2009年4月21日火曜日

Greaves 1646


ギザのピラミッドに関する実測の結果を詳しく伝えたものとしては最古の部類に属する書。この有名な本はマーク・レーナーの「ピラミッド大百科」でも紹介されているので、御存知の方も少なくないかと思われます。ピラミッド学では欠かせぬ基本書となります。
比較的簡単に複写を入手することができ、ここ数日をかけて目を通しましたが、非常に面白かった。

John Greaves,
Pyramidographia:
or A Description of the Pyramids in Aegypt
(Printed for George Badger, and are to be sold at his shop in St Dunstans Churchyard in Fleet-street, London, 1646)
(xiii), 142 p. (?), illustrations.

(Contents:)
The Preface (iii)
Of the Authors or Founders of the Pyramids (p. 1)
Of the Time in which the Pyramids were built (p. 16)
Of the end or intention of the Pyramids, that they were for Seplchers: where, by the way is expressed the manner of imbalming used by the Aegyptians (p. 43)
A description of the Pyramids in Aegypt, as I found them, in the ⅭⅠↃ XL VIII yeare of the Hegira, or in the yeares ⅭⅠↃ DCXXXVIII, and ⅭⅠↃ DCXXXIX of our Lord, after the Dionysian account (p. 67)
A description of the first and fairest Pyramid (p. 67)
The description of the inside of the first Pyramid (p. 79)
A description of the second Pyramid (p. 103)
A description of the third Pyramid (p. 108)
Of the rest of the Pyramids in the Libyan desert (p. 114)
In what manner the Pyramids were built (p. 115)
The Conclusion (p. 119)

高さ16cm、幅10cmほどの小さな本です。p. 119の次にはp. 142が来ています。本文の前に置かれた13ページ分などが、最終ページには含まれて表記されているのかとも思われますが、それにしても勘定が合わず、詳細は不明。
本当は著者の名前はIOHN GREAVESと記されてあって、これはラテン語表記。また活字の"s"と"f"との区別がつきにくく、注意が必要です。

すでに上記の目次でお分かりの通り、1000に対する数字の表記は"M"を用いていません。例えば3000は本文中で"ⅭⅠↃ ⅭⅠↃ ⅭⅠↃ"とあらわされています。ここら辺の読み方は、インターネットで"Roman numeral"を検索すれば情報がすぐに出てきます。便利な時代です。
17世紀の本ですから、"yeare"などと記されるのも興味深いところ。
67ページから始まる章名では、"the first and fairest Pyramid"と言葉遊びも交えています。

本の前半は当時知られていたことのまとめで、頭がおかしくなりそうな記述が満載。しかしピラミッドにまつわる今日の怪しげで胡散臭い論議のほとんどが、ここで全部提出されているとも見ることができます。
著者はオクスフォード大学の教授であった人。天文学者で50歳の時に亡くなりましたが、学者には収まらずにどうやら破天荒な人生を送った模様。大旅行家で、古代ローマの度量衡に関する本も出版しています。
たぶん、時代の間尺に合わなかった人でした。

ジョン・グリーヴスによる「ピラミドグラフィア」はアイザック・ニュートンの注意を惹き、キュービットの長さに関する論文が執筆される契機となります。この論文はニュートンの生前には発表されませんでしたが、これを後世に向け、積極的に紹介したのがThomas Birchで、バーチはJ. Greavesの一連の著作についても同じようにまとめて紹介をおこなっています。
これらを読んで、再びピラミッドの実測を試みたのがエジプト学の始祖であるフリンダース・ピートリです。まるで手帖のような一冊の小さな本を出発点として始まった経緯を考え合わせながら繙くと、エジプト学、あるいはピラミッド学の成立過程の縮図が立ちあらわれます。
授業でこの小さな本をどう使おうかと思案中。

2009年4月9日木曜日

EA (Egyptian Archaeology) 34 (Spring 2009)


数週間前に届いたEESのEA 34号です。たった40ページほどの冊子ですが、いつもの通り、図版が豊富で楽しめます。

Egyptian Archaeology:
The Bulletin of the Egypt Exploration Society (EES),
No. 34
(Spring 2009)
44 p.

オーストラリアにいるC. ホープがダクラ・オアシスでの発掘調査で見つけた古代ローマ時代の住居を発表しています。壁画が綺麗に残っているので、カラー写真などを多用するこの雑誌で発表することは最適。事実、見開きの2ページを図版だけに充てたりしています。
大きい住居の方はおよそ20メートル四方もあり、400平米を越えます。エリートの家だと判断された理由が推し量れるところ。

家の中央には4本の円柱が立つ四角の広い部屋が見られ、円柱の直径が1.4メートルとのこと。とっても邪魔になる大きさです。普通の住宅ではあり得ない大きさ。
これらの柱の配置はしかし、中央の柱間を広く取っており、この4本の柱で囲まれた部分には天井がなく、アトリウムの形式をとっていたであろうと判断されているのは自然な考え方と推察されます。
平面図のスケール・バーを見ると、中央間の間隔は5メートルほどと見積もられ、これはかなり大きいスパンです。木製の水平梁ではちょっと無理かとも思われる寸法。日本の家屋でも、3間の柱間(1.8m × 3 = 5.4m)を飛ばすということには相当の無理があります。通りに面する間口の大きい商店などで例はありますけれども。

この部屋の天井高さも推測されており、「柱の直径から考えて、少なくとも5.6メートルはあったに違いない」と述べています。つまり、最低で柱の直径の4倍程度の高さがあったと判断しているらしい。
コリント式の柱頭の断片も出土しているようですが、柱径の4倍の高さしかないコリント式というみっともない柱が、本当にこの部屋に並べられていたのか、今後の研究の進展が待たれます。
この住居の平面は判然としないところがあり、たとえば入口の位置が良く分かりません。普通、平面の各部屋に番号を付けようとする場合、入口玄関から始めて、奥に向かって順番に数字を振ることが少なくないのですけれども、ここでは中央の一番広い部屋に1番を充てています。文章では何も書かれていませんが、発掘者たちも今のところ、住居の入口の位置を量りかねているのかもしれない。

B. ケンプは、王宮から離れた位置に建つアマルナの集合住居におけるベス神の壁画をカラーで紹介しており、短い報告ながら、これも注目される発表。とても良く知られた図であるからです。アマルナに興味を持っている研究者は必見。デル・エル・メディーナでもうかがわれますが、ベス神は言わば家の守り神のように扱われました。
王家の谷などの岩窟墓を造営するために日頃、男たちは家を空けることが多く、デル・エル・メディーナの家の中は女性たちの生活を優先するしつらいになっていたらしいと、ケンプは別のどこかで記しているはずです。

他にビータックらも書いていますけれども、メディネット・グローブの調査報告やサッカーラの階段ピラミッド周辺の探査などについては博士課程の学生たちが記述しており、隊長たちが若手を応援して発表の機会を与えようとしている様子が示唆されます。これも見ておきたい点です。

2010年の9月には、英国エジプト学者会議も開催予定とのこと。
またEESの大会では、K. スペンスによるセセビの調査に関する発表などが予定されている様子。
かつても記したように、セセビはアクエンアテン(アケナテン)の遺構が残存していることで広く知られており、アマルナを長年調査してきたケンプの弟子であるスペンスが、どのようなことを目論んでいるのかが、ひとまずは大きく注目されます。

Goddio (ed.) 2008 (2nd ed.)


今年の6月から横浜で開催予定(朝日新聞社主催)の、「海のエジプト展」のもととなる展覧会の英語カタログです。すでにヨーロッパを巡回している展覧会のために作成されたもので、日本での開催にあわせ、いずれ和訳されたカタログがこれから出版されるかと思われます。
原本を見ておくことは重要。

Franck Goddio with David Fabre (eds.),
photography of the artefacts by Christoph Gerigk,
Egypt's Sunken Treasures
(Prestel, Munich, 2008, 2nd revised and updated ed.
First published in 2006)
399 p.

Contents:
I. The Region and Its History (p. 25)
II. Religion and Cults (p. 57)
III. Cities, Ports and Palaces (p. 217)
IV. From Excavations to Exhibition (p. 281)
V. Catalogue (291)
VI. Appendices (p. 365)

朝日新聞社やテレビ局のTBSなどが関わるこの大規模な展覧会については、

http://www.asahi.com/egypt/outline.html


を御参照ください。
フランク・ゴディオ(Franck Goddio)による水中考古学の成果、特にカノープス調査報告書については、当ブログの

http://ejibon.blogspot.com/2008/12/goddio-2007.html


で既出。

カタログには490点の展示物に関する説明が掲載され、この点数は通常の展覧会の点数の2倍に匹敵するかもしれません。大規模な会場を必要とするが故に、横浜だけでしか開催されないのではと考えられます。
日本ではおそらく多くの場合、200点ちょっとが通常の展示点数の目安で、これは広い会場がなかなか見つからないということもあるし、また欧米とは異なって日本人の観客の体力が続かないという配慮もあります。

海外の展覧会に行くと甚だ疲れるように感じるのは、圧倒的な点数の違いも理由のひとつ。全部の展示品が日本に来るかどうかは不明ですが、多数の展示品の鑑賞により、心地良く疲れを感じる展覧会となりそうな予感もあります。

ほとんど全ページがカラーという構成で、ハードカバーの装丁のために、かなり重い出版物。ページの全部を覆う、海中における調査の様子を伝える写真もあちらこちらに散りばめており、この当たりは普通のエジプト関連の展覧会のカタログとは違うところです。これらの図版にはページ番号が振られていませんから、挿入された図版によって文章が途切れ、いくらか読みにくくなっている側面もあります。

前半の解説の文章と遺物の写真とが同じページに並んでいないので、本当に読もうとするならば本の中をあちこち探さなければならない努力が強いられますけれども、意図的に構成を混交している点もうかがわれ、水中考古学の魅力を伝えようとすることが主眼に置かれているのだと理解するならば、目的は達せられていると見られます。

末尾の謝辞が3ページも続きます。稀です。
とてつもなく大きなプロジェクトが実現されたことが良く了解される、しかし巻末に回されて非常に目立たない記述。

2009年4月7日火曜日

Vandier 1952-1978


たったひとりの学者によってエジプト学の要覧が作られた例。J. ヴァンディエは20年以上をかけて、古代エジプトの建築・彫刻・浮彫・絵画を網羅しようとしています。

空前絶後とはこのことを言います。これから先、こういう意欲的で無謀な学者が出るかというと、まずは絶望的です。
とうの昔に情報が古びていると指摘する向きがあるかもしれない。確かに最初の巻が出たのはもう半世紀以上も前です。けれども「全部を網羅する」という意味合いがすでに変質してしまった現在、偉大な企画であったと言わざるを得ません。これが最後の試みであったということを我々は充分考える必要があるかと思われます。
今日、「網羅する」と言うことを考えるならば、必ずこれよりも範囲をひどく矮小化したかたちでしか、もはや実現できなくなっています。特に第3巻の彫刻を扱ったものを見ると、その思いは強い。屋形禎亮先生がすでに御指摘されているように、類書がまったくありません。
私見ですがたぶん、20世紀の中葉にヨーロッパでは第2次世界大戦を迎え、研究発表が少なくなったことを契機として、それまでのエジプト学の文献のほとんどに目を通していた少数の学者たちは、これまでの纏めをおこなう良い機会だというように、事態を逆に積極的な方向へと捉え直そうとしたのではないでしょうか。
全体として総ページ数は図版を含め4000ページを超え、圧倒的な存在感に心を打たれます。

老舗出版社のピカールは他の分野でもこうしたシリーズを出版しており、今でもその姿勢を変えていません。レイデンのブリルと双璧をなしています。

Jacques Vandier,
Manuel d'archeologie egyptienne, 6 tomes.
(Edition A. et J. Picard et Cie, Paris, 1952-1978)

Tome I, pt. 1: Les epoques de formation. La prehistoire
(1952)
viii, pp. 1-609.
Tome I, pt. 2: Les epoques de formation. Les trois premieres dynasties
(1952)
iii, pp. 613-1044.

