone block from which he was going to carve, and thus introduced this element into three-dimensional sculpture."
(p. 54)

これが碑文も読めて美術史にも詳しいエジプト学者の解釈。彼が著したエジプト美術に関する本は、和訳も出ています。
ヒエログリフは右から左にも、また左から右にも書くことができましたが、正式には右から左に記す書式が尊ばれました。この時、文字自体は右向きとなります。レリーフなどを含む絵画表現においても、この決まりが適用されたらしく思われます。右向きに重きが置かれると言うことです。

一方、絵画などにおいて、古代エジプト人はもののかたちを、見える通りではなく、知っている通りにあらわそうとしました。記憶に残る、重要で特徴的なことを全部描こうとしたわけです。人体の場合には、腕や足が2本ずつあることの明示が大切であったようです。このために、右向きの立った人物像が描かれた場合、顔は右向きながら、胴体は正面を向いて2本の腕が伸びる様子がはっきりとあらわされ、また歩くポーズではなくて、ただ立っている時でさえも、奥にある左足が少し前に出されて、手前に描かれた右足とともに両足が描写されます。

右向きの立像の図ですから、右足が観察者の手前に描かれます。奥にある左足を、右足の左に描写する、つまり左足の「かかと」を右足のかかとの左に描くのではなく、左足の、「かかと」よりも普段見慣れた特徴的なかたちである「つま先」を右足のつま先の右に描くという点に注意。この時、足の親指の爪まで描かれることが多い。
マレクは人の顔で説明していますが、事情は同じです。

つまり3次元の立体表現である彫刻の像の場合でも、「古代エジプトでは右が優先されているのだから右足の方が前に出て然るべきではないか」ということではなく、たとえ正面から眺めるべきものであっても、像の全体には「右向きの格好で見られることへの尊重」が勘案されており、この際には左足が前に、右足が後ろになる姿勢が取られます。ここにはエジプト人が大切なことを最大限に表現しようと注意を払った痕跡がうかがわれ、とても興味深い。
寝そべった姿をしたスフィンクスの彫刻で、尻尾の見える側面の方が重要なのだと見学会で以前、説明したこともありましたが、この話題と重なります。

Gay Robinsによるエジプト美術の本を紹介したことがありましたけれど、そこでも

"The primary orientation in two-dimensional art for hieroglyphs and figures was facing to the viewer's right. However, both could be reversed to face left as the occasion demanded."
(Robins 1997, p. 24)

と書かれており、ここでまたもや引用されているのが、Henry George Fischerによる1977年の本。「方向の逆転」という題を持つ、大変楽しい本ですが、残念なことに第1冊目が出ただけで終わってしまいました。
古代エジプトのさまざまな場面において「右」が優先されるということは良く知られていますから、立像などの三次元の立体的な表現においても、右足を前に出すのではという発想を誰もが抱きがちです。しかし実際の彫刻作品では逆であるわけで、そのためにいろいろな説がまことしやかに語られて流布している、そういうことだと思われます。
左右の逆転という話題は、本当に面白い。対象物(ここでは立像)を中心に考えるか、それともそれを見る人の視点を中心に考えるかによって、左右が入れ替わります。

エジプト美術については下記の古い本が今なお、基本文献と思われます。大美術史家ゴンブリッチの序文付きで、ベインズが適宜情報を補って英訳。

Heinrich Schäfer,
edited by Emma Brunner-Traut, translated and edited by John Baines,
foreword by E. H. Gombrich,
Principles of Egyptian Art
(Griffith Institute, Oxford, 1986, reprint, with revisions of first English edition.
First published in 1919, "Von ägyptischer Kunst", Leipzig.
Fourth edition, Otto Harrassowitz, Wiesbaden, 1963.
First English edition, Oxford, 1974)
xxviii, 470 p., 109 plates.

