直接には「広告としての役割」を負った本で、良く考えるとこの書籍(?)は奇妙な存在です。
糸井重里(プロデューサー)
中沢新一、宮崎駿、河合隼雄、清水真砂子、上橋菜穂子、中村うさぎ、佐藤忠男、宮崎吾朗
「ゲドを読む。」
(ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
ブエナ ビスタ ホーム エンターティメント,2007年)
非売品。206 p.
中沢新一による解説「『ゲド戦記』の愉しみ方」(pp. 13-59)がとても良い。特に「ゲド戦記」の第4巻の扱いが非常に上手で、秀逸です。
長い間隔を置いて発表されたこの4巻目に対しては、「がっかりした」、というような感想が寄せられることが多いかもしれないのですが、そうした反発は実は大したことではないのだという見方がなされており,作者ル=グウィンが本当にやろうとしたと思われるモティーフが見据えられています。
3冊が刊行された後、20年近くの歳月を隔てて書かれたこの4巻目と,さらに10年以上を経て出版された5巻目がなかったら、この作品は凡庸なものに終わっていたに違いないという解釈が,文章でははっきりと書かれていないのですが、ここではなされていると思います。
自分の書き継いで来た世界を、4巻目と5巻目は壊そうともくろんでおり、そのためにだけ2冊が後に書き加えられたといった見方には興味が惹かれます。
表現というものの本質がここでは問われている、そう考えて良いかもしれません。
レヴィ=ストロースではないけれども、「女性とは何か」、そういうこともこの4巻目と5巻目における読解では問われています。大地と結びついた女性と、そこへ降り立った名うての魔術師が魔法の能力の一切を奪われる、という対比の鮮やかさ。
最終の第5巻では、魔法学校であるローク学院の存在意義が疑われる格好になって終わっており、個人的にはここも面白かった。「学校の解体」に鋭く反応してしまうのは,ただの職業病。
6巻目の「外伝」にも,佳作が集められています。小さな断片がいくつも散らされて、本編との間に無数のものがたりが展開していることを想像させます。
映画を見に来る人たちを増やすことだけを狙ったのではない、巧みな導入を図った小冊子です。
0 件のコメント:
コメントを投稿