Tome II, pt. 1: Les grandes epoques. L'architecture funeraire
(1954)
viii, pp. 1-544, 1 carte.
Tome II, pt. 2: Les grandes epoques. L'architecture religieuse et civile
(1955)
v, pp. 555-1086, 1 plan.

Tome III: Les grandes epoques. La statuaire
(1958)
viii, 701 p.
Tome III: Les epoques. La statuaire, album de 174 planches
(1958)
174 planches.

Tome IV: Bas-reliefs et peintures. Scenes de la vie quotidienne.
Pt. 1: Les tombes
(1964)
v, 858 p.
Tome IV: Bas-reliefs et peintures. Scenes de la vie quotidienne.
Pt. 1: Album de 40 planches
(1964)
ii, 40 planches.

Tome V: Bas-reliefs et peintures. Scenes de la vie quotidienne.
Pt. 2: Elevage, chasse, peche, navigation
(1969)
vii, 1037 p.
Tome V: Bas-reliefs et peintures. Scenes de la vie quotidienne.
Pt. 2: Album de 48 planches
(1969)
ii, 48 planches.

Tome VI: Bas-reliefs et peintures. Scenes de la vie agricole, a l'ancien et au Moyen Empire
(1978)
vii, 354 p.

2009年4月6日月曜日

Kent (ed.) 1990


スイスからペルーまで、時代も地域も異なる遺構に関する新たな論考。建築学とも深く関連しており、大学教科書として、あるいは副読本として読まれることが目されています。
"Domestic Architecture"を扱うのであって、"Monumental Architecture"を対象とするのではありません。本の題名には、そういう意味が含まれていると考えることができます。目立つ遺構ばかりが追い求められがちな傾向に対する戒め。
地味な住居遺構の分析には多くの手間とともに、広範な領域にわたる知識が必要となりますけれども、そこにこそ学問の本来的な姿があるという表明が、本の副題からは感じられます。

Susan Kent (ed.),
Domestic Architecture and the Use of Space:
An interdisciplinary cross-cultural study.
New Directions in Archaeology
(Cambridge University Press, Cambridge, 1990)
vii, 192 p.

Contents:
1. Activity areas and architecture:
an interdisciplinary view of the relationship between use of space and domestic built environments (p. 1)
by Susan Kent
2. Systems of activities and systems of settings (p. 9)
by Amos Rapoport
3. Domestic space and the tenacity of tradition among some Betsileo of Madagascar (p. 21)
by Susan Kus and Victor Raharijaona
4. The built environment and consumer decisions (p. 34)
by Richard R. Wilk
5. Behavioral conventions and archaeology:
methods for the analysis of ancient architecture (p. 43)
by Donald Sanders
6. Public collective and private space:
a study of urban housing in Switzerland (p. 73)
by Roderick J. Lawrence
7. Domestic space in the Greek city-state (p. 92)
by Michael H. Jameson
8. A structuring structure:
the Swahili house (p. 114)
by Linda W. Donley-Reid
9. A cross-cultural study of segmentation, architecture, and the use of space (p. 127)
by Susan Kent
10. Domestic space and social structure in pre-Columbian northern Peru (p. 153)
by Garth Bawden

75ページにはフランク・ロイド・ライトの3つの住宅の平面図が掲載され、共通したダイアグラムを紹介しています。部屋のかたちが異なっても、構成は一緒だというマーチ=ステッドマンによる考え方。
建築学的に見るならば、ライトの十字形プランに触れていないなど不満はあるものの、こうしたかたちでライトが考古学の教科書に掲載されるというのは非常に興味深い。

平面が「構造的に酷似する」と言った場合、しかしこの論考の廊下の扱いには危うさが感じられます。つまりミースの主空間・従空間の分け方に通じる部分があるわけで、建築の人間ならばどのように解釈すべきなのか、ここは熟考を求められる点。
さまざまな示唆があり、重要です。ペーパーバックで入手できる点は有難い。

2009年4月5日日曜日

Szpakowska 2003


サイバー大学の和田浩一郎先生からお教えいただいた本。古代エジプトにおける夢を扱った書で、この題材をテーマとした本は珍しい。夢に関する同様の話題は、2009年1月1日の

http://ejibon.blogspot.com/2009/01/gardiner-1935.html


でも触れました。
一冊の刊行物としての豊かな纏まりを考え、話題を増やしていることが読み取れますから、目次も同時に掲げます。
「夢」と言うことだったらフロイトで、また彼が古代エジプトに興味を抱いていた経緯がありますので、どうしても扱わざるを得ない事情が生じます。
第1章が設けられた所以。

Kasia Szpakowska,
Behind Closed Eyes:
Dreams and Nightmares in Ancient Egypt
(The Classical Press of Wales, Swansea, 2003)
xii, 237 p.

Contents:
Acknowledgements (ix)
Chronology (xi)
1. Theories of dreams (p. 1)
2. The dream phenomenon (p. 15)
3. Literature and politics (p. 41)
4. Dream interpretation (p. 61)
5. Dreams and religion (p. 123)
6. Nightmares (p. 159)
7. Conclusion (p. 181)
8. Appendix of texts (p. 185)
9. List of abbreviations (p. 203)
10. Bibliography (p. 205)
11. Index (p. 231)

本の最初にマーク・トウェインの自伝からの文が引かれる他、各章の冒頭にも引用句がうかがわれますが、第2章では映画「マトリックス」からの台詞の引用があるのが驚き。モーフィアスが発した「夢を見たことがないか、ネオ?」という問いかけの部分を本に記しています。
書籍からの引用ではなく、映画の台詞ですから、おそらくは長い時代を重ねた後ではもとの史料を追跡することがきわめて困難になる部分で、面白い箇所です。「人生など跡形もなく消える」というトウェインの引用がすでにあるので、事情を承知の上での引用と思われます。著者の、エジプト学に向かって意欲的な姿勢を示す年齢がこれで推測されるとともに、ある種の諦念が同時にここには表明されていると考えることができ、興味深いところ。

第8章では、「夢の本」として良く知られる第3チェスター・ビッティ・パピルスを除き、王朝時代に属する夢に関したパピルスやオストラカなどの記述の訳を収めており、著者が読み進めたはずの博士論文の核とも言うべき部分が資料として付けられ、有用。
夢に関しては、今の人間による解釈と大して変わりばえは無いのだという結論の締めくくりが印象に残ります。
同じ著者による新刊、

Kasia Szpakowska,
Daily Life in Ancient Egypt
(Blackwell Publishing, Oxford, 2008)

も出ています。

日本語で書かれた古代エジプトの眠りについての論文は、同じ年に書かれたもの、

秋山慎一「古代エジプトにおける『ねむり』」、
屋形禎亮編「古代エジプトの歴史と社会」
(同成社、2003年)

を参照。
「夢の本」における言葉遊びについての論考は、

Scott Noegel and Kasia Szpakowska,
"'Word Play' in the Ramesside Dream Manual",
in Studien zur Altägyptischen Kultur (SAK) 35 (2006),
pp. 193-212

などがあります。

2009年4月4日土曜日

Svarth 1998


デンマークで刊行された古代エジプトの家具の本。縮尺1/5で作られた模型を使って家具が紹介されています。図面が秀逸。またカラー写真も素晴らしい。
デンマーク語と英語が併記される形式です。

Dan Svarth,
Egyptisk mobelkunst fra faraotiden
[Egyptian Furniture - Making in the Age of the Pharaohs]
(Skippershoved, Ebeltoft, 1998)
151 p.

Contents (English):
Preface (p. 7)
Ancient Egyptian Civilization (p. 10)
Architecture (p. 16)
Furniture (p. 24)
Biers and Beds (p. 48)
Chairs (p. 65)
Stools (p. 85)
Tables (p. 102)
Chests and Caskets (p. 112)
Materials (p. 127)
Tools and Techniques (p. 133)
Time-table (p. 143)
List of Illustration (p. 147)
Literature (p. 151)

北欧は木を使う家具の伝統が長いところですから、古代の木製家具に目を向ける家具デザイナーたちが時折、登場します。オーレ・ワンシャーやハンス・ウェグナーなどが代表的。
この本も、古代エジプトの家具を網羅する学術書ではないことを、あらかじめ序文で断っています。狙われているのは、デザイナーたちに最初の家具の魅力を知ってもらうこと。そしてそれがじわじわと、良い家具が作られるような流れに影響していくこと。

"This work is the product of a furniture designer's interest and studies, and sets out in concise form some of the features of the earliest furniture-cultures which have come to play a decisive role in inspiring our own culture and which will also in future - as part of a conscious or unconscious process - influence modern furniture design." (p. 7)

造本が凝っているのは、デザイナーに手に取ってもらいたいからだと思われます。ほとんど真っ黒な装丁に金字を入れ、表紙の最下部に赤帯を入れています。また、見返しが真っ赤なキャンソン紙。本文では朱と黒の文字を使い分けます。

精巧な模型を作ったのは著者。目次で知られる通り、さまざまな家具が紹介されています。工具にも触れており、仕口の立体的な図化もなされています。家具と本との両方が楽しめる本。

2009年4月3日金曜日

Baldwin Smith 1950


ドームに関する研究書ですが、常識を当てにすると裏切られます。世界に名だたるドーム建築はほとんど登場せず、ハギア・ソフィアはちらっと出てくるだけで、図版では1枚だけという扱い。ローマのパンテオンは2箇所で言及されますけれども、図版はありません。フィレンツェの大聖堂に至っては、まったく触れられないというドームの本。

つまり通常の西欧建築史におけるドーム建築の本ではないわけです。
ドームの起源が探索されており、あまり知られていない古代中近東の遺構についての検討をおこなっています。

E. Baldwin Smith,
The Dome: A Study in the History of Ideas.
Princeton Monographs in Art and Archaeology XXV
(Princeton University Press, Princeton, 1950)
x, 164 p., 228 figs.