500ページ近くもある大著。中が4つに仕切られている器を、古代エジプト人はどう絵に描いたかなど、興味ある指摘がたくさん書かれています。サイバー大学福岡キャンパス附属図書館にも収蔵されています。図版多数。

さて、現在ではGoogle booksという、書籍の全ページではないけれども、厖大な数の本をスキャンしたものが公開されていますから、時折、知りたい内容がヒットすることもあります。

グーグル・ブックス
http://books.google.com/

のページで検索用の小窓に、

egyptian statue & left foot & reason

と入力して検索してみると、マレクの本を含む記述が多く出てきます。上記の引用文も、これを参照しました。
キーワードの選択がここでは重要。最適の言葉を複数、選ばなければなりません。でないと文献の山に溺れてしまいます。
あとはその中から、名の知れた学者が書いたものを参照すればいいかと思います。
こういうのは、根気よく、いろいろと試してみるのが一番。

グーグル・スカラー
http://scholar.google.co.jp/

もありますが、こちらは論文の題名や最初のページしか出てこないことが多く、自宅のコンピュータでキーボードを叩いて使いこなすのは難しい。アクセスに制限があるからです。もちろん電子化された多数の学術雑誌へのアクセスが可能となっている研究機関の図書館では有用。書評なども含まれています。

2009年8月20日木曜日

Rousseau 2001


エジプトのピラミッドがどう計画されたかを問う書。著者は教職につきながら、技術者・建築家として活躍した人です。

Jean Rousseau,
Construire la Grande Pyramide
(L'Harmattan, Paris, 2001)
222 p.

Sommaire:
Introduction, p. 7

Premiere partie: Les tombes egyptiennes de la prehistoire a Cheops, p. 17
Chapitre 1, Les tombes prehistoriques et thinites, p. 19
Chapitre 2, Les pyramides a degres, p. 29
Chapitre 3, Les pyramides de Snefrou, premieres pyramides veritables, p. 41

Deuxieme partie: La Grande Pyramide, p. 51
Chapitre 4, Presentation du complexe de Cheops, p. 53
Chapitre 5, La structure de la Grande Pyramide, p. 69
Chapitre 6, Le projet. Le choix du site, p. 77
Chapitre 7, L'implantation de la pyramide, p. 89

Troisieme partie: La production et le transport des materiaux, p. 97
Chapitre 8, L'extraction des materiaux de construction, p. 99
Chapitre 9, Le transport des dalles et des moellons, p. 107

Quatrieme partie: La construction de la Grande Pyramide, p. 115
Chapitre 10, La taille et la pose du parement. p. 117
Chapitre 11, Les procedes de construction, p. 135
Chapitre 12, Le demarrage du chantier, p. 165

Cinquieme partie: La conception "coudique" de la Grande Pyramide, p. 183
Chapitre 13, Les "regles" de l'architecture egyptienne, p. 175
Chapitre 14, Les plans "coudiques" de la Grande Pyramide, p. 183

Conclusion, p. 205
Annexes, p. 209
Bibliographie, p. 217
Index, p. 221
Sources des illustrations, p. 223

ピラミッドの寸法をもとにして、細かい数字が出てくる本です。またこの数字に対して「聖数(聖なる数)」を考えており、独特。

-les uns, le couple 17 et 19, le premier nombre etant plutot connote aux tenebres, a la mort, a Osiris (?); le second, a la lumiere, a la vie, a Re. Ces nombres, souvent associes, on les retrouve avec une frequence tres anormale dans les expressions les plus diverses de la culture egyptienne tout au long de ses trois ou quatre millenaires.

-les autres, d'origine calendaires, correspondent a la duree en jours des cycles annuals, a savoir:
348 = 29×12 jours (annee lunaire coutre), 354 = 59×6 jours (annee lunaire longue) et 384 jours, annee lunaire extra-longue a 13 mois, toujours en usage dans le Proche Orient et, en particulier, en Israel.
365 jours (73×5), 366 jours (61×6), annee bissextile deja connue du roi Djoser (cf. p. 31).
29, 59, 73 et 61 sont les nombres premiers caracteristiques de ces cycles. (p. 14)

