2009年3月12日木曜日

Frankfort 1933


亡き人を収めない空墓が「セノタフ」。
この建築遺構は異様な雰囲気を有し、中心の部屋では装飾がいっさい払拭されて、花崗岩の重厚な構成が呈する圧倒的な迫力が特徴。
類例遺構との比較考察から、古王国時代のものと比定される可能性もありましたが、石と石とを繋ぐ「かすがい」にセティ1世の王名が記されているのが発見されたため、オシレイオンとも呼ばれる当該建築の建造年代は決着を見ました。

新王国時代の後期に属するものの、古王国時代の様式を真似た建築であることが明らかであり、古様を尊重する建物の造り方がすでに存在していたことを示す上で貴重。
中央には水が引かれた溝を周囲に回した基壇を地下に据え、これは水面に浮かび上がった孤立する島をかたどっているとみなされます。
古代エジプトにおける世界創造の神話、「原初の丘」の再現を勘案した建築。

H. Frankfort,
with chapters by A. de Buck and Battiscombe Gunn,
The Cenotaph of Seti I, 2 vols.
Vol. I: Text.
Vol. II: Plates.
Thirty-ninth Memoir
(The Egypt Exploration Society, London, 1933)
viii, 96 p. + vii, XCIII plates.

出土したオストラカも異例で、ふたつの作業班によって造営が進められたことが伝えられています。労働者組織の様子がうかがえる稀な文字資料。ディール・アル=マディーナ以外ではほとんど出土しません。

アビュドスに建てられたこのオシレイオンの前面に立つ葬祭殿もはなはだ奇妙で、全体が「くの字」に曲がっており、奥行きを確保することができなかったために最奥部を横へずらせた常識外れの建造物。ここでは伝統を丁寧に踏襲しつつも、必要な際には大胆な決断を下して解決を図ったエジプト人の智恵が看取されます。
思えば建築史家を戸惑わせる大がかりな仕組みの構築物を、次々と造った王でした。

セティ1世の墓も特異で、この王墓は王家の谷において最も長く、また最も深く掘削された例として有名。玄室は全体の長さのほぼ中央に位置し、意味不明の通廊が長々とさらに地下へと続いています。どこまで到達しているのか、今日でも良く分かっていません。下記のURLにて図面が見られます。
1980年代後半から修復のため閉鎖されており、見学は非常に困難。装飾が良好に残存している遺構として知られており、かつては王家の谷の中でも人気のあった墓です。

Theban Mapping Project:
http://www.thebanmappingproject.com/sites/browse_tomb_831.html


近年、P. ブランドはこうした注目すべき記念建造物群を概観した論考を出版し、脚光を浴びました。単一の王による壮大なモニュメントの数々を概括した本格的な考察。
セティ1世は、古代エジプトにおける「建築王」として名高いラメセス2世の父親です。3000年にわたる歴史の中で、建築の生産性を最も高めることに成功した偉大な王の礎を築いた父であって、このことは忘れ難く思われます。

Peter J. Brand,
The Monuments of Seti I:
Epigraphic, Historical and Art Historical Analysis.
Probleme der Aegyptologie, Sechszehnter Band.
(Brill, Leiden, 2000)
xlii, 446 p., 148 figs., 8 plans.

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