2008年12月16日火曜日

Gorringe 1882


オベリスクを扱った本の中で、良く知られているものの中の一冊。必ずと言っていいほど引用されている基本文献です。アレキサンドリアからニューヨークまで、オベリスクを船で運ぶ仕事を請け負った人が自分で出版した本。

Henry H. Gorringe,
Egyptian Obelisks
(Published by the author, New York, 1882)
x, 187 p.

大判の図面や写真が何枚も掲載されており、いかにオベリスクの運搬が大変な行程であったかが分かります。天候が急変して大波にもみくちゃにされただの、クランクシャフトが折れて前進することができなくなっただの、死に損なった話をあれこれ書いていますが、一方でそれらを楽しんでいる様子。傑人による著作です。
ニューヨークのどこに立てたら良いか、他に候補地があったというのも面白い。この時代、すでに摩天楼が建ち並ぶ場所でしたから、そこに並べて置くと、せっかくのオベリスクが低く見えてしまうという理由で、セントラル・パークが選定されました。メトロポリタン美術館はもう存在しており、馴染みがいいであろうという判断も働いたようです。

第1ページ目はアレキサンドリアに立っていたオベリスクの当時の状況を書くことから始められていますが、誰もそのオベリスクを重要なものと認識しておらず、周囲にはゴミが堆積していて、2人の男がオベリスクの隅部や浮彫彫刻を割り砕き、宝探しにやってくる者たちへ売る商売をしている、などということを記録しています。
「悪臭がたちこめ、バクシーシを叫ぶ者たちがいて、部外者はオベリスクをほとんど数秒たりとも観察しようとしないまま、足早に去って行く」と、場面を彷彿とさせる描写をしており、本を著したこのアメリカ海軍の軍人は、文章を書くことも非常に上手でした。

56ページには運搬経費として全体でいくらかかったのかを書き残していて、

「うまくことが運ぶように、また邪魔されないように、もういろいろと違った人にバクシーシが必要で・・・」

と正直です。この点はかなり恨みに思ったらしく、巻末の索引には"backsheesh ....... 1, 56"と、「バクシーシ」の語が他の学術用語と混ざって、ちゃんと掲載されているのも笑えます。

ルクソール神殿のオベリスクがパリにまで運ばれた時の模様、またロンドンへとオベリスクが移送された経緯などについても、続く章において解説しています。第5章はヴァティカンのオベリスクを扱っています。第6章はその他の代表的なオベリスクに関する説明。

重要なのは61ページで、オベリスクのプロポーションについていくらか述べています。145ページには40本ほどのオベリスクの寸法を比較したリストがあって、これはきわめて有用ですが、ただしオベリスク頂部のピラミディオンの大きさには触れられていません。「初期のオベリスクは全般的に、後期のオベリスクよりもほっそりとしている」、などという指摘もなされており、注目されます。

最後の第8章では石材と金属の科学分析の結果を記しており、この時代の本においては稀有な例です。100年以上も前の出版物ですが、今なお価値を失っていない書。

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