などという記述が最初の関門。
「聖数」の整数倍がピラミッドの計画では採用されたであろうと考えられていて、完数(半端な値を持たない数。基本的に10、20、30といったようなまとまりを持つ数だが、3や5の倍数なども含まれる)で設計されたというモティーフそれ自体は了解されますが、暦や天文学、あるいは神学と結びつけられて思考が巡らされており、独自の解釈がおこなわれています。
天体の動きと記念建造物とを結びつける考え方は根強く、確かにそうした遺構もあると思われるのですが、果たしてピラミッドでどの程度まで天体の運行との関連が意識され、象徴的な意味が込められたのか、未だ統一した見解が出ていません。
ピラミッドの向きが正確に東西南北を向いていることが、天体の動きとの関わりがあった根拠のひとつとされていますけれども、365日という数との関連など、ここは充分な吟味が必要だと思われます。
当時、用いられた古代の尺度の数値と、暦の日数とを関連させる論法は他にもいろいろとありますけれども、建築を専門とする学徒の間では、あまり信用されていない考え方。

2009年8月14日金曜日

Ziegler (ed.) 2002


イタリア・ヴェネツィアのパラッツォ・グラッシにて2002年の9月から12月にかけて開催された「ファラオ」という名の展覧会のカタログ。275点にのぼる遺物によって構成された展覧会です。カラー図版多数。内容もぜいたくな造りの分厚い本。

Christiane Ziegler (ed.),
The Pharaohs
(Rizzoli International Publications, New York, 2002)
512 p.

豪華な執筆陣が特色で、イタリア・フランス・ドイツ・アメリカ・スイスなどの有名な研究者たちが各節を分担しています。それらを纏めているジーグラーは、ルーヴル美術館古代エジプト部門長。最初の100ページで王朝の歴史が記されています。

The Pharaohs and History:
"The Predynastic Period", by Günter Dreyer, Christiane Ziegler
"The Old Kingdom", by Alessandro Roccati
"The Middle Kingdom", by Sydney H. Aufrere
"The New Kingdom", by David P. Silverman
"The Third Intermediate Kingdom", by Mamduh el-Damaty, Isabelle Franco
"The Late Period", by Edda Bresciani

錚々たる権威者たちによる通史で、展覧会のカタログとしては稀有な例。
この他、征服者としての王についてはNicolas Grimalが、宗教に関してはClaude Trauneckerが、建設者としての王についてはRainer Stadelmannが、王墓に関してはErik Hornungが執筆しています。いずれも第一級の専門家ばかりです。
164ページにはカルナック神殿の平面図が、建造時期別に、つまり王別に色分けされて提示されています。いざ探そうと思うと、こういう図はなかなか見つかりません。

メトロポリタン美術館のDorothea Arnoldが王宮建築に関して執筆しており、マルカタ王宮とネチェリケト王の階段ピラミッド複合体におけるセド祭のための広庭とを比較しています。内容は画期的で、residential palaceではないことが強調されています。
第3王朝と第18王朝の建物を、しかも機能がまったく異なるもの同士を比べるのは本当は無茶というものですが、セド祭関連の建物については類例がきわめて限られているために、こうした方法がおこなわれるわけです。しかしこの指摘はとても重要。

カタログの説明文のうち、388-389ページの部分だけが異様に長く、変わっています。"introduction"まで用意されており、ここだけがエジプト学者による執筆ではなく、古代遺物を出品したコレクター自身が書いた文章。本の編集者と、一悶着がどうやらあったことらしいことがうかがわれる箇所です。

年表がpp. 496-497に掲載されていますが、前半はJ. BainesとJ. MalekによるCultural Atlas of Ancient Egypt、また後半はJ. von BeckerathのHandbuch der ägyptischen Koenigsnamenを使っていることを小さく注記として印字しています。
こういうのも珍しい。古代エジプトでは絶対年代が用いられますが、いくつかの説があり、一致していません。異なるものをつなぎ合わせて使う例は、あんまりないかと思われます。

2009年8月13日木曜日

Hodges 1989


テレビ番組にもなったピラミッドの建造方法に関する新説。著者は1980年に亡くなっており、別の人によって草稿が出版され、この本となったのは9年後。
斜路がここでも検討されています。建築の仕事に携わった人ですから、技術的な話が多いのが特徴。

Perter Hodges,
edited by Julian Keable,
How the Pyramids were Built
(Aris and Phillips, Warminster, 1989)
xiii, 154 p.