Contents:
Preface (vii)
I. Domical Origins (p. 3)
II. The Use of the Wooden Dome in the Near East (p. 10)
III. The Masonry Dome and the Mortuary Tradition in Syria and Palestine (p. 45)
IV. Domical Forms and their Ideology (p. 61)
V. Domical Churches: Martyria (p. 95)
VI. The Place of Commemoration (p. 132)
Appendix: Description of the Church of S. Stephen at Gaza by Choricius, Sections 37-46 - Translation and Notes by G. Downey (p. 155)

「ドーム」というのは、半球状のかたちを言い指す言葉ではないという姿勢がはっきりと打ち出されています。構造技術者による見解と歴史学者の見方とが分かれるところ。
家の祖型から出発したドームの展開が述べられており、その展開は構造力学的な、また建造技術の立場から見られたものではありません。

力学的なふるまいから眺めるならば、アーチを連続的に並べたものがヴォールトで、アーチを回転させたものがドームになります。しかし、これは構造力学が成立した19世紀以降の見方というべきものであって、ボールドウィン・スミスはそうした解釈をしません。
この研究は多文化を横断する作業となりますから、労力を伴う仕事。「観念の歴史の研究」という副題が注目されます。アイデアの歴史、着想の歴史というよりも、もう少し広く意味を汲み取って、観念の歴史と訳したい気持ちに駆られます。文化としての建築の存在に光を当てようとする論考で、この時、ドームは或る世界を象徴する「天蓋」へと変貌します。それこそが建築なのだと、著者は主張しています。

ボールドウィン・スミスというこの建築史学者は、かたちの意味に徹底的にこだわった人で、異色の存在。彼の書いた古代エジプト建築の本が見直される所以です。
もちろん個々の情報が古くなっている点は否めませんが、こうした本にあっては思考の跡こそを辿るべきで、間違い探しをしてもあまり意味がない。むしろ何が批判されているかを読み取ることが重要となります。
ドームについて、あるいは建築文化について知っているような顔をするなという強烈な無言のメッセージがあり、忘れ難い書。

2009年4月2日木曜日

Berman (ed.) 1990


クリーヴランド美術館は75周年記念に当たる1991年のために「アメンヘテプ3世展」を企画しました。この展覧会はアメリカとフランスを巡回し、大成功を収めましたが、その準備のために開催された国際シンポジウムの記録。研究会といった性格を持ちます。
この企画の発案者はクリーヴランド美術館の学芸員A. P. コズロフで、彼女は滋賀県にあるMiho Museumの収蔵品カタログの解説も書いたりしていますので、日本においても知られている研究者。
シンポジウムはコズロフとB. M. ブライアンが手配し、その後に"Amenhotep III, Lord of a Perfect World"という名の展覧会が開かれるはずでした。

Lawrence Michael Berman (ed.),
The Art of Amenhotep III:
Art Historical Analysis.
Papers Presented at the International Symposium Held at
The Cleveland Museum of Art, Cleveland, Ohio, 20-21 November 1987.
(The Cleveland Museum of Art, Cleveland, 1990)
xii, 92 p., 27 pls.

この論文集で一番長い原稿を寄せているのはR. ジョンソンで、彼は壁画や碑文を模写して記録にとどめる作業を行う専門家です。ルクソールにおいて長くこの作業に携わっている中で、アメンヘテプ3世の図像を、様式的に3つに分けられる点に気づきました。アメンヘテプ3世の治世は40年弱であって、これは紀元前約1300年前の話です。今から3300年前に描かれた壁画を見て、そこに3つの年代差を見分けることができるという、まったく新しい話をこのシンポジウムで発表しました。またこの話が、以前から決着がずっとつかないでいたアメンヘテプ3世とアクエンアテンとの共同統治の問題と深く関わったものですから、一躍、注目を浴びることになります。
この影響か、展覧会の題も当初の計画から"Egypt's Dazzling Sun: Amenhotep III and His World"へと変更されました。"Dazzling Sun"は、ジョンソンの論文に出てくる言葉です。

ジョンソンの論考に対する意見をJ. F. ロマーノがすぐその後のページに書いており、このふたつは比較して読む必要があります。

W. Raymond Johnson,
"Images of Amenhotep III in Thebes:
Styles and Intentions",
pp. 26-46.

James F. Romano,
"A Second Look at 'Images of Amenhotep III in Thebes:
Styles and Intentions' by W. Raymond Johnson",
pp. 47-54.

ジョンソンが根拠としたのは眼や鼻、また唇のかたちの違いで、美術史学的なこの鑑識の結果が考古学者には実感が伴わず、共有されないことが明瞭にされており、興味深い。
ベス神の像を扱って1000ページ以上の分量の博士論文を著しているロマーノは、こうした断絶の様態を良く知るひとりで、

"Archaeologists and art historians are trained to separate their subjects, be they artistic styles, cultures, etc., into groups." (p. 53)

とさえ言っています。
最後のまとめの言葉を記しているW. K. シンプソンも、

"Egypt communicates to us in two principal ways. The first is text --- in written language, artfully structured, always with a purpose but not always a comprehensive intent. (.......) The second means of communication is two- and three- dimensional communication, which is more subtle." (pp. 81-82)

というように、表現の引き裂かれた空隙を問いかけています。
エジプト学において何が「真」なのかが定まっていない点が露呈され、薄いけれども注目される書です。

2009年4月1日水曜日

Wanscher 1980


格式を備えた折り畳み椅子を世界中から探し出した奇書。古代家具の研究書としてはH. S. Bakerの本とともに必ず挙げられるといっても良い非常に有名な本で、類書がまったくありません。
「家具 オーレ・ワンシャー」のふたつの単語で検索するならば「北欧家具デザイン界の巨匠」と出てくるはずですから、著者についてここで詳しく述べることは不要です。
題名の"sella"はラテン語で「椅子」のこと、また"curulis"は"currus"(chariot)から派生したらしい。古代ローマの皇帝が座る、背もたれのないX脚を持つ折り畳み椅子がこの名で呼ばれました。

Ole Wanscher,
Sella Curulis:
The Folding Stool, An Ancient Symbol of Dignity

(Rosenkilde and Bagger, Copenhagen ,1980)
350 p.

Contents:
Preface (p. 6)
I. Egypt (p. 9)
II. Ancient Near East (p. 69)
III. Nordic Bronze Age (p. 75)
IV. Cretan - Mycenaean (p. 83)
V. Greek (p. 86)
VI. Etruscan (p. 105)
VII. Sella Curulis (p. 121)
VIII. Faldestoel - Faldisrorium (p. 191)
IX. Pliant (p. 263)
X. China - Japan (p. 279)

1935年に、彼が建築専門雑誌へ折り畳み椅子の遺物について書いたことが契機となったと序文には見られますから、実に45年をかけて調べ上げ、書いた本と言うことになります。彼は1903年生まれですから、77歳の時に出版した書。日本で言えば喜寿に相当する年齢。

4000年以上にわたって世界で使われ続けた折り畳み椅子を、時代順に追っていきます。背もたれがなく、脚が交差し、折り畳むことができるこのタイプの椅子は、移動に便利な簡単な造りによるものでしたが、同時に権力の象徴でもありました。古代エジプトにおいても、ツタンカーメンの折り畳み椅子が知られています。第1章で、かなりの分量を割きながらエジプトの家具の例をまず紹介しています。第7章の、古代ローマにおける皇帝の椅子の記述も長い。その後、中世では高位僧職者の椅子として登場します。

一番最後の章では中国と日本における折り畳み椅子が扱われ、中国では2世紀に、すでに文字記録にあらわれるとのこと。古代ローマとの接触が疑われています。ここでも中国の皇帝が座る椅子。
日本の「床几(しょうぎ)」が出てくるのは、かなり本の後ろの方です。年月を費やして地球を巡り、東の果てへと辿り着きます。映画監督が座るディレクターズ・チェアとして、今なお最後の格式を保っている形式かもしれません。

家具設計者の視点から記された文面も多数散見され、興味深い。
掲載されている線描の図版はたいへん繊細で、著者の入念な配慮がしのばれます。

2009年3月31日火曜日

Weatherhead and Kemp 2007


アマルナの彩色された祠堂を扱う書。煉瓦造の建築復原をおこなう考察の中で、これほど詳しく記述したものを見たことがありません。非常な労作ですが、しかし一方で読者層はきわめて限られるために、どうやら徹底して安く出版することを考慮したらしく推測されます。

Fran Weatherhead and Barry J. Kemp,
The Main Chapel at the Amarna Workmen's Village and its wall painting.
EES Excavation Memoir 85
(Egypt Exploration Society, London, 2007)
iv, 420 p., colour plates (4 p.)

Egypt Exploration Society Excavation Memoir (EESEM)のシリーズですけれども、ペーパーバックです。EESEMのシリーズで他にこういうものがあったかどうか、あまり思い出すことができません。珍しいと思います。活字の大きさを落としており、かなり詰め込んでいる印象を受けます。
註は本文中で上付き数字ではなく、カッコ内に示されます。註に特別な組み方をしません。参考文献リストは2ページだけです。ケンプが関わった刊行物としては稀。
またテキストのページと図版のページ、表のページは綺麗に分けられており、入り混じるということがありません。複雑なページ構成を避けたようです。

図版を多く所収していますが、図版リストを掲載していません。ほとんどがモノクロによる図示で、カラー図版は巻末の4ページだけとなります。図版番号は章の番号と対応しており、このためカラー図版は3.1から始められますけれども、1.1があるわけではない。
モノクロのスクリーン・トーンの貼り分けで色彩を区別しており、図版の作成に多くの時間を要したと思われますが、オリジナルは大きな図であるらしく、ところどころでトーンの継ぎ目が白い線としてあらわれたり、あるいは製版の過程でモアレが生じてしまっていたりします。惜しいところですが、けれども本質的な問題ではない。

扱うのは床面積が300平方メートルに満たない祠堂で、発掘前、発掘後の平面図のみならず、壁体が倒壊した方向、各部屋に埋まった建築関連の遺物の図示、各彩色壁面のモティーフなどが復原図とともに掲げられています。入念な考察がなされており、層位を示す断面図も豊富。
もっとも感心したのは、彩画片の接合状況を図示した点です。どの断片とどの断片とが実際に接合できたのか。これをモティーフ全体を復原してあらわす図の中に書き入れています。つまり、全部のピースが揃っていないジグソーパズルを解くわけですから空白部分があるわけで、このためにモティーフはいくらか伸縮が自在となります。しかし決して離して考えてはいけないピース同士があり、これらを具体的に図示したのは画期的です。

一番重要と考えられるサンクチュアリの前面については、2種類の復原図が見開きで対照できるように提示されています(pp. 220-221, Figs. 3.16, 3.17)。ブーケのパネルの当初位置が不明であることが原因。鍵となるべきコーナー片などが見つからなかったようです。
この判断も非常に面白い。自分だったらどのように判断するか、楽しめます。

最後の復原パネルの制作を扱った項も参考になります。パネルの重量を低減させるために工夫が見られ、またやり直しができるようにも考えられています。
本の裏には著者紹介が掲載されており、

"Fran currently lives in Norfolk, paints for a living, and is making a study of the local fishing industry."

とありました。この文が何を意味するのか、感慨を覚えるところがあります。

2009年3月30日月曜日

Arnold 2008


リシュトにある古代エジプトの中王国時代の私人墓に関する建築報告書。すでにメトロポリタン美術館が1900年代の初期に発掘調査をおこなったものの、報告書がずっと未刊行のままでした。
追加の調査をおこない、当時の記録をもとに、厚い報告書に仕上げています。

Dieter Arnold, 
with an appendix by James P. Allen,
Middle Kingdom Tomb Architecture at Lisht.
Publications of the Metropolitan Museum of Art,
Egyptian Expedition, Volume XXVIII
(Metropolitan Museum of Art, New York, 2008)
99 p., 170 pls.

