16世紀のオスマン朝に建造された砦ですが、何故、紅海沿岸にこのようなものが建てられたかと言えば、海を渡っての交易の拠点となっていたからです。ヨーロッパとアジアとを結ぶ交通路の途上の、紅海における要所でした。
クセイルはまた、古代エジプトにおける砂漠の道、ワーディ・ハンママートの紅海側の終端でもありました。ワーディ・ハンママートはナイル川と紅海とを東西に繋ぐ道で、面白いことに古代に記された地図が残っています。
クセイルはメッカへの巡礼の際にも、重要な役割を果たした土地。
Charles Le Quesne,
with contributions by Martin Hense, Salima Ikram, Ruth Pelling, Ashraf al-Senussi, Willeke Wendrich,
Illustrations by Tim Morgan and Julian Whitewright,
photography by Tim Loveless,
Quseir:
An Ottoman and Napoleonic Fortress on the Red Sea Coast of Egypt.
American Research Center in Egypt (ARCE) Conservation Series 2
(American University in Cairo Press, Cairo, 2007)
xxv, 362 p.
Contents:
1. Introduction and Background (p. 1)
2. Historical Background (p. 25)
3. Foundation and Early Occupation (1571-Late Seventeenth Century) (p. 45)
4. Late Ottoman Occupation (Eighteenth Century) (p. 87)
5. Napoleonic Occupation (1799-1800) (p. 97)
6. The Nineteenth and Twentieth Centuries (p. 147)
7. Finds and Specialist Reports (p. 169)
8. Final Discussion and Conclusions (p. 299)
Appendix: Description of the Town of Quseir and Its Vicinity (p. 319)
参考:360度パノラマ
http://www.360cities.net/image/quseir-fort-16th-c
http://www.360cities.net/image/fort-of-sultan-selim-quseir
サンゴも建材として用いていますが、これはトゥールのキーラーニー地区、あるいはラーヤ遺跡と同じです。紅海沿岸ではスーダンのサワーキン(スワキン)や、サウジアラビアのジェッダ、またヤンブーなどでサンゴ造建築は知られているものの、エジプト建築史では非常に稀で、特筆されます。サンゴを用い、紅海沿岸に砦を造った例としては、ラーヤの方が古く、規模もこちらの方が大きい。
この城塞が何故、正方形でなくて菱形になっているのか、ちょっと興味が惹かれるところです。地形の制約があったし、建物の正面をメッカに向けたかったと著者は述べていますが、他にも理由があったかもしれない。
この方面の研究者たちであるフランスのJ.-M. Mouton、あるいはアメリカのD. S. Whitcombたちの名と並んで、トゥールとラーヤを長年発掘してきた川床睦夫先生による各報告書も、本書のあちこちで引用されていますけれども、ただ執筆者は全部を見てはいない様子。
Mutsuo Kawatoko,
"Multi-disciplinary approaches to the Islamic period in Egypt and the Red Sea Coast",
Antiquity 79 (2005), pp. 844-857.
は、巻末の参考文献リストから抜け落ちています。
図版を多く含んだ本で、数ページはカラーで印刷されています。層位図等も掲載しており、第1期から第7期にわたる変遷を描こうとしていますが、もう少し分かりやすい図示が試みられても良かったかも。
クセイル遺跡の観光センターを立案するために調査がなされたという経緯が述べられていて、建築的な側面についてはMichael Mallinsonの名が挙げられています。この人はケンプのアマルナ調査にも参加している建築家。エジプト学に関わっているS. IkramやW. Wendrichも、それぞれの専門分野からの報告文を載せています。古代石切場の調査を進めているPeacockへの謝辞も見られ、エジプト調査の運営が厳しくなっている中で、協力関係を結んでいることが良く了解されます。
"Curtain wall"という用語を城塞の壁に対して使っていますが、窓の設けられていない、稜堡の重厚で高い壁を言い指したもの。今日の建築の世界で「カーテン・ウォール」というのは、高層ビルなどでただ吊り下げられるだけの、建物全体を支える構造的な意味あいにおいては何ら寄与しない壁のことを言うのであって、解釈が大きく異なり、違和感がありますけれども、ここでは軍事建築の専用用語としての「カーテン・ウォール」。ですから建築構造力学から見られる意味がまったく逆転します。
クセイルはまた、古代エジプトにおける砂漠の道、ワーディ・ハンママートの紅海側の終端でもありました。ワーディ・ハンママートはナイル川と紅海とを東西に繋ぐ道で、面白いことに古代に記された地図が残っています。
クセイルはメッカへの巡礼の際にも、重要な役割を果たした土地。
Charles Le Quesne,
with contributions by Martin Hense, Salima Ikram, Ruth Pelling, Ashraf al-Senussi, Willeke Wendrich,
Illustrations by Tim Morgan and Julian Whitewright,
photography by Tim Loveless,
Quseir:
An Ottoman and Napoleonic Fortress on the Red Sea Coast of Egypt.