Contents:
Foreword (editor), ix

1. A new look at the pyramids, p. 1
2. Previous building theories, p. 10
3. Raising the stones at Giza, p. 19
4. The craftsmen and their skills, p. 33
5. Setting out a pyramid, p. 39
6. The anatomy of the pyramids, p. 53
7. Building stepped pyramids, p. 65
8. Building the Great Pyramid, p. 73
9. Casing the pyramids, p. 85
10. Further aspects, p. 100
Appendix, p. 107

Editor's additional material
Ramps, p. 119
Levers, p. 133

References, p. 145
Index, p. 151

斜路が問題になるのは、その長大となる規模と、必要になる土砂の量、またその構築によってピラミッド建造そのものが妨げられる可能性があるからです。
しかし見落としてならないのは、現実に斜路がいくつかのピラミッド調査地において見つかっていることで、またマスタバに取り付いた煉瓦造の斜路の図も、絵画資料として残されています。
従って、最大の規模を誇るクフ王のピラミッドでも、やはり同様の斜路が設けられたのか、また設けられたとしたらどのような形式だったのかを問題視する人がいる、ということであって、ピラミッドの建造用斜路の存在を完全に否定することはできません。

著者はてこを多用したのであろうという説を挙げ、実際に自分たちで試しています。
Hodgesは先の曲がったてこを用いていますが、この本の編集者のKeableは先細りのてこでもうまく使えると、付章で報告しています。
編集者のKeableはHodgesの遺稿を良く纏めていて、適宜、註を入れたりしています。自分の調べた知識を披瀝しようと思えば、もっと註を増やせたはず。そうした過剰な記述をやっていません。遺された原稿の出版に、最小限の最新の情報を組み入れようとした跡が良く了解され、好感を覚えます。

Keableの息子のローランドが、熟練の家具職人だそうです。ここでも親戚類縁の使い回し。ま、エジプト学では良くあることなんですが。
オーク材を用い、4本のてこを手作りして、

「1986年のクリスマスの日に、2トン半の石が調達できなかったので、私たちは1.7トンしかないSAAB(の車体)を持ち上げた。いくつかの点が了解された。[中略]
エジプトだったら、もっと楽しめただろうに - この日の朝は雨が降っていた。」(p. 134)

と、この人たちはどこまで真面目なのか、良く分からない。

2009年8月12日水曜日

Killen 1980


古代エジプトの家具研究を専門とするキレンの第1冊目の本。家具を網羅しようとする姿勢が目次からも容易に推察することができます。箱などを扱う続巻はすでに1994年に出版されました。
古代エジプト家具の基本文献。この時代における仕口について言及されています。
2002年に再版が出ています。

Geoffrey P. Killen,
Ancient Egyptian Furniture, Vol. I:
4000-1300 BC
(Aris & Phillips, Warminster, 1980)
ix, 99 p., 118 plates.

Contents:
Abbreviations, vi
Acknowledgements, viii
Chapter One: Furniture Materials, p. 1
Chapter Two: Tools, p. 12
Chapter Three: Beds, p. 23
Chapter Four: Stools, p. 37
Chapter Five: Chairs, p. 51
Chapter Six: Tables, p. 64
Chapter Seven: Vase Stands, p. 69
Catalogue of Museum Collections, p. 73
Plates

巻末の、各国の博物館に収蔵されている家具のリストは重宝です。ただし完全なリストではありません。アルファベット順の国別に掲載されていますが、イタリアではトリノ・エジプト博物館収蔵のものの抜粋しか挙げられず、またフィレンツェ考古学博物館やボローニャの博物館なども載っていません。
リストに家具の所有者、新王国時代第18王朝の建築家カーの名前が書き込まれなかったのは残念です。参考文献にはE. Schiaparelliによる報告書が見られるのですけれども。エジプト学で通常要請される、こうした配慮があまりなされていないために、この書籍の価値は相対的に低くなりがちです。

微妙な言い回しがなされている部分があって、家具がどのように発展していったかについて記されている箇所では、慎重な検討が必要です。H. G. Fischerが言っていることと矛盾する記述もうかがわれ、今後の研究の進展が待たれます。