見どころは図版で、リシュトに位置するセンウセルト1世、あるいはアメンエムハト1世のピラミッドの周囲に築かれた数々の墓が対象。建築の専門教育を受けた人間が調査隊長で、しかも主として本人が図面を描いているから、非常に見やすい。いくつかの図はすでにアーノルドのBuilding in Egyptの中で紹介されていますが、見応えのある図面がここでも揃っています。折り込みとなっている図版も少なくありません。
地上に建物が立つ他に、地下にも迷路のように部屋や廊下が造営されますから、理解が容易となるように、場合によっては立体図(アクソノメトリック)も交えています。手前の部分をカットアウトして見やすくする工夫が特に注目されます。
新王国時代、平地に盛んに建てられたいわゆる「トゥーム・チャペル(神殿型貴族墓)」の形式と似たものが、すでにあったことが分かって興味を惹きます。中王国時代の住居の形式とも相似を示している部分があり、もう一度問題を広く捉え直すべき時期に来ているのかもしれません。

盗掘行為を防ぐために、二重に設けられた石の引き戸(!)が用意された墓がうかがわれるのが面白い。立てた石の平板を上から落とす「落とし戸」ではなく、横から石板を引き出してきて通路を塞ぐ方式です。斜め上から石版を落とす方式はダハシュールの屈折ピラミッドの中で見られ、有名ですけれども、引き戸というのは驚かされる。

CGによって地上の建物を復原している図は、非常に精緻で素晴らしい。石材のひとつひとつの大きさがまちまちであるというのが大方の古代エジプトにおける石造建築の特徴なので、CGの作り手にとっては面倒であったはず。床面の敷石に至っては不定形の石が並べられますので、これも苦労したかと思われます。石目地のパターンをただコンピュータ上のモデルに貼り付けるだけでは不満が残る箇所。
この本のシリーズはまだ続くようで、石棺の類型などに関しては、ダハシュールの中王国時代の私人墓をまとめた次巻にて記されるとのこと。

著者は、テーベにおけるデル・エル・バハリのメンチュヘテプ2世の記念神殿はもちろん、中王国時代のピラミッド群など、主要なモニュメントの発掘調査に長く関わってきた人。奥さんは土器の専門家、子供もエジプト学者という点は以前にも触れました。
メンチュヘテプ2世の記念神殿については、基壇上にピラミッドを載せる姿をとった20世紀初期の復原案が、アーノルドによって疑問符を付され、今やほとんど信じられていません。
一枚の復原図を描いた時に、それが50年持つか持たないか、建築に関わる者はそれを競うということではないかと思われます。

2009年3月29日日曜日

Hillier and Hanson 1984


「空間の社会的な論理」といったような題の書。再版を重ね、古代建築にこの考えを援用した論考もすでに多く発表されており、非常に興味深い。
ただし、古代エジプトの例に適用しようとした試みは、私見ではあまり見当たらないようですが。

Bill Hillier and Julienne Hanson,
The Social Logic of Space
(Cambridge University Press, Cambridge, 1984)
xiii, 281 p.

Contents:
Introduction
1 The problem of space
2 The logic of space
3 The analysis of settlement layouts
4 Buildings and their genotypes
5 The elementary building and its transformations
6 The spatial logic of arrangements
7 The spatial logic of encounters: a computer-aided thought experiment
8 Societies as spatial systems
Postscript

非常に意欲的な内容を有する本で、たとえば序文には、

"The aim of this book is to reverse the assumption that knowledge must first be created in the academic disciplines before being used in the applied ones, by using architecture as a basis for building a new theory - and a new approach to theory - of the society-space relation. (.....)
The aim of is to begin with architecture, and to outline a new theory and method for the investigation of the theory-space relation which takes account of these underlying difficulties." (p. x)

と記されています。
広範な領域を扱おうとするにも関わらず、その論の前提は比較的簡単で、建物の部屋をただの○であらわし、部屋と部屋との繋がりは線で結ぶことで表現する、ということに基本は尽きるように思われます。

でも、部屋の大きさも、方角も、窓の有無も、床の高低差も、室内に立つ柱の本数も、天井高さも、その他の建築表現にまつわる一切を完全に無視するというこの考え方は、きわめて近代的な思考方法を前提の了解としており、現代が獲得した建築に対する考え方を先鋭化した結果であるという点がまず認識されていなければなりません。
それらは要するに、些細な「飾り」なのだという物言いがなされていることに建築家は気づくべき。

その上で、著者たちは「空間の深さ」という大胆な概念を抽出します。その重要性は強調されるべきです。ここで初めて上述の"society-space relation"が問われるという構成です。

従って、「この論をそのまま古代の遺構に当てはめることができない」といった論点はまったくの見当外れで、ヒリアーたちの意図を充分汲んでいるとは思われません。
何人かの考古学者たちがこうした批判をおこなっていますけれども、そんなことは当たり前。むしろ、そのような考え方によって何が掬い上げることが不可能なのかが問題とされるべきであり、現代の建築と古代の建築との差異が、ここではっきりと明らかにされる可能性があります。

"For example, the 'pattern language' of Christopher Alexander and his colleagues at Berkeley, while appearing at first to be close to our notion of fundamental syntactic generators, is in fact quite remote, in intention as well as in his intrinstic nature." (p. xi)

と記していることは注目されます。「パターン・ランゲージ」の著者のC. アレクサンダーへの批判です。

冒頭の註では人類学者クロード・レヴィ=ストロースや社会学者ピエール・ブルデューの著作などが並びます。ふたりともコレージュ・ド・フランスの教授で、フランスを代表する知性。
考古学における、さらなる展開への突破口を示唆する書。ヒリアーは「空間は機械である」という著作も後に書いています。

2009年3月28日土曜日

Hahn 2001


「アナクシマンドロスと建築家たち」という題の風変わりな本。奇妙な本であると著者も自分で冒頭に書いていますが、これを出版したのは哲学科の准教授で、古代ギリシア哲学の専門家。
アナクシマンドロスと言えば、最初の哲学者たちのうちのひとりとして挙げられる人物で、彼が宇宙論を考え出した発想の原点には古代の建造技術が関わっていると記しています。

Robert Hahn,
Anaximander and the Architects:
The Contributions of Egyptian and Greek Architectural Technologies to the Origins of Greek Philosophy.
Suny Series in Ancient Greek Philosophy
(State University of New York Press, New York, 2001)
xxiii, 326 p.

Contents:
Introduction
Chapter 1: Anaximander and the Origins of Greek Philosophy
Chapter 2: The Ionian Philosophers and Architects
Chapter 3: The Techniques of the Ancient Architects
Chapter 4: Anaximander's Techniques
Chapter 5: Technology as Politics: The Origins of Greek Philosophy in Its Sociopolitical Context

最初の哲学者たちと古代エジプト建築との関わり、ということを問えば、例えばイオニア地方にいた哲学者タレスが影の実測を用いて、初めてピラミッドの高さを計測した逸話などが思い出されます。それまで実用的な技術を発達させてきた古代エジプトの考え方を、はじめて幾何学へと結晶させたといった言い方がなされる部分。ですから話題そのものとしては、決して珍しくはありません。けれども、古代エジプトから古代ギリシアへの実際の建築技術の伝播については、これまでほとんど詳しく分かっていないはずです。

タレスの考え方を批判的に継承したのがアナクシマンドロスで、こうしたソクラテス以前の哲学を見ていくと、それぞれが大旅行者であり、その旅程のさなかで「世界の全体」というのは何かということを絶えず頭の片隅においていた思索者であり、また全体の論を組み立てるために「万物の根源」へと考えを遡行させていった偉大な夢想者であったことが良く了解されます。アナクシマンドロスはこのような過程で「アルケー(根源・始原)」ということを言い出しました。つまりは考古学(アルケオロジー)の先達者と言うことになります。
ソクラテス以前の諸考察に関して精読をおこなったマルティン・ハイデガーが「古来から存在が問われてきた」という内容の「存在と時間」を20世紀に発表し、各分野に大きな影響を与えたことも併せて思い起こされます。

しかしこの本の面白い点は、バダウィのいわゆる「ハーモニック・デザイン論」を否定しているCAJ 1:1(1991)に掲載されたB. J. ケンプとP. ローズの論、"Proportionality in Mind and Space in Ancient Egypt"も検討したりと、古代エジプト建築の計画論に関わる最近の研究史の概要を提示しているところにあります。こういう本格的な論考を、エジプト学関連の刊行物の中ではまだ見ることができません。
これは大きな収穫で、エジプト学に直接関わっていない人から見ると全体としてどういうふうに眺められるのかが良く分かり、基本的な問題点がはっきりする利点があります。事情が良く分かっているC. ケラー、G. ロビンズ、D. オコーナーなどに著者が直接相談していることもあって、ここまでの論旨は明瞭。彼らはいずれも良く知られたアメリカのエジプト学者たち。オコーナーはケンプと共同で発掘調査もおこなっており、ケンプの良き理解者です。
ただし、うまく纏められた論述ですけれども、266ページではE. イヴァーセンの名前を"Iverson"と綴っていたりもしますので、注意が必要。

アナクシマンドロスの天体論・宇宙論が、古代ギリシアの柱のドラムの形状から発想されたという辺りに対しては大きな異論も出るでしょうが、古代ギリシア建築と古代エジプト建築との計画方法の関わりを密接に説いている本として貴重です。
古代エジプト建築の研究者D. アーノルド、また古代ギリシア建築を専門とするA. オルランドス、R. マルタン、J. J. クールトンらの名前が同じ章の中に出てきます。イオニアの神殿では柱の根元での太さと高さとの比が1:10になることの検証が144ページから続き、周到な論の運びなのですが、これがどうして宇宙の大きさの話となってしまうのかが謎。

クメール研究においても、建物の遺構における特定の寸法が実は天体の位置関係をあらわしているのだといったような、建築学的にはどうしても首を傾げざるを得ないことを表明しているこの種の本があって、

Eleanor Mannikka,
Angkor Wat:
Time, Space, and Kingship

(University of Hawaii Press, Honolulu, 1996)
341 p.

なども、また同じ理由で論駁されるべき図書。

2009年3月27日金曜日

Kemp and Rose 1991


ケンブリッジ考古学雑誌(CAJ)は1991年の創刊ですから、比較的若い雑誌。年に2回の発行です。第1巻第1冊目という最初の号に、ケンプとローズが共同執筆している論文。
ケンプはこの雑誌の編集委員に名を連ねていますので、あまりレベルの低い内容のものを書けない立場です。むしろ、注目すべき投稿論文を世に出して、新たに刊行されたこの雑誌に関心を集め、格を高めなければなりません。何といっても、ケンブリッジ大学の考古学雑誌です。
そうした状況のもとで書かれた論考。

Barry Kemp and Pamela Rose,
"Proportionality in Mind and Space in Ancient Egypt",
Cambridge Archaeological Journal (CAJ), Vol. 1, No. 1
(April 1991), pp. 103-129.