American Research Center in Egypt (ARCE) Conservation Series 2
(American University in Cairo Press, Cairo, 2007)
xxv, 362 p.
Contents:
1. Introduction and Background (p. 1)
2. Historical Background (p. 25)
3. Foundation and Early Occupation (1571-Late Seventeenth Century) (p. 45)
4. Late Ottoman Occupation (Eighteenth Century) (p. 87)
5. Napoleonic Occupation (1799-1800) (p. 97)
6. The Nineteenth and Twentieth Centuries (p. 147)
7. Finds and Specialist Reports (p. 169)
8. Final Discussion and Conclusions (p. 299)
Appendix: Description of the Town of Quseir and Its Vicinity (p. 319)
参考:360度パノラマ
http://www.360cities.net/image/quseir-fort-16th-c
http://www.360cities.net/image/fort-of-sultan-selim-quseir
サンゴも建材として用いていますが、これはトゥールのキーラーニー地区、あるいはラーヤ遺跡と同じです。紅海沿岸ではスーダンのサワーキン(スワキン)や、サウジアラビアのジェッダ、またヤンブーなどでサンゴ造建築は知られているものの、エジプト建築史では非常に稀で、特筆されます。サンゴを用い、紅海沿岸に砦を造った例としては、ラーヤの方が古く、規模もこちらの方が大きい。
この城塞が何故、正方形でなくて菱形になっているのか、ちょっと興味が惹かれるところです。地形の制約があったし、建物の正面をメッカに向けたかったと著者は述べていますが、他にも理由があったかもしれない。
この方面の研究者たちであるフランスのJ.-M. Mouton、あるいはアメリカのD. S. Whitcombたちの名と並んで、トゥールとラーヤを長年発掘してきた川床睦夫先生による各報告書も、本書のあちこちで引用されていますけれども、ただ執筆者は全部を見てはいない様子。
Mutsuo Kawatoko,
"Multi-disciplinary approaches to the Islamic period in Egypt and the Red Sea Coast",
Antiquity 79 (2005), pp. 844-857.
は、巻末の参考文献リストから抜け落ちています。
図版を多く含んだ本で、数ページはカラーで印刷されています。層位図等も掲載しており、第1期から第7期にわたる変遷を描こうとしていますが、もう少し分かりやすい図示が試みられても良かったかも。
クセイル遺跡の観光センターを立案するために調査がなされたという経緯が述べられていて、建築的な側面についてはMichael Mallinsonの名が挙げられています。この人はケンプのアマルナ調査にも参加している建築家。エジプト学に関わっているS. IkramやW. Wendrichも、それぞれの専門分野からの報告文を載せています。古代石切場の調査を進めているPeacockへの謝辞も見られ、エジプト調査の運営が厳しくなっている中で、協力関係を結んでいることが良く了解されます。
"Curtain wall"という用語を城塞の壁に対して使っていますが、窓の設けられていない、稜堡の重厚で高い壁を言い指したもの。今日の建築の世界で「カーテン・ウォール」というのは、高層ビルなどでただ吊り下げられるだけの、建物全体を支える構造的な意味あいにおいては何ら寄与しない壁のことを言うのであって、解釈が大きく異なり、違和感がありますけれども、ここでは軍事建築の専用用語としての「カーテン・ウォール」。ですから建築構造力学から見られる意味がまったく逆転します。
註を記したp. 327, note 4の、"This work was carried out carried out by Mallinson Architects,"というケアレスミスなどもいくつかあって、惜しまれるところ。
ARCEから出ているこのConservation Seriesはしかし、エジプトの遺跡に関する修復作業を一般読者に広めようとしている点で貴重です。
ARCEから出ているこのConservation Seriesはしかし、エジプトの遺跡に関する修復作業を一般読者に広めようとしている点で貴重です。