M. Eaton-Kraussがトゥトアンクアメン(ツタンカーメン)の椅子に関する本を2008年に出版しているので、ほぼ30年ほど経って、どのくらい研究が進んでいるかを見ることができるのも興味深い点です。家具研究は、少人数の研究者によって進められている分野。
もっとも、立場が異なるわけで、キレンは家具職人としての視点から調査を持続しています。実在する椅子と、当時の家具の名称との関連の研究はJac. J. Janssenなどが調べており、値段もまた、彼によって言及されています。こうした成果も踏まえ、多様な姿で存在していた家具がどのように使い分けられたかが問われるところ。

彼はサイトも開設しているということを前にも書きました。ここで彼の著作のリストを見ることができます。

http://www.geocities.com/gpkillen/

Bibliographyの欄には、かつてはエジプト家具に関する文献を掲載していましたが、現在ではすべて削除されて、自分の著作のみを代わりに掲載。Shaw and Nicholson (eds.) 2000の家具に関連する項目でキレンが書いている参考文献リストの改訂版を、そろそろ見ることができたら良いのですけれども。

2009年8月11日火曜日

BAR (Breasted, Ancient Records) 1906-1907


エジプト学では"BAR"は飲みに行く店ではなく、Breasted, Ancient Recordsの略。
ただし、British Archaeological Reportsを略したBARというシリーズもあって、紛らわしい。
J. H. ブレステッド(1865-1935)はアメリカにおいてエジプト学を最初に手がけた偉大な人。エジプト語辞典であるA. Erman und H. Grapow (Hrsg.), Wörterbuch der ägyptischen Sprache (Akademie-Verlag, Berlin, 1926-1961), 12 Vols.の編纂に関わったり、エジプト語の文法書を出したりしたドイツのA. エルマンのもとで、初めて博士論文を執筆した米国人。
ブレステッドはシカゴ大学オリエント研究所(OIC)の創立当初、所長としてこの名高い組織を率いた人物でもありました。

James Henry Breasted,
Ancient Records of Egypt:
Historical Documents from the Earliest Times to the Persian Conquest
, 5 Vols.
(University of Chicago Press, Chicago, 1906-1907)

Volume I: The First to the Seventeenth Dynasties (1906)
Volume II: The Eighteenth Dynasty (1906)
Volume III: The Nineteenth Dynasty (1906)
Volume IV: The Twentieth to the Twenty-sixth Dynasties (1906)
Volume V: Indices (1907)

エジプトの第1王朝から26王朝までの長い期間にわたる主な歴史資料を、注釈付きで英語に訳しています。1〜4巻を1906年に出し、最後の5巻目になる索引だけを翌年に刊行。
この本はシカゴ大学出版局で1923年、1927年と版を重ねた後、さらにロンドンの出版社、Histories & Mysteries of Man Ltd.から1988年に、またシカゴのUniversity of Illinois Pressから2001年にリプリントが出されています。100年近く読み継がれている、驚くべき本。ブレステッドが亡くなる前の1927年出版のものが決定版とされ、2001年に出たものにはP. A. Piccioneによって新たに紹介文や文献などが書き足されました。

1906年は、これもまた恐るべき刊行物、Kurt Sethe, Urkunden der 18. Dynastie(Urk. IV)がベルリンから出た年でもあります。
手分けをしているかのような出版。一方は全般の網羅を、他方では花の第18王朝に関する全部の歴史資料の集成を試みています。
ただUrkundenのシリーズもまた、全部を包括することをめざしており、一足早く開始して出版。
Urkundenのシリーズの一覧は、Michael Tilgnerが纏めています。

http://www.geocities.com/TimesSquare/Alley/4482/EEFUrk.html

ほとんどの巻のダウンロードが可能。

同じ時期、エジプト学に愛想を尽かしたイギリスのピートリは、この年に

W. M. Flinders Petrie,
with chapters by C. T. Currelly,
Researches in Sinai
(E. P. Dutton and Company, New York, 1906)
xxiii, 280 p.

W. M. Flinders Petrie,
with chapters by J. Garrow Duncan,
Hyksos and Israelite Cities.
Egyptian Research Account, Twelfth Year (ERA XII)
(Egypt Exploration Fund, London, 1906)
viii, 76 p., LI plates.

