Betsy M. Bryan,
You Can Be a Woman Egyptologist.
Careers in Archaeology, Part 1
(Cascade Pass, Culver City, 1993)
38 p.
およそ20cm四方の、ぺらぺらの書籍ですから、安くて入手しやすい。
これは"You Can Be a Woman......."シリーズのうちの一冊で、他にも「女性建築家になれる」、あるいは「女性エンジニアになれる」とか「女性化学者になれる」など、たくさん揃っています。
英語圏にいる若い女性たちに向けて書かれている本と思われ、執筆陣は全員、その各々の世界で成功している女性で、自分より年下の女性たちの将来を慮って具体的な指針を与えつつ、また彼女たちを大いに鼓舞する書なのですが、これをベッツィ・ブライアンが執筆しているというのがすごい。
B. ブライアンと言えば、エジプトの諸芸術が最も花開いたとされる新王国時代、特にアメンへテプ3世時代に関し、ばりばり書いている良く知られた女性エジプト学者です。評価の高い成果を次々と発表している有名な方。
たとえて言うならば、上野千鶴子・東大教授が「あなたも社会学者になれるわ」という本を女性のティーン・エージャー向けにやさしく書くことと匹敵します。
自分が歩んで来た道のりを記しており、こういう内容は滅多に読むことができないわけで、薄い本ですけれども、ブライアンという研究者の人間性が間接的に良く感じられる著作です。
この類の本は、追悼文などを除けば、エジプト学の研究論文においてまず絶対に引用されないものと言って良いのですが、とても丁寧に書かれているなという印象が残ります。
日本にもこういった手頃な本があったら、もっと良いのになと思わせる刊行物。村上龍「13歳のハローワーク」(幻冬舎、2003年)を、各専門家たちが手分けして楽しみながら書いている、そう思ってもらっていいかと思います。これを踏まえた「世界各国の調査の楽しみ」とか、そういう本もあっていい。
(Cascade Pass, Culver City, 1993)
38 p.
およそ20cm四方の、ぺらぺらの書籍ですから、安くて入手しやすい。
これは"You Can Be a Woman......."シリーズのうちの一冊で、他にも「女性建築家になれる」、あるいは「女性エンジニアになれる」とか「女性化学者になれる」など、たくさん揃っています。
英語圏にいる若い女性たちに向けて書かれている本と思われ、執筆陣は全員、その各々の世界で成功している女性で、自分より年下の女性たちの将来を慮って具体的な指針を与えつつ、また彼女たちを大いに鼓舞する書なのですが、これをベッツィ・ブライアンが執筆しているというのがすごい。
B. ブライアンと言えば、エジプトの諸芸術が最も花開いたとされる新王国時代、特にアメンへテプ3世時代に関し、ばりばり書いている良く知られた女性エジプト学者です。評価の高い成果を次々と発表している有名な方。
たとえて言うならば、上野千鶴子・東大教授が「あなたも社会学者になれるわ」という本を女性のティーン・エージャー向けにやさしく書くことと匹敵します。
自分が歩んで来た道のりを記しており、こういう内容は滅多に読むことができないわけで、薄い本ですけれども、ブライアンという研究者の人間性が間接的に良く感じられる著作です。
この類の本は、追悼文などを除けば、エジプト学の研究論文においてまず絶対に引用されないものと言って良いのですが、とても丁寧に書かれているなという印象が残ります。
日本にもこういった手頃な本があったら、もっと良いのになと思わせる刊行物。村上龍「13歳のハローワーク」(幻冬舎、2003年)を、各専門家たちが手分けして楽しみながら書いている、そう思ってもらっていいかと思います。これを踏まえた「世界各国の調査の楽しみ」とか、そういう本もあっていい。
ブライアンのこの冊子は、活字も大きく、非常に読みやすく造られています。とても派手な装丁は、果たしてブライアンが望んだ結果なのかどうかは分かりかねますけれども。
腰を落として、目線を下げて、なおかつレヴェルは絶対に落とさないし下げない、似たようなそういう本が本当に無いかなと思う時、エジプト学からは離れてしまいますが、
加藤典洋「僕が批評家になったわけ」
(岩波書店、2005年)
249 p.
も、非常に良かった。書かれる分野も、本の厚さもまるっきり異なりますが、同じような読後感を受けます。
これも個的な体験、しかもさまよった体験を随所に記し、かつ批評行為のタネというものが日常の周りに、実はたくさんあることが示されています。
自分を対象化すること、深く考えること、その道のりが平明に書かれていますが、それが批評行為の領域を押し拡げることとつながり、共感を与える/得るという本来の開けた場に、批評を今一度、戻そうというモティーフが強く伝わってきます。
歴史研究の原点にも触れる問題が展開されている本。
腰を落として、目線を下げて、なおかつレヴェルは絶対に落とさないし下げない、似たようなそういう本が本当に無いかなと思う時、エジプト学からは離れてしまいますが、
加藤典洋「僕が批評家になったわけ」
(岩波書店、2005年)
249 p.
も、非常に良かった。書かれる分野も、本の厚さもまるっきり異なりますが、同じような読後感を受けます。
これも個的な体験、しかもさまよった体験を随所に記し、かつ批評行為のタネというものが日常の周りに、実はたくさんあることが示されています。
自分を対象化すること、深く考えること、その道のりが平明に書かれていますが、それが批評行為の領域を押し拡げることとつながり、共感を与える/得るという本来の開けた場に、批評を今一度、戻そうというモティーフが強く伝わってきます。
歴史研究の原点にも触れる問題が展開されている本。
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