一見、話があちこちに飛ぶように思われるので、この論文はあるいは逆に、最後から読むと分かりやすいかと思われます。つまり、結論を先に読んでしまうことです。そうすると、古代エジプトの分析などで未だに良く用いられている「黄金比」などを否定していることが分かります。さまざまな補助線を書き加えて検討をおこなう美術史学的な分析に関しては、

E. C. Kielland
Geometry in Egyptian Art
(Dreyers Forlag, Oslo, 1987)
142 p.

などが代表的。

このケンプという人は、もともと黄金比とか円周率などを古代エジプト建築の分析に持ち込むことに懐疑的な人でした。その大きな影響下に、例えばC. Rossiの本、Architecture and Mathematics in Ancient Egyptが書かれています。ただ、エジプト学でも黄金比を用いて解釈するという美術史学の長い歩みがありますから、一言で否定するというのは難しい。
当論文では、経験心理学によるここ20年来の研究の成果をまず踏まえて書き始められるという点が面白い。それまで触れられなかった観点からの黄金比の適用の見直しが試みられています。

黄金比に関する簡単で周到な紹介が終わった後、ある種の価値判断については、その割合が黄金比(1:1.618)に近似するという経験心理学上の興味深い話題に移り、これを受けて古代エジプトの例を検証します。そこで第一に取り上げられるのは当時の「カレンダー」を記したパピルス文書で、ちょうど日本の「大安」「仏滅」と同じように、日々の吉凶が文字資料として残っているものを扱っています。

pBudge(357日間)
pSallier IV(209日間)
pCairo 86637(344日間)

などが引用されていますが、こうして最新の人文科学研究と古代エジプトの諸資料を思わぬところで結びつけて見せるのがケンプの本領。また同時に、吉凶を記す「夢の本」であるチェスター・ビッティ・パピルスについては、論述から注意深く除かれている点にも注意が惹かれます。

話はさらに人物の立像の下書きで用いられたキャノン・グリッドや家具のプロポーションに及び、最後に建築平面図の解析へと入ります。
結論では

"Badawy's claim for the existence of 'some regulating system of proportions ... crystallized into a framework of general laws' (Badawy 1963, 2) seems to be unlikely." (p. 127)

と述べられており、ある程度の傾向は認めながらも、最後は否定する方法をとっています。
A. バダウィに対する反論が記された論文で、建築学においては重要視される考察。

2009年3月26日木曜日

Maragioglio e Rinaldi 1963-1975


2人のイタリア人によるピラミッド集大成。主なピラミッドをすべて再調査し、実測もおこなって大判の図面を作成するという画期的な出版物でしたが、惜しまれるのは全巻が刊行されていない点です。ネチェリケトの階段ピラミッドを扱う予定であった第1巻は未刊。また第8巻の存在について言及しない参考文献リストにもしばしば出会います。
テキストはイタリア語と英語の併記ですが、図面中の文字はイタリア語のみ。
体裁は少々乱れることがあり、Parte II に対しては2回も補足が出されました。以降も訂正や改訂図面が後続の巻に所収される場合があって、注意が必要です。図面の寸法線も描き誤りが見られないこともないので、どこの大きさがあらわされているのかを逐一確認すべきです。
それにしても、素晴らしい実測図集。信じがたい労作です。

Vito Maragioglio e Celeste Ambrogio Rinaldi,
L'architettura delle piramidi menfite.

Parte II: La piramide di Sechemkhet, La Layer Pyramid di Zauiet el-Aryan e le minori piramidi attribuite alla III dinastia
(Tip. Artale, Torino, 1963)
74 p., 11 tavole.
Parte II: Addenda
(Tipografia Canessa, Rapallo, 1964)
16 p.
Parte II: 2 Addenda
(Tipografia Canessa, Rapallo, 1965)
11 p.

Parte III: Il compresso di Meydum, la piramide a doppia pendenza e la piramide settentrionale in pietra di Dahsciur.
2 vols., testo e tavole
(Tipografia Canessa, Rapallo, 1964)
166 p., 19 tavole

Parte IV: La Grande Piramide di Cheope.
2 vols., testo e tavole
(Tipografia Canessa, Rapallo, 1965)
201 p., 14 tavole.

Parte V: Le piramidi di Zedefra e di Chefren.
2 vols., testo e tavole
(Officine Grafiche Canessa, Rapallo, 1966)
158 p., 17 tavole.

Parte VI: La Grande Fossa di Zauiet el-Aryan, la piramide di Micerino, il Mastabat Faraun, la tomba di Khentkaus.
2 vols., testo e tavole
(Officine Grafiche Canessa, Rapallo, 1967)
214 p., 21 tavole.

Parte VII: Le piramidi di Userkaf, Sahura, Neferirkara. La piramide incompiuta e le piramidi minori di Abu Sir.
2 vols., testo e tavole
(Officine Grafiche Canessa, Rapallo, 1970)
203 p., 15 tavole.

Parte VIII: La piramide di Neuserra, la [Small Pyramid] di Abu Sir, la [Piramide distrutta] di Saqqara ed il complesso di Zedkara Isesi e della sua regina.
2 vols., testo e tavole
(Officine Grafiche Canessa, Rapallo, 1975)
125 p., 17 tavole.

なお2人は、このシリーズに先駆けて

Notizie sulle Piramidi di Zedefra, Zedkara Isesi, Teti
(Tip. Artale, Torino, 1962)
64 p., 10 tavole.

も出しています。
最近ではカスル・イブリムの調査報告書を出している模様。

2009年3月25日水曜日

Waddell 2008


ローマのパンテオンに関する集大成。建築について調べると言うことがどういう作業を指すのか、良く分かります。30年間にもわたってこの建物を訪れ、調べ続けたらしく、情報量は圧倒的。どうやら建物中の部屋をくまなく見ているらしい雰囲気で、屋根にも登っています。
パンテオンについてこれほど詳しい本が出たのは、おそらく最初です。

著者はチャールストン大学のアーキヴィスト。史料の収集に関してはプロです。
ただM. ウィルソン・ジョーンズへの謝辞があり、建物の痕跡をどう解釈するかについては彼の助言が相当大きかったことが示唆されます。建築家であり、建築史家でもあるウィルソン・ジョーンズの主著、Principles of Roman Architecture (New Haven, 2000)の最後のふたつの章はパンテオンの謎について記されたものですから、その決着がどのように書かれるのかが、注目されるひとつの点。

Gene Waddell,
Creating the Pantheon:
Design, Materials, and Construction.
Bibliotheca Archaeologica, 42
(L'Erma di Bretschneider, Roma, 2008)
428 p. including 240 illustrations.
ISBN 978-88-8265-493-1

Contents:
Part I: Introduction
1. Preliminary Considerations
2. Major Advances in Knowledge

Part II: Roman Design and Construction
3. Standard Design Procedures
4. Concrete Construction
5. General Sources of Design
6. Specific Sources of Design and Construction

Part III: Preliminary Design Phase
7. The Site
8. Structural Design

Part IV: Concrete Construction
9. Lower Drum and Block
10. Upper Drum and Block
11. Dome

Part V: Embellishment
12. Comparisons of the Orders
13. The Porticoes
14. Finishing
Conclusions

ローマのパンテオンは、最も有名な観光の名所のうちのひとつですが、列柱玄関部(ポルティコ)の不自然さについてはかなり昔から討議されていました。何故こんなに不格好なのかということが長年、建築の関係者の間では話題となっていたわけです。
歴史上の有名な建物は、すべて完璧にまで美しい作品だから広く世に知られているのだろうと考えると、大きく間違えます。パンテオンはその典型で、建物全体から見るとひどく見劣りがする列柱玄関は、最初はなかったのではないかとも考えられたりしました。
この本では、もっと高い列柱玄関が計画されたのであろうが、基礎への負担を軽減するため、低く抑えられたのではないかと結論しています。

建築の報告書として読むことを考えるならば、あまりにも淡々として語られ過ぎているという印象が与えられ、新たに作成された説明図が見たかったという思いが残ります。テキストと図版をすっぱりと分け、文中には一切、図や写真がないのも特徴。建築家がもしこの本を纏めるとしたら、どのように異なったかを想像するのも面白い。

イタリアで出版された本であるため、多少入手しにくい側面があります。Amazonなどでは検索で出てこないかもしれないところが問題点です。
パンテオンに関する近刊の書が序文にて予告されており、こういう知らせも貴重。

2009年3月24日火曜日

Wilson Jones 2000


古代ローマ建築の研究における重要な基本文献。建築家であり、また建築史家である者によって書かれた論考です。これまで執筆されてきた論文の集大成。

Mark Wilson Jones,
Principles of Roman Architecture
(Yale University Press, New Haven, 2000)
xi, 270 p.

Contents:
Introduction: The Problem of Interpretation

Part I
I. Questions of Identity
II. Vitruvius and Theory
III. The Dynamics of Design
IV. Ground Rules: Principles of Number and Measure
V. Ground Rules: Arithmetic and Geometry
VI. Coping with Columns: The Elevation
VII. A Genius for Synthesis: The Corinthian Order

Part II
VIII. Trajan's Column
IX. The Enigma of the Pantheon: The Interior
X. The Enigma of the Pantheon: The Exterior

Appendices
A. Tabulated Measurements of Selected Buildings
B. Measurements and Analysis relating to the Corinthian Order

全体は2つに分かれており、前半は設計理論、後半は実際の遺構分析です。前半のうち、第3章は重要。"The Dynamics of Design"という章の題は、明らかに美術史学的な分析方法を意識しています。「静的な分析」、つまり平面図や立面図などに、補助線をたくさん引いて簡単な比例を求めたり、黄金比を当てはめたりするだけに終わる作業に対して、はっきりとした異和を唱え、「動的な分析」を提唱している言葉です。第4章も面白い。"The 1:10 ratio between column diameter and height"; "The 1:1 proportion of the front facade"など、いくつか列挙しています。

図版が豊富である点はありがたい。
後半ではトラヤヌス帝の柱とパンテオンしか扱っていません。しかし、ともにローマにあるこのふたつの遺構についてはあれこれと、普通では考えられない変な部分を指摘して分析を加えています。

最後の二つの付章はとても素晴らしい。
最初の章では主な遺構について、主要寸法と当時の基準尺(ローマン・フィート=296mm)への換算、誤差、そして想定される計画寸法を掲載しています。
次の章ではコリント式オーダーの柱の実例を列挙し、詳細な寸法リストを作成しています。皇帝が好んで用いた大型のコリント式の柱が網羅されているわけで、有用です。
古典古代建築に興味がない人でも、おそらくは図版だけで充分楽しめる書。古代エジプトに関する本を出すとするならば、どういうものが考えられるのかという問題にも大きな示唆が与えられる本です。

2009年3月23日月曜日

Powell (ed.) 1987


古代中近東の世界における労働の諸相を記した本。この領域に関する文献としては、最強の部類に属するものです。20年前の本ですが、これに代わる書は未だ出ていないはず。
巻末には「重要な古代語」の索引も設けられていて有用。

Marvin A. Powell,
Labor in the Ancient Near East.
American Oriental Series, Vol. 68
(American Oriental Society, New Haven, 1987)
xiv, 289 p.

古代エジプトのピラミッド建造に関わる労働者たちということであるならば、例えば、

Ann Rosarie David,
The Pyramid Builders of Ancient Egypt:
A Modern Investigation of Pharaoh's Workforce
(Routledge and Kegan Paul, London, 1986)
x, 269 p.

などが代表的な一般向けの入門書ですが、パウエル編のこの本では、ピラミッドの石材に残されていたヒエラティックによる書きつけを読んだ上での考察が展開されており、季節としてはいつ働いたのかなど、非常に詳しく検討されています。
シュメールにおける労働については、日本の前川和也先生が執筆なさっています。

Kazuya Maekawa,
"Collective Labor Service in Girsu-Lagash:
The Pre-Sargonic and Ur III Periods",
pp. 49-71.

しかし特に注目すべきは、この本の中でもっとも長い文が書かれている新王国時代の労働者組織についての章で、

Christopher J. Eyre,
"Work and the Organisation of Work in the New Kingdom",
pp. 167-221.

は古代エジプトにおける労働組織に関する基本文献。
関係するオストラカ(単数形はオストラコン。石灰岩片や土器片に文字が記されたもの。原義は「蛎殻」)やパピルスを専門に読む学者によって記された論文で、きわめて緻密な内容を示します。デル・エル=メディーナ(ディール・アル=マディーナ)を中心とし、人数、班構成、休日がいつ与えられたか、ストライキの話、掘削作業における明かりの問題、作業記録の方法、配給された品々など、逐一、根拠となる文字資料を挙げている点は素晴らしい。
チェルニーによる重要な本、

Jaroslav Cerny,
A Community of Workmen at Thebes in the Ramesside Period.
Bibliotheque d'Etude (BdE) 50; IF 453
(Institut Francais d'Archeologie Orientale, Le Caire, 1973)
iv, 383 p.