を刊行し、イスラエルへと調査の足場を移そうとした傾向が濃厚。
それぞれの学者が当時の最先端で見ている仕事の内容の違いが分かって面白い。

2009年8月10日月曜日

Ashabranner 2002


巨大なオベリスクのかたちをしたワシントンの記念塔を紹介する一般向けの薄い本ですが、面白い指摘があって、見逃せません。発端はマーシュという外交官。

Brent Ashabranner,
photographs by Jennifer Ashabranner and historical photographs,
The Washington Monument:
A Beacon for America.

Great American Memorials
(Twenty-First Century Books, Connecticut, 2002)
64 p.

オベリスクを調べているうちに、アメリカのワシントン記念塔のかたちが気になって、その正確なかたちが知りたいと思っていたら、George Perkins Marsh(1801-1882)という人物に突き当たりました。この人、イタリアに滞在したアメリカ大使です。
彼は当時の首都であるトリノに住み、ローマにも行った人物で、本もたくさん書いています。ローマに立つオベリスクに興味を持って、いろいろ調べていたらしいのですが、この人はエジプト学ではまったく知られていないはず。

"Marsh's studies had shown that the height of an Egyptian obelisk was ten times the width of its base. Marsh's calculations also told him that the dimensions of the shaft should be reduces as it rose, the top of the obelisk varying from two thirds to three fourths of the length of the base." (p. 47)

"The shaft would taper 1/4 inch to the foot (.64 centimeters to the meter [sic !]) as it rose. The walls would attenuate (become thinner) from 15 feet (4.6 meters) at the base to 18 inches (45.7 centimeters) at the top of the shaft. The width at the base of the shaft was 55.5 feet (16.8 meters). The width at the top of the shaft would be 34.5 feet (10.5 meters)." (p. 50)

"At a height of 555 feet 5 1/8 inches (169.4 meters), the Washington Monument is the tallest freestanding all-masonry structure in the world." (p. 60)

石造建築としては確かに世界一高いものなのでしょうけれども、個人的にはシャフトの勾配の値の方に興味があり、1フィート当たり、1/4インチの勾配と書いてありますが、両側の傾きを併せると1フィート=12インチ当たり1/2インチ、すなわち24:1の傾きとなります。1キュービットに対する1ディジットは28:1。小キュービット、あるいはreformed cubitと呼ばれる末期王朝以降の尺度では24:1。
19世紀にこれだけのことが分かっていたという点は驚きで、特筆に値します。
たぶんこれからは、このマーシュという人が、オベリスク研究を切り開いた者として語られるようになるのでは。

この記念碑についてはしかし、

Thomas B. Allen,
foreword by Stephen E. Ambrose,
The Washington Monument:
It Stands for All

(Discovery Books, New York, 2000)
172 p.

の方が解説は丁寧です。

2009年8月8日土曜日

Curran, Grafton, Long, and Weiss 2009


オベリスクが西欧の世界においてどのように受容されたかを述べたもの。社会学的な意味を持つ研究。ウィーンに留学中の安岡義文さんからの御教示。いろいろと本や論文を教えてくれる方々が周りにいて、当方としては非常に有難い。

Brian A. Curran, Anthony Grafton, Pamela O. Long, and Benjamin Weiss,
Obelisk: A History
(Burndy Library, Cambridge, Massachusetts, 2009)
383 p.

Contents:
Introduction, p. 7

1. The Sacred Obelisks of Ancient Egypt, p. 13
2. The Obelisks of Rome, p. 35
3. Survival, Revival, Transformations: Middle Ages to Renaissance, p. 61
4. The High Renaissance: Ancient Wisdom and Imperium, p. 85
5. Moving the Vatican Obelisk, p. 103
6. Changing the Stone: Egyptology, Antiquarianism, and Magic, p. 141
7. Baroque Readings: Athanasius Kircher and Obelisks, p. 161
8. Grandeur: Real and Delusional, p. 179
9. The Eighteenth Century: New Perspectives, p. 205
10. Napoleon, Champollion, and Egypt, p. 229
11. Cleopatra's Needles: London and New York, p. 257
12. The Twentieth Century and Beyond, p. 283