の改訂増補版といった位置づけとなりますが、この原稿はもともとはEyre自身の博士論文をもとにしていると推察され、こちらは400ページほどの厚さ。

Christopher Eyre,
Employment and Labour Relations in the Theban Necropolis in the Ramesside Period
(Dissertation, unpublished. Oxford, 1980)
iv, 387 p.

UMIを通じての米国における博士論文の入手とは異なり、英国で書かれた博士論文の入手は面倒で、著作権に関して念書の提出が必要となったりします。
他国の博士論文はもっと面倒。

2009年3月21日土曜日

Dumarcay 2005


南アジア及び東南アジアにおける建造技法を図説した本。ボロブドゥールやバイヨンの建築報告書などを執筆したことで、著者デュマルセは名高い学者です。建築の目利きとして有名。
特に南アジア建築の技法を述べた本はきわめて稀で、注目されます。
概説を広く記すことに心が砕かれたようです。

Jacques Dumarcay, translated by Barbara Silverstone and Raphaelle Dedourge,
Construction Techniques in South and Southeast Asia: A History.
Handbook of Oriental Studies, Section 3: Southeast Asia, vol. 15
(Brill, Leiden, 2005)
vii, 108 p., 100 figs.

本文は100ページほどしかなく,あとはモノクロの図版ですが,木,土,石など、この地域で用いられた建築素材を網羅しています。多種多様にわたる建築の形式をまとめることができたのも、この人ならではの仕事。厚い書籍ではありませんが、初めて見る図版がいくつか加えられています。石だけを重視するという立場を取っていません。

「建築の技術では建物を空中へ実際に浮かせることはできないけれども、アンコール・ワットやペナタランのように、ガルーダに支えられて浮かんでいる強烈なイメージの実現こそが建築なのだ」というようなことが結論の最後には書かれており,そこに彼の深い建築観が看取されます。
この20年ほどの間で、建造技法について記した本は矢継ぎ早に出版されており、そろそろ比較がおこなわれても良い時期です。

この同じシリーズで、デュマルセはクメール建築史を書いています。

Jacques Dumarcay and Pascal Royere, translated and edited by Michael Smithies,
Cambodian Architecture, Eighth to Thirteenth Centuries.
Handbook of Oriental Studies, Section 3: Southeast Asia, vol. 12
(Brill, Leiden, 2001)
xxx, 274 p., 148 figs.

こちらも重要。
出版社のブリルはヨーロッパにおける老舗で,このHandbook of Oriental Studiesのシリーズには,他にも見るべきものが多く含まれています。

2009年3月20日金曜日

Hoelscher 1934-1954


古代エジプト建築の中で最も詳しく報告がなされているのは実はピラミッドではなく、メディネット・ハブとして知られているラメセス3世の記念祭殿。ヘルシャーが20年をかけてまとめた大判のこの5冊の報告書は、もちろんヘルシャーの主著のうちのひとつ。
特に第一巻の、判型がさらに大きい図面集には圧倒されます。ここには塔門のカラー復原図なども掲載されています。歴史あるアメリカ・シカゴ大学の東洋研究所(OIC)による刊行。

Uvo Hoelscher,
The Excavation of Medinet Habu, 5 vols.

Vol. I: General Plan and Views.
Oriental Institute Publications (OIP) XXI
(The Oriental Institute of the University of Chicago (OIC), Chicago, 1934)
xiv, 4p., 37 plates.

Vol. II: The Temples of the Eighteenth Dynasty.
OIP XLI
(OIC, Chicago, 1939)
xvii, 123 p., 58 plates.

Vol. III: The Mortuary Temple of Ramses III, Part I.
OIP LIV
(OIC, Chicago, 1941)
xiii, 87 p., 40 plates.

Vol. IV: The Mortuary Temple of Ramses III, Part II.
OIP LV
(OIC, Chicago, 1951)
xiii, 54 p., 42 plates.

Vol. V: Post-Ramessid Remains.
OIP LXVI
(OIC, Chicago, 1954)
xiii, 81 p., 48 plates.

第18王朝時代に属する記念神殿との比較をおこなった第2巻については、シュタデルマンが後に新たな考察を加えています。

このシリーズで見どころといえば、記念神殿に付設された宮殿が詳細に報告されている点で、第1期と第2期とが区別され、復原図も描き起こされています。古代エジプトの宮殿建築に関する第一級の資料。
古代エジプトのいわゆる「ハーレム」について調べようとすると、このメディネット・ハブの入口の門に必ず言及されていることに気づきますが、これは上階に珍しいモティーフが残っているためです。

メディネット・ハブの紹介でしたら以下の本も、とても重要。
薄い横長のペーパーバックながら、内容は非常に充実しています。トトメス3世小神殿の紹介は参考になります。
著者は惜しくも亡くなりました。現在ではダウンロードが可能。

William J. Murnane,
United with Eternity: A Concise Guide to the Monuments of Medinet Habu
(OIC, Chicago, 1980)
vi, 90 p.

http://oi.uchicago.edu/research/pubs/catalog/misc/united.html


2009年3月19日木曜日

Packer 1997


福岡キャンパス図書館の書架に並んでいるのを見て思い出した本。記憶に頼って書くという無謀なことをやりますが。
書誌は以下の通り。

James E. Packer,
The Forum of Trajan in Rome:
A Study of the Monuments, 3 Vols.
California Studies in the History of Art, 31.
Vol. I: Text.
Vol. II: Plates.
Vol. III: Portfolio.
(University of California Press, Berkeley and Los angeles, 1997)
xxx, 498 p. + xiv, 114 plates, 11 sheets of microfiche + iv, 34 folios.

ローマの中枢にある、トラヤヌス帝のフォルムに関する報告書。
フォルムというラテン語は要するに「広場」を指し示しており、日本語でも現在では「フォーラム」という表現で伝わっている言葉。

細長い広場の報告書が、何故500ページ以上も費やされて記されているかということを改めて考えると不思議です。建築を丁寧に報告すると、このような形態になると言うことが良く分かって参考になる本。

使用石材があちこちに散らばっていて、博物館に収蔵されたりもしており、これらを追う地道な作業が強いられます。ローマ時代には有名な建物がラテン語でも記録に残されるわけで、その文章表現もまた、重要な資料のうちに含まれます。
オーダーがあるので、柱の径などの情報をもとにして柱全体の復原も不可能ではない。このため、石材一点一点の扱いが重視されることになります。古代エジプト建築の報告と大きく異なるところです。

でも、対象はあくまでも広場です。そこに並べられた列柱が広場の格を高めるための役割を帯びることとなりますが、それももう全部が揃っていません。テキストを含む断片的な情報を集大成し、ばらばらになった建材にも注目し、また広場の設計方法を探り、という過程を踏んでの論考。
建築の報告書というものが、いかなる存在であるかを知るには最適の例かもしれません。

3巻の構成で、マイクロフィッシュが付いています。見るための専用の機械が必要。あるいは紙焼きにしてもらうこともできますが、高くつきます。
建築を本に仕立てると言うことの意味を考えるに当たって、いろいろなことを考えさせる重厚な書籍です。これほどの厚い本は珍しい。

ローマの中枢である場所を散策することはお勧め。現在、この周辺に車が進入することは禁じられています。考古学者にしてみれば、立ち入り禁止の領域をもっと広げておきたいところなのですが、それでは観光産業が成り立たなくなります。
観光客をどこまで入れるのか。また、遺跡をどう見せるのか。外国へ行った時に、観光客という立場を離れ、企画者の側の観点に立って遺跡を見るということも、是非試してもらいたい見学方法です。

2009年3月14日土曜日

Rivers and Umney 2003


家具の修復に関する手引き書。
家具では木材の他に、皮革や布・紐・金属・貝・骨・象牙・石など、多様な材料が組み合わされる場合が少なくありません。
さらには塗装や彩画が施され、複雑さの度が格段に増します。ここに家具の特殊性があり、面白さが感じられるところです。

いくつかの家具には、動きも加えられます。移動のための車輪、開閉できる扉、収納のための引き出し、家具自体の折りたたみ機構など。
複雑に組み合わされた機械とよく似た面を、家具というものは持っていて、多くの建築家が家具の設計に惹きつけられるのは、たぶんそうした魅力を備えているからだと思われます。

家具という存在はまた、建築の延長上に考えることができ、座ったり、寝そべったり、人間が日常でじかに接触する特別な建築の部位としての意味も持っています。構造的な強度を考えなければならない他に、素材の暖かさや柔らかさも勘案しなければなりません。

Shayne Rivers and Nick Umney,
Conservation of Furniture.
Butterworth-Heinemann Series in Conservation and Museology
(Elsevier, Butterworth-Heinemann, Oxford, 2003)
xxxiii, 803 pp.

800ページを超える大著で、木を巡る章では経年変化に伴う収縮率、構造力学の公式、使用する有機物の化学式など、ページをめくる度に、現在の復原修復作業に関わってくる必要な事項が次々とあらわれ出てきます。
数学と化学の基礎知識が、今日の保存修復においては必要であることを改めて痛感する本。

153ページ以降、あるいは753ページ以降では、

「日本すること」(Japanning)、
「日本された家具」(Japanned furniture),

なんていう書き方をしている箇所もありました。
これは「漆塗り」のことで、堅牢な塗膜を形成するこの技法が、世界に広くすでに知られていることを示しています。

2009年3月13日金曜日

Rossi 2004


B. ケンプの指導のもとに書かれた博士論文が刊行されています。
「古代エジプトの建築と数学」というタイトルは、かなり派手に思われますけれども、これは類書がないためです。

Corinna Rossi,
Architecture and Mathematics in Ancient Egypt
(Cambridge University Press, Cambridge, 2004)
xxii, 280 p.

全体は3つのパートに分かれており、

Part I: Proportions in ancient Egyptian architecture
Part II: Ancient Egyptian sources; construction and representation of space
Part III: The geometry of pyramids

という構成です。

古代ギリシア建築の専門家として知られるクールトンが達成したことを、古代エジプト建築でもやろうとした意欲が良く伝わってきます。
クールトンはギリシア建築に黄金律を当てはめるようなそれまでの美術史学的な方法を一蹴し、建築を造るという実際の作業に即して分析を進めた研究者。建築研究を、美術史学的方法から建築史学的方法へと引き戻した人間として記憶されるようになるかと思います。
だからA. バダウィなど、これまで権威と考えられてきた者の考え方の否定がこの本では主な焦点となっており、この点は見逃せません。

最後にピラミッドの研究が挙げられており、いくつかに分類がなされているのは功績ですが、しかし特に目立った結論があるわけではない。
おそらく、セケドに関する考察が中途半端に終わっているからであるように感じられます。緩やかなスロープの勾配を、「セケドのような」方法で決定したとする言い方が端的に示しており、これもまた「セケド」であると言い切ってしまえば、ずいぶんと古代エジプト建築研究も進展するのですが。
「セケド」で問題となるのは、「縦と横とをひっくり返してもセケドと呼ぶことができるか」と言う点、また「1キュービットに対して1パーム、あるいは1キュービットに対して1ディジットと言ったようなものもセケドとして認められるか」というところです。セケドの概念の拡張に当たりますが、これを認めさえすれば、古代エジプト建築の研究は画期を迎えるように思われます。
鍵となるのは第一アナスタシ・パピルスの中の、いわゆる「オベリスクの問題」で、ピラミッドと同じように、斜めの面だけで構成されているオベリスクという特殊な形態がどのように決定されるのかについて、意図的に難しく、また省いて記されており、本当はこれこそが「古代エジプトの建築と数学」でまず中心に扱われるべき。ピラミッドの設計方法がリンド数学パピルスにしか書かれていないため、第一アナスタシ・パピルスにおける当該部分の記述はとても重要です。

ロッシはその後、イタリア語でエジプトに関する入門書などを出版しています。写真をメインにしたエジプトの遺跡の紹介をおこなったもの。トリノの本屋で見かけましたが、大判だったので購入を断念。

2009年3月12日木曜日

Frankfort 1933


亡き人を収めない空墓が「セノタフ」。
この建築遺構は異様な雰囲気を有し、中心の部屋では装飾がいっさい払拭されて、花崗岩の重厚な構成が呈する圧倒的な迫力が特徴。
類例遺構との比較考察から、古王国時代のものと比定される可能性もありましたが、石と石とを繋ぐ「かすがい」にセティ1世の王名が記されているのが発見されたため、オシレイオンとも呼ばれる当該建築の建造年代は決着を見ました。

新王国時代の後期に属するものの、古王国時代の様式を真似た建築であることが明らかであり、古様を尊重する建物の造り方がすでに存在していたことを示す上で貴重。
中央には水が引かれた溝を周囲に回した基壇を地下に据え、これは水面に浮かび上がった孤立する島をかたどっているとみなされます。
古代エジプトにおける世界創造の神話、「原初の丘」の再現を勘案した建築。

H. Frankfort,
with chapters by A. de Buck and Battiscombe Gunn,
The Cenotaph of Seti I, 2 vols.
Vol. I: Text.
Vol. II: Plates.
Thirty-ninth Memoir
(The Egypt Exploration Society, London, 1933)
viii, 96 p. + vii, XCIII plates.

出土したオストラカも異例で、ふたつの作業班によって造営が進められたことが伝えられています。労働者組織の様子がうかがえる稀な文字資料。ディール・アル=マディーナ以外ではほとんど出土しません。

アビュドスに建てられたこのオシレイオンの前面に立つ葬祭殿もはなはだ奇妙で、全体が「くの字」に曲がっており、奥行きを確保することができなかったために最奥部を横へずらせた常識外れの建造物。ここでは伝統を丁寧に踏襲しつつも、必要な際には大胆な決断を下して解決を図ったエジプト人の智恵が看取されます。
思えば建築史家を戸惑わせる大がかりな仕組みの構築物を、次々と造った王でした。

セティ1世の墓も特異で、この王墓は王家の谷において最も長く、また最も深く掘削された例として有名。玄室は全体の長さのほぼ中央に位置し、意味不明の通廊が長々とさらに地下へと続いています。どこまで到達しているのか、今日でも良く分かっていません。下記のURLにて図面が見られます。
1980年代後半から修復のため閉鎖されており、見学は非常に困難。装飾が良好に残存している遺構として知られており、かつては王家の谷の中でも人気のあった墓です。

Theban Mapping Project:
http://www.thebanmappingproject.com/sites/browse_tomb_831.html


近年、P. ブランドはこうした注目すべき記念建造物群を概観した論考を出版し、脚光を浴びました。単一の王による壮大なモニュメントの数々を概括した本格的な考察。
セティ1世は、古代エジプトにおける「建築王」として名高いラメセス2世の父親です。3000年にわたる歴史の中で、建築の生産性を最も高めることに成功した偉大な王の礎を築いた父であって、このことは忘れ難く思われます。

Peter J. Brand,
The Monuments of Seti I:
Epigraphic, Historical and Art Historical Analysis.
Probleme der Aegyptologie, Sechszehnter Band.
(Brill, Leiden, 2000)
xlii, 446 p., 148 figs., 8 plans.

2009年3月11日水曜日

Aurenche (sous la direction de) 1977


古代近東建築に関する図解事典で、似た題名を持つ本はあるのですけれども、多言語による対照表が付されている点は類書に見られず、特記されます。
全体はふたつに分かれ、前半は絵入りの辞書、後半はフランス語を主体とした他の言語への翻訳です。

Olivier Aurenche (sous la direction de),
dessins d'Olivier Callot,
Dictionnaire illustre multilingue de l'architecture du Proche Orient ancien.
Institut Francais d'Archeologie de Beyrouth (I.F.A.B.),
Publication hors serie;
Collection de la Maison de l'Orient Mediterraneen Ancien (CMO) no. 3, Serie Archeologique, 2
(Maison de l'Orient et de la Mediterranee, Lyon, 1977)
391 p., 495 fig., 16 pl. dont 8 en couleurs.

2004年には再版も出されましたので、需要の高いことが想像されます。ただし再版では、初版にあったカラーによる写真は用いられていません。
いくつかの図版はこの本の中で何回も使われたりしていますが、500枚に及ぼうとする枚数の図版の用意は大変であったと思われます。手書きによる線描は簡単に書かれていますが、分かりやすい。写真も豊富に含まれ、他ではなかなか見られない建築の詳細が掲載されています。

フランス語とドイツ語、その逆引き、
フランス語と英語、その逆引き、
フランス語とアラビア語、その逆引き、
フランス語とギリシア語、その逆引き、
フランス語とイタリア語、その逆引き、
フランス語とペルシア語、その逆引き、
フランス語とロシア語、その逆引き、
フランス語とトルコ語、その逆引き、

合計16の辞書が後半に並んでいます。
建築用語の統一は、実はとても手間のかかる作業で、あえてその難業を手がけています。大変便利な本。

類例としては、

Gwendolyn Leick, with illustrations by Francis J. Kirk,
A Dictionary of Ancient Near Eastern Architecture
(Routledge, London and New York, 1988)
xix, 261 p.

などもあります。

2009年3月10日火曜日

Beckerath 1999


古代エジプトの王たちの名をくまなく集めた本です。王の名がひとつではない点が、こうした書が執筆される理由。古代エジプトでは王名が通常は5種類もあり、その名が分かることによって遺構の時代が判定できる可能性もあるわけですから、重要となります。
複数の王名の存在に関しては、西村洋子先生の以下のページを参照。

http://www.geocities.jp/kmt_yoko/IMEG_4.html


ごく簡単な王名表なら旅行のガイドブックの巻末にも付記されていますが、5つの王名のうち、上下エジプト王名(即位名)とサァ・ラー名(太陽神ラーの息子名)だけに限られる場合が大半で、多種のヴァリエーションも包括して知られているもの全部を収めた本格的な集成となると、この書以外にはありません。
改訂版が出ています。

Jürgen von Beckerath,
Handbuch der ägyptischen Königsnamen.
Münchner Ägyptologische Studien (MÄS), 49
(Philipp von Zabern, Mainz am Rhein, 1999.
2. verbesserte und erweiterte Auflage der Erstausgabe von 1984,
MÄS 20, xxii, 314 p.)
xx, 314 p., 4 Phototafeln.

またもや2009年3月4日付の永井正勝先生のブログの受け売りですけれども、この初版本に関しては王名の文字コード化をおこなったファイルが公開されているとのこと。
慣れない者にはログファイルの一種かと見間違える内容ですが、もし発掘現場でいくつかのヒエログリフが読み取れた場合には、検索によって王名、すなわち時代を限定することができるという意味合いがあります。
こういうファイルを英語で作って配信する卒業研究があっても良いかもしれません。感謝してくれるエジプト学関係の人々が、世界で必ずいるはずです。

永井正勝先生の2009年3月4日付ブログ:
http://mntcabe.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/chriss-egyptolo.html


Beckerath 1984、文字コード付記版:
http://www.geocities.com/cgbusch/egyptology/RoyalNames.txt


「ラメセス1世」、「ラメセス2世」、「ラメセス3世」、…などと順番が付けられているのは、現代人が勝手に便宜上、呼んでいるだけで、実際に記された王名を見ると「ラメセス」としか書かれていません。「ラメセス2世」と「ラメセス3世」との区別は、たとえば他の種類の王名や、あるいは併記されている治世年の長さなどによって判別がなされたりします。
ラメセス2世は特別に長生きし、子供があきれるほど数多くいました。跡継ぎである子孫が先にばたばたと死んでいく過程で、いちいち個別に墓を設けていくと大変ですから、王家の谷のKV5が造営されたと考えられています。この墓は部屋を多数備えた大規模な迷路状の遺構で、出水のために未だ最奥部の様相がつかめていないという、世界的にも珍しい最大規模の家族墓。

王家の谷、KV 5 (Theban Mapping Project):
http://www.thebanmappingproject.com/sites/browse_tomb_819.html


古代エジプト人の名前には意味があって、ダハシュールの発掘現場で見つかった神官「タ」の場合は、「大地」という意味になります。アクエンアテン(アケナテンもしくはアクナトン)の妃「ネフェルティティ」は「美しい者、来たる」というほどの意味ですから、日本語では「来美子さん」になりますでしょうか。
王名以外の名前も、資料集成がすでに作られています。「ナクト」とか「ウセルハト」とか「コンス」といった名前の他に、どのようなものがあるかを調べるにはこちらの3冊本が必携。ヒエログリフで書かれた古代エジプト時代の人名、名前を調べようと思った時には、必携となります。ヘルマン・ランケの古代エジプト人名事典として有名。

Hermann Ranke,
Die ägyptischen Personennamen, 3 Bände.
http://www.etana.org/abzu/coretext.pl?RC=18964


Band I: Verzeichnis der Namen
(J. J. Augustin, Glückstadt, 1935)
xxxi, 432 p.

Band II: Einleitung. Form und Inhalt der Namen. Geschichite der Namen. Vergleiche mit andren Namen. Nachträge und Zusätze zu Band I. Umschreibungslisten.
(J. J. Augustin, Glückstadt, 1952)
xiv, 414 p.

Zusammengestellt von A. Biedenkopf-Ziehner, W. Brunsch, G. Burkard, H.-J. Thissen, K.-Th. Zauzich,
Band III: Verzeichnis der Bestandteile
(J. J. Augustin, Glückstadt, 1977)
142 p.

永井正勝先生から、これら3冊が今ではダウンロードできることを御連絡いただいています。

第二次世界大戦を挟んで、第1冊目と第2冊目が出版されています。奥さんがユダヤ人で、そのため歴史に翻弄された研究者のひとり。第3冊目の刊行が本人の逝去後である点にも注意。死後にも尊重された学者であったことが良く了解されます。
彼は他地域における名前の研究もおこなっており、こちらの方が年代としては前となります。

Hermann Ranke,
Die Personennamen in den Urkunden der Hammurabidynastie. Ein Beitrag zur Kenntnis der semitischen Namenbildung
(München, 1902)

別の書き手による新王国時代の外国人の名前の研究もあります。

Thomas Schneider,
Asiatische Personennamen in ägyptischen Quellen des Neuen Reiches.
Orbis Biblicus et Orientalis (OBO), 114
(Universitätsverlag Freiburg Schweiz, Freiburg, 1992)
xiii, 479 p.

同名の者をどう判別するかという、古代エジプトにおけるプロソポグラフィ prosopographyという分野の研究も進んでいます。ディール・アル=マディーナにおける人名事典というのも近年、出版されました。

2009年3月9日月曜日

Porter and Moss (PM), 8 Vols.