Acknowledgements, p. 297
Notes, p. 301
Bibliography, p. 339
Illustrations, p. 365
The Wandering Obelisks: A Check Sheet, p. 371
Index, p. 375

イヴァーセンは2冊のオベリスクの本を書いており(Iversen 1968-1972)、この2巻本(続巻も予定されていたんでしたが)についてはカバーの後ろ見返し部分に印刷されている書評でも"unrivalled work"と記されていますが、他にエジプトが西欧世界でどのように見られてきたかを書いた

Erik Iversen,
The Myth of Egypt and its Hieroglyphs:
In European Tradition

(G.E.C. Gad Publishers, Copenhagen, 1961)
178 p.

も出していて、考え方は良く似ています。

Labib Habachi,
edited by Charles C. Van Siclen III,
The Obelisks of Egypt:
Skyscrapers of the Past

(Charles Scribner's Sons, New York, 1977)
xvi, 203 p.

邦訳:
ラビブ・ハバシュ著、吉村作治訳、
「エジプトのオベリスク」
(六興出版、1985年)
230 p.

が、エジプト学の視点から初めて本格的に記されたオベリスクの本だとするならば、4人による合作のこの本は、西洋史の中で扱われるオベリスクに焦点を当てた本。ヒエログリフを読もうとしたキルヒャーについては章を独立させて綴っています。
なお、参考文献には掲げられていませんが、オベリスクに関する怪しげな解釈もあって、厚い本である、

Peter Tompkins,
The Magic of Obelisks
(Harper & Row, New York, 1981)
viii, 470 p.

はその典型。これも別な意味で少しばかり興味深い。

2009年8月7日金曜日

Vanhove 1996


エーゲ海に浮かぶギリシアのエウボエア島を舞台とする調査で、複数の石切場と、それらを結ぶ運搬路が対象。Bessacによるフランスの石切場の報告書と同じ1996年に出されています(Bessac 1996)。比較して見ると面白い。

Doris Vanhove,
with contributions by A. De Wulf, P. De Paepe and L. Moens,
Roman Marble Quarries in Southern Euboea and the Associated Road Systems.
Monumenta Graeca et Romana (MGR), VIII
(E. J. Brill, Leiden, 1996)
x, 53 p., 128 illustrations, 2 maps.

Contents:
Foreword, vii
Introduction, ix
1. Topographical Survey (A. De Wulf), p. 1
2. Archaeological Description (Doris Vanhove), p. 16
A. Styra: Haghios Nikolaos and Krio Nero, p. 16
B. Pyrgari, p. 22
C. Styra and Pyrgari: General Conclusions, p. 33
3. Oxygen and Carbon Isotopic Data and Petrology of Cipolino from Styra and Karystos (Euboea, Greece) and their Archaeological Significance (L. Moens, P. De Paepe & K. Vandeputte), p. 45
List of Figures, p. 51

Korresによるペンテリコンの石切場に関する報告書が参考文献に挙げられており(Korres 1995)、この本が石切場を報告する者たちに大きな影響を与えていることが分かります。図版が多めに収められているのも、Korresの本(画集)をお手本にしているから。

全体の分量は、さほど多くはありません。
第1章は島の山中で地形測量をしなければならなかったあらましと、測量方法、精度などを報告しています。巻末に折り込みとして挿入されている2枚の図面が測量作業の成果。テクニカルな測量作業の話を長く書くのは異例だと思われます。
第2章が考古学的記述の部分で、各々の石切場と運搬路を詳述。
第3章は科学分析の報告に充てられており、主に産出される大理石の分析。同じ島内であるにも関わらず、場所によって性質が異なることが指摘されています。

モノクロの写真は不鮮明なものが含まれ、惜しまれるところ。
主執筆者の手による図もたどたどしい部分があって、もう少し詳しい平面図を見たかった。未完成の円柱など、技法の説明は主として写真に頼っています。
チポリーノ大理石の主たる産出場所であった島の調査報告で、運搬路も重要視されている点が見どころ。