エジプト学における最重要な書のうちのひとつ。エジプトに数多く残る遺構を全部拾い上げるという基本台帳の位置を占める書籍で、PMが略称として広く用いられています。
にも関わらず、不備が目立つ点は手の打ちようがありません。記載されている情報が50年ほど遅れており、第1巻の改訂版の第1分冊が1960年に刊行された後、第8巻の第1・第2分冊とその索引が出たのが10年前の1999年、つまり10年前です。現在は初版と改訂版が入り混じっている状態で、初版しかまだない巻のレプリントが度々重ねられているのは、この書の需要が多い証拠。この書を基礎として、どこまで最新の資料が集められるかを皆が競っていることになります。逆から見れば、ここに載っている資料をおざなりにして論文を書くことはできません。

すでに第2版(改訂版)が出ているものについては、初版の情報をグリフィス研究所はあまり示していません。最新の情報を提供するための処置で、また初版と改訂版とは大きく異なっているからであることも大きな理由のひとつと思われます。

出版元のグリフィス研究所による一覧:
http://www.griffith.ox.ac.uk/gri/5publ.html


第1巻や第3巻は、もともとは各一冊ずつでした。情報量が圧倒的に増えたため、改訂版が出版される際に分冊として編集されています。これらを最初に纏めたポーターモスという2人の偉大な女性たちについては、分かりやすい説明がバーバラ・レスコによって書かれています。
これが掲載されている「革新:昔の世界を考古学で切り開いた女性たち」といったニュアンスのページも非常に面白い。

Barbara S. Leskoによる紹介:
http://www.brown.edu/Research/Breaking_Ground/bios/Porter_Bertha.pdf


「昔の世界を考古学で切り開いた女性たち」
http://www.brown.edu/Research/Breaking_Ground/


分冊刊行による最新刊の第8巻の題名は、「もとの場所が不明な遺物」。これがシリーズ中、最も厚い巻となっていて、索引を含めたPart 3までの本文の総計で2000ページほどもあります。未刊行のPart 4も、かなり厚くなることが容易に予想される本。
古代エジプト時代、当地に存在していたものがかなり前からヨーロッパへと運び出され始めていて、ここ2000年以上の歴史の中で世界中に散らばってしまいました。第8巻はそれらの膨大な数にのぼる遺物を扱ったものとなっており、これを纏めるという壮大な企てに着手した編者、J. マレクの能力を讃えるべき。
これに応じて書名にも、"Statues"という語が旧版の書名に加えられ、変更されています。

B. Porter and R. L. B. Moss,
assisted by Ethel W. Burney,
now edited by J. Malek,
Topographical Bibliography of Ancient Egyptian Hieroglyphic Texts, Statues, Reliefs and Paintings, 8 Vols.
(Griffith Institute, Oxford, 1927-)

Vol. I, Part 1: The Theban Necropolis.
Private Tombs
(Second ed., 1960. First published in 1927)

Vol. I, Part 2: The Theban Necropolis.
Royal Tombs and Smaller Cemeteries
(Second ed., 1964. First published in 1927)

Vol. II: Theban Temples
(Second ed., 1972, first published in 1929)

Vol. III, Part 1: Memphis.
Abu Rawash to Abusir
(Second ed., 1974, first published in 1934)

Vol. III. Part 2: Memphis.
Saqqara to Dahshur
(Second ed., 1981, first published in 1934)

Vol. IV: Lower and Middle Egypt
(First ed., 1934)

Vol. V: Upper Egypt: Sites
(First ed., 1937)

Vol. VI: Upper Egypt, Chief Temples (excluding Thebes)
(First ed., 1939)

Vol. VII: Nubia, The Deserts, and Outside Egypt
(First ed., 1952)

Vol. VIII, Part 1: Objects of Provenance Not Known.
Royal Statues. Private Statues: Predynastic to the end of Dynasty XVII
(First ed., 1999)

Vol. VIII, Part 2: Objects of Provenance Not Known.
Private Statues: Dynasty XVIII to the Roman Period. Statues of Deities
(First ed., 1999)

Vol. VIII: The Indices to Parts 1 and 2
(First ed., 1999)

Vol. VIII: Part 3: Objects of Provenance Not Known.
Stelae from the Early Dynastic Period to Dynasty XVII
(First ed., 2007)

------- 追記 -------

サイバー大学IT総合学部長・石田晴久先生の訃報に接しました。
いくつかの学内委員会で同席させていただき、先生が委員長を務められた図書委員会では環境整備に心を砕かれていらっしゃいました。
御冥福をお祈り申し上げます。

------- 追記2 -------

PMの第8巻については編集作業に関する最新情報が公開されました(2009.03.19)。

http://www.griffith.ox.ac.uk/gri/3.html


------- 追記3 -------

PMのデジタル版が公開されています(2014.04.09)。きわめて有用です。

http://www.griffith.ox.ac.uk/topbib.html

2009年3月8日日曜日

Ault and Nevett (eds.) 2005


古代ギリシアの住居に関する論考。2001年に開催のAIAサンディエゴ大会でコロキアムが企画され、その成果が編集されたもの。古代ギリシアの住居でまとまった情報が得られているのはオリントスなどに限られ、その住居が紹介されることが一般には多いわけですが、この会合では専門家たちが集まって、他の各遺構も視野に収め、全貌を捉えようとしています。

Bradley A. Ault and Lisa C. Nevett (eds.),
Ancient Greek Houses and Households:
Chronological, Regional, and Social Diversity
(University of Pennsylvania Press, Philadelphia, 2005)
x, 190 p.

Contents:
1. Introduction,
by Lisa C. Nevett (p. 1)
2. Structural Change in Archaic Greek Housing,
by Franziska Lang (p. 12)
3. Security, Synoikismos, and Koinon as Determinants for Troad Housing in Classical and Hellenistic Times,
by William Aylward (p. 36)
4. Household Industry in Greece and Anatolia,
by Nicholas Cahill (p. 54)
5. Living and Working Around the Athenian Agora: A Preliminary Case Study of Three Houses,
by Barbara Tsakirgis (p. 67)
6. Between Urban and Rural: House-Form and Social Relations in Attic Villages and Deme Centers,
by Lisa C. Nevett (p. 83)
7. Houses at Leukas in Acarnania: A Case Study in Ancient Household Organization,
by Manuel Fiedler (p. 99)
8. Modest Housing in Late Hellenistic Delos,
by Monika Trumper (p. 119)
9. Housing the Poor and Homeless in Ancient Greece,
by Bradley A. Ault (p. 140)
10. Summing Up: Whither the Archaeology of the Greek Household?,
by Bradley A. Ault and Lisa C. Nevett (p. 160)

Langの論文ではアクセス・アナリシス論を援用しており(pp. 24-26)、これが面白かった。
建物の中の部屋のつながりを考えるビル・ヒリアーたちの方法は刺激的で、部屋のかたちや窓の有無、機能などは思い切って取り去ってしまうという大胆な捉え方をします。ここから建物の「深さ」という概念を導き出し、それを数値化して示すという発想がきわめて斬新。
明らかに、現代における建築の姿をもとに組み立てられた論で、時代の刻印を受けており、それゆえ、古代の遺構に当て嵌めようとした場合、さまざまな問題が生じますが、その点こそが要所となる切り口。建物の見方の矛盾が立ちあらわれる場所となります。

Bill Hillier and Julienne Hanson,
The Social Logic of Space
(Cambridge University Press, Cambridge, 1984)
xiii, 281 p.

ヒリアーはまた、「空間は機械だ」とも言っており、これもまた興味深い考え方。219ページには古代エジプトの神殿の平面図も出てきます。

Bill Hillier,
Space is the Machine:
A Configurational Theory of Architecture
(Cambridge University Press, Cambridge, 1996)
xii, 463 p.

なお、アマルナ型住居にアクセス・アナリシス論を適用した論考が日本語で書かれています。アマルナ型住居に関して修士論文をまとめ、以降、いくつかの研究論文を発表されている方。

伊藤明良
「古代エジプトにおける居住形態の変化とその背景:アマルナ居住プランの成立」
古代文化54:8 (古代学協会、2002), pp. 31-47, 58.

イギリスで同じくアマルナ型住居に関し、修士論文を書いた人の例として、

P. T. Crocker,
"Status symbols in the architecture of el-'Amarna",
Journal of Egyptian Archaeology 71 (1985), pp. 52-65.

2009年3月7日土曜日

Bryan 1993


「あなたも女性エジプト学者になれるわ!」という本があって、自分がどのようにエジプト学者になったか、どのような勉強や訓練を経たのかを、一流の女性エジプト学者が個人的な体験をもとにやさしく書き綴っています。

Betsy M. Bryan,
You Can Be a Woman Egyptologist.
Careers in Archaeology, Part 1
(Cascade Pass, Culver City, 1993)
38 p.

およそ20cm四方の、ぺらぺらの書籍ですから、安くて入手しやすい。
これは"You Can Be a Woman......."シリーズのうちの一冊で、他にも「女性建築家になれる」、あるいは「女性エンジニアになれる」とか「女性化学者になれる」など、たくさん揃っています。
英語圏にいる若い女性たちに向けて書かれている本と思われ、執筆陣は全員、その各々の世界で成功している女性で、自分より年下の女性たちの将来を慮って具体的な指針を与えつつ、また彼女たちを大いに鼓舞する書なのですが、これをベッツィ・ブライアンが執筆しているというのがすごい。

B. ブライアンと言えば、エジプトの諸芸術が最も花開いたとされる新王国時代、特にアメンへテプ3世時代に関し、ばりばり書いている良く知られた女性エジプト学者です。評価の高い成果を次々と発表している有名な方。
たとえて言うならば、上野千鶴子・東大教授が「あなたも社会学者になれるわ」という本を女性のティーン・エージャー向けにやさしく書くことと匹敵します。
自分が歩んで来た道のりを記しており、こういう内容は滅多に読むことができないわけで、薄い本ですけれども、ブライアンという研究者の人間性が間接的に良く感じられる著作です。

この類の本は、追悼文などを除けば、エジプト学の研究論文においてまず絶対に引用されないものと言って良いのですが、とても丁寧に書かれているなという印象が残ります。
日本にもこういった手頃な本があったら、もっと良いのになと思わせる刊行物。村上龍「13歳のハローワーク」(幻冬舎、2003年)を、各専門家たちが手分けして楽しみながら書いている、そう思ってもらっていいかと思います。これを踏まえた「世界各国の調査の楽しみ」とか、そういう本もあっていい。
ブライアンのこの冊子は、活字も大きく、非常に読みやすく造られています。とても派手な装丁は、果たしてブライアンが望んだ結果なのかどうかは分かりかねますけれども。

腰を落として、目線を下げて、なおかつレヴェルは絶対に落とさないし下げない、似たようなそういう本が本当に無いかなと思う時、エジプト学からは離れてしまいますが、

加藤典洋「僕が批評家になったわけ」
(岩波書店、2005年)
249 p.

も、非常に良かった。書かれる分野も、本の厚さもまるっきり異なりますが、同じような読後感を受けます。
これも個的な体験、しかもさまよった体験を随所に記し、かつ批評行為のタネというものが日常の周りに、実はたくさんあることが示されています。
自分を対象化すること、深く考えること、その道のりが平明に書かれていますが、それが批評行為の領域を押し拡げることとつながり、共感を与える/得るという本来の開けた場に、批評を今一度、戻そうというモティーフが強く伝わってきます。
歴史研究の原点にも触れる問題が展開されている本。